2010年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活に4年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2011年 3月   
3月4日(金曜日)パッちゃん
タイのパッちゃんから電話を貰った。
「日本語の能力試験の2級に受かったよ!!」と嬉しい電話だった。
「日本語の能力試験の1級も頑張って!」と励ましたのだが
私が受験しても受かる事のない難しさだ・・・
入学のお祝いに駆けつける予定だったのだが未だ行ってない。
卒業祝いになるかも・・・
もうすぐ3年生なのだ。
3月5日(土曜日)2時間・海抜1320m・トップラン
この一週間は天気が悪く、今日だけが晴れ予報だった。
朝から雲ひとつない青空が拡がっている。
10時半ごろ白木街道を走ったがまだ海風は入ってないようだ。
山本号で荒谷山に上がる。
是枝さんが「今年も宜しく・・・」と挨拶していた。
ようやく冬眠からさめて今年初フライトのようだ。(明日は啓蟄だ)
荒谷山上空では田原さんが一人上げていた。
あちこち移動して、地上2〜300mまで下がっては揚げなおしていた。
逆転層がきついのか、+500m以上には上がらないようだ。
「今日は荒牧牧場までか!」「荒牧牧場から世羅西へ!」とかで話は盛り上がっている。
皆さんラインチェックはしたが誰も出る様子がない。

テイクオフの風は南西なのだが、時々西風も交じり、風も冷たい。
喜んでテイクオフしたい条件ではないが、田原さんはきっちり揚げなおしを繰り返している。
一瞬ほんのり暖かい風が混じったような気がしたのでテイクオフする事にした。
例の小型ビデオカメラをヘルメットに貼り付け、テイクオフ。
下がりに下がってしまい、マキゴンポイントよりも未だ下の海抜315mに下がってしまった。
+2mのリフトに遭遇したが、廻すと外れる。
サーマルは細いようなので、八の字でリフト帯にとどまる。
それでもはずれ気味のようなので、バブリーなのか?と思い
機体を山側に向けてブレーキングしながら山肌を駆け上る。
+4m位のサーマルに入ったのでハイバンク気味に廻す。
何とかトップアウトした。
テイクオフ上空で海抜700mで行ったり来たりでそれ以上上がらない。
ボール奥上空で+4mの良いサーマルをヒット。
一気に海抜1320mまで上がった。
手練者達も上がってきて、私より100mばかり上に上がった。
海抜1200mあたりで他機と廻すとき、どうも長続きしない。
もっと小さく廻したいとか、もっと左にずらしたいとか思ってしまう。
やってしまうと、他機の進路を邪魔してしまう事になりそうなのだ。
他機が上手な人なら旋回をあわせて貰えると思うのだが・・・
そのうち「まあいいか・・」と外してしまう事が多い。
是枝さんと原田さんが向原方面を目指していたが引き返してきた。
シンク帯に、はまったようで山肌で揚げなおししようと頑張っている。
海抜1200mまで揚げ返したので、私も向原方面に行きかけたがやめた。
テイクオフレベルまで下がってしまったので、トップランしようとアプローチしかけた。
ブローにぶち当たってグイッと持ち上げられたので切りきりまわしてしまった。
サーマルを二度ばかり外したが、海抜1200mまで揚げ返した。
3機ばかりが白木山方面を目指していたが引き返してきた。
最後に残ったパラは神の倉に3機ほど居たが下がってランディングし始めた。
もういいだろうと私も荒谷山TOにトップランしよう!
北尾根からアプローチかけて高度処理をする。
南風が強くなり、GPSは7Km/hを示している。アクセルバーを踏み込む。
−4m/secでどんどん下がるのでTOに行き着けないかな?と思っていると
正面尾根のリフトがあり機体も安定した。
少しTO尾根の後に回りリフトを外してふんわりトップラン。

2時間のフライトで、最後まで飛んでいられたのでまあ良しとしよう。
トップランして、車を下山させるという私のパラ美学達成!!
3月6日(日曜日)ディアナとジェコ
嫁さんが20年前から行っている料理教室がある。
「なるほど世界の料理」である。

昨年「もう少し詳細に伝えたいねえ」と言うことでHPのUPのお手伝いをした。
今月の世界の料理はルーマニア料理である。
昨年我家に来てくれ、予行練習したブルガリア人のジェコがいる。
彼がルーマニア人のディアナを紹介してくれたらしい。
今日は、今月の料理の予行練習である。
嫁さんが担当する時は、おかげで私もご相伴に預かれる。
ルーマニア料理の名前は覚え切れなかったがフランスパンに付けて食べる物と
魚スープだった。トマトやパプリカがベースであった。
玉ねぎを切るとき、ディアナは涙が出るとブラウンの瞳がグリーンになると言った。
瞳の色が涙で変るなんて、なんとロマンチックな事だ。
12時に料理をはじめ、15時ごろから食べ始めた。
沢山有りすぎるので、松代家のイッちゃんとなおちゃんと玲子さんも呼び寄せた。
21時ごろまであれこれ話をした。
ブルガリア人のジェコもルーマニア人のディアナも日本語は、堪能なので助かる。
9時間も話が出来たので結構深い話もできた。
ルーマニアで日本人が知っている事行ったら、レオタードのコマネチと
チャウセスク大統領が圧倒的だった様だ。
私もそれくらいしか思い出さないなあ〜・・・申し訳ない。
ディアナはラテン語、フランス語、スペイン語、英語、日本語が出来る。
ディアナのお父さんは航海士のようで、日本にも寄港したことがあって印象がよかったらしい。
その話を聞いて、日本に行きたいと思いルーマニアでは6年日本語を勉強した。
日本に4年間居るのだが、私より立派な日本語を使う。トホホ・・
日本での就職先を探している。

ジェコは心臓外科の医者なのだが動植物にも造詣が深い。
留学生会館でも小型の魚や亀や植物の鉢も沢山有るらしい。
先日は福屋でフウランやセッコクなど日本の欄を5鉢買ったと言っていた。
前回帰国した時、生きた「アカハライモリ」を持って帰ったと言っていた。
今度帰る時はコンニャクイモを持って帰りたいと言っていた
卵の殻の粉を混ぜればコンニャクが出来るといっていた。
作ったことはあるようだが・・・
医者でありながら、幅広い興味があり博学である。
しかし、ブルガリア人たちがコンニャクを好いてくれるかなあ〜

エスキモーは雪の呼び名が50種類あると本で読んだ事があった。
日本人もそれほど多くはないが、西欧人たちより沢山の呼び名がある。
鈴虫、こおろぎ、松虫、クツワムシ、キリギリスなどたくさんあり泣き声も違う。
英語では虫の種類の違いはなくinsectで泣き声は全てnoiseだそうだ。
ジェコにそのことを聞いてみた。
アサリもハマグリもホタテもすべてshellだそうだ。
アカトンボもシオカラトンボもオニヤンマもギンヤンマも全てdragonflyだそうだ。
カタツムリもタニシもニナもsnailなのだそうだ。

結婚観についてディアナは生涯添い遂げられるかの確認の為同棲は良いと言っていた。
「クールジャパン」でも韓国と中国を除いた外国人は良いと言っていたなあ・・
ゆっくり話をしないと分からない事があるもんだなあ。
AFSのホストを再会する時は留意しないといけないかなあ
まあ、文化の違いのぶつかり遭いならばいいのかなあ
既に世代の違いなのかも・・・(日本でも)

イッちゃんが卵かけご飯を食べた。
ディアナは生卵を食べると言う習慣はヨーロッパではない!と言う。
そういえばホアンも絶対に生卵は食べなかった。
すき焼きを生卵に浸けて食べると美味しい事が分かってはまっていた。
コロンビアに帰ってもそのことは家族にもさせたらしい。
卵かけご飯をなイッちゃんから少し貰って食べたら美味しかったらしい。
納豆を未だ一度も食べた事がないと言うのでチャレンジさせる事にした。
いとも簡単にクリヤーした。一応「おいしい」と言っていた。
ディアナはふりかけが大好きでお土産に最高だそうだ。
ルーマニアの人もいろんな物にかけて好評だったらしい。

今日は楽しい時間であったので、9時間はあっという間であった。

本日の様子(TOU TUBE)

http://www.youtube.com/watch?v=xQdJPeUpDCQ

http://www.youtube.com/watch?v=X_DVhBf5M0I
3月13日(日曜日)東日本大災害
3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震(M9,0)が起きた。
ずっとテレビを見続けていた。
観測史上最大の地震だそうだ。
ものすごいエネルギーで町並みを破壊する津波の恐ろしさを
テレビの映像は映し出している。
ホームレス旅行で三陸海岸を何度か走った。
町並みを外れた高台に津波の到達想定の看板が目に付いた。
「こんな所まで来るわけないだろう!」と思って眺めたのだが、本当だったのだ!!
死者と行方不明者が今の所1800名ばかりだが、連絡不能者が1万名を越えているので
もっと死者が増えるのではないかと思う。
あっという間に波に飲み込まれ亡くなった方々の無念を思うと心が痛む。
生き残った方々は、「命が助かっただけでも・・・」という気持ちが今は強いと思うが・・・
家族を亡くし、家屋を根こそぎ持っていかれた人達の今後を考えると呆然とする。
第2回目の北海道旅行の帰り、三陸海岸で本州の最東端鯔が崎の灯台に行った。
その時に出会った天使のようなかわいい女の子はどうなったのだろう・・・
海岸に近い集落だったので、只只無事を祈るのみである。

嫁さんの携帯にチェーンメールが入ってきた。
「関電の人からの要望で、東電に送る電力の備蓄がなくなるので
皆さん節電に協力しましょう」と言う奴だ。
不幸の手紙でなく、節電しましょうなので赦してはやるが・・・
発電所の電力が備蓄できるのであれば教えてほしいものだ。
60Hzを50Hzに変換できない事はないだろうが大規模な装置があるとは思えない。 
大体関電も中電もそんなアナウンスしていない。
チェーンメールを廻した人は善意から出たことでは有ろうが、自分でしっかり調べて
自分の責任で発信する必要がある。

そのうち、被災者向けの援助行為が問題になろうと思うが・・・
古着を送って良い事をしたと思うメンタリティーは是非やめてもらいたい!
古着の要請のあるところならばよいが、殆どの場合仕分けにも手を取られて
面倒なだけである。
これだけの災害なので、現地のスタッフも居ないのが現状であろう。
援助の気持ちがあるのならば、まずは募金に応ずる事であろう。
1世帯千円募金してくれれば400億円になる。
被害総額から言えばビビたるものだが、日本経済にも少しは役に立つと思う。
私も貧者の一灯をと考えている。

今日は朝から快晴で、パラ日和である。
気温減率も良さそうである。
今日からは本格的なクロカン季節に突入だろうなあ〜
しかし、とても飛びに行く気持ちにはならない!!
鎮魂の気持ちを持って今日一日を静かに過ごそう・・・・

昨日から、私達夫婦を心配する嬉しい電話やメールが世界から入ってきた。
11日の夜には、2時間の時差のタイのパッちゃんが心配して電話を呉れた。
12日にはコスタリカのエリックが心配して電話を呉れた。
スリランカのスーちゃん、 コロンビアのホアン、 スペインのコンチ、 インドのシュワクマル
インドのスビマン、スペインのエレナが次々メールを呉れた。
世界中で、東北地方太平洋沖地震(M9,0)が大きく報道されているのだろう。
世界でも私たちの事を気にかけてくれる人が居る事に、少し幸せな気持ちになる。

PS
夕方K原一家が我家に立ち寄った。
今回の大地震について色々話し合った。
今回の募金は日本の非常時なので一人当たり1万円しようと思うと言っていた。
幸多を入れて3人家族なので、3万円するつもりと言っていた。
3月14日(月曜日)コロンビアのホアンから
PS
14日朝ホアンから心配して電話があった。
電話番号が親元のククタしかなかったので、すぐに電話できなかったと言っていた。
コロンビアでも連日、日本の津波について報道されているようだ。
日本人は地震や津波には対策していたがそれ以上の規模だった事や
日本人はよく助け合って暴動や略奪が起きてないことを報道しているようだ。

ホアンは個人でシステムの開発をやっているようだ。
今年11月に目途をつけ大学の教授の応援もあって、国から研究費を貰うそうだ。
お金を得る為の仕事は、片手間にやっているようだ。
”お父さんとお母さんを広島空港まで自家用ジェットで迎えに行く”と言う夢は
忘れていないのだねと茶化した。
するとDREAMEじゃあない、HOPEだよ!!と本気で何度も言っていた。
「お父さんが死ぬまでには迎えに来てくれ!」と冗談言ったら
日本人の平均寿命は80歳以上なので大丈夫!とやり返された。

私達と拘わった高校留学のホアンが、一家を構え希望あふれる青年として
頑張っている事に嬉しさがこみ上げてくる。
なんだか本当に自家用ジェットで迎えに来てくれるような気がしてきたぞ・・・
がんばれ!ホアン!

PS
ホアンのお母さんからもコロンビアのククタからメールを貰った。
「もし大変な状態ならククタに避難して来て下さい。いつでも待ってます」とあった。
世界では福島原発の放射能漏れについて、大きく報道されているのだろうなあ・・・

3月19日(土曜日)
先月26日にお会いした稲垣さんと地森さんと「アートまつり」の会場上空を
モーターパラグライダーで飛ぶ打ち合わせをした。
地森さんが朝のうち一本、試験飛行して12時過ぎに会場上空を飛んで
子供広場上空でお菓子の袋を落下させようと計画だ。
当日、お天気で風の状態が良い事を祈るばかりだ。

4月9日10日は神の倉クロカンミーティングを実施する予定。
3月10日は神の倉山頂で「さくら祭」も予定されているようだ。
3月10日13時〜16時ごろまでメインランディング場(着陸場)で
地森さんがパラグライダーの体験会を予定している。
4〜5の催し物が重なってしまい、地森さんに役割が加重されるようだ。
クロカンに出ない人は、ぜひお手伝いを願います。
3月25日(金曜日)
東北関東大震災から2週間経っても毎日死亡者の数は増え続けている。
恐らく3万人を越えるのではなかろうか?無残と言うほかない!
運良く生き残った人も、これからが生き地獄なんだろうなあ・・・・
福島原発事故も周辺住民の生活を破壊しつつある。

先週デオデオでH萬さんに出会った。
会社で義捐金を集めたり、NPOに被災家族の収容を申し出たと言っていた。
私も社会福祉協議会に子供の緊急避難受け入れと現地ボランティアを申し出た。
西日本に住む人間として取りあえず出来ることからしようと思う。
何でも良いから出来ることをひとつでも良いから始めましょう。

東北関東大震災の被災者を思うと力が抜けてしまうのだが
西日本の人間まで打ちひしがれていたのでは何もならない。
カラ元気でもいいから日常生活を取り戻し、東日本で沈み込んだ経済を
埋め合わすべくお金を使いましょう。
第一に義捐金でお金を使い、第二に予定を前倒して個人消費を・・・
西日本に居て個人で取りあえず出来るということはこんな事なのかな?
(ミネラルウォーターや電池やトイレットペパーは買い占めないように!)
金は天下の回り物なのだから・・・

私がしょんぼりしていた所で何も役に立つわけでもないし・・
明日から飛びに行って元気を出すぞ!
3月27日(日曜日)+7m/Sec・1時間半
昼から雨模様の予報もあったが、自宅は朝から晴天だ。
いまいち気合が入らないが、とにかく神の倉に出発。
中深川を過ぎる頃には雲が多くなってきた。
11時ごろ到着すると立川号が出発寸前で、急遽私も乗せてもらって荒谷TOへ。
本流は北西で雪雲に近いのが流れてくるが、上空で止まってしまう。
TOの風は360度クルクル変る。
「ゆずり葉道路」沿いに雪雲のクラウドストリートが続いている。
奥のほうは雪の白いカーテンが掛かっている。

一時間ばかりウエイティング。MLからまだか?と催促の無線が入る。
雲が切れて太陽がのぞくと、南西から風が入ってきた。
大方さんがテイクオフし、南小山でサーマルヒットしグイグイ揚げて行った。
私もテイクオフしたが、低い位置でサーマルが捕らえきれない。
南小山周りで10分間ばかり、のた打ち廻る。
ようやくサーマルに乗ってテイクオフに戻り、ハイバンクで廻す。
テイクオフ左のボール奥で強いサーマルをヒットした。
+2m/Sec・・+3m/Sec・・+4m/Sec・・・・最大+7m/Secまで強くなった!
バリオがピッピ音からピッーーと久しぶりに聞く連続音!
海抜600mから5回廻しただけなのに、3分間半で海抜1200mまで上がった。
これ以上吸い上げられては大変と神の倉に渡る事にした。
さほどシンク帯に捕まらず、海抜900mで神の倉山系に到達。
海抜7〜800mで神の倉をウロウロする。
神の倉テイクオフに近寄ったらどんどん下がってしまった。
花野さんが「ランディング上空は荒れています」と注意を呉れた。
海抜400mまで下がってランディング場に行こうかなと思っているとピッピと
バリオが鳴り出したので、しがみつく。
伐採帯の斜面をじわじわと揚げていって、ようやくトップアウト。
ヘアピンカーブの伐採地帯はしっかりサーマルが上がっているが
平地の街サーマルも結構上がっている。
さらには海抜800m位からは吸い上げの影響があるようだ。
田原さん、山本さん、是枝さんが時々高く飛んでいるようだ。
対面の古屋地区上空まで何度か白い雪のカーテンが来るのだが
雪雲は止まって、県道を越えては来ないようだ。
雲の端で海抜900m揚げたが+5m/Secで上がり始めたので
雲の端から青空方向の有留地区に逃げる。
トップランしようかとTOに近づくも吹き上げられる。
高杉さんから「荒れているよ〜」と注意を受ける。
対面の古屋地区上空に雪雲も見えるし、全員ランディング体制に入ったので
私も翼端を折って高度を下げる。
小田さんと同時進入になりそうだったので「左側を使います!」と無線を入れる。

3週間ぶりのフライトで、1時間30分であった。
雪もちらついたが、サーマルはしっかり春サーマルのようだった。