2004年リタイヤメント生活に突入だ!
もうすぐクロカンシーズンだなぁ〜

2006年 9 月   
9月2日(土曜日)
今週も山本さんがNHKの取材を受ける。私が山本さんの空撮を頼まれているので神の倉へ上がる。
午前中は荒谷山のほうが良いと思うのだが、NHK取材班は神の倉の絵にこだわりがあるようだ。
10時過ぎに神の倉テイクオフにあがって雑談ばかり。
学生達もテイクオフしてくれるのだが、ぶっ飛びばかりだ。雲の流や、サーマル雲の発生やらの話をする。
「何歳から始めましたか?」「パラグライダーの魅力とは?」等と私も取材を受けてしまった。
山本さんがグライダーを立ち上げる絵が欲しいというので、立ち上げて2〜3歩走ったら、
止められなくて、テイクオフしてしまった。
空撮をしないといけないので、あわてて機材のフロントバッグを取り付ける。
高度を復活するかどうか由加里さんに見てもらっているうちに半分以下になってしまったので、
私も飛び出し、スパイラルをかまして追いかけ、何とかすれ違いのワンショットは撮る事が出来た。
12時頃、足刈さんが荒谷山でテイクオフし、じわじわ上げ始めついに+500mばかりになった。
原田さん、是枝さんもテイクオフし、左尾根で苦労していたが、ついにトップアウト。
三人とも雲底(海抜1700m)に付けた。
その後、是枝さん、原田さん、田原さんは白木山を取ってリターン途中で降りてしまった様だ。
20Km以上のフライトだったようだ。
足刈さんは3時間ばかり荒谷山〜神の倉を遊んでいた。
夕方荒谷山へ移動したが、良いサーマルは無さそう。
NHK取材班は荒谷山の絵が入らない様に山本さんの足の運びを撮影していた。

  

夕方7:00頃まで大方さん、兵萬さん、利弘さんと私でバブルがはじけて10数年、日本の様変わりを嘆く。
私の息子もアメリカから帰って求職中ではあるが、未だパラサイト状況なので特に身につまされる。
兵萬さんに工場で働く人達の身分を聞いたら半分以上は派遣だと言っていた。
若い人達が可愛そうだとも言っていた。
不安定な身分で、しかもせいぜい年収240万円位では将来の夢も希望も持てないであろう。
バブルがはじけ、血の出るような企業努力をして、利益の確保できる体質に作り替えてきたのではあるが・・・。
戦後皆一生懸命働いて世界第二位のGNPに押し上げ、しかも社会全体のボトムアップも計ってきたのであるが・・・。
日本の将来はどんな方向に進んでいくのであろうか?アメリカのような格差社会になっていくのであろうか?
極端に言えば、金正日の北朝鮮の様にする積りなのか?
金正日だって国民の一割は大切に保護して、支配体制を確立しているのである。
北朝鮮は独裁体制なので、日本と比べても無意味なのであるが、無能な指導者に権力を渡してしまうと、
悲惨なことになるのは古今東西を問わずである。
究極のところ、その責任は国民にあり、最後には国民が何とかしなければならないのだが・・・・。
9月3日(日曜日)猫尺状態
今日は広島大学のスペイン留学生のヨネちゃん(25歳女性)が我が家に来ることになっている。
8月のスペイン旅行で訪ねる予定だったサンタンデールの(スペイン北部)デビッドが
「交通事故を起こしてしまい、サポート出来なくなった」とメールしてきた。
マドリッドに居る時に大破した写真つきのメールをしてきたのである。
広島に居るヨネちゃんにメールを入れたらバスク地方(スペイン北部)の
ビトリアの両親を訪ねてくださいとありがたい申し出。
ビトリアのご両親のビデオを撮っていたのでコンピューターに取り込んでCDに焼き付けておいた。
CDを渡して夕食に手巻き寿司でも食べようという計画である。

8月草刈をしていないので、9時から緊急ランの草刈をした。
暑くて汗びっしょりで下着のシャツを絞ると汗が滴り落ちたので下着は脱いで長袖シャツ一枚になった。
昨日は足刈さん達が荒谷山からテイクオフして良い思いをした。
気象条件も昨日と大差ない。上がる予感がする。
今日もNHKの取材はあるのだが、大空を飛んでいるのを2000m/m望遠レンズでとるらしいので、
神の倉に固執はしない。昨日の夢よもう一度でいそいそと荒谷山へ上がる。
昨日よりは積雲の量が多く大きい。それでも発達している積雲は結構有る。
テイクオフ上空でも発達しているのがある。サーマルを引っ掛けて雲底に付ければ極楽フライトになるだろう・・・。

12時頃には20名以上テイクオフに上がって来て、キャノピーのチェックを始める。
大佐山から来たビジター2人が「ぶっ飛びでよいのでテイクオフします」というのを山本さんが、
「良くなるのでもう少し待って!」とテイクオフを押しとどめている。
東北東で1〜2mの風が時々入ってくるが、無風に近い。
サーマル成分がどの程度混じっているか、私が最初に立ち上げてみる。
サブランに岡本さんの車が置いてあるので「5名様に限りぶっ飛びOK !!」とダミーを募る。
2〜3度立ち上げてみるも、パワーが感じられない。
三次さんがすぐ後ではやっているので、テイクオフを替わってもらう。
三次さん12時過ぎにテイクオフ。いきなり南(右)ボールのリーサイドを探りに行ったが何も無し。
正面尾根沿いを下っていくのだが、今ひとつパワーのあるサーマルなし。
尾根の最後のコブあたりで±0m位でゆっくり廻し始めた。15分くらいでレベル近くまで復活した。

学生2人と河原さんテイクオフし、尾根中腹くらいで廻してレベルを超えてきた。
次に私がキャノピー拡げた。3人ばかりで捧げ持ってくれているのだが、殆ど無風である。
前に出せばサーマルがあるのは分かっているので、クロスで後へ飛び跳ねながら、キャノピー立ち上げ
前を向いて蹴りだそうとしていると「ストップ!!」と言う声がかかった。
無風でのテイクオフなので連続した動きであったので、中止する間も無く蹴り出してしまった。
2mばかり沈下しながらのテイクオフで、キャノピー見上げると左のDラインがからんでいる!
出来るだけブレーキがかからないようにと左ブレークコードをポンと離すと、絡みはとれた。ヤレヤレ!

一度テイクオフしようとして取りやめて、再度のテイクオフが一番危険を内蔵していると思う。
私の場合は最初の準備のとき、ラインチェックしたという意識があった。
二度目のテイクオフ時には皆さんに拡げて貰った事もあり、ラインチェックをしなかった。
よく言われるレッグベルトの締め忘れも、最初のテイクオフを中断し、
再度テイクオフするときに犯す不注意なのである。

10mばかり沈み込んだが正面尾根に近づくとリフトが有った。
河原さんと絡みながら廻す。強めのリフトが有ったので小さく廻し、一気に雲底に近づくことが出来た。
海抜1500mの一番手上げとなったので、NHK取材班が撮影しているだろう。雲中でなく雲底を移動する。
南へ移動したがクラウドストリートはなく、海抜800mまで下がったので大急ぎでテイクオフに帰る。
3機ばかりが雲底に付けていた。5機ばかりは北(左)尾根にあるサーマルで上げている。
テイクオフレベルより下がってしまったが、最初上げた当たりでサーマルヒットし
一気に雲底に上げ返す。サブランには岡本号があるのでぶっ飛び者は居ない様である。
山本さんが南に走り出したので、1Km後をついていくも、私だけ下がっている様なので
もう一度荒谷山テイクオフに引き返しレベル位から上げ返す。
7機は神の倉上空に移動していくらでも上げなおしている。私も雲がつながった頃を見計らって、神の倉に移動。
200mしか高度ロス無しであった。保垣地区上空で皆さん上げ直しているので私も移動。
すぐに雲底に付けることが出来た。しかし寒い。
今日は下着無しの薄い長袖シャツ一枚で飛んでいるのである。
私のフライトスーツはスリーシーズン用なので、テイクオフでは暑くて着ていられない。
フライトスーツ着るとぶっ飛ぶというジンクスがあるので、夏はなかなかフライトスーツを着ようとしないのである。
寒くて仕方ないので、高度下げる意味でも、荒谷山へ戻る。海抜800m位で帰った。
ハングが全部テイクオフしていればトップラン狙おうかと思ったが、まだ2機残っている。
留学生のヨネちゃんが3時頃来ると言っていたので、メインランディングへ。
私は2時間ばかりのフライトであった。
今日はネコシャク状態となり、殆どの人が2時間以上の雲底飛行を楽しんだようだった。
山本さん、河原さん、高石さんはアウトアンドリターンで4時間ばかり飛んだ様であった。
大佐山から来たビジターさん達も目一杯楽しんでくれたと思う。大佐山で大いに神の倉の宣伝をして下さい。
パラの中国選手権をやろうとしているので、これを機に各エリアの交流が盛んになればと願います。.
                                          
9月15日バリ島到着
昨年に続き2度目のバリ島行きである。
スペインに行く前に¥49800でJTB福岡が募集していたのであるが台湾の空港会社が
キャンセルしてきて、シンガポール航空に変更させられ、¥69000円になってしまった。
行くと決めていたので、竹井さんも榎本さんもブレーキがかからず、私達夫婦と4名で行くことになった。
ホテル付きで朝食付きなので安いのに間違いは無いのだが・・・。バリ島の杉浦さんに今年もよろしくとメールを
入れたら、福岡の梅津さんが同じ飛行機でバリ島に行かれるそうである。
梅津さんも昨年バリ島に行かれ、バリ島に魅せられた一人のようである。
梅津さんとメール交換して楽しみが一つ増えたわけである。

朝6時のこだまに乗って出発。福岡10時30分、シンガポール空港に13時40分着。
現地時間19時10分。バリ島デンパサール空港着。
パラザックを受け取り、税関を無事通過。何故無事通過かというと、パラグライダーをバリ島で売却しないという
保証金として1万円を時々徴収される事があるらしい。
領収証をもらっておけば出国するとき返してくれるが、手続きが面倒なので無事通過がありがたいのであるが・・・。
現地のJTB傘下の旅行会社の人と、杉浦さんが待っていてくれた。
梅津さんは杉浦さんと、我々は現地の旅行会社のマイクロバスでホテルへ・・・。
ホテルのフロント係、ボーイさん達に、とびきりの笑顔をもらう。
バリ人の笑顔はどうして私達の心を融かしてしまうのだろう。
62年間も生きているので営業用の微笑みは私にも分かるのである。
道で会うバリ島の人達の笑顔の全てすばらしいのである。
実はバリ島に来たかった理由の8割はこの雰囲気を味わう為である。
50年ばかり昔の日本も貧乏だったが、こんな笑顔は持ち合わせていたと思う。
バリ島に来ると言葉は通じないが(当然日本語を分かる人もいるが)なにやらホッとすると言うか、心が和むのである。
バリ人から笑顔をもらっているうちに、こちらにまで伝染してしまって、自分のほうからバリ人に笑顔をふりまくように
なってしまうのである。笑顔は人の心を幸せにしてくれるのである。
9月16日ティンビスフライト
11時に杉浦さんが迎えに来てくれると言うので、ホテルのバイキング朝食を済ませてホテルの近くを4名で散歩する。
ホテルはクタ地区なので、海岸はサーフィンのメッカである。
9時過ぎなのだが、すでに5−6名がサーフィンを楽しんでいる西欧人達がいた。
遊泳禁止のどくろマークの赤旗が不気味に風にはためいている。
このくらいの風だとティンビスも風もバグース(GOOD)であろう。
南国の草木花をデジカメで榎本さんが撮りまくっている。
ホテルの廻りを1Kmをぐるりと巡ってみた。路地のような狭い道にも小さな小さなお店(レストラン、喫茶店、
サーフィン屋、写真や、洋服や、その他雑多なお店、そうそう電話やさんもあった)が沢山あるのである。
でも商店街ではないのである。お店のお姐さんがお店の玄関や、四方の隅やまだまだ沢山にお供えをして歩いている。
とにかく家の廻りはお供えの洪水である。神様へのお供えなので、踏んだりして粗末になるのでは?と思ったら、
お供えを終わると同時に、ゴミとなっても良いようである。(お供えを踏みつけてもかまわない?)
後日小早川さんから聞いたことであるが・・・。

 ホテルでの朝食 毎朝沢山のお供え

 家の周りにお供え クタのサーフィンの海岸

10時半になったので、ホテルの廻りの散歩を終えホテルに帰る。11時には杉浦さん、梅津さん、
小林さんと運転手のアシタバ君が迎えに来てくれた。
ティンビスへ行く途中去年も行った牛肉入りラーメンを食べに行く。ちょっと中華風でなかなか美味しいラーメンである。
スイカジュースはココナッツ入りで変な生臭さも無く、とても美味しいジュースである。

いざティンビス、テイクオフ場へ。バリ島は南半球でなので、今は冬で乾季なのである。
日差しは強く、暑いのであるが、一日中風が吹いていて日陰は大変涼しいのである。
目前に広がるインド洋は見渡す限りの水平線である。
目下は60度くらいの斜面で、潅木が少しだけなので転がると痛そうである。
高度差は50mくらいで、砂浜が続いている。10万ルピア(1200円)のエリイフィ(3ヶ月分)を管理者のクトゥーに支払う。
海岸に住む若衆がエリアサポートに来ている。
彼らはキャノピ−拡げてくれたり、強風の時には2-3人がかりで、サポートしてくれる。
最後は2人がかりでキャノピーを屏風だたみしてパッキングしてくれる。
彼らへのチップは我々一人が2万5千ルピア(300円)支払う。
彼ら7−8名はフライヤーからもらった2万5千ルピアを分け合うので今日はフライヤー12名ばかりなので、
一日4万ルピアの日当である。彼らとしては立派な日当であるらしい。
更にボーナスとしてはツリーランや海岸に下りてしまったら担ぎ上げに5万ルピア(600円)支払うことになる。
ランディングは基本的にはトップランディングでエッジから20m以上後へ降ろすとローターでたたかれるので、
絶対後へ行かないようにと杉浦さんから注意を受ける。

風は6m位でちょっと強めであるが、去年の経験者である私からテイクオフする事に。
急斜面にキャノピー拡げたのだが、6mではちょっと強すぎ、キャノピー押さえているだけで大変。
風の弱まったところで出ようと思っていると地元サポーター達が近寄ってくれ、二人がかりで私を抑えてくれた。
サポートがあれば吹き飛ばされる事もないので、キャノピー立ち上げテイクオフ。
出てしまえば6mのリッジ風は全然ストレスはない。左に走り1Km先のお寺の上を飛ぶ。
ヒンズーの神様はいつもお寺に駐在していない。
人々が参集して神様をお寺に呼び込むようである。人々が集まっている時は、お寺の上は絶対飛行禁止である。
ここのお寺がある海岸はちょっと風を受けやすい地形なので良く上がるのである。
竹井さんや榎本さんは、まだテイクオフして来ないし一時間ばかり飛んだのでとりあえずトップラン。
一回目は吹き上げられタッチアンドゴーになってしまった。
竹井さん、榎本さん、梅津さんのテイクオフを撮影して、もう一度テイクオフした。
一時間ばかり飛んでリッジソアリングばかりで飽きたので、トップラン。竹井さんもトップランしていた。
榎本さんはトップランして来ないで飛び続けている。目一杯飛ぶ積りの様である。

 ティンビスのテイクオフ 美しい海岸が続く

私も、もう一度テイクオフ。風は4−5mに落ちているので、サポート無しでテイクオフ。
30分ばかり飛んでトップラン。本日3本のトップランは全てふんわりトップランであった。
地元サポーター達の注目を集めたようで、杉浦さんを通じて私の名前を聞かれてしまった。
神の倉でのトップランが功を奏したようだ。ちょっとブライドをくすぐられた。
杉浦さんのブログを見ると、オージー(オーストラリア人)やヨーロッパ人、韓国人、シンガポールなどが
結構来ている様である。日本人ここに有り!を少し示せたかな?
日本からは上手な人達が沢山来ているので、地元サポーターには日本人のインプレッションは強いであろう。
榎本さんは2時間半粘って飛び、風が弱った時、少しリッジから離れすぎて、砂浜へ降りてしまった。
「砂浜に降りてもキャノピーたたまず投げておいて下さい」と杉浦さんが無線を入れている。
地元サポーターに仕事をさせるようである。
皆バリ島の海リッジを堪能して夕食に行く。バリに住んでいる小林さんの奥さんも合流して食事。
ビールをしっかり飲んで、バリ料理を食べて一人前3万ルピア(350円)であった。

 小林婦人も参加しての夕食 小林さん榎本さんと私

ホテルに帰ってホテルの5階にあるスパの10分間無料券及び30分50%引きの券をもらっていたので、
嫁さんと行ってみる事にした。
スパの受付嬢は25歳の女性で、一年間茨城県に行った事があると言っていた。
券を渡してやってもらうことにした。足をボールにためたお湯で洗ってもらいながら、
受付嬢が一生懸命一時間コースを勧めるのである。
あまり日本語も上手くないので、何を訴えようとしているかよく分からない。
こちらはもらった無料券を主張しているのだがなんだか話がかみ合わない。
日本語で印刷した料金表を示しながら一時間コースを勧めている。
足を洗って揉んでくれている娘は、聞くと16歳と言っていた。ちっちゃな手でやってくれているが、交渉が進まないので
何だか不安そうな顔をしていて、手が止まっている。可愛そうになり一時間コースOKとする。
13万ルピア(1600円)である。と言っても彼らにとっては大金なのである。
交渉成立!!受付嬢もやっと安心したようである。
ベッドに上がれと言う。そしてズボンやシャツも脱げと手で指示してくる。
えっ!!パンツも脱ぐのかとチラッとあらぬ想像してしまった。
しかし隣のベッドでは嫁さんも、しかもパンツ一枚にさせられている。
うつぶせにさせられオイルを足から塗られ始めた。
16歳のちっちゃな紅葉のような手のオイルマッサージでは痛々しいだけである。
温めた石を当てながらの温灸効果を狙ったものであった。
次は仰向けでやはりオイルマッサージとホットストーンマッサージであった。
私は脂性なので、オイルを塗りたくられるのはあまり気持ちよくはなかったが、
16歳の女の子がオイルマッサージしてくれたのは痛々しくて落ち着かなかった。
しかし彼の地では15-16歳からは立派な働き手である。
そういえばネパールのトレッキングの16歳のキッチンボーイもごっつい手をしていて、立派な働き手であった。
私が中学校卒業の時も1割近くの子はそのまま社会に出ていたのである。
ホアンやパッちゃんの事を思うとやはり痛々しかった。
9月17日嫁さんはスパ・我々はティンビス
朝ゆっくりと食事をして、部屋のベランダから空を見ると200−300機のラヤンラヤン(凧)が
青い空を魚の群れの様に泳いでいた。
今日はクタ地区のお祭りで凧を揚げるようだ。平生働かない男どもは今日ばかりは張り切っているらしい。
嫁さんはバリ島本来の目的のスパである。
杉浦さんに調べてもらったのだが、今日はスパが混んでいて、3時間コースしか予約が取れなかったようだ。
頭のてっぺんから足の先までやってもらって8000円のコースである。
昼からスパよりお迎えの車が来るというので、嫁さんはホテルに残して私達はティンビスへ。

お昼ご飯は豚肉料理専門店に行く。豚の皮から色んな部位の肉など食べる。
一人前ちょっと高めで3万ルピア(350円程度)。
昼過ぎには昨日と同じティンビスへ。バリ島は南半球なので、今は冬で乾季。
ティンビスのテイクオフは枯れ草だらけである。
ここは海リッジなので、3−4mの風は弱めなので、リッジステイが少し辛いのである。
5−6mがバグース)GOOD)なのである。2〜3日は変わらないのである。
今日はちょっと(15℃位)左サイドで、あるが、まずまずの4−5mの風が吹いている。
今日はサポートなし、一人ですいすいとテイクオフ出来る。
ビデオカメラを首にかけてテイクオフ。+30−50mで左のお寺付近(1.5Km)まで行ったり来たり。
お寺付近で+50mあったので、もう少し足を延ばしてニッコーホテル手前1Kmの小さなお寺まで足を延ばす。
このまま行ってもニッコーホテルに行けると思ったが、竹井さんや榎本さんが
まだテイクオフして来てないので、彼らを待つ事に。
テイクオフ場に引き返して行くと、竹井さんと榎本さんにすれ違った。
無線で杉浦さんがジュゴンがテイクオフ前の浅瀬に来ている事を告げている。
何とか一度は見たかったので、テイクオフ前に行く。
沖合い100mに居るらしいが、近くまで行って目を凝らすのだが分からない。
とりあえずビデオカメラで海面を撮影した。写っているかどうか不明・・・。

 竹井さんのテイクオフ 榎本さんから上から撮られてしまった

 リッジポイントのお寺 ジュゴンの姿を探しに行ったのだが・・・

竹井さんからニッコーホテルを目指すと無線入る。
後を追いかける。榎本さんも出発したようだ。
ようやくニッコーホテルに取り付いた時は、竹井さんは既にランディングしていた。榎本さんには追いついた。
ニッコーホテルリッジを3-4回拾っていたが、少し沖に出してしまい、榎本さんもランディング。
ニッコーホテルの13階の展望台には良いリッジがあるのだが、だんだん弱くなり始めた。
海岸砂浜のプライベートビーチを示す旗を見ると90度左にたなびいている。
砂浜までは100mばかりあるので、下手をして途中で降りると椰子の木に引っかかるか
ホテルのプール沈になりかねない。
砂浜には観光用のラクダが歩いている。
ラクダもびっくりさせてはまずい!
竹井さんや榎本さんがいるニッコーホテルビーチぎりぎりの砂浜に降ろす。

降ろした所にコッテージがあり、ベッドには白人女性がオイルマッサージをしてもらっていた。
上半身は何もつけず、パンティ一枚でうつぶせになって、背中にオイルを塗ってもらっていた。
かっこいいお尻は小さなパンティからはみ出て、ふくよかなオッパイは胸の下から
はち切れそうにはみ出していたのを、1−2秒で目の網膜に焼き付ける。
コッテージに背を向けながら、キャノピー絞る。
榎本さんや竹井さんが「ニッコーホテルに来れて良かった!!」と言いながら、目は「見た?!!」と言っている。
私も目で「ばっちり見た!」と答える。

 ニッコーホテルリッジでステイ 砂浜にランディング

 ニッコーホテル全景 観光ラクダ

杉浦さんに無線で「3名共ニッコーホテルに降ろしました!」と伝えると、「キャノピーたたまなくて
良いので待っていてください」指示あり。
30分ばかり待っている間にホテルの警備員がバイクで駆けつけたが、
3名共おとなしくコッテージに背を向けていたので、何も言わず立ち去って行った。
もっとも迎えに来てくれたサポーターと思ったので、笑顔で手を振ったのが良かったのかも・・・。
パラ一式を担いで迎えに来てくれたサポーターの原チャリにまたがり,悪路を30分ばかりでテイクオフに帰る。
ピックアップ代金5万ルピア(600円)である。

夕食前に嫁さんをピックアップする為スパに立ち寄る。見てびっくりであった。
3mばかりの高い塀に囲まれた敷地に入ると1000坪(?)ばかりあってすばらしい庭が作ってあった。
プールもあり、スパを受けるのに一人が一つのコッテージを占有している。
3時間、6時間コースがあってオイルマッサージはもちろん、ヘアーメイクからペディキュアまで
文字通り頭から足の先までケアしてくれる。
お花を水面一杯に浮かべたお風呂に浸かれば、お姫様気分にひたれる事間違いなしである。
主婦業から解放されて、一日はセレブ女王様というところか・・・・。
迎えに行った男連中全員羨ましがる事しきり。
男性コースはないのかと誰かが質問していたが、有るかどうか確認を忘れた。
夕方は屋台村みたいなレストランに行き、ビール飲み放題で6品目くらいしっかり食べて、
一人前6万ルピア(700円程度)程度であった。

 高級スパのコテージ プール付きである

 ホテル前にて ホテルのスパの女の子
9月18日小早川邸訪問
二日連続で飛ぶ事が出来たので、竹井さんと榎本さんはウブド芸術村観光と
ウルワツ寺院のサンセット及びケチャダンス鑑賞である。
運転手のアシタバ君を一日貸切で6000円?とか言っていた。
観光だけで一切買わないと二人は言っていたが、後日問い詰めると、
あれこれ二人で10万円近く買い込んでしまったようだ。
芸術には程遠い私も昨年3万円ばかり買ってしまったものである。
ウブド芸術村は木彫り、石彫り、染色、絵画、民芸品など何かしら心引かれるものがあるから不思議である。

私達は小早川邸を尋ねる予定を立てていた。
小早川さんは広島の人で、昨年私のテレビ出演を見てメールをくれた人である。
歳は61歳で定年でバリ島にロングステイを考えておられる人であった。
バリ島の杉浦さんを紹介してくださった人でもある。
海外で橋を架けて歩いた人で、イラクでも3本架けたとおっしゃっていた。
定年後の海外ロングスティが希望で、オーストラリアやトルコやいろいろ候補地を見て歩かれ、
昨年一ヶ月ほどバリ島に単身住まわれその後ご夫婦でバリ島に住まわれた人である。
今回私達がバリ島に行く前に丁度一時帰国されていたので、ご夫婦にお会いしていろいろお話を伺った。
バリ島の生活も是非お見せくださいとお願いして一日小早川邸にお邪魔する事になった。

家庭訪問してお喋りだけでは能が無いので手打ちうどんを振舞う事にした。
コスタリカ、lコロンビア、スペインで家庭訪問した時嫁さんはテンプラやすき焼き、キューリの酢の物など
作って食べさせたのである。
日本文化の紹介であるにもなるし、人間関係を急速に接近させることが出来るのである。
他に音楽や、手品などパフォーマンスが出来ればこの上ない事であるが、私のような無芸大食漢は
羨ましい限りである。手っ取り早いのは料理かな?と思い立ったのである。
バリ島に行く前にインターネットで手打ちうどんの造り方を調べ、3日ばかり練習した。
そばと違ってうどんは作りやすく、味もまあまあかなと思っての事である。
しかし「北夢」の手打ちうどんとは似て非なるものしか出来ない。
レシピ通り練り方や水、塩加減にするのだが、「北夢」のうどんにははるか遠い。
しかし茹でてすぐのうどんはまあまあ食べる事が出来る。
スペインに行った時、宿泊所のオーナーの古村さんがバスタ製造機を使っていた。
うどんをしっかり練っておいて寝かし、麺棒で延ばして包丁で切る作業があるのだが、
パスタ製造機を使えば設定した厚みと均一な巾のうどんが切れるのである。
東急ハンズでパスタ機を買って来た。面白い様にうどんは切れるので、量産体制は整った。
もう少し味がましになったらハングハウスに持ち込みますので皆さん試食してみてください。

話が飛んでしまったが、バリ島サヌールにあるマクドナルドのお店で小早川さんと待ち合わせ。
竹井さん達のウブド行きの車に便乗して送ってもらった。
運転手のアシタバ君が小林さんから預って来たとドリアンを持参してくれた。
強烈な臭みで嫌う人も多いが、食感はバタークリームのようでほろりと甘い。
臭いに負けて竹井さんも榎本さんも嫁さんも一口食べて敬遠した。
捨てるのももったいないので残りは全部私が食べ尽くした。実が半分であったので、結構大量に食べた。
ゲップが出て、自分で出した臭いに頭がくらくらした。

マックの店でコーラを飲んでいると、小早川夫妻が歩いて来られた。
ご挨拶をして竹井さん達と分かれて歩いて10分程の小早川邸に到着。
芝生の庭に花木が植えてある庭を過ぎるとメイドのマリちゃんが座っていて、満面の笑顔で迎えてくれた。
マリちゃんは小早川さんがホテルのコッテージに昨年一年間住んでいた時のメイドさんであった。
来年結婚が決まったのでホテルはやめて嫁入りまでの半年間、午前中だけメイドとして小早川邸に来てくれるそうだ。
仕事と言っても掃除と洗濯だけなので、1時間もあれば済む仕事である。
お喋りしてインドネシア語の先生みたいなものである。
月給は5000円だそうだ。可愛そうなのでバイクのガソリン代を出してあげていると言っていた。
昨年一年間はホテルのコッテージを月48,000円で借りていたが高いので、今月から月2万円のこの家を借りている。
戸建2DKでDKは10畳寝室は8畳、トイレ風呂は4畳くらいであった。床は大理石タイルでひんやりとして気持ちがいい。
今の時期一日中風が吹いていて日陰は過ごしやすい。

  小早川夫妻と

お話は広島で会ったとき3時間ばかりお聞きしていたので、お茶を一杯よばれて
早速手打ちうどん作りにとりかかると宣言。
バリ島では日本人社会でも新参者である小早川さんが手打ちうどん練習して皆さんに振るまわれれば、
良いパフォーマンスになるかな?と思い、うどんのメリケン粉、だし汁や、メン棒を持参して行ったのである。
メリケン粉に少しづつ水を加え,練っていき、足で踏んで寝かしたり、すべて小早川さんにやってもらった。
私は見ているだけで講釈を述べているだけ・・・。
寝かして置くのでビニール袋をとじて4名で昼ごはんを食べに行く。

電話をしてお店の車で迎えに来てもらうのである。出前もするらしい。
お店の影のオーナーは日本人で、登記上のオーナーはバリ人女性である。
お店に到着して迎えてくれた超ミニスカートの美人の看板娘(25歳?)は、中国系のバリ人であった。
この娘が50才台の日本人オーナーのパートナーとは・・・・!
お店はインドネシア料理レストランで、味は抜群に美味しかった。

 レストランにて レストランオーナー達と

食後は杉浦邸を突然訪問して奥様を驚かせたり、小早川さんが昨年住んでいたホテルのコッテージを見たり、
サヌールの屋台村をのぞいたりした。
歩きながら小早川さんは顔見知りの人々に声をかけ、立ち話をしていた。
奥さんのほうはあまり顔見知りは居ない様だが、ご主人のほうは顔の広さというより、
積極的に地元の人々に声かけをしている姿に感動というか舌を巻いてしまった。
一年足らず、インドネシア語で日常会話が出来るようになるなんて・・・。
私にもそんな事が出来るのかと不安になる。
インドネシア語をどうやって習ったのですか?と質問すると、日本人会の会話教室に通ったが高度すぎて分からなかった。
ご主人の方は週2〜3回のゴルフでキャディさんと話して少しづつなれ、奥さんの方はスキューバダイビングを
やられているのでそこで少しと毎日の買い物でお店の人と少しづつと言っておられた。
今はメイドのマリちゃんとの会話が大きいと思う。
名前は失念したが、結構大きなスーパー(3階建てでエスカレーターは付いていた)で嫁さんは巻きスカートを買った。
バリの天然塩や神の倉のお土産に激辛ラーメンを15ケ買った。一個98ルピアなので12円といったところ。

小早川邸に3時過ぎに帰宅。さてうどんを茹でようと台所に持参した15gの塩の包みがあった。
何と食塩水にするのを忘れてしまった。上手くいくかどうか分からんが塩水でゆでる事にした。
12分茹でて水で締めて、持参のだし汁でぶっかけうどんで食べた。まあまあ何とか美味しく食べることが出来た。
日本人会で皆さんに手打ちうどんをご披露される日が来ることを願って私のうどんパフォーマンスは終わった。

今日一日お邪魔してなごやかに打ち解けることが出来たので、ロングステイの本音を聞かせてもらう事にした。
「ここバリ島でのロングステイ生活の日々は生きがいとして成り立ってますか?」とぶしつけな、
しかし、ロングステイ生活を考えている者にとっては真剣な質問をぶっつけてみた。
「一日一善ですかねぇー」とご夫婦とも同じ様な事を答えられた。
ゴルフやスキューバダイビングは当然だが、一日に一回買い物に行くとか、食事に出かけるとか、
友人を訪ねるとか、とにかく何かを一つやればそれで一日過ごした事になる。
とにかく時間はゆっくりと流れて行くというのである。
「イライラして不安になりませんか?」と訪ねると「初めはそうでしたが、今は全然気にならなくなりました」という事であった。
リタイヤして半年になるが、自分の感じでは”一日一善”みたいではあるが、ゆったりと時間は流れていない。
何もしていないのにあっという間に夕方になるという気分である。
ロングステイでゆったりと時を過ごして生きがいを見出せる事が出来るであろうか?
そんな事を考えながら再会を約して小早川夫妻と分かれる。
9月19日帰国シンガポールでトランジット
空港へ11時集合なので、現地旅行会社のスタッフが迎えに来てくれる。
シンガポールでのトランジットが6時間あるので、観光局が用意してくれるクアラルンプールへの無料バスで
市内観光をすべく、4名で出かける。

 クアラルンプールのマーライオンにて  

  

自分たちだけで歩き回るだけなので、マーライオンを見て、海鮮料理屋で晩御飯を食べる事に。
ゆっくりし過ぎて夜9時の無料最終バスに乗り遅れてしまった。
タクシーを飛ばして空港へ。
朝の1時出発なので時間は充分にある。福岡に朝8時に到着。

 クアラルンプール空港にて スペインのバリ新婚旅行の若夫婦と

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