2011年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活も6年目だ!

春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2013年 7月バリ島   
  7月1日(月曜日)バリ島へ出発
平日組で海外に飛びに行こうと計画を練った。
7年前にバリ島に行った時お世話になった小早川さんにお会いしてお話を聞いたり、
現地の観光ツアーコンダクターをやっている大木さんを紹介してもらった。
メールのやり取りして、飛べないときには色々お世話になろうと思っていた。

メンバー全員仕事はリタイアしているので時間には余裕がある。
安いものは無いかと色々調べた。
HISでバリ島の運賃とホテル(朝食付き)7月1日〜9日の10日間で
91500円なのが魅力的。
広島〜羽田JAL
成田〜クアラルンプール〜バリ島
トランジットは4時間づつあるのが、ちょっとしんどい。
メンバーは竹井さん、田原さん、大方さん、私と、追加の参加で瀬戸さんの5名だ。
初めてEチケットの発行で、皆さんのチケットやホテルバウチャーなどの
書類管理に気を使った。
マレーシア航空が機内預けの重量制限が32Kgだったので国内制限も
32Kgになる事が心配だったので何度も問い合わせした。

広島空港16時出発。
私と田原さんと大方さんは自宅に集合しボンゴで広島空港へ。
竹井さんは荷物を成田空港に先送りしているので、列車とバスで空港へ。
瀬戸さんはリムジンバスで空港へ。14時半には全員集合。

成田空港のマレーシア航空カウンターででEチケットを提示して発券して
貰おうとしたら「稲垣さんの名前が登録されていません」と・・・???
HISのEチケットがあるのに、私だけ置いていかれるのか!と心配した。
どうもマレーシア航空のミスだったようで、20分間待って発券して貰った。

22時05分テイクオフ、安いエコノミー席なので時々トイレに行って屈伸運動をする。
仲間と同じ並びの席でなく、隣はなかなか美形の若い婦人だった。
東南アジア系の顔立ちで、私がくしゃみをすると「クラッシャー」?と声を発した。
30分後くらいにもう一度くしゃみをすると、同じように「クラッシャー」?と
私に声を掛けてくれたのだった。
フライトアテンダントに流暢な英語で話しかけていた。
私に英語能力があったらなあと悔しい思いで、声掛けに目で感謝する。

日本に帰って嫁さんにその話をすると「クラッシャー」と言ったのではなく
"Bless you!"と言ったのだと指摘されてしまった。
自分の英語能力の無さは自覚しているのだが、音痴の所為で耳も悪いので
からっきし英会話についていけないのだろう。
私が英単語の発音する度にパッちゃんから「お父さんの英語はかわいい!」と
いつも冷やかされていた。
私の発音は日本語英語の最たるものなのだ!トホホホ・・・
 7月2日(火曜日)
朝4時半マレーシアのクアラルンプール空港に到着。
バリ島の乗換え口に行き一休み。
先ほど機内で声をかけてくれた女性が、バリ島への乗換え口に来た。
手を上げて挨拶したら微笑み返して呉れた。
先ほど皆さんに機内のことを話していたのだが、あまり関心が無かったのだが
若い美人の女性だったのでようやく関心が高まる。
パソコンを取り出して相当のスピードでキーボードを叩いている。
やり手のビジネスウーマンなのであろう。

4時間のトランジット時間があるので少し空港内を歩いてみる。
殆どの店は開いていないのだが、コーヒー屋さんは24時間営業だった。
瀬戸さんも付いてきたので二人で入店。
ドルがあるので安心していたのだが、支払いは現地通貨の
マレーシアリンギット
しか受け付けてくれないようだ。
各々カードで支払う事にした。マスターカードもJCBカードもOKであった。
伝票は2,9MRであった。
1MR(マレーシアリンギット)は32円なので100円くらいなのだ。
空港内のコーヒーなのでまあ安いと言えるか・・・

8時50分クアラルンプール出発、11時50分バリ島到着。
とりあえず1万円分換金。97万ルピアだった。
その後バリ島でこのゼロの多さに悩まし続けられる。

HISでホテルへの送迎タクシーをネットで頼んでいた。
ネットで航空券・ホテルを注文した人には一人100円で運んでくれるので
日本で400円振り込んでおいた。
あまりに安いので本当に迎えに来てくれているか心配であった。
荷物を受け取り空港の建屋を出ると、100名ばかりの出迎えの人が
お客さんの名前を書いたプラカードを持って並んでいる。
「INAGAKI]のプラードが見えて手を振る。
お客さんが見つかって現地の案内人も一安心の様子だ。

我々の泊まるホテルは「グランド クタ ホテル アンド レジデンス」で
日本に居るとき田原さんが「ネクサス7」にポイントを打っていた。
日本語をしゃべる案内人と現地運転手と我々の4名でホテルに向かう。
割りと早めだな?と思いつつもホテルに付いて荷物を降ろし始めた。
ホテルの看板を見ると「アストン ホテル アンド レジデンス」となっている。
少し立派なホテルのようだし、名前も少し違っているようだ。
現地案内人にホテルバウチャーを見せて違っている事を確認させる。
彼らも分かったようで、もう一度荷物を積み込む。
凄い渋滞で、警笛は鳴らしっぱなしで、バイクが車の右から左から追い抜いていく。
体を硬くしながら車に乗っている。

バリにくる前に、パラのコンダクターの杉浦さんに「レンタルバイクで
島を走り回りたいのですが・・・」と相談していた。
「レンタカーもレンタバイクも絶対にダメです」と返事を貰っていたが
この交通事情を目の当たりにして十分に理解できた

無事ホテルに到着しチェックイン。
バリ島でお互い携帯電話で連絡できるようにしようと言う事で
瀬戸さんは杉浦さんにレンタルの携帯電話を頼んでいた。
田原さんはシムロックを外せば、現地でチャージすれば
携帯電話が使えるというのでそうする事にした。
竹井さんは3150円支払ってシムロックを解除してきた。
私はシムロックを解除した携帯電話を6000円で田原さんに買ってもらった。
ホテルのカウンターで相談すると、ツーリストカード(シムカード)を呉れた。
これでインドネシアにおける自分の携帯電話番号は手に入ったようなのだ。
電話会社に登録しなければならないのでやってくれるお店を聞いて500mばかり歩く。
教えてもらったお店に行くと、隣の店に行けと言う。
隣に行くと、隣に行けと言う。どうも嫌がっているようだ・・・
3軒目の店に紹介されていくと、やはり出来ないと言う。
どうも正規なお願いではないようなのだ?
田原さんが食い下がってどこか紹介してくれと頼み込んでいる。
ネットで割りと簡単に出来るような事らしかったのだが・・
更にもう一軒紹介され(お店の名前を書いてもらった)700mばかり歩く。
そこの店は屋台に毛の生えたような唐揚げ屋さんでおばさんがやっている。
若い衆が居て50Cm位の木のショーケースにシムカードを並べている。
貰ったツーリストカード(シムカード)を使えるように頼むのだが要領を得ない。
各社のカードらしき物が並んでいる。
値段が印刷してあり2000ルピア(20円)だ。
2万ルピア(200円)しか小額紙幣が無いのでそれを渡すとシムカードを
セットして一応使えるようにしてくれた。
互いに番号を廻してみると呼び出し音がして繋がった。
何通話くらい使えるのか?と質問するのだが要領を得ない。
とりあえず使えそうなのでそれ以上追求せずにホテルに帰る。

瀬戸さんはクタの海岸につりに行った。
何せ瀬戸さんのバリ旅行は欲張り予定なのだ。
日本から釣り道具一式とタモまで持参してきている。
パラグライダーとスキューバーダイビングもしっかりやる気でいる。

ホテルに帰って、杉浦さんと大木さんに携帯電話で連絡を取る。
杉浦さんによると「雨季は明けたのだが、強風が収まらず
パラフライトは無理」と言う事だ。
明日瀬戸さんのレンタル携帯電話持参と今後の打ち合わせにホテルに来られるという。

携帯電話をかけ、大木麻記子さんに明日の観光ツアーをお願いする。
彼女はバリ滞在13年で、バリ在住(又は希望の)の日本人達のお助けウーマンのようだ。
小早川さんもバリではお世話になっているようだ。
バリ島の観光スポットは前回行っているので、東部方面に行って見ようという事にした。
明日10時に車をホテルに差し向けるとの事になった。
夜はホテルのレストランで
トムヤムクン、ナシゴレンスペシャル、その他1品、そしてビンタンビール。
中に青唐辛子があって、辛すぎて口の中が痛く、涙や鼻水が止まらない。
伝票は5人で57万ルピア(5700円)。
ゼロが沢山あるお札なので、5万ルピアと2万ルピアのお札を出したら変な顔をされた。
7000円払った心算なのだ・・・
単品ずつこれが4万ルピアでこれが3万ルピア・・・と説明が始まった。
60万ルピア払えばよいのだが、ゼロが4個も付くとつい日本円の感じでお札を出してしまう。
レストランなのでチップを置こうと3000ルピア(30円)置こうとしている。
皆で止めろ!合唱。本人は本気のチップの心算だったのだが・・・
この思い違いがバリ島を離れるまで調整されずいつも恥をかいた。
(私だけでなく皆さん同じように勘違いが酷かった)
 7月3日(水曜日)オリジナルツアー
9時過ぎにはホテルのロビーに杉浦さんが来られて今後のパラの見通しを話し合う。
6日7日はティンビス、5日はチャンディダサの可能性か?
バリ島での昨日の携帯電話シムカードの顛末を田原さんが説明。
携帯電話のチャージをお願いしたらその場でやってもらった。
5万ルピア(500円)分チャージしてもらったが、使い切れないでしょうとの事。

大木さんも打ち合わせに来られて、本日の我が儘ツアーの打ち合わせ。
仲間の人は、見たい観光地もなさそうだし、私も前回2回来ているので
行きたい観光地はない。
観光客は殆ど行かない東部にふらりと足を伸ばそうかと考えた。
パラで行くかもしれないチャンディダサの風の具合も確認できるし・・・
こちらの希望は、昼食は屋台で地元の人が食べるものが食べたい。
夕食は、私が前回小早川さんと一緒に行った「RESUTORAN MUTIARA」
連れて行って欲しいと要望。
お店の料理は魚料理が主で、日本人の口にも良く合う。
ビールを飲んで、おなか一杯食べても一人千円は超える事がない。
日本人には有名なようで大木さんも良く知っていた。
あとは大木さんが何処に案内するかを指示して下さいとお願い。
7人乗りのボックスカーに日本語のできる案内人と運転手付で
8時間乗り放題で燃料込みで8千円なのだ。
初めは7千円だったのだが、ガソリンが1Lあたり40円から65円になったので
バリ島に来る直前に8千円に値上がりした。

瀬戸さんは4日5日はスキューバーダイビングの会社への手配を
大木さんに頼んでいた。
今日は海岸から釣りをしたいので何処に行けばよいかも相談していた。
結局我々の車に便乗して、バリ・ハイアットホテルのプライベートビーチに行き
海に入って釣りをする事になった。

10時過ぎにホテルを出発。
日本語のできる案内人はインドネシアの名前は難しいので「太郎と
呼んでください」との事であった。
太郎さんはなかなか流暢に日本語を話す案内人だった。
まず水を買ったり、おやつを買うために近くのスーパーに寄る。
地元のスーパーに寄るのも渡井の観光要望の一つだった。
日本の惣菜やおにぎりや幕の内弁当(500円)なども売っていた。
ダイソーの商品も350円で売っていた。(日本よりグレードは高そうでは有ったが・・)
彼の地ではダイソーは高級ブランドなのであろうか??
スーパーなので端数が付いているので、アルミのコインのお釣りがある。
500ルピア(5円)100ルピア(1円)最小額は25ルピア(0,25円)で
貰ったコインは使用する場面が無かった。

バリ・ハイアットホテルに到着したので脇道から海岸に出る。
ボートがあったり、オージーたちが泳いでいる。
磯で釣りをしている人も居るようだ。
海岸に2平米くらいの露店を出しているおばさんがいた。
太郎さんが、おばさんに瀬戸さんの荷物の管理を御願いしていた。
少しは売り上げの協力しようと私と竹井さんはパパイヤの
8分の一切り身を買ってあげた。2000ルピア(20円)なり。
何かあったら電話するように言って瀬戸さんと別れる。

太郎さんがまず連れて行ってくれたのは漁村の塩田だった。
個人で行っている小さな塩田で、30m×50mくらいの大きさだ。
砂は真っ黒で、恐らく溶岩性の砂だろう。
真っ黒なので熱吸収がよく水分の蒸発も早く、塩田の砂には向いているのだろう。
小さな小屋には、塩田の砂を集め大きな木箱に入れ海水を注ぎ、
濃い海水を取り出す木製の装置があった。
濃い海水を炎天下にある、椰子の木の舟に入れ自然蒸発に任せていると
塩の結晶が水面に出来るそうだ。
舟を見ると確かに水面に塩の結晶が浮かんでいる。
1工程が1週間かかるそうで、全部の装置の1工程の生産量が15Kgだそうだ。
家族でやっている、まことに小さな塩田であった。
おばあさんが鍬を持って、作業を見せてくれるのでカメラを廻す。
見てくれと言わんばかりに、籠に砂を入れ頭にのせ小屋に運ぶ。
作業を見せ、おばあさんが手を下げたまま手のひらを広げた。
竹井さんも一緒見ていたのだったが、二人とも気が付かなかった。
おばあさんは動かないままで、手のひらを広げている。
ようやく、撮影料を払って!と言っている事に気づく。
手を水平に差し出して呉れれば分かったのに、手は下げたままなのだ。
竹井さんがポケットに会った1000ルピア札をあげる。
手のひらは広げたままなので、撮影者も払えと言う事かと
ポケットに有った1000ルピア札と2000ルピア札を手渡す。
大して喜んでいる様子は無い。
1000ルピアは10円だと言う事に後で気付く。
そして、貰うと言う行為に関して日本人が気が付かない事があったのだ・・・(後述)
本当に手作りの塩だったので10袋買う事にした。
そんなに売れると思っていなかったようで、おもむろに袋積めを始めた。
最近は海外に行ったらお土産は塩と決めている。
塩なら痛む事もないし、好き嫌いもないし、第一安いのが良い。
岩塩などは日本では珍しい。
日本に持って帰るのが重たいのが難であるが・・・

 椰子の丸木舟で塩を結晶させる おばあちゃんが作業手順を実演してくれた

次には海岸沿いにあるヒンズー教のゴア・ラワ寺院に立ち寄る。
観覧料を2万ルピア(200円)支払い巻きスカートの布を受け取る。
寺院に入るにはそれなりの服装にしないといけないらしい。
砂岩の彫刻が緻密で素晴らしい。
物売りも沢山いるが無視して進む。
「無料!無料!」と言っておもちゃの首飾りを首にかけてくる。
無料で呉れるわけはないと思いつつも、3人ばかり首にかけさせられた。
心優しい日本人はそんな状況でもはっきりと突っ返しはしない。
境内を見学して、巻きスカートを返しに行く。
首飾りをしている人にポストカードを買えと迫っている。
皆さん首飾りを返して逃げてくる。
私は首から外してポケットに入れていたので近寄っても来なかった。
文字通り無料で貰ってきた。(ポケットに入れたのを忘れたのだが・・・)

 ゴア・ラワ寺院。腰巻を巻いてはいるのが正装 砂岩の細かい彫刻は見事 奥の洞穴にこうもりが沢山ぶら下がっていた

チャンディダサの街中に入ると、杉浦さんが言っていたように
流石に風は弱かった。
沖にあるペニダ島がブロックして、午前中は風が弱いのだそうだ。
ティンビスが強風ならこちらに来ればよいのが確認できた。
お昼になったのでちょっと小奇麗な屋台を探してもらって
現地の人が食べているものを注文してもらう。
もっともナシゴレン(焼き飯)と焼き鳥の串しかなかったが・・・
焼き鳥を5本づつとナシゴレンとコーラ1本で2万7千ルピア(270円)であった。
まあまあ清潔感もあったし、味はまずまずであった。
太郎さんに「君たちのも払ってあげるよ」と言ったのだが払いましたとの答えだった。

帰りにスマラプラ王宮跡によって見学。
東屋の屋根裏に書いてある絵が見事だった。

 スマラプラ王宮後 砂岩の彫刻は緻密 この東屋の屋根裏にびっしり絵が描いてあった

私のリクエストであったアロマ工房に寄る。
10人ばかりが働いている工房で、奥の部屋で作業しているので
ビデオカメラを示しOK?と聞くとどうぞと言う感じ。
作業のお姉さん達もニコニコと愛想が良い。
小早川さんにバリ土産で貰った、アロマオイルがビンに入れてあり
コルクの蓋を開け乾燥した茎を挿す。
茎を伝ってオイルが上がってきてにおいを拡散させようと言うものだ。
私は香りの強いものは苦手なので一番やさしい香りのものを買った。
石鹸は凄く香りが強かったが買ってみた。一個1万ルピア也。

夕方になり、大木さんが瀬戸さんに電話入れてみるも返事なし。
こちらに電話あったかどうか、太郎さんに電話あり。
心配なので私も電話したが応答なし。
まあタクシーでホテルに帰れなくは無いので心配しても仕方ないか・・・
バリ・ハイアットホテルに近くなって、大木さんから太郎さんに電話あり。
瀬戸さんから電話があって、間に合うようならピックアップして欲しいと言う事らしい。
瀬戸さんをピックアップして釣果を聞くと小魚一匹だったようだ。
それでも釣りをしてた日本人や露天商のおばさんとの交流は楽しかったようだ。

本日最後のリクエストの「RESUTORAN MUTIARA」に連れて行ってもらう。
日本人の店主が対応したので、7年前に小早川さんと来たのですと言う。
この店のお勧め料理を見繕って出してもらう。
5名で2皿づつ頼めばちょうど良い量だ。
魚料理が得意なお店で、魚のから揚げにあんかけした料理は美味しかった。
田原さんは辛いものは苦手なので1品くらいだったが完食だった。
ビンタンビールも美味しくおなか一杯食べて、5名全員で34万ルピアだった。
ゼロが多いので、ゼロを2ヶ取って円にすればよい。3400円なり
ところで、支払いの段になるとゼロが沢山付いたお札を見ると
多く払ったら不味いという感情が湧く。
10万ルピア札を3枚とつい1000ルピア札4枚出してしまう。
店員さんに変な顔をされるので、やっと気が付く。
1000ルピアが10円だと言う事がなかなか実感できず、相手に変な顔をされる。
この類の失敗はバリ島の滞在中ずっと続く。
このお店は安くて美味しいのでバリ島に行ったら、ぜひ立ち寄ってみたら良いです。

 7年前の看板娘?も相変わらず美人だった

そして本日最後の失敗。
本日の車チャーター代8000円を太郎さんにホテルロビーで支払う。
一万円札しかなかったので、2千円のおつりを貰った。
20分位して大木さんから電話があった。
「太郎さんが受け取ったお札が5千円札だったようなのですが・・」と言う事だった。
殆ど確認せず渡したので、私の間違いであるようだ。
太郎さんを寄越してくださいと返事する。
太郎さんは恐縮しきった顔で、さっき2千円のおつりを入れていた封筒に
5千円入れたのを渡した。
恐らく彼の日当は千円にも満たないのだろうから、8千円の所を
3千円しか貰わなかったので青くなっていたに違いが無い!
大木麻記子さんに凄く叱られたのかも・・・
(太郎さんは、車の中でボスは厳しい人だと言っていたのに・・)
私の不注意でかわいそうな事をした。
ルピアのゼロの多さの毒気に当てられ、日本円まで分からなくなったのか・・

 7月4日(木曜日)サイクリング
今日も風が強くて飛べない。
日本を発つ前からキンタマニー高原から25Kmの坂道の
サイクリングをしようと思っていた。
バリ島の田舎を自転車でゆっくり見ながら2時間かけてのサイクリングだ。
やはり大木さんを通じてソベック社に手配してもらった。
竹井さんは7年前に嫁さんが行った豪華スパに行くそうだ。
男性のお客さんも増えているようなのだ。
3mの高い塀に囲まれた素晴らしい庭とプールのある素晴らしいエリアで
一人が一軒のコテージでスパを受ける。
瀬戸さんは大木さんにに手配してもらってスキューバダイビングに出かけた。

今日の参加者は、田原さん・大方さん・私の3人である。
日本語のできる案内人と運転者がソベック社のボックスカーでホテルに迎えに来た。
案内人はサブローと呼んでくださいと言った。(覚えやすい!)

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本日の行動予定は下記

7:15-8:30 ホテルへお迎え
9:15    コーヒー農園見学 見所 No.1 植物農園(バリニーズガーデン・プランテーション)で、
       バリの野菜や果物の木を見、説明を聞き、コーヒー工房を見学します。
9:45    キンタマーニ高原の風光明媚なバトゥール山を眺めながら、マドゥサリレストランにて、
       モーニングティーや軽食をお楽しみください。
10:40   サイクリング出発地点(ペンゴタン村)に到着。
       ヘルメットと、グローブを着け、自分に合ったサイズの自転車を選びます。
       渡された飲料水は、自転車に付いているボトルホルダーへ。
       注意事項の説明を受けます。
       (説明は英語で行われますが、日本のお客様にはその内容を日本語にした書面をご一読いただきます。)
         ※ 安全のため、ヘルメットの着用を義務付けています。ひじ当て、ひざ当てもご用意していますが、
           義務付けてはいません。
         ※ グローブは使用後、お土産としてお持ち帰りいただきます。
         ※ ギア付きのマウンテンバイクです。最小で身長135cm程度用です。
10:50   グループ分けし、サイクリング開始。
         全行程、サポート車が伴走します。
         ※ 通常4-7人で1グループ。1グループにつきガイドが1人担当します。
         ※ サポート車はお客様の休憩や、緊急の場合など多目的にご利用いただけます。
11:00   リンジョン村  見所 No.2 -竹林 ・竹林でバリの竹についての話を聞きます
               見所 No.3 - バリの伝統的なお寺 ・ヒンズー神社プラ・ジャガサルでガイドが
                       バリのヒンズー教について語ります。
12:20   見所 No.4 - スラハン村 ・バリ人家族が普通に生活している民家を訪問。バリ人の生活事情を垣間見る。
12:35   バリ島の伝統的水路システムを用いた田園風景。(アブアン村)
13:35   フィニッシュポイントに到着。
       ・ヘルメットとグローブを脱ぎ、おしぼりでリフレッシュ(アプアン村)
       ・車で昼食が待つレストランへ移動
14:15   ウブドのアルマカフェにて昼食
         ※ インドネシア料理を中心とした、インターナショナルバイキング。
           飲料水、コーヒー&紅茶、カットフルーツ、ホームメイドケーキが含まれています。
15:15   ホテルに向けてご出発

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コーヒー農園では無料で12種類のコーヒーを盆に載せて出してくれる。
アンケートに気に入ったコーヒーにチェックを入れればいい。
日本にいてもコーヒーは飲まないので私はパス。
飲み終えると別棟のお店で気に入ったものを購入するシステムだ。
田原さんも大方さんも買わなかった。
先ほどのコーヒー園の案内で、高価なコーヒーであるコピ・ルアクの説明があった。
サブローはジャコウネコのことをマングースだと言い張っていた。

 コーヒー園を見学。沢山のコーヒーの種類が植えられていた 12種類のコーヒーを味見させてくれる

キンタマニー高原でバイキング方式の軽食を頂く。
スイカやマンゴウなどをしっかり食べる。
高原の頂上付近なのでパラでテイクオフして降ろす所もありそうだ。
サイクリングの出発地点に移動するとき、車の外で子供の手を引いた
絵葉書売りのおばさんがいた。
大方さんに「2マンルピ、2マンルピ」と呼びかけている。
大方さん無視して車に乗り込もうとしたら「1マンルピ」と声がかかる。
振り向いたら絵葉書を手渡されていた。
10枚入りのまあまあの写真だったので買ってしまった。
車に乗り込んで1万ルピアも支払ったので心配顔をしている。
100円の買い物でしたねと言うと大方さん、ホッとした様子。

 キンタマニー高原。はるか向こうにアグン山(3142m) ここからならテイクオフ出来るなどといいながら軽食を頂く

サイクリング出発地点でマウンテンバイクの説明をサブローから受ける。
日本人のグループは私たち3名だけだ。
サブローを含めた4名だけのグループなのだ。
他はオージー達のグループが3グループの様だ。

ブレーキは後輪のものを主に使う事の注意を受ける。
特に下り坂なのでずっとブレーキを使用しなくてはならない。
特に急ブレーキをかけるときは、前輪だけだとバイクが前転してしまう。
日本のブレーキは左側が後輪なのだが、このバイクは右側が後輪なのだ。
慣れるまでしばらくかかった。
変速して軽く廻す事はできるのだが、ペダルを沢山廻すようなので結構しんどい。
3箇所だけ上り坂があったので、結局はバイクを押して登る。
途中小さなお店をやっている民家の見学をする。
おじいさんが可愛い孫を遊んでやっている。
おじいさんの笑顔がなんとも言えず癒される。
総じて言えばバリ島の人々の笑顔は素晴らしい。
この辺の民家には敷地の半分近くが個人の寺院(石造りの祠)である。
何代にも渡って充実したのであろうが、自宅より立派な感じなのだ。

ウブドで遅い昼食を食べて、ホテルに送ってもらう。

 さあ!25Kmのサイクリングだ! 珍しくも無い竹林の案内を受ける


サイクリングの様子。YOU TUBE 動画にて(音量注意)

NO1
http://www.youtube.com/watch?v=yDaEuqepRN0

NO2
http://www.youtube.com/watch?v=1IwC2sM0EDY

NO3
http://www.youtube.com/watch?v=wpIpkp0qSsw

NO4
http://www.youtube.com/watch?v=XE1q8xXu550

NO5
http://www.youtube.com/watch?v=N41YIRLbemM


 7月5日(金曜日)チャンディーダサフライト
相変わらずティンビスの風は強風なので、午前中に飛べるチャンディダサに行く事に。
杉浦さんが8時にホテルに迎えに来て、田原さん、大方さん、私の3名で出かける。
チャンディダサのテイクオフまで250mの急な坂を登らないといけないので
竹井さんはとても無理なのでホテルに残していく。
瀬戸さんバリ島の南東側でジャワ島に近いスポットにマンタを見に行くようだ。

日本にいる時、杉浦さんにレンタバイクを借りてバリ島内を
走り回りたいのですがと相談した。
レンタカーもレンタバイクも交通事情から考えて
危ないので止める様にとの事だった。
市内は大渋滞で走っていて、警笛を鳴らしながら右からも左からも
車やバイクが追い抜こうとする。
遠慮して安全運転しようとする事自体が危険なのだ。
危なくても流れ(激流)に乗って進まないと逆に危ない事になる。
バリ島は日本と同じ左側交通なので違和感は無いが・・・
信号を左折すると、対向車が渋滞している。
たまげた事に、片側2車線の道路なのに、こちらの車線にはみ出し
完全に1車線分はみ出しずらっと並んでいる。
こちらは1車線しかなくなっている。
夕方は中央線が変更になるのかと杉浦さんに聞いてみたら、
渋滞すると勝手にはみ出してきて3車線になるそうだ。
そういう杉浦さんもしっかり運転はバリ仕様になっていた。

10時ごろチャンディダサに到着。
まずランディングの海岸を見に行く。
ここの海岸も溶岩の砂で真っ黒い。
7年前はなかった別荘が8軒ばかり建っていた。
オーナーは貸し別荘にもするそうで管理棟と飲み物を出すビラがある。
柵で囲われてはいるが、中に入って飲み物を注文できると言う事だった。

我々の荷物を担ぎ上げてくれる人が住んでいる集落に行く。
世話らしき人が来て、一人10万ルピア(千円)徴収。
男二人と女一人の3名が荷物を担ぎ上げてくれる。
私のパラは16Kg有るのだが、女性が頭に載せて山を登り始めた。
いきなり急な坂を登らないといけない。
我々は自分の体を持ち上げるのが精一杯なのに。
二人は夫婦者でカレンというなの奥さんだった。
細い足で細い首なのに頭に私のパラを乗せている。
急斜面で体のバランスを取るのも大変なのに平気で登っていく。
3度ばかり休憩しながら、250mの山を40分で登りきる。
テイクオフ場といっても一機がやっとテイクオフできる狭さなのだ。
急斜面で走り出したら絶対ストップ出来ない。
担ぎ上げしてくれた人たちは全員テイクオフするまでは待っていてくれる。
もし風が悪く飛べないときは、別途支払って担ぎ降ろしてくれる。
担ぎ降ろしがあれば彼らにとっては喜びなので、数時間待つ事は平気なのだ。
ここの経験者の私が最初にテイクオフし、次に大方さん
最後に田原さんと順番を決めた。
無風〜1mくらいの風でテイクオフには問題ないが
リッジで遊ぶにはとても弱い。
サポータの一人がレジ袋をウインドソックス代わりに取り付けてくれた。
海岸のランディングでは杉浦さんがノンビリと持っていてくれている。
小一時間待ってようやく2mくらいの風が入ってきだしたので
もう良いかな?とテイクオフ。
一箇所リフトのあるところが有ったが狭く、ターンするたびにジリジリ下がって行く。
結局5分ばかりでぶっ飛んでしまった。

15分位して大方さんテイクオフすると、ワンターンでトップアウト。
すぐに出た田原さんもトップアウトし、二人とも小一時間ばかり
サーマル交じりのリッジ風で遊んだ。
だんだん強風になり始め、後に飛ばされると降ろす空き地が無いので
杉浦さんは二人とも海の上で飛んでくださいと無線を飛ばしていた。
黒い雲が迫ってきて沖に白波が立ってきた。
田原さんは雲の吸い上げを利用し海抜650m上げたと言っていた。
私は別荘の敷地に入りやけ酒じゃあなく、やけコーラを飲んで二人を待つ。

二人が降ろし、「もう一度あがりますか?」と聞かれたが即座にご遠慮。
5分間のフライトが9千円に付いたが、もう一度山には登れない。
チャンディダサで遅い昼食兼早い夕食にしますか?ときかれた。
竹井さんが一人クタの海岸を散歩しているはずなのでホテルに帰って
ピックアップして夕食に行きましょうという事にした。
夕食は高級シーフードレストランにて、海老や蟹など高級食材を食す。
杉浦さんも割り勘にて一人25万ルピア(2500円)。
竹井さんが日本から持ち込んだ風邪を貰ったようで、喉が痛い。

チャンディダサ YOU TUBE 動画(音量注意)

チャンディダサ登山とぶっ飛び
http://www.youtube.com/watch?v=MdMPi2sRJB8

田原さん・大方さんフライト
http://www.youtube.com/watch?v=TWYKdPsiNs0
 7月6日(土曜日)ティンビスフライト
ようやくバリ島フライトのメッカ、ティンビスで飛べるようである。
昨夜杉浦さんと打ち合わせ、11時にホテルに迎えに来てもらう。
ロービーに降りて待っていると、カウンターでチェックアウトしている集団がある。
乗ってきたマレーシア航空?のパイロットの制服とCAの制服姿だった。
彼らもこの「グランド クタ ホテル アンド レジデンス」を利用しているのだろうか?

11時に杉浦さんの車が迎えにきてくれた。
フライヤーは5名なので、ホテルでタクシーを呼び分乗して出かける。
タクシーが一緒なのでアスファルト道路でまでしか行けない。
100mばかり歩いて、テイクオフ場に来るとオージーと思しきフライヤーが3名いた。
既に飛んでいるので、杉浦さんのエリア説明も気もそぞろで聞いている。
今日の風はバグース(良い)で、テイクオフさえ気を付ければ幾らで飛んでおられる。
風が強くなれば沖に出せば高度は下がってくる。
ランディングはトップランが基本で、崖っぷちから30m奥には入らない事。
後に行くとローターに叩かれ墜落する事。
トップランが無理な場合は下の砂浜に降ろす事。
地元のサポーターがパラを担ぎ上げてくれるので、3万ルピア(300円)支払ってあげる事。
等など、ティンビスのエリア事情を説明受ける。
テイクオフに入ってくる風は6m/Secくらいなので、立ち上げで吹き飛ばされる恐れあり。

バリ島3回目の私からテイクオフ。
海リッジの風は一定して吹くのが特徴なので、弱めの風を選びきれない。
後ろに走ってキャノピーのパワーを抜く心算が、一気に持ち上げられる。
少しよろけてしまったので、地元サポーターが助けて押し出してくれた。
飛び出せば、あとは海リッジの気楽さで、両手を離して寝て居れる位の
安定さで飛び続けることが出来る。
24時間でも飛び続けることが出来る程安定しているのだが、せいぜい50m位の
高さで飛び続けるのである。
山飛びをしてサーマルソアリングで高く上がる事を目指している
神の倉勢には物足りないかも・・
前回飛びに来た時は5Km先のニッコーホテルに行き、ホテルリッジで遊び
近くのビーチに降ろした。
今回はホテル近隣で工事をしており、高いクレーンがあるので飛行禁止。

 ヒンズー教のお寺 斜面の別荘。各戸にプールがある 磯では海草の栽培をしていた

昼食の為一時間ばかり飛んでトップラン。
お寺の上は良く上がる。
地元の人が集まっているときは、上空は飛行禁止。
何時もは居ない神様をお寺にお迎えしているのだそうだ。
海上でも上がるので、沖に270mは出してみた。
昼食後、もう一本も一時間ばかり飛んだ。(下記データ参照)

 陸地から270m沖に出した私

夕食は安くて旨い「RESUTORAN MUTIARA」に行く事に。
私は風邪をひいてしまった様で少し熱っぽいので
夕食はパスしてホテルで寝る事にした。

ティンビスフライト動画(音量注意)
http://www.youtube.com/watch?v=zTFCulIwosI

ティンビスフライト(グーグルアースデータ)
balino1.kml

balino2.kml
 7月7日(日曜日)ホテルスパ・ナイトクルーズ
昨夜杉浦さんとの話し合いで、本日10時に結論を出しましょうと言う事だった。
10時現在、ティンビスは強風の為飛べそうにないということだった。
さて、今日は何をしましょうかと話し合う。
とりあえず大木さんに電話して、今から何か頼める事があるか聞く。
ディナークルーズなら今からでも注文できますとの事だったので決定。
16時ホテルに迎えの車が来るとの事。
それまでは皆さん自由時間にしましょうと言う事になった。

私と竹井さんはこのホテルの別棟に「スパ アンド ボディーケア」と
言う看板があったので11時ごろ覗いてみる。
ホテルのお客様は40%引きで2万3千ルピアと言う事だ。(1時間30分)
先日の山登りが堪えていたので、しっかりマッサージして欲しい。
「ストロングマン、ノンオイル」と頼んだのだがOKというばかりで通じたのかな?
油を塗りたくって撫ぜる位ならやって欲しくはないなあ。
部屋に帰って休んでいると、竹井さんの部屋に電話連絡があり
13時から始めますと言う事だった。
13時に行くと、40歳過ぎのおばさんと30歳過ぎの男がどうぞと言う事だ。
竹井さんはしょんぼりとおばさんについて行く。(うら若き女性ではなかった!)
私は男の方に着いて行くと、レーザービニールのベットが一つで一杯くらいの
小さな暗い部屋に案内される。その奥はシャワー室だ。
一瞬、マッサージの注文は正確に伝わっているのかな?とあらぬ想像した。

部屋の隅の籠を示され何やら言って、男は部屋を出て行った。
多分服を脱げと言う事と理解し、隅の籠の中を見るとブルーの紙パンツが
一枚一枚袋に入っている。
このパンツを履けと言うことだなと思い、パンツを袋から出す。
どう見てもパンツの前後はなさそうだ。
履き終わって隣の部屋に「OK]と声をかける。
ベッドにうつ伏せになると、おもむろにオイルを塗ってきた。
「ノンオイル」と伝えていたのにとは思ったが、ノンオイルで強くマッサージされると
皮が剥けるだけかもと思い直し、なすままにさせる。
「ストロングマン」は伝わっていたようで、ふくらはぎや足の指などのマッサージは
飛び上がるほど痛かった!
何やら”大丈夫か?”と聞いているようなので、平気な顔をして
何度もインドネシア語で「バグース(good)]と答えた。
ついでに、「モア!モア!」と言ってやった。
彼の手をすり合わせ手のひらを暖かくし、私の背中に当て(正に手当て)
ホットストーン療法をしてくれるのには感激した。
終了して、ベットから立ち上がるとき体がフニャフニャとした感じで
立ち上がるのが難しかったので効果はあったのだろう。
部屋に帰ってオイルを洗い流す。
オイルと言ってもシャワーのお湯だけで洗い流せるほどのものだった。

16時迎えの車でベノア港に到着。
皆さん財布にあるお金で支払うので、ドルや円やルピアとなった。(2300円)
「バリハイ サンセットディナークルーズ」にお客さんが続々送迎車で集まってきた。
日本人は他に1組で、あとはオージーたちやアジア人たち50人位であった。
船は結構立派な客船だった。
サンセットを見ながら湾内をクルーズし、ディナーとキャバレーショーを
楽しむと言うことではあった。
ディナーはバイキング方式で豪華さには欠けたが、巻寿司もあり美味しかった。
キャバレーショーは民族舞踊、カンカン踊り、モダンダンス等などごった煮だった。
おかまの歌い姫は最初は気が付かなかった。
ボディビルダーショーはなかなか見ごたえあった。

 バリハイ二号を背景に 

写真が少ないので、同じ船のクルーズのブログがあったので紹介。
http://www.wendytour.com/blog/wendybaliblog.php?itemid=2761

 7月8日(月曜日)帰国へ
ホテルで朝食を取っていると、60歳ぐらいの婦人がご挨拶に見えた。
副支配人で、日本にも行ったことがあるとのことで、日本語で挨拶された。
何かご不便、ご不満があればお聞かせして欲しいという事だった。
流暢な日本語とは言いがたいが、最終日の客に挨拶に廻ると言うのは
日本のおもてなしの心を学んだのであろうか・・・
このホテルのチェックアウト時間は12時なのだが、飛行機の出発時間の関係で
13時ごろホテルを出たいので掃除には来ないで欲しいと頼んだ。
チェックアウトと掃除時間の延長要請なので、面倒な他の見事ではある。
そんな瑣末なお願い事項が、ちゃんと伝わるか心配だった。
13時に杉浦さんに迎えに来てもらう約束をしている。
12時前に掃除人が来れば(いつもは10時ごろ来ていたが・・)荷物を持って、
ロビーに出るしかないかな?と思っていた。
お願い事は守られ、13時前にロビーに下りるまで部屋には来なかった。
空港で嫁さんのお土産に、涼しげに見えたので藤で編んだバッグを買う。
ルピーは持って帰っても仕方ないので、残った小金を使い切るのに
皆さんも私もお店を見て廻った。
飛行機は16時定刻どおり出発。

クアラルンプール空港のトランジット時間が4時間ばかりあるので、
田原さんと夕食を食べに行く。
皆さんは搭乗口ゲートで休んでいる。
機内食も出そうなので軽食にする。
カードで支払おうと私のJCBカードを出したら拒否された。
田原さんのマスターカードで支払ってもらった。
こちらに来た朝のコーヒーショップはJCBカードはOKだったのに、、、
良く見たら、お店の柱にマスターカードとVISAカードとJCBカードの
ロゴマークが貼ってある。
店員に柱を指差し「JCBカード」と言ったのだが何やら機械の
調子が悪いので利用できないてな事を言ったようだ。
アジアで日本発のJCBカードが使えないなんて、ちょっと悔しい。

ゲートに帰る前にボーディングボードを確かめてみた。
何と出発ゲートが変わっている。
ゲートに帰ってみると我々しかいないではないか・・・
皆さんに搭乗口が変わった事を告げ移動する。

10年前に個人旅行で、ヒューストン空港でコスタリカに行く搭乗口
変わったのに気づかず、泣きたい気持ちで走ったことを思い出した。

 7月9日(火曜日)帰国
成田空港に定時到着し、羽田に移動。
羽田からJAL便で広島空港へ。
皆さん何事も無く無事で帰れた。
私はちょっと風邪を拗らせた・・・
その後一週間ばかりゴロゴロしていた。
毎日のアウトドアーと飛行機の長旅が堪える歳になってしまったなあ・・
 7月18日(木曜日)岩国錦川カヌーで川下り
若い頃からカヌーでの川下りには憧れを持っていた。
2008年6月23日北海道旅行で釧路湿原の川下りを経験した。
カナディアンカヌーでインストラクターが漕いでくれるだけのものだった。
自分で操船しての川下りを是非ともしたくなっていた。
パラグライダーの仲間の田原さんが25年前に買った二人乗りの
フジタカヌーを持っているとの事で川下りをさせてもらうことになった。
昔、田原さんが子供達をカヌーに乗せていた錦川に行く事にした。
ライフジャケットやカヌー用の靴も貸してもらう事に・・・

錦川清流線の南桑駅付近の河原にボンゴを下ろす。
河原には岩国基地の米兵らしき5名がでかい浮き輪に乗り込み、
食料も別の浮き輪に積み込んで川を下っていった。

 この浮き輪で彼らは川下に流れていった。

田原さんも25年ぶりにカヌーを組み立てる。
よく出来たカヌーなので組立図が無くてもすぐに理解できるキットだった。
ゴープロをカヌーの船尾に取り付けずっと撮影することに。

 木製の骨組みを全部組み立てたが失敗。 骨組みは半分組み立てシートにもぐらせないと・・

12時前に出発。
水は綺麗で、川底ははっきりと見える。
川の流れに乗っていれば良いのかと思っていた。
流れに乗ってもカヌーは漕いでいないと、ノーコントロール状態なのだそうだ。
障害物を避ける為には常時漕いでいなければならない。
ノンビリ寝ながら川下りが出来ると思っていたのは間違いだった。
早い瀬などは特に漕いでいないと、クルクル廻るだけになってしまう。
真横になると転覆の恐れ大なのだ。

 淵はゆったりと流れている

深い淵に来ると流れはなくなり、5m以上の深さにもなる。
大きな鯉も沢山いた。
鮎つりの人が竿を伸ばしている現場にも4箇所出合った。
出来るだけ遠くを通るか、瀬はカヌーを押して歩いた。

14時過ぎに行波駅付近の河原に到着。
12Kmの距離を2時間の行程だった。高低差は9m。
行波駅で14時45分のジーゼルカーに乗り込み南桑駅まで戻り
ボンゴで引き返してカヌーを積み込む。
ノンビリのイメージとは違ったが長年の夢をかなえる。


川下りYOU TUBE の動画
http://www.youtube.com/watch?v=DuJqcme5mx8

  7月20日(土曜日)荒谷山納涼フライト
今週2日間平日飛びをしたが、強風などで良いことなしであった。
今日は風も弱そうなので早めに出かける。
10時過ぎに到着したのだが、所沢と広島ナンバー2台の車しかなかった。
「所沢」?・・ディーラーの人でも来ているのかなとおもった。
既に積雲は出来始めているし、夏場11時・12時集合はいかにも遅すぎるように思う。
5人ばかり集まったら、それ以上は待たないでさっさと上がろうと思った。
田原さん、三次さん、福伝さん、?、5人になったので出発。
橋を渡ったら花野さんが社長出勤!
乗せる為に引き返すと、「所沢」車から人が出てきた。
陸上自衛隊の人で、フライヤーだと言うので上がりましょうと呼びかける。
荒谷山に上がると既にあちこち美味しそうな積雲は出来ている。
誰もテイクオフしようとしないので「神の倉の若い衆は年寄りをダミーに使う」と
文句を言いながら私が一番手でテイクオフ。
テイクオフし、南小山を探ったがシンク音ばかり。
「あわて者の不良おやじが、ぶっ飛んでいる!」との声が聞こえそうだ・・
マキゴンポイント手前でリフトを感じ廻して海抜800mにまで上がる。
一気にテイクオフに戻って、山頂のリフトを利用ししっかり上げてやろう。
山頂付近を探っていると、目論見どおり美味しいサーマルがあり
海抜1300mの雲底近くまで気持ち良く上がる。
ここまで来ると流石に涼しい。
2番手にテイクオフした田原さんも順調に上げている。
積雲は大きくは無いのであちこち渡り歩いてみる。
田原さんは志和口に行き、粘っていたがその内MLに降ろした。
私も1時間ばかり海抜1000から1300mで涼んでいたが
誰も居なくなったので荒谷山TOにトップラン。
1時間の納涼フライトになった。

講習生の河野君(中学校の大後輩)が荒谷山TOから山本さんの誘導で
どんどんあがっていった。
結構強めのサーマルだったのでピッチング起こしながらの上昇だったが
ビビる事もなく、嬉しがって上昇しているように見えた。
”サーマルであがりたい!”の気持ち一杯の時期なのだろうと
自分のB級生の頃を思い出し胸がキュンとなる。
手練者の高杉さんが上げて行き、雲底で涼んでいる。

しょうこちゃん(高杉妻)がテイクオフし、しばらく飛んでいたがサブランに降りた。
皆さんドヤドヤTOに上がってきたがテイクオフしない。
田原さんがサブランに迎えに行ったようなので、飛んでみたがぶっ飛び。
先ほど「2名はピックアップできるよ!」と誘ったがだれも出なかった。
3人だけで神の倉TOに上がって、3名全員がトップアウト果たして
テイクオフしなかった連中を見返そうということにした。

神の倉に上がる車中でしょうこちゃんから子供の小遣いの相談を受けた。
月々決まって小遣いを出すのは何歳ごろからが妥当かと言う事だった。
私のところは中学生に成ってから月々の小遣いを出した。
小学校まではお祭りとか正月とか特別なときだけお小遣い。
高校生のときでも月々3000円だった。
長男はもっと小遣いが欲しかったのか、高校のとき1年間は朝の新聞配達をした。
高杉さんのところは私と同じように商売をしているので注意しを促した。
親が商売上のお金で何十万や何百万の話をしているのを
子供が聞くと、「うちはお金持ちなのか!」と勘違いをする。
本当は銀行から借金があることは子供は知らない!
出来るだけ子供の前では商売のお金に就いて話さない事!
親がお金について毅然たる態度を取っていれば、子供は分かってくれるはず。
小遣いが少ないので子供がいじけたり、盗みをしたりと言うような心配する事はない!
子供を信じ、自分のDNAを信じてドーンと構えてりゃあ良いよ!

神の倉TOには正面の風が入ってくる。
荒谷山では山本さんが雲底で涼んでいる。
絶対3名ともトップアウト果たしたいので、風を観察。
20分くらい待ってブロー交じりの風が入ってきたのでしょうこちゃんからテイクオフ。
しょうこちゃん、正面沖で粘りに粘って上げ始めた。
田原さんも鉄塔下から上げ始めた。
私もテイクオフし、テイクオフ前でサーマルゲットしウロウロして上げた。
しょうこちゃんが海抜900mくらいで遊んでいる。
私も近づいて海抜800mくらいまで上げ、南屏風を目指す。
南屏風でしばらく遊び、所期の目的(3名ともトップアウト果たす)を果たしたので
神の倉TOにトップランして田原さんの車を降ろそう。
誰も居ない神の倉TOにトップラン。
機体を片付けていると、荒谷TOにいた人たちが移動してきた。
皆さんを神の倉に引き寄せた事に満足し、トップランして車を降ろすという
私のパラ美学達成したので本日は大満足。
その後神の倉はアーベントぽくなって、皆さん1時間ばかり飛んでいた。

本日の納涼フライト(音量注意)・・・YOU TUBE 50分間もあるので済みません。
http://www.youtube.com/watch?v=tvqXd9uOd7M&feature=youtu.be

フライトデータ(カシミール)
2013_7_20inagaki.zip

グーグルアースのデータ
13_7_20_arataniyama.kml


 7月21日(水曜日)刑務所
7年ほど前から篤志面接委員として、毎月広島刑務所に行っている。
実は、受刑者の文化活動として謡曲を教えに行っている。

謡曲仲間の円光寺のお坊さんが広島刑務所の教戒師をされている。
受刑者の文化活動の一環として、仲間3人で謡曲を教えましょうと言う事になった。
恐らく全国の刑務所で謡曲を教えているのは、広島刑務所だけだろう。
一般の人にはさっぱり人気の無い謡曲なのだが、受刑者の皆さんには
割りと人気のある文化活動なのだ。
何故人気なのかと言うと、合法的に所内で大声を発しても良いからなのであろう。
腹式呼吸で、腹の底から声を出すように指導している。
月に一度でも、腹の底から声を出せば気分も晴れると言うものだろう。
しかし誰彼、出席出きるものでなく、出所が1〜2年後の受刑者で
服務態度の良い者に限られるようだ。

歌舞伎だろうが、日本舞踊だろうが、果ては演歌だろうが、
能楽は日本の芸能の根源になるものである。
その最高峰の日本芸能を皆さん(受刑者)は習っているので
自信を持ってくださいと、常々話をしている。
月に一回なので上達は遅いが、それでも発表の場があるかもしれない
「高砂」と「羅生門」の一節を練習してもらっている。

彼らの時々見せる笑顔を見ると、何で犯罪を犯してしまったのか!と思ってしまう。
広島刑務所の最高齢は90歳の人らしい。
高齢者が多いのも特色で、無銭飲食や万引きを何度もすればすぐ実刑らしい。
刑務所への再入所率が56%と言うのも考え物ではある。
私が若い頃は、更正する気があって3Kの仕事を厭わなければ
それなりに社会のセーフティーネットは働いていたように思うのだが・・・
山口県の美祢のような立派な刑務所も良いけど、出所者の住居と仕事が確保できる
施設も必要なのではないかと思ってしまう。

あっと言う間に7年は過ぎ、感謝状を差し上げたいと言う連絡を受け
広島刑務所に出かけた。
10名ばかりの方がいらっしゃり、刑務所の工場への仕事発注の社長や
出所者の面倒を見ている方など立派な方たちが多かった。
謡曲を教えているくらいで、感謝状頂くのも恥ずかしい限りだ。

 公的な賞状なんて卒業証書くらいなものなのだが・・ 讃岐漆器の木製盆を頂いた