少しずつ書くので気長に見てね! 


12月30日(土曜日) a
朝4:00にはモーニングコール。しかしAM3:30には目がさめゴソゴソしていた。
AM6:00に重慶空港へ。AM7:30出発予定。3時間半のフライトで、
カトマンズ到着は現地時間8:45に到着予定。(中国と2時間15分の時差)
濃霧の重慶空港をテイクオフ。高度上げ、下は雲雲・・である。
四川省の山岳地帯からは、晴れて地表が見えてくる。
今度は3000m程度の高さの山また山である。

  四川省の山並み。稜線は鋭く尖っていた。  四川省。「四娘山」

稜線は鋭くとがってマサカリの刃を上に向けた格好で、岩だらけの山並みが続いている。
チベット高原に入ると少し山はなだらかになってきた。しかしここは3〜4000mの高原
地表は赤茶っぽく、1木1草、地を走る獣さえ見る事の出来ぬ荒涼とした高地である。
対地高度4〜5000m位なので、目を凝らしてみると川筋の少し開けた所にポツン・ポツンと
10軒ばかりの集落が見える。石段が見え段々畑も見える。
添乗員(田久和さん)の話では春になると低地は一面緑になるらしい。
ラサ上空まで行くのに一時間以上かかっているのに、集落は20ケ処程度確認しただけだ。
(700Km位でですよ!)眼下に住んでいる人には、何で生活を営んでいるのだろう?
何が悲しくてこんな所に住んでいるのだろう?
つくづく人類というたくましい動物の生命力というか、自然界から見るとあらゆる所に
はびこっているゾンビというか、何か人類のすさまじさを垣間見たような気がした。

これなら将来はきっと、火星でも月でも土着してしまうだろうなーと思う。
機長より右手前方にラサ市街が見えます・・・とのアナウンスが有った。
田久和さん(添乗員・ツアーリーダー)は見えてきた市街地はラサではない様だとの説明。
川筋に開けた土地があり、中央に塀で囲った立派な建物があり集落としては
1000軒〜2000軒位であろうか?チベットとしては大都市に見えるのだが・・・・
40分位すると、少し山並みが険しくなり、冠雪した山並みとなった。

  チベット高原!この景色がジェット機で1時間以上続いた。。  谷間にポツンポツンと集落が見える。

  氷河湖  ゴンパ(お寺)を中心に集落

氷河も見え、氷河湖も所々見えてくる。アルパインの女性添乗員の説明アナウンスが聞こえてきた。
『進行方向左側に見えて来ましたのがカンチェンジュンガ(8598m)隣がジャヌー(7710m)です。』
私たちは右側に座っているので、見えないがあこがれの『サガルマータ(エベレスト)』
右側に見えてくるはすだ。
そうなんです!この飛行ルートはチベットのラサ上空を飛んで、ヒマラヤ山脈を飛び越え
カトマンズに入る行程なのでうれしくなってこのコースを選んだのです。

行きも帰りも『サガルマータ(エベレスト)』をはじめ、世界の屋根の7000m以上の山並みを
堪能出来るはずなのである。
遂に右手前方に『サガルマータ』は見えて来ました。
冠雪は無く、少し黒っぽいおむすび型の山頂であった。
冠雪していたヌプツェ(7879m)・ローツェ(8511m)・マカルー(8481m)を従えていました。
山頂は笠雲がかかっており、山の頂きは少し見えずらかった。
我が飛行高度も10,000mなので、どちらかと言うと同じ目線で眺める事が出来、親しみを感じた。
ふもとから仰ぎ見るとまた違った感じかもしれないが・・・・。
あっという間にヒマラヤ山脈を飛び越えネパール側に入った。
ランタン山群、アンナプルナ山群も遠望出来る。

                            サガルマータ四景
                    中心雲を被っているのがサガルマータ
    

    

カトマンズ盆地は全体にもやっていて、地面はぼんやりとしか見えない。
何だか民間機としてはハイバンクで円を描いている様だ。下に見える景色は30分前と変わらない。
どうもランディング待ちの様だ。
7〜8年?前だったかカトマンズ空港を行き過ぎ山に激突した飛行機事故を思い出し、少し不安になる。
フラップをいっぱいに出しフレアー状態で直線飛行を始めた。
低いがまだ山並みの上である。カトマンズ空港は山に囲まれた空港か?
人々の家の屋根をかすめるように滑走路に入り、無事ランディング。
重慶から結局3時間半のフライトであった。重慶との時差2時間15分を時計を早くする。
重慶で30分遅れ、フライト時間4時間40分で結局現地時間到着AM10:30分であった。
カトマンズ空港は一見、日本の地方都市程度の大きさのターミナルビルであった。
パスポートをチェックする役人さんはマクドナルドの店員がかぶっている様な帽子に
オーバーやマフラーをしている。
私はそんなに寒くないのだが・・・・?
丸ごと一機のチャーター便のお客さんだからか、スイスイと通してくれる。
ターミナル前はお客を取ろうとタクシーの運転手らしいんが鵜の目鷹の目で声を掛けてくる。
私たちは少し離れた出迎えのバスに乗り込む。バスに乗り込む前に仲間のFさんが
着いてきた現地の男性に「100円・100円」と言われてポケットを探って支払っていた。
「何でしたか?」と聞いたらFさん「何だかよく分からんが100円と言っているのであげた」と
言っていた。100円とはかわいいものだが、ネパール第一歩のジャブを喰らった感じ・・・・。
ホテルは「ラジソンホテル」といってまずまずのホテルだ。
やっぱりカード式のカギで電灯スイッチ類はタッチパネルであった。
ロビーで田久和さん(ツアーリーダー)に今後の予定と荷物のパッキングの説明を受ける。
荷物はトレッキング中はホテルに預けておく物・自分で背負って行く物・
ポーターに預け、テントで受け取る物の3つにパッキングするよう言われた。
夕方まで自由行動なので、アサン地区(地元の商店街というか市場)を歩いて見ることにする。
とりあえず5,000円を3250ルピーに交換してもらう。ルピーに1.5倍すれば日本円である。
別に「路地に入ってはいけません」とか「バッグは手にしっかりと持ちましょう」とかの注意は
なかったのでたぶん安全なのであろう。



今日は12月30日。年末で土曜日なので結構地元の人出も多い様である。
大きい通りに横断歩道橋のある所から脇道の市場の通りに入って見る。
帰れなくなると困るのでとりあえず道は真っ直ぐに進む。
ところどころ道の交差点にお堂があり、そこから放射状に道が延びているので
迷いそうである。歩いている人々は3通り位は見分けられる。
 
   ネバール系の人・・・・・・色は朝黒く彫りが深く、眼光鋭いと言う感じ。よく見ると眼の奥は
                  殺気など無くよく澄んでいて、シャイで人の良さそうな感じ。
   チベット系の人・・・・・・・ まるっきり日本人と同じ顔つきで親しみが持てる。
   インド系の人・・・・・・・・・色は黒く目は大きく彫りが深い。私にとっては異国的。

子供達はみんなまつげが長く、澄んだひとみをしてかわいらしい。
歩いている人々に殺気じみたものは無くゆったりとしていて、しかもこびるところが無い。



商店はほとんど間口2m奥行2m位である。間口1.2m位のも沢山あり、人は店にはいれない。
地元の店なので、衣料品屋(セーター・ショール等) 生地屋・金物屋(鍋・釜から鍬・シャベル
そしてでっかいカギ等) 仏具屋(仏像や仏具等) 香辛料屋(ターメリック、その他沢山の香辛料が
ざるに山盛りしてある)
表通りのお店は電器屋、宝石屋、骨董品屋と何故かKodakのフィルム屋とFax・Eメール屋が目立った。
路上ではブルーシートを敷いてヤクの毛で編んだ手袋・帽子を商う人、安全カミソリ、歯ブラシ等並べて
いる人。腕時計を200ケばかり並べている人もいた。
そうそう人間ショーウインドも4〜5人見かけた。身体中に肩掛けカバンを20ケばかりぶら下げて
歩きながら売っている。結構お客さんがついている。
店舗費用が必要ない分安く売っているのか??
自転車に大きなカゴを前後に付け、ミカン・リンゴ・ざくろ等を売っている果物売り。
ポップコーンやピーナッツ、豆類を売っているおじさんもいる。
以上のお店は全て男性がやっている。そしてひとつの例外を除いて売り声ゼロであった。
女性がやっているお店は路上でカゴに入れたピーナッツ売り・みかん売り・いちご売りなどだ。
彼女達は売り声勇ましく、にぎやかにやっている。さすがどこに行っても女性はたくましい!!
よく分からんのはマッチ売りの老婆である。
ランドセル大の木の棚箱にマッチ・タバコ(一本売りの様だ口が開いている)
何やら分からん小さなラップされた物を、まるで商店街から離れた路上で売って?いた老婆である。
全部売っても1000円にもならない様な物であろうが、どうして食っているのか?
ホテルの近くだったので6〜7回同じ老婆を見たが、ついに客が居るのは見かけなかった。
市場で唯一声を掛けてくるのは、ヤクの毛で編んだセーターや帽子を売っているお店である。
「見るだけねー!」と声をかけてくる。
日本人がいつも言っているのを覚えて言っているのだろうが、誘いの言葉でも通用する。
結構日本語も通じるのでからかってみる。路地に入ってみた。

  カトマンズ(アサン地区)市場百景



放射状の角地に仏具屋がある。
店先に真鋳製の花瓶が置いてある。仏さん用のありがたそうな花瓶である。
嫁さん「あれに花を生けてみたい」と言い出しお店に入る。
観光客が寄る様な店でないので言葉が通じるか心配だが、とにかく入ってみる。
小さな仏さんから、仏具・花瓶など天井まで所狭しと積んである。間口2m奥行き2.5mの
普通のお店である。奥に店のおやじがあぐらをかいている。
若い店員がカタコトの英語らしいので話かけてくる。
花瓶を指差して出させ、奥のおやじに「ハウ マッチ?」
やおら、おやじはてんびん棒の秤に花瓶を乗せ電卓をたたき始めた。
どうやらこの店は重さで売るらしい。電卓を見せてくれた。1284である。
「ルピー?」と聞くとうなづいている。約¥2000である。
ガイドブックには、”まず値切ってみよう”と書いてあったので、嫁さん英語で「私たちはビンボーなので
もう少し負けてちょうだい」と言っている様だ。店のおやじの英語は通じるようで、カタコトの英語で
答えている。やおら電卓をはじいて1210ルピーを示してくれる。
おやじ「日本人か?」と聞いてきた。嫁さん「日本人よ。広島知ってる?アトミックボンブ」等と言っているが
おやじはあいまいな相槌をうっている。
面倒になって来たので、私がおやじの目を見て、1000ルピーの電卓を見せる。
1000ルピー札を出し、無理矢理渡そうとすると、気弱そうなおやじは「OK]と札を受け取る。
おやじの目つきは商売人の目つきではなかった。後で田久和さん(ツアーリーダー)に聞くと
「観光客相手のお店以外は日本と同じでまともな商売をしているので可愛そうだったかも・・・」
と言っていた。2割以上値切って可愛そうだったかな?

  目をつけたのは、一番下の花瓶  その花瓶見せて!ハウマッチ?

  ね〜。これ位にして〜。私たち貧乏なの・・・  1000ルピー提示したら、秤から降ろしたのであせった・・

夕食はフリーであったが、田久和さんがチベット料理に案内するとの事で、早めにホテルに帰る。
『トレッキング前は不用意に地元の食べ物を食べないで下さい。お腹をこわしたらトレッキング
出来なくなりますので・・・』と注意されていたので、食べ物の冒険は控える。
しゃぶしゃぶ用の鍋で食べるチベット料理であった。とりあえずたらふく食べた。

  チベット鍋料理。名前は忘れた!  旨いのか?まずいのか?




トレッキングの注意事項
ミーティングの注意事項で『現地の子供に物を与えない様にくれぐれも注意して下さい。
ついやりたくなるでしょうが、我慢して下さい。』
と釘をさされてしまった。
その辺の子供に直接渡すのでなく、現地のスタッフ達にあげようと思っていたのだが・・・。
『トレッキング終了後、不要になった物(シャツ・靴下・履物等)はサーダー(シェルパ頭)
通じて差し上げるので、その時、私に(田久和さん)預けて下さい』との事。
『子供に物を与えないのは、お国(ネパール)のお達しですか?』と聞いてところ
『いえ、アルパインツアサービス社の方針です。山の観光地になっているポカラでは
子供達が物をねだってくる。ひどいのはズボンをつかまえて離さない!』
アルパイン社はこの国を愛するが故に物乞い精神にしたくないとの思いでいっぱいのようだ。
ポカラはトレッキングの人達だけでなく、世界中からヒマラヤ山系を見に来る旅行者も多いので
子供の心までもゴミと一緒に汚してしまったのか・・・・。
30年以上の歴史を持つアルパインツアーサービス社はなかなか気骨のある会社と見た。
いっぺんにファンとなってしまった。現地スタッフの子供達にとおもちゃを買って来たのだが・・・
私の心のどこかに経済先進国のおごりがあったのかと、恥ずかしい思いをした。
おもちゃは素直に田久和さんに預ける事にした。

     

はっと47年前の小学校4年生の時の出来事がフラッシュバックした。
その頃、山口県の大島に住んでいた。
大島の玄関口である大島港桟橋駅近くで近所の1歳年下の「徹」と遊んでいた。
10m位向こうからアメリカ人(私服の進駐軍兵士)がキャラメルひと箱投げてよこした。
徹が走り出し拾らおうとした。私はおもわず『徹!!』と叫んでいた。
徹君はビクッとして、立ち止まった。私が何に怒って叫んだのか(拾うな!!)分かったらしい。
私は何故瞬時に大声を出したのか、自分でもよく分からんが、非常に大きな憤りを覚えたのだった。
たぶん、食べ物を投げてよこした物を拾って食べるのは、乞食と同じと瞬時に思ったのだろう。
すぐに怒りで身体が震えだした。(アメリカ人の出方もどんなか怖かったのかも・・・)
しかし、アメリカ人は恥ずかしそうに人ごみに消えて行った。
今でも忘れない。道に落ちていたのは『森永ミルクキャラメル』だった。
当時キャラメルをひと箱買って食べる等とは、子供達にとっては大いに贅沢な事であった。
自分のこづかい(正月か祭りの時しかもらえない)で買える物ではなかった。
それが、ポツンと道に落ちている!徹君も見つめている。
「おい!帰るど〜!」と意を決して徹をうながし『森永ミルクキャラメル』を道に残し走って帰った。
皆が貧しい時代ではあったが、子供心に誇らしい気持ちで帰ったことを鮮明に思い出した。