2010年10月 東北ホームレスの旅   
10月12日(火曜日)           10月29日更新
ETC休日割引利用の為11日にボンゴを奥谷PAに置いておく。
12日夜7時松代玲子さんに奥谷PAまで送ってもらう。
奥谷PAを夜7時半に出発
滋賀県草津PAにて車中泊。
10月13日(水曜日)
草津PAを朝6時過ぎ出発。
名神高速から北陸道を走り、磐越自動車道に入り郡山を経て東北自動車道にはいる。
前沢SAにて前沢牛の焼肉定食(2500円也)を食べる。
このまま東北自動車道を走ったのではつなぎ温泉に早く入ってしまう。
一日あるので田沢湖を廻るとしよう。
夕食後秋田道に入り錦秋湖SAにて車中泊。
10月14日(木曜日)
7時起床して、錦秋湖SAレストランで稲庭うどんを注文。
そうめんのように細かったが腰はあり旨かった。
食後、錦秋湖SA付属の遊歩道があったので歩いてみると、そこはクリ園だった。
「ご自由に採ってください。お一人1Kgにしましょう」と看板が出ていた。
1haもあろうかと思われる広さで、イガグリが沢山落ちている。
嫁さんは車にビニール袋を取りに行った。
大きな栗の実で、8時過ぎごろ(日が射し始めると)からはボトボトと音が聞こえ始めた。
はじけた栗のイガから実が落ちてくる音だった。
栗の実がボトボト落ちてくる中採集するなんて初めての経験だ!!
実りの秋を目だけでなく、耳で実感するなんて・・・
秋の実りに身を浸しているようで、すごく豊な気分である。
縄文時代の人達もこんな気分で採集していたのだろうなあ・・・

 錦秋湖SA付属の遊歩道 1haもあろうかと思われる広さのクリ園 大きくて立派な栗だった

8時半に出発し、大曲ICで初めて高速道を出る。当然2100円也!
ICを出てすぐ岩倉温泉の看板が目に入ったので
朝風呂に入るためハンドルを切る。
10Kmくらい走ると岩倉温泉はあった。
1軒宿で小さな川のほとりにひっそり立っていた。
風呂に入れてもらえるか、嫁さんが聞きに行く。
歳を重ねた品の良い女将が「お一人400円でございます」と答えてくれたそうだ。
早速、支度をして玄関に入ると若女将が風呂まで案内してくれた。
玄関から見える所に有るのだが一緒に歩いて案内してくれた。
全7室の小さな宿である。
たった800円の日帰り入浴客にも親切な対応であった。
「泉質は硫酸塩泉です」と若女将は教えてくれたが分析表は何処にも貼ってない。
江戸時代から続く温泉なので今更温泉分析表を貼りだす必要も無いという感じだ。
湯舟は3m×3mくらいで大きくは無い。
龍の湯口は形が分からないほど白い結晶で覆われていた。
男女洗い場の仕切りはガラスブロックで、人が近づくとぼんやりシルエットが映る。
なかなか風情があってよろしい!
風呂から出ると若女将が「温泉を飲まれましたか?」と聞いてきて
「胃腸に良いのでお持ちになりますか?」と言われるのでポットに入れてもらった。
宿はホテルや大型旅館より、小さな宿だけど心細やかに思いやりが届く方がほっとする。
岩倉温泉は「秘湯を守る会」会員であった。
ちなみに若女将は色白の秋田美人であった。

   

二日分の垢を落としてすっきりしたので、一路田沢湖に向う。
田沢湖湖畔の茶店で、稲庭うどんといぶりがっこを買い求めた。
採れたての、きのこ類(なめこ、こうたけなど)やアケビやマタタビなど
山の幸を沢山売っていた。
懐かしいのでアケビを2ケ買って食べてみる。
私の子どもの頃は甘い物を買って食べれる時代ではなかった。
子どもにとっては贅沢なことで、おやつはもっぱらふかし芋だった。
アケビや松グミや桑の実や木苺など山の幸が甘くて感動したものだが
今回アケビを食べてみてガックリ!!
ほんのり甘いだけで、子どもの頃争って食べた記憶は何だったのだろう・・・・
甘い物の無かった時代は、ほんのり甘くても強烈に甘かったのであろう。
そういえば、「イナゴの佃煮」や「蜂の子」も美味しいと思って食べた。
私の子ども時代は甘い物や蛋白質が圧倒的に不足していた。
以前、テレビでチンパージンの一種のボノボが別種の猿を襲って食べるシーンがあった。
未開の人々が芋虫をよろこんで食べるシーンも見た。
私の子ども時代「足長蜂の子」を生で食べたのだが、美味しい!と思った記憶がある。
生臭くて、今はとても食べられないと思うが・・・
栄養分が不足すると、本能的に体が欲する物だと言う体験が私にはある!
現代日本に生活している子ども達には想像もつかないことだと思うが・・・

田沢湖を半周して、乳頭温泉を目指す。
乳頭温泉の孫六温泉は謡曲の先輩から秘湯で良かったと聞いていたので予定をしていた。
先に田沢湖から紅葉の可能性を求め、高度の高い駒が岳を目指す。
駒が岳8合目への道路があり、春の土日祝日と夏の毎日はバスしか通れない。
今はシーズンオフなので自家用車で上がれる。
一車線でカーブの多い道であった。

 乳頭温泉へ向う 紅葉は枯葉が目立つ 駒ケ岳8合目の駐車場 

紅葉を期待したのであったが、ブナ類は黄色から直ぐ茶色になっており汚い感じだ。
標高1300mに八合目の駐車場はあった。1時ごろ到着。
20台ばかりの車があり、登山者がボチボチ降りてきた。
長袖シャツ一枚では寒いので早々に退散。

 田沢湖 駒が岳8合目の駐車場

乳頭温泉は黒湯と孫六と共同の駐車場で、谷底へ10分ばかり下ったところにある。
謡曲の先輩に聞いていた孫六に向う。
谷川の流れるそばにあり古い湯治客専門の宿のようだ。
湯場は5箇所ばかり有り混浴の露天風呂もあるが、小屋がけの湯に入る。
殆どの人は露天風呂に入るので小屋は私達専用であった。
カランも無い湯舟だけの風呂場で、床に寝転がり湯をかけながら過ごす。
まさに、かけ流しの湯で過ごした。(ここは混浴ではないですよ!)
他の客が居れば出来ない事であった。

 鄙びた孫六温泉 この小屋の湯舟に入った

今夜は何処で車中泊しようかと考え、とりあえず田沢湖まで下がる。
未だ3時半なので玉川温泉に向う。
玉川温泉も新玉川温泉も駐車場管理が厳しくて、車中泊で潜り込む事は出来ない。
新玉川温泉の近くに空き地があり10台ばかりとまっていた。
開いている場所に止めさせてもらい、隣の車の人に挨拶。
ここに居る人は長期の湯治客だそうだ。
玉川温泉は湯治客がいっぱいで泊まるのが難しいらしい。
車中泊なら安く上がるので結構多いらしい。
隣りの湯治客は竹越さんで、3年目だと言っていた。
肺がんを医者から宣告され、手術や抗がん剤を拒否し玉川温泉にすがったようだ。
最初は、朝15分を2回夕方15分を2回入り、慣れるに従い時間を延ばすそうだ。
1週間もすると悪い箇所近くに発疹が出てきてPH1,1の湯に入ると
滲みて涙が出るそうだ。それでも我慢して入り続ける。
2週間玉川温泉に入り、医者に定期検査に行くと数値が下がっていたそうだ。
直ぐに手術や抗がん剤の治療はやめて、様子を見ましょうという事になったそうだ。
半年後にはMRIに肺がんは映らなくなったそうだ。
医者が不思議がって、「他の医者に掛かったのか?」ときかれたそうだ。
それから3年間、1年に2度湯治に来ている。
タバコを吸いながら、それは真剣に話をしてくれた。(なんじゃそれは!)

夕方7時までに入れればよいと言うので連れて行ってもらうことにした。
お湯を沸かしてカップラーメンを食べる。
真っ暗になったので懐中電灯を持ち竹越さんに同道する。
暗い山道を20分くらい歩き玉川温泉に行く。
熊も出ると言うので大声で話しながら歩く。
玉川温泉は湯治客ばかりのようで皆さん真剣な顔つきだ。
私達の様な物見遊山の者が入っていいのかなと思ってしまう。
竹越さんと一緒に入り、入り方のレクチャーを受ける。
私の皮膚には変化は無かったが、嫁さんは首周りが発疹した。
明日朝も入って、体の悪い所を捜そうかな・・・
10月15日(金曜日)               10月31日更新
7時起床。
昨夜は雷が鳴り、大雨で車の屋根をたたき、うるさくて眠れなかったがわくわくする。
キャンプに行って、テントを叩く雨の音を聞くのもわくわくするのである。
昔、父親と一緒に木桶の風呂に入りながら、トタン屋根の雨音を聞いた。
大雨でも自分が守られた空間に居ることの安心感と、
大雨よ!さあ来い!と言ったような高揚感・・・・
そんな気分で私はわくわくするのである。
嫁さんは惨めったらしい気分になるので嫌なようだが・・・
今朝も雨は降り続いている。

8時になったので、隣りの竹越さんにお別れの挨拶をし新玉川温泉に朝風呂に行く。
新玉川温泉は観光バスも止まっていて観光客も多そうだ。
建物は鉄筋コンクリートで玉川温泉の木造とは大違いだ。
温泉の建物は玉川温泉と同じ木造だった。
HP1,1の温泉では金属は勿論コンクリートもボロボロにしてしまうので木造しか無理なのだ。

100%の湯舟に入っていると、がっしりとした体躯で背中から胸にかけて
入れ墨の入った親分風の男が私の対面に入ってきた。
入れ墨は、毎月刑務所の二重の鉄格子の中に行くので見慣れている。
実は、3年前から篤志面接員として毎月吉島刑務所に行っている。
謡曲の仲間3人と謡曲を教えに行っているのだ。
受刑者の殆どが二の腕から膝まで全身にモンモンが入っている。
夏は半袖半ズボンなので良く分かるのである。
普通の人でも謡曲を習いたい人は数少ない。
刑務所で謡曲を習いたい受刑者が居るとは思えなかったが
多い時には8名の参加があった。
何か習い事をするにも色々厳しいチェックの上、許された者だけが受講できるのだ。
現在まで途切れることなく続いている。
長くても一年位しか教えることが出来ない。(出所が近い者が受講できる)
そんな訳でモンモンは見慣れているのでビビリはない。
”親分さん”の観察をすると神妙な顔つきで湯に使っている。
あたりを睥睨する様子は見えない。
この”親分さん”も病気に打ち勝ち、助かりたいのであろう。

9時過ぎ近くの玉川温泉ビジターセンターに立ち寄り、玉川温泉の成り立ちの
パネルやビデオを見て一時間ばかり過ごす。
今日は雨が降っているので車を降りての散策は出来ない。
一昨年立ち寄った湿原もチラッと眺めただけでスルー。
八幡平に入って行くが、ブナ林は黄色に染まるはずが、茶色に枯れた葉が多い。
今年の異常気象で紅葉する間も無く枯葉になったのだろう。
八幡平大沼の茶店で、なめこうどんと舞茸うどんを注文し沼を眺めながら昼食。
「稲垣君・・」と声が聞こえた。振り返ると今夜のクラス会に出席の松居夫妻だった。
うどんを食べた時間は10分間ばかりだったのに、まさにピンポイントの出会いであった。
盛岡でレンターカーを借り、八幡平の紅葉を楽しみに来たようだ。
今夜の再会を言い合って分かれる。

 八幡平大沼の草もみじ 大沼湖畔 八幡平ビジネスセンターは前回よく見た

八幡平アスピーデラインを下って行くと森林限界を過ぎ、紅葉樹林帯に入ってきた。
こちらは茶色の枯葉は幾分少なく、緑の常緑樹と混在しコントラストが美しい。

 紅葉は緑が混じっているのが良い 白樺の白い幹のコントラストも良い 赤が混じるのが最高

盛岡市郊外の「岩手の手造り村」に立ち寄ってみる。
昔の駄菓子や家具や南部鉄瓶などの工房もあり、製造過程を見せて販売している。

4時半につなぎ温泉の「紫苑」に到着。
受付をしてもらい夫婦ものは一部屋をあてがわれる。
早速ホテルの大浴場に浸る。
広々としたプールのような大浴槽では、源泉掛け流しとは行かない。
循環させているようで少しカルキのにおいがした。
何はともあれ手足を目いっぱい伸ばして小一時間入る。
宴会は6時半からで200名ばかり入れる大広間を我々だけで貸切だ。
夫婦者5組で総勢22名のクラス会である。
乾杯の後に昨年なくなった松森さんに1分間の黙祷をささげる。
皆、前期高齢者年齢を過ぎるのでわが身につまされるので
ビールで喉を潤し、一人一人の近況報告をする。
出席者の1/3はフルタイムでないが仕事をしている。
リタイア生活はさすが農学部なので、家庭菜園に勤しんでいる人が半分くらい居た。
旅行、絵画、スポーツなどの趣味に生きている人も居る。
皆さんなかなかの老後生活を過ごしているように思う。
私もパラグライダーや現在進行形のホームレス旅行
留学生のホームステイなどのことを話す。
幹事の窪田さんが名簿の近況欄に私のHPアドレスを記入していてくれた。
「詳しくは私のHPを見てください」ということで嫁さんにマイクを渡す。
嫁さんは「3回目の出席なので皆さんとお会いするのが楽しみです」と挨拶していた。
我がクラス会は2年に一度持ち回りでやっているので
リタイアしてからは夫婦で参加させてもらっている。
大学は木偏で仕事は金偏だった私は農業関係のニュースには敏感となり
特に最先端農業技術には関心が向う。
専門分野の奴を捕まえて質問するのも大変楽しい時間だ。
2時間の宴会はあっという間に終わり、一人参加の部屋に集まり
3時間ばかり大騒ぎで話がはずむ。
前期高齢者年齢を過ぎても同級生が集まれば、学生時代にスーッと帰れるのが嬉しい。
前期高齢者年齢を過ぎて、2年毎に命あって会えることが嬉しくなっている。
現に、集まってくる同級生も5名ばかり癌を患っている。
出来るだけ長くクラス会が続く事を願うばかりだ。
10月16日(土曜日)                      11月2日更新
狭い車中と違い広々した部屋をあてがわれたので8時ごろまでゆっくり寝てしまった。
クラスメイトはホテルの送迎車で送ってもらうため早目の朝食だったようで
食堂では誰にも会えず廊下ですれ違った数人と別れを言っただけとなった。
昨日の玉川温泉の強烈な湯が効いたのか、旅の疲れが出たのか
朝風呂に入る気がしなかった。
出発の為嫁さんは車の片付けをするというので、ロビーで日記を書く。
送迎車に乗る前湖畔を散策してきたという松居夫妻に会った。
今回のクラス会の最初と最後に出会った事になる。

車を走らせる前に、3年前パラグライダー川地塾で北海道で一緒だった平泉の千田さんに
岩手県のフライトエリア情報を教えてもらうため電話した。
千田さんが仲間に聞いてくれ、遠野エリアでミニ大会をしているという情報をもらった。
1回目の北海道旅行の時、「民話の里」遠野は立ち寄った。
パラグライダーが飛べるのならと遠野に向け出発。
途中、道の駅「紫波」のフルーツ産直センターに立ち寄る。
店内は多くの人でごった返している。
カウンターにはカートにリンゴやブドウの箱を2〜3箱積んだ人が並んでいる。
地元の人がこんなに行列をなして買っているにはそれだけの
理由があるのだろうと判断して買う気になった。
果物生産者が寄り集まって店の経営もしているようだ。
店に並んだものを買ったのでは、帰るまで10日もあるので後日送ってもらうことにする。
荷造りのおじさんに声を掛け、10月27日に到着するように送って欲しいと頼む。
自分の作ったリンゴでよければ送りますという。
ジョナゴールと彩香姫と紅玉を送ってもらうことにした。
送るリンゴの箱に請求書を入れておくので、到着したらお金を送ってくださいとの事。
見ず知らずの人に物を先送り出来る日本は、まだまだ捨てた物じゃあない!!
NHKの「クールジャパン」でも、是非取り上げてもらいたいテーマだ。
「わが国では絶対無理!!」と、きっと外国人は腰を抜かすだろう!
リンゴやブドウの100%果汁を一升瓶で売っていたので買い求める。
リンゴジュース680円、ブドウジュース1260円だった。
この店の売っている物の種類は少ない。
同じ種類を品質や金額を生産者が競っているようだ。
同じ種類のリンゴの箱があちこち山積みとなっている。もう箱がなくなったコーナーもある。
だから地元盛岡市の人達が押しかけるのだろう。
一切他から仕入れたものは並べていない!と胸を張っていた。
あれこれ品揃えしてお客さんの利便性を囲うのでなく、生産者同士が競う姿を
見せると言うのははじめてみた。
まがいもの産直センター(他所から仕入れて並べている)が多い中で
直球勝負の「紫波」産直センターはえらい!

13時前に遠野市街の中心にある駐車場に入る。
道を隔てて民話の「語り部館」がある。
13時から始まると言うので早速入館。(入館無料)
菊地玉さんが語り部だった。うん?3年前と同じ人だった!
東北弁が分かりにくいだろうとゆっくりしゃべってくれた。
95パーセントは理解できた。
かっぱ淵のかっぱと、「おしらさま」の民話だった。
「おしらさま」は大人用と子供用があり今回は子供用であった。
「遠野昔話村」は前回見たのでかっぱ淵に行ってみる。
テレビでよく観る風景だったので懐かしい感じがした。
麦藁帽子に作業服と長靴のおじさんが面白おかしく語ってくれる。
次から次にと観光客が来るのでおじさんはてんてこ舞いだ。
「お客さんが多いので短いバージョンでやります」と2分間ばかりで片付けている。
竹ざおから吊り下げられたきゅうりが川面を泳いでいた。

 河童狛犬の像はいろいろ有ったがこれが本物 本物を見たという人の再現河童。どうもメスだったようだ。 きゅうりは仕掛けられているがいつ食いつくやら・・・

道の駅「遠野風の丘」でパラグライダーエリアが何処か?インフォメーションで聞く。
「マップス」パラグライダースクールのチラシが置いてあった。
直ぐ近くの日影橋のたもとがショップだと教えてくれた。
行ってみると河川敷で立ち上げをしていた。
車を降りたむろしている人に挨拶。
にこにこして対応してくれたのが藤本さんだった。
鈴木校長にも挨拶。西風が強く今日は飛べなかったようだ。
夕方の風の落ちるのを待っても仕方ないので観光に切り替える。

近くの南部曲り屋の「千葉家」にいく。
映画「遠野物語」の撮影場所ともなった屋敷だ。
江戸時代に建てられた豪農の屋敷で165坪もの建坪だ。

遠野市街の北の「たかむろ水光園」に風呂に入りに行く。
天然温泉でなくトロン温泉であった。太陽蓄熱や発電でエコを謳っていた。

10月17日(日曜日)                     11月13日更新
8時半に「マップス」パラスクールの校長から電話をもらった。
昨日行った「千葉家」の駐車場で会いましょうという事になった。
続いて藤本さんからも電話をもらった。
集合場所に同行するので、昨日の河川敷で待ち合わせましょうと言ってくれた。
鈴木校長にその旨を告げ、河川敷に引き返す。
集合場所には30名ばかり集まってきた。
車の半分は宮城のナンバープレートだった。
ミニ大会する予定が風が悪くキャンセルになった模様。
9時過ぎに集合場所を出発。スクール車の後を付いて行く。
嫁さんは車を降ろさないといけないので道順をノートに書いている。
本当にランディング場にたどり着けるのか心配だ。
テイクオフへの道は殆どアスファルト舗装だ。
頂上は牧草地で、砂利道であった。
テイクオフ場はランディング場と間違うくらい広い牧草地だ。
10時過ぎにはジモピー達は次々とテイクオフして行った。
風は右45度くらいから、4〜5m/Secで入ってくる。
まだサーマルブローでないと思うので皆さんどんどんテイクオフする理由を
藤本さんに聞いてみた。
「昨日も飛べなかったし、風向きや強さがいつ悪くなるか分からないので・・・」と言う返答。
隣の県からも来ているので先ずは一本飛んでおこうということらしい。
私は一本飛んだら移動しようと思っているので、何とかいい飛びにしたいものだ。
ずっとジモピー達のフライトを観察。
次々テイクオフするもなかなか良いサーマルに恵まれずランディングに消えていく。
とうとう全員飛んでしまい、テイクオフディレクター2名だけになった。
飛んだ人達がもう一度上がって来ると思っていたのだが誰も上がってこない。

二人をいつまでも待たせるわけに行かないので、私もテイクオフ。
尾根沿いを下がりながら、斜面の木の葉のゆれを捜す。
揺れている梢を尻が擦るように斜面を磨くも上がらない。
とうとう尾根筋の最後のコブまで来てしまった。
地上150mくらいでバリオが弱くピッピと鳴き始めた。
斜面に近いので廻すわけにはいかないので、八の字で斜面を磨く。
少し上がって廻せるようになったので、右旋回したり左旋回しながらサーマルコア捜す。
ようやくサーマルに乗れたようなので少しタイとの廻す。
平野部からグランドサーマルが流れてくる来るのだろう。
上昇率は更に強くなって海抜1200mまで上がれた。
とりあえずテイクオフ上空に移動。
もう少し北上して山頂につけようとしたが、サーマルが上がってくるような
地形でもなさそうでそれ以上には上がらない。
西を向くとGPSは12Km/h位である。西風強風になって来ているようだ。
ビジターで裏山友の会では洒落にならないので、すぐにテイクオフ上空に戻る。
テイクオフは結構緩斜面で、前には木立がある。
強風だとテイクオフ場は乱流が発生し易いかも・・・
キャノピーの動きに神経を集中しながら高度を下げていく。
2度ばかり振って一番奥まった所にトップラン。
ギャラリーが嫁さん一人だったのが侘しい。
その日の最初上げとトップランして車を降ろすという私のパラ美学を
二つとも達成したので満足フライトだった。

まして、初飛びエリアでの達成なので言う事なしであった。
パラを畳んでいると鈴木校長や藤本さんなど10名近くが上がって来た。
今日はフライト一本でも大満足なので皆さんに挨拶して分かれる。
三陸海岸県道1号線を北上。
十府ケ浦食堂にて海鮮丼を食べる。
野田駅にて車中泊



遠野エリアのフライトのYOU TUBE

遠野エリアの皆さんNO1

遠野エリアの皆さんNO2





10月18日(月曜日)
野田のお店が開いたので朝飯に三百円のマッタケご飯を1パックづつ買い
ガスでお茶を沸かし十府ケ浦で朝飯を食べる。
県道一号線にて三陸海岸を八戸に向かって北上。
白浜海岸は細かい砂で海水浴場であった。砂浜を流れる小川で何かやっている青年がいた。
近寄って観察すると、百均で買ったような小さな十能で川底の砂を掬って、
これまた百均で買ったような植木鉢の白い底皿に砂を入れ、水の中で廻している。
四、五回廻すと皿の底にわずかに黒い砂鉄とキラキラ光る粒子のようなものが残る。
それを小さなポリバケツに移し変えていた。砂金ですか?と問うと家に帰って顕微鏡で観察しますとの返事。
本人はどうも真剣なようだ。キラキラの砂ツブならば砂金と思えるが、どう考えても雲母としか考えようがない。
今日は月曜日なので本人は休日ではないようだ。仕事をしていなくて本気で取り組んでいるのだろうか・・
金は1グラム3000円ぐらいだったはずなので、一日 3グラム取らないと日当にならない。
玩具のような道具で、本気で取り組んでいるようなので何だか心配。

種差海岸は広大な敷地に芝生を植えてあり、子供や犬が走り回り気持ちのいい所であった。
海岸線は岩礁で海水も透明で綺麗であった。
小さな入江に、流れてきた昆布が半乾きであったので食べてみる。
1ミリ位の厚みがあえい、噛んでみるとネバネバとして味も美味しかった。
長さ150センチ位のものを拾って車中の衣紋竿にかける。
車の中は磯の香でムンムンする。早く乾いてくれないかな・・

天然記念物のウミネコの棲息地、蕪島に寄ってみる。島といっても陸続きで島というより巨大岩という感じ。
巨大岩の上には蕪島神社が鎮座ましまして、商売に勤しんでいた。
神社裏の斜面が棲息地のようだがなんの説明もなし。

八戸を通り102号線を十和田湖奥入瀬ラインを走る。奥入瀬は低地のため、まだ紅葉には早かった。
ゴ−ルドラインを走り酸ケ湯温泉を目指す。
紅葉は始まっていたが、黄色の葉っぱはすぐに枯れ葉になりここもきたない感じだった。
酸ケ湯温泉は夕方五時半が日帰り客受け付けのリミットだった。
600円の入湯料金を払い大急ぎで大浴場に急ぐ。 入口には誰もおらず箱にチケットを入れるだけ。
ここは混浴なのだが「マナーの悪い人がいるため一部ついたてを作りました」と看板が出ていた。
本来的には大浴槽の右と左が男女の区別だけであった。女性客は少なく、ついたて内だけで入っといるようだ。
食事は青森市内まで出て讃岐うどんを食べ、道の駅浅虫温泉にて車中泊。
10月19日(火曜日)
道の駅、浅虫温泉は7時から入浴出来る。
8時に入浴。350円なり。湯舟で地元のおじいさんに声をかけられた。ずうずう弁は二割位しか理解できない。
なま返事をしていると、いくらでも話し掛けてくる。思い切って「広島から来ました」と言うとようやく静かになった。
私のしゃべっている事も二割位しか理解していないもよう。息子さんが広島にいる事だけが分かった。

クラス会の時に、山内丸山遺跡の事が話題になったので行ってみた。
建物も立派、遺跡群も東京ドームの七倍の広さだ。
以前阿呆なおやじが自分で隠した石器を発見したと嘘を言い、有名になってしまった。
5500年前から1500年間続いた集落で縄文土器をはじめ、夥しい遺物が出土している。
現在より2度気温が高くて、現在の青森市街は海の底だった。
北海道や新潟とも丸木船で交易があったようだ。
奈良や吉野ヶ里よりも、もっと昔に繁栄していた地であったのだろう。
縄文時代はフルチンで走り回って、狩猟や採集生活していたのかと思っていた。
山内丸山遺跡の遺物を見ると結構文化的な生活していたのだ!
自らは食料調達しない職能集団が居たのだった!!
土器類だけでなく、アクセサリーや布まで造っていたとは・・・
ボランティアの女性が40分位かけて遺跡を案内してくれた。

13時頃青森市を後にし、八甲田を目指す。雪中行軍遭難の像を見て田代湿原を1時間ばかり歩く。
八甲田温泉にゆっくり浸かる。露天風呂はラムネ温泉で室内は別の泉質だった。
何処の温泉に入っても脂が抜けてしまうのか、ハンドルを握る手が滑って危ない!
40号線を走り十和田市に出てもう一度奥入瀬ラインを走る。
渓流沿いの道で眺めは抜群である。惜しむらくは紅葉である・・・・
十和田湖畔乙女の像近くの駐車場で車中泊・・・
10月20日(水曜日)
朝靄の中、6時半起床。
7時に乙女の像を見に湖畔を歩く。湖畔からはもやが発生しておりなかなか幻想的。
美術鑑賞眼のない私達は乙女の像の前では2分と佇んでいなかった。
十和田湖畔は一割も紅葉していない。奥入瀬渓流は昨夜走ったのだが暗くってよく見えなかった。
今年の紅葉狩りはきっぱりとあきらめて、温泉三昧しながら帰ることにしよう。

大湯環状列石遺跡を見に行く。縄文時代の遺跡であった。
東北地方には縄文時代の遺跡がたくさん残っているようだ。

大湯温泉にて250円の湯に入る。70度の源泉が掛け流しであった。
片足を入れた途端、熱くて飛び上がった。
注意書きに熱ければ水を入れて下さいとあったので、遠慮なく水を入れる。
地元の人は平気な顔で入っている。ぬるくなりすぎたのか別のホ−スからも湯を自分の回りに入れ始めた。
「すみません!」と断りを言う。地元の人は熱い湯が好きなようだ。
日記を書いている今でもチカチカジンジンして、軽度のやけどのようだ。

能代市に出て男鹿半島を目指す。左手に八郎潟干拓地を見ながら、101号線をひた走る。
半島という言葉の響きに騙されてしまった。1時間以上走ってようやく寒風山のふもとに着いた。
頂上に展望台があるようだし、パラグライダ-基地もあるはずだ。
頂上からの眺めは抜群で、男鹿半島、八郎潟、石油備蓄基地など360度眺望である。
頂上に2ケ所吹き流しが立ててあった。おそらくテイクオフ場であろうが、4時過ぎているので誰もいない。

秋田市内で回転寿司のかっぱ寿司に入る。  
ウイ−クデ−セ−ルで全部90円だった。 ラッキー!      
7号線をひたすら南下。
道の駅 象潟(きさかた)で展望温泉に入る。塩辛くアルカリ性で少し茶色の温泉であった。
今夜はここで車中泊
10月21日(木曜日)
昨夜は大粒の雨で車の屋根から大きな音がしていた。
帰ると決めたので同じ道は通りたくないので高速を使わず、国道七号線も使わず、
ひたすら日本海側の海岸線をひた走る。
クラゲ水族館の看板が見えたので寄ってみる。鶴岡市立加茂水族館だった。
クラゲの種類も多く、ネオンサインのごとく光るクラゲやガラスのように透明なクラゲや
虫眼鏡で見るような小さなクラゲが50種類近く水槽に泳いでいた。
日本海の海の魚や、飼育放棄された熱帯魚も飼育されていた。2mのピラルクは圧巻だった。
十時半からアシカアザラシのショ−があるので見る事にした。
お決まりのショ−ではあったが楽しそうな笑い声や、やんやの拍手喝采であった。
観客は後期高齢者のお年寄りばかりであった。
近くに湯野浜温泉があったので、水族館がコ−スに組み込まれていたのだろう。
お年寄りの屈託のない笑い声は子供の笑い声に似て、聞いていて心あたたまる 。
ゴマフアザラシを撫でさせて貰えるというので、五、六名手を挙げた。
当然嫁さんも入っていた。 撫でる前に人間の手を消毒。汚いのは人間か?!
2時間ばかり水族館に居て、あとはひたすら海岸線を南下。
新潟から高速道路にのり、北陸道を帰らないで、中央道を走る。
長野県小黒川PAにて車中泊。
10月22日(金曜日)
朝7時起床。信州の空はどん曇りだ。紅葉には早いし、パラもきっぱりあきらめられた。
11時半頃滋賀県の大津SAに到着。
このまま帰ると夕方には広島に着いてしまう。奥谷PAで時間をつぶすのもしゃくにさわる。
大津駅まで歩いて行き、JRで京都駅まで行く。市営バス一日券500円を買って銀閣寺に向かう。
三条通り前でバスは30分くらい停車。事故でもおきたのか?
三条通りを横切ると武者行列が歩いている。大急ぎでバスを降りる。
三条通りに引き返すとそれは時代祭りの行列だった。1時間ばかり見物した。

もう一度バスに乗り、銀閣寺に向かう。
先日NHKで銀閣寺の解体修理の番組をやっていたので興味も湧く。
建物も落ち着いていいが、庭が素晴らしい。
庭内では作業員さんがピンセットで雑草やゴミ処理をするような細かな作業をされていた。  
杉苔の毛氈を維持するには大変な作業のようだ。
銀閣寺山道で湯豆腐定食と冷や奴定食を注文。
豆腐は絹ごしではないのに、舌でつぶすと食感ははんなり!といったところか。
3時間以上遊んだので京都駅行きのバスに乗ろうとバス停で待っていると、
二人連れの外国人が「祇園#+* @$:・・・・」と並んでいる日本人に聞いている。
例のごとく日本人は下を向いたままだ。
バスが来て行き先に京都駅や祇園という文字がみえる。  
「祇園オッケー乗れ」と日本語で言ってやったら通じたようだ。
祇園駅は教えてやらないと、と思い彼らのすぐ後に座った。
後は嫁さんに何処から来たのか、国は何処か?と聞かせた。
日本に二週間前に来て国はイスラエルからだとわかった。
俺達は広島からだと言ったら、「オゥ」と感心した。さすが広島は世界的に有名だ。
間違えたらいけないので京都弁を話しているおばさんに祇園は停まりますか?と聞いた。
祇園、祇園と私がしゃべっているので、イスラエル人は、心配顔になってきた。
確認をしたので彼らにオッケー!オッケー!と言ってやる。
バスの社内案内で次は祇園と出たので、「ネクスト ス−テション」だと
肩をつついて教えてやったら、立ち上がった。
ニコニコしてバイバイする。私のブロ−クンイングリッシュは通じたのかな?

京都駅から電車で大津まで帰り、山陽道を驀進中竹井さんから電話があり、
平和カップのダミーと車の提供をよろしく!との事だった。
明日は頑張って平和カップに顔を出す事にしよう。
0時を過ぎて広島東ICを降りる。2100円也。