2011年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活も6年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2012年 11月   
  11月3日(土曜日)帝釈峡紅葉狩り
留学生会館に住んでいる嬌ちゃんを誘って帝釈峡に紅葉狩りに行くことにした。
留学生会館に住んでいる留学生の日本人サポーターとして嫁さんが登録して
中国人の嬌ちゃんと縁が出来た訳である。
過去、紅葉狩りは我が家に来た外国人を連れて宮島、三段峡、仏通寺、
広島緑化公園などに連れて行った。
広島県の紅葉の走りでテレビでは帝釈峡がよく放送される。
まだ行ったことがなかったし、ネットで調べると見頃となっていた。

広島東インターから三次に行くのも、県道を走って三次に行くのも
10分と違わないので、神の倉経由で三次へ・・
東城インターで降りてすぐ道の駅があったので立ち寄る。
駐車場は一杯で5〜6台待たないと留められない。
農産物コーナーが大盛況で市価の半値ぐらいで売っていたようだ。
嫁さんは白菜を5株も買っていた。
神龍湖にしようか帝釈峡にしようか迷ったので道の駅の人に聞いてみた。
神龍湖のほうが空いているようなのでこちらにした。
テレビでよく放映される湖のほうである。
12時前でこちらの駐車場も混雑していたが何とか滑り込んだ。
駐車場には植えたもみじが見事だった。
湖畔は真っ赤に染まったもみじとは行かなくてまだ少し早いかな?と思った。
日に透かして見る紅葉は形も色もすばらしい。
真っ青な空が背景ならば尚よろしい。
湖面に映える紅葉もいいし、遊覧船の航跡もよろしい。
一時間ばかり散策して車で帝釈峡側に移動。
途中、路肩に紅葉を植えてあり、谷に大銀杏が3本見事に色付居ていた。
赤と黄色のコンストラクトもすばらしく、車を止めて写真を撮っていると
皆さんも次々車を止めて写真を取り出した。
「写真撮りましょう」とおじさんが申し出てくれ3人で納まる。
帝釈峡の駐車場に来て見ると30台ばかり待っているのですぐUターンして帰途に。
東城の町で「風龍」というラーメン屋に立ち寄る。結構うまかった。

  

 


16時ごろ神の倉山を見上げると5機ばかりぷかぷかと浮いている。
アーベントタイムになったのだろう。
ランディング場によって皆さんが降りてくるのを待つ。
嬌ちゃんにお父さんが何に(パラの楽しさ)狂っているのか判って貰えたかな?

夕食はお肉をたくさん買ってきて我が家で”すき焼き”をする。
嬌ちゃんははじめて食べるようで興味津々のようだ。
生卵をといて付けて食べる事を教える。
私のやるように卵を割って、恐る恐るお肉に付けて食べ始めた。
美味しいのでその後はバクバク食べていた。
我が家に来た外国人にはすき焼きを食べさせるのだが、
必ず生卵を付けて食べさせる。
彼らの反応を見るのが楽しい。恐る恐る→美味しい!
外国には生卵を食べる習慣はない様なのだ・・・
私が子供の頃は「卵は滋養(栄養)がある」と信仰にも似た想いが世間一般にあった。
風邪など病み上がりに母親に生卵をあてがわれたものだ。
生卵に針で小さな穴を開けちゅちゅと吸うのである。
旨くもなんともないのだが、昔の栄養ドリンクといったところか・・・
60年前に卵一個が10円だったのだが、今もほぼ同じだというのは凄いと思う。

嬌ちゃんは中国版チゲ(葱しか入ってなく主食的な食物)を作ってくれ美味しかった。
食事をしながら、反日デモのことなども話をする。
嬌ちゃんは、あれは一部の人だしやり方も間違っていると言っていた。
反日教育についても聞いてみた。
日本人から見れば反日教育と見られるかもしれないが、
中国人にとっては歴史教育なのだ。
中国を侵略し酷い事をしたのは紛れもない事実なのだ。
その事を日本の教育でも教えないのは片手落ちのような気がする。
やった方はすぐ忘れるが、やられた方はそう簡単に忘られるわけはない
嬌ちゃんは「731部隊」の事が強烈に心に刺さっている風だった。
私も高校生のとき「三光作戦(石井部隊)」の本を読んだ記憶がある。
あまりの残虐さと、殺されていった人たちの無念さを思って涙した。
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/731butaidenaniga.htm

そんな事はなかったとか、日本人の自虐性歴史観だと喚く人も居るが・・・
日本軍が中国に行き、満州第七三一部隊にマウスやウサギでなく捕虜たちを
送り込んだのは紛れもない事実なのだ。
「マルタ」と称して何をしたのか想像に難くない。
周恩来が日本帝国主義が悪いのであって日本人民は犠牲者ですという立場を
堅持してくれたのは日本人は忘れてはいけない!
 11月4日(日曜日)プレジャークラブ練習生初トップアウト
今日の天気予報は昼から曇り空に変わる。
10時に神の倉に到着。
ハングの人たちは組み立てがあるので既に荒谷山に上がっていた。
プレジャークラブの朝練練習生は神の倉TOで待っていたのだが
東風が収まらず荒谷山TOに移動していた。
3日4日は山口の高照寺エリアで大会が行われているので
ベテラン達はそちらに行っている。
神の倉に到着してすぐ田原さん、立川さん、福伝さん、小出さん、久保ちゃんと
大急ぎで荒谷山に上がる。
11時過ぎ田原さん、立川さんテイクオフしたがちょっと早すぎたのかトップアウトできず。
いよいよ荒谷山初飛びの中村さんからテイクオフ。
中村さんはテニスのインストラクターもしているのでスポーツマンだ。
テイクオフしてすぐ小さなリフトがあったので廻した。
上がるほどのパワーはないので谷底へ行きかける。
正面尾根に沿って沖に出していると良いサーマルヒット!
廻せ!の指示ないのに自発的に廻しだした。
イメージトレーニングは充分出来ているようだ。
少し流され外し気味だがトップアウトしレベルよりプラス200mは上がったようだ。
竹井さんの指示によりメインランディング向かう。
学生のパラやハングを飛ばし、次にプレジャークラブの山本さんテイクオフ。
山本さんはサーマルが初めてのようでおっかなびっくりの様子がよくわかる。
サーマルで廻したのか逃がしたのか判らないフライトだが一応レベルまでは上がった。
南風に少し流されているのがわからない様子だ。
竹井さんの誘導で、三篠園近くのハングのランディング場に安全におろす。
二人とも神の倉からのぶっ飛びフライトしか知らないので、今日のフライトは
心に残る貴重な一本になったことだろう。

今日、私の一本目はぶっ飛びサブランへ。
2本目は南風が少し強めに入っていて、荒谷山上空で30分ばかり飛んで
荒谷山TOにふんわりトップラン。
車を下ろして私のパラ美学終了。
空一杯に曇ってきたので15時には全員解散。
 11月12日(月曜日) 大学クラス会へ出発
11月15日に栃木県の鬼怒川温泉で大学のクラス会が開催されることになった。
2年前には岩手県のつなぎ温泉でクラス会が行われたのだが、
そのときは東北地方の紅葉を見て歩く車上生活をした。
紅葉前線はとっくに広島までに来ているので栃木県は遅いだろうなあ思いつつ
今年も車に布団を積んでのホームレス車上生活スタイルで行くことにした。

今回の目的は、
@昨年行った岩沼市の復興がどの程度進んでいるか見て来る。
A遅いかもしれないが紅葉を見物してくる。
B大学のクラス会に参加する。
C世田谷の長男夫婦を訪ねる。
D埼玉大学の国際交流館にタイのパッちゃんを訪ねる。

12日AM10時半、走行距離20万Kmのわが愛車ボンゴフレンディーに
布団を積み込み、嫁さんと二人連れで我が家を出発。

山陽自動車道→東名自動車道→北陸自動車道→関越自動車道→東北自動車道
東北自動車道に入ってすぐの安達太良SAに13日午前0時15分到着。
13時間45分かかって、1057Km走っていた。

歳も考えず馬鹿な走りをしてしまったものだ。(ハンドルを握ると性格が変わる?)
安達太良SAにて車中泊。
 11月13日(火曜日)岩沼市訪問
8時起床。SAレストランで朝食。
東北自動車道→仙台南部自動車道→常磐自動車道
岩沼ICにて常磐自動車道を降りて、海岸に向かってみる。(広島から1188Kmであった)
東日本大震災の津波は常磐自動車道までで、山側の市街地は無事であった。
津波が押し寄せた田んぼは、昨年、私が見たときには沢山の車がひっくり返っていた。
今は塩をかぶっているので当然米は作っておらず、除塩のために溝が掘られていた。

海岸近くの住宅跡は土台のコンクリートが寂しく残っているだけであった。
此処に幸せに暮らしていた人たちの命と生活を、津波は根こそぎ奪ってしまったのだ・・・

海岸線に出てみたら、防波堤は津波で破壊されたままであった。
防波堤は引き波で大きく壊されていた。
海側のコンクリートはそれなりに丈夫だったが、陸側は土を盛ったくらいの
簡単な造りであったので、根こそぎえぐられて破壊されていた。
復旧工事は一部が始まったばかりでダンプカーが走り回っていた。
岩沼IC近くでは100世帯も入れそうな住宅団地を造成していた。
おそらくこの地区の被災者達の住宅地を土地をかさ上げして?造っているのかと思った。

岩沼市ボランティアセンターのあった「岩沼市総合福祉センターiあいプラザ」によってみる。
何の変哲もない元の駐車場に戻っていた。
昨年のゴールデンウィークには、此処に700人のボランティアたちが何かお手伝いしようと
長い行列をしていた。朝5時から並んでいた人たちも大勢いたなあ。

岩沼市の旅館に泊まってささやかな貢献とも思ったが、まだお昼なので昨年よく行った
回転すし「かっぱ寿司」で昼食。
県道6号線を相馬に向かう。相馬の道の駅にて梨や柿など購入。
福島原発で海岸線は進入禁止だが南相馬までは行ける。(その先は浪江町だ)
どこかで温泉に入ろうと道路地図で調べたら(ボンゴフレンディーにはカーナビが付いてない)
264号線を内陸部に入ると「風穴の湯」の言うのがあった。
なにやら鄙びた隠れ湯的な名前に惹かれて264号線に入っていく。
注意はしていたのだが「風穴の湯」の看板が見当たらず、ついに山越えの道に来てしまった。
どうも看板を見落としたようなので引き返す。
小さな橋の袂に小さな看板があった。
小さな民宿程度の宿であった。
「ごめんください」と何度も声をかけたらやっとおやじさんが出てきた。
「もう宿屋は止めたんです」との返事だった。
「どこか日帰りの湯が近くにありませんか?」とたずねると原町の近くにあるということだった。
道路地図には出ていないので、教えられた橋の手前を右に行くという案内を
唯一の頼りに橋を探しながら15分ばかり走る。
何とか探し当てた温泉は「新田川温泉はらまちユッサ」だった。(入浴料700円)
紅葉を見ながら露天風呂に入っていると細い秋雨も降ってきた。
頭を縁石にもたせ顔に秋雨を受けながら長湯をした。
廊下に写真の掲示があったが、放射能の影響でマツタケの貰い手がないそうだ。

嫁さんの話
一緒に入った老婦人に「どちらから来られましたか?」と聞くと原町からのようだった。
福島原発事故のせいで故郷を追われ、原町の借り上げ住宅に住んでいるらしい。
「誰も知り合いが居ないのでつまらん・・・」ぼそりと言われたそうだ。
慰めの言葉も懸けようがなかったらしい。

 秋雨に打たれながらゆっくり温もった 

南相馬の街中に入ると「幸楽苑」の看板が目に入った。
昨年名取市で食べた感激したラーメン屋さんだ。
夕食なのだが嫁さんを説得してここにする。
当然290円の中華そばを注文。
昭和29年から変わらない原点の中華そばで、鶏がらスープ、煮干、鰹節で
出汁をとった単純明快な中華そばなのだ。
蕎麦は「もりそば」、うどんは「かけうどん」(今はぶっかけうどん)しか注文しない。
あまりに単純なものだから、麺や出汁の味がストレートにわかる。
お店の力量が一番わかる食べ方だと私は信じている。
そういう意味で「幸楽苑」の中華そば(290円)が気に入ったのである。
超貧しい夕食完了。

南相馬道の駅で車中泊。
  11月14日(水曜日)飯舘村→那須高原
朝7時半起床。
県道12号線を川俣町を目指して走る。
山々の紅葉が緑とマッチして美しい。
今年は楢、樫、欅、そして桜まですぐに茶色に変色せずいくらか
黄色や赤色を含んでそれが常緑樹の緑に映えて美しい。
紅葉や楓やドウダンツツジの赤色が際立ってきれいである。
赤色一色よりも色々混じっている山の景色のほうが、緑は緑で引き立つし
赤色も黄色も緑の中でいっそう引き立つ。

ある集落に出て、12号線沿いの家々は全てカーテンが閉まっている。
洗濯物を干した家が見当たらないし、まったく人の気配を感じない。
田んぼは雑草が伸び放題で稲刈りの後はない。
ゴーストタウンのようだと思っていると「飯舘村」の標識が見えた。
ああ!テレビで放送していた村ごと引っ越した「飯舘村」だ。
目に見えぬ放射能に追われてしまった結果がこれなのだ。
物言わぬこの風景がヒシヒシと訴えかけてくる。

白河に出て、温泉に入ろうと那須高原を目指す。
那須ボケーノハイウエイを上ると那須ロープウェイがあり那須茶臼岳にいける。
さらに最終地点まで車で行くと終点は海抜1462mの「峠の茶屋」だった。
引き返して国民休暇村「那須」の日帰り湯に入る。(入浴料500円)
露天風呂に入っていると雪がちらつき始めた。
顎までしっか浸かって那須高原の雄大な裾野を眺めるのも気分が良い。


  海抜1462m

那須ボケーノハイウエイの道端に「殺生石」の看板があったので寄ってみる。
あたりは硫黄のにおいが立ち込めていた。

 硫黄で賽銭が黒く変色していた   

明日は宇都宮大学に集合なので出来るだけ近い道の駅に行こう。
喜連川温泉に道の駅があるので国道294号線を走る。
喜連川温泉に到着したのだが温泉街が見当たらない。
燃料を注いだので聞いてみると、この近辺は昨年の地震でお湯が出なくなったそうだ。
こんな所まで大変なことになっていたのかと驚く。
道の駅に行くとそこは大きな温泉施設であった。(入浴料500円)

喜連川温泉道の駅にて車中泊

  11月15日(木曜日)鬼怒川温泉大学クラス会
7時半起床。
駐車場には他県番号のカンピングカーやRV車が結構沢山止まっている。
さすがここ喜連川の道の駅は温泉つきなのが人気のようだ。
隣に駐車していた品川ナンバーRV車の男性に声をかける。
「還暦を過ぎて少し早めなのですが退職して、夫婦で旅行を楽しむつもりだ」そうだ。
今回が初めての旅行ですと言ったので、少し北海道旅行の経験を話する。

宇都宮大学に11時半集合のことだったので、少し早めに行って50年前に下宿していた家や
3畳半のトタン外壁のボロアパートを探そうと思うので早めに出かけた。
宇都宮駅は同じ場所にあるのだが、道路や建物はまるっきり変わっている。
カーナビが付いてないので、大体の見当で走っていた。
どうも郊外に向かっているようなので、右折して細い路地に迷い込む。
儘よ!と直進していると、何と!!大学の正門前の信号に出てきた。
宇都宮大学の教授になっているのが幹事で居るので駐車については
守衛さんに話を通しておいてくれた。
車を置いて大学周辺を歩いて下宿やボロアパートが有った辺りを
探してみたが50年前の事なのでまるっきり様変わりしている。
場所は変わっていたが同じ名前の蕎麦屋さんとすし屋さんがビルを建てていた。

12〜3名が集合場所である講堂に集まってきた。
2年ごとにクラス会をやっているのでヤアヤアといった調子。
大学集合とした理由はこの講堂の見学のためである。
大正時代に立てられた木造の講堂は90年たっている。
50年前には憲法や社会学の授業を受けていた。
そのうち講堂としては使われなくなり、間仕切りして部室として使われていた。
老朽化したので取り壊しの案も出てきたが調査してみると、
耐震補強の必要のない木造建屋だったらしい。
屋根と床の補修と内外のペンキ塗り替えくらいですんだらしい。
国の予算でなく皆さんの寄付で完工したようだ。
昔の授業を思い出し、テーブルを出してお弁当の出前を取って皆で食事する。
教授の案内ですっかり変わった校内を案内してもらう。

 宇大の正門   宇大のフランス式庭園 宇大のイギリス式庭園

 宇大の講堂(築90年) 講堂の天井 大正時代の最先端デザインだったのだろ 講堂に二階もあった。90年前の木造建築物が現代の耐震基準をクリアーしているなんて!!!

4台の車に分乗して鬼怒川温泉に向かう。
15時過ぎに鬼怒川プラザホテルに到着し、受付は16時半だったので
時間はたっぷり有るのでホテルの周辺を歩いてみる。
橋をわたると足湯があり5名ばかり足を浸けていた。
嫁さんは早速靴下を脱いで足湯に浸かった。
今から宿に帰って大浴場に全身浸かるのに、ここで足をつける事もなかろうと
私は渓谷を50mくらい下迄降りていく。
川の淵には黄色や赤色の落葉が絨毯を敷き詰めた様にうかんでいる。
少し盛りを過ぎているが渓谷の紅葉が緑にも映えて美しい。
上流につり橋があるようなので歩くことにした。
道路に面した中小のホテルは軒並み閉鎖していた。
片付けも儘ならず、ホテルの周辺にに家具や厨房家具が
打ち捨てられているのが痛々しい。
そういえば那須高原でも3軒ばかりホテルが閉鎖していたのを目撃した。
このたびの平成不況はあらゆるところに及んでいるのだなあ・・・
商売下手な私は早めに商売をたたんでソフトランディング出来たので
本当に良かったとつくづく思う。

 光を透かすともっと綺麗なのだが・・ 渓谷の温泉街なので夕方は日が差さず残念 山は日が射しており全山紅葉が見事だった

18時から宴会開始。
今回は夫婦同伴が3組で総勢23名のクラス会だ。
2年前に参加してくれた貴重な女性クラスメイト(2名しか居ない)のうち
一人が癌で亡くなり寂しくなった。
いつものように近況報告を一人ひとり立ち上がって話をする。
2時間の宴会時間で23名が話すと半分以上時間を取られる。
7〜8名は非常勤を含めて仕事を頑張っていた。
68歳になったので仕事は止めて、趣味に地域のお世話に
結構皆さん忙しそうだった。
さすが農学部なので三分の一の人たちは野菜作りに精を出していた。
私はあいも変わらず土日はパラグライダーで空を飛びまくり、月に一度
刑務所に謡曲を教えに行き、年に一度位旅行に出かけていることを報告。
宴会終了近くになって今年の幹事から「次回は広島で開催したいのですが・・・」と
いきなり私に振ってきた。
衆目の前で尻尾を丸めるわけに行かないので「受けてたちましょう!」と快諾。
その場で場所は宮島、季節は11月と決定した。
世界遺産やNHKドラマ「清盛」で宮島がメジャーになっているので
皆さんの満足いく値段で盛り上げることが出来るか心配。
一滴も飲めない私が宴会を計画したらどんなことになるやら・・・(茶話会に?)
二次会をどんな風にすればよいか?にかかってきそうだ・・・

宴会の後は幹事の部屋に集まってつまみと酒でワイワイ・・・
一時間ばかりで私は引き上げたが、3時半までやっていたらしい!
次回、古希の宮島が思いやられる!
  11月16日(金曜日)日光探索
午前中時間の許せる人には日光周辺を案内すると、栃木在住の幹事さん達が
申し出てくれたので10名ばかりがお世話になることにした。
鬼怒川温泉の上流部にある龍王峡に行った。
100mばかり峡谷に下っていく。
少し紅葉の盛りは過ぎていたが、滝や奇岩もありなかなかの景観だった。
帰りの上りも皆さんスイスイ上がってきて元気そうだった。
元宇都宮大学教授は日本百名山はとっくの昔に制覇し、栃木県の百山も、もうすぐだそうだ。
フルマラソン完走が99回で、次の大会で100回目を目指している強者も居る。
農学部を卒業して医学部教授(医学博士)になった者も居る。
今からたずねるパッちゃんは埼玉大学なのだが、そこの教授を勤めていた。
今も特任教授で籍はあるので、埼玉大学に行って困ったら電話してと言ってくれた。
お役所勤めの人が大半で、民間企業もほとんど農学関係である。
種苗会社に行ってブロッコリーの品種改良をして世に出した人も居る。
わがクラスメイトは多士済々である。(私は単に変わり者なのだが・・・)

 残念ながら紅葉は盛りを過ぎていた  

いろは坂は紅葉を過ぎているが、日光市内はまだ良いので行こうと言うことに・・
とりあえず輪王寺に行く。
駐車場や行く道すがらの紅葉が見事であった。
三仏堂の大規模修理が行われていたが、見学は有料なのでパス。
裏手の廻ると若い坊さんが「相輪?を説明します」と寄ってきた。
説明が終わると社務所の販売窓口で数珠の説明をするという。
大学教授は「時間がないので・・・」と断ったが強引に皆を窓口に連れて行く。
私はあほらしくて、近くのビデオ撮りに専念。
15分の長々しい説明が終わったが、誰も買わなかった様子。
グッズの販売に力を入れるより、坊さんのする仕事は別にあるだろう!と思うのだが・・
若い坊さんに罪はないとは思うのだが・・・あまりに熱心だったのでちょっと腹立たしい。
上から命令されて、イヤイヤ?一所懸命(修行である!!)?やっているのだろうが・・
お寺なのだから、皆さんの喜捨に頼るとか、せめて拝観料までにするべきだ。

 改修中の三仏堂 青い空と赤と緑のグラデーションは美しい 相輪?(銅製)

次に案内されたのが田母沢御用邸記念公園だった。
この御用邸の管理者が「栃木県民公園福祉協会」なのだ。ちょっと感心。
庭の紅葉も見事である。
入場料500円払って入館。
「室内は寒いのでソックスをどうぞ」といわれたのだが廊下にもじゅうたんが
敷かれているので自分の靴下のみで歩く。
しばらく歩くと足がジンジンするほど冷えてきた。
避暑地の御用邸なのでこれで良いのかもしれないが・・・
日本建築の粋を極めた造りに、これほど手が込んできるのか!と驚く。
さまざまな部屋の壁や天井や畳など、外国のように見た目が豪華絢爛・荘厳ではないが
人の目に触れないところに大変な手間をかける!これぞ日本の美意識と納得。
やんごとなき人の日常生活は想像しがたいが、厠には思わず笑った。
我が家のリビングぐらいの広さの部屋に畳が敷いてあり、真ん中に
昔、田舎にあったような木の便器が鎮座ましましている。
畳が敷いてあるのが何かしら高貴な気がしないわけでもないが、私なぞには
広すぎて落ち着かなく、出るものも出ないだろうと思った次第。
何年か前に長野県の宿に泊まったとき、大名風呂というのがあった。
6畳位の木風呂で、洗い場は全て畳が敷いてあった。
畳の上で体を洗い湯をかぶるなんて、なんだか抵抗感があったが
やってみるとなんだか殿様になった気分になった。
日本人にとって畳は特別なものである。
最近は畳の部屋がなくなっているらしいが、寂しい気分である。
売店があり、献上品の「御用饅頭」というのがあった。
献上品というからにはそれなりの造りをしていると判断して土産の品として購入。

 多くの襖絵があった 樹齢400年のしだれ桜 畳敷きの部屋中央にぽつんと木の便器が・・・

皆さんとお別れして、嫁さんはいろは坂を知らないというので中禅寺湖に上がってみる。
当然紅葉は終わっている。
元湯温泉に入ろうと、中禅寺湖畔を走る。
走っていると「憩の湯」の看板が目に入ったので立ち寄ることに。
硫黄の匂いのする温泉らしい温泉であった。(入浴料800円)

明日は世田谷区に住んでいる長男夫婦を尋ねる予定。
夜、カーナビも持たず都内を走るなんて怖いので明日朝尋ねる予定。
都内近くの鎌田SAにて車中泊。
  11月17日(土曜日)東京長男夫婦
初めての東京都内を車で走ることになった。
道路地図で見ると、首都高速道路を走れば早そうだがいくつも
ジャンクションを越えていかなければならない。
道路案内標識がどう書かれているか分からないし、ターンを間違えたら一度
首都高速を降りて戻らないといけない。
迷ったらすぐに方向変換できるした道を走ることにした。
川口ジャンクションから東京外環自動車道を通って大泉ジャンクションの
練馬ICで降りる心算だった。
道路標識を見損なって関越自動車道に入ってしまった。
所沢ICで降りて引き返し、練馬ICで降りる。
関八通り(311号線)を世田谷に向かってはしる。
長男夫婦のマンション近くで早めに右折してしまい、わけが分からなくなった。
公園に主婦達が立ち話をしていたので、グーグルマップをプリントしていた
地図を見せて現在の場所を聞く。
ピンポイントの地図しかプリントアウトしていなかったので現在地は
地図にはなかったがほとんど近くに来て居た。
長男にマンションから降りてきてもらい荷物を降ろして、近くのコインパークに駐車。
一緒に朝ごはんを食べる。
長男は会社の運動会があるとかで出かける。
私はいささか疲れが出たのでソファーで寝ていると、長男の嫁さんがそっと布団をかけてくれた。
嫁さんと長男の嫁は、来月行くハワイやら料理などの話で止め処なく話をしている。
嫁と姑が5時間も止め処なく話が出来たのは、この度の訪問が大いに成功だった。
私には、小津安二郎の「東京物語」に出てくる老おやじの気分が分かるような・・・
長男の嫁が可愛い様な・・・遠慮の様な・・・笠智衆の面映い感情そのままだ。
長男の嫁はちゃらちゃらした事は言わないが、そっと気遣いしてくれたり
メールでは可愛いことを言って来てくれる。
長男が帰ってきて4名で夕食の鍋を囲む。
やはりハワイ旅行の話になる。
長男の嫁は、カナダに2年近くいたり、中米にバックパッカーに出かけたりした経験があり
しっかり旅慣れているので、ハワイも事細かく調べていた。
私達のハワイ旅行手配(結婚式)も全てお任せすることにした。
明日は埼玉大学にパッちゃんを訪ねることにしている。
  11月18日(日曜日)埼玉大学パッちゃん
朝食を済ませて、9時ごろ出発。
埼玉大学には昨日通って来た道を引き返し、練馬ICで高速に乗って美女木ジャンクションを
左折して自動車道埼玉大宮線の南浦和ICで降りる。
埼玉大学に無事到着。

今回の旅行は街中を走るので、道路地図の交差点の名前や
道路名などのチェックをしないといけない。
運転しながらはとても無理なので、嫁さんがナビゲーターを勤めてくれた。
今回は本気で地図と睨めっこしてくれたので、予定通り進むことが出来た。
Uターンしたり、360度ターンするとわけがわからなくなるのは昔通りだったが・・・
私も近年、知らない団地に入り込むと脱出できなくなってきた。

埼玉大学の国際交流会館に廻ってパッちゃんに電話する。
すぐに来るはずなのになかなか来ない?
しばらくして電話がかかる。
私達が車を止めていたのは、国際交流会館隣の学生寮だったようだ。
待っていると、パッちゃんが駆け寄ってきて5年振りのハグ。
6年前お母さんから貰ったブーツにミニスカートの出で立ちだ。
相変わらず可愛いままのパッちゃんであった。

5年振りの再会TOUTUBE
http://www.youtube.com/watch?v=xNWX4SyDed8

紅葉饅頭・米・ラーメン。・味噌汁の元・サツマイモなど入った段ボール箱を担いで
パッちゃんの部屋に上がる。
小さな部屋であったが一応トイレシャワー室、流し台、ベッド、机が設置されていた。
ぶどうを買ってきて呉れていて食べて!と薦められる。
お茶が欲しいところなのだが、水が出てきた。
すっかり娘のような気分で居たので、こんな事の生活習慣の違いで気が付かされる。
そうだった!パッちゃんはタイ人だったのだ。
さっきからトイレの水が止まらないで流れっぱなしの音がする。
ロータンクのバルブが止まりきっていないようだ。今朝から止まらないと言う。
薄いロータンクのプラスティック製の蓋を開けてみると中に歯磨きのチューブが落ちている。
拾い上げたがまだ止まらない。つまみののチェーンが絡まって短くなっていた。
パッちゃんも先ほどチェックしたのだが直らなかったので、さすがお父さんと大感謝!
お菓子など食べながら(昼食もせず)夕方5時過ぎまで延々7時間ばかり
嫁さんとパッちゃんはしゃべり続ける。


 おとうちゃん!と高校生の時のままだ  

私は合いの手を入れながら楽しく二人のおしゃべりを聞いていた。
夕方いかにもおなかが空いたので食べに出ようと誘う。
「おすしが食べたい」と言うので、埼玉大学の周りを車で走ったが見当たらない。
しゃぶしゃぶ屋さんがあったのでそこで夕食とした。
19時半パッちゃんとお別れする。

 しゃぶしゃぶ屋で 

  11月19日(月曜日)帰宅
昨夜パッちゃんと別れ、もう一度同じ道を引き返し、東京ICに行き東名高速に乗る。
新東名高速道のSAが充実しているとテレビでやっていた。
東名も新東名も初めての道なのだが、新東名高速道を走ってみる事にした。
静岡の清水市あたりでは山の中腹からの夜景が見れてきれいだった。
疲れて眠くなったらどこかのSAで寝ようと思ったのだが眠くならない。
嫁さんも早く帰って家で寝たいと言う。(早く帰りたいと言ってもなあ・・)
たいした休息も取らず、ドンドコ走って福山SAまで走ってしまった。
トイレ休憩だけで又走り出す。
5時半帰宅。

今回のホームレス車上生活の旅は8日間で2800Km走っていた。
行きも帰りもちょっと無茶な運転であったが、あまり疲れを感じなかった。
若い頃は眠くて危なかったが、歳を取ったら鈍くなったのか眠気も疲れも感じなかった。
目的は色々あったがまずまずの旅であった。
 11月25日(日曜日)
北海道出身のメグちゃんを訪ねて北海道から5名ビジターさんが来た。
女性2名と男性2名が飛ぶらしい。
メグちゃんからよろしくと電話を貰った。
10時半過ぎに神の倉に到着した。
学生の大会があるのだが、天気が良いのに社会人がまだ来ていない。
プレジャクラブの中野さん一人が居た。
学生大会のお手伝いの社会人は居た様で、神の倉山には小出さんが飛びに上がっていた。
学生の大会が有るのでプレジャークラブの朝錬は中止の様だ。
中野さんはプレジャークラブの部屋にパラを持参したようだ。
「テイクオフを見てあげるよ。せっかく来たのだから飛んだら?」と誘い水。
河原一家と北海道軍団到着し、竹井さんも10分して到着。
早速、稲垣号と川原号に分乗して荒谷山に上がる。
イタンキ浜で飛んでいる長尾さんの消息を彼らに聞いたが最近は知らなさそうだった。
何かわかったら教えてと名刺を渡す。

早速ダミーを勤めるべくテイクオフした。
強めのリフトはあるのだが一回転すると外してしまう。
高度が低くなったところで何回かまわしたが上がりきれずぶっ飛び。
すぐに河原君がピックアップに来てくれ、北海道勢2名とプレジャ2名とで
再度荒谷山へあがる。
南風が強めに入ってきて、右ボール奥の荒谷山斜面の葉っぱが揺れている。
よし、とりあえず小脇ポイントに突っ込んで行ってリッジでトップアウトを果たし
サーマルが育ってきたら前に出して上げていこう!
斜面をスリスリしながら荒谷山山頂に取り付く。
強めに南風が入っているし、山頂付近で回すと即、裏山友の会入会になりそうだ。
北海道勢やメグちゃんがテイクオフし、こちらに来たので空域譲って少し前に出し、
30分ばかり飛んでトップランした。

北海道勢が結構上がって行き、空域が広がったので再度テイクオフ。
15分ばかり飛んだが下がり始めてきたので、車を降ろすべくトップラン。
久しぶりの井口さんがテイクオフして行った。

神の倉では白い機体の足刈さんが1000m位を飛び続けているようだし、
北海道勢にも神の倉テイクオフも見て欲しいので移動するように呼びかける。
残念ながら神の倉はサーマルタイムは終わってしまいぶっ飛び状況だったが
いくらかはリッジで遊べた。
藁ちゃん一人南の屏風で飛び続けていた。

最近小型カメラはヘルメットからハーネスに付け替えた。

不良おやじ荒谷山2本目(トップラン)
http://www.youtube.com/watch?v=pLwBokwxMi8

不良おやじ荒谷山3本目(トップラン)
http://www.youtube.com/watch?v=vjQojOWw7mM

 11月27日(火曜日)せらにし飛龍太鼓20周年記念公演
先日、畠黒さんからメールを貰った。

『さて、せらにし飛龍太鼓20周年記念公演を企画準備中です。
 岐阜から兄弟チームを招いて、12月1日(土)3時30分から、
 せらにしタウンセンターつばきホールで行います。
 もし、お時間許されれば遊びに来てやって下さい。
 寒くなりました、お体ご自愛下さい。突然のメール失礼いたしました。』

今朝の中国新聞の福山版に写真つきで報道されていた。

畠黒さんとはクロカンで飛んでいった先でお世話になった人である。
畠黒さんとの出会いの顛末はこちら。
../inagakiita/10_4_gatu.htm#10_4_25

そして、せらにし飛龍太鼓を聞きに行った。
../inagakiita/10_4_gatu.htm#10_4_29

メールのように今年は20周年だそうで記念公演がある。



せらにしタウンセンターはこちら
ttp://www.doko.jp/search/shop/sc50181287/


入場料は大人千円です。

1