2016年 12月   
  12月6日(火)九州遠征 伐株山
プレジャークラブ平日組の九州遠征を田原さんが計画してくれた。
朝7時出発で、稲垣号・本田号・山本号に分かれて7人で出発。
下松SAで落ち合う。天気は良いので皆さんニコニコ顔。
美祢から河田さんが玖珠町道の駅で合流予定。
伐株山と大観峰で飛ぶ予定なので、車が多めの方が良い。
上毛SAから降りて耶馬溪・深耶馬溪を通って玖珠町に到着。
薩摩ラーメンに寄って入山届けを書き入れる。
ランディング場に車を2台置いて8名でテイクオフ場へ。
風は西北西風でテイクオフ場からは少し左サイドだが、
騙しの風で正面から入るが5m前後か・・・
西方彼方の風力発電の風車が勢い良く廻っている。
初めて風車を見る人がいるので、しっかり回転数を覚えてもらう。
あれ以上の回転数になると10分~20分後はこちらにも届くので
早くに降ろすようにレクチャー。
ホームエリアである河田さんからテイクオフ準備。
立ち上げ場所がローター域なのか上げると潰れる。
4度目の立ち上げでテイクオフしたが、斜面すれすれで2~3m下がる。
矢張り騙しの正面風なのだろう。
二番手は田原さんで一発で立ち上げたが、竹笹をガサゴソさせながらテイクオフ。
二人ともリッジフライトで20~50mのトップアウト。
暫くして本田さん立ち上げたがアズリコズリでテイクオフ出来ず。
二本目は何とかテイクオフし、垂直上昇。
ENーAの「モジョ」ではバックするかとヒヤヒヤ。
アクセルに足を添えろと呼びかける。

河田さんがトップランしたのだが見落とした。
残りの人のテイクオフをサポート。
山本さんも3本目にやっとテイクオフ。
川原さんは一発でテイクオフ。
本田さん前に出しすぎたのかランディング報告あり。
斉藤さんも3本目にテイクオフ成功。
テイクオフした人は30m以上上空を飛んでいるので宍戸さんを出す事に。
宍戸さん2本目でテイクオフし、10m以上垂直上昇。
風車の回転数が上がってきたようなので皆さんに伝える。

皆さんがランディングして管理人の梶原さんテイクオフ。
河田さんもう一度テイクオフ。
暫く飛んで河田さんと梶原さんがトップランして来た。
もう終わりにして今夜の宿に移動しようと言う事で
河田さんもう一度テイクオフ。
本田さんと山本さんが車回収に上がってきた。
私はパラを畳んで車を降ろす事に・・・

飯田高原の九重星生ホテルへ急ぐ。
以前外湯温泉として利用した所だった。
早速日帰り湯共通の露天風呂へホテルからの
地下道を通って到着。
湯はぬるめだが湯の花がたっぷりの霊験あらたかで効能がありそう。
長湯をしたので体を冷やそうと冷泉に入る。
暫く足だけ浸かってエイヤ!と肩まで沈む。
皮膚がチカチカする。温度は17度と書いてあった。
本田さんが来て、足首まで浸かって直ぐに退散。

夕食のお酒は最近私も注文している。
ノンアルコールは皆さんのビールと見かけは変わらない。
乾杯のときは何とか写真に撮られても絵になる。
150名は入りそうな大広間にテーブルが並んでいるのだが
使用しているのは3~40名ほどか・・・
まだ地震の影響でお客さん減少しているようだ。
料理は可も無く不可もなくであった。
 12月7日(水)九州遠征 大観峰 黒川温泉
11時前に大観峰に到着。
西風が強いようだが収まる事を期待して、山本さん、本田さん、
宍戸さん、斉藤さんが車を内牧に降ろしに行く。
大観峰突端まで見に行ったが強風で飛べそうにない。
じっくり待とうという事で、内牧へ昼食を食べに4人で降りる。
ラーメン屋が見つかり入ってみる。
ラーメンはそこそこだったが出された水が美味しかった。
聞くと水道水だと言うのだが、非常にまろやかで甘露水であった。
大観峰に戻ると2ヶ月前に伐株山で山本さんのツリーランを救助して
頂いたメンバーの一人、田中さんに出会った。
駐車場に戻ってパラを持ってくるそうなので一緒に降りる。
駐車場で山本さんに田中さんを紹介しお礼を述べる。
今回の九州遠征で救助隊に会えるかもしれないので
山本さんは広島土産の「桐葉菓」を持参していた。
ところが昨日も今日も救助隊に会えそうに無いので
駐車場に残っていた人で3個食べてしまっていた。
大慌てでバラけてしまった箱に詰め直し・・・
大汗の御礼のご挨拶となった。
結局、風は収まらず我々は飛べなかったが、ジモピーの強みで風を読んだ
田中さんは少し飛んでトップラン。

16時すぎに、今夜の宿泊地の黒川温泉に移動。
黒川温泉郷に着いたころはすっかり暗くなっていた。
狭い谷あいにある温泉郷の様で一方通行の狭い道を行く。
ようやく「やまの湯」に到着し駐車場に案内して貰う。
部屋に案内され窓から外を見ると音を立てて川が流れている。
対岸の山裾に外湯が見え、脱衣場に細い小道が繋がっている。
10年以上前に手形を買って立ち寄り湯に入った洞窟温泉と気付く。
洞窟温泉など初めても経験だったので強烈な印象が残っていた。
宿の露天風呂は温度が熱く5分とは浸かって居られなかったが
出たり入ったりで30分以上楽しむ。
夕食は我々だけが一部屋で食事。
今夜の食事のお品書きを見てびっくり。
日本旅館の風情なのに・・・

「本日のおしながき」
食前酒・・・・自家製梅酒
先付け・・・・ブロッコリーのムース マスカルボーネソース
前菜・・・・・・雲丹のテリーヌ  牡蠣の香草パン粉焼 柿なます
       水菜・椎茸の松前和え イベリコ豚の寿司 厚焼玉子
造り・・・・・・特選馬刺 フタエゴ 地鶏のたたき 
吸物・・・・・金時人参のポタージュ つまみ湯葉
焼物・・・・・山女魚塩焼き 
台物・・・・・馬スジのボルシチ
変わり鉢・・京芋蕎麦 雲子(真鱈の白子)の茶碗蒸
強肴・・・・・フランス産真鴨の十勝焼 フォアグラ 焼き野菜
ご飯・・・・・安納芋粥
香の物・・・自家製漬物
甘味・・・・・豆乳プリン シューラスク ラ・フランスのコンポート

日本旅館でこんな料理だった。
奇をてらって印象深い料理を出したのかと思ったが
どの料理も初めての味だったり美味しく絶品であった。
そんな訳で事細かく「おしながき」を書いた次第。
料理長も余程の自信家であろう。
しかも「やまの湯」は黒川温泉郷では最安値の宿なのだ!
因みに飲み代を含めて一人15000円以下であった。
 12月8日(木)九州遠征 大観峰
朝起きて皆で宿の周りを歩いてみる。
谷底の狭い温泉郷だった。
コンクリートの大きなホテルはなく中小の温泉旅館がひしめいている感じ。
お店や旅館の玄関などはサッシなど鋼製建具など使わず木製の様に見える。
黒川温泉郷自体の町造りに腐心して居るようだ。
朝食を食べている時、田原さんに河田さんから電話。
昨日の田中さんから大観峰が飛べるだろうとメールで連絡あり。
広島に帰る途中八面山に行ってみようかと言っていたのだが・・
折角のお誘いなので大観峰に行くことになった。

11時前に大観峰に到着。
無風に近いしまだ早いので内牧に車を置きに行ってもらう。
田中さんたちが使っている吹流しを持参してくださいとの事。
大観峰突端に来るも風が弱すぎる。
テイクオフは出来てもリッジソアリングはとても無理のようだ。
とりあえず一本目は飛んだと言う事でテイクオフ準備。
本田さん、斉藤さん、宍戸さん、山本さん、河田さんテイクオフしてほぼぶっ飛び。
昼前後から続々と九州のフライヤーが集まってきた感じ。
田中さんが来られたので挨拶して居ると、「小渕です」ニコニコ顔で挨拶された。
2013年4月にここで飛んでミニクロカンした時ランディング場所で会った人だった。
当時の日記
小渕さんは出会った翌日には九重を越え飯田高原までクロカンしたそうだ。
クロカン二本目が九重越えとは!只者でなかったのだ。
今はコンペにいそしんで居られるようだ。
伐株山でスルスルと木に登ってツリーラン回収して頂いた金子さんも来られ
山本さんはしっかり頭を下げていた。
九州のベテラン勢の前で神の倉のNP生は二本目緊張のテイクオフ。
緩斜面をタッチアンドゴー気味でテイクオフ。
私も九州遠征の貴重な一本をぶっ飛び。
ランディングぐらいは緊張しようと両側に干草が積んである農道に降ろす。
時間も迫っているので九州の皆さんには挨拶無しで大観峰を離れる。

帰り道八面山近くの金色温泉に入って帰る。
夜10時頃帰着。

 フライト動画
 12月9日(金)今年最後の刑務所
毎月第二金曜日は刑務所での文化活動で、謡曲仲間3人で
謡曲を教えに行っている。
基本的には一年ごとに受講者である受刑者のメンバーは変わる。
「高砂」の小謡は、連吟ならば皆さん立派に謡えるようになった。
一杯飲む席で謡う事の多い「羅生門」は未だうろ覚えなので、
こちらは謡うチャンスが多いので頑張れと励ます。
日ごろは大きな声を出せば、受刑者は叱られる。
月に一度の稽古しか出来ないのに、良く覚えたものと感心している。
日本芸能の原点のお能に触れられたと言うことは、カラオケを上手に歌う事以上に
皆さんの誇りに繋がると期待しているのだが・・・
人間国宝の孫弟子だと煽っているので、彼らの心に残る事でしょう(笑)
 12月10日(土)土曜立上げ教室 羽田へ
下で立ち上げの練習は穐山さん一人だ。
先月から練習生の皆さんに、昔のパラワールドの記事をメールで送っている。
記事を読んで穐山さんは、グラハンの大切さに目覚めたようだ。
今日も飛ばないで、グラハン練習の為だけに来てくれた。
11時過ぎにボンゴで田原さん、足刈さん、日高さん、柳田さんと荒谷山に上がる。
風は東から南に変わってきた。ランディング場は北のまま。
荒谷山を境に南側が雲量が多いが、時々太陽が顔を出す。
柳田さんが果敢に一番手を勤める。
マキゴンポイント先で少し上げ直しメインランディングに余裕で到着。
新機体の足刈さんと日高さんもお寺付近で少し上げ直し
5分ばかりステイしていた。
もう少し待てば晴れ間が出そうなので田原さんと私はウエイティング。
13時ごろしっかり晴れ間が覗き、田原さんテイクオフし
南小山付近で上げて行った。
私も続いてテイクオフし、南小山で少し上げ荒谷山山頂で上げて行った。
田原さんは向原方面を探ったが思わしくなく、荒谷山に戻ってきている。
私は荒谷山上空で雲底を目指すのだが、何だか怪しいパラの動きを感じる。
後で聞いた話だと、田原さんは雲底近くで大潰れしたそうだ。
夕方7時半には広島空港から羽田に飛ばないといけない。
慎重を期してランディングすることに・・・
田原さんは真っ直ぐ白木山を目指しているようだ。
私の次に柳田さんがテイクオフし、海抜1400mまで上げたそうだ。
最近の柳田さんはなかなかアグレッシブルに変化しているようだ。
足刈さん、日高さんも雲底迄上げた模様。
田原さんは白木山系の稜線ぎりぎりを粘って飛び、鬼が城まで届いた。
しかし、どうしても鬼が城が越えられず廻り込んで上げなおし、
何とか玖村駅にランディング。
あとで柳田さんが狩留家まで迎えに来てくれたそうだ。
15時ごろ宍戸さんが来たので、立ち上げ稽古の穐山さんの面倒を見てもらった。

本日のフライト動画

明日は「ひなこ」の七五三のお祝いと先月生まれた「いつき」の
お宮参りをすると長男夫婦から連絡あり。
三歳になったひなこは可愛い盛りなので是非とも参加しなければ。
19時半の飛行機で羽田へテイクオフ。
羽田に長男が迎えに来てくれ、予約してくれたホテルに送ってくれた。
 12月11日(日)七五三 お宮参り
9時ごろ長男がホテルに迎えに来てくれた。
横浜市の伊勢山皇大神宮には既に皆が待っていてくれる。
ひなこは可愛い着物姿で待っていてくれた。
福井のご両親もお元気そうで何よりだ。
ひなこはだんだんむずかり始めた。
履いている草履の鼻緒がきつくて痛いらしい。
神官のお払いが済んだのでさっそく洋服に着替える。
いつきはおっぱいが充分なのか、一度も目を覚まさずいい子だった。
11時中華街でテーブルを囲んで昼食。
写真館で家族写真撮影の為移動。
ひなこはもう一度着物を着せてもらう。
頭にはヘヤーピースを付け髪飾りも付けてもらっていた。
頬紅と口紅もさしてもらい、本人もまんざらでもない様子。
おそらく初めての化粧で、ひなこは女の子を意識した瞬間であったろう。
撮影ではひなこは緊張していたのだが、撮影者はいろんなことをして
ひなこの最高の表情を引き出して行った。
孫娘は無条件に可愛い!!
生後一ヶ月のいつきは当然笑顔はないが、撮影者はいつきの目線を
カメラに向けさせる事に腐心していた。
流石プロの撮影者だと感心することしきりだった。
レンタル着物もない在来のおやじ写真館が潰れていくはずだ!
ひなこの写真を背景を変え、持ち物を変え5シーンばかり撮りまくっていた。
おそらく両親のジージとバーバが来ているのでおそらく
全シーンお買い上げと踏んだのかな?・・・
羽田のフライト時間が迫っているので、写真決定には不参加。
長男に羽田まで送ってもらった。

写真館で撮った孫娘が送られてきた

             




 12月13日(火)プレジャークラブ忘年会
銀山町の居酒屋の大部屋を貸切でプレジャークラブの忘年会。
田原さんと私も御呼ばれに預かった。
23名ものメンバーが集まり賑やかであった。
30名入る大部屋を貸切で、席の移動も自由で
発表者への集中もし易い部屋だった。
吉岡さん何を間違えたか、私に乾杯の音頭の御指名。
「一滴も飲めない私ではありますが、御指名により乾杯したいと・・・」
皆さん大笑いであった。
吉岡さんの報告では、四十数名のプレジャークラブメンバー登録があり
今年は十名ばかり入部があったそうだ。
吉岡さんの悲願、神の倉メンバーを100名にする事は達成されるかも・・
神の倉の先輩やクラブの先輩の協力が益々必要になると思います。
飲み放題は2時間だがオーダーストップの上、一人ひとり今年の反省と
来年に向けての抱負を発表。
私にも「一言お願いします」と順番が廻ってきた。
『二言言いたい事があります。
ひとつは皆さんのテイクオフやランディングを撮影したDVDを渡していますが。
パラをやっているおじさんたち(私も含めて)はへそ曲がりで
自信家(人生それなりに生きてきた自信)が多いです。
パラの指導を受けてもなかなか納得しないのです。
己の姿をDVDで確認して貰う以外ないです。
DVDを記念品で渡しているわけでないので何度も見返して欲しい。
二つめは一緒にクロカンを楽しみたいと思っています。
一応75歳までが私のパラ人生かなあと思っているので
あと二年半でここにいる人の半数でコンボイ組んで
クロカン行けたらうれしいなあ・・・
頑張ってクロカン証取りましょう』

先が見えている私の気持ちをどれだけ汲んでくれたかなあ~

  
    飲めない男の乾杯音頭
 12月25日(日)サンタフライト
昨日の天気予報は晴れマークだったのに雲量が90パーセント!
しかも神の倉TOは東がらみの風なので、サンタさんは荒谷山へ。
昨年はアキレス腱手術予後の為、フライトは断念。
サンタさんは10名ばかり欲しいので私も飛ぶことに。
私が最年長のサンタなので、ぼちぼち育ってきたパイロット達に
譲らないといけないと思うのだが・・・
ランディング場は微風だが南の風が入ってきだしたようだ。
私の機体で届くか心配であったが、先に出たサンタさんは余裕で到着。
お菓子が子ども達の頭上に落下するかどうか心配。
地森さんが投下地点の指示を盛んに出している。
最後から二番手でテイクオフ。
激しい沈下はなく充分な高さでお寺を通過し、ランディング上空では
あまり下がらないので落下地点を選ぶ事が出来た。
オーバーヘッドアプローチで落下傘付きお菓子を三個投下。
高度が高かったので確実に子ども達の頭上に落下したかは確認できず。
最後から二番手だったのでサンタ袋はなかった。
100名ばかり参集していたので、地上で配ったお菓子は充分であったろうか?
毎年来てくれている高校の同級生石本さんが孫を5名連れて来てくれた。
今年も孫達から「サンタフライトに行かんの?」とせっつかれたらしい。
彼はヨットマンなのだが「稲垣君がフライト続けている間はヨットを降りないよ」と
はげましてくれたのだが・・・

  
   石本さんと孫5人                 人気のゆっぴー

翌日お礼のメールを貰った。

『昨日はありがとうございました。
何度参加させて頂いても心が和みます。
「無償の奉仕」を楽しむクラブ員
良きお仲間に囲まれ、羨ましい限りです。

空を見上げて走り回る子供達
今年も孫共大喜びでした。
ありがとうございました。
今年も上二人はパラシュートをゲットできましたが、下三人は駄目だったようです。
全員がパラシュートをゲットできるまで「サンタフライト」は
お邪魔させてもらう事になりそうです。
それまで飛んでてくださいね。 』


午後のフライト

サンタフライトの後片付けが終わったので、ボンゴに無理やり
7名詰め込んで荒谷山へ上がる。
まだ雲量は80パーセント近くあるが、雲の流からすると
晴れ間が出てくる可能性がある。
一時間以上待って何とか晴れ間が出てきた。
ベテラン勢がワラワラとテイクオフして雲底にあげていった。
私も14時8分テイクオフ。
あれ!バリオの音がしない!電池切れのようだ。
上がっているのか下がっているのか良く分からない。
南小山を過ぎた地点で、尻センサーが上昇を感じた。
私より先にテイクオフした連中は全員上げて行っている。
自分だけぶっ飛のは嫌だ!
尻センサーを敏感モードに切り替える。
ガツンと来るサーマルはないので、”丁寧に丁寧に”と念じながら廻す。
右奥ボールで150mばかりトップアウトしたので荒谷山山頂へ流す。
左の翼端がボンと跳ね上げられたので左旋回。
今まではバリオの音だけを頼りにサーマルサーチしていたので
これほどサーマルサーチを真剣にした事がなかった。
廻しながら上げていると海抜1000m越えたあたりから
雲の吸い上げの影響が出て来た様だ。
広い雲底の下をぐるりと廻ってみる。
ベテラン3機ばかり雲底で見え隠れしている。
雲中に入るわけにはいかない。
海抜1322mまで上がったので神の倉に谷渡りでもしようか・・
行きかけたがドンドン下がっているようなのでやめてお寺裏山系を目指す。
海抜630mで稜線上空でリフトに当たったようだ。
上がったり下がったりで粘れてはいるのだが、強めの小さいサーマルで
一気に上がる事ができない。
少し志和方面にずらしたら一気に下がり、400mの稜線より下がってしまった
ランディング場に行こうとずらしたらリフトに遭遇。
もう少し粘ろうと廻し続ける。
何とか海抜887mになりテイクオフ高度より230m高くなっていた。
荒谷山テイクオフに帰ってトップランしようかとチラッと思った。
手袋が薄いのでいささか手がかじかんで来た。
神の倉山系に谷渡りするも下がりっぱなし。

1時間15分のフライト終了。
テイクオフして20分間は雲底近くまで上げ遊んだ。
残りの50分間はお寺裏山系で粘りに粘った。
しかもバリオの音なしである。

少し開眼する所があったかな?

本日のフライトログ
 12月27日(火)スーちゃんからメール
久しぶりにスーちゃんからメールが届いた。

『お父さん、お母さん
こんにちは。
いつもと同じく応援してくれて、ありがとうございます。

お父さんに送ってもらった「日本昔話」の本を翻訳して、それを印刷しました。
教材として使うと言う約束で本を翻訳したので、多く印刷しなかったんです。
まず50部ほど印刷して大学や学校の図書館に入れるつもりです。
また来年から大学の翻訳方法の授業で使うつもりです。
シンハラ語に翻訳しましたのでお父さんとお母さんに読めないんですが、お送りします。

これから文法の本を出版したいです。
日本語能力試験N5,N4,N3 を目指した文法の本を自分で書きたいです。

私もスカイプで話したいことがたくさんあります。
お父さんとお母さんが今日家にいますか。
クリスマスの休みに帰ってから私はまだコロンボに戻っていません。
明日の朝4時に実家をでます。
今晩お父さんとお母さんが家にいればお話しましょうか。
夜日本時間11時にスカイプに呼んでいいでしょうか。

では、お話しするまで、さようなら。

スーちゃん』

夜11時にスカイプで沢山話をした。
スーちゃんは今年4月ケラニア大学の先生になった。
大学では日本語学科で、漢字語彙・文法・翻訳・聴解などの授業を受け持っている。
論文も一年で三本ばかり書かないといけないらしい。
日本語は抜群の能力なので学会もよく出席している。
一番大変なのは「日本語教師会」の会長に押されて就任。
スリランカにおける日本語教育のレベルアップを図らねばならない。
組織は脆弱なので会議や勉強会などを立案し実施の段取りも大変らしい。
日本大使館の担当者との打ち合わせも大変だと言っていた。
来年日本の援助で高校生13名を1週間派遣するのも
スーちゃんがいろいろ段取りをしているようだ。
「日本語教師会」の活動は大学の仕事とは関係ないので
大学の仕事を終えてから活動している。
この2ヶ月は10分間も余裕もない生活だったと言っていた。
天皇誕生日の12月23日には日本大使館に招待され
大使ご夫婦と記念写真を撮ったり、日本語があまりにネイティブなので
驚いていろいろお話をさせてもらった。
スリランカの偉い人との交流も出来て自分世界が一挙に広がった。
今年は人生の大転換の年になったようだ。
それもこれもホストファミリーのお父さん・お母さんと
ホストスクールの先生方と日本語教室の先生方のお陰だと・・・
スーちゃんの人生のターニングポイントはピーススピーチ大会だったと言った。
それまでは内向きで勉強は真面目にやって来た。
多くの人の前でスピーチをし、そして優勝した事が「やれば出来る!」
「望んで努力すれば叶えられる!」事を体験出来た。
望んだ事を皆さんに公表し、自分を追い込み努力する事を学んだようだ。
外向きの自分に改造するきっかけとなったのだ。
私達がスーちゃんの人生に大きく係われた事が何にもまして嬉しい。

国際交流基金に拠るケラニア大学の日本語教育


大学の論文の一つとして翻訳をしようと、何か良い教材ないか相談受けた。
高校同級生の読書家が薦めてくれた浅田次郎の短編集や
嫁さんが選んだ日本の昔話の本を送った。
シンハラ語での翻訳書をスリランカの子ども達に役立てたいと昔話を選んだ。
翻訳が出来たのでスリランカの大手の出版社に相談。
50冊では商売にもならないので断られた。
中堅どころの出版者を歩いて相談を続けた。
日本に夫婦で5年間働きに行き、スリランカに帰って起業した出版社に遭遇。
日本語能力試験N5,N4,N3 を目指した文法の本を、スーちゃんが落ち着いたら
書くと言う条件で赤字出版を引き受けてくれた。
日本の会社もスリランカとの関係はまだまだあるようだ。
(28日のテレビで日本の紅茶の輸入量の60パーセントはスリランカだと言っていた)
ネットで調べていたらイイ話もあった。
スリランカでは第一外国語は英語(必須)だが第二外国語で日本語も学ぶ。
10年生(上級中学校)からは日本語は必須となるそうだ。
そんな訳でスリランカには日本語の先生も200名以上いる。
日本語能力試験をもっと多くの子ども達が受けてくれれば
日本びいきのスリランカ人が増えてくれると嬉しい。
「おしん」は未だにテレビ放送されているので日本びいきは絶大ではあるのだが・・
何はともあれスーちゃんが、スリランカの日本語教育に足跡を残す事が待ち遠しい。

スーちゃんの日本における履歴