2016年 5月   
  5月8日(日)
今年のゴールデンウィークは風が強く殆ど飛べなかった。
本日の予報は晴れではあるが昼から北東6m/Secである。
プレジャークラブの練習日で8時半集合。
8時半前に行ったら既に吉岡さんはパラ担当の土手の草刈をされていた。
地元の方は7時集合で綺麗に刈っておられる。
あわてて草刈機を出して皆さんで参加。
私も吉岡さんの草刈機をバトンタッチして参加。
秋までは毎月第一日曜日には地元の方は土手の草刈をされています。
連盟メンバーの方は忘れないように参加しましょう。
当日出来なくても他日でも草刈は出来ますし、テイクオフの草刈もあります。

MLの風は北風がそこそこ入っている。
神の倉は無風に近く北東風である。
吉岡さんがB級生を連れて神の倉TOに上がる。
サブランの面倒を見る必要の無いNP以上を(P並みの技量の人)引きつれ
ボンゴで荒谷山TOに上がる。
荒牧牧場はバイクの使用で不可、体験者及び初期練習生は
神の倉MLで小田さんが面倒を見てくれている。

荒谷TOは東がらみの1~2mの風が時々入ってくる。
田原さんと甲斐さんが追いかける様にして上がって来た。
11時前に中野さんと河野さんがテイクオフするも良いサーマルに出会わず
沖の方で少し粘ったのみでサブラン土手へ。
久保ちゃんと足刈さんが上がって来た。
川に渡してある鯉のぼり軍団が川下(南風)を向き始めた。
神の倉TOにいる吉岡さんにその事を伝える。
MLにいる竹井さんもMLの風が変わり始めた事を無線で報告。
ようやく荒谷TOも南東風が入り始め、田原さんテイクオフ。
正面ボールでサーマルヒットし、一気に海抜1600mまで上げて行った。
神の倉TOからはワンチャンスで中村ひーさんと岩佐さんテイクオフしぶっ飛ぶ。
川原さんと甲斐さんがテイクオフし上げて行った。
私も続いてテイクオフし、南小山手前でリフト発見。
鋭いサーマルで捕まえたり外したりで荒谷山山頂付近に付ける。
-4m/Secからいきなり+4m/Secそして+6m/Sec。
これには驚くし、どんなサーマルなんか!と緊張する。
穏やかなリフトはないものかと、ずらしながら廻す。
足刈さんもテイクオフし、川原さんと甲斐さんの3機で粘っている。
海抜1400m付近でサーマルを外したようなので、上がっていた所へ戻る。
海抜1300mから1550mまで戻す。
田原さんは向原方面に走った模様。
3機から抜け出てきた川原さんが海抜1600mあたり。
今日のサーマルは喉がカラカラになる。
もう良いかな・・と荒谷山を離れ、藤見イベントをやっている神の倉山頂を目指す。
川原さんは日浦付近まで足を伸ばしている。
川の上空海抜700mは南風向かい風で13Km/h、追い風で48Km/hそして
いきなり+4,5m/Sec、2秒後に-3,5m/Secは気持ち悪い。
何とか神の倉の藤見会場上空に辿り着けないかと思ったが敢え無くランディング。

藤見イベントでうどんを売っているはずなので神の倉に上がる。
藤見イベントは終了していた。
神の倉TOに到着すると竹井さんが十数名のギャラリーを前にテイクオフする所だった。
テイクオフして少し粘っていたが敢え無くランディング。
NP以下の練習生はフライト中止の無線が入る。
練習生は名残惜しそうにしているので私がテイクオフ。
正面右尾根で粘ったら、いきなりフロントタック。
山に向いていたのでドッキリ。
サーマル交じりの南風強風に煽られピッチングしまくり。
ランディングは最後の地上9mは殆ど垂直降下だったので、久保ちゃん心配して駆け寄ってくれた。
「見てのとおりやばいフライトです」と無線を入れる。
無線を聞いてなかったのか川原さんテイクオフした。
何とか無事にランディングして来た川原さん「飛ぶべきだ無かった」との弁。

本日のフライトログ
 5月9日(月)広島蝋燭薪能
今年は1週間前から雨の天気予報!
残念ながら広島護国神社境内の特設舞台でなく
アステールプラザでの演能となった。
数多くの蝋燭や篝火ではなくなったので雰囲気が落ちてしまうのが残念。
13時に集合して舞台の乾拭き、舞台裏へのござ敷き詰め
そして演能者の控え室準備、入り口の受付準備。
神社の皆さんと広島喜多会の皆さんとで17時の開場に向けて頑張る。

18時開演で扉は閉めてしまい、キッズルームにご案内する。
キッズルーム満杯なりロビーにてモニターで観能して頂く。
「葛城」の演能が済むと本来の客席に座って頂いた。
「葛城」ではアイ狂言は野村萬歳師が勤められた。
狂言「仏師」は大笑いが起き、あっという間の30分であった。
「鵜飼」が始まりキッズルームに入ってゆっくり観能。
アステールプラザの観客席は2階席まで、ほぼ満席であった。

広島蝋燭薪能の会のフェースブック

 5月14日(土)春のサーマル
8時半にマイナンバーカードを引き取りに行く。
いろんな場面でマイナンバーを書き入れなければならない状況を作って
個人個人の収入をがっちり押さえ込んで仕舞おうという魂胆なのだ。
サラリーマンは丸裸だがセレブや政治屋どもは抜け穴をいっぱい持っている。
パナマ文書をすっぱ抜いた人物はITで革命が起こせると言ったそうだが・・

11時前に神の倉に行く。
田原さん、甲斐さん、中野さん、川原さんの5人で早速荒谷山にあがる。
今日は広島県の予選会の様で手練達がボチボチ集合している。
南風に変わり始め12時前に田原さんテイクオフし、
粘りに粘ってサーマルゲットし海抜1500m。
甲斐さん、中野さんもテイクオフして上げて行った。
私も12時過ぎにテイクオフし、マキゴンポイントでサーマルヒット。
正面ボールにずらして2~3m/Secのサーマルで廻し続け
海抜1400mまで上がってサーマルを外してしまった。
テイクオフ上空に戻ってサーマルゲット。
時々突き上げるようなリフトで上昇音が連続して聞こえる。
上空には薄いサーマル雲が出来始めていた。
残念ながら雲底にタッチは出来なかったが、海抜1690mに到達。
田原さんは甲立方面に走った模様。
甲斐さん、川原さん、中野さんも同高度で遊んでいる。
海抜1400mまで高度を落としたが、赤柴山にずらしながら海抜1600m。
予選会の手練達がテイクオフしている模様。
私は膝を痛めているため、クロカンに出て土手の斜面にでも降ろしたら
膝を捻ってこれ以上悪くするとパラは出来なくなるかも・・・
田んぼの取入れが済む秋までクロカンは自重しよう。
やることがないので神の倉に谷渡り。
神の倉稜線上に到達出来るかと思ったが海抜434mで稜線以下。
南屏風裏でサーマルヒットしたのでしがみ付く。
南屏風のローター域のサーマルなので荒れている。
テイクオフ上空に廻しながら来たがあまり楽しくないので離れる。
南屏風に行ったがリフト無しなのでMLへ。
海抜1690m、一時間のフライトであった。
ランディングすると田原さんから電話あり。
甲立手前に下ろしたそうなので、甲斐さんと田原号にて迎えに行く。

高杉さん、山本さん、中村さんはゴールの庄原に行ったそうだ。
三次市にはめぐちゃん、池さん、児島さんが降ろしたらしい。
今日も春のサーマルがバンバンだったようだ。

本日のフライトログ
 5月16日(月)沖縄旅行
3月ネットサーフィンしていたら早割75で広島から沖縄へのエアーチケットが
9960円という金額が目に飛び込んできた。
調べた日が75日前だったので、即発注ボタンを押してしまった。
従姉妹が石垣島近くの小浜島に住んで10年になるので尋ねてみよう。
(結局、おばさんが怪我をしたので急遽千葉へ帰ったのだが・・・)
一週間で沖縄と石垣島に行くことにした。
エアーチケットの安さに引かれ沖縄旅行となったが何をしようか・・・
沖縄にはパラグライダーをしに、2001年天仁屋2002年6月勝連
2002年9月今帰仁、と3回行っている。
石垣島の明石パラワ-ルドにもパラで、2003年6月2004年7月、の2回行っている。
今回は嫁さんと二人なのでパラは諦めている。
2008年11月に小笠原でスキューバダイビングしたことがあった。
折角の沖縄なのでスキューバーダイビングに挑戦しよう。
嫁さんにスキューバーダイビングツアーに申し込むがどうする?と
尋ねたらやってみるとの返事!
ハワイで2度ばかりシュノーケリングをやった事があるので自信が有るのか??
ネットで探したら、スカイリーフダイバーズの「青の洞窟」体験ダイビング
が良さそうなので申し込む。
魚たちに餌付けはしません、1グループに一人のインストラクターを付けますと
書いてあったので、しっかりした所だと感心し申し込む。
ところが「お二人は60歳以上なので、ダイビング可能の医者の診断書を
書いてもらって持参してください」とメールが来た。
同級生の掛かり付け医に「ダイビングは大丈夫と思われる」と無理やり書かせる。
石垣島は西表島のダックツアー「カヌー&トレッキングサンガラの滝」に申し込む。


ANA11時35分発で沖縄へ向けテイクオフ。
曇り空だけど10000mは当然晴れていて、ジェット機が併進しているのが見えた。
13時半沖縄空港に到着し、レンタカーを借り走り始める。
本日入梅宣言したそうだが雨は降っていない。
残波岬ロイヤルホテルに直行し、まずはチェックインを済ませる。
ローシーズンなので、ツインで朝食付き一泊二人で5900円は安い!
強風(15m?)で小雨交じりの天候なので、ホテルの周りを散策。
ホテルの前のビーチを歩き、もう少し足を伸ばすと残波大獅子が見えた。
残波いこいの広場を歩いていると優しそうな男性に呼び止められた。
読谷村の若い衆が「沖縄忍者」を演じるので見てやってくださいと頼まれた。
開演までには30分以上あったが折角の呼びかけなので立ち寄る事にした。
誘ってくれたのはアシビエンタープライズの當山浩社長だった。
若い人達の一生懸命さとパワーには圧倒されたが、舞台芸術に到達するには
更なる努力が必要であろう。
ボールのパフォーマンスは初めてだったので、なかなか面白かった。
365日の開演だそうなので、もっと皆さんに知ってもらって
来場者が増えることを祈るばかりだ。
読谷村の村興しに頑張る若者達に会いに行ってあげて下さい。
雨が降ってきて十代の若者が傘を貸してくれて途中まで送ってくれた。
ホテルまで帰ると聞いてビニール傘を一本プレゼントしてくれた。

16日と17日の動画

17
 5月17日(火)琉球村へ
朝食をとりに13階のレストランへ。
窓から眺めると昨日行った残波いこいの広場が見える。
直ぐ先が残波岬灯台が見えるので、朝一で行ってみよう。
昨夜貰ったビニール傘を返却しに行く。
幟も立てて頑張っている様子なのだが・・・
彼らの成功を祈る気持ちで傘をチケット販売窓口の所に置く。
残波岬灯台に来ると、てっぺんに人が見える。
この灯台は登る事が出来るのだ!
灯台に登ることが出来るなんて珍しいので登る事に。
入場料は200円也!展示場も併設していた。
高さは31mで階段の数は99段!
頂上に出ると20mは吹いているので、帽子はポケットに仕舞いこむ。
岬の先端に行って海面を覗き込んでみる。
読谷村の座喜味城跡公園に立ち寄る。

本日メインの琉球村に到着。
お店の看板は必ず中国語と韓国語が掲げられている。
日本の有名な観光地は中国、韓国、台湾のお客さん抜きでは
語れない程になっているようだ。
村内に入ると沖縄民謡が聞こえてくる。
古民家の会場で開演しているようだ。
ハブの展示場に入ってみる。
丁度説明の時間帯だった。
ハブの攻撃からの安全距離はハブの全長の2/3以上との事だった。
古民家で民謡が始まったので寄って見る。
唄の合間にどちらの国からですかと聞くと半便は中国、韓国だった。
「ニーハオ」「アンニョハセヨー」とでお客さん喜んでくれていた。
外国に行ったら一言でもその国の言葉を使うとレスペクトが伝わる。
歩いていると古民家からひっそりと歌声が聞こえる。
同年輩の婦人が人に聞かせるのでなくお一人で唄っている。
しみじみとした雰囲気と歌声に思わずカメラを廻した。
唄い終わったので、不躾をお詫びしてお話をする。
婦人は68歳で、外国に行ったお友達も含めて還暦で集まったそうだ。
戦後の占領時代の苦しい生活とお友達を想い唄っていたそうだ。
何という唄か聞き漏らしたが、人に聞かせる唄でない歌い方は
なんともしみじみと心に沁みる。
小雨が降っているので沖縄舞踊とエイサーの演舞は建物内で行われた。
沖縄舞踊はしっとりと、エイサーは迫力満点だ。
観光地ではお土産屋さんと展示物や建物だけでは殆ど記憶に残らない。
人が行うパフォーマンスが重要と感じた。
勇壮な祭りが人々の心を引き付けるのも納得できる。
帰りの途中小さなお店の「タコライス」の看板が目に入った。
2001年に来た時タコライスが美味しかったのを思い出した。
車を止め一皿をシェアーして食べた。やはり美味しかった。
今帰仁の備瀬のフクギ並木を見に行く。
往復3Kmだというのでレンタサイクルを使うことにした。(300円也)
フクギは家を囲って植えられているので防風林や防火林の役目を果たす。
路地から路地が全てフクギで繋がっている所を自転車で走る。
夏のギラギラした太陽の下では、オアシスのような緑のトンネルだろう。
海岸出でると若者が釣をしていて、50Cmのダツを釣り上げていた。
目の前にはとんがり帽子の山の伊江島が見える。
海の中の古宇利大橋をわたる。
古宇利島は小さいので一周する。

ホテルに帰って、1階でショウタイムを見た。
21時から2階のレストランで同じ歌手の新垣めぐみさんの
歌謡ショーがあるというので夕食はそこにする。
食事には遅かったのか客は私達だけだった。
彼女の透き通った歌声に聞き惚れた。
専属歌手を持った気分になったが、彼女には気の毒だった。

17日の動画

18
 5月18日(水)スキューバーダイビング挑戦
10時半にスカイリーフダイバーズの事務所に行く。
事務所は締まっていた。
外は小雨が降っている。
しばらくすると女性がワゴン車で帰ってきた。
沖縄に来る前にひとみさんとあれこれメールで打ち合わせしていた。
早速事務所に入り、にしき堂の「生もみじ」と診断書を手渡す。
「あっ!にしき堂」と言うので知っているのか聞いてみたら
高校の修学旅行で広島に行ったのでお土産に買ったらしい。
早速水中写真データをCDにするかブログのアルバムからダウンロードするか等を
聞かれたので、CDで貰う事にする。
お友達同士で来たお客さんにはダウンロードをお願いしているようだ。
水中カメラを貸してくれるので、扱い方法の説明を受ける。
太めの三毛猫がいて直ぐに私にスリスリして来た。
声がだみ声なので名前は「ダミちゃん」女の子。
水着は着て来店して下さいのことだったので、直ぐに事務所で
ウエットスーツをつけて貰う。
ウエットスーツに嫁さんは太ももが、私は出腹が入りにくい(笑)
スキューバーダイビングは、嫁さんは初めての経験。
私は5年前が初めてで、72歳にして2度目のダイビング。
説明によるとインストラクターが1グループに一人付いてくれるとのことだ。
ワゴン車には私たち2名のみで、港へ5分ばかりで到着。
早速大きな漁船に乗り込み、イントラのあま~んさんとやいさんにレクチャー受ける。
何とマンツーマンでダイビングしてくれるとの事だ!安心感が増大。
水中でのお互いの意思疎通のためのサイン確認。
機材の説明。耳抜きの方法。青の洞窟の説明などなど。
ボンベを背負うジャケットに空気を出し入れし浮力の調整するらしい。
調整は微妙なのでイントラさんが行うとの事。
小笠原では深度10mのウエイト調整のみで、水中のアップダウンは
アンカーを打ったロープを伝い少しづつ潜っていった。
ずっと10m付近を潜っていたように思う。
この漁船は乗り合い船で、別のショップのお客さんも乗り込んできた。
青の洞窟へ行くのだが、シュノーケリングのお客さんが10名ばかり
スキューバーダイビングのお客さんが5~6名いるようだ。
船外機を2機つけた漁船は早く、5分ばかりで青の洞窟に到着。

舟から水中へ入るのは梯子を使いますか?舟の縁から後ろ向きに
体を落とし込みますか?と聞かれた。
テレビで見るベテランダイバーは後ろ向きなのでチャレンジしますと答える。
ゴーグルとマウスピース?(名を知らない)を左手で押さえ、右手で後頭部をおさえ
後ろ向きに倒れこんでくださいとのことだ。
丸い不安定なボンベが背中に当たって痛いのではと聞いたら心配なしとの事。
それではと後ろ向きに船縁から落下。
本当!何の衝撃も感じなかった。
暫くしてイントラさんも入水してきて、手を添えて海底に誘導してくれた。
ボードに「愛子さん来るまで待ちましょう」と書いたのでOKサイン。
なかなか嫁さんが来ない!
梯子に乗ったが躊躇して潜って来れないのでは・・・
小笠原では潜水機材を付けたら「止めます」とか、海中に入ったら「止めます」と
言うお客さんも結構居ますよとの事だった。
海底の岩に取り付き魚たちの写真を撮る。
10分以上たってようやく嫁さんがイントラさんの腕にしがみ付いて降りてきた。
少し移動して魚影の濃いところで、とりあえず記念写真を撮ってもらう。

  

二人の写真なのでイントラさん離れると嫁さんは私の腕を強く握り締めている。
まだまだ余裕は出来ていない様なので、何かあってパニックに陥らなければ良いが・・・
最も水深は5mばかりなので、ジャケットを膨らませば一気に海面なので
いくらか海水は飲んでも重大な事にはならないだろう。
青の洞窟に移動しましょうとボードにコメント。
嫁さんもOKサイン出しているので大分落ち着いてきたと見える。
移動はイントラさんが手を引っ張ってくれるが、私もフィンを使う。
嫁さんはイントラさんの腕を掴んで運んでもらっている。
洞窟に入り、振り向くと入り口が青く光っている。

  

ジャケットに空気を入れてもらい洞窟内で海面に浮上し記念写真。

  

洞窟を出て魚影の濃いところで動画撮影。
うねりで翻弄され岩を掴め損ねた。
帰途の途中「クマノミを見に行きましょう」とボードにサイン。
鮮やかな色のクマノミ達と写真を撮る。
そして本日の日付けをボードに書いて記念写真。
無事ダイビングを終える事ができた。

  

  

  

マンツーマンでサポートしてくれたイントラのあま~んさんとやいさんに感謝です。
私たちの事をブログに写真入で紹介してくれた。

嫁さんの後日談では・・

嫁さんは機材の説明受けている時やめた方がよいのではと思ったらしい。
船から階段で下りる時船頭さんが助けてくれたのだが、顔を海中に沈め
息をした時やめたいと思ったらしい。
次に降りてくるお客さんがいるので、イントラさんの腕にしがみ付き
兎に角マウスピースが命綱と息をすることだけを考えたらしい。


18日の動画


ホテルに帰る途中沖縄のお墓が見えたので撮影。
小さな石造りの一軒屋と見間違う程の立派なお墓だ。
お盆に親族がお墓の前に集まって食事会をしているのをテレビで見たことがある。

ホテルに帰るにはまだ早いので大回りをして帰ることにした。
嘉手納基地に隣接する「かでな道の駅」に立ち寄る。
1階に基地の展示場があり戦闘機の写真やら基地の地図やらが展示してある。
屋上に上がると嘉手納基地の滑走路が半分見渡せた。
嘉手納町は総面積の83%が米軍基地に占められている。
基地に占領された沖縄を象徴する町なのだ。
そして基地の広大さと来たら・・・
沖縄では観光地ばかりでなく、沖縄平和祈念資料館や戦跡や基地なども
自分の目で見ることの大切さを感じた。
オスプレーが一機飛んでいくのが見えた。
夕食は「田芋(たーんむ)」という久米島の田舎料理のお店で食べた。
食べた事のない物をとりあえず注文。
まずまずの美味しさであった。

19
 5月19日(木)沖縄海洋博公園
今日は沖縄海洋博公園に行く。
今帰仁の瀬底島に渡る橋があるので渡って、小さな島だが一周して見る。
私は若い時から辺鄙な所に憧れ、日本の端っこにも惹かれる。
日本の端の一覧を見ると、未だ行ってない所が多い事に気付かされた。

昨日タコスをたべた小さなお店を右手に見ながら、沖縄海洋博の駐車場に到着。
沖縄美ら海水族館に直行。
水族館内をいろいろ見たが圧倒的迫力は矢張りジンベイザメの大水槽だった。
8,6mのジンベイザメが目の前をユッタリ泳ぐ様は大感激であった。
飼育員が底に潜って作業しているのが見える。
人の大きさに比べるいかにジンベイザメが大きいか実感出来る。
エイが腹をこちらに向けると笑った顔の様に見えて愛らしい。
アクリル板が高さ8.2m、幅22.5m、厚さ60cm で見る大水槽は圧巻である。
ジンベイザメは自然界にいる魚だが、それを水槽で生かし続ける飼育員の英知。
厚さ60cmもの透明なアクリル板を綺麗に繋ぎ合わせ、これほどの水槽を作り上げた
人々の努力に驚嘆するほかない。
人声が館内に響くが、多くは中国語か韓国語である・・・

 

オキちゃん劇場でイルカショーが始まるので見に行く。
大人も子供も楽しめるショーだ。
良くぞここまで訓練したものだと感心する。

園内を走る電気自動車で熱帯ドリームセンターに行く。
温室の大きさや敷地の広さや、そして熱帯植物のランの数には感心した。
沖縄海洋博公園の端っこにあるのでお客さんが少ないのが気になる。
これほどの施設を作ったので、来客者に足を伸ばして欲しいものだ。
バベルの塔に登って園内を見渡す。

19日の動画

20
 5月20日(金)西表島カヌー&トレッキング
昨夜のうちに石垣島に移動した。
西表島でのカヌー&ジャングルトレッキングツアーを手配しておいた。
8時半に出航なので6時半に起きて準備する。
アルミ製の高速艇で最高時速が63Kmは出るそうだ。
湾外に出てうねりが出てくるとド^-ンドーンと波を蹴立てて走る。
船が蹴立てた波は一切窓ガラスにかからない。
高速の所為か舳先の設計が素晴らしいのか・・・
私達の前の席には台湾の親子らしい家族が二組いた。
最初はワイワイ言っていたが子供は揺れる船にゲーゲーやりだした。
酸い臭いが狭い船室に漂いちょっと気持ち悪くなってきた。
船室にはビニール袋が束ねてぶら下げてある。
竹富島、小浜島は直ぐに見えてきてたが、山が一つも無い平らな島だった。
山が見えてきたのが西表島だった。
上原港に降り立つと可愛い娘さんが出迎えてくれた。
さっそくダックツアーの車で10分ばかり走って、周りが自然の中の事務所に・・・
長野県出身のめぐみさんからツアーの注意点など説明を受ける。
「袖触り合うも他生の縁」と皆さん自己紹介しませんか?と提案し私から発表。
老若男女、総勢7名のツアーとなった。
昼飯の握り飯を入れた飯行李を渡してくれた。
持参する持ち物を、貸してくれた防水バックに詰め込む。
腰から下は濡れますので、濡れてもよいものを着てくださいとのことなので
持参した水着に着替える。
上にはライフジャケットも着込む。
濡れてもよい靴を渡される。
靴はゴム製で、底にはフェルトが貼り付けてある。
これは沢歩きの靴に相違無い。
10分ばかり歩いた草地にカヌーのパドルが置いてあり、使い方のレクチャー。
船着場の途中マングローブ林で、地面から一面盛り上がっている根っこは
全て繋がっていて、顔を出している所からは空気を吸っているとのことだ。
葉っぱの黄色いのは塩を吐き捨てる状態になっているとの事だ。
手のひらよりも大きい、日本で一番大きいシジミの説明。
さてカヌーに二人で乗船。
汽水域で川の流れは殆ど無いので、嫁さんに漕いで貰い撮影に専念。
ジャングルを左右に見ながら、穏やかな川を静かに進んで行く。
20分ばかり漕いで砂地の岸辺に到着。
上陸してジャングルトレッキング。
陸路ではシロアリの巣や植物の説明を受けながら30分ばかり歩いて
サンガラの滝に到着。
めぐみさんが嫁さんを滝裏に案内している。
私も少し滝に打たれてみたらパンツがずり落ちそう。
滝壺でも泳いでみたが水は冷たくなかった。
滝の上の乾いた岩盤の上で、昼食。
川にはヨシノボリやテナガエビがいるそうだ。
岩盤には石と水流で出来た大小のポットホールがある。
滝で小一時間過ごして帰途に付く。
沖縄に来て入梅宣言となったが、お陰で今日も雨に降られなかった。
石垣島に帰って、夕食は「マル」という店で石垣牛の焼肉を食べた。

20日の動画

21
 5月21日(土)石垣島一周
今日は朝から小雨模様。
石垣島を左回りで一周して見ようと思う。
畑の中に小屋掛けがしてありサボテン様のものが植えてある。
車を止めてサボテンを観察するも想像できない。
畑に看板のかけらが転がっていてドラゴンの文字が見えた。
ドラゴンフルーツなのか!

玉取崎展望台に寄って見る。
此処からはパラグライダーの明石エリアが見える。
嫁さんの写真を撮っていると新婚さんらしい奥さんの方が
お二人で撮りましょうと言ってくれた。

今回はパラグライダーは持参していないが明石パラワ-ルドに立ち寄ってみよう。
その前に2003年に来た時、パラ御用達の食堂ですと「明石食堂」に行った。
現在もやっているのかと、カーナビで「明石食堂」と検索して見たら有った!
立ち寄ってみると準備中の看板が出ていたのでもう一度立ち寄ろう。
明石パラワールドに立ち寄る。
車はあるのだが誰もいない。
5分もすると空からエンジン音が聞こえてきてモーターパラが2機帰ってきた。
ランディングはピンポイントで2機とも降ろして来た。
流石、毎日観光フライトで鍛え上げられたフライトテクニック。
「うまくぅ」の大城さんが「パラグライダーに興味ありますか?」と
聞いてきたので「昔2回ばかり此処に飛びに来ました」と答えた。
「何処で飛んでいますか?」と聞かれたので広島の神の倉ですと答えたら
「ああ、地森さんのところですか」と直ぐに返事が返ってきた。
「此処でお世話になっていた久保ちゃんも元気で飛んでいます」と言ったら
「内地から帰って明石パラワールド始めた頃手伝ってくれてました」と覚えていた。
「今日は風が弱すぎて無理ですね」とパラを片付け始めたのでお別れする。
石垣島最北端の平久保岬に行く。
此処でもペアーの女性から写真撮りましょうと声を掛けられた。
最近のペアーは女性の方がリードしているようだ。
さっきのペアーは男の方が敬語を使っていた!ヤレヤレ!

石垣島の目的の一番は嫁さんに明石食堂のソーキソバを食べさせる事であった。
来る前から明石食堂のソーキソバの美味しさを宣伝していた。
沖縄でソーキソバを食べたのだがもう一度食べたいとは二人とも思わなかった。
それでも明石食堂のソーキソバと私が喚くものだから、嫁さんも迷惑顔。
11時半、再度明石食堂に立ち寄るとお店の中は40名ばかりで満杯。
外の椅子に15名ばかり並んで待っている。
昔は普通の木造の食堂であったが、矢張り日影の無い外で待たされた。
今は立派なコンクリート製で、しかも隣に民宿まで立てている。
この地区には観光施設は何も無い所なのだ。
明石食堂のソーキソバだけで有名にして、カーナビにも有名スポットにしてしまった。
玉鳥見崎で出会った新婚さんとお店を出るところで出会った。
「何が美味しかった?」と聞くと野菜たっぷりのラーメンということであった。
感激してしっかり答えてくれたのは若奥さんの方だった。
30分ばかり待ってようやく中に入る。
石垣島の人も2割ぐらいは居るようだ。
野菜たっぷりのラーメンも美味しいと言っていたので、嫁さんはそれと
私はソーキソバを注文する。
二人でシェアーして食べる。
明石食堂のソーキソバは沖縄のそれとは明らかに違う!
ソバの汁が決定的に違う。嫁さんも認めた。
2003年に来た時、石井さんが残った汁をご飯に掛けて旨い!を連発していた。

明石食堂を出て川平湾に向かう途中、ヒマワリ畑が真黄色だったので写真を撮る。
ヒマワリ油を採る為に栽培しているのだろう。
レンタカーが2~3止まっていた。

川平湾に到着すると雨が激しくなった。
入梅で観光客が少ないので気の毒だと思っていたが、観光バスが到着すると
グラスボートは満杯のお客さんを乗せて出航して行った。
スコールのような激しい雨が降り出したので、土産物屋さんでソフトクリームを食べて凌ぐ。
ラムサール条約の名蔵アンバルの干潟にちょっと立ち寄る。
暫く走った公園の駐車場に車を止め、洞窟を潜って海岸に出た。
この小さな縞模様の岩石はどういう種類だろうか?

ホテルに帰るには時間がありすぎるので、県営バンナ公園に立ち寄ってみる。
県営バンナ公園は、市街地から約4kmの距離にあるバンナ岳全体を利用して
整備された自然豊かな広域公園。
山の地形を生かして整備された広場や森林散策路などでは、亜熱帯気候を感じさせる
多くの動植物が観察できる。
バードウォッチングをはじめ、森林浴や自然学習など、自然とふれあうことのできる公園として
市民や観光客に利用されている。
また、飲食施設や世界の昆虫館、セグウェイ・ツアーなども利用できる。
観光スポットとしても充分に見ごたえのある公園だった。
ホテルに入る前、サザンゲートブリッジを渡って南ぬ浜町に来てみた。
夕食はちょっと奮発して石垣牛専門店の「マル」で焼肉を食べる。

 21日22日の動画

22
 5月22日(日)石垣島御神崎
今日は石垣島テイクオフは14時10分予定。
10時頃チェックアウトを済ませ、御神崎灯台に行ってみる。
灯台崎の崖の方に行ってみる。
崖を伝って海までは降りて行けそうなので降りてみた。
若い時のようなバランス感覚は相当後退しているようだ。
地図に電信屋とあるので行ってみた。
観光客はあまり来ないのか、舗装なしの道が500mばかり続く。
明治29年(1896年)に鹿児島~沖縄、明治30年に沖縄~石垣~台湾と
海底ケーブルを施設したそうだ。
司馬遼太郎が書いていたと思うが、当時の電信事情は世界の先端を行っており
明治38年日本海海戦でもバルチック艦隊を見た少年が島の電話局に走ったと・・・
明治という時代は必死に欧米に追いつこうと頑張っていた時代なのだ。
この電信屋も台湾への中継基地となっていたのだ。
1964年、初めて太平洋を横断した第一 太平洋横断ケーブル(TPC-1)が開通し、
その後、続々と太平洋を横断する海底ケーブルが敷設された。
明治の先人達は通信の重要性を、こんなにもはや早く気が付いていて、国力からして
無理をしてでも海底ケーブルを施設したのだと感心する。
市街地に帰る途中道路を走って横切る小型の黒い鳥が見えた。
飛ばないので「ヤンバルクイナ!」かと思い、直ぐ車を止めて写真撮影。
帰って写真を拡大してみると「シロハラクイナ」だった。
前線の影響で空が荒れており、飛行機が15分遅れてテイクオフ。
那覇空港でのトランジットの時間が無くなり、座席をNO1に変更してくれ
直ぐに降りる事が出切る様にしてくれた。
降りたら直ぐスタッフが付いて、ゲートを逆走して広島行きに乗り込めた。
預け入れの手荷物が無かったので短いトランジット時間で移動できたのだ。
もし預け入れの手荷物があればトランジットは無理だったのだろう。
無事広島に到着。