8月 日更新

北海道    2007年 7月   
7月9日(月曜日)
今日は北海道最後の日である。朝5時厚沢部を出発。
函館市の観光は五稜郭だけと思っている。
7:30に五稜郭内でおにぎりの朝食。展示館は閉鎖中であった。
五稜郭タワーに上がる。函館山を望み、土方歳三が救援に行って戦死したのはあのあたりか・・・。
ここ函館では榎本武揚達、幕府反乱軍と表記されていた。
江差では榎本武揚だけで反乱軍の冠は被せられていなかった。所変われば・・・・である。

 五稜郭 五稜郭陣屋の完成図 五稜郭タワー

 函館港の赤レンガの倉庫群  函館港の赤レンガの倉庫群

見るところはまだ有ったが、港の赤レンガの倉庫群を少し見て、最後はやはり温泉に入ろうという事で、湯の川温泉に行く。
公衆浴場「永寿湯」に入る。390円也。地元の人たちが利用する浴場である。
湯船は3つあった。
高温湯(47℃)・・・差し水程度に!!
中温湯(45℃)・・・・ぬるくしない!!
低温湯は何も書いてない。
低温湯の浴槽でも熱くては入れないので蛇口をそっとひねってそこだけぬるくなったので入る。
水を止めたら3分も持たなかった。
腰までしか入らなかったらピンク!のパッチをはいたようになった。(皮膚が真っ赤になったため)
水で身体を冷やして再度挑戦。
低温湯はなんとか入れたので中温に片足入れたらチリチリするので、足を引っ込めた。
地元のじいさんは平気な顔をして中温に入っていた。
さすが高温に入る人は居なかった。

 地元の人が入る温泉銭湯

13時50分発大間(下北半島)行きのフェリーに乗り込む。15時半大間着。338号線を南下。
フェリーを降りた車でこちらを走るものはいなかった。アップダウンがはげしく、くねくねヘアピンカーブの多い道だった。
途中の仏が浦の景観は絶品であった。

 仏が浦  赤い矢印のところが仏が浦

途中ショートカットしてむつ市に入る。
日も暮れてきたし、むつ矢立温泉の看板があったのでそちらへ。
そこは公衆浴場(390円)旅館、バンガローハウス、ゴルフうちっ放し、雀荘の施設があった。
2食付で6300円だったので泊まる事に。
久しぶりに手足を伸ばしてゆっくり休む。

  
7月10日(火曜日)
下北半島とくれば恐山である。むつ矢立温泉から30分位のところである。
いざ出発となってエンジンが始動しない。携帯電話の充電器を差したままにしたのでバッテリーが上がったのか?
宿の人に車を近づけてもらいバッテリーを繋がせてもらう。すぐにエンジン始動。ヤレヤレ・・・。

10時頃恐山到着。山門に料金所があって600円払う。一帯は蒸気も上がっていて、硫黄臭い。
草木は生えておらず、信者が小石を積んだ山が無機質な風景の中で沢山並んでいる。
セルロイドのカラフルな風車が差してあり、キュルキュルと哀しそうな音をたてながら回っている。
水子観音の廻りには沢山の風車が立っていた。
様々な理由で子供をおろした親たちのざんげの思いをのせて哀しく回っている様に思える。
カラフルなのが子供っぽいのであるが、余計にもの哀しい。

 恐山奥の院  恐山の山門

 殺風景な景観は続く 地蔵堂が沢山ある 所々で硫黄が噴出している

 恐山は寒いのでお地蔵さんは頬かむりして御座らっしゃる  

 池には蓮の花が・・・ カラフルな風車が余計に寂しい 棒杭も頬かむり

どんどん奥の方に歩いて行くと、「極楽浜」の看板を立てた湖畔に出た。
嫁さんが水辺の砂浜に手を突っ込んでいる。
「砂の中は手を入れられないくらい熱いよ」と教えてくれたので、私も指を入れてみる。けっこう熱い。
私たちの様子を見ていた外国人の男女が真似て水辺に手を入れている。
「モアーインサイド!」と珍しく私が下手くそな英語で声をかけた。
後を引き続いて「ウエアーカムフロム?」と嫁さん。「スペイン」ときたものだから嫁さんスペイン語で話しかけ始めた。
その時の彼らの表情が面白かった。
まず鳩が豆鉄砲をくらったという風にキョトン!!そして本当にスペイン語か?と確認するように聞いている。
しばらくしてスペイン語で話し始める。日本に来てスペイン語で対応してもらったのは初めてであった様だ。
ましてや本州の北のはて、下北半島の恐山の中である。

彼らは一ヶ月のバケーションで日本に来ているようだ。3週間の日本周遊券を持っていた。
7月2日に日本に来て7月22日までの周遊券を持っていた。
日本は安全で、人々は優しい。日本は自然がいっぱいで緑が多い事に感激していた。
一週間居ただけだが、日本と日本人にレスペクトすると言っていた。
明日は下北半島の先端の大間から北海道に渡ると言う。
旅行者なら新幹線を使って北海道に渡るのだが・・・ 何故恐山なのかじっくり聞いてみたい。
大湊からバスで恐山まで来たようなので、私たちの車でホテルまで送ってあげる。
広島にも行く予定と言っていたので私の名刺を渡す。
私の家に泊まりなさい!広島駅に着いたら、電話下さいと約束。
彼らがどんな旅行をしたか、是非聞きたいものだ。7月20日に来なさいと言ったのだが・・・。

 ここは暖かいわよ!じっと見ている変な外人 スペイン語に目をシロクロさせるコンチとアルベルト 広島の我が家にいらっしゃい!

40年前に行った竜飛岬に向けGO。途中道の駅の浅虫温泉に入る。
5Fから海を眺めながらの入浴は気持ちいい。これで350円は安すぎ。
走りに走って7:00頃到着。立派な竜飛岬ホテルの浴場に時間過ぎであったが入れてもらう。
竜飛岬で車中泊。
7月11日(水曜日)
昨夜から15m/Sec位の風が吹いていて寝ていても車がユラユラする。
海底トンネル記念館やトンネルにも降りてみたかったが、9時開館なので、2時間待つのはやめて出発する事に。
学生時代(43年前)テントを担いで東北の周遊券を買って5人で旅行をした。
私の強い希望で何もないここ竜飛岬まで4名を引張って来た。
当時はトンネル工事をしていた頃で観光施設もない、漁師さんだけの寒村であった。
43年前も今日のように風がボーボーと吹いていた。339号線階段国道はその頃もあって5人で歩いた。
人しか利用の出来ない階段が国道なのである。
GPSを持って私だけが階段を駆け下る。嫁さんは階段の下で先に車で降りて待っていてくれるはず。
私のほうが早く降りてやろうと思ったが嫁さんのほうが少し早かった。

 階段が国道 竜飛岬灯台の案内板 ここは年中風が強いので車のドアーが壊れる

日本海側339号線を南下。十三湖を過ぎ稲垣という地名に差し掛かる。
稲垣温泉、稲垣農協、稲垣中学校、稲垣駐在所Etc。何だか嬉しくなる。
私の祖先は浅野の殿さんにくっついて紀州から来たので、津軽半島とはゆかりはないはずであるが・・・・
(和歌山県は稲垣姓は多いようである。藤山寛美も本名は稲垣である。)

 稲垣の地名何だかこそばゆい 稲垣温泉! 稲垣警察駐在所

敦賀市を越え弘前市を過ぎ、102号線に入り落合温泉の公衆浴場に入る。
150円はありがたい。当然温泉でかけ流しである。桶で20〜30杯かけ湯をしてみた。
自宅の風呂で出来る事でもない。本当にかけ流しで湯をかけ流した。何となく贅沢な気分になった。

  この地区は温泉地がひきめしあっていた 

川土手の散歩道には民話のレリーフが埋め込まれていた。

   

近くにコケシ館があったので見学。十和田湖に向かう途中は雲の中であったが、湖畔に近づくと湖面は見通せた。
湖畔で釣りをしていたので話を聞く。今日はとくべつ解禁の日とかで、4時頃から釣っているとの事。
40Cm以上あるヒメマスを釣り上げていた。半袖は寒かったので30分位で分かれる。

山道をずっと走って4:30ようやく玉川温泉へ。東北旅行の第一目的はここだった。
玉川温泉は日本一酸性度が強く、PH1.54であるそうだ。
日帰り客の駐車場は6:00までだそうで、5分ばかり歩いて下って行かないといけない。
玉川温泉は谷間にある一軒だけの湯治客用の温泉施設で、谷底から立ち上る湯煙の中に5棟ばかりが見える。
谷の奥まった所に小屋が見える。恐らく岩盤浴のためのものだろう。
5本ばかりの樋からお湯がドードーと流れ落ちている。泉湯を冷ましているのだろう。
洗濯場には沢山干し物がある。夕方のバスで30人ばかりの湯治客が到着した。
「金属類は一切持ち込まない事」と注意書きがある。
浴槽は100%源泉と、50%源泉の各種(低温、高温、気泡湯、寝湯、浸頭湯)と蒸気浴槽があった。
100%源泉が効き目あるかな?と思って、いきなり100%に入る。ぬるめのお湯で何という事はない。
湯口のお湯をちょっとなめて驚いた。
まず酸っぱい、そしてえぐい。めちゃめちゃ鉱物的な味だ。
その後50%源泉も舐めてみたが、味は全然変わらなかった。という事は強烈な味なのだろう。
紙コップが備えてあり、飲用もあった。
注意書きにはコップに1Cm位が適量と書いてあり、「飲んだ後は水で口をゆすいでください、
歯がボロボロになります」と書いてあった。う〜ん!!!強烈だ。

入浴している人たちの年齢は様々だが二人ほど若い人もいた。談笑している人は居ない。
皆真剣な顔をして入浴している。私の様な遊山客でなく皆さん湯治客なのだ。
100%源泉に入っている人は全体の一割程度しか居ない。殆どが50%源泉の各種浴槽に入っている。
100%源泉に入っても3分くらいで出て他の浴槽に入る。若い人2名が3分位入っては出て、足だけ浸けて。
5分位して、又入湯している。ぬるい湯なので5分ばかり入っていて何ともないのだが、恐くなって上がった。
一応50%源泉各種を試してみた。シャワーで身体を冷やして
もう一度100%源泉に入る。5分程入って出ると、ちょっと立ちくらみした。
すぐに腰かけ落ちついてからシャワーで冷やす。
隣りで訳知りのオヤジが「すぐに入ってはダメだぞ、かけ湯して身体を慣らしてから入るのだ!!」と
引き連れてきたらしい新米湯治客に向かって、先達ぶりを発揮していた。
予備知識無くいきなり100%源泉に飛び込んだのはまずかったかな?
真剣な人達の熱気と日本一の強酸性湯の毒気に当てられ40分ほどで出る。
嫁さんは約束どおり小一時間入っていた。
首筋の湿疹が出ているところがチリチリすると言っていた。(翌朝赤く腫れ上がっていた)
私は身体に傷も無いので何処もチリチリはしなかった。
別に悪い所もないが、日本一にもう一度入ってみたい気がした。

 谷間に一軒の温泉宿 流れる川はもうもうと湯煙を 洗濯場が見える

 日本一の酸性度の玉川温泉 湯を冷ましているところ 自炊で長期滞在の人も・・

山の中を延々走って田沢湖へ。夕食は田沢湖畔のホテルのレストランで稲庭うどんを食べる。
いつ食べても喉越しが上手いうどんである。
湖畔で車中泊。
雨が降っている。
7月12日(金曜日)
今日の目的は本州最東端の地、トド(鯔)が崎である。田沢湖から東を目指し48号線を行く。
途中小岩井農場の看板が見えたので寄ってみる。
羊やポニーなど居る遊園地風になっていて、入園料が必要なようだ。小雨も降っているし入園時間には間が有るのでパス。
私が若い頃小岩井農場のバター(缶に入っていた?)を見たことがある。
小岩井農場という一牧場名をブランド名にしていまだに続けておられる事に頭が下がる思いがする。
盛岡市内はスルーして、106号線に入りひたすら東へ。
宮古市の浄土が浜のポスターを区界高原道の駅で見たので、寄ってみることにした。
雨は止んだが、どんよりした曇り空なので海岸の白い奇岩と青い空で見物したかったのだが残念。

   

  浄土が浜の白い岩石群 天気良くないので残念

北海道余市で出会った東広島の松岡青年のお勧めの鯔が崎は片道2.8Kmのアップダウンの多い道を
往復2時間ほど歩いて行かねばならないと聞いている。
県道41号線に入ってからは、ヘヤピンカーブばかりのアップダウンの山道。
途中別れ道が分からないので、地元のおばさん見つけて車を止め地図を見せる。
日頃地図を見つけない人のようで、自分の部落が地図上で分からない!
あれこれ聞いていると小学校のかわいい女の子が通りかかった。
かわいかったので嫁さんが話しかけて、小学校の名前などを聞いていた。
30年ぶりにクラクションを鳴らしっぱなしで運転した。道が終わる漁村にたどり着いたのが16時頃であった。
ここも昆布生産が盛んな村で立派な昆布が吊り下げられていて、乾燥機に入れられるのを待っていた。
魚の干物にしても海藻にしても、お米にしてもお天道様をいっぱいに浴びた乾燥方法が一番美味しくなるのだと思うのだが、
最近は無理矢理ボイラー乾燥して風情が無いと言うか、自然の恵みを頂くと言う感じがしないので、チョットさみしい。
ちゃんとした農家では自家用の米は稲掛け(はぜかけ)をしている。この方が2〜3割り美味しいそうである。
少量だが日干ししている昆布も見かけた、。(自家用かな?)魚の干物もお日様の効果は絶大である。
昆布作業をしているおやじさんに声を掛けて、鯔が崎に急ぐ。

 民話に出てきそうな女の子にあった 純真無垢なかわいい女の子だった 昆布の養殖は儲かるのかな? 

GPSも忘れず持った。いきなり100mばかり登る。日が暮れ雨でも降ったら大変なのでヒーヒーハーハー言いながら頑張る。
往復5.6Kmも歩く観光客は居ない様で誰にも出会わない。突然バキバキと木の折れる音がした。
熊でも歩いているのかと、ヤッホーとか、ホーホーとか声を上げたり、嫁さんと大声で話をする。
自然倒木があり何かの拍子で枝が折れたようだ。
大小七つばかりの岬を巡って、ようやく鯔が崎の灯台に到着。
説明文に依ると、映画「喜びも悲しみも行く年月」の燈台守の話はここだった。
若い頃涙を流した映画だった。写真を撮っていると青年が一人私達に追いついてきて「撮りましょう」と写真を撮ってくれた。
本州最東端の碑が200m先にあると案内が有るので、証拠写真を撮らないといけんので行ってみる。
70mばかりの断崖絶壁の岩場にそれはあった。
断崖を覗いてみる。太平洋の波が打寄せてドドーンと音を立てている。
岩場の土砂は殆ど吹き飛ばされて、岩だらけなのに、割れ目には草花たちが必死に食い込むように花を咲かせていて・・・
GPSで現在位置を確認。N・・39°32′704  E・・・142°04′299。
松岡青年もそうだが、私も・・・・半島とか、・・・・岬が好きなのだ。
別に何があるというわけでないが、計画を立てるときや、帰宅してから色々思い出して地図を眺めるとき、
地図の特徴のある場所に目が行きやすいのである。
帰り道、先ほど写真を撮ってくれた青年に追いついた。彼は愛知県からバイクで来ていた。
昨日は下北半島の大間に居て、今日は鯔が崎に来ている。
バイク旅行は雨降りが一番辛いと言っていた。先ほどの漁村近くのキャンプ場でテントで寝ると言っていた。
6時過ぎには漁村を離れ45号線の光山温泉に入る。500円也。
「さんりく」道の駅にて車中泊。

 鯔が崎の灯台  70mの断崖が続く 

   本州最東端の碑
7月13日(土曜日)
朝45号線を南下し始めたのだが、三陸リアス式海岸を見てないので引き返す。
死骨岬という不気味な名の半島にビューポイントマークが有ったので脇道に入ってみる。
しかし木が茂っていて海岸は見通せない。
地元の人にとっては、狭い道に観光客が車を乗り入れてもらっても迷惑なだけであろう。
たまたまヒノキ林を伐採した一角があって見事な海岸美を見渡せた。
伊能忠敬の実測したポイントがあるとかで、大石地区の漁村に降りてみた。
碑がぽつんと立っていた。今日は村での共同除草の日で皆さんが道に出ていた。
広島ナンバーの車がウロウロしているので何事かと注目され恥ずかしかった。

 ビューポイント 山肌に苔がビッシリで美しかった 伊能忠敬海上引縄測量地

45号線を北上し釜石市から283号線に入り遠野市を目指す。
民話の里遠野と聞いただけでノスタルジーを感じるのは何故だろうか?
民話村や資料館など3館を巡る共同券が630円だったので、そちらにする。
民話の語り部のおばあちゃんから直接民話を聞く事が出来た。
東北便でさっぱりわからんかな?と思っていたが、90%は理解出来た。
話を聞きに来た人に「どこから来られましたか?」と聞いていたが、広島が一番遠方からだった。
「おしらさま」と河童の話を聞かせてもらった。
民話は取り立ててどういうものでもないのに、なぜか一度聞いたら心に残っているものだ。

今回聞いた民話も何となく思い出された話であった。
じいちゃやばっちゃが何世代にも渡って子供達に語り継いできて、残ってきたのが民話なのだ。
ちょっと恐かったり、ちょっと嬉しかったり、ちょっと不思議だったり、ちょっと人生訓だったり・・・
このちょっと、ちょっとが子供心に優しいのか一度聞いたらなぜか忘れられないで、いつまでも心に残るのである。
現代の子供達にとって民話は何であるのだろう?・・・・  ”ゲーム”が物語でない事を祈るのみである。
ビデオで民話を聞いてたりしていたらあっという間の2時間であった。
やっぱり、民話は不思議なお話だ。この歳になっても良く分からん!
子供に聞かせる勧善懲悪だけの昔話でもないし、何か人生訓を含んだお話だけでもないし・・・
「こんな事があったとさ!どんと晴れ!」てな話が何故か人の心に引っかかって語り継がれるなんて何なのだろう。
民話は確かに、子供心にしっかりと記憶されるのである。
私の子供心の記憶には、民話は”大人の話題を聞かせてもらった”というような感想が残っているのだが・・・

 民話の語り部のおばあちゃん 後の切り絵がきれいだ 

 民話の主役たち(カッパ) 民話の主役たち(ねずみの嫁)入り 民話の主役たち(ざしきわらし)

  双子のざしきわらし 

   外には「おしらさま」の像が建っていた

28号線を更に戻って花巻温泉郷へ。
ここにはホテルがずらりと並んでいる。日帰り温泉の文字が見当たらない。
玄関近くへ様子を見るの車で近づくと、蝶ネクタイをした男性が2名ばかり玄関を飛び出してくる。
「日帰り入浴できますか?」と聞くのも恥ずかしい。
どのホテルの立派で同じようなので台温泉への看板があった方の道へ入る。
すると先ほどの立派なホテルの裏手に日帰り温泉の看板があった。現地の人々も
どんどん地元の人たちが入りに来ている。入浴料350円はありがたい。

 花巻温泉郷 

次の道の駅「厳美渓」に向けて4号線を南下。途中焼肉屋に寄って夕食。
ニセコで出会った千田さんはこちらの方だと気づき、рオてみる。
ノープロブレムだから自宅に是非来て下さいと強く勧められた。
ニセコでも「室根山」で一緒に飛びましょうと言っていてくれたので、рして良かった。
言葉に甘えて宿泊させてもらう事に。ご両親と同居で、夜8時過ぎにお邪魔したのでさぞびっくりされたであろうと思う。
しかも広島の人間!!
久しぶりに手足を伸ばして畳の上で寝させてもらった。 
7月14日(日曜日)
今日は朝から今にも降りそうな天気で、昼から雨予報である。
色白の美人の奥さんと二人で千田さんの車に乗せてもらって平泉を案内してもらう。
最初にテレビドラマや映画の撮影に使われた藤原の郷に行った。
私は映画やドラマを見てないのであまり感慨は無かったが、恒久的なセットを作り
観光バスまで呼び込んでいるのには感心した。
43年ほど前学生時代に5人でテントを担いで旅行をした。
仙台の青葉城、中尊寺、十和田湖、竜飛岬、佐渡島を巡った事を思い出す。

 藤原の郷の建物群 千田さん夫婦 案内人も昔の衣装で・・

 牛車の前で・・ 鎧兜で・・ 十二単

「直利庵」で昼食に美味しいお蕎麦を食べた。
喉越し、舌触りとも良すぎたので、加ト吉のうどんではないが、タピオカでも入っているのかと思ったほどである。
43年前中尊寺も記憶に薄かったが、今回も物に関してはさほど関心なかったが、時代背景というか、あの当時でいえば、
京から見れば地の果てみたいなこの平泉で、京文化をよく輸入して花を咲かせたものと感心する。
砂金の財力があったとはいえ、京文化を移入する感性や、時代を見通した藤原秀平の嗅覚は素晴らしいものだ。
歴史を振り返ってみればあれこれいくらでも言えるが、その時代にあり、しかも歩いて数ヶ月もかかる
こんな遠国に有ってである。

 中尊寺金色堂 金色堂の案内 中尊寺の能舞台

台風は35Km位でゆっくり北東に進んで。東京沖を進む進路のようである。
北海道を離れたとたん梅雨空で、二日に一度雨に会う。
台風を日本海に避けて帰ろうと決意し、千田夫妻とお別れする。
何処で台風と再接近するか分からないが北陸道を走っていればとりあえず風力も弱い事だろう。
ボンゴなので強風横風だとひっくり返る可能性もある。
16時に平泉インターチェンジに乗り、郡山JCTで新潟に向かう。
更に北陸道を走り、疲れたので富山県魚津市有磯海SAで車中泊。
23時雨は降っているが、まだ強風は吹いておらず。
7月15日(月日曜日)
朝7時出発。台風は名古屋辺りに居る様だ。広島へ向かへば向かうほど台風とは離れることになる。
雨は殆ど降らず、時々横風でボンゴが揺れる。
朝食も昼食のねぎとろ丼が700円で安かったので食べる。
後はひたすら走って16:00に我が家に到着。

33日間のホームレス車中泊の旅であった。
車の走行距離は7300Kmであった。
一度もパトカーに追っかけられなかったのはラッキーであった。
長年の夢・・・(予定の無い旅)に出る事が出来て大変幸せだった。
北海道旅行中はほとんど疲れを感じなかった。
涼しくて過ごし易かったのと、毎日の温泉が良かったのではないかと思っている。
来年の夏にはたまらず北海道に逃げ出しているかも知れないなぁ〜・・・。
次回行く時は2ケ月位の滞在型で行きたいと思う。

北海道七不思議

@北海道のイタドリと蕗の巨大化
 

  北海道のイタドリは高くて犬が3mにもなっている。ラワン蕗は2mにもなり、葉は傘の代わりになるほどの大きさである。
  寒さの厳しい所では、高山植物のようにわい少化していくのが普通なのに、
  北海道のイタドリと蕗の、のびのびした成長ぶりはどうしたのだろう?

A子は寒がり? 
 
 私達の北海道旅行中の服装は半袖に草履(嫁さんは下駄)であった。
  歩いていると珍しそうに見られたのであった。北海道人達は皆さん長袖に靴下、くつのいでたちである。
  酷寒の冬を過ごすにしてはえらく寒がりの様に見える。
  後日道産子のメグちゃんに聞いたら「北海道の冬は本土より暖かいよ!(但し家の中)」と言われてしまった。
  出かけるときは暖かくしているので、寒さ知らずの様である。
  よって、17℃〜18℃の良い気候でも寒いらしい。

B道産子は花好き?
  北海道の殆どの家々には大きな花壇があり、色々とりどりの花々が植えられていた。
  内地では庭園という趣で木が植えられているのだが北海道では圧倒的に花壇という感じである。
  半年近くも雪に閉じ込められて、待ちに待った春を目いっぱい楽しむ為にこんなにも花を
  植えているのだろう。決して花好きというのではなく、春を目で確認したいというところだろうと思う。   

C北海道は夜明が早い!
  上湧別町で朝3時半にトイレに起きた時はすでに夜が明けていた。
  西日本に住んでいると日本列島は南北に長いと思いがちである。
  しかし、日本列島は直角に近く曲がっているのである。東経で10度ばかりずれているのである。
  しかし日暮れは7時頃であった。
  それにしても3時過ぎに夜明とは・・・。

D北海道のバス停
  青森県、秋田県も同じだが、バス停は全て小屋で扉付であった。
  山小屋風であったり、ミニハウス風であったり、青森県ではリンゴ風であった。
  バス会社も粋な計らいをするものだと思ったが、すぐに気が付いた。冬は吹雪があるのである。
  扉付きの小屋でなければ誰もバスなど待てないであろう。

E北海道を車で旅行する人は2〜3ヶ月!
  道の駅で出会ったキャンピングカーや、ワンボックスカーの旅行者たちは
  2〜3ヶ月北海道に滞在するという人が半数以上であった。
  一ヶ月くらいの人も合わせると殆どが長期滞在者であった。
  2〜3ヶ月の人達は北海道が3度目、5度目というリピーターであった。
  彼らは一度目は北海道を見て歩いたが、今は同じところに2〜5日は居るそうだ。
  今は北海道観光しているのでなく、避暑に来ているようだ。
  別荘が車で、飽きれば次の別荘地に移動する感覚であろう!
  もう一回は北海道に行くぞ!!
  避暑に行って2〜3ヶ月滞在してみるぞ!!

Fゴミ箱がない!!
  私たちは道の駅が生活の場所になっていた。トイレや朝の洗顔が食事である。
  ところが道の駅にはゴミ箱が徹底して置いてなかった。
  仕方ないのでコンビニかスーパーで買い物した時ゴミを捨てさせてもらった。
  旅行者には不便であったが、道の駅にゴミが散乱しているという事はなかった。
  北海道の道の駅だけがゴミ箱を置いてないのではないと思うが、ゴミの持ち帰り運動も悪くないと思った。
  ゴミ箱を置いてあるところはあふれるばかりのゴミが有った。人間の心理とは面白いものだ・・・。