2008年リタイヤメント生活に4年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2009年 1月   
1月1日(木曜日)

 暗雲を突き破って明るく輝く太陽に成りますように・・・

明けましておめでとうございます。
昨年サブプライローンで、あんなにも早く世界中に不況が蔓延するとは・・・
円高で輸出をしている大手企業の影響は大きかったのだが、輸出価格を2割上げたら
売り上げダウンがどれくらい影響するのであろうか?
円高と一時的(いつまで続くかな?)な売り上げダウンの赤字で大騒ぎして
弱い労働者を犠牲にする無能力な経営者に腹が立つ。
もっとアジア市場を重視して、地を這うような営業を展開して欲しい。
ITに頼るばかりの仕事は少し見直し、日本の技術や製品を欲しがっている地域にもっと出かけて欲しいものである。
発展途上国の人々が、日本や日本人に尊敬を払ってくれる事にもっと自信を持つべきである。
グローバルスタンダードだとかに振り回されないで、もっとジャパンスタンダードに自信をもってもいいのではないか・・・
日本も貿易立国で繁栄しているのではあるが、もっと内需拡大に政策を転換し
年寄りが貯蓄に固執せず、安心してお金を使えるように誘導するべきであろう。
介護福祉政策も、もっと充実させ若い人達の一生の職業に選べるようにしないと・・・
新しい産業の創生と、今までの産業の見直しで世の中を活性化させてもらいたいものだ。
金は天下のまわりもので、もっと内需拡大の政策を打てばアメリカほど悪くならないと思うのだが・・・
  • 1986年(昭和61年)〜1991年(平成3年):バブル景気
  • 1992年(平成4年)〜2001年(平成13年):複合不況
  • 2002年(平成14年)〜2007年(平成19年):いざなみ景気(仮称)
  • 2008年(平成20年)〜:世界金融不況(仮称)
100年に一度の経済不況といっているが、ひょっとすると日本が質的変換する年になるような予感がする。
なんの根拠があるわけでないが、一番苦しい時に実力を発揮するのが日本だと思いたいのである。
らせん状の発展段階で、日本はきっとワンランクうえのステージに立つことになると思う!
きっと出来るよ日本!がんばれ日本!
1月2日(金曜日)パッちゃんの手紙
タイのパッちゃんは1月1日生れである。二十歳になりました。
昨年嫁さんがお祝いを送っていたので、お返しにカバンや私のシャツを送ってくれた。
うれしい手紙も添えられていた。とりあえず第三希望の大学には合格したようである。
第一希望の大学に入学したらお祝いに駆けつける事にしている。

   
  
  写真をクリックすると読む事が出来ます。
インド旅行     1月3日〜1月10日
1月3日(土曜日)インドへ
昨年春にシュワクマルさんから「自分の町バンガロールに遊びに来てください」といわれていた。
タージマハール等ならツアーで行けば見ることができるが、インド人の生活を垣間見るには
彼らと行動をともにするのが早道である。
それは結構刺激的でもある。
美と醜、貧と富、死と生・・・両極端が並存するそんな混沌を見たいものと思って・・・
だがバンガロールはインドのシリコンバレーと言われる地域でカルカッタやデリーとは違っているかもしれない。
そんなわけで、うんと田舎に連れて行ってもらいたいので、シュワクマルさんの田舎に連れて行ってもらうことにした。
インドの原風景が見れるかも・・・・
そんな訳で、スーちゃんの1週間のHF先をAFSにお願いしていた。
現在の留学生のHF先にも苦労されているので、パラ仲間の松代家(いっちゃんの家庭)にお願いした。
広島を3時ごろ出発。大阪駅近くの新阪急ホテルに泊まる。
1月4日(日曜日)バンガロール国際空港に到着。
キャセイパシフイィック機内に乗り込んだら、AM10時テイクオフ予定が、あと40分遅れとのアナウンスがある。
タイヤがパンクしているので交換すると言う事だ。オイ!オイ!出発時点からトラブルとは、先が思いやられる。
香港経由でトランジット時間は9時間ばかりある。スペイン旅行では、トランジット時間が40分しかなく、
パリに置いてけぼりになったが、今回は有り余る時間がある。
今回はバタバタと出発したので香港空港を出て観光する計画は立てなかった。
現地時間14時過ぎに香港空港にランディング空港内にランディング。空港内を散策する。
到着したら、空港のセンターに集合して、出国、乗り継ぎと分かりやすい順路であった。
構内にはボーディングボードがけっこうあり、構内図も付いていて(YOU ARE HERE)非常に分かりやすかった。
バンガロールには朝方1時40分予定なので出発は22時15分CX6710便である。
ところがもらった航空券は香港ドラゴン航空KA125便で出発時間が21時50分と記入してあった。
ボードにまだ17時台しか表示されない。空港内に有った銀行にインドルピー交換に行く。
愛想のいいお姉さんがYEN→ホンコンドル→ルピーを繰り返しOK?と聞いてくる。
一度自国の貨幣に交換し、そしてルピーに交換する決まりになっているのかと思いOKと言ったのだが・・・
OKといったのが良かったのか、悪かったのか?
何だか非常に損をしたのかも・・・・。結局5万円出して一万9千ルピーと280香港ドルと小銭であった。
(帰国して調べてみると・・・100円≒9香港ドル1香港ドル≒6.25ルピー)計算違いか、だまされたか?

時間は充分有ったのだが、風邪を引いてしまっていたのと、夕方にかけて見知らぬ土地へ途中入国するのも
不安だったので、ひたすら空港内で過ごす。
喫茶店があったので入ってみる。レモンティを頼んだらレモンが8切ればかり入っていた。
嫁さんはミックスジュースを頼む。メニューでは一杯40香港ドルであったのに、精算のとき86香港ドル請求された。
サービス料込みだったのか良く分からん。
夕食は焼きそばとラーメン頼んで二人で150香港ドルであった。味はまあまあか・・・・。

出発時間は22時15分なので充分時間はあるので、堺屋太一の「あるべき明日」を読む。
10年前に「日本、今決断の時」と副題された本で「古くなってしまった日本の体制
それを改め「日本のあるべき形」を問い返す。
その答えは難しくもない。政治家も官僚機構も企業も家庭も本来あるべき形に戻るべきというのに尽きる。
だがこの単純な事がそれほど容易にできるわけでもない。それを阻む組織があり、制度があり、利権や慣例がある。
そして何よりも長い成功体験を信じ、現状に安住したいという気持ちがある。
この国の再生に必要な気持ちがある。この国の再生に必要なのは勇気と決断そしてそれを実現する熱気、所謂
夢を求める気持ちだ」と本の見開きに書いている。

10年も経過すると、著者の先見性やら見通しやらがそれなりに結果が出ているので、非常に面白く読む事が出来る。
ハードカバーの立派な本(1500円)が100円で買えるので、2重に得した気分になる。
何よりも十年前の見通しの見解を読んでいると、何か先のことも見えそうである。
世の中、右に振れたり、左に振れたりしているが、同じ階段上でなく一段一段上がっての振れである。
一見同じ様な現象であるが実は質の違う、螺旋階段の進歩である。
仕事を離れてしまったので肌で感じる事が少なくなってきたのであるが、
今の日本は”生みの苦しみ”の状態なのであろうが・・・・。

早く次のステップに上がり安心、安全、安定の世の中になって欲しい。
時間はたっぷり有ったので一冊読み上げてしまった。

ボーディングボードに22:15のバンガロール行きの案内は出たがCX6710でなくKA531となっている。
KAはドラゴン航空にとボードの脇に説明があった。CXとKAが交互に表示されるボードもあった。
どうも両社の共同運航便であるようだ。しかしドラゴンエアーラインなんて聞いた事ないし、大丈夫かなぁ〜・・・
ボーディングが始まった。中型機である。さすがローカル国際行きの乗客はインド人が大半である。
食事が出たがカレーの臭いが鼻を突く。

朝1時40分にバンガロール国際空港に到着。他の飛行機はないようで、
降りる客は一方向に行くので間違いようがない。
外国人専用出口で入国審査を受ける。
イミグレーションカードの滞在先にホテルとしか書かなかったが何も質問はなかった。
入国目的などは良く聞かれるらしいのだが・・・。
6年前コロンビアで「キャンユースピークイングリッシュ?」と聞かれたので、「ア、リトル」と答えたら
ペラペラと聞かれたので、日本語で「わからん!!」と答えたら、パスポートを返してくれた。
以前、旅行本で入国目的は「サイト シーング」と答えましょう。
難しかったら「斉藤商店」でもいいですよ!と笑い話が書いてあったのを思い出す。
いざとなったら日本語でまくしたてれば向こうも根を上げるだろうと思う。
だって入国条件に英語がしゃべれることが必要であるわけではない!!
香港乗換えであったので、荷物がちゃんと到着しているか心配であったが、
見覚えのあるトランクがコンベアの上を流れてきたのでほっとする。
荷物のチェックも無く通してくれた。通関でいつも思うのだが、日本のパスポートは本当にありがたい。
水戸黄門様の印籠のようである。日本が世界からいかに尊敬を受けているか実感する時でもある。
1月5日(月曜日)シュワちゃん一家と・・・
扉を出るとノート大の紙に名前を印刷した人々が40名ばかり立っていた。
手を振っている人がいる!!シュワちゃんだ。!
ママちゃんとママちゃんのお父さんが出迎えてくれた。ジェミニさんはバラの花を、嫁さんにプレゼントしてくれた。
シュワちゃんはセーターを着込みジェミニさんは毛糸の帽子にウールのショールをかけている。防寒対策充分である。
バンガロールは海抜1000mで内陸部なので一日の寒暖の差はあるだろうが、
セーターを着込むほど寒いわけでなく、日本の秋の気候である。
駐車場に行くとこれからの旅行の為に、運転手付き白タクをチャーターしてくれていた。
今夜の宿はジェミニさんが所属しているクラブ所有のホテルである。
スポーツ施設(プール、テニス、ジム等)を備えたホテルで通常のホテルの半値(600ルピー)で泊まれるということである。
ここのクラブ施設は1902年に造られたらしく、名門のようだ。
朝4時にホテルに到着した。ゲートは当然閉められていて門番の人を起こすのに10分ばかり必要だった。
受付の人も当然寝ていたのをたたき起こすことになった。トイレ、シャワーの説明受け10時に約束し、とにかく就寝。

 バンガロール到着 深夜にお出迎えいただいた。会えてほっとする

9時には目が覚める。考えてみると日本時間のお昼なのだから目が覚めるはずだ。
シャワーを使おうとまず電源を入れる。インドの温水は電気温水で、使用するのに10分殻5分かかるそうだ。
トイレ、シャワー室はゴキブリが2匹走り廻っていた。
シャワーを浴びようとバルブをひねっても3筋しか水が飛び出てこない。とてもシャワーというものではない。
トイレはシャワーと同じ室内で洋式便座である。トイレットペーパーが無い!(当然日本から持参した)
大きいバケツがひとつと手桶がひとつ用意してある。
手桶に水を汲んで左手でお尻を洗うらしいのだが、私には便座に座ったまま洗うのは想像すら出来ない!
嫁さんは出来ると言う!!「百聞は一見に如かず」なのだがこればかりは
嫁さんとはいえ見学と言うわけには行かない。
この棟屋は相当古い建物でメンテナンスも出来てないようで建具の締まりも悪くスライド式の鍵が動きにくく、
無理やり動かしたら手を切ってしまった。
シャワー室の排水も目皿は詰まっていて水は一気に流れず、池になる。
10時になったのでシュワちゃんの部屋の扉をノックした。
すぐ扉は開いたが、ママちゃんはシャワーを浴びているとの事だった。
シュワちゃんとママちゃんのお父さんのジェミニさんと私達夫婦でホテルの施設を見せてもらう。
プールやテニスコートやスポーツジム(これは最新式が整っていた)を見せてもらう。敷地は千坪以上だった。

 ホテルのプール ホテルのテニスコート ホテルカウンター

  シャワー温水器 トイレにも頑丈な鍵が・・・ 水洗トイレだけれど・・・手桶が用意されている

そのまま外に出て近所の立ち食いレストランで遅い朝食を食べる。
地元の人がひっきりなしに入って来てレジで注文し、お金を支払ってレシートをもらい
カウンターに差し出し受け取る仕組みだ。(なかなか進んでいる)
出されてきた食べ物は金属製の皿にバナナの葉が敷いてあり、
米粉を蒸したパサパサの餅とドーナッツの様なものが乗っている。
二つの金属製のカップには茶色と緑色のカレーが入っている。
それを両手にスプーンを持ち、食べるのである。
地元の人は勿論手で食べている。水も金属製のコップで出されている。
別にくせのある食べ物ではないので完食。嫁さんも完食した。
しまった!!何も考えず地元の人達と同じ様に出された水を飲んでしまった。
水だけはペットボトルのミネラルウォーターを飲まなければならないと思っていたのに・・・・。

 ホテル近くの立ち食いレストラン 何も考えず完食しました。 

道路はピーピー!!と全ての車が警笛を鳴らしている。
道路を横切るのは車優先なので命がけである。
シュワちゃんが横断歩道は大丈夫と言ってくれたが、バイクが突っ込んできた。
2mの巾がある歩道は舗装されておらず赤茶けた土で土ぼこりが絶えず舞い上がっている。
大きな街路樹(幹がコブコブであった)の名を尋ねたら「仏陀がこの木の下で・・・・」と
説明してくれたので菩提樹と判明した。
街路樹が菩提樹とはさすがインドである。

 バイクの牛乳屋さん 果物屋さん(カット水かも有るのでガラスケースがある) 

 牛は我が物顔で歩き回る 果物屋さん

ホテルを出るときジェミニさんに「チップ(枕銭)はどれくらい置いておこうか?」と聞いたら、一番悪い部屋に
案内した事に腹を立て、私達に大いに恥をかいたジェミニさんは”NO”と言った。
日本のライオンズクラブの様な組織のホテルでジェミニさんの自慢の施設であったのに、落差が大きすぎたのであろう。
働いている従業員のせいではないので、チップ無しもかわいそうと思いつつ、チップは渡さなかった。
シュワちゃんに香港で両替していた一万ルピーを渡して、最後に清算してくださいと頼んだ。
あまりにクラブの部屋が良くなかったので、1月7日、8日のバンガロールのホテルは別のを捜してくれ、
ちょっとホテルの部屋を見てくれというので見に行く。
メイン通りよいり少し入ったホテルで、部屋はきれいで、トイレ、シャワールームもきれいであった。
昨夜の部屋が余りに悪かったので、スイートルームに見えてしまった。
一泊3000ルピー(6000円)というので、了解する。
ジェミニさんの知り合いなので安くしてくれるらしい。

ジェミニさんの衣料品店に寄る。
間口は2.5mくらいで奥行きは6mくらいあり、子供服と小学校の制服が壁一面の棚にびっしり積み上げられていた。
中央にガラスケースが並べられ、既製品の下着などが申し訳程度に展示してあった。
学校の制服が主な商売で別の場所に16台のミシンで子供服を縫製していると言っていた。
店のほうは息子(ママちゃんの弟)夫婦がやっていた。
サンダルが買いたいと言うと、奥さんが付いて来てくれ、5軒隣の靴屋へ行く。
二人であれこれ選んで、サイズの違いも言うものだから店の奥からも出してくれ、10足ばかり見せてくれる。
ちっとも嫌がらないのは良いが、下に投げ出すのには閉口した。
2足で315ルピー(600円)のサンダルを買った。(弟の嫁さんが15%くらい値切ってくれた)

 ジェミニさんの衣料品店。息子夫婦と・・ 果物ジュースを頂いた 近所の靴屋さん(買ったサンダルをずっと履いた)

さて今回の旅の目的はインドの田舎を見たいと伝えてあったので、シュワちゃんとママちゃんの親戚を訪ねながら、
途中でパレスと寺を見るという事にしてくれた。
まずバンガロールから300Km離れたシモガを目指す。
シュワちゃんの二人のお姉さん一家を訪ね、帰りにはマイソールに寄ってママちゃんのお姉さん一家をたずね、
近くのパレスと寺を訪ねる事にしているという。
13時30分シモガに向けて出発だ。道路事情はどんなか知らないが、今夜何時に到着するのだろうか?

バンガロール市街地はあちこちで渋滞がある。ドライバーは白タクのオーナーである。(車は3台持っていると言っていた)
警笛は鳴らしっぱなし(日本の50年位前と同じだが、インドよりひどくはなかった)
警笛を鳴らしても誰もスローダウンはしない。
注意を喚起しているのではなく「俺がここに居るぞ!」というくらいの意味合いである。
歩行者も平気で道路を横切る。車との距離を測り歩いて渡るか、走るかを決めている。警笛で驚くふうはない。
そこでドライバーはアクセルを踏むのである。車のスピードが上がり迫ってくるので歩行者は早足に渡るのである。
車同士だとバトルはもっと激しくなる。
並行して走る車だろうが前を横切る車であろうが、1mの隙間があれば警笛をならっしぱなしで突っ込んでいくのである。
そして車であろうが人であろうが、10cmに接近しない限りブレーキは踏まないのである。
替わりに私の足は車の床を踏みっぱなしであった。
日本でここまで警笛を鳴らされると喧嘩になり警笛殺人が起こる事だろう。
43年前私が免許を取ったころは安全運転の為に警笛を鳴らしたものである。
53年前はインドと同じように警笛がうるさかった。
特にルノーと言う車種が「青ガエル」と呼ばれていて「神風タクシー」とも呼ばれていた。
小型のタクシーは虫すましの如く警笛を鳴らして車の間をスイスイ泳ぎ回っていて、
雲助タクシーと悪口を言われていたものである。
インドの道路事情もまだまだである。市街地のメイン道路は2〜3車線あり、信号もある。
渋滞を避け裏通りを通ると赤舗装で車の腹を摺りそうである。
一番困るのは道路巾の2/3は物売りや商店の品物や駐車した車で潰されている。
一台通るのがやっとである。市街地を抜けると10kmばかり造りかけの高速道路を走った。
料金所も一箇所だけ有った。
シモガに行く306kmの道路は国道のようである。
片側1〜2車線で両端は1.5m位赤舗装で車が走ると赤茶けた砂埃を舞い上げる。
イギリスの植民地の影響で日本と同じ左側通行である。(そういえばタイもそうだったなぁ〜)
市街地で学校がある所や見通しが悪く人通りの多いところは道路が一部盛り上げてある。
20km/hくらいで走らないと腹をこするのである。我々のドライバー氏も4〜5回ゴツンと音をさせていた。
道路標識無視の連中には良い薬である。

 バスからオートリキシャまでピーピーブーブー バイクはミズスマシの如く 市民の足のオートリキシャ

2時間ばかり走った途中の街でおそい昼食をとる。
店の客達は初めて見る中国人か日本人が良く分からんモンゴロイドが気になって仕方ないようだ。
ジェミニさんはこのレストランのオーナーとも知り合いのようで、オーナーが挨拶に来た。
英語をしゃべってくれたのか?良く分からん!!
部屋は先ほど通り抜けたところで仕切られており、クーラーが効いている。
クーラーのある部屋はメニューも一品5ルピー程高いのだそうだ。
丸い金属お盆に5種類のカレー(カップに入っている)とナンとご飯が出ている。
お盆の中でカレーとご飯を混ぜ食べるのである。
この時もうっかりと、水はレストランが出してくれた水を飲んだ。

 クーラーのある部屋 レストランのオーナーも挨拶に来た レストラン前で

夕方5時頃、路肩に車を止めて一休み。刈取りの終わった畑や、米の脱穀した場所で一休みして、周りを見て歩く。
石のローラーを牛に引かせて脱穀した後のようであった。
蟻塚も1m位の高さで一箇所有った。中に蛇がいる事があるというので近寄らず。
18時30分大地に赤茶けた太陽が沈んでいく。(土ほこりが赤茶けているので、そんな感じがする)
19時30分町のはずれに着き、ココナツ椰子を1.5mくらい積み上げているところで車を止める。
若いココナッツヤシを切ってくれ、ストローで水を飲み、殻の内側にある果肉を食べるのである。
別に甘い味ではないし、ぬけた様な味ではある。
一個10ルピーなので気軽に飲める飲料水なのであろう。いたるところでココナッツの山は見ることが出来る。

 1m位の蟻塚 一応国道であった いたるところにココナツヤシ

20時すぎシュワちゃんのお姉さんの家に到着。ご主人の父母と子供二人の3世代家族である。
ご主人の父母は学校の校長まで努めた人で、ご夫婦とも学校の先生である。
家の中心には仕切られた一坪近くの部屋があり、立派な仏壇である。
家にはヒンズー教の沢山の神様をお祭りしているのだという。
扉はチーク材で豪華な造り出会った。外側にチカチカと電飾が輝いている。
これは各家庭の自慢の空間で、毎朝一時間ばかりお参りするようである。
皆さんは夕食を、私達が到着するのを待っていただいたようであった。遅い夕食が22時から始まった。
やはり金属製の皿(仕切りがある)にグリーンのカレー(?)が入れてあり、
プーリー(ホットケーキのようなもの)につけて食べるのである。
何が何だかよく分からんが、出されたものは全部平らげた。

 シュワちゃんのお姉さんの家族 プーリーの実演 

 完食!ちゃんと手で食べたぞ! シュワちゃんのお姉さんの子供達 

24時にやっとホテルに着く。
バンガロールのホテルと違い、同じクラブの経営とは思えないほどきれいな部屋であった。
勿論シャワーからちゃんとお湯が出る。
1月6日(火曜日)現地の小学校を訪ねる
9時に昨夜寄ったシュワクマルさんのお姉さんの家に行く。
庭にはバナナやマンゴやカレーに入れる様々なスパイスの気が植えてあり、一年中収穫できるようだ。
米の粉で作ったパン(イドィリー)とカレーの朝食を頂く。
ママタちゃんと嫁さんは髪飾りに小さな花の房をつけてもらった。
シュワちゃんのお姉さんはオートリキシャを呼んで一足先に学校に出勤した。
私達も出かけるため家を出ると御近所が挨拶してきた。日本人を見るのは初めてなのだろう。
名前の紹介してもらって握手するだけなのだが、大人も子供も初めての外国人に感激の様子だ。
今日はお姉さんの学校にジェミニさんが子供服をプレゼントに行くのだそうだ。
お姉さんは近くの村の小学校の校長先生をやっている。その小学校に行く予定だ。

学校へ行く前にシュワちゃんのもう一人のお姉さんの家による。
日本から持って来た1000円均一の日本人形をプレゼントする。
パッちゃんやスーちゃんが母国へお土産とした人形だ。
外国人にとって着物姿の人形は人気がある。
12歳と7歳の子供が私達に会うために学校に行くのを遅らせて待っていてくれた。
ここでもママちゃんと嫁さんは髪に同じ花を飾ってもらった。改まった時のインドの慣わしのようだ。

 立派な仏壇 もう一人のシュワちゃんのお姉さん一家 今日の学校へのプレゼントの一部

一時間以上かけて走ってやっと田舎の小学校に到着。周りは林と田んぼの本当に田舎の小学校だ。
パブリックスクールで貧乏な農家の子供達が通って来ている。
学校で昼食が出るので、一食助かるので通わせているのが実状といっても良い程の子供も多くいるらしい。
全校生徒100名で先生は4名である。私達が到着すると子供達は小さな講堂ですのこの上に座っていた。
服をプレゼントしてくれるのもうれしいが遥か日本から来た初めての外国人が見れるので興味津々の様子だ。
一応制服は支給されていて皆同じ格好だ。
不思議な事に鼻をたらした子は2〜3人しかいなかった。私が子供の頃は鼻たれ小僧が半数はいたものだが・・・。
子供達の目は澄んでいて、珍しい外国人にキラキラと光っていた。
世界中、子供の目は澄んでいて共通なのだなぁ〜と思う。

 初めて見る日本人に興味津々 全校生徒

それからが大変だった。延々村の偉いさんやジェミニさん、校長先生の挨拶があり
服の贈呈式が一時間半に渡って続いた。
はるばる来た日本人からも挨拶して欲しいと言われた。よっし!!思い切り短く言ってやろう!!
「ユー!」「ユー!」「ユー!」と子供達一人一人指差し「ユー アー ジュエリー イン インディア!」と。
ジュエリーをジュールと言い間違い、シュワちゃんを困らせてしまった。
あとは日本語で「あと30年したら、インドは世界一になっていると思う。
そのために今は君たちが一生懸命勉強しておきなさい!!」
シュワちゃんがカンナダ語で通訳してくれた。
「アー ユー レディ?」「イエス、アイ キャン!!」もう一度「イエス アイ キャン!」と言い、
耳に手をかざしたら何をしたらいいのか分かってくれ、「イエス アイ キャン!」を言ってくれた。3回ばかり言わせた。
こぶしを突き上げ、反応してくれたのは驚きでもあったし嬉しかった。
今日の行事は子供服のプレゼントでジェミニさんが主役なのに、子供の好奇心は日本人に対してである。
ちょっとジェミニさんには申し訳ない気がした。

 立っているのがママちゃんのお父さんジェミニさん シュワちゃんのお姉さんで女校長先生 村のお偉いさんもそれぞれ30分の挨拶

 服の贈呈式 シュワちゃん一家 私達も参加

長い長いセレモニーが終わって私達が講堂から出ると待ちかねていたように子供達がもぐれついてきた。
私達の名前を聞いて、自分の名前を言い嫁さんが子供達をハグすると
我も我もと抱きついてくる。キリが無いほどである。

デジカメで写真を撮って見せてやると、自分も撮ってくれとそれはうるさい事。
30分も子供達に囲まれようやく脱出し、先生方と記念写真を撮って子供と別れる。
私の服を見ると、子供達とハグしたので土ぼこりが移って真っ白になっていた。
子供達があれほどに嬉しそうに、ハグしてきたのは何故なのだろう。
シュワちゃんやママちゃんやジェミニさんには、子供達はハグしなかった。
インドの挨拶でないと言えばそうなのだが・・・。
カースト制がまだ厳然と残って、貧しい(カースト下層)家庭の子供達にハグしてくれる日本人が
聖人のように思えたのだろうか?

 外に出たとたん子供たちがもぐれ付いて来た 嫁さんも身動き取れないほどに・・・ 

 校舎をバックに  セレモニーのあった講堂

町に帰る途中、シュワちゃんの知り合いの農園に立ち寄る。
ココナツヤシ農園の主人が快く出迎え、小作人に椰子の実を木に登って取ってこさせ、ふるまってくれた。
その頃嫁さんは胸がムカムカしていて、勧められた椰子のジュースを少し飲んだらゲロゲロしだした。
ずっと吐き気が続き、黄色の胃液しか出ない状態になってしまった。
それから帰国までずっと食事が出来なくなってしまった。


夜8時で暗くなってしまったが、有名なお寺(SOMNATHPOR)を見学。
信者達が多数お参りしている。暗くて全体が見れなかったが、壁の石細工は素晴しかった。
固い石材に細い透かし彫りが見事であった。しかし細い細工なのに風化してないのは何故なんだろう。
黒曜石に近い硬さと光沢があるようだ。雨が少ないので風化しないのか?良くぞこんなに細かい彫刻をしたものだ。

 石の壁の細工は見事であった シュワちゃんの長男ダッシャン 

嫁さんは気分が悪くて先にお寺の外に出たいというので、シュワちゃん一家を残し外の階段に座って休む。
有名はお寺なのだろう。近郊やインド各地からの信者達でごった返している。
観光客は昼間に来るのに、夜中9時に年取った東洋人二人がポツンと石段に座っている。
団体からはぐれたのか?泊まる所が無いのか?どんな人間なのか?心配だったのかもしれない。
そういえば行きかうインド人たちは石段に座り込んでいる私達をじろじろ見ている。
彼らが何を思っているのか想像するのも楽しい。
やせて色黒のインド人たちの顔はするどく恐い感じはするがその目は澄んでいて優しさが漂っている。
早くシュワちゃん達を捜さないとという気持ちにはならず、彼らの視線にさらされ、
石段に座り続ける事におかしみを感じている。
石段で休んでいると少年二人が何か話をしたそうにチラチラこちらを見ている。
嫁さんが「どこから来たの?」と話しかけた。彼らは近所らしい。
「お寺に行ったの?」と聞くと、「ムスリムだから行かない」との返事。
「どこから来たの?」「日本から・・・」など会話がはずむ。
少年達は英語をしゃべりたかったのと、あまり見かけない外国人達と話しをしたかったのだろう。

 近所の少年達 一緒に記念写真 遅くまで信者のお参りのあるお寺であった 

夜9時半にお寺を離れ、捜しながらクラブのホテルに着いたのは真夜中を過ぎていた。
1月7日(水曜日)ホテルの周りを歩く
朝8時半頃起きた。小鳥がさえずり、見ると緑色の美しい鳥達だ。
一本の木に3匹はリスがいて電線を伝わって家のベランダにも渡っている。
プールでも朝から泳いでいる地元のお金持ちの会員がいる。ホテルを出て朝の散歩に出る。
歩道には朝食用なのか、カレー屋さんの屋台が準備している。
もう少し歩くと大きな大きなグランドがあり若者が多数いる。道路を隔てたところに大学があった。
マイスール大学と書いてあった。花々がきれいなので構内に入ってみる。歩いている人は4人しか出会わなかった。
授業が始まっているのかな?不審な東洋人が構内を歩いていると見られがちだが
その点年寄り夫婦だと、殆ど咎められず、フリーパスのような気がする。

10時にホテルを出る。途中、踏み切りの遮断機が降りていた。
単線なのだが踏み切り番は3人もいる。人は無視して渡っていく。
待つこと10分もしてようやく列車が通過していった。手動の遮断機はようやく上がった。

ママちゃんのお姉さんの家に寄る。旦那さんは6年前に不動産屋を始め、だいぶ儲けたようだ。
新築3階の立派な家に住んでいた。3階にはジムの機械も沢山揃っていて、景気は良さそうだ。
バスタブもあるし屋上には太陽光の湯沸しの装置も設けてあった。
バブルの真っ盛りなようなのだが反動が恐いぞ!!
早く手仕舞いなさいと言ったのだが・・・。(過剰な不動産は手放す!)
10:30頃玄関に子牛が来ておばあちゃんが残飯などえさを洗面器に入れて、食べさせている。
毎朝決まった時間に来るそうだ。持ち主はいるらしい。
インド人は牛を神聖な動物と思っているので、子牛が毎朝来てくれるのが嬉しい様である。

 毎朝食事に来る子牛 新しい高級住宅街 ママちゃんのお姉さん一家

  一部屋の立派な仏壇 

ここでも日本人形をプレゼントし大喜びしてもらった。
朝食を頂いて、娘さん(高校生)の高校を訪ねピックアップ。
彼女のお友達4名と挨拶する。有名校のようで皆さん賢そうでいいとこのお嬢さんみたいだ。
皆さんにHPに載せるよ!といったら大喜びしていた。

3時有名らしいchamundeswari寺院に行く。お寺の構内は、はだしで歩かないといけない。
車にサンダルを置いて歩く。足の裏が熱い!!
50mも歩かないうちに足の裏が水ぶくれになるのではないかと思うほどだ。
かかとや外側を使って歩いてようやく寺院内に。
ヒンズー教の神々のことはよく分からんが、寺院の壁の彫刻は素晴しい。
境内にも牛が5〜6頭居て糞をしたり、のんびり過ごしている。牛どもは人間を恐れたり敬っている風は無い。
自分達(牛達)と同じ動物がウロウロしているという見方のようだ。
白毛の角の長い牛は町中で荷車を一生懸命引いていた。牛にもカースト制度があるのかな?

 長女と高校のお友達 お寺に沢山行ったので??? 牛の神様

4時頃レストランで夕食。嫁さんは全然食べ物を受け付けず。
私は出されたものは全部平らげた。カレーの臭いも全然気にならない。
我家にスーちゃんが来て、週に一度位カレー料理を食べていたので、慣れてしまって毎食でも構わない。

5時すぎilluminatedパレスの見物をする。石造りの立派な建物にはやはり圧倒される。
室内はマハラジャが贅をこらした装飾品で一杯だ。
日本語の案内テープを借りたのだが一時間ばかりしか時間が無かったので説明は殆ど聞けなかった。

 パレスの門前で パレス 

パレスを出た所にお土産店がずらりと並んでいる。パレスも締まったので店じまいをしている。
欲しいものは無いが、木彫りの皿が面白そうなので値段交渉する。
一枚が500ルピーだという。200ルピーにしてくれと言うと、400ルピーという。
店じまいなので絶対安くするはずだと粘ってみる。
4枚で800ルピーにしろというのだが、一枚350ルピーがいっぱいだという。
別に欲しいものでないのでいらないと立ち去る。
アレッ!!シュワちゃん達が居ない。大通りに出て見るも見当たらない。
先程の店のおやじが4枚で1000ルピーでいいからと
こちらはシュワちゃんとはぐれてしまったので青くなってしまった。

人捜し顔できょろきょろしていると、おじさんが近寄って来て「駐車場はあちらだよ」と教えてくれた。
まだ店のオヤジは皿を持ってくっついてくる。
こちらはそれどころではない心境なのにお構い無しに買え!買え!とついて来る。
めんどうなので1000ルピー出して買い取る。駐車場近くに来るとシュワちゃんが捜しに来てくれていた。
皆はまだ買い物を楽しんでいるようだ。
物入れの小箱240ルピーを65ルピーにママちゃんのお姉さんがねぎって3ケ買ったようだ。
さすが地元のおばさんは強い。言い値の三分の一に値切るとは・・・・。
私は皿の数を増して半値しか値切れなかった。
私達も小箱を65ルピーなら3ケ買うというのに80ルピーだと譲らない。
シュワちゃんがさっき65ルピーで買ったじゃないか!!といってもきかない。
シュワちゃんの交渉力は、か細い限りだ。インド人なのにねぎって物を買った事がないようだ。

夜は再度ママちゃんのお姉さんのところにお邪魔した。
男の子の部屋には電子オルガンがあり、演奏してお姉ちゃんが歌ってくれた。
「武さん謡を謡って下さい!!」とシュワちゃんがあまりに切望するので、羅生門の一節を謡った。
初めて聴く音楽なのでインド人家族はもちろんシュワちゃん一家もたまげていた。
日本人もあまり聞いた事の無い謡曲をインド人に聞かせてもなぁ〜と思いつつ謡ってしまった。
高校生の時、柔道をやり、ブラックベルトを取ったと事項紹介したものだから、
男の子が是非教えてとせがんできた。
男の子は目をキラキラさせて教えを乞うのだ。私の子供時代の男の子の心意気を感じた。
背負い投げを教えて、私が投げられてやろうと思ったのだが、居間の床は大理石なので
受身も効かないだろうと、投げられるのはやめた。

 長男の電子オルガン演奏 柔道の技背負い投げを教えた ダッシャンには朽木倒しを教えた

夜9時ごろマイスールを後にする。
バンガロールのホテルに到着したのは、夜11時になってしまった。
1月8日(木曜日)嫁さんと街歩き
シュワちゃんが11時に迎えに来る。
9時過ぎに起きてホテルの1Fのレストランで朝のバイキングがあるので行ってみる。
日本より種類は少なくインド料理がメインである。一応少しづつ皿に盛ってみる。
嫁さんはまだ食べられない。2日ばかり何も食べてないのでお腹はすいているのだろう。
ペットボトルの水を注文し、29ルピー請求された。朝食バイキングは宿代に入っているそうだ。
ちなみに宿泊料は二人で一泊2700ルピー(5400円)である。
高級ホテルではないがサービスが細かい心遣いが伝わってきてうれしい。
浴室はバスタブが有り、お湯もドバーッと出てくる。
掃除も行き届いていて髪の毛一本落ちていなかった。便座には日本と同じ様に掃除済みの紙がひいてある。
お尻を洗う小さなシャワーも設置してある。
ベッドメイクもビシッとしてある。当然部屋の掃除は行き届いている。
外国のホテルに泊まると壁や天井などの入隅を観察するのが身についてしまった。
建築業界の片隅で仕事をしていたので、仕上げが難しいのは入隅である事を知っている。
このホテルで外国で、初めてきっちり入隅を仕上げてあるのを見た。
このホテルのオーナーは日本で学んできたのかと思うほどであった。

 内部は細かいところに心使いがあった トイレの近くの小さいシャワーはお尻用

朝食が終わって10時過ぎにホテルの近くを歩いてみる。
車やオートリキシャがブーブーピーピーと警笛を鳴らし走り回っている。
バイクは車と同じくらいの数が走っている。
歩道は2m位あり、石畳である。建物の前には神様のお供えをするからか?ゴミが多い。
歩道の半分は店が占領していて、車道を歩かないと行けないところもある。
街のメインストリートではないので、でかいお店は無く殆ど間口が3〜5mくらいである。
この通りはタイヤ店が多い。小さな店で店の中にも表にも、中古のタイヤが山積みされている。
店というより倉庫みたいなものだ。お店のオヤジと2〜3名の若い衆が居て掃除などしている。
おそらく客は、自分の車に合うタイヤを捜してお店のハシゴをするのだろう。
若い衆が二人で外を掃除していたので嫁さんが英語で話しかける。16歳と18歳であった。
店の奥で迷惑そうな親父の顔が見えたので、写真を撮って早々に引き上げる。

しばらく歩くとバイク屋さんがならんでいる。店の前で4名の若者が居たので話しかける。
ホンダやカワサキのバイクなどが並べてある。小さな店なので展示というより駐輪場のように並べてある。
オヤジの店で息子二人(25才と22才)と若い従業員のようだ。
月に何台売れるのかしれないが、4名も必要ないお店の規模だ。息子二人はカレッジには行ったようだ。
先程のタイヤ屋さんの若者もここのバイク屋の若い従業員も将来お店を持つつもりだと言っていた。
どんな事であれ若者が夢を持っているという事(持てるという事)はすばらしいなあと思う。
今の日本の若者は夢を持っているのだろうか?先が見えてしまう日本の若者が少しかわいそうな気がする。

 タイヤ屋の若い衆 道路の真ん中でタイヤ交換していた オイ!オイ! 

 バイク屋の若い経営者と若い衆 日本製のバイクも沢山ある店内 この店も丁稚が働いていた
   街の若い衆と話をする嫁さん

11時にはシュワちゃんが迎えに来るのでUターンしてホテルへ向う。
途中の交差点で10歳くらいの女の子が、お尻丸出しでしゃがんでいる。
目を凝らすとお尻の下には黄色の物体が堂々と、とぐろを巻いている。
女の子は悪びれた風も無く、恥ずかしそうでも無い。
私のトイレはここなのだという風である。私は少し恥ずかしくなり目をはずしたが、嫁さんはパチリと写真を撮った。
(食事の近い人は目を凝らさないように!!)
日本に帰ってスーちゃんにその事を話すと「ガンジーがイギリス人に抵抗する一つの手段として、
イギリス人が通ると皆で路上でウンチしたんだよ」と学校で教わったことを話してくれた。
ガンジーの非暴力抵抗運動のひとつとして、ウンチ作戦があったとは初耳であるが、おかしく腹がよじれてしまった。
イギリス人が歩くと皆が並んで道路にウンチしているのを想像すると、滑稽でもあり、すさまじいとも思う。

   

ホテル近くの交差点で警察官が二人笛を吹いて信号無視の連中に注意をしていた。
ビデオカメラで動画を撮っていると、近づいてきて何やら質問してきた。
嫁さんが日本人で観光していると言っているようだ。外国人が珍しかったのだろう。
いろいろ質問してきた。(そういえばインドに来て未だ一度も西欧人も東洋人も見ていない)
撮影しているビデオカメラの価格を聞くので、4万ルピー(8万円)と答えると、びっくりしていた。
彼らの給料を聞いてみればよかった。
白バイの二人も加わってデジカメで写真を撮った。
インド人は写真を撮るのが好きなのか、撮っていいかと聞くと皆んな大喜び風だった。
11時にシュワちゃんが迎えに来てくれ、市内観光をする。
(話がダブルので嫁さんの1月8日HP参照。)

 インドの警察官は威張っていた  交差点はいつも渋滞である
1月9日(金曜日)嫁さんと市内観光
今日はシュワちゃん一家も11日には日本に来るので準備がある。
今日一日は私達二人だけで市内探索をしようと計画した。
チェックアウトしないといけないし、ホテルで荷物を預かってもらおうと昨夜シュワちゃんにホテルに交渉してもらった。
すると7日夜のチェックインが夜11時であったので、あなた方は二日分(48時間)は
ホテルを利用することが出来ますと言ってくれた。
昨夜何時にチェックインしようと、翌朝10時にはチェックアウトするのが日本では普通なのに・・・・。
ここのホテルは一日(24時間)分使用できるシステムだという。
普通なら今朝10時にチェックアウトしなければならないのに今夜11時まで使用可能だという。
今夜遅く空港へ行くので大助かりだ。
今朝嫁さんは三日間ロクな食事しなかったのでお腹すいたとみえ、
朝食バイキングでパンや果物、ジュースなど結構食べていた。

日本へのお土産を何も買ってないので市場へ行ってみよう。
ホテルのカウンターで嫁さんが近くの市場はどこですか?と聞いたら、ガンジーバザールだと教えてくれた。
オートリキシャでいける距離だというので行く事にした。
ドアーマンが表通りまで一緒に行ってオートリキシャを止めてくれ、
英語がしゃべれるか確認してくれ2台目に乗せてくれた。

スーちゃんが来てからカレーを作ることが多くなったので食材も買いたい。
値段表が付いているスーパーマーケットが安心なので食料品スーパーに行ってくれというのだが、
お店の種類がよく伝わらない。
案内してくれたお店は果物屋に毛の生えたようなお店だった。
「OK、ガンジーバザールをゆっくり走ってくれ」と小さな雑多なお店を目を皿にして観察。
カンナダ語の看板ばかりで何お店か分からない。
時々英語も書いてあるので良く見ていたら間口10mくらいの看板に・・・・・marketが見えたので、降りてみることにした。
運転手には外で待ってもらう。
果たして食料品のスーパーであった。値段表も付いているので安心だ。
見れば半分以上は分かるのだが、何に使用するのか分からない物もある。
嫁さんはカレーのスパイスや豆類など沢山買い込んでいる。
私もピリ辛系のスナックを買い込んだ。2000ルピー(4000円)ばかり買ったので大きな袋二つになった。
ホテルに1:00にシュワちゃんが迎えに来ることになっている。

昼からバンガロール市内観光バスを予約してくれている。
二人だけで観光バスに乗るのだが、バスターミナルまで送ってくれる予定なのだ。
英語の案内で二人で340ルピー(700円)なのである。

未だ充分時間はあるのでどこかに案内してくれてオートリキシャの運転手に頼む。
タクシーのメーターをノーカウントにしていいか運転手が聞いてきた。
待ち時間は支払うつもりなので「No!!]と答える。
近くの寺院に案内してくれた。ここも入るのに靴を脱がないといけない。
下足番が居て二人で10ルピー請求された。
ヒンズー教寺院で坊さんが杓で水を振りまいている。
お参りの人はしぶきをかけてもらおうと近づいて行きお布施を皿の上に乗せている。
立っていると私達にも振りかけてくれたが、お布施は出さなかった。坊さんは何を思っただろうか?
あまり見かけない東洋人が何しに来たのだろうと思っているに違いない。
もう少し大きなお寺と小さなお寺があったが、下足番が入り口のところに立っているので、
入るのはやめにする。
次は大きな公園に案内してくれた。(その後は嫁さんのHPで)
ホテルに戻りオートリキシャのメーターは80ルピーを示していたが、倍は払わないとと思って、「いくら?」と聞いたら
500ルピー(千円)請求された。値切るのも面倒なので支払う。

 借りきりで走ってくれたオートリキシャのおやじ  

  有名な公園で・・ 有名な公園で・・何とかロック

 名も知らないお寺   

12時半にホテルに帰ったのだが、嫁さんはまた吐き気がし、下痢気味になって、熱まで出るようになってしまった。
昼からはずっと寝ていたいというので市内観光はやめる事にした。
今夜は泊まるわけでないのであるが、ベッドメイクしてあるベッドに寝込んでしまった。
1時にシュワちゃん来てくれたが、市内観光を取りやめる事を伝える。
キャンセル出来なくても二人分700円なので別に腹は立たない。

それでは近くの公園に行こうと先程嫁さんと行った公園に行く。
樹木の種類は豊富で説明はある。ベンチに腰かけ2時間ばかり時間をつぶす。
時々電話をして今夜の空港行きのタクシーを確認している。
実は昨日からインド全土で精油所のストライキがあり、ガソリンスタンドの半分以上は売るガソリンが無くなり休業。
残っているガソリンスタンドにはバイクや車が殺到していて、まともに給油出来ない。
往復のガソリンが確保できないと空港へ行く事が出来ない。
4時すぎようやくガソリンの段取りがついたと連絡あった。ヤレヤレ!
これで今夜、空港にいける!

シュワちゃんにインド滞在の経費を精算してもらい、あといくら払えばいいか聞いた。
すると1000ルピーお釣りがあると言う。
最初に10000ルピー(2万円)預けていたのだが・・・
バンガロールのホテル代5400ルピーも清算済みだという。
4日間の雇ったタクシー代も三分の一も入っていると言う。
何か計算違いしてない?計算書を見せてくれた。うーん!
親戚でお世話になった食事代は入ってないので、無茶苦茶安い。
残っていた2000ルピーは無理やり渡す。
それにしても五日間のインド滞在で、二人分で二万円とは・・・
シュワちゃんには申し訳ないことであった。

1月10日(土曜日)インド旅行雑感
日本に向けて帰国・・・(嫁さんのHPで)

嫁さんはお腹を壊してしまったので、あまり楽しい旅行では無かったようだ。
私にとっては、食べ物も時差も全然平気であった。
観光ツアーの旅行でなく、インド人との田舎廻りであったので、少し同じ目線で見る事できたかな?
インド人が日本人を見る目線も感じられたので面白い経験であった。

シュワちゃんのお姉さんの旦那が、高校の化学の先生をしている。
授業は英語で教えているそうだ。インドの子供達はすごいなあ〜
語学能力ゼロの私にはちょっと想像しにくい!
しかし、後から考えておかしいと思った。
自国の子供達を教育するのに、英語を使う事は無いと思う!!なんちゅうこっちゃ!!
英語の授業を英語でやるのはそれなりの意味があると思うが・・
(嫁さんがボランティアでやっている、外国人のための日本語教室(IVC)は日本語で教えている。)
スーちゃんが「スリランカの大学では全部英語で授業をしている」と悲しそうに言っていた。
シンハラ語で書いた大学の教科書や論文等が少ないと言う事でもあるのだろうか?
政府の中でも、大会社の中でも英語が飛び交っていると言っていた。
英語をしゃべる事がステイタスになっているようなのだ。
「電話でスリランカはハローだけど、日本では”もしもし”とはすごいことだと思った」言っていた。
そういえば、タイでもハローだったし、インドでもハローであった。
スーちゃんの日本に来ての”百聞は一見にしかず”の一つである。
スーちゃんは日本人が日本語だけで生活出来ている事に衝撃を受けたようだ。

シュワちゃんのお姉さんの旦那は「日本人がバリバリ英語が使えれば絶対に世界一の国なのになあ〜」と
つくづく言っていた。(私と英語でしゃべれなかったのでそう言ったに違いない)
でも、ジェミニさんの英語は嫁さんにも理解できなかったようだ。
シュワちゃんにその事を言ったら、インド人の英語はヒングリッシュで
ここカンナダ県の英語はカングリッシュだといっていた。
アメリカ人にも通じない英語だと自嘲気味に言っていた。

今回は日本人初めてとか、外国人初めてとかのシモガの田舎地域にも行った・・・・
そこにも、自動車、バイク、家庭電化製品、カメラなど想像以上に日本製品があふれていた。
日本製品ばかり見せないで、日本人の顔もっと見せるべきなのではないかと思う。
若い人にもっと世界に出かけて欲しいものだ。(旅行だけでなく、仕事や留学に出かけて欲しい。)

かくして、インドデカン高原のバンガロール周りだけの旅は終わった。
国が6〜7個集まったようなでかいインドなのでいくら見ても見終わらない気がする。
今度は観光ツアーでタージマハルでも見に行こうかな・・・・
未だ嫁さんは下痢と吐き気からの悪夢から覚めやらないでいるので、提案は2年ぐらい後にしようかな。

インド写真集
今回のインド旅行地図
バンガロール→シモガ→マイソール→バンガロール

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1月26日(月曜日) スーちゃんスキー
ホアンの時パッちゃんの時も何も考えずバンバンとスキーをさせた。
AFSの決まりではスキーは危険なスポーツなので、母国の両親の了解を取らないといけなかったらしい。
スーちゃんは沢山の雪を見たくて見たくてしかたなかった。
スーちゃんは運動神経はありそうでないのでスキーはあまり考えていなかった。
遠慮げに、でもどうしてもスキー場に行ってみたいと言う。
母国の両親の了解は間に合わないが、AFSにはシークレットで連れて行くことにいた。
パッちゃんも連れて行った寒曳山スキー場に行く。
高速道路を降りて、大朝の町に入ると30Cmの雪である。
山の木々は雪の綿帽子をかぶっている。
「いいなあ〜 いいなあ〜」の連発で、感動で体が震えているようだ。
カメラを出して車の中から雪景色をとりまくっている。
車をとめて写真を撮るように言うと、木々が雪をかぶったのが美しいと10分ばかり帰ってこない。

   

寒曳山スキー場についた。
沢山の雪には感動しているのだが、斜面の雄大さを見て怖気ついたようだ。
寒曳山スキー場は第二リフトが緩斜面である。
練習は第二リフトでやろうとスキーを私が担いでスーちゃんとリフトの乗ろうとしたら、係員に止められた。
リフトを降りるときにスキー板を付けていないと危ないと言われてしまった。
平坦なところで板を付けて歩く練習を1時間ばかり続けた。
緩やかな斜面も少しは滑れるようになったのでリフトに乗る。
リフトを降りるときは何とか持ちこたえた。(最後はお尻をついたが)
スーちゃんは運動神経がダメでスキーはどうにもならんかな?と思っていたのだが・・・
斜滑降を教えるのだが、カービンスキーの成果すぐに直滑降になってしまう。
結構度胸があって、ストップはお尻ブレーキに慣れてしまいドンドンすべる様になった。
やっぱり若いって事は素晴しいなあ〜
昼食の後はコースの途中で雪だるまを作り始めた。
目一杯の雪を楽しみたいのだろう!
それでは!と、「スーちゃんその斜面に飛び込んでごらん!!」と命令する。
新雪の斜面なので、ちょっと躊躇していたが身体を投げ出しゴロゴロ転がり出した。
生れて始めての雪の感触を全身で感じている。
雪に埋もれて5分間も動かない!
「風邪引くよ!」と声をかける・・・
昨年10月ごろ秋になり寒くなってきたら「スーちゃん冬になったら死ぬ!」と言っていたのに・・・
木に積もった雪をふるい落として、頭から雪をかぶって楽しんでいる。
斜面から上がってきて雪だるまを作り出した。

 雪もぐれになるのが嬉しくて・・ 雪を感じたくて、手袋をはずして 

 口をあけて雪を・・・  うれしい!!! 雪だるまも作ったよ

雪と戯れるのがうれしくて仕方ないようなので勝手に遊ばせておき、私はスキーを楽しむ事に・・・
4時ごろになったので降りることにした。
第一リフトの斜面は大きく急斜面なのでビビっている。
無理をさせて帰国近くに怪我をさせてはいけないので、歩いて降りるように言い
スーちゃんのスキーとストックを持って滑って降りる。
スキー場からの帰り道も写真を取りまくっていた。
スリランカでは絶対に出来ない経験を目一杯楽しんでいるようであった。
1月31日(土曜日) スーちゃん帰国
スーちゃんは8月末にホストファミリーの都合で、私達のところに来てくれた。
日本大好きで3年前から日本語を習っていたので、会話は全然問題なかった。
学業優秀で100名の応募の中から2名選ばれて日本に来た。
ご両親からも学校の先生からの覚えも良く、典型的な”良い子”である。
瀬戸内高校の日本史などの成績も良く、日本の先生方の覚えも良いのである。
スーちゃんは自分の価値観には絶対の自信を持っている。
瀬戸内高校の授業風景には腰を抜かしたようである。
皆の状況が分かるに付け、自分とは違う生活があり一面的な判断は出来ない事を学んだようだ。
「百聞は一見にしかず」を機会あるごとに言い、いろんな見方があることを話した。
スリランカの若者達が、見聞をひろめ自分達にも出来ると、物事を始めればきっと出来るよ!!
日本にも追いつく事が出来るよ!!
スーちゃんもその一翼を担いなさい!と励ましたのだが・・・・

2月15日までにもう5回も電話してきた。
「お元気ですか?」「親戚や友達に同じ事を何十回も話しているよ」など近況報告の電話をくれる。
「日本に帰りたい!」「スリランカが恐い」「半年で2年分の勉強が追いつくか?」など不安が一杯の様でもある。
一日も早くスリランカの生活リズムを取り戻してもらいたいものだ・・・

お別れの様子は嫁さんのHPにて