2010年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活に4年目だ!
春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2010年 12月   
12月4日(土曜日)ぶっ飛び
雲ひとつ無い快晴である。
広島県北部の気温差は15度もあり上がるかな?の期待大なり。
集まりはわるく10名以下だった。
本流は南西だが、荒谷山テイクオフは南が入っている。
高杉さんの新機体マントラ神の倉初お目見えである。
荒谷山テイクオフから、皆さん次々テイクオフして行きトップアウトしたが
2〜300mが精一杯であった。
高杉さんは直ぐにトップアウトして、コジツーポイントであげて行った。
私は最後の方にテイクオフしたが、トップアウトも出来ずぶっ飛んだ。
神の倉に移動して、今度は私が最初にテイクオフ。
リッジ風でレベル程度にしか上がらない。
鍛冶ちゃんがテイクオフしてきた。
次々テイクオフして来そうなので鉄塔下に移動してみる。
完全に南風のようであえなくランディングしてしまった。
テイクオフ前で粘っている人は、1時間以上は遊べた様子。

花野さんがヘルメットにマジックテープで動画カメラを取り付けていた。
50gもないような超小型カメラだ。
フライとしながら自分の目線で動画が撮れる。
価格は本体が3000円、海外からの送料が1500円なので花野さんに
買ってもらった。(ヤフーオクションは自分ではやってないので・・)
品物が来たので、早速ヘルメットにマジックテープを貼り付けカメラを装着。
家に帰ってパソコンに取り出してみたら、YOUTUBEにアップするくらいは
何とか見れる画像だ。
しかし、撮った画像は下ばかり見ている画像だった。
目線に近い貼り付け角度を見極めないといかんなあ。
12月5日(日曜日)
今日も朝から雲ひとつ無い日本晴れである。
11時ごろ到着すると、近頃では珍しい20台以上の車が並んでいる。
原田さんの子供、航志(1歳2ヶ月)が神の倉初デビューだった。
原田さんがひょいと航志を私に手渡した。
泣かれるかな?とちょっと心配だったが、おとなしく抱かれてくれている。
暫くして原田さんに航志を返した。航志は私の顔を見てニコニコ笑い出した。
初めて見た人相の悪い爺なのに、笑ってくれた。
なんだかうれしくてウルルンである。

先週から神の倉の紅葉も最高潮である。
とは言っても、神の倉の紅葉はちょっと黄色であとは茶色である。
今年、東北旅行で見た紅葉は汚く感じた。
全山、黄色だが3割くらい茶色が混じっている。
神の倉の方が綺麗に見えるのは何故だろう・・・
それは、緑の中に紅葉があるからだと気が付いた。
全山、茶色だと死んだ山に見えて悲惨である。

人間社会も同じで、3世代が入り混じっているのが美しいのだと思う。
それでこそ年寄りも輝けるのだと思う。
老人ホームで年寄りだけが群れているのは美しいとは思えない。
スーちゃんと一緒に、宮崎駿の「ポニョ」をみた。
「ポニョ」のなかに託児所と託老所が同じ敷地にあり幼児と老人が
交わっている場面が有った。宮崎駿も同じ事を考えたのかな?・・・
健康に気をつけて、頑張って(嫌がられても)せっせと神の倉に通って
赤ちゃんから学生、青壮年のあらゆる年代の人達と関わっていたいものだ。
AFSのホームステイを再会すれば、世界の高校生と暮らしをともに出来る。
それにしても、本当の孫を早く抱きたいものだなあ・・・

12時ごろ荒谷山テイクオフに上がる。
サブランに立川さんの車を置いておいたので、ぶっ飛びサポートはOKだ。
今日の予報は西南西だが、荒谷山テイクオフは南風が入っている。
一番手を務めたのは立川さんだった。
残念ながらぶっ飛びではあったが、自分の判断でテイクオフすることは大事な訓練である。
3番手で私もテイクオフ。出て直ぐ右ボール奥の斜面を目指す。
リッジ風は杉の若木の梢を揺らしてはいるが弱い。
目いっぱい斜面に寄らないとリッジ風を有効に使えない。
しかし、一発バコンと来ると即山沈である。
6回ばかり斜面を磨いて荒谷山上空に来たが、それ以上は上がらない。
南小山のサーマルがぼちぼち育っていないかな?と沖に出してみた。
順調に降下しリフトにかすりもせずサブランへ・・・
キャノピーを畳んでいると、Hのさんが山沈したようだ。
チェンソーが必要らしいので、鍛冶ちゃんの車で取りに行く。
山沈場所はテイクオフ下の、前小山の鞍部であった。
フロントタックをおこし、前方水平くらいにシューティングしてつぶれ、
後は機速を失って落ちて行ったらしい。
ツリーランの木は20m以上あり、キャノピーは真上にすっぽり被っていた。
中村さんが登って、のこぎりで一本一本枝を切ってくれた。
田中さんがラピッドリンクを外してくれたので枝からスムースに外せた。
2時間以上掛かったが、枝を切り下ろしてからは早かった。
丁寧な作業だったので、キャノピーやラインの傷みは皆無だった。
皆さん本当にご苦労様でした。
12月5日の小型カメラの動画
ヘルメットにマジックテープで小型カメラを貼り付けて飛んだ。

  

厚み12mm 高さ78mm 巾30mm 重さ30gのカメラは超手軽だ!


家に帰って動画をパソコンに取り込んでみた。
この小型カメラはすごい!!
TOUTUBEへの動画アップには充分耐えられる画質だ!
バッテリーも4時間持つそうだし、ヘルメットにマジックテープで取り付けられる軽さ!
シガー用とコンセント用の充電器も着いている。
パソコンへの接続コードとカメラスタンドも付いて3000円とは!!!
クロカンの全工程を早く撮りたいものだ。

大したフライトではないが、初動画アップだ!

不良おやじの荒谷山テイクオフNO1
http://www.youtube.com/watch?v=tNuJlSJD8eo


不良おやじの荒谷山テイクオフNO2
http://www.youtube.com/watch?v=9pJ8uN39KoQ

12月10日(金曜日)”「現代と仏教」第5回甘露の会公開講座”
謡の仲間のお寺のお坊さんから、広島別院で行われる
”「現代と仏教」第5回甘露の会公開講座”に誘われた。
映画「おくりびと」で有名になった青木新門さんと
信楽峻磨さん(龍谷大学元学長)の対談がある。

ご一緒する事にしたので、青木新門さんの事をネットで調べてみた。
この一枚の写真だけは見てくださいとHPに出ていた。
その写真は長崎原爆資料館で見た写真だったか、
テレビの番組だあったか記憶が定かでないが・・・・

私は過去、2枚の写真を前にして動けなくなった事があった。
一枚は上記の、この写真であった。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/ichimainosyashin.htm

上記のブログは削除されていた。

代わりに青木新門さんの講演の中にうっすら写真もあります。(下記)
http://www.kobegakkou-blog.com/blog/2009/11/post-7e3c.html


もう一枚は沖縄県平和祈念資料館で見た写真だった。
写真の資料は無いのですが、その写真を見たときの感想です。
沖縄フライト日記の2007年7月20日の後半に書いてます。

../01_07_2_gatu.htm
12月11日(土曜日)甘露の会公開講座 死について
”「現代と仏教」第5回甘露の会公開講座”
  死をどう越えるか
   いのちの行方と葬儀を考える
非常に重たい課題だが、人は絶対避けて通れない事柄である。

映画「おくりびと」で有名になった青木新門さんの話は深刻でもあり、
おかしくもあり、そして深いお話でもあった。(一部分、理解しがたい所もあったが)
青木新門著「いのちのバトンタッチ」という小冊子が東本願寺から発行されているので
興味あれば読んでください。
葬儀のあり方についてもNHKの「無縁社会」の特集でやってたが
直葬、一日葬、家族葬など大きく様変わりしているようだ。
「葬議場でしなくても各自の菩提寺で執り行えばよろしいですよ」とお寺さんは宣伝していた。

いろいろお話聞いて考えさせられる事は沢山あったが、一点だけ・・・・
自分も前期高齢者となり、世間的には”老人”と呼ばれる歳になってしまった。
両親は72歳と74歳で亡くなったので、両親と同じだと6〜8年で死を迎えることになる。
否が応でも死と向き合わなければならない年になってきたのだと思う。
死は万人に等しく訪れるものなのだが、それが何時なのか分かってないので
人は毎日”のほほん”と生活出来ているのだが・・・
信楽峻磨さん(龍谷大学元学長)のお話は”親鸞さんが語った死について”の話だった。
宗教哲学の範疇なので一概には語れない。
庶民感覚と宗教哲学の整合性をどう計るか、坊さんの難しいところであろう・・・

庶民感覚で言えば、生物学的な死(息が止まり、心臓が止まる)と死んだらどうなるの?
といった素朴な恐れや、疑問などがあると思う。
生物学的な死(息が止まり、心臓が止まる)は自分にとっては
素直に受け入れられるのではないかと思っている。
実は66歳の人生で3回程、死にかけた事がある。
あわや!と思うことは沢山あったが別に死にかけた訳ではない。

第一回目は小学校5年生の時だ。
山口県の大島に小学4年生から6年生まで過ごした。
港の近くに居たので6月頃から8月まで3ヶ月ばかり泳いでいた。
泳ぎも大分上手になった小学5年生の夏、波止場で泳いでいた。
係留してある伝馬船の下を潜って行こうと思った。
伝馬船の船底は、漁船の様でなく平たい3mばかりの簡単な舟である。
深く潜らないと船底に背中が付くので、しっかり離れた所から潜り始めた。
もう伝馬船を越えただろうと水面に上がって来た。
ところが、伝馬船の下に浮かんで来たのだった。
背中が平たい伝馬船の船底にくっついてしまった。
あわてて、一生懸命手足を動かし泳ぐ。
船底にはフジツボがびっしり付いていてスルリと背中が滑らない。
舟は小さいので泳ぐ私にくっついてくる。
息が出来ないので頭がぼんやりし、大分海水を飲んだようだ。
係留していたロープがピンと張って舟が動かなくなったので何とか脱出できた。
背中はフジツボで擦れて血だらけになっていると友達が教えてくれた。
その時は血だらけの背中の痛さなど、何も感じなかった事は覚えている。
子供心に死を感じた瞬間ではあった。
大島と言えば私の「森永ミルクキャラメル事件」を鮮やかに思い出した。


第二回目は大学3年生の時だった。
春休みに友達二人と愛媛県の石鎚山に登った。
3月とはいえ山頂付近は30cmの積雪があった。
山頂に上って少し下がった所で写真を撮った時カメラのサックを斜面に落としてしまった。
サックは斜面を滑って行き見えなくなった。
はるか下の方で人の声がした様だったので降りてみる気が起きた。
鉈で枝を切り杖を作りグリセードをする。
グリセード・・・登山で、雪の斜面を、ピッケル・つえなどで制動をかけながら、
         登山靴のままで滑り降りること。
だんだんスピードが増し、かかとを立ててもブレーキが利かなくなってきた。
アイスバーンの上に新雪が積もっていたのだった。
相当にスピードが付いてきて怖くなり尻を下ろした。
かかとを立て、手で斜面を掻いた。
スピードが益々増して行き、転がりそうになり寝転がった。
何かを捕まえなければ!と言う思いだけであった。
そのうち気を失ってしまった。
愛媛県山岳連盟のパーティーのなかに滑り込んで行ったらしい。
そこはアイスフォールに近い形状で、上から雪が落ちてくるので雪崩だと思ったようだ。
しかし、アイスフォールなので、すぐには横に逃げれない。
皆さんはアイゼンを履いている居ているので、後ろ向きになり足を踏ん張った。
その内の一人の背中にぶつかり、アイスフォールの下に落ちて止まったらしい。
4〜5人の顔が覗き込んでいる時、私の意識は戻ったのだった。
背負われて山道まで戻ってきて、二人の友人と共にこっぴどくしかられた。
「四国の山だといってバカにしてはいかん!!毎年一人は死んでいるんだ!」
「大体、雪山に来るのにアイゼンを持ってないとは何事だ!」
私はけが人だったので、友人二人が私の代わりに叱られてくれた。
叱った人は愛媛県山岳連盟の会長さんだった。
前日雪が降って登るのに時間をとられていたので面後渓まで下れない。
テントを張って山中で一泊する。
次の日はバスで松山まで出て愛媛大学の寮に泊めてもらった。
次の日フェリーで広島に帰って両親を驚愕させる。
右腕は皮が破れ削れて赤身になっていた。
両手の指の爪は削れて半分くらい無くなっていた。
3日経っているのに全然痛くないのである。
病院に行って処置してもらってからは、だんだん痛くなってきた。
滑落していった時には、そのまま死んでいても不思議ではない状態だった。
気を失ってしまったので何ともいえないが、「死ぬ時は苦しみはないのだろう」と実感した。
車で衝突事故を起こしたときも、ブレーキペダルで足首を切った時も
警察官が来て現場検証しているときに初めて血が出ていることに気が付いた。
以前、テレビでシマウマがライオンに食われるシーンがあった。
シマウマは足をビクビクさせており、ライオンは喉に喰らいついている。
シマウマの表情がアップで映し出された。
動物学者が「強力な脳内麻薬が働いています。
もうシマウマは痛くも痒くもないのです。」と解説した。

私は”確かだ!”と納得した。
母親がなくなるときは”ハア、ハア”と荒い呼吸をしていた。
看護婦さんは「稲垣さん!お母さんは見ているほどは苦しいわけではないのよ!」
と私を慰めてくれた。
私は母親の姿を見て身体を硬くしていたのだが、納得してふっと軽くなった。
経験上確かに死ぬ時は苦しくないのだと確信に似た気持ちがしている。

青木新門さんの話の中で、「亡くなって死後硬直が始まるまでの死に顔は
どんな人だろうが、どんなむごい死に方だろうが皆さん柔和な良いお顔をされています。
死後硬直が始まると現世の顔に戻っていきますが・・・」といっていた。
人はどんな死に方であろうと、エクスタシーのうちに死んでいけるのだと思ってしまう。

第3回目はホアンが来ているときで、喉に肉を詰まらせた時だった。
下記に詳しく書いてあります。
../01_07_gatu.htm#01_07_10

しかし、この時は私の脳内麻薬は働いてないので死に掛けた事にならないのかも・・・

そんな訳で、死そのものにはあまり恐れとか、恐怖はないように思う。
なにやら訳が分からんうちに死ねる気がしている。
エクスタシーのうちに死ねれば最高なんだが・・・
怪我や病を得て死に至るまでの苦しみはあるので、穏やかであって欲しいと願うだけだが・・

どう死を迎えるかは、宗教や人生哲学が大きく作用すると思うが・・・
中学の同級生の菊波君が60才の若さでなくなった。
12年掛けて、全身に癌が転移していった。
入退院を繰り返しながらも目いっぱい生きた”生き様(死に様)”を家族や我々に見せてくれた。
菊波君への弔辞に私の思いを書いた。
../inagakiiai/infoseek_furyou/chouji.htm

それにしても、現代社会において死を目撃する事は皆無に近い。
自宅において臨終に立ち会うことは殆どなくなった。
病院で亡くなる場合、最後の延命治療するので何時息を引き取ったのか分からない。
昔の小説に出てくるような「静かに息を引き取った・・・」と言う場面は望む事は出来ないのだろう。
私の父親は心筋梗塞で亡くなった。
臨終はいっぱい線でつながれ、オシログラフが横一線になったら
心臓に直接注射をしたり心臓マッサージをしたりであわただしかった。
当然何時息を引き取ったか定かではない。
過度な延命治療は拒否をしようと、日ごろから決意はしていた。
しかし、横一線になったオシログラフが心臓マッサージでピクピク動いているのを
見ていると、すぐにはやめてくださいとは言えず身体を硬くしてみていた。
30分位やってくれた医者が汗だくになりながら「もう無理ですね」と言われて
ハッと我に返り心臓マッサージをやめる事に同意したのであった。
元気な時の決意が死に望んで完遂出来るか甚だ疑問ではあるが・・・
父親の最後の場面を子供達には見せなかった。(緊急場面で考える暇もなかった)
見せるべきだったと今は反省している。
私の臨終には孫達を是非、立ち会わせて欲しいと思っている。
100回の説教よりも深い感慨をもたらすはずである。
子供であっても、自分の死生観の確立にきっと役立つはずと思う。


そして死について、もうひとつの問題は漠然とした不安、「死んだらどうなるの?」
と言う事だろうと思う。
昔から、死に掛けて息を吹き返した人は居るが・・
極楽に行って蓮のうてなでどんちゃん騒ぎをして帰ってきた人や、地獄に行って
釜茹でになり、やけどをおって帰ってきた人は居ない。

私は、おねだり宗教とおどかし宗教が大嫌いである。
神社に行って大金を包んで御祈祷をする。
賽銭箱に小金を放り込んでお願いをする。
教会に行ったり、お寺に行っても手を合わせてお願いをする。
神や仏に現世利益を御願いするのは信心とは一切関係が無いと思うのだが。
打ちひしがれた自分を救って欲しいという祈りならわかる気がするが・・・
不信心の私が批判を大にする事でもないが。

どの宗教にも天国と地獄、極楽と地獄、輪廻転生など生きている間に良い行いをしなかったり
我が宗教を信じないと、死んだら大変な事になると脅かすのである。
(地獄に落ちるぞ!!!)(ミミズに生まれ変わるぞ!)(罰が当たるぞ!)
私は浄土真宗しか遭遇した事が無いので断言できないが、おそらく他の宗教には脅しの部分はあるのだろう。
親鸞さんは「善人なおもて往生とぐ、ましてや悪人をや・・・・・・・・」と説かれた。
本当の意味合いは「悪人正機」にあるが・・・
親鸞さんは我々庶民を脅してない。私が信用する所以である。
親鸞さんは当時としては破戒坊主の極みであるのに堂々と妻を娶り
教えを説いたのが私が信用する所以である。
その親鸞さんが死後の世界を極楽に行けるとしないで「往生をとぐ」としたのは
意味あることなんだろう。
信楽峻磨さん(龍谷大学元学長)は講演の中で「死んで極楽や地獄から帰ってきた人は
居ないので誰もわからん!!」とはっきり死後の世界を否定されたように思う。
お経にある言葉の中で説明していたようなのだが、仏教の基礎知識の無い私には
何のことかさっぱり分からなかった。
法事の時に坊主がうやうやしく「お浄土に参らせていただく・・・・」とか
蓮如の”御文章”をさも有難げに頭上にささげられても私には反発心が起きるだけである。
現在を生きている我々に坊主の言葉で教えを説いて欲しいのである。

信楽峻磨さん(龍谷大学元学長)さんが
「戦前や戦後すぐの浄土真宗の坊主は安芸門徒に厳しく育てられたものです」
「その時分は自宅で療養していて、医者が見離したら坊主を呼びにやるのです。
坊主は死に行く人や親戚縁者の前で説教をしなければならないのです」
死に行く人に意識があれば「皆さん、ありがとう・・・」と言ってあの世に旅立たせる事の出来る
説教が坊さんに出来たであろうか?
「死んだら極楽に行くのだから・・・・」とオタメゴカシの事を言って切り抜けたのであろうか?
平安時代の貴族達が臨終に際して、阿弥陀如来像に糸を結んで繋げたのは教科書にも出てくる。
切羽詰った坊さんの姿が目に浮かぶようである。

私の謡の仲間の坊さんは東本願寺派であった。
東本願寺派の教義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE#.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.89

霊魂はない。あんなもの有ったらいかんものだ。
大体60億人以上の人間が生きている地球に、この人間に連なるご先祖様の
人数を足したら、兆、 京、 垓(ガイ)・・・・・・・不可思議(フカシギ)、10の88乗の 無量大数(ムリョウタイスウ)
霊魂だらけで息も出来なくなる!
死んでもこの世と関わっていたいと言う我欲に過ぎない。迷惑な話だ!

あの世を信じないのかと問われれば「有っても良いし、無くても良い」というのが
自分にとって自然体の心情かなと思う。
死と対峙するのでなく、棺おけを横に置いた生活にしたいと思っている。

浄土真宗の経典に興味のある方は下記で調べてください。
http://www.icho.gr.jp/seiten/index.html

12月18日(土曜日)アキュラシー審判員講習会
アキュラシー審判員講習会が井原会館で行われた。
50名近くの人が、山口県、岡山県、鳥取県などから参集してくれた。
JHFの岡講師も流石に嬉しそうだった。
山口県や岡山県や福山の皆さんから私に声をかけてもらい嬉しかった。
各エリアの掲示板にアナウンスしてよかった。(お邪魔虫でなかった!)
アキュラシーはターゲットを踏む競技なので、コンペ嗜好でない私にも興味ある内容だった。
アキュラシーの大会であれば一般の観客も楽しめるので、各地で盛んになると良いなあ。
高照寺エリアでは週末は毎日、夕方の一本をアキュラシーとしてターゲットを狙っているようだ。
缶コーヒーを賭けて大いに盛り上がっているようだ。
のんべんだらりとランディングするのでなく必ずターゲットを狙うことにより
スキルは大いに向上するはずだ。
神の倉でも4回連続ターゲットを踏む競技はやっているが、長丁場になるので盛り上がらない。
その日限りの競技も平行してやれば盛り上がってくるかな?。

午後は審判の実技なので、神の倉勢4名を引き連れてテイクオフに上がる。
一本は飛んでおきたいので、しばらくすると参加者の皆さんも上がって来た。
サーマルで揚げて遊んでいたのでは失格となるらしいので
一直線にランディング場を目指す。
結構グランドサーマルがあって、私の前のSさんは大オーバーで駐車場まで伸びてしまった。
私もグラグラ浮かされるので、なかなか直線アプローチに入れない。
2度振って半径2,5mのシートに届き、成績は250点(2,5m)であった。
ビデオカメラをテイクオフ場に忘れてきたようなのであわてて上がる。
テイクオフ場は山大の学生と竹井さんしかいない。
皆さん全て飛んで下ではジャッジの講習は一段落といった所のようだ。
早く飛んで降りようと、西斜面からテイクオフしたがリッジ風はある。
少し遊んで、トップランして車を降ろそうと思った。
北斜面前や西斜面を飛んでみる。風向は北西のようだ。
西斜面からアプローチするのだが、低すぎるとローターに捕まり一気に下がる。
高すぎるとテイクオフ場で吹き上げられてしまう。
3回ばかり探って、ローター域のちょっと上で西斜面からアプローチ。
何とか、ふんわりトップラン。キャノピー畳んでいると第二陣が上がって来た。
飛びましょうと言ってくれたが、トップランして車を降ろすという私のパラ美学完遂のため車で下山。
講習も終わってフリーフライトでもう一本飛ぶ。
二本目はシート中心のオレンジ色付近には降りる事が出来た。
アキュラシーは見ている人も、競技者も大いに楽しめる。
ギャラリーが大勢集まってくれる大会が出来ると楽しいだろうなあ。
サンタフライトの後にアキュラシー大会をやってもいいのかなと思う。

ブルーのシート(半径2,5m)を踏んだ人は10名ばかりいたようだ。
神の倉は山本さんがオレンジ色。原田さんが20cmを踏んだがこけてファール。


不良おやじのトップラン
http://www.youtube.com/watch?v=T11MtQDsl7w



不良おやじのターゲット2本
http://www.youtube.com/watch?v=eO9f5SfSPXg


12月19日(日曜日)アキュラシー審判員講習会
アキュラシー審判員講習会の二日目だが、今日の参加者は恐らく少ないだろう。
あまり少ないと寂しいので、もう一度参加しようと賑やかしに出かける。
10時前に東屋に到着すると、果たして大方さんと瀬戸さんしか見えない。
一緒に井原会館に行く。
今日の講習会は10名ばかりであった。

昼からの実習は選手役がいないので、地森さんと鍛冶ちゃんの3人で神の倉に上がる。
昼前に荒谷山に上がった連中は、南風に変ったのでテイクオフしていく。
逆転層が強い所為か+100m位?しか揚がっていないようだ。
神の倉テイクオフも5〜6mの南風で、廻りこんだ風が西斜面に入ってくる。
地森さん、鍛冶ちゃん、私の順でテイクオフ。
鍛冶ちゃんは暫くテイクオフの前で遊んで沖に出した。
私も続いてテイクオフし、沖に出す。
結構風は強くてサーマルも混じって、キャノピーは嫌な動きをする。
ランディング場で、橋より南側で高度処理をする。
高めでターゲットを狙ってファイナルアプローチに入ったので、細動させながら
限界近くブレークコードを使った。
ブルーのシート(半径2,5m)は踏んだがエアーバックが着いてしまいファールとなった。
鍛冶ちゃんは外したが、地森さんはど真ん中(1cm・・1点)だったようだ。
平穏な風でもターゲット20cmはとても難しいのに、強風の中1cmとは素晴しい。
出来れば昨日、皆さんの前で見せてくれれば盛り上がったのに残念!!

不良おやじのアキュラシー練習
http://www.youtube.com/watch?v=rXUgIBxTYRM


夕方飲み会があるので早めに帰った。
12月23日(木曜日)サンタフライト
週間天気予報では雨予報だったのにお天気になった。
スタッフは9時集合なので間に合うように出かける。
ランディング場に行くと、吉岡さんは危険防止のロープを張っていた。
大佐エリアから増田夫妻が来ていてお手伝いをしていた。
増田夫妻から「是非サンタフライトを体験させて欲しい」と頼まれていたので
児島理事にお願いをしていた。
9時半にはサンタフライトする人がテイクオフ場に上がる。
徳ちゃん、増田夫妻、吉田さんで神の倉に上がる。
10名以上がサンタの服装をして、手作りのパラシュートを付けたお菓子を
空から撒くのだが、風に流されて半分くらいしかエリア内に落下しない。
地森さんが一番に出て風を読んでくれた。
テイクオフは北西風だが、ランディング場は弱い南風のようだ。
石田さん、徳ちゃんの次に私もテイクオフ。
グランドゴルフ場南側で高度処理をして子供達の真上を飛んで三個の
パラシュート付きお菓子を投げ、全部エリア内に入ったようだ。
一個には私手作りのミニミニ吹流しをつけて落とした。
後から捜して見ると、ハングの武田さんの息子がゲットしてた。
息子は宝物にするのだと言っていたそうだ。

地上の映像は榎本さんがビデオを撮ってくれた。
私は先日の小型カメラでフライト動画を撮った。
NHKのアイラブビデオに送ってみよう。採用されると嬉しいが・・・・

今日の小型カメラ画像の日付は何故か2007年になっていた。

サンタフライト空中撮影動画
http://www.youtube.com/watch?v=9u3EeNLEPJo



サンタフライト地上撮影動画
http://www.youtube.com/watch?v=oZHjSeG8DWE


昼からはフリーフライトなので、田原さんの車で立川さん、甲斐さんで
一応荒谷山に上がってみた。
本流は北西風なので条件は良くなかった。甲斐さんぶっ飛んだ。
神の倉山テイクオフに上がると、5〜6機トップアウトして遊んでいる。
小型カメラを装着してテイクオフ。
皆さんは神の倉鉄塔付近で遊んでいる。
暫く一緒に飛んだが、同高度で込み合いそうなので私はテイクオフ上空に移動する。
小一時間飛んで、よいサーマルをヒットしたのでクルクル廻す。
ピッピとバリオは安定して、鳴り続いている。
雲の吸い上げだったようで、海抜1800mまで上がり雲底に付けた。
周りがぼんやりとした視界になったので、鷹ノ巣山に向けアクセル踏み込む。
殆ど下がらないようなので、地森さんに無線をいれ豊栄町を目指す。
鷹ノ巣山上空では+300mで、雲もなくなったので更にフルアクセルを踏み込む。
なんだか今まで経験した事の無いスピードで走っているようだ。
(後から神の倉の風速を確認すると10m/sec近く吹いていた。)
(という事は機速が37Km/h + 風速35km/hで対地速度が72Km/h??
豊栄町の板鍋山に+100mで取り付いた。
今日のGPSは何故か働いていない。方向もスピードも表示しない。
地上の煙を観察すると北西風が強いようなので、山から離れようと北に向ける。
おお!前に進まない!アクセルを目いっぱい踏み込む。
ジリジリ高度を下げつつ、少しは前に出ている。
電線のない広い田んぼの上空で高度処理をする。
地上100mでは思い通りのコントロールが出来る。
豊栄町でいつも降ろす社会福祉協議会の隣りの空き地に下ろす。
直線距離14Kmで一時間半のミニクロカンであった。
神の倉で飛んでいた立川さんはランディングしていたはずなので
電話してピックアップをお願いした。
気持ちよく引き受けてくれて、初めての豊栄町に来てもらった。
ピックアップ場所をピンポイントで分かるようにガソリンスタンドまで歩き
電話番号を聞いて連絡して来てもらった。
立川先生ありがとうございました。

神の倉ランディング場に帰ると、テイクオフの風速計は風速が10m/secまであがり荒れ荒れで
皆さんは大変な思いをしたようでその話で盛り上がっていた。
武田さんのGPS計器によると、風速20m/secの数字が出ていたようだ。
鷹ノ巣山からリターンして神の倉に帰らなくて良かった。
絶対帰れなくて、裏山友の会に入会していただろう。

ミニクロカン全行程動画(NO7 から神の倉を離れクロカンに出かけます)

不良おやじ豊栄町クロカンNO1
http://www.youtube.com/watch?v=tAhvjOxbbhw



不良おやじ豊栄町クロカンNO2
http://www.youtube.com/watch?v=Pbcx8GCTUj4



不良おやじ豊栄町クロカンNO3
http://www.youtube.com/watch?v=MJSMa-JHybI



不良おやじ豊栄町クロカンNO4
http://www.youtube.com/watch?v=Q97kk-gtqrI



不良おやじ豊栄町クロカンNO5
http://www.youtube.com/watch?v=_nDL6rngx7g



不良おやじ豊栄町クロカンNO6
http://www.youtube.com/watch?v=i2AmZPymoCE



ここから雲底に付けクロカンに出発。
不良おやじ豊栄町クロカンNO7
http://www.youtube.com/watch?v=9I6_O5iQ-Hk



不良おやじ豊栄町クロカンNO8
http://www.youtube.com/watch?v=xdhqK5eer5A


不良おやじ豊栄町クロカンNO9
http://www.youtube.com/watch?v=Fn7yF4uGpvs