2011年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活に5年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2012年 2月   
2月7日(火曜日) トルコ旅行へ
30代の頃テレビや本などを見て、世界の5箇所には必ず行きたいと思っていた。
下記4箇所は行ったのだが最後にトルコが残っていた。

@ネパールに行き、トレッキングでエベレストを見に行く。
 everest_toreking_1.htm

Aバリ島で本場のケチャックダンスを見る。
 (パラグライダーを兼ねて2回行った)
 ../inagakiiai/infoseek_furyou/05_07_bari_1.htm

Bオーロラを見に行く。(フィンランドに行った)
 ../inagakiiai/infoseek_furyou/finland_1.htm

Cインドに行き死生観を変える。
 (ツアーでなく、インド人の家族とお友達になり彼らを訪ねてバンガロールに行った)
 (インドに行った時、行き倒れの人を野良犬が食っていたと新聞に載っていたそうだ)
 (インドは広すぎて点を見ただけ・・・何度も行かないと、とても見切れるものではない)
 ../inagakiita/09_1_gatu.htm#09_01_03

D今回行くのがカッパドキアのトルコ。
  特に地下都市に実際に入ってみて、何故そんな大それた物を作ったのか
  当時の人々の気持ちを考えて見る。

トルコもパラグライダーをからませるか、個人旅行にしたかったのだが
見に行きたい所がトルコ国内に点在している。
ツアーだと現地の人達との交流やハプニングもないので
旅行そのものの醍醐味は失われる。
しかし、トルコ語も分からないし、友人もいないのでツアーで行く事にした。
イランやシリアも隣国だし、隣国ギリシャも大変だしなあ・・・
つまらないけど、やっぱりツアーで行く事にした。
シーズンオフでえらく安く募集していたので早速申し込んだ。

旅行日程は

2月7日23時30分 関空発
  13時間30分フライト

2月8日6時  イスタンブール着
 345Km→トロイ遺跡観光
 150Km→エーゲ海沿いのリゾート地、アイワルク泊

2月9日 アイワルク
 250Km→エフェソス遺跡
 185Km→パムッカレ泊

2月10日 世界遺産パムッカレ観光
 410Km→コンヤ観光

2月11日 コンヤ
 230Km→カッパドキア(地下都市)観光・ペルシャ絨毯見学
 夕食後ベリーダンスショー

2月12日 カッパドキア
 カッパドキア観光・ギョレメ野外博物館観光
 70Km→カイセリ空港→イスタンブール

2月13日 イスタンブール
 イスタンブール歴史地域観光
 ボスフォラス海峡クルーズとエジプシャンバザール観光

2月14日 関空帰国

今年のヨーロッパは大寒波で、トルコ内陸部はマイナス20度だったようだ。
何せ青森県と同じ緯度なので、当然と言えばそうなんだろう。
寒さ対策をしっかりして、羽毛のジャンパーや毛糸の靴下にパラ靴を履いて行く事にした。

新大阪駅で、京都〜関空の電車は11番線に入ってくる。
15分間ばかりプラットホームで待っていると、京都行きが入ってきて
次には関空行きが逆方向から入ってきた。
同じ11番線に上りや下りが入り乱れて入ってきたのには驚かされた。
私の人生で初めての目撃であった。
コンピューターで絶対に間違いない制御が出来るようになったのだろうか・・・
パラで山ばっかり行っていると、世の中にどんどん置いて行かれるのかと実感させられる。

関空で円をドルに変える。1ドル78,6円であった。
2006年のスペイン旅行の時は1ユーロが160円だった。
今は1ユーロ100円なので隔世の感がある。

今回のツアーは阪急交通社で34名の団体である。
年寄りが半分なので、一人の女性添乗員さん(市川さん)で統率が大変だろう。
定刻どおり23時半、トルコ航空でテイクオフ。
2月8日(水曜日) トロイ遺跡
テイクオフして機内食が出た。真夜中の食事だが完食。
13時間半のフライト中、機中では3時間ばかりしか寝られず2本の映画を見て過ごす。
到着2時間前くらいに朝食が出る。
旅行申込書の中に、EDカードの書き込みを自分でやるかどうか聞く欄があった。
旅行会社に書いてもらえば一人4200円必要と有ったので申し込まなかった。
朝食が終わってもEDカードを配る気配がない。
英語をしゃべれない私は、意を決して「EDカード?」とアテンダントに聞いてみた。
短く「NO!」と言う返事だった。
私の言った事が通じたのか?何が「NO!]なのか分からない。
単語を発する事しか出来ない私は黙るしかない。
入国審査のブースにはEDカードを書くコーナーがあるのでまあいいか・・・
しかし、団体行動なので皆さんを待たせる事になるしなあ・・・
朝5時半ランディングして後部乗降口から降りるとバスが待っていた。
10分くらい走って建屋に到着。入国審査ゲートはすぐ近くだった。
入国ゲート近くで降ろしてくれるので、飛行場内のバス移動もいいものだなあ〜
市川さん(添乗員)にEDカードの事を聞いてみたらトルコは不要だとの事だ。ヤレ!ヤレ!

荷物を受け取ってバスに乗り込む。
トルコ国内を半周するバスは国産車{MAN]と言う40人乗りのバスだった。
ベンツの工場があり仕様は同じ程度だそうでゆったりとしていて快適だった。
窓は大きく、エアークッションも良く効き、エンジン音は静かで、暖房もガンガンだ。
現地案内人は女性のチュラさん(勝手にそう呼ぶことにした)で30歳代。
日本には行った事がないが、ベラベラであった。
日本語で考えて喋るので、2〜3パーセントおかしな所はあるが十分に伝わってくる。
ずっと喋り続けているので、何かを覚えて喋っているのではない!
観光地でない所でも喋っていたので、日本の観光ガイドさんより喋り捲っていた。
語学がまるっきりダメな私は、外国人が日本語で考えて喋ると言うだけで
無条件で尊敬してしまうのである。

イスタンブールを出発して、ヨーロッパ側トルコを左手にマルマラ海を見ながら進む。
途中トイレ休憩の売店でチャイを飲む。1トルコリラ(45円)。
小さなガラスコップで砂糖を入れて飲む紅茶だ。
チャイといえばネパールでもインドでもチャイだったなあ・・・
ヨーロッパの玄関口トルコでもチャイなのだ!
シルクロードを通じて、もたらされたのだろう。
中国や日本ではチャで、モンゴルでもチャ(発酵茶)であったような・・・
チャやチャイは広く世界の人に愛されたのだなあ〜

アジア側にバスごとフェリーでダーダネルス海峡を渡る。
トラックが数台と我々のバスだけである。
フェリーの客室の売店でもチャイを売っていた。
「チャイ!1リラ!どうぞ!」とおじさんが客室に入ってくる客(殆ど我々だけ)に
声をかけ全員に売りつけていた。
フェリーが出発したのでデッキに出てみる。
デッキは雪が少し積もっていて滑りやすい。
気温はマイナス3℃で風が15m/Secくらい吹いていて10分間も居れなかった。
青森県と同じくらいの緯度なので寒いとは思っていたのだが、
これほど強風だと遺跡めぐりが思いやられる。

13時半ごろトロイ遺跡に到着。
木々が強風で唸り、しなっている。
チュラさんの案内は「耳太郎」と言う簡易のトランシーバーでイヤホンで聞く。
強風であろうが、遠くであろうが聞こえるので、案内には優れものだ。
まるでブリザードの中で見学しているようで殆ど耳に残らない。
紀元前3000年からローマ時代までの遺跡が9層に重なっているそうだ。
トロイの木馬だけの現場ではなさそうだ。長い歴史のある場所なのだ・・・

最初に入った小さな展示館に野良犬3匹と野良猫3匹がイスを占領していた。
40Kgはありそうなでかい犬で、耳には赤いタグがつけてあった。
狂犬病の予防注射をしている証明だそうだ。
野良犬を殺さないで、予防注射をしてやり野良のまま生かしてやっている
トルコ人のやさしい心根が嬉しい。
野良犬たちは私達のグループに付いて来て、後になり先になり全コースを
一緒に歩いてくれた。(ブリザード並みの強風の中を・・・)
野良猫は出口の所に見送りに来ていたが、寒さの中抱き合っていた。

動画
http://www.youtube.com/watch?v=y4Lf5livk7Q

トロイを出発し、行けども行けどもオリーブ畑の中を走る。
途中のドライブインで、嫁さんはオリーブオイルを購入。15ドル。
パンに付けても美味しいらしい。
チュラさんのお母さんは爪が割れるので、熱いオリーブオイルを爪に塗るのだそうだ。
歳を取ると爪が割れやすくなるのだが、オリーブオイルがいいそうだ。
私も試してみよう。いつも割れるので爪を天婦羅にしないと間に合わないかな?

夏のリゾート地、アイワルクのグランドデミゼルホテル泊。
夕食はバイキング方式なので、少量づつとってみた。
ポタージュスープは美味しかったのでお代わり。
飲み物は有料で、オレンジのフレッシュジュースを注文。
15リラ(675円)は高かったが美味しかった。
室内はまずまずで綺麗。
トイレは小さな噴水状の洗浄機が付いている。
フィンランドでは小さなシャワー式で自分で洗う方式であった。

お尻を洗うと言う習慣は日本発であるが(医療用はアメリカ発)
少しずつ世界に広まってきている。
バリ島でも一生懸命に真似て日本人に気を使ってくれていた。
まだまだ日本の水洗便座には遠く及ばないが・・・
我家に来ていたコロンビア人の留学生ホアンは絶対に使おうとしなかった。
「どうして使わんのん!」と聞くと「アレは女が使うもんだ」と言っていた。
ホアンの家にはビデがあったが、当然女性が使うものだ。
ビデを男が使えるものか!と思っていたに違いない。
2月9日(木曜日) エフェソス遺跡
バス移動途中のトイレ休憩は、チャイか生ジュースが定番である。
秋に取れたオレンジとザクロは日持ちするので、店頭に山のように積み上げてある。
これを半切りにしてジュース絞り機(電動も手動もある)にかけるのである。
ジュース絞り機はレモン搾り機の親玉みたいな物で、果物はレバーで押さえたりもする。
ザクロは日本でも生食したが、一粒一粒に種が入っていて食ったような気がしない。
ザクロはソフトボールぐらいの大きさの物を2個絞って、やっと小さなチャイグラスに一杯である。
それでもザクロを飲んだ(食った)と言う実感は湧いた。
オレンジは日本のものより小さめで見た目は悪い。
ジュースにすると味は殆ど変らなかった。
バス休憩所で飲む生ジュースは7〜8リラ(350円)くらいであった。
日本では果物と言えば見た目にも立派で、生食して如何に美味しくするか!
見た目に綺麗か!と改良されているので値段も高い。
高価でとても生ジュースにする代物ではない。
こうやって生ジュースをごくごく飲んでいると王様になった気分だ。

生ジュース(ザクロ)搾り機動画
http://www.youtube.com/watch?v=5nTN3h5Ar8o


エフェソス観光。
2000年以上前の石造の建造物がゴロゴロ転がっているのには驚かされる。
日本は木造建築なので2000年前の物は跡形もなく消え
掘っ立て小屋の柱跡くらいしか残らない。
ここエフェソスのアルテミス神殿は世界の七不思議のひとつだそうだ。
トルコもギリシャ文明に近く当時、相当に発展した地域だったのだ。
野外劇場跡、図書館跡、浴場跡、公衆トイレなどの遺跡を1時間半かけて見て廻る。
立派な石彫像や装飾建造物は博物館に納められている。
それらのレプリカも使って建造物を修復したりしている。
道路は当時の場所で、荷車や戦車で擦り減ったままの石畳をそのままに再現してある。
売春宿への案内が石畳に彫ってある。
足の形は宿の方向と年齢制限。未成年お断り!(この足型より大きい人に限る)だそうだ。

動画
http://www.youtube.com/watch?v=yCAOedV5flg

  足型の前方にはハート型(幸せになれるよ!)、かかと近くはお金だそうだ。

この石畳の上に立って目を瞑り、当時の賑わいを想像する。
ふと目を開けると当時の人が立っていそうな錯覚に陥る。
2000年前の物がゴロゴロ転がっている中に立っているせいだろう。
この古代都市は20パーセントしか発掘が進んでなく今も発掘中なのだ。
将来どんなお宝が出てくるのだろう!

パムッカレのホテルは温泉プールつきであった。(無料)
水着を持参してなかったので入れなかった。
廊下にはパムッカレ石灰棚の大きな写真がかけてあった。
夕食はバイキング方式で、ここのホテルの夕食が一番美味しかった。
2月10日(金曜日) 世界遺産パムッカレ観光
パムッカレ観光
30代のころテレビで純白の石灰棚と真っ青空とのコントラストが目に焼きついていた。
今は観光開発が進みすぎて温泉の湧出量が激減し、ローテーションして
温泉を満遍なく流しているそうだ。
昔は石灰棚の何処でも歩けたが、現在は一部のみ観光客に開放している。
靴を脱いでぬるい温泉の石灰棚を歩いてみた。
空は曇っていて、気温はマイナス1℃。
目に焼き付いている憧れの石灰棚とは程遠かったがスケールはでかかった。

         

石灰棚動画
http://www.youtube.com/watch?v=nApQGHO157U

石灰棚の上部はヒエラポリス遺跡である。
地震によって昔の埋まってしまったであろう遺跡は涼として寂しい。
時間がないのでちらりと遠くから見ただけであった。

パムッカレ観光後はひたすらトルコ中央部を410kM走り続け古都コンヤに急ぐ。
夕方イスラム教神秘主義メヴラーナ教の総本山メヴラーナ博物館見学。

コンヤの街外れのデラックスホテル「リクソス」宿泊。
最近出来たホテルのようだ。
ガラスが床から立ち上がっていてアメリカの近代ビルのようだ。
使ってある設備や備品はそれなりに高級品のようだが施工が悪すぎる。
ペンキがはみ出て塗ってあるし、酷い所は壁の真ん中にも誤って塗ってしまったところもある。
バスタブと壁の取り合いが悪く、素人が誤魔化した仕上げだ。
窓や化粧枠と壁の隙間が上下で10mmも違う。
出隅のコーナー役物が隙間だらけ。
余程ゼネコンが値切ったのか?
こんな状態で検査を通すゼネコンの建物はそのうち崩壊するだろう。

ホテルの近くにスーパーがあるというので15分ばかり歩いていく。
私は旅行した国のスーパーに行くのが大好きなのだ。
土地の人々がどんな物を食べているのか?
どんな生活をしているのか?
そして買い物するにも言葉は要らず、値段が付いているので安心だ。
殻付きのヘーゼルナッツとアーモンドが計り売りをしていた。
嫁さんがケーキに使いたいと言うので1Kgづつ買った。
Kg当たり17リラ(760円)位だった。
2月11日(土曜日) カッパドキア(地下都市)観光
9時出発し、トルコ中部高原地帯を230Kmひたすら走り
13世紀ごろの隊商宿(キャラバンサライ)に到着。
トイレ休憩の時間での自由見学だったので4リラ払って入ってみる。
外観は城壁のようだった。
中央に礼拝堂が設えてあり中庭も大きく、トルコ風呂(ハンマーム)も完備されている。
入り口の門も立派で細かい彫刻が施されている。
単に荷物運びのラクダ隊の宿と思っていたが、貿易商人たちの泊まる5星ホテルだと言うのも頷ける。

そして、トルコ絨毯工房に連れて行かれる。
トルコ絨毯は世界的にも有名だが、観光客が連れて行かれる絨毯工房は
あまり信用もしてなかったし、高価で嵩張るので買う気はない。
この絨毯工房の販売説明員の喋りの上手い事!1
吉本興業から派遣されているのかと思うほど面白く客を笑いころがせる。

吉本風トルコ絨毯工房 動画(彼の啖呵売の口上を聞いてみてやってください)
http://www.youtube.com/watch?v=_jupR6oOOlc

http://www.youtube.com/watch?v=oSb0bXvdwIM

(ペルシャ絨毯とトルコ絨毯は違う物でした。トルコ絨毯に変更)
次から次にと絨毯を広げ、売り子がお客一人一人に取り付いて宣伝してくる。
買う気もなかったのでトイレに行く振りをして廊下に出た。
廊下の壁には額入りの古い高級絨毯が展示してあるので見ていた。
「それはベットカバーです」と中年の穏やかそうな男性が話かけてきた。
他の高級絨毯の素晴しさを説明してくれる。
廊下の壁には小さな絨毯(玄関マット)がたくさん立てかけられていた。
からかい半分に、幾らぐらいするのかちょっと聞いてみた。
ここぞとばかり売り込みの若い衆3人ばかりに取り囲まれたしまった。
先ほでカイセリとヘレケの二種類の絨毯があり、ヘレケは目が詰まっていて
カイセリの3倍の値がするといっていた。
135Cm×91Cmのヘレケを見せてくれ10万円だと言うが、我家には少し大きすぎる。
もう少し小さいのはないのかと聞くと、120Cmのものを見せてくれた。
しかし、カイセリで値は8万円だと言う。
もう少し小さいのと言うと次から次へと見せてくれるが、全てカイセリなのだ。
3倍違うのにヘレケのものは最初見せてくれた物しかない??
間違って値を言ったのかな?とこれは買い得か!と助平根性を出してしまい買ってしまった。
日本に帰ってから考え、何か騙されているような気がしてならない。
トルコから送ってもらうように頼んだので、50日後に届くので顛末はそのうち書きましょう。

カイセリの物を買ったお客さんのブログ


昼前にカッパドキアに到着。
洞窟レストランで昼食。

洞窟レストラン動画
http://www.youtube.com/watch?v=GwBX6RjcIAs
洞窟の岩石は砂岩で爪でもボロボロ削れるのかと思っていたら
凝灰岩だそうで、結構固くノミの跡が一筋一筋残っていた。
外部はマイナス1℃だが室内は温かい。
岩山をくり貫いて造ってあるが結構広い。息苦しさもない。
温かいワイン売りのおじさんが恥ずかしそうに売り込んだが誰も注文しなかった。
写真だけはパチパチ撮られていた。かわいそう!

ギョレメ渓谷を見学に小高い丘に上がっていく。
お店で延びるアイスクリームを売っていた。
掻き回して引き上げると1,5m位は延びる。
トルコいたるところで延びるアイスクリームを売っていた。
寒い雪景色にラクダは似合わないなあ。写真を撮る為に居るのだ!
公衆トイレも洞窟だった。

カイマクル地下都市を見学。
紀元後6〜10世紀頃築造されたカイマクル地下都市はイスラム教徒に
迫害されたキリスト教徒によって地下深くに造られた。
敵の攻撃を受け、この地下都市に逃げ込み半年は持ちこたえられただろうと言う。
かつては15、000人の人たちが生活した地下8階の地下都市という。
普通世界史では、洋の東西を問わず敵からの防御は城郭都市を造って
立て籠もり、闘った筈なのだが・・・
只、只、蟻の巣のような地下都市を構築し、石の扉でシャットアウトし数ヶ月も隠れ住む
と言う発想はどうして出て来たのだろうか?
闘いを好まぬ平和な人々だったのか?それとも宗教的な対立の深刻さなのか?
しゃがんで歩かないと行けない通路、狭い空間の部屋、迷路の空間・・・・
こんな蟻の巣の様な地下都市はとても生活できる環境ではない。
にもかかわらずこんな大変な物を作ったのは、侵略を受けた住民は根絶やしになるとかで
余程の恐怖であったのであろうか!
ローマ帝国からの激しい弾圧とか、イスラム教徒からの迫害とか諸説あるようだが・・・

カイマルク地下都市動画
http://www.youtube.com/watch?v=obcB8isMgDo

このカイマルクの地下都市に潜り込んで思うのは、負ける側・被害を受ける側の
気持ちをもっともっと受け止める事が必要なのだと思い知らされる。
島国で他国と国境線を接しておらず、征服を受けた事のない日本人には植民地化されるとか
奴隷化されるとかということは、とても想像しにくいのではあるが・・・
(沖縄の人々は征服されたという感情はあると思うが・・)
戦争は勝った側からは声高に語られるが、負けて抹殺された側からの声は弱弱しく世界に届かない。
逃げ惑う弱者にも、弱者には弱者の論理があり、強者への抵抗も当然の理である。

留学生だったホアンと話したのだが、どんな高邁な論理を展開しようが
他国へ軍隊を出兵させその国の舵取りをしようというのは間違いだ。
自国の運命は自国民が背負うしかないのだ。
どんな王朝でもいつかは滅びる運命にあるのは世界史が証明している。
ホアンはコロンビアでも中産階級ではあるのだが、アメリカには敵愾心を燃やしていた。
今回の現地案内人のチュラさんもEU諸国を「キリストクラブ」と言っていたなあ〜・・

これを書いている時にNHKのBSテレビでアメリカのジーン・シャープの非暴力革命
番組をやっていた。
ミロシェビッチを政権から引きずり下ろすことに成功した例や、世界中の抑圧されている
心ある若者達が頑張っている事が放送されていた。
30ケ国の言葉に翻訳されているようだ。
日本語はまだないらしい。日本にこそ必要と思うのだが・・

夕食後ベリーダンスショーを見に行った。
ベリーダンスは子供の頃から知っているほど有名である。
本場のベリーダンスは、スペインのフラメンコやポルトガルのファドのように
奥深い精神性があるのだろうと期待していた。
ネットで調べても・・・
「 多くの人がラクス・シャルキーを官能に彩られた、成熟した女性の存在の力を
表現するためのダンスとして見る。
ソハイル・ザーキー、 フィフィ・アブドゥ、ルーシーとダイナ、 彼女達はみなエジプトでは
人気のあるダンサーたちであり、40歳以上である。
この流派においては、若い踊り手はダンスを触媒にして何かを伝えるには
あまりにも乏しい人生経験しか有していないと考えている向きもある。」とある。

残念ながら今夜のダンサーは腰の振り方は驚嘆すべきものだったが
深い精神性は感じなかった。
興行的で、手垢に汚れたダンスを見ているようで嫌だった。
2月12日(日曜日) ギョレメ野外博物館観光
今朝5時から、オプションツアーのカッパドキアバルーンツアーがある。
昨日、添乗員さんの魅惑的な説明に10名ばかりが申し込みをしていた。
未だ熱気球には乗ったことがないが一人2万円だと言う。
ちょっと高いし、空からの景色はパラグライダーで見慣れているのでパス。
朝起きてみると山の上に気球が飛んでいた。
ツアーから帰ってきた人達は、「2万円の価値はあった!」と大はしゃぎであった。

朝食後、鳩の谷に行く。
鳩はムスリムのトルコ人にとって神聖な鳥だそうだ。
ノアの箱舟にオリーブの葉を持って帰ったのは鳩であった。
ムハンマドが隠れた洞窟の入り口にクモが巣を張り、鳩は卵を産んだので
追っ手は気が付かず他に行った。
鳩は神聖な鳥なので、食べるなんてとんでもないことで、ギョレメの谷でも
人々は岩の天辺に穴を掘ってやり鳩の巣としてやっている。
鳩の糞を採集して肥料とするのだそうだ。

添乗員のチュラさんはムスリムについて色々話してくれた。
テロを引き起こしている人々は宗派の違う一部の人々で
ムハンマドは平和を説いているのだと繰り返し言っていた。
キリストは神でなく預言者の一人で、ムハンマドもそれに続いた預言者だという。
旧約聖書はユダヤ教とキリスト教の正典であるという。
イスラム教においてもその一部が啓典とされている。

なあ〜んだあ!ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もみんな兄弟じゃあないか!
同じ神(God)を信奉しているのだ。
出発点をアブラハムの宗教 とし、それぞれの預言者を有する啓示宗教なんだ。
どうしてあんなにも兄弟げんかをするのだろう・・・
おそらく一神教の所為ではないかと思ってしまう。
唯一絶対の神しか信じなく、他は邪教とし排斥をする。
同じ神(God)でありながら、預言者が違うだけでユダヤ教になったり
キリスト教になったり、イスラム教になったりで反目し合う!
それに啓示宗教なるが故に、一つ一つの言葉が重くのしかかるのであろう。

その点、日本はお気楽なものである。八百万の神がおわします(笑)
他宗教を邪教として排斥運動などしない。(明らかに社会に害をなす者は別だが・・・)
結婚式で教会に行きアーメン、葬式でお寺に行きナンマンダブ、
神社に行き二礼二拍一礼してお願い事をする日本人。
原理主義者から見れば万死に値する、地獄に堕ちる輩どもなのであろう。

お参りする神社にどのような神様がおわしますのか考えた事もないだろう。
厳島神社は3人の女の神様(宗像三女神市杵島姫命田心姫命湍津姫命)を祀ってある。
広島市民が初詣をする護国神社は明治維新の戊辰の役で亡くなった人や戦没者を祀ってある。
饒津神社(にぎつじんじゃ)は浅野藩主達を祀ってある。
敬愛する相手であっても、何かお願いをする相手ではないと思うのだが・・・
京都でお寺参りをする時も、「南無法蓮華経」と言う所を「マナンダブ」で
通してしまうテイタラクである。
日本人の宗教観なぞはそんなもんであるが、それでいいのではないかと思っている。
多くの日本人は一神教に凝り固まらず、人様が敬謙に信じている宗教には
とりあえず敬意を表し、ご挨拶(拝んで)して行くのである。
狭い日本の中で、宗教対立で殺しあったと言う事はあまり聞かない。
為政者が特定の宗教を弾圧した歴史はあるが・・・
無宗教な日本人と非難されそうだが、山本七平が言う所の日本教といった所か・・
神との契約をなし、啓示された事をしっかり守り天国に連れて行ってもらうより
常に内省し、哲学的思考をなし解脱又は他力によって極楽を目指すのが多くの日本人か・・・

イスラム教のトルコに行ってみて、何が行われているか見てやろうと思っていた。
トルコ共和国大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクは脱イスラム国家化を推し進めた。
カッパドキアのキリスト教会の壁画も消される事なく保護されているし、今のトルコは
イスラム教徒のたくさんいる普通の国の国家となっている。
イスラム教なのでテロと関係が有ると思われることに辟易していた。
トルコ海軍のエルトゥールル号遭難事件はトルコの小学校の教科書に載っているので、
日本人に対しては好感を持っているとチュラさんが説明してくれた。
イスラム教と言えばメッカに向っての日に5回の礼拝が印象的だが
若い人は段々しなくなったとチュラさんは言っていた。
観光旅行で垣間見る事は少ないが、おばさん達の殆どがスカーフ姿なのが印象的だった。

70Km離れたカイセリ空港に移動。
機内預けのトランクもツアー客全員の一括で預けたのでスムースにできる。
国内線なのだがチェックが厳しく、又もトレッキングシューズがひっかり脱がされた。
1時間半でイスタンブールに到着。
夕食は中華料理屋であったので久しぶりにほっとする。
2月13日(月曜日) イスタンブール歴史地域観光
イスタンブールの歴史地区はバスの駐車場がないため、1時間半ばかり歩いて見学。
スルタンアフメト・モスクは世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、
内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、
白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。
イスラム文化の象徴である巨大なモスクは見るものを圧倒する。
モスクのこんな壮大な丸屋根をどうやって組み上げていったのだろう。
細く高い尖塔も地震に良く耐えているのだと感心する。
モスクの内部はほとんど絵画や彫刻はない。
キリスト教会のような聖壇はないし、キリスト像のようなものもない。
信者達が拝む先はメッカの方向で、教会はステンドグラスが大きくはめ込まれている。
教会内部は大きな空間だけだが、そのほうがむしろ清浄な雰囲気をかもし出す。

一方、スペインで見たカテドラルの荘厳さも圧倒されるが、何となく造り方が想像できる。
教会内部も素晴しい絵画や、彫刻で埋め尽くされている。
これでもか!これでもかと!と圧殺されるような気色悪さを感じた。
荘厳な装飾は、へそ曲がりな私にはこけおどしに感じてしまうのである。
芸術的には素晴しいのだが、宗教的な雰囲気にはなあ〜

次にバス移動して、トプカプ宮殿の見学。
歴代スルタンたちの金銀宝石は豪勢な物であった。
オスマントルコ帝国といえばすぐにハーレムを思い出す。

インターネットの 「目で見る世界史」より
(ハーレム・浴場・宦官・世界史小ネタ第84回)

『優雅に湯浴みする美女、立ち上る芳香、官能的な踊り。でもこれは19世紀の西欧でつくられたイメージ。
実際のハーレムでは血なまぐさい陰謀が飛び交い、数知れぬ悲劇が生まれました。
ハーレムとは「禁じられた」という意味のアラビア語から。
バルカン半島を制したオスマン帝国は破竹の勢いでウィーンに迫りますが、そのころスルタンの
後宮として「大ハーレム」が営まれるように。
今も残るトプカピ宮殿の一角には400以上の部屋がつくられ、最盛期の住人は2000人を超えたとか。
世界各地の奴隷市場から集められた美女たちは「オダリスク」と呼ばれました。
値段は馬の3分の1ぐらい。ハーレムの生みの親で、スレイマン1世の愛妾であったロクサレーナも元はロシア人奴隷。
ライバルを蹴落としてスルタンの母親に上り詰めた彼女は数少ない成功者の一人でした。
映画「ラスト・ハーレム」は女たちの壮絶な闘いを描いています。
主人公サフィエはようやくスルタンの寵愛を獲得しますが、生まれた子供は毒殺されてしまいます。
狂わんばかりのサフィエを支えたのがナディールという黒人宦官。
宦官はハーレムに欠かせないもう一人の主役でした。
彼らもやはり海外から調達された奴隷。黒人が中心になったのは、白人より手術の成功率が高かったから。
消毒剤のない当時のこと、手術を終えた少年たちは、首まで砂漠の中に埋められ、
熱砂で傷口が癒えるのを待たねばなりませんでした。
男を喪失した者の特権で宦官はハーレムの実力者に。
やがて幼いスルタンや無能なスルタンを自在に動かして政治の実権を握ります。
黒人宦官長は大宰相に次ぐ地位を獲得しましたが、それはスルタン制の腐敗の始まりでもありました。
オスマン帝国の力が目に見えて衰えた18世紀から19世紀にかけて、西欧では奇妙な「トルコ趣味」、
「東洋趣味」(オリエンタリズム)が広がります。
きっかけは『千夜一夜物語』の翻訳。
モーツァルトらは「トルコ行進曲」を作曲し、アングルなどの画家たちはオダリスクやトルコ風呂を想像力豊かに描きました。
20世紀初頭、青年トルコ革命でスルタンが廃位されると、ハーレムにも閉鎖の命令が。
「自由の身」になったはずのオダリスクたちは逆に路頭に投げ出されました。
唯一の仕事はアラビアンナイト風に腰をくねらせるハーレムショー。
400年間の宮廷を彩った誇り高き女性の末路としてはあまりにも惨めなものでした。』

ハーレムの女性達が奴隷だとは驚きであった。
奴隷の中から次期スルタンが生まれたとは・・・

昼食は名物ドネルレバブであった。
トルコ料理は世界三大料理の一つらしいが、安いツアーでは唸るような食事にはありつけなかった。

昼からは「ボスフォラス海峡クルーズとエジプシャンバザール観光」のオプショナルツアーだ。
クルーズ船に乗るべく港に行くと多くの船が係留されておりすぐに出港してくれた。
オプショナルツアーの我々だけの10名での出港だ。
海に面した建物はさすが豪華な建物が多い。
それを海から眺めるのはなかなか趣がある。
しかし寒くて、外のデッキで見ることは出来ない。
1時間かけてヨーロッパ側とアジア側をぐるりと就航。

次はエジプシャンバザール見物。
奥さんが日本人だというバザール内のお土産やさんを集合場所にして
一時間ばかりの自由ショッピングタイム。
トルコ料理に使うブドウの葉の塩漬けを嫁さんの友人から頼まれていた。
先ほど観察した所によると、エジプシャンバザールの外側の並んでいた
地元の人々が買い物をしていた一角がある。
解散してすぐにそちらに向う。
野菜を売っているお店の店頭にそれは売っていた。
Kgあたりの価格が書いてあるが、1Kgも不要である。
一掴みだけもらう。汁気があるのでビニール袋をもう一枚くれと手まねでお願いする。
乾物屋さんでシナモンを売っている。
お菓子に使うと言うので10袋もらう。ケーキ用紙も100枚買う。
トルコ紅茶とガラムマサラを100gづつ買う。
価格は1Kgの値段を書いてあったのだが、何も思わずそのまま合計して40リラを渡す。
日本語の出来る店員さんは怪訝な顔をして20リラ札を返してくれた。
トルコ紅茶とガラムマサラを1Kgづつ買った計算だったのである。
現地に人も入るお店だったので正直な商売していたのだった。
どおりで価格交渉しても負けてくれなかったのか・・・
エジプシャンバザールの中に戻って見物する。
宝石通り、雑貨通り、香辛料通りなど等同じ様なお店が並んでいる。
100mくらい真っ直ぐ歩いて、右に曲がり二つ通りを過ぎて
もう一度右に曲がり二つ通りを過ぎたが元の通りに戻っていない????
街歩きには絶対の自信を持っていたので、嫁さんには自信ありげに歩く。
どうも放射状の道が走っていた様なので、元の通りにも出れなかったのだろう。
エジプシャンバザールに入ってきた入り口はNO1の入り口だったので
どうしても分からなければ、地元の人に聞けばいいだろうとタカをくくっていた。
歩いていると出口に来たが、どこにもNOは書いてない!
全ての出入り口にNOが付いているのではないのだ!
引き返してキョロキョロしていると嫁さんが不安になっている。
嫁さんは一回転しただけで「ここは何処!私は誰!」状態になるのである。
まあ、100m四方のバザールだろうと、歩き回るうちにさっぱり方向感覚がなくなってきた。
四辻で同じツアーの人を見つけてほっとする。
NO1の出口を聞くと通りは見当付けていたと、同じだったが左に曲がるの事だった。
私はてっきり右に曲がると思っていた。
方向感覚には絶対の自信を持っていたのだが、見事に打ち壊された。
ここが終わって空港に行き、夜帰国予定だったので迷子になると大変な事だった。

夕方自由行動だった人と合流し、軽い夕食を済ませ空港に行く。
空港で残ったトルコリラを100リラばかり使いきる。
伸びるアイスクリームを買ったり、小物を買ったりで2リラだけ残った。
2月14日(火曜日) 関空帰国
帰り便は11時間で、偏西風の影響で2時間ほど短い。
夕方6時に到着し、荷物もスムースに出てきてトラブルなし。
宅配便が2小口の無料券が付いていたので、トランクをお願いする。
翌日昼には到着すると言う。
関空からJRに乗るとき、嫁さんは乗車券を自動検札機から受け取らなかったようだ。
駅員さんが走ってきて「どなたかキップを取らなかった人は?」と聞いて廻ったけど
自分の事とは気が付かなかった様子。
30分位時間が有ったので自動検札機近くのイスに座っていた。
暫くして駅員さんがホームから上がって来た。
手に切符を持っている!ひょっとして嫁さんのキップ??
「きっぷは?」と聞くと、キップは渡したと嫁さんは思っているようだ。
駅員さんに手を挙げ「私のキップのようです」と伝える。
私のキップが広島行きで嫁さんが広島までの特急券を持っているので
信用してもらいキップを渡してもらえた。ヤレヤレ・・・
そのまま電車に乗っていれば、最後にトラブルに巻き込まれるところだった。
日本食の駅弁を買って一息つく。
夜11時ごろ帰宅。

旅行のYOUTUBE
../inagakiiai/eigakan_1/eigakan_3.htm

トルコ絨毯顛末記
カッパドキアの絨毯工房で注文した絨毯が、自分で注文した絨毯そのものが
送られてくるか大変心配をしていた。
実は絨毯の裏を見るといいものとそうでないのと分かるという。
夏は絨毯の裏を利用するのだという。
だから見せてもらうのに裏ばかり比べて見た。
やはり最初に見たヘレケ産のが肌さわりも模様も良く見える。
しかし最初に見せてくれたものしかない。
買うと決めたら、裏地の品質保証書にサインをして割符をしろと言う。
あまりに御念がいったことなので逆に心配になった次第。
同じ模様のカイセリ産にその保証書を貼り付け割符をまねて送ってくるのかと・・・・
早々と2月30日には、航空便にて送ってきた。
恐る恐る開封してみたら、私の選んだ物に間違いなかった。ヤレヤレ・・・
織り目も1平方cmあたり36目(6×6)であった。
小さく畳んで送ってきたのに、拡げてみたら全然折り目も付かずきれいに拡がった。
チューリップの模様はヘレケの模様らしい。
柄も小さく、色は多くないが色合いは日本的で私好みである。
玄関に敷いてみたらドンピシャリの寸法であった。
大型ゴミにしないように息子共に言っておかないと・・・忘れそうだ・・

 小さく折りたたまれて送られてきた HEREKE SPECIAL と記入してある

 模様も小さめで、色合いも飽きが来ないと思う 織り目は6×6であった