2010年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活に4年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2011年 5月   
5月1日(日曜日)現地スタッフお休み!
今日は洗い場の面倒をみていた現地スタッフが都合により2人共休んでしまった。
10時になってもバックヤードスタッフが3人しか集まってこない。
急遽受付に行って、ハンドマイクで呼びかけてもらう。
受付け嬢が、10時半頃15名ばかりを連れてきてくれた。
ガムテープの私の名札は、「広島県 稲垣」となっている。
初日からグリーンのスタッフ用ベストをもらっている。
本部の方も「今日は稲垣さんが仕切っている」というのが分かったようだ。
女性を高圧洗浄機のスタッフとして全員私のやりかたで講習会を開く。
「洗い終わったら、お疲れ様!とにっこり笑いかけて下さい」とお願いする。

昼に帰ってくるのは全員だが、資材は三分の一しか帰ってこないので、予行演習には丁度いい。
12時過ぎたので、「5、6名残して食事に行って下さい」と指示した。
10分もしないうちにバス2台が帰ってきて、少人数でてんやわんやになってしまった。

夕方はいっときに帰って来るし、資材も全部帰ってくるので、戦場のようなあわただしさになる。
みんなよく頑張ってくれたので、昨日より30分早い17時には終了した。
「明日も洗い場に来てくれる人、手を挙げて下さい」と言うと、若い女性が1人手を挙げてくれた。
一昨日から連続して来てくれている人が4名いるので、明日8時半に集合をお願いした。

資材のトラックへの積み込みは、運転手達が協力してやるのだが、洗い場はその資材の管理を
しているので、積み込み作業も手伝っている。
ボランティアの作業時間は、午前中2時間、午後2時間と決められている。
そして夕方は4時迄である。
洗い場の作業は9時頃の資材積み込みから、17時半頃までの洗い作業なので、いちばんハードである。
道理で明日も来ます!と言う人が少ないわけか?と言うよりは、泥かき作業に行って
被災現場を見たり、被災者に声をかけたいというのが本当の気持ちなのだろう・・・。

今朝6時に玄関に行ってみると、既に150人ばかりが並んでいた。
コーヒーのいい香りがしている。練馬区ナンバーのキャンピングカーがいて、机の上に沸かした
コーヒーのポットが置いてあり、ボランティアのボランティアをやっていた。
私もコーヒーをよばれて話をした。受付が8時半だから、「7時頃からコーヒーを提供すればいいと
思っていたら、5時頃から人が集まって来たのでびっくりして大急ぎで沸かしました」と
コーヒー屋のおやじが話してくれた。
昨夜はカレー屋のカレーライスがボランティアへ炊き出しがあったそうだが、
私は食べそびれてしまった。
運転手に聞いた話だと、泥だし作業に行った家のおばあちゃんが、
「あなたも飲んで下さい」と缶コーヒーを差し出してくれた。
感謝の言葉を方言で縷々述べられたが、三重県の運転手には半分も
理解出来なかったそうだ。

ボランティア達の世界に浸っていると何だか涙腺が緩みっぱなしになってしまう。
ボランティア達の経験を聞くたびに、すぐウルウルとなってしまう。
洗い場で泥を落としているのだが、私の心もきれいに洗ってもらっている。

5月2日(月曜日)台風並みの強風
昨夜からずっと強風が吹き荒れていて、ボンゴフレンディがゆさゆさ揺れて何度か目が覚めた。
4時過ぎにはもう明るく、起き出してテント村にトイレを借りに行く。
突風で体がよろけるほどだ。風速10m/Secはパラの待機時間に経験はするのだが
それ以上の風なので、15mはあると思う。突風は20mか?
兎に角小型台風なみだ。
テントが10張り以上潰されている。洗い場に来てくれているK嬢の話だと、
彼女も中央公民館に避難したそうだ。

車に帰ると山梨ナンバーの4,50代の男性が鼻水をたらしながら、「昨夜は酷い目にあいました。
寒くて寝られず、今日で3日目なんですがもう体が持ちそうにないです」と言っていた。
車で30分位仮眠していたが、6時には起き出して、行列に加わりに行った。

昨日洗い場で手伝ってくれた人が、8時半には、5人が直接来てくれた。
9時頃からトラックへ資材の積み込みがある。昼前には全員が帰って来るので長靴洗いが忙しい。
資材も2割位が帰ってくるので洗わないといけない。

バスが出かける時と帰ってくる時には、女性スタッフ達が手を振る事にしている。

午後は4時過ぎから一斉にボランティア達も、資材も帰ってくる。
長靴洗いの行列は3列なのだが、1列に20人以上並ぶと10分以上待たせることになる。
私物のシャベルは先に受け取って洗って、所定の所に並べておき、
長靴を洗い終わる頃には洗い終わっていて持ち帰ることが出来る。
昨日、一輪車が20台寄付されてきた。
今日はシャベルやフォークもすべて出払ったので洗い場は戦場のようである。
一輪車の車輪にへばりついた泥を水をかけながらたわしでごしごし落とす。
一台3分間弱で洗っている。
一輪車を運ぶ者、シャベルを運ぶ者、バケツで水を運ぶ者、全員走っている。
誰も手を休める者はいない。

60代の3人はホースを持って水入れ作業。私は後で見ているだけ。
手薄な所に駆けつける程度。誰も指図したわけでもないのに、全員走り回っている。
皆さんの熱い気持ちがほとばしっている。


誰も指示を仰ぎに来ない。先輩の作業を見ながら目一杯走り回っている。
全車帰ってきたと思ったので、挨拶して解散したら、一輪車が10台以上と、シャベルなどが
50本も帰ってきた。
高圧洗浄機を大急ぎで組み立て、まだ残っていたスタッフ4人と
運転ボランティア3人とで、資材洗いをした。
ふぅ〜!!!!

今日はあんまさんに行ってないので名取市のスーパー銭湯に行く。
3割位はボランティア達が入っているようだ。
夕食は名取市で食べようとよく見ながら運転したのだが、入りたい処がなかった。
CoCo一番館の看板が見えたので、カレーでも食べようと入ってみた。
テーブルに座ると、ラミネートされた広告の「ボランティ」という文字が目に飛び込んできた。
「ボランティアの皆様にはボランティア保険証を提示してもらえば、1000円までの
商品は無料にさせていただきます」とあった。

自己完結型でカップラーメンなどを持って来ているのだが、こちらで食事をするのも
ボランティアの一環と思い、外食をしてきた。
その外食先からボランティアをうけようとは・・・。
全国ネットなので余力はあるとおもうが、心にくい配慮もするCoCo一番である。

そういえば3日前に、カレーの炊き出しをしていてくれたようだ。「私は食べ損ねたが」
今日の昼はうどん屋さんが、炊き出しをしてくれていた。これも食べ損ねたが・・・・。

ボランティアへのボランティアも、沢山行われている。
5月3日(火曜日)今日は700人!!
5時に起きてテント村のトイレに行った。
皆さんもう起き出していて、顔を洗ったり食事をしたりしている。
テントの中からゴホゴホと咳の声があちこちでしている。公園の温度計は9℃を表示している。
アウトドアー派の人達も連日の泥出し作業の疲れや、明け方の寒さで体調を崩す人も多い様だ。
5時半に玄関に寄ってみると、既に百人以上は並んでいた。
8時半の受付まで3時間も並んでいる辛抱強く熱い人達だ。
後からスタッフに聞いたら、今日は700人来てくれたそうだ。

被災者達に配る救援物資の仕分け作業なども増えてきたようだ。

今日はずっと一緒にいる山口県のS夫妻は、被災者達へのおしるこ炊き出しに行った。
ある地域の避難所は民家のような公民館で、一日ニ食(パン食など)で久しぶりに
温かいものを食べたと言っておられたそうだ。
2ケ月もたつのに避難所暮らしの人々にとって一家団欒の食事とは程遠い状態である。
一時も早い仮設住宅への入居が望まれる。

8時に洗い場に出勤し、シャッターを開けて高圧洗浄機などの段取りをする。
8時半過ぎには昨日作業してくれた5名が来てくれた。
運転ボランティア達が「○○邸一輪車2台、角スコップ3本、丸スコップ2本」と
指示するので昨日洗った資材を倉庫から取り出す作業のお手伝い。
当然他の運転ボランティア達も手伝って呉れる。
1時間くらいの間に200人以上が使う資材をトラックに積み込んでいくので忙しい。
マイクロバスで出かけるボランティア達を笑顔で手を振って送り出すのは、女性スタッフの役割だ。
11時過ぎになると作業を終えた人達がどんどん帰って来るので、長靴の洗浄が忙しくなる。
12時半頃まで帰ってくる。13時には午後の部が出発し始めるので資材の積み込みも少しはある。
 (殆どが一日中の作業なので現場に置いてある)
16時過ぎになると人間も資材も一緒に帰ってくるので洗い場は戦場のようなあわただしさになる。
前日に作業した人達が今日の新人の指導をしてくれるので、私の仕事は殆どない。
車の交通整理や皆さんへの声かけ程度で楽をさせてもらっている。
1ケ月くらい前にボランティアに入った他県の社会協議会の人が「高圧洗浄機も入って素晴しく
システマティックのなっていますね。私達が来た時には脱いだ長靴をブラシで洗っていたので
すごく時間がかかりました」と感心しながら写真を撮っていた。

祝日なのでマッサージ屋さんは休みだ。今日も名取市のスーパー銭湯に行く。
腰の痛みはとれない。
5月4日(水曜日)ベテランさん達は明日まで
高圧洗浄機を担当している女性も、スコップや一輪車を担当している男性も明日が
最後だと言っていた。
後継者を是非育てておいて下さいと頼んだら、当然考えているようだった。
作業手順を毎日改良し、朝のミーティイングで皆さんに伝えていく。
私は車輪を廻し始めただけで、後は皆さんが知恵を出し合ってより良い作業手順を
構築してくれている。

洗い場の責任者は地元のボランティアの人で、すごく遠慮深い人で、皆さんに気を使いすぎる。
私は県外ボランティアに長時間(10時間)の作業であろうともどんどんお願いを出している。
当然の様に皆さん寄ってたかって知恵を出し合い、新しい作業手順を構築し
ミーティングで伝えている。

口害(こうがい)や老害(ろうがい)と嫌われる前に老兵は去るべき?だろうなぁ〜・・・・。

私のガラスの腰もそろそろ限界かなぁ〜・・・・。

5月5日(木曜日)ボランティア激減
昨日は800名を越えるボランティア達が登録した。
仮設住宅への入居も一部始まりそちらの応援部隊も必要だ。
しかし人数が多く、泥かき作業は午前の部と午後の部に分け半日の作業で
兎に角皆さんに作業をしてもらうよう手配をしていたようだ。
今日は一転200人ばかりの登録だったようで、午前と午後一日作業をやってもらっても
ボランティアの数が足りず、本部スタッフ達も泥かき作業に動員されていた。
洗い場からも3人ほど応援に出す。
県外からのボランティアが大多数なので、明日は仕事日なのであろうから、
今日は帰宅移動日なので、人数が激減してしまった様だ。
辛抱強い地元被災者達も、隣りが泥かき作業をやってもらっているのを見て、
私の所も・・・と需要は倍増した様だ。
このところ雨は降っていないので、泥は固まって、角スコップでは、歯が立たない
状態になってきていて、作業は大変な様だ。
週末は人数が増えるといいのだが・・・・。

明日から高圧洗浄機のベテランI原さんと、資材洗いのベテランのG原さんが居なくなるのだが、
ちゃんと後輩に申し送りをしていてくれた。
地元の洗い場責任者のMさんは、「今日と明日は居ないので、稲垣さん、宜しく」と
頼まれてしまった。

実は、明日は温泉地に行って、ゆっくりしようかと思っていたのだが・・・・。
5月6日(金曜日)記念写真
数日間一緒に働いたボランティア達と友達になった。
ボランティアのボランティアの仕事で目立たない仕事であるが、バックヤードは大切な仕事である。
数日同じ仕事をしてきた仲間意識が生まれ、今日は皆で記念写真を撮った。
数日雨が降らないので、現地作業現場ではほこりが舞い、ヘドロのばい菌で喉をやられて
ガラガラ声になっている人が多くなった。
私も高圧洗浄機の霧を吸っているせいか、喉が枯れてきた。
月曜日には広島喜多会(謡曲の会)の総会があるので、帰ってくるように連絡があった。
実は役員を(会計)仰せつかっているので、帰らないわけにいかない。
明日午前中段取りをしておいて、帰途につこうと思う。

一昨年北海道一人旅をした時、仙台の幸楽苑というラーメン屋で食べた味が記憶に強かった。
幸楽苑は全国で428店舗を展開している。
その時は昭和29年創業当時のままの中華そばを食べたのだが、その味が印象的だった。
毎日外食なので注文を決めるのがめんどくさくなり、注文をとりに来た従業員に
「あなたの一番好きなものを注文するよ」とオーダーをする。
幸楽苑においては、初日は坦々麺を出してくれた。
2日目は一昨年の230円の中華そばを思い出し注文した。
これはつるつる、シコシコ麺で、醤油味であっさり味なのだが、深い味わいである。
昭和29年から変えてないという理由のわかる中華そばであった。

今夜も女性従業員に「あなたが一番好きなメニューは?」と質問すると
「中華そばです」と答えた。
幸楽苑の一番の誇りの中華そば230円と答えたのである。
従業員が注文をとるには、230円は可愛そうだと思ったので、ぎょうざも追加注文した。

ここの価格表示、中華そば230円は、本体価格で11円が消費税である。
241円も『』で表示してあえう。殆どの店は税込み250円で販売するはずであるが、
幸楽苑のオーナーは、本体価格230円と消費税11円の価格設定をしている。
オーナーの反骨精神とお客さんへのサービス精神が見えてうれしい。


5月7日(土曜日)盛大なるお見送り
7時半過ぎに倉庫に行きシャッターを開ける。
昨夜スタッフベストは返却をしておいた。
その時、現地スタッフが「新聞に出てましたが、岩沼市に来ているボランティアで
広島から来ている人が一番多いそうです」と報告してくれた。
周りに居る人からも広島県人というだけで私が尊敬のまなざしで見てもらった。

8時には5名ばかり集合して一輪車やスコップ類を外に出す。
スコップやフォークは5本ずつの山にしておく。
「角スコ12本!」といわれてても2山と2本出せばすぐ分かる。
皆が寄ってたかって仕事の段取りを考えてくれている。
11時ごろから朝一番のグループが帰ってくる。
10時ごろ資材の出荷も終わり、山口のS原さんが「稲垣さんを盛大に
お見送りしてあげるよ」と言われるので、ボンゴを引っ張ってきた。
皆さんで記念写真を撮り、みんなに手を振ってもらい出発した。
洗い場はボランティアの裏方仕事ではあったが、皆さん熱い心の持ち主だった。
パラグライダーの名詞を渡し、メールくださいとおねがいしておいた。
いい仲間の輪が広がると嬉しいなあ・・・
毎朝ボランティアに出かける人を洗い場の主に女性達が手を振って見送っている。
今度は私が皆さんに手を振ってもらった。嬉しい!!!

毎晩スーパー銭湯に行っているのだが疲れが取れない。
やはり温泉に浸かって帰りたい。
地図を見ると白石市の奥に鎌先温泉があった。
高速に乗らず下道で鎌先温泉に行った。
山間の5〜6軒の小さな温泉地であった。
30分ぐらいじっくり入って汗が噴出した。
何となく体が軽くなったような気がする。
白石ICに13時ごろ乗り込む。
快調に飛ばして広島に帰っていると、”飛びたい病”の熱がだんだん
昂じて来て「明日昼から1本飛ぼうかな・・」という気が起きてきた。
昼飯や夕飯やトイレ休憩だけで午前1時に帰宅してしまった。
そんなわけで今日は神の倉に行ってみるぞ!!
5月8日(日曜日)早速神の倉へ海抜1600m・1時間半
洗い場の皆さんに見送ってもらい、岩沼市を昨日10時半に出発。
途中白石市の鎌先温泉に入りに行く。
13時白石ICに乗り込み、途中福井県では土砂降りであったが順調に走る。
広島が近くなるにつけ、「飛びたい病」の熱が上がり始めてきた。
本日午前1時には我家に到着してしまった。
テンション上がりっぱなしだったので午前7時には目が覚めてしまった。
車から布団や持参した物を降ろし、パラ仕様にして11頃神の倉に出かける。

到着したら皆さん風待ちでMLにいて、「ご苦労様!お疲れさまでした!」と
声をかけてもらった。
MLは南風に変ったようなので、私は是枝号にて神の倉に上げてもらう。
神の倉TOは北風がメインで入ってくるが、時々西からも入ってくる。
サーマルブローは活発化しているようだ。
西向きテイクオフより12時25分テイクオフ。
鉄塔下でコネコネして海抜700m上がってリフト外した。
もう一度先ほどのリフト帯に戻り海抜850m上がったので、北の鉄塔目指したが
ヘアピン沖でどんどん下がってしまった。
海抜700mまで下がったが、伐採帯に戻ると3m/Secで上がり始めた。
調子よく上がりながら(海抜1070m)有留上空まで来た時なにか荒れ気味だ。
東に向いたとき56Km/hになり、ターンして北に向けたら4Km/hになった。
なんだか嫌な空域にはまり込んだなあと思っていると
いきなりガバッとキャノピーは右1割を残して全損!!
旋回には入らず、少し右を当てていたら徐々に直ってくれた。ヤレヤレ・・・
是枝さんに上空からしっかり観察されていたようだ。
50mばかり高度を失って先ほどのリフト帯に戻る。
ヘアピンカーブ沖でもう一度揚げなおし海抜1600mまで揚がる。
北の鉄塔を目指したが下がる一方で海抜730mまで下がる。
神の倉鉄塔に戻りもう一度上げ返す。
沖に移動しながら旋回し上げていると、帯状にリフト帯がある事に気が付いた。
テイクオフ上空を西から東に偏流で流しても揚がっていく。
海抜1300mあたりで、海風と北風のシアー帯に入ったようだ。
海抜1600mに揚がっていった。
手練者たちは皿に上げて海抜2000mに上げていった。
南屏風に移動したら海抜700mまで下がったが、良いリフトがあり海抜1100mまで回復。
トイレに行きたくなったのでトップラン敢行。
1時間半のフライト。
しばらくしてもう一度テイクオフし、小一時飛んだ。
連休中飛んでなかったのでこれでスッキリした。
5月初旬 岩沼市ボランティア雑感
東日本大震災の被害の深刻さや被災者達の苦しみ・・・
そんな中でも助け合って立ち向かう人々やボランティアの活動・・・
テレビや新聞で報道されてはいるが、やはり現地で触れてみないと
分からない事も多い。

いろいろ書きたい事はあるがひとつだけ・・・
岩沼市にいた小2週間は私にとって素晴しい時空であった。
何かをしなければ!という熱い人達に囲まれていた。
4月26日にボランティア受付する時連休中居て、資材洗いをしますと言ったら
スタッフ用のグリーンのベストを貸与してくれた。
4〜5日も居たら長期ボランティアのようだ。
そんなわけでずっと裏方の仕事をしていた。

そんな裏方を一所懸命努めてくれた人達・・・・

S籐さん(男性60代)は岩沼の方で勤めていた老人ホームが破壊され、ここのIプラザに老人達が
一時避難されたのだが、そのままとどまって資材洗い場のボランティアされている。
自宅は一階が壊されてしまったので自宅の復旧見込みなし。
車が3台とも流され、2台はまだローンが残っているそうだ。
「津波から一週間目に自宅から貴金属や着物類をごっそり持っていかれました。
そんなに早く窃盗団が来るとは・・・」と寂しそうに笑っていらっしゃった。
そんな状況にもかかわらず全国からボランティアさんが来てくれるのでと
誰からも頼まれていないのに裏方の仕事をしておられる。
現地スタッフの中でも殆どの人がS籐さんを知らないようであった。
パンク修理や資材の管理などS藤さんで無いと分からないことが多い。

M内さん(男性30代?)は地元の人で現在失職中だが全国からボランティア達が
駆けつけてくれるので捨てては置けず洗い場の責任者をやっている。
すごく遠慮する人でバケツで水を運んでも「ありがとう」である。
「皆ボランティアなのでどんどん仕事を言いつければいいんだよ!」と言うのだが・・・
連休中は私も慣れたので「稲垣さん、お金がなくなってきたので2〜3日
アルバイトに行ってきます。宜しくお願いします」と言われた。
「自分の生活があってのボランティアなので皆さんに任せればいいんです!!」と言ったのだが・・
ボランティア達の意気に感じ自分も頑張ろうとする姿に胸が締めつけられる。

O越さん(男性30代)は初日から出会った資材運びの運転ボランティア。
明るく大きな声で確認したり、資材積み込みではいつも走っていた。
設備工事の仕事は下請けの職人さんに指示して、トラック持込で
群馬からボランティアに駆けつけていた。
彼がこのバックヤードのムードメーカーの一人であった。
長期の運転ボランティアさんも4名ばかりいて洗い場も手伝ってくれた。

S原夫妻は山口県の人で今回は2度目のボランティアといっていた。
奥さんは保健婦や大学の教員も勤められていた。
洗い場に来られた初日にゴム手袋を裏返して洗濯機で洗い始めた。
ゴム手袋は貸与する物だが中が臭かった。
不衛生です!と皆さんを動員してゴム手袋を裏返す。さすが保健婦さん!
ご主人は私と同い年まわりで、ながく電気屋さんをしておられた。
電気や技術的はお手のもので洗濯機の不調や一輪車のパンク修理など
修理部門は年寄りの担当だ。人手の足りない所をバックアップしtらっしゃる。

K山さん(女性)は若いのに戦略的に物事が見え老成している人だった。
高圧洗浄機で長靴洗いの仕事は女性に全てお願いしたのに、
男性と同じ様に裏方の資材洗いに徹していた。
手薄な所にいち早く気が付き皆さんのバックアップに徹していた。
新人さんには洗い方のレクチャーを積極的にしてくれた。
資材の洗い方や洗濯やゴミ問題など等どんどん改善改良していった。
マスコットガールのかなちゃんが泣いていた時、一時間ばかりかけて慰めていた。

I原さん(女性)は高圧洗浄機で長靴を洗う手順をアニメにしてくれた。
可愛い絵が出来、コピーしてダンボールに貼り付けた。(写真)
マイクロバスのなかで皆さんに読んで貰っておけば、長靴洗いがスムースに運ぶ。
連休始めの頃、別の女性が長靴洗いの手順は靴底から洗った方が良いと提案した。

OG原さん(男性)はS県の社会福祉協議会の人で今回は個人の資格で参加した。
社会福祉協議会の人ならばボランティアセンター本部に派遣され役割があるはずである。
敢て一兵卒として参加され、社会福祉協議会の人間だとは誰にも明かさなかった。
最後の日に名刺を渡し、メモ書きを貰ったら社会福祉協議会の人だった。
様々な改良点をどしどし実行されていた。
新人さんへのレクチャーで洗い場の仕事も大切だと強調してもらった。
お陰で次の日も洗い場を手伝いますと言う人も現れ、朝8時から来てもらえた。

I上さん(男性)は岡山県の人だった。
S原さんと中国地方3人組だったのですぐに仲良くなった。
連休も終わりに近くなり、洗い場の人も少なくなってきた時だった。
朝は資材積み込みを手伝い、昼は現場に出かけ、夕方は資材洗いと
八面六臂の活躍をしてもらった。

マイクロバスの運転ボランティアから「皆さんが現場に出かけるとき”行ってらっしゃーい!”と
見送ってもらうと皆さん元気が出るよ」と提案があった。
早速女性達を中心に見送り隊が編成される。
洗い場のマスコットガールの大学2年のかなちゃんと高校2年のミューちゃんは
ゴムまりのように飛び跳ねて見送りしてくれる。
二人共長靴洗いでも「お疲れさまあ〜」と可愛い笑顔を提供してくれた。

名前を控えてなかったので書き切れないが、もくもくと作業をこなす人達も
心は同じ様に熱く燃えていた。
皆で寄ってたかって作業手順が完成されていった。
岩沼市のボランティア達の世界は私にとってユートピアであった。
何事も皆の為という熱い心、命令された仕事でなく皆が勝手に仕上げていく。
今思い出しても心はホクホクしてくる。
素晴しい出会いのボランティアさん達であったなあ・・・


東日本大震災で思ったこと
../inagakiita/11_3_gatu.htm#11_3_13

ボランティアのいきさつ
../inagakiita/11_4_gatu.htm#11_4_23



 暇な時記念写真。もっとたくさんの人達と出会ったのだが・・ I原さんが可愛いポスターを作ってくれた 中国地方リタイヤ3人組。すぐに仲良くなった 

 貸し出し用の軍手、ゴム手袋、マスクのコーナーを作った。今回は現代女性達のパワーをしっかり認識させてもらった 群馬のO越さんと本部の女性と  

 全ての都道府県からボランティア達が来てくれた お店も様々ボランティアしてくれた。1000円まで無料のカレー
5月13日(金曜日)午前
月に一度、刑務所の受刑者達に謡曲を教えに行っている。
今日も仲間3名で教えに行ったのであるが・・・
刑務所内でも日曜日はテレビが見ることが出来るようで
「先生!テレビで見ましたよ!!」と嬉しそうに報告してくれた。
5月8日のRCCテレビ「元就」に法正寺の泉原龍見さんが出演されていたのだった。
自分達の先生がいきなりテレビに出たので驚いたのだろう。
「あさっては無所帰りという事で私が空から登場するから・・・」というと皆さんから大うけであった。
(はしゃぎすぎたので刑務官はちょっと渋い顔をしていたが)
バトンタッチで次は私の出演なのだが、「刑務所で・・・」のナレーションで終っている。
どんな風に編集しているのか楽しみである。(5月15日のRCCテレビ「元就」)
次に紹介した人は神の倉の関係者です。
5月13日(金曜日)午後
午後3時から博か喜多会の副会長の久保田氏と長老の久村氏とで
作り物の搬入と能舞台の設営の下見に護国神社に行く。
前回の屋外能舞台に比べすばらしい舞台に仕上がっていた。
「広島蝋燭薪能」は今年から中国新聞社との共催になった。
中国新聞社も宣伝に力を入れてくれ夕刊を含めて10回ばかり広告を打ってくれた。
14日の結婚式の申し込みがあり、能舞台を設営するのでお断りしたら
ぜひ能舞台で結婚式をしたいということになったそうだ。
明日は恐らく日本で始めて能舞台での結婚式が二組の執り行われる。
5月16日はまだ若干の席が残っていますので当日券があります。

当日はかがり火を4基と40基の和蝋燭に火入れします。
蝋燭を500円で販売し、紙コップに水を入れ浮かべ献灯します。
数多くの蝋燭が石段に並ぶと美しいだろうなあ・・
東日本大震災復興支援として、売り上げは全て義援金として送ります。

 舞台、橋掛かり、鏡の間も立派に出来た 能舞台の結婚式飾りつけ 巫女さんも立ち会っていた