2011年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活も6年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2012年 6月   
6月1日(金曜日)ツタンカーメン展
20年来の山歩きの仲間から大阪で催されている「ツタンカーメン展」に行こうと誘われた。
岡本さん(リーダー)は私より10歳年上で、中学校の先輩である。(リーダーの弟が私と同期生)
屋久島の宮之浦岳、九州の韓国岳縦走、四国の石鎚山・瓶ヶ森そして八十八箇所巡り、
和歌山県の高野山、コロナ観測所のある乗鞍岳、立山、白山、五箇の庄、富士登山・・・・・・
そして広島県近隣の山々・・・
思えば年に3〜5箇所は一緒に歩き回ったものだ。
私より年上の人ばかりなので、私のボンゴフレンディーが活躍した。
昔は皆元気で、夜間車を走らせて朝から山に登るなど無茶をやった。
この5年間は岡本先輩の体調が優れず声が掛からなかった。

「ツタンカーメン展」に誘われて、久しぶりに山仲間が集合した。
朝5時に岡本邸を出発。平均年齢73歳のご一行様である。
私と一番年下の津田さん(65才)の二人が運転手だ。
私のボンゴフレンディーはパラグライダーと山歩きと車上生活旅行の長旅に
この14年間事故も起こさず付き合ってくれている。
18万Km走っているがエンジンの調子は上々である。
愛情が湧いてきて手放す気にならない。
最後まで看取ってやろうと思っているのだが・・・

9時過ぎに中国池田ICから降りて阪神高速に乗る。
カーナビは無いし、道路地図が10年前の物で阪神高速が良く分からない。
インターネットで阪神高速はコピーしてきたのだが現在位置が良く分からない。
結局道路標識が一番役に立った。
天保山ICを降りるのに20分ばかり掛かった。
天保山特設ギャラリーに10時前には着いた。
チケットは隣りの海遊館とセット(4000円)で購入しておいた。
ツタンカーメン展は2ヶ月の予定が入場者が多いので(2ヶ月で60万人)
もう一ヶ月延長するようだ。
案の定並んで入館するまで30分は待たされた。
50名くらいづつ区切って入場させるのだが、会場内に入れば区切った効果は
あまり感じられない程に込み合っていた。
背の低い私は人の頭の見物に終止した。

興味のあるものだけゆっくり見た。
3000年前の人々が良くもこんな精巧な物を作ったものだ。
ましてや巨大なピラミッドなど、宇宙に飛び出す現代の私達に同じ条件で造れと言われても
どうやっていいものか想像すら出来ない。
物造りの技や知恵は現代人と引けを取らない!
いや、文化・文明の蓄積の無かった当時の人の方がよっぽど天才的だと思う。
ピラミッドから2千年後、やっと日本で古墳が作られたのが1700年前の頃である。
世界4大文明(または6大文明)地域は3〜5000年前に栄えたが今はわびしい。
今年2月にトルコに行ったが、世界の文明の栄枯盛衰を肌で感じる。
戦後頑張ってGDPが世界2位になった日本の頑張りは特筆されると思う。
その時代に私が生かされたと言う事は誇らしい事でもある。
コロンビアのホアンやタイのパッちゃんやスリランカのスーちゃん達が
日本にあこがれて留学して来てくれた事にも日本を誇らしく思う。
スリランカで25年ぶりに「おしん」が再放送されてスーちゃん達も見ているそうだ。

込み合っても嫌なので昼食は後回しにして、隣にある「海遊館」に入る。
こちらは空いていてゆったりと見物。
入館するといきなりエスカレーターで6Fまで上がる。
水槽のアーチに出迎えられる。
テレビでは見たが魚を下から観察出来るのは、自分が水中に居るようで面白い。
建屋はでかい水槽をぐるぐる廻りながら見物できるようになっていた。
水面、水中、水底の魚を上手く見せるようになっていた。
幼稚園の子供たちが見学に着ていた。
アシカやオットセイが泳ぎ回るのを見て歓声が上がる。
この子達のように歓声が上がるほどの感受性が失われて久しいなあ〜
歓声を上げるほどの事柄は何時だったのだろう・・・
思い出した!そんなに昔ではなかったぞ!
フィンランドでオーロラを見た時だった。
圧倒的な自然現象の前では思わず声を上げる事しか出来ない。
海遊館を出て食堂街で遅い昼食を食べる。

今夜は琵琶湖湖畔の国民休暇村の近江八幡に宿を取ってある
天保山ICの上がり口が分からず、阪急高速の下を走り続ける。
側道の案内が出ているのでそちらを走ったら、高速への上り口は道路の真ん中だった。
森之宮ICでやっと阪急高速に上がる。
左手にちらりと大阪城を見て東大阪JCTを左折し、門真JCTを右折し
真新しい第二京阪道路を走り、名神高速の竜王ICで降りる。
10年前の大雑把な道路地図しかないので分かりにくい。
国道477を走って、琵琶湖にぶつかって右折すれば近江八幡に行ける。
田んぼの中を走っていると、いきなり赤い旗が出て警察官に止められた。
側道に誘導されて、交通切符を切られた。(私でなく津田さん)
40Km制限のところを67Kmで走っていたのだ。18000円也!!
旅費負担に入れ7名で割り算しましょう。

休暇村近江八幡は全室琵琶湖に面していて、車も余り通らない静かなたたずまいであった。
温泉が湧いていたし、近江牛は柔らかく美味しかった。
6月2日(土曜日)彦根城・ミホミュージアム
平均年齢73歳は皆さん朝が早い。
朝食は7時15分からだというので、近くの長命寺に全員で行く事にした。
ホテルから車で15分くらいの山の中腹にあった。
駐車場から階段を上がったのだが、残念ながら山門は閉まっていた。(9時開門だ)
山門を閉めてしまうお寺は珍しいのではないかな?

朝食はバイキング形式で和食、洋食両方用意されていた。
おかずも沢山用意されていた。

国宝の彦根城をとりあえず見に行く。
櫓や門は流石に古く、風雨に晒された柱の木目はくっきりと浮き出ていた。
信長や秀吉や家康達がこの場所を歩いたのかと・・・感慨深い!

岡本さん(78歳)は鉢を買いたいので信楽に行こうという事に・・・
久永さん(79歳)が以前行った事のあるミホミュージアムにも行こうという事になった。
なんでも世界のお宝が沢山陳列して有るらしい。
名神高速の彦根ICに入ろうとして、又も警察官に止められた。
今度は最後部座席の人がシートベルトをしていなかった。
罰金は無いものの1点減点だ!(今回も津田さん運転中)
粟東ICで下りて県道12号線を信楽に向けて走る。
山また山の中を走る。間違っては居ないのか?
案内の看板があるので間違っていないようだ。
ようやく山奥のミホミュージアムに到着。入館料1000円也。
駐車場に車を入れ、立派な休息所から電気自動車に乗る。
幻想的なライティングしたトンネルを抜けると現代美建築の本館に到着。
世界的建築家のイオ・ミン・ペイの設計になるらしい。
設備設計は森村設計で展示の仕方も一流のようだ。
施工は清水建設で下請けも一流で無いとこんな建物はできない。
最初から度肝を抜かれる。

最初に入った部屋は古代エジプトの展示室だった。
昨日の「ツタンカーメン展」ではゆっくり見る事が出来なかったので嬉しい。
ガンダーラ仏像たちの部屋、ローマ時代の女神像、古代中国の品々・・・・
日本の絵画、仏像、茶器など等一流の物が展示されていた。
ゆっくり見れば3時間以上は必要な程展示してあった。

1時間以上見て歩いているうちに、だんだんと嫌な気分になってきた。
展示してある物はすばらしい物だが、どんなコンセプトでこのお宝を展示しているのだろう?
いろんな地域の、いろんな年代にわたって陳列してある。
コンセプトらしく装った「母」の文字が目を引く・・・・
どう考えても金にあかせて世界中からお宝を買い漁ったとしか見えなくなった。
そう感じたのでもう見る気がしなくなった。
展示してあるお宝は、元有った所に存在していて光り輝くものだ。
今年2月に行ったトルコのエフェソスのアルテミス神殿跡の町並みの
モザイク貼りの床や石像などみて強くそう思った。
壁画を剥ぎ取ったり、モザイク画を剥ぎ取るものでない。
存在した国々の博物館などに存在してはじめて意義あるものだと思う。
帝国主義時代においては強国による略奪(大英博物館の展示物はその典型だと思う)、
現代においては札束でほっぺたをたたいての強奪が見えてくる。

「ミホミュージアム」のミホはなんだろうと家に帰って調べてみた。
「ミホ」は小山美秀子で神慈秀明会の代表、世に名高い「おひかり」さんだった。
信者からの浄財(一千億円以上)をこのミホミュージアムに使っているらしい。
信者の為や世の中の為に使うならともかく、自分の成金趣味の欲望の為に
湯水のようにお金を使っているとしか思えない。
展示物が盗品なので返却して欲しいと各国から訴えられても居るようだ。

私と嫁さんだけが違和感を覚えたようで、他の人はすごいものを見たと
単純に喜び興奮していた。
山奥から15分ばかり走って、信楽の町に到着。
500坪はあろうかと思える敷地に焼き物がびっしり並んでいる。
焼き物の2割くらいは例の「たぬき」の置物だ。
でかい物は2m以上ある。こんなでかい物が焼けるものだ!
昼食は洗面器のような大きさのどんぶりでうどんを食べる。結構旨かった。
私は焼き物には興味が無いので車で一休み。
岡本さんは鉢を2個、大事そうに抱えて帰ってきた。
信楽ICから乗り、一路広島へひたはしり、夜の9時ごろ無事帰広。
長距離でハードな日程であったが病気にもならず先ずは一安心。
翌日は疲れて寝ていた人が半分は居たようだ。
疲れも取れた6月8日夜、反省会と称して食事会を催す。
あーだった、こうーだったと話がはずむ。
旅の楽しみは、計画が3割、旅が4割、思い出が3割である。
昔、あちこち登った山や行った場所の話に花が咲く。
皆さん70歳を越えた人ばかりなので、口は達者なのだが身体がついて来ない。
次の旅行の計画を!!と口やかましかったが実現するかな?
6月10日(日曜日)ぶっ飛び
梅雨入りはしたが、今朝は朝から良く晴れている。
2週間のフライト自粛があったので、皆さん沢山集まってきた。
本日の風予報は北または北西だが、メインランディングは北東の風が強めである。
荒谷山の風は東がらみだが、騙しの風だろうと誰も上がろうとしない。
是枝さんは痺れを切らして?帰ってしまった。
皆さんマッタリと話をしている。
ランディング場の風は北東最大4〜6m/Secなので立ち上げ稽古をする事にした。
皆とのおしゃべりも楽しいけど、グラハンも結構愉しいものなのに・・・・
皆さん積極的に行なわないのが残念。
NP生達はもっと真剣に取り組むべきと思うが・・・
それに運動不足解消にも、もってこいだ!
立ち上げてスラロームを3回したら息が上がって15分ばかり休む。
これだけ体力が落ちたんだ!と情けなくなる。
座って立ち上げの稽古。一歩も動けないので早めの細かい操作が必要だ。

久保ちゃんたちが神の倉に芝生の手入れに向ったようなので、
稲垣号も4名で上がる。
神の倉テイクオフでは、昔私が最初に植えた野芝が大きくランナーを伸ばしている。
土手のアスファルトの上で生きてきた野芝なので元気で強いはずだ。
市松模様に切り取ってテイクオフに貼っていく。
真砂土をダンプで持ってきたようなので、それを引いた上に植えたり
芝の目地砂の代わりに撒く。
ひとしきり作業をしているとブローが入ってきた。
条件の良いときは飛ぼうと支度する。

斉藤さんが最初にテイクオフし、鉄塔下でサーマルを引っ掛けトップアウト。
そのが海抜1000m〜1400mを一人だけ悠々と飛んでいた。
それ行けと後を追った人達には、サーマルは微笑んでくれなかった。
2本目は児島号で、芝生にかけるための水タンクを積んで上がる。
もう一仕事、芝生を切り取って移植し水遣りをする。
斉藤さん一人だけ上空を飛び続けて居る。
次々テイクオフして行ったが、誰もトップアウトできない。
私もテイクオフしたがぶっ飛んでしまった。
見あげると児島さんが上げて行き、海抜1600mまで揚げた。
兵萬号でもう一度上げてもらう。
やっぱりダメで本日は3本のぶっ飛びに終わってしまった。
しばらく飛べていなかったので気分は良い。
6月17日(日曜日)雲底海抜1370m・
梅雨入りして今日の週間予報は曇りであった。
昨日は西日本で洪水注意報が出る程の大雨であった。
ところが昨夜から今朝の天気用法は晴れマークに変っている。
梅雨入りで一ヶ月ばかりは飛べないだろうから、飛べるときに飛んでおこうと
神の倉エリアに急ぐ。
到着するとパラ関係者は血も地森さんと立川さんしか見えない。
何時も来ているはずの花野さんの姿が見えない。
電話して”軟弱者”と発破をかけ召集する。

田原さん、立川さん、石田さん、鍛冶ちゃん、私の5人で荒谷山に上がる。
昨日は大雨だったらしく、林道には側溝からあふれた木の葉や
尖った石ころが沢山散乱していた。
テイクオフ場は、先月貼った芝生の土が洗い流され浮いた状態になっている。
このままでは枯れるか、もう一度大雨が来ると芝生自体が流れていってしまいそうだ。
全員で真砂土の敷きつめ作業開始。
一輪車があるので簡単に終わると思ったが結構な量が必要であった。
一時間ばかりぶっ通しでやったもので、日頃重いものを持たない立川さんは
手の皮がむけてしまった。
私も最終場面で一輪車で15杯ばかり運んだのでヘロヘロになった。

13時を過ぎていて雲も取れてきて青空が顔を覗かせてきた。
風向きも南に変ってきて、立川さんが最初にテイクオフ。
サーマルはまだしっかりとは育ってなくて、敢え無くサブランへ。
二番手は田原さんで南小山も無くて、正面尾根の先で粘っている。
鍛冶ちゃんもテイクオフし、マキゴンポイント辺りで粘っている。
石田さんもテイクオフし南小山で粘っていたが、正面ボール先端で田原さんが
レベルまで上げ直しているので突っ込んでいったが、少し低すぎたのかリフトに乗り切れず。
私も13時半にテイクオフし、ちょこっと南小山を探って、田原さんが居る方に一目散。
正面尾根先端辺りで何とかサーマルに遭遇。
1m/Sec前後のリフトを半分入ったり外したりで何とかステイ。
田原さんも一緒に廻して探ってくれるので修正が楽だ。
何とかトップアウトを果たし海抜1060mまでは上がったがリフトを外した。
田原さんはしっかりサーマルを捕らえて雲底まで揚げていった。
外したサーマルを捜して沖に出す。
先ほど揚げた上空地点でサーマルヒット。
先ほどと同じコースをとって荒谷山上空で海抜1100mまで揚げる。
何とか雲底に付けたいものと、出来かけの雲を探し、コースをずらしていく。
やっと海抜1370mで雲底近くまで。
田原さんは白木山を目指したようだが、高度が稼げず志和口付近で
メインランディングに引き返してきた。
今は誰も飛んでない様なので寂しくなり、荒谷山にトップランして
車でも降ろそうとアプローチをかける。
高さは良いかな?と突っ込んでいくと南西のいい風が入っていて
機体が持ち上げられてしまった。
無理をしないでテイクオフ場をスルーして、ターンをかけたらズブズブ沈んでいく。
揚げなおして再度トップランと思ったが、どんどん沈下する一方だった。
敢え無くサブランの土手に下ろした。
1時間ばかりのフライトで、雲底まで届いたので梅雨の晴れ間としては上出来だった。

2本目は神の倉テイクオフに上がる。
ハングとブルーのパラ(誰なのか確認忘れた)が雲底で遊んでいた。
勇さんが鉄塔付近で粘っている。
勇さんを追い掛け神の倉鉄塔と南の屏風に行ってみた。
立川さんが頑張って南の屏風に来ている。
あまり強いリッジはないし、3機で遊ぶにはちょっと苦しいのでテイクオフ場に引き返す。
良いサーマルに恵まれず25分のフライトだった。
6月17日(日曜日)女子大生とムーディーな夜
留学生会館で嫁さんは日本語教室のボランティアをしています。
http://minnanonihongo.web.fc2.com/index.html

留学生会館の中国人留学生のサポーターを嫁さんが始める事になりました。
彼女の名前の漢字はパソコンに出てこないので、キョウちゃんと呼ぶ事に・・・
昨年、大連大学から名古屋外国語大学に交換留学生として半年名古屋に居ました。
日本が大好きになり、4月から私費留学生として千田町の広大2部の学生として学んでいます。
広島大学の大学院に合格する事が目標です。
日本語能力試験1級には合格しているのだが、もっと良い点をとるたに
7月の試験に向けて頑張っています。

N1レベル(1級日本語能力試験)は日本人だって合格するとは限らない気がする。
正解率はいかがですか?読解は結構難しい!
http://www.jlpt.jp/samples/n1.html

私費留学生なので今は生活が大変なのでアルバイトを捜している。
大学院に合格すれば、中国か日本の奨学金が受けられそうだ・・・
海外に行かなくても外国人と付き合える事は楽しい事です。
ホストファミリーではないので、お互いの時間あるとき交流すればいいのですが
キョウちゃんの頑張っている姿を見て夫婦で寄り添ってやろうかと・・・・

本日、キョウちゃんを嫁さんが我家に招きました。
私は梅雨の晴れ間でしたのでパラグライダーに行ってました。
二人で料理を作って、夕食は私も中国の家庭料理を楽しみました。

 化粧気はないが理知的な美人さんのキョウちゃん 中学生から大学までずっと寮生活だったので料理は不得意と言っていた

パラグライダーのテイクオフ場の裏の地域が保垣と言う所で、毎年蛍まつりをしています。
16日夜が蛍まつりだったのですが大雨で中止でした。
キョウちゃんは蛍を見た事が無いというので連れて行く事に・・・
21時過ぎ保垣に到着して、誰も居ない川辺を散策。
川に沿って蛍が乱舞しているのを見て、キョウちゃんは一瞬息を飲んで居ました。
蛍たちがお互い光をシンクロさせているので、川下に光の大波が伝わっていきます。
一匹の蛍を捕まえ、キョウちゃんの手の中に入れてやりました。
蛍の光が指からこぼれるのを見てうっとりしてました。
あまりにも嬉しそうなので1時間ばかり過ごしてしまいました。


 はじめての蛍にうっとりでした 感激も最高潮でした 私にも大感謝され、モテモテでした

キョウちゃんを留学生会館に送っていくとき、言いにくそうに「愛子さん」とか
私の事をどう呼ぼうか?と迷っている風だったので・・・
キョウちゃんに「お父さん、お母さんと呼んでいいよ!」と伝えると嬉しそうだった。

19日キョウちゃんがメールを呉れました。

「夜パパとママとネットでチャットして、昨日の感動を話しました。
やはり両親が小さい頃見たことがありますね。(蛍の事)
そして、日本で家族のような、優しいお母さんとお父さんができましたことも。
両親がすごく喜んで、お世話になってくださるお母さんとお父さんによろしく、
そして感謝の意を、ぜひ伝えたいです。
お時間があったらうちへぜひ遊びに来ていただきたいと、言いました。」

蛍を見に行った地域(保垣地区)の人達の努力で農薬の使用量を制限し、
カワニナの放流をしたのでしょう。
この地区はカジカガエルの繁殖にも力を入れているようです。
高校生の時カジカガエルを飼っていたことがある。
親父がどこかから捕まえてきて、特性の籠(水が張れる)を作ってくれました。
ハエを取って生餌にしていました。
ハエ採り器はガラス製で、先はラッパ状で筒状の柄は(内径1cm)1,5m位の長さで
末端はふくらんでいて水を入れてハエをおぼれさせる器具でした。
水は入れないでハエを生きたままカエルの籠に入れていました。

冬眠させるのに土中に埋めていたのですが、3年目に掘り起こすのが遅かったのか
春になって掘っても見当たらなかった。
ホロホロときれいな声で鳴いてくれ随分家族を癒してくれた。

もう一度良く観察して、カジカガエルの声を聞きたいと思います。(ほたる・かじか祭だったのでした・・・)
http://www.akitakata.jp/site/page/sightseeing/news/hogakihotaruh24/

6月23日(土曜日)蛍狩り
嫁さんは毎週土曜日に留学生会館で開かれている日本語教室
ボランティアでかれこれ6年ばかり行っている。
先週の蛍が幻想的だったので、日本語教室の先生方を誘ったら
4名参加表明された。
日本語教室の生徒でユカちゃん(12歳)は嫁さんのお気に入りで
お母さんの許可を取って連れて行く。
お母さんは中国人で、4年前に日本に移住して来たのだが
日本語が不自由なのでユカちゃんと教室に来ている。
ユカちゃんは4年間ですっかり日本語をマスター。
何度行っても土地勘の働かない嫁さんなので、私がボンゴフレンディーの
運転をして保垣地区に案内する。
実は皆さんを誘って行ったは良いが、蛍が飛んでいないと大変な事になるので
昨夜嫁さんと下見はしておいた。
残念ながら先週の三分の一位しか飛んでいなかった。
蛍の寿命は1〜2週間なので仕方ないのだが・・・

日本語教室が終わって皆さん弁当を買い込んで我家に到着。
裏で声がする。アジサイに関心が向っているようだ。
弁当を食べても時間が余るのでパラ関係のテレビ出演のDVDを見てもらった。
ひとしきりパラの話をするも、誰も飛びたいとは言わなかった。

19時を過ぎ、暗くなり始めたので出発。
田んぼ道を歩いているとチラホラと蛍が見える。
皆さん既に興奮状態!
川辺に着くと無数の蛍が飛んでいる。
皆さん静かになった。
幻想的な雰囲気に浸っていて声を上げる気は失せたようだ。
蛍は岸辺から見るより橋の上から見たほうが多く見える。
川下に歩いていくと、親子連れが10名ばかりはしゃいでいる。
ちょっと雰囲気が壊れるなあと思いつつ橋の上に・・・
何と河原一家とその仲間達だった。
子供集団が帰った後も30分以上土手を散策。
皆さんはこんなに沢山居るとは想像していなくて、現地報告メールを打っていた。

カジカガエルが鳴いているか注意して聞いてみたが、
別のカエルの声が大きくて聞き分けられなかった。
そこでインターネットで調べてみた。
http://hitohaku.jp/education/frog/zukan/kajika.html
6月24日(日曜日)
昨夜、河原家の幸多とはあまり話が出来なかったが
「いながきじーじ・・・」とは言ってくれたが。
昼から河原一家が我家を訪ねて来てくれた。
昨夜、友達を蛍狩りに連れてきたので疲れたのか
両親とも昼寝している。
幸多を外に連れ出し、池のウォータークリナーのネットを水圧銃で洗わせると
水遊びの延長なので大喜びである。
裏の工作室で釘とハンマーを出しっぱなしにしていたのを見つけ
釘を打つ真似事をやりだした。
板を出してやり、丁度良い釘を出してやると釘を持ってハンマーで打ちだした。
指を打ちそうなので釘の根元を持つように指導したが、
後は励ましおだてて釘打ちの経験をさせる。
小さい方の釘は1cmは打ち込んだ。
万力の使い方を教えるとすぐに締める方向を理解して自由に使った。
釘打ちが上手に出来たと褒めて、父さんに見せておいでと言うと板を持って
喜び勇んで家に入っていった。

そのうち幸多の発展状況みて、ナイフで木を削ることをさせてみたいなあと思っている。
私達の子供の頃は一度は指を切ったものであるが・・・
両親が見たら大反対するかな?・・・

夕方は一緒に回転寿司屋に行った。
幸多は寿司が大好きで、私らと同じくらい良く食べた。