2004年バリ島フライト・観光だ
暫くは梅雨で飛べないな〜

2005年 7 月 バリ島   
お待たせしました!ようやく書き上げました。
   
バリ島癒しの旅
7月15日(土曜日)

本日バリ島出発だ。昨夜河原さんと向井さんが泊まった。
広島駅7:30出発。福岡空港ガルダ航空11:30テイクオフだ。
5泊6日の格安キップ(¥69,000)なので、当然添乗員は居ない。
JTBのカウンターで一通り説明をうけ、荷物検査を受ける。
バリ島行きなのでトランクを開ける様なことはしなかった。
ウエストポーチが欲しいと思い、空港の売店を覗いてみると、3000円で格安と銘打っている。
河原さんは100円均一で200円のバックを買ってきていた。100均で買う事に慣れた我が身にとっては
3000円はのけぞる様な価格である。よって買うのはやめた。

2年前にコロンビアに行ったので、国際線の搭乗手続は何とか分かってきた。
イミグレーションカードはツーリスト会社が3000円で書きますと言っていたが、
英語のカードなのでちょっと不安であったが、自分で書く事にした。
ネパールに行った時、半券をもらったのだが、エベレストの絵など書いてあったので
記念品の絵葉書だと思い、本の間にはせておいた。
出国日にイミグレーションカードの半券をパスポートにはさんで下さいと言われ、
もらった覚えが無い(絵葉書と思ってしまった)ので青くなった。
本にはさんだ事も覚えてなかったので、ネパールを出国出来ない!!と空港に行くバスの中で、
「どうしよう!!どうしよう!!」とあわてて荷物を解体した事を思い出す。

 福岡空港にて 思いは早、エステにフライトに

バリ島のデンパサール空港に17:30頃到着。
ロンドンでのテロの直後だったし、以前バリ島のクタ地区でディスコが爆発された事があったので、
チェックが厳しいかと思っていた。
のこぎりやバリオや無線が電池入りで荷物に入っていたのだが、誰も荷物を空けさせられた人はいなかった。
河原さんは、イミグレーションカードを提出するのをわすれてしまい、税関の所で、気がついて、
もう一度バックして入国手続きをして、半券(出国カード)をもらってきた。
税関ではパラザックが3ケも並んだので、しっかり目に付いてしまい、
英語の出来る係員に「こっちおいで!!」と手招きされてしまった。
税関のカードには高価なものとして記入しなかったので、うるさく言われるか?
又は保証金一万円取られると聞いていたので、要求されるかな?と思った。
しかし係員はゆっくり分かる様に英語で「かならずパラグライダーは日本に持って帰りなさい。
バリで売っては駄目です」と言っていた。「OK!OK!」と笑顔で答え、無事通関。

少し手間取ったが外に出た。ツアー客の出迎えのカードを持った現地の人が沢山居るが
JTBのカードを持った人が見えない。
ニッコーバリホテルの無料バスが来ているはずなのだが・・・・・。
河原さんが探しに行った。5分ばかりで見つけてくれた。やれやれ・・・・
とりあえず現地のお金に交換する為,
両替所に行く。
1ドル(113円)で9500ルピアであった。空港から「ニッコーバリホテル」に40分ばかりで到着。
室に入るとすぐに杉浦さんから電話あった。杉浦さんは今回のフライトの案内をお願いした人です。
杉浦さんのHPはこちらです。
明日10時にロビーでお会いする事にした。

ニッコーバリホテル」の近くには歩いて食べに行ける様なところがないので、ホテル内のレストランを見て歩く。
ガーデンでバリ料理のバイキングをやっていた。
レストランの人がさかんに勧めてくれる。バリ料理なので、不安がある。
「ちょっと見るだけね!」と言って案内してもらう。
一品づつ説明してもらうが味は想像出来ない。”郷に入っては郷に従え”で、一夜目はバリ料理と決定。
バイキングなので一品一品すべて皿に少しづつ乗せて食べてみた。
色々タレが用意されていたが、激辛があると聞いていたので、コックさんに適当にかけてもらう。
料理の名前にすべて忘れたが全部口に合った。

夜11時だが、強い風は椰子の葉をゆらし続けている。
BGMはトリオロスパンチョス(ちょっと古いか?)みたいな5名のバンドメンバーがギター、バイオリン、
ビオラ・・・・など奏で、日本語、韓国語、中国語、ラテン語、スペイン語の曲を歌っている。
私達の所に近づいてきて、リクエストを講うてきたが、
いくら取られるかわからないので、「ノーサンキュー」にした。
7月16日(土曜日)フライトエリアティンビス
朝食は3つのレストランから選べるのである。
「弁慶」という日本食レストランの朝食にした。ごく普通の朝定食が出てきたので、納豆3個に生卵を注文。
これは有料だった様で、10万ルピア取られた。1200円のオーダーであった。
レストランの食事は日本並なので、激高である。

10時にロビーに行くと、杉浦さんと現地のタクシードライバーが居た。
杉浦さんは見るからに柔らかい雰囲気の人でした。

  杉浦さんよろしく  

大久保さんも同行されていて、総勢7名で2台の車で、ニッコーバリホテルから
20分ばかりのところにあるティンビスへ向かう。
大久保さんのHPはこちら・・・。
途中エリア管理者の?さんの家に寄り16万ルピア(1800円)のエリアフィーを支払った。
彼に安全祈願のお祈りをしてもらった。エリアフィーに祈祷料も含まれているらしい・・・
バリヒンズーの神様の聖水をかけてもらったが、滴るほどにかけてもらったので、まず怪我はないだろう。

 日本は多神教!バリヒンズーも飲み込むぞ 聖水を滴るほどに・・・

途中小さな土地所有者の所を通り抜けるわけだが、ゲートを設け屋根だけの小屋がけをしていて、
私達の車が近づくと、やおら起き上がって集金に近寄ってきた。
小さな看板に5000と書いてある。5000ルピアといえば60円である。ささやかな通行料を徴収する為、大の大人が
一日寝転がってひたすらパラの車の通るのを待っているのである。
この道を通るのはパラをする人だけなので、一台も通らない事もあるだろうに、日がな寝ていて
一日4〜5台分(300円くらい)の収入を待っているのである。
時価は十分の一位なので、一日寝ていて3000円の収入ならばそれでもいいのかなぁ〜・・・。
まことにのんびり、豊な?人生である。
120%ストレスの無い人生だろうなぁ〜・・・・。

 ティンビスのテイクオフ前景 お寺を回りこむとニッコーホテルが見えます

ゲートを抜けてしばらく道なき道を進むと、ついにティンビスのエリアに到着。
高度差80mの海リッジ帯である。結構崖なので、転んでしまうと一気に下までまくれてしまいそうである。
インド人のフライヤー、アニルが来ていた。奥さん同伴であるが、彼女は飛ばないようである。
風は正面(南東)より15度位東寄りである。しかし7〜8m/Secの風が吹いている。
海風なので風待ちしても仕方ないと思うが、エリア管理者のクトゥが来るまで待つ事に。
椰子の葉の屋根だけの小屋が2ケある。小さい方にはお姐さんがクーラーボックスを持参している。
毎日3人近くのお姐さん達が出勤してくるそうだ。アクア水やら缶コーラなど詰め込んで来る。
パラフライヤーだけの為に来るのである。

  物売りのお姐さん方と家族達

今日は我々4名と大久保さんと杉浦さんとインド人フライヤー夫婦の8名である。
アクアが一本5000ルピア(60円)カンコーラーが一万ルピアである。
3名で8名に買ってもらうのだから売り上げは高が知れているのだが
フライヤーが来るかどうかわからないのだが、毎日来ているらしい。
もっとも市内のスーパーで買えば5000ルピアのアクアは1500ルピア(18円)らしいので、
儲けは良いのだが、数が売れないと思うのだが・・・・。
それでも3人で仲良く商売をしている。朝11時頃から我々が帰るまでずっといるのである。

そして屈強の若者が5〜6名たむろしている。
彼らはフライヤーがテイクオフする時、キャノピーを拡げたり、アシストしてくれる。
最後にキャノピーを丁寧にたたんでくれる。彼らも一日中我々が立ち去るまで居るのである。
フライヤー1名が2万ルピア(240円)支払うのである。
今日はフライヤー4名なので、8万ルピア(1000円)を6名で山分けである。

彼らのボーナスは、ツリーランやスタチンだと5万ルピア(600円)を手にする事が出来る。
パラで引きずられるのは手助けしないのは、ひたすら木に引っかかるのを
願っているに違いないと私は睨んでいる。
インド人のアニル(51歳)は行け行けドンドンで、何度も一本背負い投げをしても、めげずに立ち上げる。
崖の斜面で立ち上げれば良いのに、上のフラットな所で立ち上げるものだから、吹き上げの最高のところなので、
キャノピーはスパッと立ち上がるし、ノーコントロール状態でドタンバタンやっている。3人がかりでやっとテイクオフ。
彼はインドでサルベージ会社(?)やっている様だが、自分が海ポチャでサルベージされない様願いたいものだが。

 よっし!バリの初飛びだあ〜 フライトコンダクター・・・クトゥ

ベテランの大久保さんは、奥さんの遺影と共に2年間のブランクを埋めるべく、10日余りのリハビリフライトとかで、
バリ島観光無しでひたすらフライトに徹しておられる。
大久保さんは崖の斜面(30度位)に拡げて、エリア管理者クトゥについてもらい、一発でテイクオフ。
ニッコーバリホテルをめざして出発。河原さんも平地でラインチェックしていたが、私の方が早かったので、斜面に拡げる。
私が立っている5m下は切り立っているのか、下が見えない。
スタチンこいたら海岸まで80mまくれて落ちて行くかもしれない。
6m/Secを越える風が吹いている。
なかなかクトゥは「OKと言わない。少し息継ぎがあるので、その谷間を見計らっているのだろう。
「OK!]と言ったので立ち上げた。
パワーを抜くため、上に駆け上がろうとしたが、クトゥがしっかりハーネスをつかんでいた。
その場で立ち上がったので少し早めにストップかけ、振り返るとクトゥはまだハーネスを持っていてくれ、
安定して前に向かせてくれた。
もしクトゥが転んだら下までまくれ転がってしまうだろうに、慣れたものだ。
オーストラリアやヨーロッパからもフライヤーが来るそうだから、
体のデカイ奴を扱いなれているので、私などは朝飯前か?
テイクオフして、リッジの具合をさぐる。左サイド15度くらいなので、
どうもリッジパワー最高というわけにはいかない。
地形によっては下がるところもある。
次に河原さんテイクオフするのを待って、念願のニッコーバリホテルリッジを楽しもうと
待っていたのだが、なかなか立ち上げようとしない。クトゥの「OK!]が出ないのだろう。
5分ばかり待ったのだが、出て来そうにないので、左のニッコーバリホテルを目指してGO!!.

 クトゥにサポートしてもらって 一発でテイクオフ

ノーマルで(アクセルバー踏まないで)2〜3KmをGPSは示している。アクセル踏むと下がり始める。
ここの地形は左サイド30度位の風だ。しかたないので、ノーマルポジションで10分間以上頑張る。
2〜3Kmで進む。地上を歩く方が早そうだ。
ようやく中間にあるお寺のコブを回り込むと、風は正面から当っている。
リフトももらって+50m位。アクセルも踏み込んで10Km位スピード出始める。
がけっぷちにプール付きの別荘がポツンと建っている。人影は見えない。
その先は崖を利用してホテルか何か建てる建築現場がある。
鉄筋やら型枠だらけなので、落ちると大怪我をするだろう。ここらはニッコーバリホテルの中間地点のようだ。
大久保さんから「ニッコーバリホテル手前のお寺で、セレモニーやっていて、飛んでいたら、
怒っていたので、注意してください」と無線で言ってきた。
後ろを振り返ると大久保さんもアニルもランディングしたようで、私も引き返す事にした。

Uターーンすると50Km/hであっという間にテイクオフ前に到着。
高度処理をする為沖に出す。ほとんど沈下しない。
リーフの際(80m?)まで出したら少し下がり始めた。
海岸の砂浜からすごい傾斜なので、砂浜に降ろしたら地元の人が来て、五万ルピアで
担ぎ上げてくれるらしいが、わが身を運び上げるだけで大変そうだ。
−20m位で戻ってきて、吹き上げの具合を見る。いっぺんに10m位吹き上げられる。
少し高めだが、テイクオフ上空の平地に入り込んでみる。
少し編流で平地を探ってもう一度おきに出し、ー20mくらいから、近寄るもやはり吹き上げられた。
多分何度やってもがけっぷちでは吹き上げられると思い、がけっぷちからテイクオフに
7〜8m入った後ろでホバーリングで様子を見る。
高度5mでこれ以上後ろに行かなければ乱流の影響はなさそうだ。高度を下げる為にビッグイヤーをかける。
止まったまま徐々に降下。ふんわりランディング。くるりと振り返り、グライダーを降ろす。
いつの間にかクトゥが来て、ライザーを掴んでくれていた。
彼の収入はタンデム20分で75ドルだそうだ。当然エリアフィーの16万ルピアの分け前も入る?
2時間ばかり遠くにあるチャンディダサへの案内料は150ドルで、フライヤーの人数で割り算する事になる。
バリの風を知り尽くした人なので、彼にお任せするしかない。

 ビッグイヤーでトップラン バり初飛び!成功!

とりあえずバリ島の風はキャンノピーに入れる事が出来た。風も納まりそうにないので、撤収する事に。
夕方6時頃からウルワツ寺院でケチャクダンスを見る予定を杉浦さんが考えていてくれた。
ウルワツ寺院のケチャックダンスは屋外でかがり火を炊いて星空の下で催すらしい。
私は30年ばかり前にテレビで見た時から本物を必ず見に行きたいと思っていた。
16ビートの調子の中で各パートが「チャッ・チャッ・・・・」と発声し、又別のパートが8拍子で発声している。
人間の声だけで、そしてリズムだけで不思議な雰囲気をかもし出している。
解説書には段々とトランス状態に入っていくと書いてあったが、既に観光見物化されているので、
そこまでは入り込んでなかった。
しかし不思議な雰囲気にはたっぷり浸る事が出来た。

 ウルワツ寺院のサンセット ケチャクダンスが始まった

若い頃からの4つの念願、@ エベレストを見に行く。 A ケチャクダンスを見に行く。 
B オーロラを見に行く.C カッパドキアを見に行く。 D シルクロードを走破する。のうち2ケは果たした。
残るは3つだが、Dは体力がもたないので、見果てぬ夢に終わりそうだが・・・。
残る2ケは何とか果たしたいと思っている。

夕食は杉浦さんの案内で、ちょっと高級レストランに立ち寄る。
バリ料理の本日はオーナのパーティとかで、一般客は入って来ず招待客のみであった。
生バンドと男女シンガーが歌って、ダンスパーティであった。杉浦さんはしっかりバリ社交界にも顔が広いらしく
パラのきたない格好をした日本人グループをよくパーティに入れてもらったものだ。
席につくとオーナーのマダムが挨拶に来られたがこのマダムがなかなかの美形だ。
品の有る50前後の麗人である。うかれてツーショットをお願いしたら、気軽に応じてもらった。
招待客の皆さんはそれなりの服装で来られているので、我々は食事を済ませると早々に退出した。
7月17日(日曜日)現地観光・けなげな少女
朝起きて外を見るとやはり椰子の葉はしなっている。
中層の雲は走ってないが、500m位の雲は10m/Secのスピードがありそうだ。
海リッジは朝凪、夕凪など全く関係なく1日24時間同じ風が吹く。今日強風で駄目だろうなぁ〜・・・。

 ニッコーバリホテルのプール郡! 今日も強いようだねぇ〜

朝食バイキングは中華料理のお店に行く。粥があるくらいで、。バリ風の朝食だ。
とりあえず味見のため少量づつ皿に盛る。
ナシゴレン(バリ風焼き飯)が違和感なく食べる事が出来る。すべて美味しく食べる事が出来た。
さすが南国なので、ジュースはすべて生ジュースである。本当に美味しい。
そういえば、昨夜テーブルにトキワツーリストの社長からカードが届いていた。
テーブルに山盛りのフルーツは久保田社長のプレゼントだ。今食べ頃のフルーツが6種類盛ってあった。
珍しいものも有るので毎晩頂く事にする。
昨夜と同じように杉浦さん、大久保さんとドライバーのアクン(23歳)が10時過ぎにピックアップに寄ってくた。

ホテルを出てすぐバリの凧ラヤンラヤンが降り始めている。
身近に見ることが出来るので、凧を追いかけてわき道にそれる。
バリの凧は夜明け7時頃にはもう上がっているから、一日中上がりっぱなしだ。
安定して強風なので、上がれば木にくくりつけておいても一日上がりっぱなしの様だ。
バリの男達は大人も子供も凧揚げが大好きらしい。
八畳敷きもあろうかと思われる凧を道路いっぱいに「水平にして運ぶので、交通渋滞を起こす。
しかし、そこのけのこのけ”お凧様”が通るので、誰もクラクションなどは鳴らさない。
バイクに対してはいつも鳴らしっぱなしだが・・・・。
凧の糸を追いかけて行くと、15歳くらいを頭に8〜9名の男の子が総がかりで4畳敷きばかりの
大きさの凧を降ろしていた。
左右に2本紐が張ってあり、風にうなっている。赤黒の布で骨は竹で作ってあった。
細いロープで凧は繋がれていた。我々が大挙して近づいて行くものだから、警戒の目をしている。
杉浦さんがインドネシア語で語りかけて子供達とやりとりしている。年かさの子がそれでも警戒を緩めない。
凧を降ろして子供達にやりとりを10分間ばかりビデオテープに撮ったので、再生してみせる。
自分の動画を見る事は初めての様なので、先ほどの姿や、音声が聞こえるのが珍しい様だ。
「お前が写っている!!」と言うようにお互いを指示しながら、笑い転げ出した。ビデオカメラの力は偉大である。
いっぺんに警戒感を解いてくれた。これでインドネシア語がカタコトでも話せると、面白いのだが・・・・。
彼らと分かれてティンビスへ。

 バリの凧ラヤンラヤン 4畳敷きくらいの大きさ有る

強風だが、とりあえずエリアに顔を出してみる事に。
やはりティンビスは強風なので、即観光モードに切り替える。
杉浦さんの案内なので、普通観光客の行かないところを案内してもらう事に。

ジンバラン地区の魚市場に行く。魚などの流通は氷づけ位なので、
杉浦さんはここまでとれたての魚を買いに来るらしい。
10Kgの黄肌マグロが、3000円位と言っていた。
市場で有りながら、売り声は一切しない。欲しければ声をかけろとばかり、寝ているお店も2割ばかりある。
商売にガツガツしてないところがいい。 
しかし臭い!!!売っているものは新鮮だが、環境をきれいにしないで、地べたに落ちたものは腐って臭い。
30分もすると、ほとんど気にならなくなったが・・・・、
市場の前の浜にドンドン水揚げしてくる。ここバリ島には漁師は居ないのだそうだ。
バリヒンズーでは海には魔物が住んでいるので漁には行かないらしい。
となりの島のジャワ島から来ているそうだ。

昼食はラーメン屋さんに立ち寄りシーフードとスイカジュースをのむ。
日本でスイカジュースを作ると生臭くて美味くないのだが、ミックスジュースにして有るので美味い。
遅い昼食後、夕日のビューポイント、タナロット寺院に行く。
潮が満ちてくると渡れなくなる、50m位沖合いにある寺院である。
観光客が沢山来ている。イスラム教の女性がかぶるスカーフをした高校生か大学生のマレーシアの団体もいる。
波打ち際の岩まで行って大波が来てズボンがびしょぬれでおおはしゃぎしていた。
彼らをビデオに納めお別れのバイバイをしたら答えてくれた。

 海を渡る、タナロット寺院 若いっていいね

夕日の沈むのを待ちましょうと、屋外のテーブルに座る。
物売りの子供達が群がってくる。
絵葉書や鉛筆を売り込むのである。7歳から10歳位の子供が一生懸命訴えてくる。
まつ毛の長い目の澄んだ子供達なので負けそうになる。
ひとりは5歳くらいの男の子がえんぴつを持って何を言ってるのかわからないが、一生懸命売り込んでくる。
杉浦さんから子供に物や金を与えないで欲しいと言われていた。
そう言えばネパールに行った時も、アルパイン旅行社から、そう言われたなぁ〜・・・。
バリの子供達の心を乞食にはしたくないのだろう。
彼らも親の助けをしなければならないので、精を出しているのだろうと思うと
どうでもいいので、一個買ってやろうかと心が動く。
「いらない!!」と皆で断り、追い返したつもりが、かわいい女の子(9歳)がまた売り込みに来た。
大久保さんに取り付き絵葉書を片手に「バリハル30マイで3万ルピア」と呪文のように何度も繰り返している。
大久保さんも孫がいるのでだぶってしまい、おっかない顔で「あっち行け!!」とは言えない。
とうとう根負けして相手をし出した。
「3万ルピアは高い一万ルピア350円」とからかうと、2万ルピアに引き下げた。
値段交渉が始まったとみるや、他の子供も寄ってきて、夫々に「2万ルピア!!」と言い始めた。
我々を取り囲んで2万ルピアの合唱である。
大久保さん、さらに「一万ルピア」と言うとその女の子は「一万3千ルピア」と言い始めた。
他の子も「一万三千ルピア」と合唱する。
大久保さんもからかって「一万ルピア」と合唱する。するとその女の子は一万ルピアに値下げした。
大久保さんが言い始めたので、一万ルピアにされたら買わないわけにはいかないので、一万ルピアを出した。
ちゃんとした絵葉書が30枚で120円である。
原価もあるし、しょば代も必要だろうに、女の子の手にいくら残るのだろう?
粘り勝ちでプライスリーダーのその女の子だけが、大久保さんに売り込みに成功した。
他の子供からは誰も買わないので子供達は散っていった。

 孫とダブって見える大久保さん 可愛さに参ってしまう杉浦さん

杉浦さんがその女の子の歳や名前や兄弟の事をインドネシア語で聞いてくれた。
私達にその事を伝えていると、おどろくべき事が起きた。
杉浦さんを捕まえて「バリハル30マイで一万ルピア」と呪文を唱え始めたのである。
杉浦さんのやさしい性格を見抜いての攻勢である。
これには私も感動すら覚えた。というか商売人として尊敬してしまった。
きっと彼女は大きくなったら商売人として成功するだろうと確信する。
やさしい杉浦さんが困っているので、私の奥の手を出す事に。
先ほどまでのやりとりをビデオに撮っていたので、再生し、彼女に見せたのである。
自分の姿や、売り声が入っているのではにかみながらも、ものめずらしそうに見ている。
半分も見ていないのに、はっと我に返り、「バリハル30マイで一万ルピア」をやり始めたのである。
これには私も心の中で土下座してしまった。
皆んながどっと笑い、大うけであった。
彼女は何がおかしいのかわからず、立ち去ろうとしたので、私は彼女から一組の絵葉書を買った。
少しの沈黙がよぎる、皆さんもいろんな思いが交錯したのだろう・・・・。


ようやく太陽が落ちようとすると水平線には雲が出てしまい、雄大なサンセットは見ることが出来なかった。
夕食は軽量鉄骨の大きな倉庫に中で、6軒ばかりが店をだし、共有のテーブルで食事するシステムである。
シーフードのお店で、主だったものを注文。うなぎのぶつ切りいため、貝のいためもの、チキンフライなど、追加注文で
かえるも頼んだ。すべてはお店で活きているものを料理するので、安心ではある。
先ほどまでゲコゲコ鳴いていたカエルも皆さん違和感なしに食べた。
日本でカエルを食べようとすると、ちょっと勇気がいるが、郷に入れば郷に従えで嫁さんもすんなり食っていた。
主食のナシゴレン(チャーハン)は定番になった。

 その後われわれの胃袋に・・・ 
7月18日(月曜日)フライトエリア・チャンディダサ
バリ島に来て河原さんも向井さんも強風の為飛んでいない。
今日はクトゥの提案で約100Kmばかり離れたチャンディダサに行く事になった。
同じ南東向きエリアなのにチャンディダサは飛べるらしい。
嫁さんは午前中はプラザバリで買い物をし、一度ホテルに帰り昼から5時間コースのエステに行く予定。
至れり尽くせりでお姫様に気分を味わえるらしい。日本の女性がはまっているらしい。
各ホテルにもあるし、市内にも沢山スパ(エステサロン)があるので、一大産業の様である。
方向音痴の嫁さん一人がウロウロするのはどうかと思ったが、スパはホテルへの送り迎え付きなのである。

朝8時半にはチャンディダサに向けて出発。2時間ばかりかけて走る。
幹線道路は片側2車線だし、全線舗装してあったし
とにかく信号が少ないので、ストレス無しに走ってくれる。田舎はヤシ林と2期作の水田(棚田が多い)が続く。
片側で稲刈りしていると思えば、田植えしたりもする。
ヤシ林の小道を行き、とある民家に着く。クトゥもインド人夫婦と共に来ていた。

 今から300m上ってもらいます 5歳の坊やに何度も待ってもらった

一人5万ルピア(600円)支払って300mの急な傾斜地をパラ道具を担ぎ上げてもらうのである。
彼らはゴム草履で華奢な体つきだが、スイスイ上がって行く。
大久保さんのパラ道具は女性が頭に乗せ、二人交代で上げたらしい。
私は5歳の坊やと一緒に上がったのだが、とても付いて行けない。5度ばかり休息した。
私が最後尾なので、一人の地元民が私を待っては上ってくれた。
稜線まで上がると、地元の神様が祭ってある祠があり、クトゥが安全のお祈りをしてくれた。
5分ばかり稜線上を歩いてようやくテイクオフ場へ。
テイクオフ場といっても、機体を一機拡げられるだけのスペースを木を切ってあるだけのところ。
神の倉の西斜面前(絨毯のない急斜面ところ)より少しゆるい傾斜地で、その下は30mばかり木が無い。
その先は少し木があって海しか見えない。スタチンこいたら手足の1本は差し出す必要のあるテイクオフである。

ところが風が弱い。1〜2mしか吹いてこない。杉浦さんはランディング場である砂浜に待機してくれている。
2時頃、3m弱しかないのにクトゥがキャノピー拡げだした。タンデム機である。
アニルの奥さんとタンデム飛行らしい。南国の日差しでよれよれになったタンデム機でテイクオフし、
15分間ばかりのあえないぶっ飛びであった。

延々待つ事3時間。
ようやく4m前後の風が入りだした。テイク王f出来るが、リッジステイはつらいものがある。
すでに3時を廻ったので、じれていたインド人のアニルがテイクオフ。
右の尾根でトップアウト。私達の頭の上を飛んでいる。
スワッとばかりキャノピー大久保さん広げる。
アニルがテイクオフする時はフロントで出ろとクトゥに注意されていたが、
大久保さんはリバースで一発でテイクオフして行った。
もっとも走り出してやめたり、グライダー落ちするなどとは絶対出来ない急斜面なのである。
続いて河原さん、向井さんテイクオフしていった。
これで全員バリの風を愛機にはらませる事が出来た。
私もキャノピー拡げ立ち上げた。とたんにキャノピー右に90度向きを変えた。
降ろしかけたがもう一度立ち上げ修正はしたが、風向きがおかしいので一歩も動かず、キャノピー降ろす。
2〜3歩でも動いていれば、浮かされて大変な事になっていたかも・・・。
もう一度クトゥ達にキャノピー拡げてもらってテイクオフ。結局5名の現地のサポート隊はボーナス無しで下山する事に。
キャノピーが木に引っかかれば5万ルピアのボーナスになるはずだったのに・・・・。
4m前後の風なのでリッジは無理で、弱いサーマルが上がっているところで
ターンを切りながら、徐々に高度を稼ぎ、トップアウト。
しかしせいぜい+20mが精一杯。一応ティンビスの1Kmの稜線を行ったり来たり。
山頂にお寺がある。フラットなので木が無ければトップラン出来るのだが・・・・。

 チャンディダサの海だぞ! 頂上のお寺

 今から海上に出すぞ! ぼちぼち引き返そうかな?

何のプレッシャーもなく、小一時間遊んだ。向井さん、大久保さん、アニルは既に降りてしまった。
りフライトはありえないので、あまり待たせても悪いので、河原さんに「降りましょう!!」と声をかけ、
高度を下げるべく海上に行く。
500m位沖に出しても1/3位しか下がらない。夕方になって海チンもしゃれにならないので引き返す。
中腹以下で帰ってきて、斜面を磨いたが、揚げ直す事は出来なかった。皆さんの待つランディング地点を探す。
舟が浜に並んで竹で作ったサッカーゴールのあるところに車が止まっていた。
車の近くにソフトランディング。
河原さんはなごりを惜しむかのように飛んでいて、なかなか降ろしそうにない。
浜辺では30人ばかりが砂を集めている。
”篩”で砂を選るのでなく、波打ち際で波が砂を洗っているところで、竹を半分に割ったもので
表面をすくってかごに入れている。バリ島は火山島なので、火山礫は多く見るが、白砂はどうなんだろう。
ここの浜辺の砂は真っ黒なのである。バリ島の建設ラッシュなのかしら?
集めた砂山を回収しに5tダンプが2〜3台続けて来た。
中心地から100Kmも離れたティンビスに砂を回収に来ているのである。
今は漁師の副収入に砂を採取しているが、あまり沢山取っていると
石だらけの浜になって、小船も出せない程になってしまうぞ!!!
・・・・と、かつての日本のバブル狂乱と重ねて見てしまったのだが・・・
最もバリでは手ですくっているので、可愛いものだが・・・・。

30分経っても河原さんは降りて来そうにないので、早く降りろ!と無線を飛ばす。
浜辺の石垣のところに浜の大人や、子供達が20人ばかり座って我らを観察している。
彼らをデジタルビデオで撮影し、再生して見せる。
お前が写っているとお互い指差しながら、笑い転げている。
現地の子供達とのコミュニケーションのきっかけはこれに限るのである。

6時過ぎには嫁さんスパが終了するはずなので、急いで帰途につく。
ニッコーバリホテルで嫁さんをピックアップ。
ボディオイルマッサージ、フェイスマッサージ、ヘヤーマッサージ、ヘヤーマニキュアなど
爪のマニキュアを残して全身やってもらったらしい!!。
あっという間の5時間だったらしい!
皆さんに「きれいになった!」とお世辞を言ってもらい、本人はルンルンである。
嫁さんばかり気持ちよくさせて置くわけにいかないので、屋台の夕食後はバリ式按摩に行く事に。
ここも送り迎えつきで、一時間30万ルピアである。
こちらの相場で言えば、べらぼうな価格であるが、観光客相手ではしかたない事か・・・・。
術者は女性でも男性でも選べるとの事。皆さん女性を選んだ。
私は日本でも按摩をしてもらうので、女性ではものたらないので男性を指名。
日本人客がよく行くところらしく、カウンターでは完璧に日本語を話すスタッフが居る。
施術者は若い男性で、華奢な体付きなので、大丈夫かな?と思う。
たどたどしいカタコトの日本語で、強くは親指、弱くは小指。丁度いいのは○。
ちょっと痛くて「ウッツ」というと「ごめんなさい!!ごめんなさい!!」を言う。
私はいつも親指を立てるので、足三里の指圧の時は彼の向こう脛で押してきた。
痛くてかなわないのだが、気持ちがいいので、「もっとやれ!もっとやれ!」と親指を立ててやった。
客はお互いカーテン一枚で仕切られているだけなので、うめき声は耳元でする。
5名が一緒に始めたので、終了もきっちり同じであった。
マッサ^ジ屋さんの車でホテルまで送ってもらった。

話は戻るが、屋台の夕食も面白かった。
杉浦さんにお任せなので、名前は忘れたがすべて美味しく頂いた。
さすが、屋台までは観光客は来ないので、現地の客からはチラチラと見られた。
なまずのから揚げも美味かった。
基本的に揚げるか、炒めるか、して有るので屋台でも安心なのである。
食い物で盛り上がって、生の唐辛子を出せと言う事になった。
色は白っぽいもので、形は日本の唐辛子よりちょっと小さめ。
杉浦さんはバリに住んでいながら、辛い物は苦手のようだ・・・
最初に私が一個ぽりぽり食べる。めっちゃ辛くは無い。
向井さんが一口かじって吐き出した。
杉浦さんの話だと10個に1個は激辛が有るらしい。
そんなに辛いわけが無いでしょう!とばかり向井さんの残りをかじった。
*-/:;¥#$・・・・・・
かじった瞬間は何も感じなかったが、すぐに口の中が火事になった。

そのときは既に半分飲み込んでいたのだが、勢いで全部飲み込んでしまった。
すぐに、胃が燃え出した。あわてて、スイカジュースを飲み干す。
でも、昨日の朝食のお粥にふりかけた、緑の唐辛子の刻んだものよりは辛くなかった。
あれは本当に辛くて、口に含んでおく事すら出来なかった。
暑い国には、辛い食べ物が合うのであろうか?
アフリカに激辛ものがあるのは記憶に無いのだが・・・・・

屋台からの帰り道。
ちょっと町外れに車を停車して杉浦さんが南十字星を教えてくれた。
真南に輝く2個の星の距離の三倍のところに十字の三点が光る星がある。
昔から南半球に行って一度は見てみたいサザンクロス!!南十字星!!
沖縄でも水平線に見える南十字星!
何となくサザンクロス”南十字星「の言葉の響きに悠久のロマンスを感じていたのだが・・・・。
実際に見てしまえば、あれが南十字星か?と言うところだった。
初恋の君に何十年ぶりに同窓会で会って「あー君だったの?」というところか・・・。
7月19日(火曜日)タクシー貸し切り・芸術村のウブドに
バリ島最終日である。
河原さんと向井さんはメインエリアであるティンビスでまだ飛んでいないので、4日連続でフライトする事に。
今回は前半二日、写真撮影で嫁さんにパラには付き合ってもらったので、今日は観光につきあう事にした。
芸術村のウブドにJTBの無料シャトルバスが走っているというので、バリプラザまで行こうと
ホテルのベルボーイにタクシーを呼んでもらう。
「一日12時間タクシー使って普通ならば100ドルですが、ホテルから頼むと50ドルでいいです」と言ってきた。
「無料バスで良いです!!」と断る。
タクシーに乗り込むとカタコトの日本語でタクシーの一日借り上げを訴えてくる。
JTBのバスは高いところのみやげ物屋しか行かない。
私は「バブリック??な所を案内する。一日30万ルピア(3500円)で良いと持ちかけてきた。
結構日本語が通じるので、面白そうなのでOK出した。
名前はスクラナダ32歳。名刺もくれた。次に来たとき呼んでくれという。
30万ルピアのうち70%を会社が取り、30%の半分がガソリン代で自分持ちといっていた。
「日本語学校で習ったのか?」と聞いたら、「タクシードライバー8年のうちに自然に覚えた」と言っていた。
「JALのキャプテンと友達」とか「埼玉のさとみさんと友達」とか言っていた。
日本に行った事があるというので「どこを見学した?」と聞くと「ずっと家」という。
良く聞くと、一月に埼玉に行ったので、寒くて寒くて一歩も家から出る事が出来ず、フリースを
何枚も重ね着してこたつにもぐりこんで、3日間共ガタガタ震えていたそうである。
笑って笑って腹の皮がよじれてしまった。
彼は真剣な顔付きで「死ぬかと思った!!」と訴えていた。

 歓迎のお姐さん 写真撮るとお金いるのかな?

一番最初に連れて行かれたのがバロンダンスの劇場である。一人5万ルピア支払う。
入り口を入ると、民族衣装の娘さんが一緒に写真を撮ってくれた。
カメラを提げた女性が「カメラOK?]と聞いてきた。観光地にいる写真屋さんのようだ。
バロンダンスが終わった頃、写真が出来ているという類だろう。
「いらない」と手を振る。サンプル写真を見せて値段がいくらといえば、おそらく100円程度なので
買うだろうに・・・。値段さえ言わない!
バリの人々は観光で飯を食っているはずなのに、観光地にありがちな、えげつなさが無いのである。
他のアジアの観光地は、千円!千円!千円!でやかましいほどである。
ここバリでも、一所懸命売り込んでは来るのだが、どこかしら気恥ずかしさが漂っている。
何だかいじらしい気がする。
商売の感性としては、「よかったら買って下さい」という感じで、50年前の私の子供の頃の様だ。
昔のゆったりと時間が流れていた頃を思い出しほっとする。
そういえば、杉浦さんのしゃべり口もゆったりしているなぁ〜・・・。
特にバリの人に語りかける時は、聞いている私達もゆったりしてしまうから不思議である。
杉浦さんはせちがらい日本を後に、このバリ島にゆったり感を求めて移住されたのではと想像してしまう。
皆さんがバリ島に来て癒されるというのは、この辺にあるのではないかと思う。
現代日本が捨て去ってしまった何か大切なものを、ここバリ島で感じるのではなかろうか?
バブル以降、日本はますます効率主義に突っ走り、弱いものは死んでしまえ!位のシステムになってしまった。
スチャラカ社員や(古いか?)釣りバカ日誌の浜ちゃんは存在すら許されなくなってしまったのだろう。
他者との競争に勝つ為とは言え、何んとキャパシティの少ない日本になってしまったのだろう。
私のような無能者が年金生活に入れば、社会的弱者として切り捨てられるのであろうか?
細々ゲートボールを年寄り同士でやるなんていうのは、死んでも嫌である。
仕事を離れても何か社会に役に立つ人間でありたい。尊敬される年寄りになりたいと切に願うものである。
しかし何の取り得も無い私としては、心優しい国に行って子供たちに日本語を教えてやるのも
一つの生き方かなぁ〜と最近思っている。
嫁さんは語学能力を生かして「日本語教師教室」に通い始めた。
60万円も授業料支払ってしまったので、歯を食いしばっても卒業しないと・・・・と頑張っている。
最近、来年2月までの留学生を受け入れたので、生活パターンも大変化なので、
嫁さんフラフラなのだが、それでも楽しんでいる。
70歳過ぎれば体がもたないので、出来るだけ早めに海外に行きたいものと
嫁さんとは話しているのだが、いつになるやら・・・・。
そんな希望もあって、杉浦夫妻にはゆっくりお話しを聞きたかったのだが・・・・。
ゆったりした国に来て、せちがらく遊びまわっていては、趣旨が違うのだが・・・。
なかなか日本人気質から脱し切れない。

そんな事も考えながら、1時間ちょっとの観劇であった。

次は、ロウケツ染め工房兼販売所。絹や綿に細かく描かれたローケツ染めがある。
額にいれた絵が気に入った。嫁さん絹のスカーフやテーブロクロスを買った。
小物も入れて360ドルだった。
男性の店員さん、やおら電卓を持ってきて、0.8を掛ける。
私は0.5を掛ける。店員さん0.7を掛ける。私は猶も0.5をかける続ける。
店員さん相談をして来ますと言った。もう少しだけなら引きますという。
面倒なので200ドル出して、受け取るかキャンセルが迫る。
店員さん、しぶしぶ200ドル受け取る。

 細かい作業のろうけつ染め 

次のお店はつる草で編んだ籠を売る店。
私には興味ないので、となりに建っていた立派なお堂を見に行く。
石の細かい石像など細工が見事である。
嫁さんが店から出てきて、「一円も負けてもらえなかった」「安くして!と言ったらカウンターのカード見せられ、
「一切値引きできません」と書いてあったらしい。
私達の姿を見ると、すぐにドライバーが近寄ってくる。
とにかくお店にお客を連れて行けば、いくらか懐に入るシステムになっているのだろう・・・・。
「飯にしようか?」と言っているのに、次は絵を見に行きましょうと、画廊みたいなところに連れて行く。
300坪はあろうかと思われる画廊である。古典的な細密画や色鮮やかな花鳥画や現代アートが
500点ばかり展示してあった。
30歳過ぎのお兄さんが案内をしてくれる。
ここに展示して有るのは一族20名ばかりの画家の絵です。私はこの絵を描きました。
一ヵ月半かかりました」と見せてくれたのが、ケチャックダンスで見た場面を細かく点描した
セピア調の絵だった。
確かに一ヶ月以上はかかっているだろうと思う。
嫁さんが気に入ったのは、男女の絵で、12頭身位にスラリきれいな色使いで描いてある。
自分の絵が6万円で、弟が描いた男女の絵が1万2千円だという。
自分の絵が三万五千円で弟の絵が九千円で良いという。他の絵はさほど欲しい物は無かった。
3万円出して、これだけにしてくださいと交渉。
額縁は別にしてくれと言っていたが、頭を下げお願いしますと迫ったら応じてくれた。

次に木彫屋さんに寄るが、見るだけとした。
しかし見事な彫り物であった。
昔ながらのフォルム、現代アートのフォルムとなかなかのものである。
家具も素晴らしいものであった。

 昔ながらの・・ とぼけた爺様

  

一時過ぎにようやくウブドー近くのレストランに寄ってくれた。
バリ島料理でセット品の様なので注文。当然主食はナシゴレンである。
バリ島に来て最終日となったが、すべての食事を残す事なく食べる事が出来た。
アジアは台湾、韓国、中国、タイ、ネパールと行ったが、どこも食事を腹いっぱいに食った事がない。
少しづつ違和感あって、思い切り食べられなかった。何故かここバリ島の食事はきれいに食べられるのである。
使用する調味料や香辛料は違うはずなのにである。
私の遠い祖先はバリ島あたりから漂着したものかもしれない。
遠く赤道を越え南半球に来ているのに、すぐに同化してしまった気がする。色黒なのも同化する所以か??
レストランで昼食中、ドライバーは駐車場で待っていてくれた。杉浦さんの話では、バリ人は昼食を取らない様だ。
食事している間、じっと待っているのは可愛そうな気がしたが、それは日本でも同じだ。
タクシードライバーは客と一緒に食事をしないのがマナーだ。
お客さんにくつろいで食事をさせるのがプロというものだ。
昼食後王宮の見学に。
タクシーはウブドに駐車出来ないので、20分後に表門に迎えに来る事を約束し、タクシーは走り去る。
建物は小さいのが10棟ばかりあったが、赤と金色のコントラストが豪華さを演出している。
説明文が無いので、文化財の価値は良く分からない。本も読んでなかった。
表門で拾ってもらって帰途に。

 新婚らしきシンガポール人に撮ってもらった 赤と金色は豪華さを増す

  

途中モンキーテンプルに立ち寄る。名前を聞き漏らしたが、静かな森の中のお寺で、石の彫刻が素晴らしい。
日本でレンタルしたボーダーフォンを使って杉浦さんに連絡しようとしたら、バッテリーがあがっていた。
結局ボーダフォンを使用したのは、杉浦さんの電話番号を登録しただけに終わった。
タクシードライバーに5万ルピア渡して、携帯使って杉浦さんと連絡を取る。
一度ニッコーバリホテルに帰る事に。
河原さんと大久保さんは、テイクオフしてニッコーバリホテルの往復を楽しんでいるようだ。
ホテルから写真を撮って欲しいとの事。ホテル正面に来ると、おおッ〜!!!2機飛んでいる。
大急ぎでホテルの展望台に駆け上がる。展望台から見ると、30m上空を飛んでいた。
大声で私が来た事を知らせる。
喜んだ河原さんは展望台へ向けてハイタッチ出来る位に(3m)近寄ってターーンを切って行く。
隣に居た女性が、恐がって「キャーこわい〜!!」と叫んでいた。3回ばかり近寄って来た。
目的は果たせたので念願のニッコーバリホテルのプライベートビーチランディングである。
ランディングを撮ろうと下りて行ったのだが間に合わず、芝生に満面の笑みで待機していた。
一通り本日のフライトを聞き、次に彼が取り出したのは、5Kgの大きな石だった。
これを背中に入れ、テイクオフしましたとの事。
詳しくは下記河原さんのログを見てください。
大久保さんはアウトアンドリターンでティンビスに帰って行った。
今日も風が強く、向井さんはテイクオフ出来なかった様だ。

 遂に念願果たした河原さん これを担いで飛びました

夕食は中華料理屋さんで食事。
何せ、ビール飲んで、ジュース飲んで、腹いっぱい食べて一人6万ルピア(700円)なのである。
本日御用達のタクシーはまだ付き合ってもらっている。ドライバーのお薦めの店で、バリコーヒーや、下駄
焼酎など買う。ここも半値にしてもらった。最後に杉浦さんから聞いていたスーパーに立ち寄ってもらう。
一個17円のラーメンやら、チョコレートなど、安い食品を手に入れる。毎日慣れ親しんだ香辛料        も3本買い込む。
そうそう杉浦さんのHPに出ていたヤシの樹液で作った焼酎(50度)を杉浦さんに買ってきてもらった。
密造酒でアクア(水)のペットボトル360ccで一本5000ルピア(180円)を4本である。税金もかかってないので
激安なのである。神の倉のうわばみ達のおみやげが出来た。ラーメンは20ケばかり買ったが、全員には配れない。
早い者勝ちとしよう。
とうとう朝の9時から寄る10時過ぎまでタクシードライバーに付き合ってもらった。お礼に残ったお金10万ルピア弱を
心づけとして払った。今度バリに来たら私を指名してくれと、名刺を渡された。日本語もまあまあだし、明るい31歳なので
今度行ったら、指名してあげよう。12時間以上でも追加料金は請求しなかった。ホテルのロビーで寄る0時過ぎに
待ち合わせ、デンパサール空港へ。
朝0時:30分発、福岡へ朝8時半到着である。乗機してすぐに寝る。
無事帰国。

今回のバリ島フライトで、本当に杉浦さんにはお世話になった。
全日程とも杉浦さんのお人柄が、ほんわかと滲んでくる対応であった。
実は、バリに来る前は杉浦さんのことを、パラ好きのオッサンがエリアを
案内してくれる位に考えていたのである。
第一日目に、ロビーでお会いした時、何と穏やかで、目のやさしい人だろうと思った。
タクシードライバーや現地の人に話しかけるときは、インドネシア語であるが、
更にやさしい、柔らかな語り口になる。
バリの人々を心から愛しているのだろうなぁ〜と、そくそくと伝わってくる。
彼の地で、日本人の評価が高い事に乗じる事もなく、心から接しているのが良く分かる。
こんな人柄で、当然私達にも同様に接してもらった。
飛べなければ飛べないで、色々考えてくださって、あっという間の4日間であった。
バリの人々に接したのは、杉浦さんを通してが多かったが、今は日本人が失った(捨て去った)
50年前の優しさを持った人々であった。
杉浦さんは癒しを求めてバリに移住されたのであろうが、私にとって杉浦さんの存在が癒しであった。
最も、ここまで私達を心地よくさせたのは、杉浦さんはプロ中のプロであるからだ。
以前は旅行業と旅館業に携わっておられたらしい。
皆さんがバリに行かれるときは、連絡を取られると良いと思います。
120%のサポート間違い無しです。

もう一度はバリに行って、ゆっくりと杉浦夫妻のお話を聞きたいものだ。
そういえば7月13日にバリに移住された、小早川夫妻はどうされているだろう?
小早川さんは私の「サタスポ」テレビ出演を見られて、メールを頂いた人で、
杉浦さんのHPを教えてもらった人。
海外生活も長く、イラクでも5年間橋をかけていたとおっしゃっていた。
オーストラリアやカナダ、ヨーロッパと移住先をかんがえて、結局バリにされたのこと。
バリ島には、人を癒し続ける何かがあるのだろう・・・・・


バリの映画館と写真館はもう少し待ってください。
河原さんのフライトログ

7/18
15,16日のティンビスは8m近い風でほとんど飛べなかった。(稲垣さんは初日に少し飛べたのだが)
バリも残すところあと2日。ずっと風が強そうなので,道のり100km離れたチャンディダサへ行くことになった。
このエリアは直線50km程度しか離れてないし,正面は南〜南東,海に面している・・
両方ともほとんど変わらないので,内心はあまり期待してない。
ガイドのクトゥがティンビスが悪いときはチャンディダサが良いというし,
現地で一緒になった東京のGXB大久保さんやインド人のアリエル?も行かれるみたいだし,
実は僕自身もチャンスがあれば行ってみたいと密かに思っていたので喜んでついていくことにした。
メンバーは稲垣さん,向井さん,河原,大久保さん,アリエルの5名。
現地のガイドをされている杉浦さんは、広島組が飛べてないので心配そうだ。

この日は愛子さんは一番楽しみにしていたエステ・フルコース。
稲垣さんは愛子さんが一人になるのが心配で仕方ないみたいだ。
そういえば,愛子さんホテルの部屋を間違えてたような気がする・・まー大丈夫でしょ。送迎付きだし。

そんな愛子さんを残して朝8時位に出発。チャンディは午後から風が強くて飛べなくなることが多いらしいのだ。
大した距離ではないが,なんせバリの田舎道は30年前の日本みたいで集落と集落を結んでいる
道があるだけなので,2時間以上かかったような気がする。
300m担ぎ上げのアルバイト20分程度で50000ルピア(600円)は,本業の漁業より割がいいようで,
現地民が待ちに待ってくれていた。
相当きつい坂道で,日本人はみんなヘロヘロだ。
ところが,23歳のかわいいお母さんが20kgの機材を頭に載せ上がってくるし,
5歳の子供はお父さんと(多分)悩みを語りながら上がってくる。
飼い犬は散歩がてら上がってくる。みんな,すごい。
山腹〜山頂はサボテンだらけでトップランなんてできる場所ではない。山沈も悲惨なことになる。
ヒンズーの祠で安全祈願してもらって,さあ勇んでTOへ。
風1m弱っ!ティンビスは?ど強風!まじで?まじで!
基本的にリッジエリアなので、風が弱くてはどうしようもない。リッジエリアなのに弱いブローしか入ってこない。
風待ちすること3時間。ダミー兼でアリエルの奥さんがクトゥとタンデムして、ぶっ飛んでいく。
LDで待ってる杉浦さんは胃が痛いだろうなあ。

そして更に風待ち1時間位、風は安定してるが強いとはいえない。
アリエルが「我慢できーん」TO・・浮いてる!あんたはえらい!
15:00雪崩をうって大久保さん、河原、向井さん、稲垣さんと出て行く。
いやー、やっと飛べた。良かった良かった。
しばらくするとまた風が弱くなり、リッジ帯を譲ってくださった大久保さん、向井さん、
上限超えたアリエルが降ってしまった。
稲垣さんと二人、サボテンにスリスリしながら待っていると条件が良くなり、リッジ帯を全部使ってと動き回る。
霊峰アグンも裾野だけ見えたし、リッジ奥の寺院も空から参拝させていただいた。
いくらでも飛べる条件になってしまったが、稲垣さんは皆さんが待ってるので1時間ほどで降りていった。
僕はもう少ししたら・・と思ってたら雲が出来てTopの高さが徐々に上がってきてる・・・
我慢できずに結局1時間半遊ばせていただいた。m(__)m
全員飛べたので、杉浦さんはホッとした様子だった。

夜は愛子さんと合流して、屋台へレッツゴー。
バリのお店はどこも20W蛍光灯で薄暗くてどこもあやしい感じでとても怖い。
屋台は危ないので止めといた方がいいよ、ガイド本にあったけど、杉浦さんがついてるからだいじょうぶでしょ。
シーフードをガンガン頼んで、お酒もそれなりに飲んで800円。これでも、日本人価格(現地価格の倍)だから、安い。
現地人は、日本人、韓国人、台湾人、中国人の見分けができるらしい。
それだけでなく、オーストラリア、オランダ、ドイツ・・・の見分けも。
車で赤信号待ちしていると、いきなりおばちゃんが日本のスポーツ新聞を目の前に広げる。
言葉を聞かなくても分かるらしい。
それと、お金持ちからはたくさんもらっていいってのが、現地の常識らしい。
と言うわけで、日本人なのはバレバレなので、おとなしく支払いしたのだった。

7/19
いよいよ最終日。稲垣さんご夫妻ははバリの有名な観光地ウブド、僕と向井さんはティンビスの予定。
が、今日も朝から風強い。稲垣さんに連れて行ってもらおうかな?と思ったが朝早くから出発してしまったらしい。
杉浦さん、大久保さんとティンビス入り口に着くと、お坊さんが笑いながら「今日も強いよ」と言っていた。(たぶん)
ゲートのおじさんに最後のあいさつして、TOに近づくとだんだん強くなってきた。
強すぎ。ティンビスとチャンディを足して2で割ってくれないかな。
強風でもめげないアリエルでさえ、僕たちが来る前にきて帰って行ったという。
風は正面でなくて東風で左側から舐めてる。
大久保さんが「いや、ブローが収まった瞬間に飛べるよ」という。確かに初日、2日目よりは弱い瞬間がある。
風向は東サイドで動きずらそう。
風が強いので石を積んで飛ぶことにした。5kg程の石を探してハーネスへ押し込む。
アリエルが相変わらずTO失敗してるので休んでもらって、斜面使って大久保さん、河原とTO。
僕はクロスのまま持ち上げられて、引き抜かれるようにTO。クトゥ!サポートありがと。
向井さんは強すぎるのでTOしないとのこと。残念だが、仕方がない。
空に上がればド安定。
大久保さんはマヌーバも楽しみ(怖いー)、なぜか石切場の上での天然の右翼つぶれも難なくリカバリー。
しばらくすると、アリエルが飛び出してきて、ニッコーで記念撮影しようと待っていると
なぜかリッジ帯から離れてしまい、砂浜LD。
彼はその後再びTOへ上り飛び出してきた。すばらしいガッツ。
ホテルニッコー〜ティンビス4往復半を楽しむことができた。
ちょうど稲垣さんがウブドから帰ってきたので、ホテルリッジをとってるところをビデオにとっていただくことも出来た。
待ちに待ったホテルリッジだったので観光客等に手を振ってみたり話しかけてみたり・・
ハイになってるのが自分でも分かる。
ニッコーのcheckoutが18:00なので17:30に砂浜に降りて、急いで荷物出し。
2時間半、とても楽しい時間でした。

 ニッコーホテル展望台を飛ぶ河原さん 河原さんと大久保さん


<後記>
飛びのことしか書いてませんが、バリの人や食べ物がとてもすばらしかったです。
僕は観光だけでは飽きちゃうので、両方楽しめるバリは再び行きたい場所になりました。
往復9万で豪華ホテル、新幹線、飛行機付きで現地滞在4日間半です。
7月は風が強い日が多く、9月がパラにはベストの季節とのことです。
僕たちが帰った2日後にバリらしい「癒しフライト」条件(風は正面南風で適度に強く)だったそうです。
その中、GXB大久保さんはニッコーと反対側のホテルバリ・クリフにも足を伸ばすことが出来たようです。
ちなみに、バリハイというビデオに出てくるホテルがホテルバリクリフとホテルニッコーです。
レンタルビデオ屋さんにあるので、見てみてください。パラフライヤーならおすすめです。