2010年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活に4年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2011年 4月   
4月1日(金曜日)RCC「元就」テレビ取材だった!
今週は天気が良かったのに、土日は曇り予報である。
T田さんからお誘いを受け「平日飛び」に神の倉に12時出発。
A刈さんとT田さん夫妻と13時過ぎに神の倉テイクオフに上がる。
テイクオフの風は強めで6m/Secを越えている。
ブローには、フライヤーの大好きな田舎の香水(堆肥の臭い)が混じっている。
風が少し落着いたらテイクオフしようとラインチェックした。
しかし、風はだんだん強くなって松の木の幹も揺れてきた。(山が鳴っている)
息継ぎの風も強くなって、14時には10m/SECを越えてしまった。
ランディングの風も8m/Secはある。
風の神様に恭順の意を示す為パラグライダーを畳んで袋の中に入れる。
晴天で風の強い日は、夕方になって風が落ちるとアーベント状態になる
神の倉マジックが起きる事が良くある。
もう春の風なので強風でも寒くはない。
テイクオフの斜面に転がって1時間ばかり寝た。
16時ごろ起き、様子を見たらランディングの風は少し落ち始めている。
テイクオフの風も16時半には落着くだろうと3人で言い合う。
もう一度パラグライダーの用意をする。

16時半にT田さんのハンググライダーがテイクオフ。
先ほどまで右尾根沖でトンビが廻していたのだがいまいち上がらない。
T田さんは南の屏風に移動して行った。
私も16時40分テイクオフし、テイクオフ前を探ったがやはり上がらないので
南の屏風に移動をかける。
低めに突っ込んで行ったので、南屏風手前で魔のローター域につかまった。
グラグラするし、テンション抜けかける。
Uターンしようかと思っていると、ガーンと持ち上がった。
なんとか屏風の稜線上に来るとピッピと心地よいバリオの音がする。
しばらくするとA刈さんもやってきて3人でプカプカと極楽フライト。
1時間ばかり飛んで飽きたのかT田さんはランディング場へ。
A刈さんはテイクオフに戻って行ったので、私も追いかける。
しばらく飛んでA刈さんもランディング場へ。
トップランアプローチをしたが近くは思い切り吹き上げられる。
トップランしても降ろす車はないのでランディング場に向う。
ランディング上空の風の強さを測るため、地上250m位で大きく旋回してみる。
西南西方向が一番強くGPSの対地速度は11Km/hである。
ランディング場中央の小水門の所に6〜7人人が固まって上を見ている様だ。
写真撮影にでも来たのかな?
ランディングアプローチのため高度処理に入ろうとした・・・・

すると「いながきさあ〜ん」とよびかけている!!!
良く見ると集団の中の女性が手を振ってくれている。
隣りにテレビカメラが見える。
何がなんだか分からないが、ここは何かひとつパフォーマンスしないと!!!
左に大きく身体を傾けてワンターンして、女性の方に向けてまっしぐら・・・
20mくらい手前にランディングしたらスタッフの皆さんがウォーと拍手してくれている。
藤色の着物に白いモンペ(チェックの入った)姿の美人さんが「いながきさ〜ん」と
絶叫しなが駆け寄って握手をしてくれた。
「町娘の和佐で〜す」「お帰りなさい!会いたかったです!」と大歓迎の握手だ。
うっそ!! 俺が女性にこんなにきゃっきゃ言われるわけがない!
何がなんだか訳が分からないが、私の名前を呼んでいるので人違いではなさそうだ。
「会いたかったんですよ!」
「実は御宅に行ったらお留守でご近所の奥さんからボンゴがないから
飛びに行かれたのでしょうとお聞きしたのでここまで追いかけてきました」
「プレゼントがあります」と水仙の花を貰って写真を見せられた。
比治山町、法正寺の泉原龍見和尚さんだった。(私は”おしょう”のやわらかい響が好きなのだ・・・)
龍見和尚さんとは謡曲のお仲間で40年近いお付き合いである。
1週間に一度お稽古があり、月に一度は刑務所に3人で謡曲を教えに行っている。
3人のもう一人は円光寺の谷川修真住職で教戒師もしておられる。
龍見和尚さんは受刑者に対しても敬語を使って教えられる。
私は友達感覚で教えている。
三人三様の凸凹コンビである。(当然私が凹ですが・・・)
龍見和尚さんは難しい事は仰らないが、やさしい人柄が人を導くのだろうと思っている。
私にはとても盗む事の出来ない人柄である。私の心の師である。
円光寺の谷川修真住職は現代の宗教者たらんと色々活躍されている。
法正寺の泉原寛康住職(謡曲仲間)や円光寺の谷川修真住職たち仏教者なかまが
3月25日から27日に本通で義捐金の募集をしたら100万円近く浄財が寄せられたそうだ。

そんな謡曲の仲間ですと龍見和尚さんは私を紹介してくれ、RCCの「元就」と言う番組に
出演と言う事になった訳なのだ。
(いつの放映なのか未だ分からない。)
しかし何もかもがドンピシャリのタイミングだったなあ。
龍見和尚さんの取材を今日の午前中に終わらせ、私の家に来たのが16時ごろらしい。
嫁さんは習字の教室に出かけて不在。
隣りの奥さんに聞いたらボンゴがないので神の倉に飛びに行ったのでしょうと聞いて
RCCのスタッフ達はワッセワッセと神の倉まで追いかけてきたらしい。
一方私の方は、13時にテイクオフに上がったが強風のため16時半までウエイティング。
(私は条件よければクロカンに出る気充分だった・・・)
(私の車がテイクオフにあればトップランしたはずだ・・・)
1時間ばかりアーベントフライトをして、降りたら丁度RCCのスタッフが待ち受けている所だったのだ。

取材内容はテレビ放映で!乞う!ご期待!ということで・・・
私がバトンタッチして次の人を紹介した。
私の尊敬する年上の人です。
取材に行くまではシークレットにして下さいと言うことでした。

本日のフライト(YOUTUBE)
http://www.youtube.com/watch?v=lOTV0Chgn0M


付録
私の謡曲の悲しいお話

私の謡曲のお仲間達

PS
中国新聞に5回ばかり広告が出ました喜多流「広島蝋燭薪能」の主催者側の
スタッフをしてまして、観能頂ける様お願いをしてます。
25年前から続いている薪能で、我らが流派の喜多流が頑張っております。
今年から中国新聞が主催者に入ってもらい、しっかり宣伝してもらっています。
手持ちの鑑賞券はなくなったのでプレイガイドでお求め下さい。


後日のテレビ放映
https://www.youtube.com/watch?v=Nzry9XcckaQ

4月3日(日曜日)太田川橋クロカン
今日は10時から神の倉フライヤーの総会である。
毎年会員が1割づつ減ってきて、今年は会費を2割上げざるを得なくなった。
全国的にもパラをやろうと言う若者が激減し、ときどきリタイア組みのおじさんが始めてくれる程度。
神の倉は、学生は毎年数人は入ってくれるのだが、社会人の新人が生まれない。
何とかフライヤー仲間が増える事を願うばかりである。
4月10日は「神の倉桜祭り」があるので、うどんでも食べて地域協力しましょうという事に・・
同じ日に向原町の「やすらぎ館」で「アートまつり」が開催され、地森さんにモーターパラで
会場上空の飛行をお願いした。(いろいろ訳ありで・・・)
12時にちびっ子広場にモーターパラで上空からお菓子を落下させる予定です。
「アートまつり」には井原に住んでいるパン教室のお友達と一緒に
嫁さんもフードコーナの「手づくりパン工房」(12番)で開店です。
暇があれば覗いてやってください。

        この看板が出ています

  ハムマヨネーズパン   バタートップブレッド

  チョコチップロール   ビエノワーズショコラ


11時半に総会が終わって、「神の倉桜まつり」に来られるお客さんが
気持ちよく登山してもらう為道路の清掃をする。
13時半に掃除終了。

車にパラは詰め込んでいたので、7名で神の倉テイクオフに移動。
途中ハングの車2台とすれ違う。裏風が入っているので荒谷山に移動するとの事。
ハングの高見さんに「自分の目で見ないと諦めの付かない連中なので
一応神の倉テイクオフに行きます」と伝えて分かれる。
うん!西からも北からも吹流しは揺れているし、時々ポアーと尻尾が上を向く。
私の大好きな田舎の香水(畑の堆肥の匂い)も上がってくる。
間違いなくグランドサーマルは上がってきている!
吹流しを付け替えたりして少し様子を見るが、裏(東)風は入ってこない。
一旦MLに降りたフライヤーたちは荒谷山テイクオフに上がったようだ。
なんとかトップアウト果たして、神の倉が正解だったと証明したいものだ。

私と立川さんと甲斐さんがラインチェックを始める。
忘れ物を車に取りに行っている隙に、先に立川さんがテイクオフしてしまった。
右尾根沖でグイグイ上がって300mくらいトップアウトした。
高度も下がらず沖を動いている。「誰が出たの?」と荒谷山から羨望の声・・・
すぐにテイクオフして立川さんを追いかけたいところだが今は北風、私は西斜面!
ようやく西斜面から風が入ってきたので、14時7分テイクオフ。
右尾根で粘ってみるが、千切れたサーマルが入ってくるだけでなかなかトップアウトしない。
何とか少しだけトップアウトした。甲斐さんもテイクオフしてきた。
北風なのでヘアピンカーブの伐採地に行けばサーマルを捉えることが出来るだろう。
神の倉山頂に来るとやっと安定したサーマルに遭遇。
海抜1000mまで上がり、神の倉テイクオフの様子を見に戻る。
荒谷山から皆さん移動してきたようだ。よし!よし!
テイクオフ上空で海抜1300mまで上がった。
トップアウトを果たせば、春のサーマルは力強く廻してもあまり流されない。
もう一度伐採地帯上空に戻ると、いきなりバサッと半分以上潰れた。
強いサーマルの縁だ!!と信じて廻し続ける。
今度はでかいサーマルに入った。心地よいバリオの音が鳴り続ける。
ゆったり廻してもサーマルから外れず、南に流されながら上がっていく。
海抜1500mで、まだまだバリオは心地よいさえずりをしている。
「三田の方に流れていきまあ〜す」とクロカンに出ることを告げる。
更に廻し続け海抜1940mまで上がった。
このまま南に流し安駄山に付けようか、白木山山系に行こうか、ちょっと迷った。
安駄山に聞けば北風を受けているだろうが、白木街道に下りるとなると
もし強風だと、吹き抜けのバックランディングの憂き目を見るかもしれない。
北風強風が白木山山系でブロックされているだろう太田川橋の河川敷に降ろしたいものだ。
白木山山系を走る事を決意。
直線飛行に入ると、アクセルも踏んでないのに、対地速度は最高60Km/hだ。
次の目標は三田の高圧電線の十字路だ。
ここはお約束の地で必ずサーマルのあるポイントだ。
800m高度を失って海抜1160mで到着するとサーマルヒット。
クルクル廻して海抜2000mまで上がった。
偏流気味で白木山山頂を目指す。
途中上げなおして海抜2100mになった。
広島上空の小さな雲の雲底と同じ高さのようである。
白木山は890mなので山頂から1200m上空なのだ!!
寒い!!ネックウォーマーをするのを忘れたので胴震いする。
白木山を過ぎ鬼が城山(737m)付近で、ピッピとバリオが鳴くのでフライヤーの
悲しい性で反射的に廻してしまい、海抜2080mまで上がってしまった。
今日の最終目的地は眼下に見えるのに・・・・
風向きを注意しながら高度差2000mのランディングアプローチ!!
河川敷では少年野球のグランドが3面あり、試合中なので誰も気付かない様子だ。
地上200mまで下げて、八の字旋回でアプローチ。
誰も居ない河川敷の端に降ろした。遠いので誰も駆け寄ってくる気配なし・・・・
ちょっと寂しい!

フライト中、3度ばかり電話が鳴っていた。
前述の遠い親戚の稲垣さんだとは分かっていた。
地森さんに4月20日に空中から落としてもらうお菓子を渡すので
私も立ち会いましょうと言っていたのだ。
フライヤーの悲しい性でバリオがさえずると条件反射で廻してしまう。
ランディングしてすぐに謝りの電話を入れる。
地森さんとはMLで会ってお菓子も渡したそうだ。
太田川橋に降りたことを説明すると迎えに行きましょうと言ってもらった。
有難うございますとありがたくお受けする。遠くても親戚だなあ〜
石井さんからも電話を貰った。有難うございます。

電話をしていると上空を田原号が高く飛んで行った。
市立大学の方に飛んで行きランディングしたらメンデルが見つけてくれ
神の倉まで送って来てくれた。
メンデルとは久しぶりでMLでいろいろ話した。

今日は1時間半で、18Kmの一人旅クロカンだった。
ランディングしたら田原さんが上空を飛んでいった。

本日のフライトデータ
inagaki_kurokan_11_4_3.zip

フライト動画(YOU TUBE)
http://www.youtube.com/watch?v=kTDc7JlQ15c

フライトデータと動画の表示時間は殆ど合っている。

 1時間半、直線距離18Km、最高高度海抜2100m
4月9日(土曜日)1時間20分
今日はクロカンミーティングAND広島県予選会だ。
9時過ぎに神の倉に向う。
MLに到着したら右近さん達ビジターさんが既に4〜5人来ていた。
新入学生達がハングの体験会をやっていた。
明日のハング体験用のワイヤーを張ったりしていた。
ジモピーの集まりが遅いのでハラハラしていたが11時頃10名ばかり揃った。
12時前に神の倉に上がる。
私は選手登録はしてないのでゲートオープンにならなくてもテイクオフできる。
面には北斜面から風は入ってくるのだが、時々西斜面からも入ってくる。
田舎の香水の匂いも混じって上がってくる。
ダミーを兼ねて12時17分テイクオフ。
一目散に鉄塔下に行く。
伐採帯でコネコネやっているとようやく2〜3m/Secのサーマルヒット。
そのまま追いかけて裏山上空で海抜930m上がった。
神の倉に帰れなくなってはマズイので鉄塔上空に戻る。
斉藤さんが沖で結構揚げている。
私も沖に出してみたが下がる一方だ。
ヘヤピン沖で海抜640mまで下がってやっとサーマルヒットし
ヘヤピン上空に戻りながら海抜940mまで揚げなおした。
取りあえず北の鉄塔まで行ってみよう。
尚も上昇風の中、迫地区上空まで来て海抜1080mまで上がった。
アクセルを踏み込んで北の鉄塔に急ぐ。
北の鉄塔の真上まで来たので引き返す。
途中、−3〜4m/Secのシンクにはまり海抜600mまで一気に下がった。
神の倉山に戻れなくて、サブラン行きかな?とチラッと思った。
すぐにサーマルに当たって、300m高度を稼ぐ。
ベテラン達は県道上空で雲底近く上がっている。
神の倉山頂に戻るとレベルまで下がってしまった。
鉄塔でコネコネやっていると何とかサーマルヒットし、海抜960m魔で回復。
周りに飛んでいる人も居なくなり私もランディング。
1時間20分のフライトであった。

夕方4時過ぎごろからアーベントになり海抜1300mで遊べたらしい。
丹沢エリアのビジターさんが世羅西まで飛んで行ったようだ。
花粉症で頭が締め付けられる。17時には帰った。
4月10日(日曜日)アートまつり・ベテランたちはクロカン
嫁さんは「アートまつり IN 向原」でパン屋さんをお友達と出店。
昨夜は、お友達も嫁さんも各戸で徹夜でパンを作った。
お店の飾りつけで朝7時半過ぎには会場に到着。
お友達の旦那も動員され、八角テーブルやテーブルクロス、プライスカード
飾り付けの籠など等沢山持ち込んでこられた。
私は電工ドラムを持ち込み電子レンジを繋ぎこむ。
出展者の娘さんが朝ごはんにメロンパンを注文。
暖かくしてあげようと電子レンジのスイッチを入れる。
電子レンジの中から煙が!!!
パンはビニール袋に入れ飾りの針金で袋の口を閉じていた。
針金が発熱してビニールが燃え出したのだった。
男が二人も居たのに気が付かなかった!!
一応開店の目星も付いたので10時前に会場を後にする。
売れ行きが悪いようだと神の倉のメンバーにもお願いせんとイカンかな?

 一番高いシホンケーキ(1600円)も売れ全て完売だった。 オペラスネーク、ビエノワーズショコラ、あみパン メロンパン、パインロール

 コーンマヨネーズ ハムマヨネーズ お昼には地森さんがモーターパラでお菓子を落下させ会場を盛り上げてスタッフからも感謝された。


本日のフライト
10時過ぎに神の倉MLに行くとビジターさん達は集合していたが、ジモピーの集まりが遅い!
今日は神の倉山頂でも地元の人達が「神の倉さくら祭」を開催しているので
「ジモピーたちは参加してうどんでも食べましょう」と理事会の呼びかけもある。
ビジターさんは遠くから来てもらっているし、手持ち無沙汰なので取りあえず
荒谷山に連れてあがる事にした。
三篠川を渡っている鯉のぼり達は南を向いていたが、荒谷山TOは東風である。
11時過ぎにはボツボツ皆さん上がって来た。
テイクオフは南風に変り、11時過ぎに立川さんがダミーで最初にテイクオフした。
11時半には甲斐さんテイクオフ。続いて田原さんテイクオフし、サーマルを捕らえてあげていった。
既にサーマル条件はバンバンになっているようである。
小出さん、是枝さん、テイクオフし揚げていく。
河原一家もきた。やすらぎ館に寄ってくれパンも買ってもらったようだ。
幸多はすっかり少年ぽくなり、お父さんと滅茶苦茶にしてもらって遊ぶのが大好きなようだ。
男の子として立派に成長しているのが嬉しい。
ビジターさん、高杉さん、幸多のお母さん(めぐちゃん)もテイクオフしガンガン揚げていった。

私も12時20分テイクオフし、直ぐに海抜880mまで揚がった。
沖に出したらレベルまで下がってしまった。
何とかもう一度、南小山で揚げなおし、荒谷山上空海抜1000mまで揚がった。
沖で3機ばかり揚がっているので私も移動。
足刈さんと一緒に廻して、海抜1320mまで揚がった。
何人かクロカンに出かけたように思うので、もう少し高度がほしかったが向原に向う。
リフトに当たらず高獄山より下がってしまったが、少しリフトを感じしがみ付き
150m揚げなおしたが力尽きた。
折角だからやすらぎ館の上を飛んで賑やかしをしよう。
もっとも音なしなので参加者達は気が付いてくれるかな?
会場上空100mを飛んで手や足を振る。
近くに降ろしたい所だが、先日現地調査したが良い所がなかった。
川を渡って300mはなれた田んぼのあぜ道に降ろした。
50分間のフライトであった。

パラを畳んで会場に歩いていく。
大きな荷物を担いだおやじが歩いていくので皆さんの注目を浴びる。
遠い親戚の稲垣文孝さんに会場で出会った。
私が会場上空を飛んだのを見ていて呉れていたそうだ。良かった!
地森さんにモーターパラでお菓子を落下させてもらって大いに盛り上がったので
大感謝を伝えてくださいと頼まれた。
お菓子を落下させるので、ちびっ子広場から子供達を退去させようとしたが
うまくいかなかったようだ。
地森さんは人の居ない川原に落下させたらしい。

パンの売り上げ状態が気になるのでブースに立ち寄る。
テーブルの上は綺麗に片付けてある
12時ジャストに全て売り切れたと、鼻息は荒かった。
売れ残っているようなら、神の倉の皆さんに電話して半値にしてでも
買って貰わないと覚悟をしていたのだが・・・・よかった!

勇さん号に迎えに来てもらって神の倉に上がる。
ぶっ飛んでしまった。勇さん一人生き残っている。アーベントになったようだ。
立川号でもう一度神の倉に上がる。
勇さんはまだ南の屏風で飛んでいる。
早速テイクオフし、南の屏風を目指す。
低い高度で突っ込んでいったもので、ローター域に捕まりいつ潰れるかとヒヤヒヤ・・・
+3m/Secでガクンと持ち上げられホイ来たと、次にはバコンと潰されてしまった。
右斜面に逃げ、テイクオフ上空に戻る。
もう一度体制整えて南屏風をめざす。
今度は20mばかり高かったので(海抜519m)何とか南屏風に行き着く。
50分ばかり勇さんと足刈さんと3人で遊んだ。
強風に変ったようなのでランディング。

本日クロカンに行った人達のデータ

グーグルアースで見ることが出来ます。
下記の各KMLデータを連続して押すと重ねて表示できます。
軌跡の上で右クリックして「高度プロファイルを表示」を
選ぶとフライトのグラフが表示されます。



児島さん
庄原市西城町粟:  西城町西条の,峠ひとつ手前
54.77km(Google Earthでベストポジション計測)
Kojima_.kml


中村さん:
広島県庄原市高町
49.44km(Google Earthでベストポジション計測)
Nakamura_.kml


高杉さん:
広島県庄原市大久保町
46.41km(Google Earthでベストポジション計測)
Takasugi_.kml


山本さん
広島県庄原市七塚町
40,7Km
yamamoto.kml


是枝さん
広島県三次市東酒屋町ドンツキ
24,3km
koreeda.kml


めぐちゃん
広島県安芸高田市甲田町
14,8Km
megu20110410.kml


PS
是枝さんのKMLの高度情報がおかしい。(TRKをKMLに変換すると・・・)

逆転層を突きぬけ海抜2173mまで揚がって本日一番の高度
是枝さんの名誉の為GDB(カシミールデータ)を追加
koreeda.gdb
4月17日(日曜日)海抜1500m・2時間24分
週間予報では今ひとつだったのに、今朝は雲ひとつない晴天だ。
10時過ぎに家を出る。
神の倉MLの駐車場は10台以上車があった。
プレジャークラブは朝錬で既に2本飛んだと言っていた。
広大のパラとハングの新人達も早くに来ていた。
ハングはトーイングマシーンで体験をさせていた。
なかなか優れもので、安全に2〜3mの高度で飛ばせることが出来る。
田原さんや是枝さんと「今日は東絡みなので大朝方面か・・・」などと言い合う。
嫁さんに電話し、クロカンに出かけたらピックアップに来てくれるように予約を入れる。

荒谷テイクオフは北東風だったが、11時過ぎから南東風も入ってきた。
是枝さんが先頭を切ってテイクオフしてくれたが未だサーマルが育っていなくて
敢え無く緊急ランにランディング。
12時前に田原さんテイクオフし一気に500m揚げていった。
12時過ぎ甲斐さん、竹井さんテイクオフ。

私も続いてテイクオフ。
正面ボールを探ったがレベル以下のままで探ってみる。
揚がらないので南小山に移動すると、2〜4m/Secのサーマルヒット。
一気に海抜1150mまで揚がった。
サーマルを外して探りつつ海抜1380mまであがって、
西を目指したら50Km/hのスピードが出る。
沈下が思いのほか多いのでテイクオフ上空に戻る。

海抜1500mに2回ほど上がったが風向きが良く分からないので
クロカンに出る気がしなかった。(老眼鏡がないので1300mと思っていた)
海風は押して来ていて、井原地区上空で押し合っていたのかもしれない。
どちらを向いてもはっきりと風向きが一定してなかった感じがした。
サーマルを追い掛け、廻しながら流れて行くと言った感じはない。
(4月3日の太田川橋クロカンは分かりやすいサーマルで自然と運ばれて行った)
最後はトップランしようかとアプローチしたが、正面(南東)からの風だったが
南斜面をなめるように行ったのだが全然リフトがなく一気に下がった。
なんとか梢に引っかからないだろうと右ターンはせず前進。
木と木の間をギリギリすり抜ける。ふー
揚げなおしにならず、サブランにランディングへ。

今日は結局荒谷山から離れられず、2時間24分のフライトであった

 


サブランで児島さんに拾ってもらって神の倉に上がる。
神の倉TOで、ギャラリーの中のおばさんから「稲垣く〜ん」と呼びかけられた。
サングラスを外したので良く見たら中学の同級生の真馬さんだった。
土師ダムに行った帰りに神の倉の桜が満開なので上がって来たらしい。
先日のRCCの取材といい、遠い親戚との出会いや今日の出会いといい
珍しく良いことが続いている。
南西風の神の倉からテイクオフし、南の屏風で50分ばかり遊んだ。
4月118日(月曜日)厳島神社桃花祭「花月」
毎年厳島神社の桃花祭のお能の地謡を勤めさせてもらっている。
きっかけは能楽師の故粟谷菊生(人間国宝)先生からお声をかけて頂き、およそ20年間
毎年4月18日に、プロと一緒にお能一番の地謡を勤めさせて貰っている。
2009年には我々のグループでシテとワキツレも含め「敦盛」を一番勤めた。
今年は能楽師粟谷明生先生の息子(尚生)さんが「花月」のシテを勤め
父上が地頭で広島の弟子達が地謡を勤めた。
息子(尚生)さんは大学生だが、さすが「蛙の子は蛙」で面をつけてシテを
演じられたが、声は面にこもらず面を突きぬけ見所に響き渡った。
今日は結構寒かったのだが、シテの面からポタッポタッと汗が滴り落ちていた。
汗が舞台の板に滲みていくのが見える。(皆さんも気が付いていた)
我々も20年近く地謡を勤めて大分落着いてきたなあ。
お互いの声も確認しながら謡える様になってきた。
何歳まで一時間近くも舞台に座っていられるか心配では有るが
先輩の法正寺の泉原龍見和尚さんが勤められる歳までは頑張ろうかな??
例年の如く、アナゴ飯を食べて解散した。

「花月」の動画(TOU TUB)

http://www.youtube.com/watch?v=CZ-8iY9gCn8

 「花月」 シテ 粟谷尚生さん

4月23日(土曜日)東日本大震災ボランティア
広島市ボランティア情報センターの「事前登録者研修会」があった。
会場は150席あったが殆ど埋まっていた。
年齢層は30歳代以下がが6割くらいを占めていた。
広島市民もなかなか捨てたものではない!!
自分も何かお役に立てないかと登録していた。(年齢制限70歳まで)
研修会では「まだまだ現地のボランティアの数は足りない!」と説明があった。
ただ、東北人は粘り強く遠慮深いので個人からの支援要望がまだ少ないらしい。
ライフラインがもどってきた地区は個人住宅の片付けが進みつつある。
床下の泥出しや畳・家具などの搬出や掃除など幾らでも手伝いが要るようだ。
ボランティアの内容によって9箇所に分かれて説明があった。
4月26日から広島市社会協議会から18名のボランティアを派遣予定だ。
しかし、2日間の作業予定であったので個人で長期に行く事にした。
長期ボランティアの要望者が出席者の半数も居たのにはびっくりした。

自分が一日中シャベルを振り回すのはとても無理だ。
我家の外壁塗り替え工事のとき買った高圧洗浄器を持参するのも良いかな?
資材洗浄や床や壁の洗浄もあるようだ。
ボランティアセンターのスタッフが過労でなくなった人も居るらしい。
ボランティアセンターのスタッフも被災者なのである。
ボランティアセンターのスタッフも求めていた東松島ボランティアセンターに相談してみよう。
10日以上のボランティアが出来る人に限られている。
自分には時間は充分に有るので、ボランティアセンターのスタッフもいいかなとは思うが
精神的には相当ハードだろうと思う。
被災者の支援要請があって初めて個人宅に行けるので、
勝手にドヤドヤ上がり込むわけにはいかない。
折角ボランティアで来てくれた人にも仕事が廻せず、待ちぼうけをさせることもあるらしい。
善意と善意がぶつかり合って険悪ムードになることもあるようだ。

県外のボランティア募集は団体と個人に分かれ、団体しか受け付けてない所もある。
県外のボランティアは受け付けてない所もある。
長期の場合は個人で現地ボランティアセンターとの打ち合わせが必要だ。
兎に角電話して、自分にに出来る仕事を探してみよう。

社会福祉協議会からの切なるお願いをされた。
義援金は日本赤十字や共同募金会に集まってくる。
各地のボランティアセンターに日本赤十字や共同募金会から
お金は廻ってくるがとても足りないようです。
支援金を是非お願いしたいと言っておりました。
募金先は社会福祉協議会に「ボランティアセンターの支援金です」と言って
お金を届けてくださいと言っていた。
今回の広島からのボランティア派遣(18名)のバス費用は社会福祉協議会が
負担してくれ、宿泊費や装備や食事などは全て個人持ちなのだ。
ボランティアセンターとしてやりたい事は沢山有るが資金不足のようです。
現地に行くボランティアも出来れば支援金を集めて届けてあげてくださいと言っていた。

ようやく、東松島ボランティアセンターと連絡が付いた。
ボランティアセンタースタッフは段取りがついたようだ。
個人のボランティアは受け付けていないようだ。

岩沼市のボランティアセンターは広島市ボランティアセンターと関係が深いし、
県外の個人ボランティアも受け入れてくれる。
電話したらどうぞ来てくださいと言ってもらった。
私の出来る仕事も何か有るだろう!
取りあえず行ってみるぞ!!


PS
広島市に居ても出来る活動も検討されている。


@市内に転入された被災者支援プロジェクト(社会福祉協議会)
 5月7日(土)広島市社会福祉センター2Fホール
 第一回被災者交流会を開催
 ※受付、食事作り、託児、生活用品提供コーナー・・・など
  手伝ってくれる方を募集しています。

A災害ボランティアセンターへの支援金募集。(社会福祉協議会)

B「広島へおいで下さい」プロジェクト(Anto-hirosima)

C「広島から被災地へ戻りやすくする支援」プロジェクト(ピースビルダーズ)

D「生活再建応援」プロジェクト(いろんな団体が・・・)
 例・・・被災地の商品を買う・・・フラワーフェスティバルで計画中
 例・・雇用支援

E本部運営スタッフプロジェクト
 広島市ボランティアセンターのスタッフも応援願ってます

その他いろいろ提案を持ち寄って出来ることから始めましょう。

ボランティアは半年や一年で終わる事はないそうです。
息の長いボランティアが求められています。
相談、問い合わせ、ボランティア登録は下記から
広島市ボランティア情報センター
http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/www/contents/1215404436085/index.html

http://blogs.yahoo.co.jp/saigaiv_hiroshima

4月25日(月曜日)いざ宮城県岩沼市へ
ボランティア活動は神の倉掲示板に書き込んだ物をこの日記に転写。

昨夜奥谷PAにボンゴフレンディを置いておいた。(1000円割引利用の為)
今朝はちょっと風邪気なので同級生の木下医院に薬をもらいに行った。
AM11:00奥谷PAをスタート。
現在(20時45分)富山県有磯海SA。
もうしばらく北上の予定。顛末は・・・・
4月26日(火曜日)岩沼市到着
昨夜は岩沼で零時まで走って磐梯山SAにて車中泊。
仙台市の冨谷JACから多賀城市に出ると海岸線はテレビで見るような瓦礫の山に
あちこち車が散らばっている。まだまだ片付けは進んでいないようだ。
テレビで見た仙台空港を左に見ながら岩沼ICに降りる。

14時近くなったので作業隊は出発した後だろうと思い、ボランティアセンターに行かず
とりあえず被災現場を見に行く。
海岸線から1kmくらいは漂流物の残骸が散らばっている。
500mくらいまでの家は土台だけ残って、更地の様だ。
たまに残っている二階建ても一階はきれいに壁が無くなり倒れかけている。
テレビ画像で見るよりは悲惨さが肌に伝わってくる。
岩沼市ボランティアセンターに行き、ボランティア登録する。
「長期で滞在します」と言ったら、資材洗いのスタッフに加えてくれ、スタッフのベストを呉れた。
15時から早速作業。ボランティア達がヘドロだらけになって帰ってくる。
高圧洗浄機で彼らの長靴をきれいにする。
特に長靴の底のスリットに入った泥は落ちにくい。はね返りでだいぶ泥をかぶった。
目にも入ったのが少し気になる。
夕方17時には連続30人の長靴をを中腰で洗ったので、腰が痛い。
とにかくこのヘドロは臭い。
夜、車の中も臭いがこもって気分が悪いのでファブリーズを買いに走った。

地元スタッフの話だと、青い海が戻ったそうだ。
なぜなら、津波で海底にあったヘドロが全部陸に上がって来たらしい。
(特に製紙会社が長年にわたって汚泥を流し続けた)
だから今は青い海が戻って来たそうだ。
自然からしっかりしっぺ返しを人間社会は受けている。
宮崎駿のアニメ、「千と千尋の神かくし」を思い出した。

本当に臭い!!!

岩沼市まで1200kmだった。
4月27日(水曜日)熱いおやじ達
昨夜神奈川と栃木と群馬から個人で自家用車で来た人達が車座で晩酌をしている所に寄せてもらった。
昨日掃除に行った所は、特老ホームの入居者の書類や判子など個人情報の物を泥の中から
回収する作業だったようだ。
テレビで有名になった仙台空港ビルに逃げ込んだと同時に津波が押し寄せて来たようだ。
日頃の訓練では、全員を避難させるのに1時間40分かかっていた空港の職員や
タクシーの運転手達が手伝ってくれ、一人も犠牲者も出さなくてすんだようだ。
作業現場でいろんなドキュメンタリーを聞いて心を打たれる事が多いようで、その話を
私に聞かせながら、涙ぐんでいた。
全国から集まって来るボランティア達もいろんな事情を抱えながらも被災地に駆けつけていると
話しながら涙ぐんでいる。本当に熱いおやじ達だ。
しかし、テレビではあまり報道しないが、千載一遇の時とばかり、窃盗団が入ってきて
むごい事をしているようだ。心が痛む。

昨夕30名位並んで洗浄する時間が40分くらいかかったので、高圧洗浄機を1台増やす為に、
分水器を買いに行った。
昼に3台同時に使ったら、車庫のブレーカーが飛んでしまった。
母屋のソケットから電気を取るため30mの延長コードを買いに行った。
夕方は3台で洗ったので、疲れて帰ってきたボランティアの皆さんをあまり待たせることがなかった。

自分もだいぶ要領が分かってきて、「横を向いて!反対の横を向いて!はい後、はい靴底!」と
スピーデイに洗浄出来るようになった。
昨晩のおやじに「あなたが一番上手だった」と褒めてもらった。

夕方は腰が限界になって、見かねたスタッフが交代してくれた。
作業が終わって夕食の為街中を走っていると、接骨院の看板が見えた。
腰を治療してもらう為入ったら、誰も客がいなかった。
[祝開院!]の胡蝶蘭の鉢が置いてあった。

1時間ばかりやってもらって、ボランティア価格450円だった。
4月28日(木曜日)出世した!
以前から洗い場を取り仕切っていた地元スタッフが今日はいなくて、
洗い場に15名の新人さんが配置されてきた。
古手3人で(私も古手の一人)皆さんへレクチャーを行う。
高圧洗浄機の使い方は私が女性3人にレクチャーした。
自分がやったほうが早いと思うが皆さん燃えて来ているので
仕事をしてもらわないといけないだろう。
私は遠くで見ていて、左官の舟に水をはって「ここで予洗をして下さい」と呼びかけたり
段取りを付けたりの仕事をする。
「高圧洗浄機が動きませ〜ん!」と私に相談しかけてくるようになった。
15名が機能的に動き始めてきたので、古手2人と1輪車のパンク修理に取り掛かる。
今の若い人はパンク修理をしたことがない。
私の子供の頃は自分で自転車のパンク修理をしたものだ。
タイヤをめくり、チューブを取り出し、空気を入れ洗面器の水に浸けて穴を捜す。
チューブを軽石で摺って、パッチ用のゴムは古いチューブを切って使ったものだ。
ゴム糊を付けて指触乾燥してから貼り合せ、ハンマーで叩くのである。
そんな事は今の若い人は全然知らなかった。

もう高圧洗浄機やたわしでスコップや一輪車を洗うという作業からは開放され、
現場指揮が主な仕事になったので私の腰がだいぶ楽になった。
洗い場の小隊長になって私も出世したものだ。
明日からは連休が始まるので、どれだけのボランティさんが来るのだろう。
パンク間違いないだろう。
4月29日(金曜日)就職難民の列!
今日からゴールデンウイークが始まった。
テントや車で寝ている連中は6時半から受付に荷物を並べ順番を取っている。
ここ大沼ボランティアセンターに押しかけて来た人は、裕に300人を越えて並んでいる。
8時半からの受付なのに作業のマッチングが10時半になっても終わらず
まだ100名以上は受付に並んでいた。
亘理町の方にも回ってもらうように紹介していたが、恐らく満杯だろう。
泥かき作業の受付と私のような裏方ボランティアの受付があるが、殆どの皆さんは現場の
作業を要望している。
受付のお嬢さんに洗い場に10名以上廻してもらうようにお願いした。
新人20名と7名ばかりの古手スタッフが作業したので、10名ばかりの作業班が帰ってきても
あっという間に洗い作業は終わってしまう。
私は出来るだけ手を動かさないように気配りだけをするようにした。
新人さん達はバケツでの水運びでも嬉々としてやってくれる。
とにかく身体を動かさないと気持ちがすまないのであろう。

私は一輪車の修理や高圧洗浄機のチェックが主な仕事となった。
連休で連続して作業するなら、皆さんも手順がわかってくるので
私のような年寄はお払い箱になるだろう。
ボランティアの世界にも就職難民があふれている。これも世相か・・・・。

今夜は隣りの名取市のスーパー銭湯に入りに行った。
大きい駐車場も、駐車場の半分以上は県外ナンバーだった。

晩飯はくるくる寿司とした。
4月30日(土曜日)女性パワーの現実を知る!
今日はゴールデンウイーク2日目。
8時半からの受け付けなのだが、既に建物の敷地をはみ出し道路の歩道まで並んでいる。
後で聞くと500名ばかりのボランティアが駆けつけてくれたそうだ。
とても皆さん全員にやってもらえる仕事は見つからない。
ハンドマイクで「今日の作業人員は250人です」と暗に半分は仕事があぶれますよと
アナウンスしているのだが誰一人列から離脱しない。

10時半になって洗い場に3人ほど女性が来てくれた。10人は必要なのだが、
裏方である洗い場は人気がないのかなぁ。
受付に行ってみると、泥かきの受付が3つと一般ボランティアの受付がひとつある。
誰ひとり一般受付には並んでいない。

現場に行って少しでも役に立ち被災者に頑張って!と一声かけたくて燃えて来ている人達ばかりなのだろう。
並んでいる人達に「裏方の仕事で、長靴や一輪車を洗う仕事ですが、5、6名手伝っていただけませんか!
希望者のかた、手を挙げてください!」と呼びかけたら、6、7名手を挙げてくれた。
これで人員は確保出来た。
洗い場の仕事は、9時過ぎからトラックに作業班ごとの一輪車・角スコップ・剣先スコップ
フォークなどを積み込む作業がある。
基本的には運転ボランティア達が積み込んでいるが・・・。当然洗い場の人達もお手伝いする。

順次皆さん出かけ、帰って来るのが11時半頃からなので泥だらけになった長靴を
3台の高圧洗浄機で洗いあげていく。
兎に角効率よくやらないと一列に15人も並ぶと15分位待たせる事になるので、
手際よくやらないといけない。
私の考案した洗い方が定着してきた。よしよし!

午前だけで終わる仕事は3割位なので、道具を洗うのは早い。
夕方は道具と人間が一斉に帰ってくるので、戦場のような有様となる。
一列に20名以上並ぶと待ち時間が長くなるので、積極的な女性達はバケツとたわしで
ひとりひとりの長靴を洗ってくれている。
シャベルとフォークは左官の舟に浸けてたわしで洗っている。
一輪車も泥だらけのタイヤにバケツの水をかけながらたわしで洗っている。
私は水道のホースを掴んで、25リットル入りのバケツに次から次に水を入れていく。
25ミリの水道パイプなので、すぐに水は一杯となるのだが、蛇口を止める暇はない。
女性達が15リットル入っているバケツを走って持っていく。男も負けじと2つのバケツを持つ。
2時間ほど私はホースを持ちっぱなしだった。一切指示することはなかった。

今時の女性は男性からの指示待ちで仕事はしない。自分達で段取りをつけていく。
バケツを持って走るのには参った!!
女性パワーの現実を目の当たりにした。


今日は800円のピリ辛味噌スープのつけ麺を食った。
ボランティアは自己完結型で来てくださいとあったので、水を2リットル入り6本と、ポカリなど
お茶やジュースの小ボトルやカップラーメンを沢山買って行ったのだが、岩沼市市街地は
津波の影響はなかったので、どのお店も普通に営業している。
食事はカップラーメンは食べずに外食とした。
ささやかな貢献にもなるだろう。