2019年 10月   
 10月5日(土)雲底タッチ・狩留家15Km
先日の台風で林道に倒木や枝や落ち葉が散乱している。
今年の平和カップ大会の為に明日は全員山掃除なので
今日飛ぼうと田原さんに声を掛ける。
11時過ぎに中野号で田原さん、小田さん、甲斐さん、私の5人で荒谷山に上がる。
テイクオフには三脚にカメラをセットした人が居た。
三次の高谷山に朝行って、カメラアングルの下見に来ていたのだった。
車は福山ナンバーで、昨年は山口ナンバーも見たことがある。
三次の高谷山は展望台も設置しているが、ここ荒谷山はパラのテイクオフ場なのだが
結構アマチアカメラマンには知られてきている様だ。
部落の12時サイレンが聞こえた頃、甲斐さんがテイクオフし正面ボールで粘っている。
中野さんテイクオフし同じようなところで粘っている。
若干トップアウトしているのだがなかなか上がって行かない。
本流は北西なのだが、テイクオフは北斜面からブロー気味に上がって来る

12時17分、北斜面からテイクオフ。
先行した二人が上がり切らないので北尾根を目指す。
3筋の尾根上ではバリオは囁いてはくれるのだが廻すほどではない。
7回ばかり北尾根を磨いていると、一番奥の尾根筋で良いリフトを感じ廻す。
何とかトップアウトは果たしたが一気には上がらない。
北尾根上空でウロウロしていて海抜690m。
西被りの為か海抜710mあたりでグラグラする。
中野さんが右ボールから同高度に上がって来た。
二人で廻していると彼の方が良いサーマルをヒットしている様だ。
テイクオフ上空にずらしていくと2mSec前後で気持ちよく上がり始めた。
海抜1240mまで上がったので神の倉へ谷渡り開始。
芸備線上空あたりでシンク音が聞こえ始めたので右ターンしてお寺上空目指す。
お寺上空で海抜950mなのでいつものクロカンコースを走ってみる。
志和口駅駅裏の日浦地区上空で海抜770mなので
まだメインランディングには帰る事が出来る。
そこでリフトに遭遇し、1~2m/Secのリフトを丁寧に廻す。
上空にはサーマル雲が横たわっているので雲底を目指そう。
海抜1200m辺りで3m/Secの安定した上昇率に変わってきたので
雲の吸い上げの影響が出始めたようだ。
海抜1570m辺りで雲底に到達。
雲の端は南西と確認してちょこっと雲中。
雲を出て白木山へ走る事を無線連絡すると中野さん確認。
アクセル投入し、先ずは「お約束の地」の高圧電線十字路へ。
十字路手前でリフトを感じたのでちょこっと回す。
2旋回して海抜1266m、十字路上空に留まって居たくはないので
早々に白木山を目指す。
中三田駅裏の稜線上海抜990mまで下がったが、中三田当たりからの
リーサイドサーマルが上がって来ているのだろう。
上がったり下がったりしながら白木山手前1,2Kmで海抜1287mまで上げ直す。
白木山(889m)まで来ると海抜1077m。
南斜面で海抜1203mまで上げ直したので鬼ヶ城を目指す。
鬼ヶ城まで800mの所で尾根上100m(海抜870m)しかない。
とても越えられそうにないので狩留家側にこぼれて行きサーマルを探す。
沢の凹みに入るとグラグラと揺れるローター域だ。
中野さんが追い付いて来て同じようにローター域にはまった。
何とか脱出してアウトアンドリターンで白木山へ帰って行った。
自分は海抜533mまで下がり、23分間粘って海抜1050mまで上げ直した。
鬼ヶ城と思ったが-3m/Secのシンクにはまってしまった。
その後はお助けサーマルもなく一気に狩留家に下がる。
狩留家駅裏の土手に降ろす。
雲底高度1570m、1時間50分、15Kmのフライトであった。
パラを畳んでいると兼田さんが電話を呉れた。
無線を聞いていて三次方面に行ったと勘違いし、ピックアップしようと
甲田町まで行っていたので戻ってくるように話す。有難う。
田原さんから電話があり私をピックアップする為向かっているとの事。
狩留家駅の県道に出ているのでお願いしますと感謝。
直ぐに兼田さんに電話し神の倉で飛んで下さいと伝える。
5分ばかりで田原さんにピックアップして貰った。
中野さんに電話すると高圧電線十字路を越えられず、自分も何度か
降ろした事のある鳥井原地区の休耕田に降ろしたそうだ。
彼もピックアップして神の倉に帰る。
本日は私がテイクオフした後は無風ないしフォローで、流石のベテラン達も
上りが良くなかったらしい。

 YOUTUBE動画

 フライトログページ

  10月12日(土)平和カップ初日
先週6日(日)遠来のお客様を迎えるため、荒谷山林道の掃除。
テイクオフ斜面の凸凹の修正の為200袋の肥料・種付き土嚢の作成敷き詰め。
テイクオフ下斜面下の雑木の伐採。
皆さん頑張ったのだか台風19号の来襲で平和カップの開催が強風の為
おぼつかなくなってきた。
パーティーが平和カップの大きな楽しみとして下さるので皆さん続々と参集される。
西条の酒祭りが行われているのでそちらへ行かれた人もいたようだ。
大会キャンセルとなっても、第二弾の楽しみがある事は神の倉としても有難い。
  10月13日(日)平和カップ二日目
昨日はハングのみのコンペだったが、本日はパラとハングの同時開催。
開会式の後、強風の為早々とキャンセル。
川地塾の川地さんと8年ぶりに再会。
関東地区の川地塾生と大会に参加してもらったようだ。
15年ほど前に川地塾に参加させてもらった。
2年の塾生だったが努力不足で落ちこぼれの私は一向に上手くならない。

川地さんとの思い出
2006年スペインフライトに連れて行ってもらった。
YOUTUBEのページの7月15日~21日

2007年には北海道で川地塾に合流
北海道ホームレス旅行のページの6月15日~18日

2011年8月にはフランスフライト
7月29日~8月6日のフライト三昧であった。

夜はウェルカムパーティーなのだが、自分は大会には出たことがないので
参集された選手たちとのコンタクトもないし、酒も飲めないので
過去2度しか出たことがない。
キャンセルになったので家に帰る。

10月14日は風も弱まり大会は開催出来そうだ。
今回の台風19号は東日本に大きな被害をもたらした。
雨量が半端なく多くて堤防の決壊が54か所で起きたそうだ。
死者の数も昨年の西日本豪雨に迫ろうとしている。
地球の平均気温が1~2度上がると大変な気候変動が起きるらしい。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、対策は50年・100年の地道な対策が・・・
  10月14日(月) 市民能楽のつどい
「市民能楽のつどい」が今年で40回(40周年)を迎える。
戦前には饒津神社に能舞台があったのだが原爆で消滅。
能楽愛好家たちが広島市に働きかけやっと立派な移動式能舞台を手に入れた。
そして40年間、能楽愛好家に格安で能舞台を解放させてもらっている。
能楽の4流(喜多流・観世流・金剛流・宝生流)の能楽愛好家達の発表会である。
能楽愛好家たちもパラグライダーと同じ様に絶滅危惧種である。
喜多流の広島大島会と我が明生会が若干若手が増えていることが嬉しい。
我が明生会は今年も7~10歳の子供が3人参加してくれ安堵している。
大島衣恵師が主催される「子ども能楽ふれあい教室受講生」も
毎年20名ほどの小学生が謡と仕舞を演じてくれる。
大島衣恵師のご努力もさることながら、子供の親たちが関心を寄せて
参加を促して呉れていることが有難い。
3年前から特別企画「能楽ガイド」で4流の先生方の興味あるお話が聞ける。
  観世流・・津田和忠師・
  宝生流・・石黒美都師
  金剛流・・豊嶋晃嗣師
  喜多流・・大島衣恵師
小鼓方
  幸流・・横山幸彦師
以上5名の先生方拍子の取り方や4流の教え方等目から鱗のお話も聞けた。
流派の代表として先生方のお話も熱を帯びてくる。
3年前から始まった特別企画なのだが年々客席が埋まってくるように思う。
来年はどんなお話がきけるのか!と楽しみが増えたのは私だけではない。

日本芸能の源流ともいえる能楽に興味を持ってくれる人が増えてくれると良いのだが・・

  10月27日(日)新車慣らし運転
15年乗ったアテンザもショックアブソーバーが利かなくなったりドライブシャフトあたりから
グリースが漏れ出しボチボチ変え時かなと・・・
老人の運転免許証返納がテレビでも騒がれている。
自分が後何年乗れるか判らないが、最後の車だろうと思い広島マツダの懇意にしている
若いがお客様ファーストの営業マンを呼んだ。
年寄り仕様の車にしてくれという事でCX-5にした。
ドライブレコーダーも360度撮影にしてもらった。
基本的な運転に必要な操作と、年寄りに便利な操作を習ったが覚えきれない。
車の説明書は600ページもあるので索引で探すのも大変そう。
「判らない時は電話するので頼むわ」という事で営業マンを無罪放免。

昼から慣らし運転してみようと言っていたら、昔パラグライダーを夫婦でやっていた
松代家のいっちゃんのお母さんが散歩の途中立ち寄ってくれた。
時間は有るので嫁さんと3人でちょっと遠乗りすることに。
スピード固定と車間距離を試してみたかったので高速道路に乗る。
広島空港近くの河内ICで降りる。
世羅町を廻って神の倉に寄ろうと思い走らせていると竹林寺の看板が・・・
名前はよく聞いたことがあったので寄ってみる事にした。
結構山奥にあり山道で車には出会わなかった。
世羅町経由で神の倉に行こうとしたが通行止めだ。
福富町→志和町→神の倉に行く。
16時頃到着したら鍛冶ちゃんが広大のシゲル君が約束のウズラの卵渡してくれた。
プレジャーの練習生に聞くと、ビッグイヤーかけても上がって行くし
あちこちで上げ直しの効く状態だったらしい。
先輩たちに聞いていた「降ろしたくても上がる!」事を経験して嬉しそうだった。
B級生の服部さんは2時間飛び「初めて土師ダムを見ました」と感激の様子。
B級生達に「君は土師ダムを見たか!」のフレーズを教えていたので
皆さんよく覚えていて一大目標にしている様だ。
松代さんは20年前のパラ仲間と少し話をしたらしいが、夕食の用意があるので
早々に引き上げる。
今はパラを辞めている松代の旦那も、偶々バイクに乗って神の倉に来ていたようだ。

CX-5の様々な操作は五つばかりしか試せなかった。
 10月28日(月)新車で黒川温泉へ
2016年12月に九州へパラフライトに行き黒川温泉に泊まった。
雰囲気も料理も美味しかったので、何時かは嫁さんを連れて行こうと思っていた。
新車の遠乗りをするので目的地を黒川温泉とした。
カーナビで目的地を黒川温泉の「御客屋」とし、7時頃出発。
走行スピード110Kmに固定するとアクセルを踏まないで走ってくれる。
前走車に近づくと一定の車間距離を保ってくれる。
アクセル操作がないのはすごく楽なのだが、何だかリラックスし過ぎで注意散漫。
下松PAで朝食し、東九州道路の上毛SAで行先を九重夢大吊橋に変更。
九重ICで降りて九十九折りを上がっていると「桂茶屋」とお店があり昼食。
此処は九酔峡という景勝地で深い谷に紅葉が2分咲きだった。
「桂茶屋」で昼食とする。
女将がタヌキ化粧を施していて面白かったなので許可を得て撮影。
旅の思い出としては強烈なシーンだった。

九重夢大吊橋はパラ旅行の時ちらっと遠望しただけだったので
500円払って渡ることにした。
高さ173m、長さ390mの吊り橋のお客さんの7割はインバウンドに驚く。
こんな周りに観光地の少ない辺鄙なところにこれだけのお客さん。
看板に大きく1100万人達成の看板があったのに驚く。
橋の中ほどに立っていた警備員さんに声を掛ける。
「ここから飛んだ人いますか?」の問いに「13年間で4~5人います」との事だった。
この橋を作るに当たって、国も県も一切関わって呉れなかったそうだが
時の町長は地元民の反対も説得して着手。
総工費は20億円かかったそうだが、13年間の売り上げは50億円になったそうだ。
充分に元は取れたし、地元への経済効果も大きく貢献したのだろう。
町長は先見の明があったとは言え、よくまあ着工に辿り着けたものだと感心する。

さて、黒川温泉「御客屋」にカーナビをセットし直す。
17時過ぎに到着したら宿の駐車場は、入湯手形のお客で混雑していた。
駐車場の看板には享保七年創業とあった。(約300年前)
女将さんが出て来て「入庫しますので鍵を預らして下さい」との事。
カウンターで記帳をしていると女将が「フロントガラスを拭いてもよろしいですか?」と
聞いてきたので、う~んと唸ってしまった。
小さな蟲の死骸がフロントガラスにこびりついたので雑巾を借りようと
申し入れようと思っていた矢先の時だったのだ。
若い女性が部屋まで案内してくれる。
山の斜面に沿って建てられた木造の旅館で階段で繋がっていて
廊下の所々と部屋に生の花が活けてある。
小さいながらも生の花が活けてある事は結構大変な作業なのだ。
一応、お風呂や旅館の説明をしてくれた。
古い旅館に若い女性(みほちゃん)が勤めているのでここの娘さん?と聞いたら違った。
熊本市出身で専門学校のホテル接客を学んだが、おばあちゃんの影響で
日本旅館にあこがれ今年3月からお世話になってますとの事だった。
「明日はどちらへ」の問いにパラをやっているので大観峰に寄って
見ようかと思っていると答える。
空を飛ぶパラグライダーに興味津々の様子だった。
部屋には花が活けられていたし明日の明け方の気温が1度との案内も・・・
お茶もティーパックでなく煎茶が用意されていた。
取りあえず細川公も愛用したと言うお風呂に行く。
浴衣を着ると小柄な夫婦なのにぴったりの浴衣がクローゼットに畳まれていた。
どう考えても受付で観察して用意したと思える。でも,何時???
露天風呂は早かった所為か自分一人だったが、若い男性が入って来た。
何処から来たのと声を掛けると東京ですとの事。
入湯手形の客のようだった。
黒川温泉は高いので隣の白川温泉に泊まって、黒川温泉の入湯手形で
三つの入湯を目指しているそうだ。
「どこが良かったですか?」と聞かれたが此処に泊まっていると答えた。

食事はテーブルの個室に案内される。
食事の世話も先ほどの若い女性(みほちゃん)だった。
おしな書はなかったが、運んで来る度に一品づつ説明してくれた。
特別変わった食材はなかったが、全体的に薄味で食材の旨味を
引き出すことに心を配っているように思えた。
米と野菜は旅館が栽培しているものを提供しているそうだ。
ヤマメの焼き魚の焼き具合が絶品で、美味しいと思った。
普通は皮は焦げていて中の身はべちょっとしているのだが、囲炉裏の炭火の遠赤外線で
焼いた様に身はしっかりしていて旨味が増しているように思えた。
料理人の心意気が伝わって来る全ての料理だった。
先ほど風呂に入った時、フェースタオルを廊下に落としたようなのだが
探しに行ったのだがなかったのでタオルをお願いする。
21時過ぎにタオルを届けに来てくれた。
私のHPをタブレットで、嫁さんの生け花やパラのYOUTUBEの動画を見てもらう。
ちょっと心配になり時間は大丈夫なのか聞くと21時から時間外なのだそうだ。
彼女は21歳で250ccのバイク乗りでもあるそうだ。
パラに興味がありそうなので、阿蘇でタンデムをするより一日体験を勧める。
一時間ばかり若い女性と話が盛り上がった。
接客部門には若い男性も2名いた。
インターネットでの接客も必要になって来たので若い力も借りる必要になって来たのだろう。
14部屋あってスタッフは20名居るという事だった。
50や100部屋もあるホテルだと細やかなおもてなしは無理なのだ。
「御客屋」は安い外国人労働者を使っているとは思えなかった。
それにしても、おもてなしに細かく気を配ろうとすると旅館業は殆ど
人件費に消えてしまうのが大変そう。
 10月29日(火)ラクダ山地鶏
朝風呂に入り、朝食を済ませカウンターで昨夜の彼女(みほちゃん)が居て支払いを済ませる。
昨夜「なぜ熊本が馬を食うのか?」と宿題を出していた。
秀吉の朝鮮出兵で加藤清正の軍が食料が尽きた時食べたのが事の起こりだそうだ。
玄関で靴を履くとほんのり温かい。
嫁さんに言うと気が付いた様子。
女将さんにニッコリと笑顔を向ける。
客も細やかな気配りに気が付くのも、客から宿へのおもてなしだろう。
フロントガラスは綺麗に拭かれていた。
ガラコ等の事もあるので拭いて良いか聞いてくれたのだろう。
近くで見る所があるか尋ねたら「昨日のお客さんがくじゅう花公園が
良かったと仰っていました」と・・
取りあえずカーナビにセットして行ってみるも、お土産を買っただけで入園はスルー。
2007年11月23日に九州ホームレス旅行で行ったラクダ山の炭火焼き地鶏屋さん
味が忘れられないのでカーナビセット。
阿蘇山の裏に廻って高森町まで足を延ばす。
12時過ぎに到着した。相変わらずお客さんは一杯だった。
余りお腹は空いていなかったので地鶏一人前とソーセージを注文。
当然料理鋏は付いてきたが、地鶏は昔ほど固くなかった。
2007年に食べた時は噛んでも噛んでも噛み切れないで、その内お肉の
おいしさがじゅわっと口に広がったのだが・・
今回食べた地鶏は料理鋏で切ったが、口に入れて噛んだら容易に噛み切れた。
想像していたのと違ったのでちょっとがっかり。
腸詰ソーセージはなかなか美味しかった。
自宅にカーナビをセットする。

しばらく走ると白川水源の看板があった。
南阿蘇には阿蘇山に降った雨が水源となった湧き水があちこちにある。
立ち寄ってみると毎分60トンの湧水は見事であった。
此処にもバスで乗り付けるインバウンドが多い。
我々が若いころ、日本人団体さんが各国にガイドの旗のもとぞろぞろ歩いていたのだろう。
白水水源を出てしばらく行くと、阿蘇白水温泉「 瑠璃」があったので400円で入湯。
阿蘇周辺はいくらでも日帰り温泉があるので楽しい。
熊本ICで高速に乗り、21時頃我が家に到着。
往復1000Km弱のドライブ旅行であった。
新車は普通には動かせたが、色々ある機能については一割も理解していない。
若い人に聞きながら追々理解して行こう。