フィンランドオーロラ紀行
2008年3月

2008年 3 月オーロラ紀行
2月28日(木曜日)
大阪 梅田スカイビル  空中庭園 地下街
若い頃から世界で行って見たい5ケ所のうちの一つはオーロラ紀行がある。
北極圏でオーロラベルトが通っているのはカナダとアラスカと北欧が有名である。
カナダあたりは皆さんよく行かれているので、へそ曲がりな私はフィンランドを選んだ。
フィンランドはメキシコ湾海流の影響でカナダあたりよりは暖かいらしい。といっても−20℃なんだが・・・。
という事は!!!(行ってから気が付いたのだが・・・)
雲の発生率が高くオーロラ観察の確率がカナダより低いという事だ・・・。
リタイヤして時間は有るので、旅行はツアーで安く行って、延泊して自分たちで動き回ってみると
言うスタイルを貫きたいと思っている。
しかし今回は−20℃の世界だと、バスに乗り遅れて一時間もバス停で待ったり、プリザードなどに会ったりしたら
命がけになってもかなわないので、添乗員付きのツアーを探した。
関空→ヘルシンキ→フィンランド国内飛行機でイヴァロ→サーリセルカ→ロバニエミ(サンタクロース村)→
夜行列車移動でヘルシンキの欲張りな8日間フィンランドオーロラ紀行をインターネットで探す。


 ムーミンの里タンペレにも行った

JTBが30万円、近ツリは添乗員無しで25万円であった。JTBに頼んだら既に一杯であった。
もう一度インターネットで探しまくったら、同じ条件で阪急旅行社で20万円で添乗員付きがあったので早速注文した。

関空は前泊して、せっかくだから大阪見物する事にしてどこに行こうかとネットで探す。
自分は生まれてこの方、大阪見物をした事がないことに気づいた。
大阪城とも思ったが宿泊する梅田阪急ホテル近くで何か無いか調べたら
梅田スカイビルが歩いて15分のところにあった。
10年位前にテレビで空中庭園云々と言っていたのが強烈に印象に残っていた。
2時前にホテルに到着し、少し待ってチェックインさせてくれ(周りの部屋は未だ掃除していた)

早速梅田スカイビルに行ってみる。
ガラス外装の140mのツインビルの頭を継いで丸い通路を造って大阪駅周辺を睥睨する様に建っていた。
何処が空中庭園なのかよく分からなかったが面白い構造だったのでとりあえず満足であった。
展望台の喫茶店でお茶にする。ビルの地下が滝見小路と案内があった。
昭和初期のレトロなお店造りがしてあり、看板なども昔風で錆まで描いてあり、手押しポンプや
三輪自動車ミゼットなども置いてありなかなか面白い地下街であった。
そこを出ると池と庭園がしつらえてあり、にくい演出であった。

  梅田スカイビル 梅田スカイビル屋上

 梅田スカイビル屋上 ビルを繋ぐエスカレータ ビルを繋ぐエスカレータ

 滝見小路  ダイハツミゼット
2月29日(金曜日)
12:00関空テイクオフ。シベリア、北極海経由
関空行きのリムジンバスがここ梅田新阪急ホテルから出るので、ここを宿泊所に決めた。
関空の阪急旅行社カウンターに10時集合だったが朝7:30には出発。
関空は初めてであったので少し見学しておきたかった。
そして2月27日に添乗員の草野さんから電話をもらって色々注意事項を聞き余裕を持って
9時過ぎにカウンターに来て下さいとお願いされていた。
阪急交通社のカウンターにはまだツアコンの草野さんは来ていなかったが、トランクは預ってもらって朝食に出かける。
朝食を済ませてカウンターに帰ってみると草野さんが来ていて一組みづつ説明していた。
同じ事を全員にするとなると大変だろうなぁー。
ツアーのグッズをもらって搭乗手続きの為フィンランド航空カウンターに行き済ませる。
「窓際がいいですか通路側がいいですか?」と聞いてくれたので、おのぼりさんの私は当然窓側をお願いした。

お昼定刻どおり12時テイクオフ。どんな飛行コースを飛ぶのか?と興味津々。
日本列島の背骨を北上。日本アルプスの険しい峰峰が晴天の空にまぶしく光っていて素晴らしい眺めだ。
ビデオカメラで撮るのを忘れて見入っていて、ビデオカメラを構えた頃は次に雲が晴れて地上が見えてきた。
ロシア沿岸かと思っていたら北海道上空ですとアナウンスあり。又雲がかかって見えなくなってしまった。
次に雲が晴れて見えたのはロシアシベリア地方だった。
一面雪であるがタイガ帯なので山々の起伏が木々の重なり合いでコントラストが美しい。
2時間ばかり飛んで木も生えてないツンドラ地帯に入った。
一面真っ白で起伏も無く時々大河が蛇行しているのが見える。
大きな河の一部が凍結してなく水面が光っている。
ずっと目を凝らしていたら2ケ所だけ人工物(道路)を見つける事が出来た。
そのうち蛇行したか川が無数に見えてきた。?????
しかし地面はえらく真っ平だな??とよくよく見ると北極海の氷床であった。
一面の氷床で無く、あっちこっちが割れて離れて河のように見えたのである。
しばらくすると陸地も見え沿岸部には氷があるものの沖には氷が無い状況である。
北極海の氷が少なくなり、北極海航路を開発すれば船賃がえらく安くなるとテレビで言っていたなぁー・・・。

 関空にて シベリアの大河 シベリアの大河建物が見えた

 只今シベリア上空 まばらな氷の北極海 氷の無い海岸線
2月29日(金曜日)
ヘルシンキ着 15:00  イヴァロ発 17:15 →17:45(遅れた) イヴァロ着 20:00 
バス 20分 サーリセルカ着 オーロラ体験


飛行機は白海上空からロシア領の陸地を飛びヘルシンキに現地時間15:00に到着。
フィンランド国内線に乗り換えイヴァロへ移動するのである。
ヘルシンキ国際空港はヘルシンキで降りる人は少なく、トランジット客で入国のゲートは
300名位並んでいるのにカウンターは4ヶ所しかない。
列の最後尾に我々阪急交通社ツアーの27名は並んでいる。
日本人はフィンランドではビザやイミグレーションカードが不要なので、草野さんの機転で乗り換え窓口でなく、
お客さんが誰もいないヘルシンキ入国ゲートへ行きすいすいとヘルシンキに入国。
空港ビル内を歩き国内線乗り場に行き、搭乗手続きをして、全然待つことなく国内線ゲートに到着。
一時間以上のゆったり待合室であった。

ローカル空港イヴァロに20:00到着。フィンランドの相当北である。
N.68度36’27” E27度25’15”なのでロシアとアラスカのベーリング海峡よりまだ北なのである。

 地方空港のイバロ。一本しかターンテーブルがない 手を振ったら坊やが答えてくれた お母さんが気が付いてにっこり!

サーリセルカのホリデイクラブホテルは2階建てだが相当に大きなホテルだった。
ホテルにはいる前に、灯りのせいでダイヤモンドダストがキラキラ光って見えた。
2階の219号室は、広さもありきれいな部屋であった。
草野さんのオーロラの説明を聞いて早速出かける。明日は曇りになりそうなので、今夜が勝負との事だった。
現地時間21:30頃、持ってきた服をしっかり着込んで、町並みをはずれた別荘地に歩いて行く。

 ホテル  ホリデイクラブ ホテル  ホリデイクラブ オーロラ観察だ!-20度 さぶー

街灯が途切れた小高い所で観察。真上に北斗七星がくっきりと見える。
北極星が殆ど真上に見える(15度位傾め)
上空には高層雲の薄いのが張っているのかと思っていると、どうも濃くなったり薄くなったりしている。
そのうち帯状になりくっきりとラインが見えてきた。
これがオーロラかと見ているとラインが虹色に輝き始めた。
お!お!ついにオーロラの出現だ。白いカーテンで裾だけが少し虹色だ。
白いカーテンが揺らぎ始めそして平行移動も、し始めた。
活発にカーテンが動き始めたらドンドン輝き始め、青やピンクや虹色に輝き始めた。
そして天空に向かって延び始め本格的なオーロラの出現となった。
西から東に私たちの頭上一杯にオーロラが出現したのであった。
オーロラ(カーテン)の下端は地上から100Kmというのでオーロラカーテンの高さは200Kmはありそうか?
圧倒的な拡がりで私達二人の真上近くでのオーロラ出現であった。
感動のあまり言葉にならず「お〜ぉ!!」とか「あぁ〜!!」とかの声しか出ず。
二呼吸くらい置いて「すっご〜!」「きれい!!!」とかのありきたりの言葉・・・。
しばらくして「カーテンの揺れはものすごく早いんだ〜!」
「写真で見たののは全体がオレンジ色だったりブルーだったりだが、今日のは白っぽいが
カーテンの裾やひだが虹色輝いてオレンジやブルーも見えるねぇ〜」
「カーテン全体が一瞬で平行移動もするんだ〜」「カーテンの高さは200km以上はあるよ〜」などなど
感激の言葉が出始めた。
しかしオーロラは見る見るうちに衰えて行き、薄い高層雲のようになって消えてしまった。
あまりに感動的だったので長く感じたが、オーロラが出現し消滅する時間は30分位だっただろう。
虹色に輝き始め圧倒的な姿を見せてくれたのは15分も無かったのであろう。
若い時からの夢の一つがここサーリセルカに来てすぐに見る事が出来るとは・・・。
−20℃の夜の外気は近々するほどほほを刺したが、もう冷過ぎて冷たいとか痛いとかいう感覚も無い。
毛糸の靴下にパラ靴でホッカイロを靴に入れているのだが、足が冷えて痛くなってきた。
ホッカイロは厳寒の下では発熱しないようである。嫁さんはスキー手袋をしていたのだが
手が痛いと言い出した。
もう一度は先ほどの感動を味わいたいものと「もうちょっと!!もうちょっと!」と15分ばかり頑張っていると
満天の星空がかすかに白っぽく高層雲が張って来たようになった。
おー!!始まるかも!!と期待と寒さのせめぎあいで足踏みしながら待つこと10分ばかり・・・。
うっすらした高層雲は筋状に変化し始めてきた。よし!よし!もう一度!!と足踏みしながら待つ。
白いカーテンとなって揺らぎ始めた。
カーテンの裾は少し虹色で高さは先程見たオーロラの1/5位である。しばらくして消えてしまった。

興奮が冷めてしまうと手足の痛さや顔は感覚を失っているのに気づく。
−20℃の世界に長時間留まる事がどういう状況を引き起こすのか?と
怖くなり、とりあえずホテルに帰って温まることに。
23時にラウンジに帰ると添乗員の草野さんが「いかがでした?」と聞いてくれたので、目一杯感激を伝える。
「オーロラは夜12時頃前後が活発になるので、休まれたらもう一度頑張って下さい!」
「明日からの天気予報は雪となっていますので、今夜がラストチャンスかもしれないので、もう一度是非頑張って!」
「オーロラは高いところに出来るのは全体が赤いのや、その他全体がブルーに輝くのもあります」などと
発破をかけられてしまった。

部屋に帰って温かくなるとぐったり疲れているのに気付く。寒さは体力を奪うという事を実感する。
23時という事は日本時間で朝の6時という事なので、徹夜をしていることになる。
一休みしてからと服のままでベッドに転がっているといつの間にか寝てしまい、気が付くと2時であった。
あわてて起き出し出来るだけ街灯のないところを目指して歩くと国道に出た。
夜の2時なので車は来ないだろうとかまわず歩いて行く。街の灯りから少し離れた所で夜空を見上げて待つ。
5分に一台位は車が通る。道路端に立っていると私達を見て乗用車は反対車線を走ってくれた。
大型トラックと乗用車が対向して走って来る。慌てて路肩の雪だまりに走り込む。
大型トラックが1.5m脇を60Km/hで走り去った。
何か砂ぼころみたいなのを被った様で、それが目に入ってざらざらする、。
目をこすっているとすぐに目のざらざらは治った。目に入ったのは砂でなく雪である事に気がついた。
−20℃の雪は広島で見る六角形の結晶ではなく針状なのである。
目玉も冷え切っているので、針状結晶の雪もすぐに溶けずザラザラしたのであろう。
夜空のオーロラは筋状の高層雲になるのだが、それ以上には発達しない。
国道は危ないので、早々に引き上げ、30分位かけて最初に見たところへ行く。
30分ばかり観察していると、オーロラは小さな白いカーテンにはなるのだが、輝いてくれない。
3時過ぎたので諦めてホテルに帰る。
3日後にロバニエミで夕食時に、植田さん夫婦に聞いたら、2:00頃のオーロラが最高だったらしい。残念!!!

日本に帰って皆さんからオーロラの感想を聞かれるのだが、私の乏しい表現力では伝えきれない。
例えば、”雷のものすごさ”を伝えようにも言葉にしたとたん、”雷のものすごさ”はしぼんでしまう。
テレビの画像や、写真も事実ではあるが”雷のものすごさ”の真実は伝えきれないと思う。
やはり、オーロラは足を運んでもらうより仕方ないように思う。

 全天空のオーロラ  
上記写真は植田さんからメールで送ってもらった。
3月1日(土曜日)
サーリセルカにて   本場のサウナとスノーもビル
朝7時に目が覚めてしまった。昨夜の夕食は機内食のみだったので、腹がすいたみたい。
7:30に食堂に行きバイキング朝食。
大阪弁を話すおばさん3人とおじさんのグループがいたので「昨夜のオーロラいかがでしたか?」と聞くと、
どうやら白いオーロラの様であった。私達のはあ〜だったとか、こうだったとか感激した事を話す。
草野さんが「夜に12時前後が活発です」という説明で12時前後を狙って出かけた様なのだ。
自分たちだけが素晴らしいオーロラを見た様なので、言えば言うほど草野さんの御託宣に従ったのが
間違いということになるので、それ以降は誰にもオーロラの事を話さないようにした。
朝食バイキングは20種類位用意してあり、少しづつ取って食べた。
取り立てて美味しいと思うものは無く、2度取りに行ったのはレタスであった。
パンはパサパサでココアで飲み込んだ。フィンランド人の名誉のために言っておくが、私が日本食に慣れていて、
洋食は苦手なだけである。私の口に合わないという事で・・・。
今日は15時からスノーモービルのアクティビティをお願いしてある。

午前中は暇なのでホテルについている本場のサウナに入る事にした。
添乗員の草野さんから「ここフィンランドのサウナはお尻の下に敷く紙を中に持って入るだけで全裸で入って下さい」
「男女混浴のサウナもあります。ミストサウナなので中では隣りの人もよく見えないので安心です」などの注意を受けていた。
プールへ入る人も同じ場所で着替えする。着替えの為の個室はあるのでバスロブを脱いでバスタオルで隠くす。
嫁さんとはここで別れ、男女別の入り口からサウナバスへと進む。
入り口にはバスタオルをかけるフックが用意してある。全裸で進む。
シャワー口が10箇所ばかり並んでいて、家族用(扉は目隠し)と透明な扉のサウナ室がある。
透明な扉のサウナ室の中には、でかい男が1人入っていた。
ミロのヴィーナスを想像しつつ混浴場の扉を探すも見当たらず。
しかし、嫁さんと全裸で出会ってもなあ〜・・・・・
もう一つの扉を開けると、部屋になって椅子が置いてあるがサウナではない。
奥にもう一つ扉がある。どうもプールへの入り口の様だ。
もう他の扉は無さそうである。ミロのヴィーナスははかなくも消え去った。
最も、混浴サウナがあっても、この老醜のわが身をミロのヴィーナスにさらす勇気は今はもう無い。
本場フィンランドサウナはどんなものかと期待しつつでかい男が1人居るサウナに入る。
サウナの熱源は日本でもよく見る石を熱しているやつだった。
桶とひしゃくが置いてあり、時々水をぶっ掛けて水蒸気を発生させる。
サウナの熱はさほど熱くなく、水をぶっかけないと汗が出てこない。水蒸気で蒸されるとちょっと息苦しくなる。
日本でのサウナは水をかけないで下さいと注意書きが有ったように思う。
日本のサウナの方が乾燥していて、よほど気持ちよく汗を流せると思った。
ホテルの部屋にはにはバスタブがなく、シャワーだけなので、毎日サウナは欠かせない。

 サウナに行くにはホテル内はこれでOK 朝見たダイヤモンドダスト 木の間から見える

今日はスノーモービルを頼んである。15:00からなのでサーリセルカの街を歩いてみる事にした。
ここサーリセルカは冬のリゾート地でスーパーが一軒とレストランや土産物屋さんが数件あり、
数軒のホテル以外は別荘があるだけ。ぐるっと街を歩いても30分位なものである。
Sillvaという小さな店でコーラが2.2ユーロであった。昨夜ホテルで買った時は3.7ユーロであった。
昼飯用にサンドイッチや菓子類、コーラを買い込んでホテルの部屋で遅い昼食。
コーラのペットボトルにはリサイクルを表わす回転の矢印が印刷してあり、0.2ユーロ返金するという事だろう。
日本でも是非実施すれば良いのにと思う。ポイ捨てがすくなくなるだろうし、なによりホームレスの人達が助かるかも・・・。
最も今はアルミ缶で市役所がホームレスの人達に向かって権利を主張している様だが・・・。
サンドイッチのパンはパサパサでコーラと一緒に流し込まないと食べられなかった。
日本のコンビニのサンドイッチ(しっとり、もっちり)をフィンランド人に食べさせたらどんな風に思うのだろう?
自分達はえらくまずいものを食べていたと反省してくれるか?
又は日本のサンドイッチはモチモチして気味悪いと感じるのであろうか?
子供の頃から慣れ親しんだ食生活はその国のものが最高なのであろう。
我が家にも過去十数人の外国人達が来てくれて、いろんなものを食べさせてみた。
すき焼きやまず普通に食べてくれるが、生卵を付けて食べたら美味しいよ!と見本を見せるのだが絶対にマネしない。
気味悪そうな顔で見ている。生卵を食べるのは野蛮人のすることの様だ。
米を主食とするアジア人にとっては肉や魚は米を食べる為のおかずである。
それ以外の人々には肉も主食の様である。
パンやじゃがいもも主食としているが、主食を食べるおかずとして肉を食べてないような気がする。
米が主食のアジア人にしても、白米(ジャポニカ米)として食べるのは日本、朝鮮、中国位なのだ。
東南アジアやインドは長粒米(インディカ)に味を付けて食べる。しかし肉や魚はおかずなのであろう。
我が家に来た外国人全員がうどんと広島のお好みやkは美味しい完食してくれた。
特にお好み焼きは目の前の鉄板で料理してくれるのがものめずらしい様だ。
彼らには無理矢理鉄板でヘラを使わせて食べさせる。熱くてフーハー言いながら食べているが、満足するようである。
寿司バーはアメリカでもヨーロッパでも成功したようだが、高級食品としてインテリ層に浸透したのだろう。
ヘルシーな食材だとか言っているが始めは怖いもの見たさでおっかなびっくりで食べたものだろう。
我が家に来た外国人に回転寿司(安くてまずかったかも?)を食べさせたら2皿くらいは食べたが、
後は生魚以外のものを食べた。気味悪いのが先立ち味わえないようである。
寿司バーですら、そこそこ世界に通じたのだから、我が家に来た外国人が全員美味しいといってくれた
お好み焼きやうどん屋のチェン店を展開したら世界に通じるような気がする。
日清食品のまずいカップめん(失礼!)ですら世界に行き渡ったのだから・・・。
食味としても充分世界に通じると思うのだが・・・。

時差ぼけで少し疲れたのでベッドに転がって1時間ばかり寝た。
14時半にラウンジに行き、アドベンチャーツアーの会社の佐藤さん(女性)から説明を受ける。
私らはスノーモービル(2時間)ツアー、二人で180ユーロである。
スノーモービルは昨年、北海道阿寒湖上で5Kmのコースを走った事がある。
今回は極北の地(北緯68度36’27”)まで来ているので寒さを楽しもうと思っている。
寒さで気がついたのだが、昼でも−15℃近くの雪は歩いていても滑らないのである。
アイスバーンはちょっと危ないが、雪が被っていると滑らない。
あー!そうだ!滑ると言うのは圧力などで雪や氷が溶けて水になるから滑るのだ。
あまりの寒さに水にならないのだ。そういえば家の軒先に1本もつららを見ない。

 空気はキーンとしている  

アドベンチャー会社の事務所で防寒着類を借りる。
−15℃の中をスノーモービルで走るとどんな事になるのだろうと、スキーウエアーを着こんで行った。
その上に防寒着のつなぎ服を着たら事務所の中で汗をかき始めた。こりゃたまらんとスキーウエアーの上着を脱ぐ。
貸与されたつなぎ服やスノーシューズ、毛皮の手袋、フェイスマスク、フルフェイスヘルメットは
見た目は頼り無さそうに見えた。
しかし、さすが現地仕様であって、スノーモービルで風を切って進んでも全然寒くは感じなかった。
佐藤さんからスノーモービルのブレーキとアクセル、そしてインストラクターの手信号
(ゴー・ストップ・スローダウン)の説明を受け、いざ出発。
フィンランド人のインストラクターが先頭で野山のコースを走ってくれる。
阿寒湖の時はロープが張られた5Kmのコースを15分ばかりで走ったのだが、今回は自然の中を走るのが楽しい。
嫁さんが後ろでビデオを撮ってくれているが、手袋を外すと1分も持たないらしく、手が痛いと言っている。
だんだん運転に慣れてきてもっとスピードを出したいところだが・・・
列を乱さないで下さいときつい注意やら、スノーモービルを壊したら免責がありますので支払いが発しますとか
脅されているので、おとなしくイントラの後ろを20Km/hで付いて行くしかない。
一時間ばかり走ったところでコースをはずれコタに立ち寄る。
コタはラップランド地方のさーみ人達が使用しているテント住宅である。
円錐形で頂点は穴が開いていて煙が逃げるようになっている。アメリカ先住民のテントとそっくりなやつである。
そのコタ(15人は楽に入れる広さ)に入って白樺のマキを割り、ナイフでそいで火付きをよくして
マッチ一本で紙も使わず火をおこしやかんで湯を沸かして紅茶に木苺などの入ったお茶を入れてくれた。
ちょっとすっぱめだったが、冷えた体には何よりのご馳走だった。
湯が焼く間いろいろ話を聞かせてくれた。今座っている丸太はパイン(松)で樹齢300年です。
直径40cm位なので日本の松で言えばせいぜい30年の大きさだ。
現地人のサーメ人達は7000年前から住んでいる。
ちょっとびっくりだったのは冬は−50℃で夏は+30℃になりますとの事だ!!
北極圏であるラップランド地方は一年中雪にとざされていると思っていたのに夏場は+30℃だったとは・・・。
私の乏しい英語理解力と嫁さんの通訳でフィンランド人インストラクターとコンタクトがとれたのが楽しかった。
一休みした後、スキー場の山頂に登って山を下って全コース2時間のスノーモービルアドベンチャーは終了。
夕食はホテルのバイキングコースとする。1人18ユーロ。
ほとんど朝食バイキングと変わらず。

 着込みすぎて熱い〜  スノーモービルイントラさんと

 楽しいイントラさんよ! 右の小屋は「コタ」 紙を使わず火をつける

 私も運転してみようかな? まだ死にたくないよ! 
3月2日(日曜日)
サーリセルカにて  パウダースノーでスキー
今日は北極圏におけるスキーが目的である。
ハスキー犬の犬ぞりも少し心引かれるものがあったが、どう考えても自分が犬たちを操れるとは思えない。
よく慣れた犬たちが決まったコースを教えられたように走るだけに決まっている。
自分が出来るのはGOのサインとブレーキ操作だけであろう。右に行けとか左に行けとかは絶対無理と思う。
犬たちとの信頼関係が築けていないのに命令を出せるわけが無い。
トナカイそりに乗せてもらうのと同じだろうと勝手に判断した。

無料のスキーバスは11:20分にホテル前にくると聞いたので、朝サウナをあびてスキーバスに乗り込む。
サーリセルカの街をぐるっとまわって山頂に到着したので降りる。山頂には3軒の建物がある。
レストランなどで事務所に入ってレンタルスキーはどこですか?と聞いたら、どうやらスキーセンターは下にあるらしい。
「サンキュー」を言って建物を出ると、先程のスキーバスが動き始める。
走って手を振るとバックミラーで運転手が気がついてくれて止まってくれた。ヤレヤレ!!。
乗客は私達二人だけである。乗り遅れると今度は1時間後位であった。
バス運転手に「レンタルスキー」と言うと分かってくれ、終点のリフト乗り場でもあるスキーセンターで合図してくれた。
降りて早速スキーセットを借りる。一日が60ユーロ(リフト券付)であった。
今が12時なので3時間滑れば充分であろうと3時間のにする。
腰掛式降りフトのほか別の山に通じているT-バーリフトの方に滑って行ったが、
上がってくる人達を見ていると、とても嫁さんには無理なようである。
さすが雪質はスノーパウダーでよくエッジが効く。急傾斜地も思い通りターンを切れる。
嫁さんは「自分はスキーが上手になったみたい!」と喜んでいる。
これだけ雪質良好であればボーゲンしか出来ない嫁さんも上達するかもしれないと、斜滑降を教える。
急傾斜地を降りる方法として考えたのだが、急傾斜の方が怖くて練習にならなかった。
ほっておいたら何とかボーゲンで滑っている。
広島のスキー場であったらとても滑降できないであろうがここではスイスイやっている。
さすがパウダースノーだ。その後嫁さんは北極圏のスキー場にまで来て、3度もスキーリフトを止めてしまった。
詳しく書くと哀しくなるので書くまい。5回リフトに乗っただけなのに、あっと言う間に15:00になってしまった。
以前からあこがれいた本物のパウダースノーでのスキーが出来たので満足であった。

 今日はスキーが上手みたい 北極圏の雪は素晴らしい! リフト3回も止めちゃった

明日はロバニエミまで260Kmのバス移動である。
北極圏で買ったあみやげという事で配る小物を探しに街中に出る。
大きなスーパーマーケットが有ったので中をチェック。
スーパーマーケットを覗いてみるのは何処の国へ行っても楽しい。
現地の人々の生活が垣間見えるし、物の相場も分かってびっくりしたりもする。
どうやって食べるのか?とかどんな味がするのだろうかと想像するのも楽しい。
一応価格チェックをして近くのお土産屋さんに寄る。
先程のスーパーに置いてあったものもあるが、種類が圧倒的に違う。小さなトナカイのキャラクター人形に
磁石が仕込んであり冷蔵庫にくっ付けてメモ用紙を挟むものがかわいい。
数量のいるお土産として15ケ買った。なべ敷きも8枚ばかり買う。その他3〜4点買ったら170ユーロであった。
一品一品おみやげ用のかわいい袋を付けて40ユーロ以上買うとTaxフリーというので書類を書いてくれた。
ヘルシンキの空港で一割くらい返金してくれるらしい。
おみやげで配るのでかわいい袋を付けてくれるのが嬉しい。
お店の女性主人にトナカイ料理が食べたいと相談したら、地図を出して説明し
それでも足りないと思ったか自分でも地図を書いてくれた。
そして電話までして混み具合を聞いてくれ、予約を入れてくれた。
まるで日本人の女主人を見る思いである。細かい思いやりが伝わってくる。

 色々世話を焼いてくれた土産物屋の女主人

トナカイ料理のレストランは歩いて2分のところだった。
メニューをもらって日本語も書いてあるが、いまいちよく分からん!
前菜を2種類とトナカイ料理2種とジンジャーエールとジュースを注文。
日本人は我々二人だけである。後ろの席ではフランス語の大声が聞こえる。
前菜は野菜中心であった。トナカイ料理のメインディッシュの一つはマッシュポテトと細かく切ったトナカイ肉と
ジャムが盛り付けてあった。
この料理はその後2回も食べる羽目になった。
メインディッシュのもう一つは少し大きめの肉片にマッシュポテトの盛り付けであった。
肉はトナカイのレバーであったようで、臭いが気になった。
量が中途半端でなく二人とも半分も食べられなかった。フィンランド人はでかいので仕方ないか・・・
トナカイ料理挑戦と張り切っていたのだが、まあまあかなといったところ。
今夜は雪もちらついており、空には星ひとつも無いので早く寝る。

 3度も食べた日本人向きのトナカイ料理 多すぎる トナカイのレバーは臭いがきつかった トナカイ料理専門店
3月3日(月曜日)
サーリセルカ →ロヴァニエミ(サンタクロース村)
朝九時サーリセルカをチャーターバスで出発。
北極圏の道路をロヴァニエミに向けて250Kmを5時間ひた走る。北極圏だからといって雪が多いい訳ではない。
バスはスパイクタイヤ、乗用車はスノータイヤでバンバン走っている。道路はアイスバーンにもなっていない。
寒いので雪が溶けないので氷にならないようなのだ。車の圧力をしても氷や雪も溶けないので滑らない。
サーリセルカを出て2時間ばかり走るとぼちぼち農家や牧場(トナカイ)が点在しはじめた。
嫁さん調子悪いのか車酔いしてしまいゲロゲロし始めた。
バスに備え付けられていた小さなゴミ袋を何枚も使用。途中トイレ休憩したGSで何とか持ち直す。

 でかい雪かきブルトーザー 低い位置にある信号機 スノーボートが運搬手段

午後3時頃ロヴァニエミに到着し、郊外にあるサンタクロース村に行く。
サンタクロース村は二次世界大戦後アメリカ大統領夫人を歓待するに当たって、北極圏(白夜のある地域北緯66度33′)を
ご案内しようという事で、小さな小屋をここに建てて休息してもらったのが始まりらしい。
トナカイとサンタクロースを結びつけ、サンタクロース村とし、今では世界各国から訪問客があるし、
クリスマスカードがどっさり来るし、ここから発送(自分が)される。
フィンランド人が勝手に作ったサンタクロース村なので歴史があるわけではないが、宣伝にこれ努め
サンタクロースのおじさんと記念写真を撮るのを子供達の夢にまで育てた事には感心する。
我々も後学のためにとサンタクロースのいる部屋の前に行列して並ぶ。
サンタクロースと写真を撮ってもらっても別に買わなくてもいいそうである。
我々のツアーの順番になり、一同サンタクロースのいる部屋に通される。
一目で日本人と分かったのか「こんにちは」とか「東京、京都、大阪・・・」とか、果ては「オッパーピー!」とか
サービス満点のサンタさんだった。
嫁さんと二人で撮ってもらい、部屋の出口でデジタル画面を見せられる。
サンタさんと一緒の写真なんて子供じみているとは思ったが、テレビで毎年サンタクロース村のニュースが
放映されるので、記念だからと25ユーロ(4000円)支払う。
サンタクロース郵便局で切手を買い、昨夜嫁さんが頑張って書いた絵葉書を40枚ばかりを投函する。

 北緯66度33′ 北極圏の案内 こちらの雪だるまは3段

 失くした写真をコピーしていた サンタクロース村の郵便局 サンタクロース村の郵便局から絵葉書を出す

 北緯66度33′の表示 サンタクロース村の玄関 

郵便局で見覚えのある娘(こ)が居た。フィンランドに来る飛行機の中で私たちの隣りに座って居た娘だった。
ツアーでなく九州から1人で旅行していると言っていた。
名は理恵ちゃんで私達より一日遅れでサーリセルカに来るという事は聞いていた。
自分でホテルの予約もし、サーリセルカからロヴァニエミには長距離バスで来て、ここサンタクロース村にもバスで来た。
最近の娘は元気が良いなぁーとつくづく思う。縁があるのだと思い、私のパラの名刺を渡しメールを下さいと頼んでおく。
帰りのバスで先程撮ってもらったサンタクロースの写真を失くした事に気がつく。あらまぁ〜4000円失くしてしまった。

 偶然出合った理恵ちゃん  サンタクロース村の郵便局の郵便棚

ロヴァニエミの街スカンディックホテルに宿泊。
夕食のレストランは四階分の吹き抜けを取っており、屋根はガラスで空が見える。
ツアー客の奈良から来た上田夫妻と同席。中古車販売の会社を経営しているようだ。
サーリセルカでオーロラの撮影をしたと言っておられたので是非写真を下さいとお願いした。
(帰国後メールでオーロラの写真を送ってもらったのでHPに使わせてもらった)

 上田夫妻 
3月4日(火曜日)
ロヴァニエミにて自由行動(アルクキオーネミュージアムともう一度サンタクロース村に行く)
今日は一日中自由行動だ。ここロヴァニエミはそんなに大きな街ではないし、特別史跡があるという事でもない。
オプションツアーでオーロラ敢行のモイモイ号とサンタクロースサファリ(トナカイソリはスノーモービル)が
用意されていたが、自分たちで動いてみたい。
昨日写真を忘れたサンタクロース村にバスで行ってみようと思う。(一時間に一本しかない)
それと北極圏で暮らすサーミ人達の生活や自然の紹介をするアルクキオーネミュージアムがある。
ホテルから歩いて15分の所にあるのでそこに行って後バスでサンタクロース村に行く事にした。
アルクキオーネミュージアムの玄関で開館時間を待っていたら、二人連れの日本人の若者が入ってきた。
彼らはツアー客でなく二人でオーロラを見に来たようだ。橋本君と小原君で、もう少しの間学生らしい。
防寒対策してないような服装だが元気一杯だ。
色々話しをして「ミュージアムを見学したらサンタクロース村に案内するよ!」と伝えたら是非一緒に行きましょうという事に。
一時間ばかり見学して、15分ばかり待ってバス停からバスに乗る。

 小原君と橋本君 小原君と橋本君 北方民族のムージアム ARKTIKUM

   サーミ人の子供

 イヌイットの子供 エベンキの子供 ネネシットの子供

車内で往復チケットを買う。往復で6,2ユーロであった。
バス往復券は運転席で印刷して発行してくれた粗末なものなので、失くしたら大変だ。
サンタクロース村のインフォメーションで写真を失くしたのだがと言ったら、忘れ物の写真を持ってきてくれた。
20枚ばかりあったが私達の写真は無かった。
もう一度サンタクロースの部屋に4名で行き、写真を撮る。
彼らは無駄遣いしたくないようなので、私達だけ買い日本に帰って接写して
メールで送って上げる事を約束した。
もう一度25ユーロ支払う。私のパラの名刺を渡しメールをくれる事を頼む。
彼らとは2時間後にバス停で会う事にして、みやげ物店を見たりして喫茶店で時間を潰す。
小原君と橋本君が日本人の娘さんと長い時間話をしている。列車でロヴァニエミに来る時に一緒だったらしい。
オーロラの情報交換をしているようだった。
昨日注文し忘れた、サンタクロース村訪問記録を発行してもらう。
彼らはバスセンターまで行きホテルを探すそうだ。途中ホテル近くのバス停で降りるので、そこで分かれる。
彼らはまだオーロラを見ていないのでチャンスがあるといいのだが、今夜は天候が悪く、
モイモイ号(オーロラ観察のバス)は中止の様だ。

 サンタクロースと記念写真 レシート用紙のキップ フィンランドで買った革のカバン(千円)

夕方街を歩いていると又彼らに出会った。でかいトランクを引いてインターネットで予約したホテルを探しているようだった。
街の中はさほど見るものもないし、寒いのでデパートに入る。
ロヴァニエミの個人商店の閉店時間は17時〜18時。コンビニが19時デパートが20時であった。
皆さんに早く家庭に帰るらしい。家庭を大事にし自分の生活を大事に思うという事は、ある意味日本よりリッチなのかも・・・。
デパートは2階建てなので小さなお店の集合体みたい。マツダの乗用車が展示してあった。
25,000ユーロ(400万円)!今ユーロが160円なのでしかたないか・・・・。
デパートの中を巡ってみたが、さほど食指を動かされるものはなかった。
フィンランド人は大男、大女が多い。デンマーク人系の人のようだ。
ゼリー状のキャンディが30種くらいあり、量り売りしている。好きなものを好きなだけ選んで買うシステムだ。
スペインも同じだったが、野菜や果物は必要な量を計りにかけ、選んだ品物のボタンを押すと値段が発行され、
それをレジに持参するというシステムが一般的だ。
私が子供の頃は野菜や果物はおろか、お菓子も酒、醤油に至るまで量り売りが当たり前であった。
容器も持参するので究極のエコであった。
日本の過剰包装をやめ量り売りを復活させるのも、意識改革のきっかけになるのではないかとフィンランドに来て思った。

 2.4万ユーロ(400万円)のマツダ車 1ユーロの量り売り駄菓子(ゼリー) ホッカイロを売っていた。凍らないとは面白い!

デパートの長椅子で一休みして、通り過ぎる人々を観察するのも楽しい。
サンタクロース村で小原君、橋本君と長いこと話をしていた娘さんに出会った。
アラッ!と思い話しかける。彼女はイギリスの医療関係で働いていて、休みを取ってオーロラを見に来たらしい。
以前はイギリスからヨーロッパに来る飛行機運賃が2〜3千円の時があって何度もヨーロッパの国々に来たらしい。
30分位話をして夕食を一緒に食べましょうと誘った。
彼女は渡瀬さんと言い、学生の頃イギリスに留学したのをきっかけにイギリスで働く事にしたという。
男の子は二人連れ、女の子はイギリスの娘といい、九州の娘と言い一人旅だ!!
う〜ん!近頃の娘さんは元気が良いなあ〜。日本のおのこ(男の子)共はもっとしっかりせんといかんなぁー。
食事は先程目をつけていた中華レストランとする。
今まで行った外国の、ちょっとした街にはかならずといっていいほど中華レストランがある。
そこそこの価格で腹いっぱいに食べさせてくれる。
中国人の世界中にはびこっている様を見ると、ほとほと舌を巻かされる。
日本食ブームとは言え、日本食のレストランの数は世界中で中華レストランの千分の一か万分の一といった具合であろうか?
中華レストランで粥を頼もうとメモ用紙に米へんに弱いと書いた。(魚が弱いのがいわしなので・・・)
英語の通じない若い中国人のボーイにメモ用紙に粥と訂正されてしまった。
私の誤字は、嫁さんも渡瀬さんも見ていたのにまったく気がつかなかったので、みんなで大笑い。
粥はありませんと言われてしまった。一品づつ頼んで3人で分けて食べてもしっかり量はあった。
ご飯は食べきれず残ってしまった。

  イギリス在住の渡瀬さん 一緒に夕食した中華料理屋

私達は今夜21時にサンタクロースエクスプレスの寝台列車に乗り込む。2等寝台で移動だ。
寝台は2段ベッドで個室にはバス・トイレ付なのだ。
バスといってもシャワー設備なのだが、洗面台を動かして便器側に寄せるとシャワールームになるというすぐれものだった。
バスタオルの用意もしてあるので、シャワーを浴びる。ベットの枕元には時計のアラーム設備もあった。
列車の中からオーロラが見えるかもしれないというので、0時過ぎまで頑張ったが、見えなかった。
列車は60Km/hくらいでゆっくりと走っている。寝心地も悪くない。
ぐっすり眠る事が出来た。

 夜行列車のトイレとシャワー室 枕元の時計 草野さんが毎晩明日の予定表を手書きして配ってくれた
3月5日(水曜日)
タンペレにてムーミン谷博物館と市内観光
4時半ごろ添乗員の草野さんが扉をたたいて起こして廻ってくれた。5時前にタンペレに到着。
あまりに早朝で朝食も未だなので、1時間ばかり迎えのバスで市内を巡る。
レストランで朝食を済ませムーミン谷博物館を見学する。
ムーミンの物語はフィンランド人の女性原作者が5〜6編の物語を作ったらしい。
日本ではアニメにして物語りも沢山放映し、子供達の人気者になった。
私にはムーミンはあまり興味がなく、隣接していた石のミュージアムが面白かった。
同行したツアー客の女性が石に詳しく色々説明してもらった。昼からはタンペル市内の観光。
岩を掘りぬいたテンペルアウキオ教会、シベリウス(作曲家)公園、大聖堂、元老院広場等を観光。
その後バスで2時間ばかりかけてヘルシンキに到着。
スカンディックコンチネンタルホテルに泊。

 ムーミンと  

  シベリュース公園にて シベリュース公園にて 

 石のミュージアムにて  
3月6日(木曜日)
ヘルシンキ市内自由観光
フィンランド最終日でフリーデーである。ヘルシンキ市発行の一日乗車券を渡される。
市営のバス、電車、フェリー、地下鉄は一日乗り放題である。
最初に乗る乗り物でカードを差し入れ、使用開始となる。あとは持っていればいい。
バスや電車には車掌はいない。誰でも無賃電車ができる。
しかし時々市の係官がドヤドヤ乗り込んできて、全員のチケットや定期パスのチェックをする。
平均して2ヶ月に一度位この臨検に会うらしい。
無賃乗車の罰金は高く2ケ月間無賃乗車しても割に合わないらしい。経費節減の面白いシステムだ。

とりあえす有名なデパート、ストックマンに行ってみる事にした。
市電に乗って説明文に従ってカードを挿入してみる。使用開始が結果オーライかどうか分からん。
使用開始してないカードを持っていても、無賃乗車という事になるのだろうなあ・・・
さすが首都だけあっていろいろでかい建物がある。
ストックマンデパートでいろいろ見て歩いたが、やはり1ユーロ160円で換算するとすべてが高い。
国鉄のヘルシンキ駅に行ってみる。始発駅(終着駅)は何か独特な雰囲気がある。
私にとって始発駅というより終着駅というイメージが強く、線路止めを見ると何だか切なく、胸がキュンとなる。
駅のベンチに座って時刻表の行く先を見たり、乗降客を見て何処から来たのかな?何処へ行くのかな?
と想像したり、駅での別れや出会いを観察するのが面白い。
すぐに30分や1時間位は過ごしてしまう。(嫁さんは嫌がるけど・・・・)
ヘルシンキ駅には地下鉄の駅に接続している。長いエスカレーターと階段で地下2階に下りていく。
壁にアニメ「紅の豚」のポスターが張ってあったのにはびっくり。
日本のアニメは確かに世界中にはびこっている!!

地下鉄もフェリー乗車も一日乗車券でOKである。
喉が渇いたので、自動販売機でコーラを買おうと嫁さんが2ユーロ(値段は1.5ユーロ)投入。
品物を選ぶボタン(40番)を押す。品物を取りに機械が動く。何も取らずに元に戻った???音もしなかった!!
嫁さんが排出口に手を入れてみるも、コーラはない!!
キャンセルのハンド動かすも金は戻ってこないし、おつりの0.5ユーロも出てこない!!
あちこちボタン押したり、レバー動かすも何も答えてくれない。
2ユーロただ取りされてすごすご自動販売機を離れる。ドロボー!!!
日本のようなハイテク(作動の信頼性)を期待していたのが間違いのもとだったが・・・。

 ヘルシンキ駅 ヘルシンキ駅 ヘルシンキ駅の時刻表 

 「紅の豚」のアニメのポスターにはびっくり!! 2ユーロいれたのに・・・ 出てこない!!

嫁さんがどうも様子がおかしい。吐き気がするそうだ。プラットホームで吐いたのでは衆目があるのでまずい。
公衆トイレを探す。トイレのマークを見つけ、階段を降りて行く。入ろうとすると、コイン式だ。
嫁さんはいまにもゲロゲロしそうだ。さっき2ユーロ使ったのでコインがない!!
ポケット全部さぐってようやく1ユーロコインが有った。
嫁さんトイレに駆け込んでまま20分たっても出て来ない。女子トイレなので様子を見に行けない。
トラブルに巻き込まれたのか?と駅員呼ぼうかと迷っているとようやく出てきた。ヤレヤレ!

とりあえずホテルに帰って、ラウンジで休憩する事にした。
「休んでいるから、市内見物してきたら?」というので、私一人で出かける事にした。
英語もままならぬ私だが、何とかなるだろうう。
フェリーに乗って30分くらい近くの島に行こうかと思ったが、風が強い。
島に渡ってフェリーが欠航にでもなると,今夜の飛行機に乗れなくなるのでフェリーは中止した。
ヘルシンキ市内を八の字に巡る電車経路があるので、番号をよく確認して乗り込む。
小一時間で元のヘルシンキ駅に戻ってきた。
ホテルに帰ると嫁さんは少し気分よくなっていたので、もう一度ストックマンデパートに行く。
何か買おうと思うのだが、欲しい物がない。
河原さんちの生まれてくる赤ちゃんのために布製の動くおもちゃを買った。
(日本に帰ってよく見ると、メイドインチャイナであった。)
赤ちゃんに優しく安全なものと思っていたのに、しゃぶってしまうと大変な事になるかな?(メイドインチャイナだものな!!)
しかしフィンランドまでおもちゃを輸出していようとは・・・世界の工場とは良く言ったものだ。
日本の生活においても、6割近くはメイドインチャイナの様だ。
せめて食料品くらいは自給率100%をめざして欲しいものだ。

 ヘルシンキ南港 ヘルシンキ南港の建物 でかいフェリー(国際?)

夕方ホテルに集合して預けていた荷物を引き取って迎えのバスでヘルシンキ空港へ。
夜間飛行であったので、オーロラでも見えるかと思ったが見えなかった。
帰路はロシア→モンゴル→中国→韓国の上空をショートカットで飛び9時間で関空に到着。
3月7日(金曜日)
広島に帰宅
今回の旅行はツーアーであったのでフィンランド人との出会いは楽しめなかったが
個人旅行をしている日本人の若者たちとの出会いは楽しかった。