スーちゃんと稲垣夫婦のホームステイ日記

                                              愛子 記

2009年 1月
1月1日(木曜日) 2009年の幕明け
いよいよ2009年、平成21年の始まりだ。
昨夜息子達が下手な私の麻雀に付き合ってくれた。お陰で布団に入ったのは3時過ぎであった。
元旦に素晴しい夢を見たいものだとお布団にもぐりこんだが、全然初夢は見なかった。
今年も何事も無い平穏無事な年という事か。今の世の中何事も無いのはうれしい事かも・・・。
朝、10時過ぎに皆を起こす。お雑煮、お屠蘇、お刺身などお正月定番の食卓にみんなつく。
スーちゃんは主人と息子達からお年玉をもらって大喜びであった。
「明けましておめでとうございます」の主人の一声にお雑煮などにお箸をつける。
スーちゃんは汁物は大嫌いなので、お餅を焼いて黄な粉をまぶす。
私達ははまぐり、三つ葉のさっぱりしたお雑煮を頂く。久しぶりの息子達にと、北海道から取り寄せた毛がにが色を添える。
次男は昨夜遅かったので寝足りなかったか、朝食を終えるとそそくさと又二階に上がって行った。

スーちゃんと長男と私達は腹ごなしに近くの八幡神社に歩いて初詣に行く事にした。
ちらちらと雪が舞っているが、日もさしていてそれほど寒くはない。30分くらいで神社に着いた。
履物を脱いで社の中に入りお賽銭を投げると、神主さんが榊でおはらいをしてくださった。
スーちゃんも神妙な面持ちで頭を垂れている。
少し雨模様になってきたので家路を急ぐ。

元旦なのでスーちゃんがかねてから希望していた着物を着せようかと近所の呉服店の奥さんに電話する。
どうも今日は風邪気味なので寝ているという。明日なら大丈夫よとの返事なのでとりあえず電話を切る。
のらりくらりしているといつの間にか外は薄暗くなり元旦の一日も暮れようとしている。
今日で帰るという次男にタラバガニをちらつかせて引き止める。
どうも主人は子供達を相手にもう一晩ポンジャラジャラをしたいようである。
一年に一度しか顔をあわせないのだから・・・と仕方なく子供達も付き合って麻雀の場がまた開かれる。
夜遅くなったが、やはり帰るという次男を主人とスーちゃんが駅近くまで送っていく。
とりあえず私にとって元気な子供達の顔を見れたよいお正月であった。
1月2日(金曜日) スーちゃん着物を着る 
明日からインド旅行なので、ゆっくり出来るのは今日だけ。
近所の呉服屋さんの奥さんがスーちゃんに着物を着せてあげるよと言って頂いた。
大喜びのスーちゃんは早速髪をアップに整えて出かける準備をする。
パッちゃんもお正月に私が嫁いできたの振袖を着せた。朱赤でとっても良く似合っていた。
スーちゃんにはこの色はあまり似合いそうにないので別のグリーンの総絞りの振袖を持参。
帯は孔雀柄の刺繍の袋帯だ。
ところが、長じゅばんがいくら捜しても振袖用がない。
まあ、いいか!と呉服屋さんまで行ったが、やはり長さの違う袖はおかしいよと呉服屋さん。
自分の蘇州の刺繍の訪問着を出して来て「これにしなさい」とスーちゃんに着せて下さった。
それはスーちゃんの大好きなピンク地なので良く似合った。
「着物を着るために日本に来た!」というスーちゃんなので、心ウキウキだ。
ただ借りた着物なので、しっかり裾をあげて歩くのよ!と注意する。
自宅に戻り主人に見せつけるスーちゃん。
「かわいいでしょ!!」と言うと、着物の刺繍に目をやった主人は、「いい着物だなぁ〜!!!」と一言。
出かける時、ご近所の斉藤さんにスーちゃんの着物姿をみてもらう。
ここでもお年玉をもらったスーちゃんでした。他のご近所はお出かけのようであった。
「さあ、初詣に行こう!」と3人で駅近くの神社に詣でる。
着物を汚させたくないので、すぐ自宅に戻る積もりでいたのだが・・・・。

 さあ、初参りに行きましょう 私着物姿はどうですか? にきつ神社にて

   

おかあさん、写真撮ろう!!といい始めるスーちゃん。どうもその艶姿をスリランカに持って帰りたい様子。
それではとダイヤモンドシティの写真館に行って見る。きっとお客さんが多いだろうし、長時間待つことになるだろう。
あまり多かったら帰ろうねと言い聞かせる。
いつも大盛況の写真館だったが、すでに着物を着付けていて写真だけなので、一時間ほどで撮影してくれるという。
「それでは待とうか」とスタジオの中に入って待つことに。
その間、小さな子供の手を引いたお母さんや、孫に可愛い着物を着せて悦に入っている
おばあちゃん等大盛況の写真館である。
着物もそこで好きなのを選んで着る事が出来る。
スーちゃんは髪飾りを一つ選んでもらい大きな花を髪に付けて衣装室から出てきた。
ようやく順番になった。私もその様子を中に入ってみる事が出来る。
一番目の撮影は桜の花の下で赤い和傘をさして微笑む姿のポーズ。
2番目は座った姿勢で、肩越しに紅葉したもみじの葉がさし掛けられている。
そして3番目は障子のお部屋で座ったポーズのスーちゃん。
この3場面を撮影した後、パソコンに取り込んで見せるのである。
どれも欲しいスーちゃんはついに最初に思っていた撮影料3,250円を大幅に超過する金額を支払う羽目に。
お正月のお年玉は露と消えてしまい後悔する事しきりのスーちゃんであった。
主人にそれを報告すると、「なにが撮影料だけで済むものか!!そこは商売!良く考えてるよ!!」と笑われていた。
それでもスリランカへ持って帰る日本の思い出だから・・・と自分を慰めるスーちゃんであった。
インド旅行へ
1月3日(土曜日) インド旅行へ
朝方、近所のパラグライダー仲間の方の家(松代家)にスーちゃんと一週間分必要荷物を積み込んで預けに行く。
前もってAFS広島支部には預け先を連絡しておいた。
スーちゃんにとって一週間が長いか、短いか分からないが、とりあえず松代家にはいっちゃん、直ちゃんという
可愛い男の子が居るので、子供大好きのスーちゃんは退屈はしないだろう。
寒がりのスーちゃんは布団と毛布2枚に湯たんぽも2つ抱えて松代家に向った。
午後1時には私達が出かけるためにタクシーを呼んであるので急ぎ我家に戻り、私達の準備もしなければならない。
1月末が帰国のスーちゃんなので、スーちゃん宛ての郵便物などが来るので、留守の間でも家に帰ってみるから・・・と言っていた。
安心して留守が出来るというものだ。

さて1時に支度をして待っていると、5分前にはタクシーが到着した。
明日の朝10:00関西空港から出発なので今日の内に大阪に入っていなければならない。
大小合わせて二個のスーツケースを持ちいざ出発だ。
スーツケースの中身はお世話になるシュワクマールさんの親戚などへのお土産だ。
今回なぜインド旅行をする事になったかと言えば、実はこのシュワクマールさんという人は潟}ツダに勤めておられる方で、
私のボランティアクラブの日本語クラスへ生徒さんとして来られていた。
そして奥様(ママタさん)ともお友達になり、お付き合いするようになった。
彼らがお正月休みでインドに帰るのでいらっしゃいと言って頂いた事から、主人は乗り気になり行ってみようと計画を立て始めた。
なので、スーちゃんを預かる時も、来年のお正月に10日位旅行しますが、
それでもいいですか?とAFSさんにお許しを得ての上であった。
早いもので、とうとうそんな日がやってきたのか・・・早いなぁー。
「インド」と言えば”タージマハル”だが、あえて主人は観光地はいいので、
シュワクマールさんの田舎へ連れて行って下さいとお願いした。
シュワさんと奥さんのママタさんはインドの南、「バンガロール」という街に住んでおられる。
なのでバンガロール近郊に兄弟、親戚が沢山ある。
シュワさん一家は12月23日にインドに帰り、私達を待っていて下さっている。
さて、駅に着くとお正月の帰省客のラッシュで駅は混雑している。大阪までは立っていかなければならないだろう。
2時半過ぎのキップを買い、来た新幹線に乗り込み大阪へ。
おりしも帰省客ですし詰め状態の新幹線であった。お正月なんだから仕方ないなぁ〜・・・・。
1月4日(日曜日) いよいよ出発
私達の宿泊した新阪急ホテルは大阪駅から歩いてすぐの所。
関西空港にもホテルからリムジンバスが出ているので何かと便利がよい。
フィンランドに行った時もこのホテルを利用した。
明日は10時出発なので8時頃までには空港に行かないといけない。
今夜は早く夕食を済ませて休もう!とホテルのレストランで夕食を食べるべく下に降りてみたが、
ウインドウのメニューを見ると目が飛び出るほど高い。
ホテルを出て少しぶらぶらしてうどん屋さんを見つけたので、夕食はカレーうどんとなる。ホテルに戻り早々にベッドに入る。

今回携帯も何も持って来ていないので、部屋の目覚まし時計を不安な気持ちで6時にセットした。
緊張していたのかちゃんと6時前に起きる事が出来、6時55分発のリムジンで関西空港まで行く。所要時間は1時間弱である。
私達の飛行機はキャセイパシフィックなので、カウンターに行き手続きを済ませる。
一息ついたので、朝食を3階レストランで食べる。名店街を歩いていると、こんなところにも100円ショップがある。
旅の日記を書くために小さな手帳サイズのノートを買った。
9時半頃登場受付開始。満員のお客様は登場を済ませ出発を今や遅しと待っていると、
機内アナウンスで、「ただ今からタイヤの交換を致します。
おおよそ40分ばかり遅れます」と。 おいおい今になってタイヤ交換かぁ〜!!とあきれる。
タイヤ交換も無事終了したらしく、飛行機はトランジット先の香港に向けて出航した。
機内では早速、おつまみのピーナッツ一袋配られ、続いてドリンクは何にしましょう?と聞かれる。
スプライトとオレンジジュースをお願いする。次に本格的に機内食が目の前の小さな台に配られていく。
メニューは「チキン」か「うなぎ」を選び、茶そば、ポテトサラダ、パン一個、大福餅だ。そしてアイスクリームも出てきた。
食欲旺盛の主人はペロリと平らげていた。香港へは5時間あまりのフライトである。
香港でのトランジットの時間が10時間もあるのが問題だが・・・。

 香港にて:喫茶店でこれから始まるインド旅行に思いをはせる。 こんな太いストロー!初めて見たぞ。

さて空港についてからの私達は、10時間という途方もない待ち時間をどうしようかとベンチに座り考える。
そうだ、シュワクマールさんからアドバイス頂いたのだが、まず香港で円をルピーに換金しなければならない。
換金窓口には各国の通貨に対する換金のレートがボードに書いてある。とにかくここで換金しよう!と主人。
数字に全く弱い私なので主人におまかせだ。5万円ほどとりあえず変えようと言う。
換金した後で、なにやらぶつぶつ不平を言う主人。どうしたの?と聞くと、円を一旦香港ドルに変え、そして香港どるからインドルピーに
換金させられたらしい。二重に換金手数料を取られたと言う事か・・・・。結果5万円は19000インドルピーとなった。
夕食の為に香港ドルも残しておいたので、喫茶店でミルクティーとレンモンティーを飲み、後で90香港ドルの揚げ麺(ワンタンメン)と
45香港ドルのヌードルスープを食べる。コカコーラは10香港ドルだった。
夜21:50の出発までナンプレをしたり、本を読んだりして時間を潰す。そして日本時間11時いよいよバンガロールに向けての
搭乗手続きが始まり機上の人となる。
1月5日(月曜日) インド到着
香港からドラゴン航空にて無事インド南の空港「バンガロール空港」に到着した。今は真夜中であるが、5日の超早朝だ。
機内で配られた入国書類とパスポートをしっかり手に持ちインドへの入国となる。
次に預け荷物を受け取りシュワさんたちの待つ方へ向う。
入り口では十数人の人達が誰かを待っているのだろう何か書いてあるプラカードを掲げたり、手を振ったりして賑やかだ。
向こうの方にシュワクマールさんを見つけた主人は、あそこだ!と思わず笑顔になった。
見るとシュワクマールさん、ママタさん、そしてママタさんのお父さんの3人が出迎えに来て下さっていた。
お父さんは二本のバラの花を持ち、寒いのでショールを巻き一緒にこちらを見てニコニコされている。

 シュワクマールさん達来て下さってるかしら? インドで会えましたね!!良かった!

息子のダルシャン君は夜も遅い深夜なので、もうホテルで寝ているらしい。
旅行する4日間チャーターしたというトヨタのバンに荷物を積み乗り込んだ。
今夜のホテルはママタのお父さんが会員のホテルに向い今夜皆一緒に泊まる。
空港からバンガロール市内までは約1時間。深夜の高速道路をぶっ飛ばす運転手。
ホテルに着くと部屋の案内をシュワさんがしてくださり、シャワーの使い方、トイレの使い方など教えてもらう。
明日は少しゆっくりして9:30頃に出かけましょうと約束し分かれる。
シャワーが出ないし深夜なので、そのまま床に付く。
インドは暑いと思っていたが、天井には大きな扇風機が廻っているが、風が寒いくらいだ。
「止めようよ」と言うと「これは蚊よけなんだそうだ」と主人が聞いていたらしい。
寒いので置いてある毛布をかぶってベッドに入る。
何はともあれ無事にバンガロールに着いた事に安心してすぐに眠ってしまった。

朝8:00頃起床。
昨夜は天井の扇風機を回せば寒いくらいだったので、着ていた冬用のジャケットを羽織って寝た。
今バンガロールは冬の季節だそうだ。夜は寒いくらいだった。
ジャケットにくるまって小さくなって寝たので蚊に刺されることもなかった。扇風機も一番小さい風にしておいた。
昨夜は寒かったのでシャワーも使わずに寝た。朝起きた主人、シャワーを使うと言う。
ところがシャワーの穴からは3個くらいしか水が出ないのである。ちょぼちょぼ状態。
これでは寒いので風邪を引きそうである。
出かける準備が出来た事を一緒のホテルに泊まっているシュワさんに伝える。
さっそく出かける準備の出来たシュワさんとママタさんのお父さんが部屋の外で待っておられた。
町へ出てみましょう。町は始動開始時間で賑やかだった。
車、オートリキシャと呼ばれる3輪タクシー、人、そして牛も・・・・渾然一体となり行き交っている。

 ちょうど良い涼しさだよ。 天井で回る蚊よけの扇風機。

 向こうに朝食を食べるところが有るので行きましょう。 「インドはすごく興味ありますよー」と主人。

小さな立ち食い朝食店のような所へシュワさんは入った。メニューに写真がかかげられている。
どれにしたら良いか全くわからない。シュワさん達にお任せして注文してもらう。
やがてステンレス製の丸いお盆の様な器の中にパン風の食べ物とカレー風の食べ物がのっている。
白い主食のような食べ物は「イドィリー」というらしい。これにカレーを付けて食べる。
喉の渇いていた私は、やはりステンレス製のコップに入っていた水をググッと飲んだ。
そしてカレーを付けてイドゥリーを食べた。
カスカスしてあまり喉越しは良くないが、初めて食べるので物珍しさで食べた。
シュワさんはホテルで待っているダルシャン君とママタさんの為に持ち帰りの朝食も頼まれた様だ。
ホテルに戻りママタさん達は朝食を済ませる。

 どれどれ、何をたべるかなぁ〜・・・。 シュワさんたちお勧めの朝ごはん。 インドの人達はこんな朝ごはんを食べますよ。

次に向うのはママタさんのお父さんのお店である。
バンガロールの町にあり、もう50年もやっておられるとの事。そこにはママタさんの弟さんとその奥さんがおられた。
2軒間口くらいのお店で棚には学校の制服らしき物や、男性の下着、色とりどりの布の洋服などが重ねられていた。
ただ、ほこりがするのであろうか、商品の袋はほこりっぽかった。
町を歩いている人は皆はだしか、ぞうりのようなものを履いている。
私達もひとつ買いたいとお願いすると、2軒隣りの履物のお店に連れて行って下さった。主人と私の履物を買う。
日本ならばひとつひとつにちゃんと値札が付いているが、ここインドでは全く値札など付いていない。
お店の主人のさじ加減ひとつなのかな?

 真ん中のお店がママタのお父さんの店。 学校の制服や紳士用下着、女性サリー等・・・。 サンダルが欲しい・・・・

ママタさんのお父さんのお店を後にし、次に向ったのは「トムクール」問い小さな街。
ここはママタさんのお母さんの古里だそうだ。バンガロールから70km位の所だった。
そして、シュワクマールさんのお姉さん一家を尋ねる。
皆さん先生一家だそうだ。娘のアナーニャは小学校4年生。とても可愛い女の子だ。
ダルシャンを弟みたいに可愛がり愛らしい。こちらでは夕食を頂いた。
シュワさんが事前に私達の行く事を連絡しておられたようで、インド料理を作って待っていて下さった。
「ペニ」という春雨の上にパウダーシュガーと牛乳をかけていただく甘い食べ物だった。
カレーも美味しく、一緒にプーリーという主食も頂く。
これは耳たぶくらいの柔らかさの生地を10cm位に麺棒で伸ばし、油で揚げたものでカレーと一緒に頂く。
せっかく私達の為に沢山作って下さっていたので、頑張って沢山頂いた。
今日の行事は無事終了し、あらかじめ予約しておいてもらったホテルに送ってもらいホテルで落ち着く。
今夜はゆっくりシャワーを使って休もう。明日の朝再びこのシュワクマールさんのお姉さんの御家にお邪魔する予定だ。

 シュワクマールさんのお母さんとお姉さん。 インドの主食のひとつ”プーリー” 「よく日本から来てくれました!」と大歓迎。

1月6日(火曜日) 
朝起きて近くを散歩しようと主人。
朝早いのかまだ学生達は登校していない。あまり遠くへ行って迷ってはいけないので高歩きはしない事に。
ホテルに戻り待っていると、シュワクマールさんが迎えに来られた。
一緒に昨日伺ったシュワさんのお姉さんのおうちに伺い朝食を頂く。
今朝も私達の為にカレーと主食らしきナンを薄く焼いた様な朝食を準備して待っていて下さった。
沢山食べてね!と言う言葉に「トゥンバ トゥンバ チェナグレ!!」 (とっても美味しい) と
バカの一つ覚えみたいに繰り返しながら、お腹いっぱい頂いた。
自家製の蜂蜜シロップをかけると、甘くてとても美味しかった。
少し食べ過ぎたかなと思いつつ、お断りしても悪いので、勧められるがままに頂いた。
さて、今日はママタさんのお父さんが村の学校へ子供達の制服を寄贈されるので、その準備に余念がない。
シュワクマールさんは村の学校の校長先生なので、その事でいろいろ打ち合わせをしておられるようだ。
ようやく準備が整ったらしく出発だ。
4日間チャーターしたタクシーの運転手がホテルの前で待っていた。
村の学校へ行く前に、シュワクマールさんのもう一人のお姉さんのお家を訪ねる。
お姉さんは政府の保険関係の仕事をしておられるそうだ。
息子さんが二人おられ、私達の為に学校を遅らせて待っていて下さった。
お茶と甘いお菓子を頂いて出発する。

 シュワクマールさんのお姉さん一家と。 頭にジャスミンの花を飾ってもらい・・・・。

どんな所へ行くのか、どの位の時間走るのかまったく分からない。
田舎の学校なので、とにかくがたがた道をどの位走ったろうか?
2〜3時間あまり走り、田舎の小学校へ到着。
学校では子供達が部屋に集まり、男の子と女の子とが別々に固まって座っている。これから贈呈式が始まるらしい。
お偉いさんが子供達の前方にずらりと並び、私達もその端っこに座って下さいと指示された。
日本の式次第と同じ様な段取りがお偉いさんの間で話し合われていて、なかなか始まらない。
小一時間あまりしてやっと開始された。
子供達の前にずらりと鎮座したお偉方は次々に長い長い演説(一人30分以上)をぶち、
それでも子供達は騒ぎもせずに礼儀正しく聞いている。
演説の間、間にクラスの代表の生徒が寄贈される制服を取りに前に出てくる。
そんな式が延々と続き、シュワクマールさん、そして主人にも一言ご挨拶をと依頼される。
主人は子供達に「30年後は君達の世の中になる!!君達はインドの宝だ!!」と簡潔に言った。
それをシュワクマールさんがカンナダ語に約して伝えると、
「イエーツ!!!!」と子供達は一斉にこぶしを上に振り上げて叫んだ。
お偉方の長い長い演説より、一番子供達に分かりやすく理解してもらったようだった。
寄贈の式が2時間ばかりかかってようやく終わる頃、私は何だかお腹の調子がおかしいと気が付き始めた。
トイレに行きたいと子供達に伝えると、校舎の裏側の方に案内してくれた。でも出ない・・・。
村の学校に別れを告げ次の移動地に向う。子供達がタクシーの外でもぐれ付くように見送ってくれている。
子供達の目は生き生きとして、笑顔はとても明るく、くったくが無かった。
貧しそうに見えるが、きっと心は豊なのだろうと思った。

 こちらは男の子・・・ 町(村?)の名士がずらり・・。 制服をもらう女子生徒。

 目がキラキラして、明るい生徒達。 ママタさんのお父さんはあちらこちらの学校へ寄贈されている。

再びタクシーに乗り、どこへ向うのか・・・・お腹の調子が悪い私はだんだん不安になる。
舗装のしていない田舎の道をタクシーの運転手さんはけっこうスピードを出して走っている。
30分くらい走った頃、椰子の木の沢山生えている森に走っていく。
私達にココナッツやしの水を飲ませてくれるらしい。
走っている間どうにか我慢していた私だったが、この椰子林に来てもうダメー!!とばかり嘔吐が始まった。
皆さんが椰子の美味しい水を飲んでいるのを見ては嘔吐し、しばらく林の中を歩いては嘔吐した。
とにかく車に乗ってからではどうしようもない。
今のうちに出るものは皆出しておこうとばかり嘔吐。少し楽になった。
皆さんに心配してもらいつつ、兎に角今晩のホテルに向って戻っていく。
今夜はマイスールという街に泊まる。
 ココナッツ椰子の森で。 人なつっこい子牛。
 
1月7日(水曜日) 
マイスールの街の夜が明ける。私はあまり調子は良くない。
主人が日本から持って来た水あたりの薬を飲んだ。
少し昨日よりは楽になったようだが、あまり食欲はない。兎に角、水を飲みたい。
ペットボトルの水も本当はどこの水か分からないのだが・・・。買ったペットボトルでも蓋を開ける時、ギシッと音がしない。
ようするにどこかから汲んで来た水をペットボトルに入れて売っているのだ。
インド人達はしっかりお腹に抵抗力が付いているが、私達のような”やわ”なお腹ではたちまち下痢嘔吐となって現れる。
兎に角注意してシュワさん達の勧める水を飲むようにはしたのだが・・・・。
朝起きて町を散歩する事に。20分くらい歩くとマイスール大学があった。マイスール寺院にもお参りする。

今日はママタさんのお姉さんのおうちに伺うそうだ。
このマイスールの町の一等地に家があり、まだ新築3ケ月だそうで、4階建ての立派なお家だった。各部屋を見せて下さる。
やはりインドは暑い国なので、機能的に家は石造り。床は素足で気持ちの良い大理石だそうで、ひんやりしている。
見せてもらいながらびっくりしたが、新築3ケ月にもかかわらず、トイレの便座のボルトはガタガタとはずれかけているし、
バスタブには養生の為に貼っていた紙がこびりついて剥げなくなっている。
このようなことは日本では全く考えられない事だが・・・・。
また、中も外もはだしで歩くので、なんだか違和感がある。
子供二人で、今学校に行っているとの事で、お茶と朝食を頂いてから彼らに会いに行くとのこと。
朝食はイドィリーという米の粉で作ったお餅みたいな主食だった。喉越しが悪そうだが、やはりカレーを付けて頂くものだった。
私は今は全く何も胃が受け付けない。申し訳ない事だったが、暑い湯だけをお願いした。
そのお湯の美味しかった事。まずいペットボトルの水ばかり飲んでいたからだろうか?とても胃がうるおう気がした。
2時間ばかりおうちでゆっくりさせて頂いた後、また車に乗ると、どこともなく走り出す。

 新築3ケ月のママタさんのお姉さんの家。 皆で朝食を頂くも・・・・食べられない。 自慢の4階建ての家。

ママタさんの妹さん、そしてご主人も自分の車に乗り私達と一緒に出発。
どうやら息子とお嬢さんの学校へ私達を連れて行かれるらしい。
授業の終わる時間に、まずお嬢さんの学校へと向う。先にお父さんが行ってお嬢さんを待っておられる。
向こうのほうからお友達と一緒に私達の方へ向ってくるお嬢さん達に会う。
彼女の名前はテージャという。とても優秀なお嬢さんらしい。
カレッジに通っている。そして、息子さんのムシュナム君にも。
学校も終わったようなので、今日はこの町の大切なお祭りがあるというので、そのお寺に行く。
やはりインドはヒンズー教の国なんだなぁー・・・沢山沢山の人達がお花を供え、お祈りをしている。
こうして今日はママタさんのお姉さんに会い、お寺を巡り、一日を終えた。
やはり今日一日何も食べられず、ペットボトルの水だけで一日頑張った。
やはり体は正直なもので、水だけのんでいたら何とか耐える事も出来、そのほうが楽であった。
明日はどうだろうか・・・・。

 娘のテージャの学校へ行く。 娘のテージャ、息子のムスナム君と。
1月8日(木曜日) 
今日、明日はバンガロール市内のホテルに泊まる。(ジェミニさんのバンガロールのクラブホテルは良くなかった)
一日2700ルピー(5400円)だそうだ。日本ではその10倍くらい?だそうだ。
8時半起床。下のレストランで朝食。バイキング料理だ!と久しぶりに何か食べれるかな?と期待する。
ところが、バイキングを眺め回したが、まだこれを食べよう!!という食欲がわかない。殆ど食べられないのだ。
食べるとまだムカムカしそうなので、ティーをもらうも飲めず。29ルピー支払ってレストランを後にする。

11時にシュワさん達が来られるので、それまで街を散策する。
すでに朝の町はすごい風景だ。自転車、車、オートリキシャ、人が渾然一体となり行きかっている。
オートリキシャも自家用車もピーピー、プッープッー!!と警笛を鳴らしまくっている。
クラクションは当然!という感じだ。信号もあまりないのに、これであまり事故を見ないのが不思議なのであるが
まだインドに来て交通事故を見た事がない。阿吽の呼吸でみんな上手に行き交っているのだろうなぁ〜・・・。
ママタさんが言った。「インドで運転出来れば、世界どこに言っても大丈夫よ!!」と。なるほど納得だ。
ホテルに戻って待っていがると、シュワさんが迎えに来られた。そしてママタさんの弟さんの店に行く。
今日は学校は休みで、ムスリムの大きなお祭りがあるのだそうだ。
インドではスズキの車多く走っている。我らがマツダはスクールバスだけだそうだ。

 移動果物屋さん オートリキシャ ピーピー、プッープッー!!と警笛

町の中は活気付いている。荷車も小さなお店だ。
リンゴやオレンジがまるで三角のピラミッドのように積み上げられて売られている。
一番てっぺんから売りさばいていくのだろうか?そしてバナナ、トマト、ゴーヤ、きゅうりなどなど様々な野菜
果物が土の上に置かれた大きなかごの中に入れられて売られている。
きっと私達があの野菜を買って帰って食べたらたちまち嘔吐下痢症状を起こすのだろうなぁ〜・・・。
11時頃シュワクマールjさん達がホテルに来られた。今日はRADHA KRISHMA という寺院に行くそうだ。

寺院に着くと、靴を入り口で番号札と引き換えに預ける。
そして参拝の人々の列の後に付いて一番奥の神様の所までお経を唱えながら一歩づつ階段を上がりながら進んでいく。
「クリシュナ、クリシュナ、ハレー、ハレー、・・・・」と長いお経を唱えながら。
30分から40分かかって一番奥に到達。一握りのご飯のような食べ物を右手のひらに頂いて参拝する。
神様と食を共にするという意味だそうだ。
そして参拝が終わり、下に降りるとそこはいろいろな食べ物、甘いもの、インドの主食のようなもの、アイスクリーム等
沢山沢山売られていて人々はそこでまた立っていろいろ食べている。これは日本では見られない光景だ。
その寺院を後にし、ショッピングに行こうと出発する。

 RADHA KRISHMA 寺院 RADHA KRISHMA 寺院

運転手がガソリンが少なくなったと言う。ところがなんという事だ。今日はガソリンスタンドに山のようにバイクや車が並んでいる。
あげくには売るガソリンが無くなったと閉店してロープを張ったスタンドもある。
聞くと、ガソリン業界がストライキをして、ガソリンの供給がストップした為売るガソリンが無くなり、
かろうじてある店にお客が集中しているらしい。
運転手は心当たりのガソリンスタンドに走りまくり、目当てのスタンドに着いたがそこでもずらりとクルマ、バイクが列を作っている。
そしてけたたましくクラクションを鳴らしまくり我先にと列に割り込んだりしている。
大きなペットボトルにガソリンを売ってもらい、帰るお客もいる。
きれいに2列に並ぶことなくなだれこむので割り込まれた運転手は怒り大きな声をあげて叫んでいる。
私達の車の横からも割り込まれた。車なのでどうしようもない。
1時間ばかりならんで待ちようやく給油してもらった。それでもメーターの半分量、2000ルピー分だそうだ。
とりあえず安心して出発だ。
マイスール一番のデパートでお土産など物色。     
今日はガソリンスタンドのストライキを見て圧倒された。インドも大変なんだ!!
1月9日(金曜日) 
いよいよ今晩は帰れると思うと少し元気が出る。
ホテルの朝食も少し食べてみた。やはり喉が渇いて水分が欲しい。
バイキングなのでフレッシュそうなジュースを二杯飲んだ。少しパンも食べてみた。
ホテルのカウンターで近くにマーケットがあるか聞いてみた。
近くには無いのでタクシーでガンディー バザールへ行きなさいと教えられた。
ホテルのドアボーイが通りまで出てオートリキシャを止めてくれた。
英語が少し分かるようで、「ガンディ バザール」というと走り始めた。20分位走り、そのバザールに付いた。
ただ、私達の求めているお土産のようなものではなく、トマト、キューリ等といったものばかり売っている。
こんどはスーパーマーケットへ連れて行ってもらった。そこにはいろいろインド特有の豆類やココナッツなどいっぱいあった。
これだ!これだ!とばかり、日本で買えば高いカレーの食材が安価で売っている。
ヒヨコ豆、ココナッツパウダー、ガルバンソー豆香辛料各種を沢山買った。
主人もパラグライダーの友人達にと辛いお菓子類を買っていた。

オートリキシャの運転手に近くで見るような場所が会ったら連れて行ってと頼んでみた。
すると「BIG BULL TEMPLE」という寺院に案内してくれた。
20〜30分その寺院を散策する間リキシャの運転手は新聞を読みながら待ってくれていた。
そして私達が戻ると出発し、もう一箇所有名な寺院があるという。
そこは公園のようになっていて、いろいろな庭園や、小さな丘のような場所がある。
入り口に案内人が立っていて、250ルピーを払った。彼は私達を小高い丘に案内し、説明してくれた。
ところが、その頃からまた私のお腹の中で異変が。ムカムカして吐き気がくる。
案内人は主人と私の写真を撮ったり説明したりと頑張っていた。
そして、公園内を回る車に乗ればもっと沢山の場所が見られると言っている。
私はそれどころではない。いまにも吐きそうなのだ。
とにかくもういいから帰ろうと主人に頼む。
殆ど見ることなくオートリキシャに乗り込み、ホテルに急いでもらった。
部屋に戻るとベッドに倒れこみ、気分がおさまるのを待つ。
主人は今晩の為に荷造りをしている。薬を飲みしばらく眠る。

今日の午後、シュワクマールさんが予約して下さった主人と二人のミニツアーがあったが、とてもいけそうにない。
私はホテルに残るからシュワクマールさんと行ってきてと頼む。
とにかく今晩出発するまでに気分が落ち着かないといけない。
半日ここで休んでいればなんとか飛行機に乗れるかも・・・と主人に頼む。
それじゃー俺ははシュワクマールさんと行ってくると言い出かけて行った。
朝食で飲んだジュースも吐いてしまった。ホテルに戻っても何度も吐き気が起こる。もう何も吐くものはない。
それでも吐き気はおさまらない。そのうち熱も出る。頭が痛い。部屋の冷蔵庫でタオルを冷やし頭に当てる。
気持ちが良いのでうとうとと眠った。ああ・・・はやく帰りたい。
何時間か眠った。部屋のブザーがなる。主人が戻ったようだ。

少し眠ったので気分も良くなった。今夜は10時に空港へ行けばよい。それまでに最後に会うべき人がある。
お世話になったママタさんのお母さんとお父さんだ。気分はまだ完全ではないが、最後の元気を出して行こうと思う。
シュワクマールさんも大変心配して下さっている。とにかく今日で帰れるのだ。
しばらくしてホテルに迎えに来られたシュワさんとママタさんのお母さんの家へ伺う。
その後、シュワさんのお兄さん、ママタさんの家そして、もう一軒ママタさんの弟さんのお姉さん??
誰がだれかもうわからない状態だったが、連れて行かれるままにお会いする。
皆さんに別れを告げて、シュワクマールさんと空港へ向う。
明日は同じ時間にシュワクマールさん、ママタさんダルシャン君が日本へと戻る予定だ。
空港の入り口でシュワさんとお別れをする。
空港内で、ボードの案内を見る。出国手続きは遅れてはいないようだ。
どのカウンターなのか、空港内を歩いている係りの人に声をかけた。
すると、手に持っているリストを見て、私達の名前がちゃんと載っているのを確認、何番カウンターかを案内してくれた。
全ての手続きを済ませ、晴れて香港行きの飛行機へと乗り込んだ。
1月10日(土曜日) 帰国
香港に無事着くと、乗り継ぎなのでトランスファーのゲートを通り手荷物チェックをし、スルーする。
香港ドルが少しあったので、アイスクリームを食べ、一息ついた。
香港からは台湾経由となる。同じ飛行機なので降りなくてもいいのだが、一時間あるので降りて空港内のお店など見て歩いた。
一時間後、再び飛行機の乗り込み出発。いよいよ関西空港に向けて出発だ。

機内では毎度のようにジュース、機内食がだされるも、あまり食欲はない。 
主人がこれは美味しいよ食べてみたら?と言う。
水餃子のようなものだった。一口食べてみた。美味しい!二、三個食べた。
関西空港は19時45分着。ああ!!日本へ帰ったのだ!と気持ちが晴れやかになった。やっぱり日本が一番いい!!!
リムジンバスで大阪駅へ。新阪急ホテルの前で降り、新大阪駅まで電車に乗る。
新幹線は夜9時29分だ。少し時間があるのでおうどんを食べる。久しぶりの日本の味だ。おいしいい!!!!
3日に大阪に来るときの満員電車とは打って変わってガラガラの新幹線で、手足伸ばして広島へと戻る。
まだまだお腹に力が入らないが、お茶漬け、梅干で少しづつお腹がいつもの調子を取り戻してきた。
やはり白いご飯にお漬物、梅干が一番だ!!!
日本の食べ物にしみじみとあり難さを感じ、いとおしささえ感じた私であった。
我家に戻り、畑に行った時、大根が私に呼びかけていると思った。
このまま大根を引き抜いて、がりがりと食べたい衝動に駆られてしまった。
インドでは生の野菜などは殆ど食べない。きっと全くと言っていいほど食べない。
だからだろうか?野菜がとても食べたいと思った。
インドの人達は野菜も全てカレーにしてたべるようだが、ビタミンはどういった形で取るのかなぁ〜・・・・。
いづれにしても、今回も私は食べ物トラブルであまり楽しいという旅行にはならなかったが、外国に行って思うことは、
やはり日本のきれいさ、便利の良さ、人の人情の厚さなど当たり前と思うことがいかにありがたい事かを思った。
インドにはインドの良さがあるだろうが、そこまで感じるには至らなかったが、子供達の目がとてもきれいだった事は心に残っている。
笑顔もとっても可愛く、明るかったのは救われた。
主人はいつものように、なんでも見て、食べて、感じたようだ。
1月26日(月曜日) スーちゃん初めてのスキー
先週の23日金曜日を最後にスーちゃんの瀬戸内高校生活が終了した。
帰国が近いので、いろいろの準備の為、もう登校しなくてもよいのだ。
スーちゃんの準備はまだ何にも出来ていない。彼女の部屋はまだ荷造りどころか、何にも手が付けていない。
まだまだ日にちはあると思っている様だ。
やっぱりお尻に火が付かないと動かないスーちゃんだ。
さて、今日は前々から楽しみにしていたスキーに行く日だ。近場の寒曳山スキー場に行く事にした。
朝7時起床。スーちゃんの好きな朝ドラ「だんだん」を見て出発する。
途中の高速でタイヤ「チェーンを巻く。しばらく雪の無い道路を走る。
アテンザはノーマルタイヤなので仕方が無い。ノロノロと他の車を気にしながら遠慮して走る。
今日はウイークデーなので車が少ないので良かった。
一時間あまりでスキー場近くの村に入る。すっかり雪景色で、山も木も田んぼも家も綿帽子をかぶった雪景色だ。
スーちゃんの人生にとってまったく初めての景色。大きな目をくりくりさせ、キャーキャー言っている。
もう興奮しまくりだ。とくに家の屋根に10センチ近くも積もった真っ白い雪に何と言ってよいか分からない状態の様子。
とうとうスキー場手前で道路に下りて歩いておいでと主人。雪と戯れている。
後ろを車が来たらいけないので、早々に車に乗って発車。程なくスキー場に到着だ。

スキーウエアーや道具一式を借りなければならないので、受付の所へ行く。
何もかも初めてなので戸惑うスーちゃんだったが、ウエアーや靴、スキー道具を足に合わせて全て借りた。
私達もスキー道具は全部借りる。
スキー板にかっちりはまる靴なので、歩くには凄く難しい。それにも戸惑うスーちゃんである。
早速スキー板に靴を嵌める練習。とりあえず一番上のフラットなところへ行こうとチケットを買う。
リフトに乗ろうと行ったところ、スキー板を嵌めて下さいと言われてしまった。
板を付けて出ないとリフトに乗せてくれない。ところがスーちゃんはまだ板を嵌めて歩く事も出来ない。
下のフラットな所でとりあえず歩けるようになるまでの練習だ。
何度も何度も転びながら練習を繰り返す。一旦転ぶと主人と私の二人係でも起こす事が出来ない。
スーちゃんも自分の大きな(お尻)体を持て余している。
無理やり起こしたりすると足を捻挫しそうである。とにかく転んで起きる事も練習。
1時間ばかり練習し、何とか前に進めるようになった。
リフトにしっかり主人が付いて乗せる。係員さんにも全くの初心者である事をしっかり伝える。
その後ろを私もリフトに乗って追う。
私もそんなに上手いわけではないが、なんとか転ばずには谷を滑り降りる事が出来る。
リフトに乗り一番上のフラットの丘まで上がる。

 初めてのスキーだよ!なんだか不安・・・・。 「おかあさん、面倒みてね!」 「おとうさんもよろしくね!」

雪を生れて始めて見、スキー板というままならない長い物を足に付け、泣きたくなりそうなスーちゃんだ。
主人の手ほどきで斜めの斜面に板を直角に食い込ませて登っていく練習だ。
それが出来るようになったら、少しづつ斜めに滑っていく練習。
ところが斜めに滑っていく事がどうしても出来ないスーちゃん。いつの間にか直滑降で滑って降りていく。
そして止まる時はお尻をついて止まる。
それを繰り返している。何度も何度も尻滑りを繰り返すうち、なんとか自力で起き上がれるようになった。
直滑降で猛スピードを出して降りて行くスーちゃんを見ているとこちらが恐くなる。
他の人にぶつからなければ良いが・・・・。

午前中の稽古は終了。真ん中のリフト近くのレストランで昼食だ。
少し遅く行ったので、バイキングのメニューがだいぶ少なくなっていたがスーちゃんの大好きなカレーがあり、
大喜びでたらふく食べていた。
午後からの練習は「もうイヤだ!!」と言うかな?と思っていたが、案外そうでもなく、
また元気にリフトで上がると言うではないか!
一日リフト券も買ったので、主人と私は交互にスーちゃんの面倒見ながら、滑っては降りた。
雪も時々は激しく降り、スーちゃんは帽子が無かったので、髪はびちゃびちゃになってしまったが、そんな事はお構いなし。
頑張って相変わらず直滑降で果敢に滑って降りてはお尻でブレーキをかけていた。
あまり暗くならないうちに帰ろうと、4時頃には下に降りた。
雪の写真を沢山撮り、思う存分雪と戯れたスーちゃんだったが、「私の留学生活で最高の日だった!!」と言っていた。
その言葉に連れて行ってやって良かったと主人と私は満足だった。
帰る途中のサービスエリアで夕食を食べ無事に今日のスキー遠足は大満足の内に暮れていった。

 「あ〜ぁ、楽しかった!!」 ここで滑ったよ!!! 「うあ〜!!おとぎの国みたい!!!」
1月29日(木曜日) スーちゃんクラスメートとお別れ会
ああ、いよいよあさって31日帰国となるスーちゃん。
仲の良かったクラスメートの美穂ちゃん達数人我家に最後のお別れに来ると連絡があったらしい。
お友達の中には帰国の朝、バイトや部活などで見送りに来れないお友達もいる。
なので我家で夕食を一緒にしてすーちゃんとの時間を過ごしたいらしい。
我家の近所で、野球部のマネージャーの美穂ちゃん、こんどAFSのボランティアに参加した丸ちゃん、そしてホズちゃん・・・など
沢山の仲の良いお友達が出来たスーちゃん、最後のスリランカカレーでおもてなしする事に。
皆さんの来られる前に、私達のインド旅行の間、10日間のホストファミリーをして下さった近所の松代玲子さんが
5才の直ちゃんを連れてスーちゃんにお別れを言いに来られた。
直ちゃんはもっと我家に居たいと言うので、お母さんの玲子さんは直ちゃんを置いて帰っていかれた。

夕方7時過ぎ、8人のお友達の皆さんが我家に揃う。雨の中皆さんわざわざ来てくださり、私もとてもうれしかった。
朝からスリランカのカレー(もどき)を作り、準備をしておいたので、食卓のお手伝いも皆さん手伝ってくださる。
二階から重い座卓を降ろす。これも元気な皆さんがお手伝いして下さる。
ナスを小さく切って油で揚げたものと玉ねぎをスライスして油で炒めたものにケチャップであえたもの。
ガルバンソーという豆のカレー。ひよこ豆をやわらかくゆでて、ココナッツで炊いたもの等、
兎に角スリランカは全ての食材がカレーとなるのである。
ご飯はターメリックを入れ炊き上がると黄色でとてもきれいで食欲をそそる。
その黄色に炊き上がったご飯とカレーを混ぜて手で食べるのだ。
皆さんペロリと食べ尽くしてしまった。

 「みんなの事忘れないよ!!」 丸ちゃんと。楽しかったね! 松代直君といっちゃん。おねえちゃんに抱かれてご満悦。

 みんなできっとスリランカに行くからねー! 私達も忘れないから、スーちゃんも覚えていてね。 野球部マネージャーの美穂ちゃん。すーちゃんと大の仲良し

そして担任の清水先生の言付けられたミニヨンのケーキが沢山!!!甘いものは別腹!!
食べ盛りのお友達は可愛いケーキに再びスカートのホックを緩めながらぺろり平らげてしまった。
そして夜も更けて来て、女の子なので、あまり遅くなるとお家で心配される。
時間を見計らって最後に一言づつスーちゃんにお別れの言葉を言ってもらう。
皆さんスーちゃんとの思い出や、クラスで人気者だったスーちゃんがスリランカに帰ってしまうことを惜しんでくださっている。
そしてきっと皆でスリランカに行くからね!!とお約束する。
近所の美穂ちゃんと直君を私が送って行き、主人はボンゴフレンディで7人の皆さんを駅方面に送り届ける。スーちゃんも同行だ。
土曜日に駅に見送りに来て下さるお友達もいる。今日でお別れのお友達もいる。
それぞれにお別れを惜しみつつ、帰国を前にしたスーちゃんの寂しさはつのったようだ。。
1月30日(金曜日) スーちゃん帰国荷造り
笑っても泣いてもスーちゃんは明日の朝我家を後にし、帰国の途につくのだ。
まだ全然荷造りをしていないスーちゃんだったが、ようやくやる気になったようだ。
主人に手伝ってもらい、スーツケースに詰め込んだ。
午前中でほぼ終わったので、午後から100円ショップに行って来ると出かけて行った。
荷造りをしたものの、入りきらない物がなんと沢山あることか。仕方なく船便にて送る事にしたようだ。
夕方欲しかったアルバムを買ったといって帰宅した。

今晩は最後の夜なのだが、あれ嫌いこれ嫌いと食べず嫌いのスーちゃんには特別の晩餐はしてやれない。
スーちゃんの一番好きなギョーザがちょこんとお皿に乗ったつましい晩餐となってしまった。
思い出せば、ホアンの時はこれまたのんびりやのホアンだったので、夜を徹して荷造りをした。
持って来た大きなスーツケースに梱包の上手な主人がほぼ荷造りを終えたのは夜が白々明けた頃だった。
朝5時過ぎ頃、「おかあさん、バイクで近所を一回りしよう!」と言い、バイクの後ろに私を乗せ、
いつもの通った道をバス停まで往復した。  それがホアンとの別れの朝だった。
そして私がプレゼントしたコンポをリュックサックに背負いコロンビアに帰国して行った。
帰国の前日には、広島市内の料亭で3人だけの食事をした。
ホアンの国コロンビアでは生の魚を食べる習慣は無い。
なので思い出にと水槽から上げてすぐのイカの活き造りを食べさせた。
舌に吸い付くようなイカに目を白黒させながら、お品書きを見て値段の高さにびっくりし、
無理やりでも食べた!というホアンであった。
きっとあのような生の魚を食べる日本人がどれほどか野蛮に見えたであろうなぁ〜・・・。

タイのパッちゃんの時は別れの朝に、パッちゃんの最後のお願いを聞いてあげようというと、
やはり3人で最後の食事をしたいと言った。  そして、駅近くの焼肉店で食事をした。
スーちゃんは刺身をとても気味悪がって食べないし、とにかく食べ物に関しては頑固すぎるところがあるので、
何も特別な事をする気持ちにならなかった。
なので、こんな平凡な夜になってしまったのだが・・・。
明日の朝は10時6分の新幹線なので、我家を9時前には出ようと伝える。
皆さんお別れに来て下さるので、一時間前には駅に行かないといけない。
もう玄関に全て出して置きなさいと命令する。
いつもとは少し早めに11時頃床につく。
1月31日(土曜日) スーちゃん帰国の途に
朝6時半過ぎに起床。私がバタバタするので目が覚めたようだ。
スーちゃんも起きて準備している。
朝ごはんを食べ、いつもの朝ドラを見る。
今朝はやらなければならないことがある。
スーちゃんが我家に来た時、近所の方にも紹介の為連れて回った。
着物を着たお正月も見ていただくために近所にお披露目に。そしてちゃっかりお年玉も頂いたりした。
今朝帰国する事を伝える為近所数軒にお別れの挨拶に回る。近所へのお別れも終わり、9時近くなった。

駅ではお友達は学校の先生方、お世話になった前にホストファミリーの方も来られているだろう。
なので私はここでお別れをする。 スーちゃんにその事を伝える。
そして前々からスーちゃんのお土産にと刺し子の壁掛けを作っていたのを「これはお母さんからね」と差し出す。
その刺し子の壁掛けはスーちゃんに「これは私のお友達に頼まれてるの」と嘘を言って作っていたもので、
スーちゃんの大好きな舞妓さんの絵の刺し子模様だ。
ひと針、ひと針丁寧に刺して作ったもので、それを見たスーちゃんは思わず目から涙が溢れ出した。
主人もおれもここでお別れだよとスーちゃんにハグする。

荷物を積み込みいざ出発。車の中ではまだなみだ目のスーちゃんが居た。
そして私が書いた手紙を渡す。
この中にはスーちゃんが私に預けた船便で出すための代金一万円を入れておいた。
「おかあさん、これはなぁ〜に?」という。
手紙を読みなさいと言うと、私と主人の思いが分かったのかまた泣きじゃくり始めた。
スーちゃんは「平和スピーチ」で優勝した時の5万円を手付かずでスリランカに持って帰る積もりだった。
図書券を現金に換金してやった。
その中から私に船賃として一万円預けたのだったが、スーちゃんの思いだけ受け取り、船賃はみてやることにした。
「お母さん、ありがとうございます・・・」となきじゃくりながら礼をいうスーちゃんだった。
5万円といえば、スリランカではお父さんの2ケ月分の給料なのだ。
日本に来る為に両親はスーツをつくり、民族衣装を作ってもらい沢山の準備の為に大散財された事だろう。
日本に来る時に、おこづかいと言って3万円を持たせられたらしい。
それはスリランカの両親にとっては「このくらいあれば・・・・」と娘に持たせたお金だっただろうが、スーちゃんも日本に来て
その3万円があっという間に消えてしまう金額だった事にびっくりしたという。
ほぼ10倍、10分の一なのだからなぁ・・・・。
幸い、日本には100円ショップという彼らの強い見方のお店が有る事を知り、必要な文房具などは100円ショップに走ったという。
頑張って極力お金を無駄遣いしないように頑張ったようだ。なのでその5万円も絶対最後まで使おうとしなかった。
そんな点でも随分大人になったスーちゃんであったに違いない。
駅に着くと朝早いので、駐車場もすぐに留められた。
新幹線口から2階に上がっていくと、既にAFSスタッフの方や今日一緒に東京に行くジョン君も来ていた。

 今日一緒に帰るジョン君と 前のホストファミリー繁本さん一家もお見送りに駆けつけて・・・。 AFS支部長他スタッフさん達。

 スーちゃんの大好きな世界史の先生、英語の先生と。 いつも丁寧に指導して下さった日本史の先生。 「いやだ〜、スリランカへ帰りたくない・・・・

ジョン君は8月に来日、わずか半年の日本の留学生活だったけれど、すっかり日本びいきになったようで、
「必ず日本にもう一度来て京都の大学へ行きます」と熱く語っていた。
今日は土曜日なのだが、瀬戸内高校のお友達は部活やアルバイトで来れなかった。
美穂ちゃん、丸ちゃん、など3人が駆けつけてくれた。
スーちゃんは先生にも大人気だったので、日本史の先生や英語の先生、世界史の先生が朝早くから来て下さった。
昨日はスーちゃんと仲良しだったベトナムのチャンが東京へと帰国の途についた。
東京で奨学金を頂いている会社にお礼に行くので一日早く東京へと出発した。
10時過ぎ新幹線到着のアナウンスがホームにひびく。スーちゃんは感極まって涙・涙・涙・だ。
顔は涙でぐしょぐしょだ。外国の列車と違って日本では一分でも遅れようものなら大騒動となる。
きっちり定刻通りお客様が乗り込むと、無情にも扉はピシャリと締まり出発の合図とともに列車は走り去っていった。

皆さんにご挨拶をし、私と主人は我家へと戻る。
我家にはまだスーちゃんの船便の荷物が部屋に山のように積まれている。
この荷物を出してしまえば私達の任務もはれて終了だ。
なんだか肩の荷が下りてほっとしたというのが今の心境である。
主人?さあて娘を嫁にでも出したような心境だろうか???
ただ、スーちゃんのひとつの欠点で、何事においてもあまり関心が無いのだ。
なので、家にいても、あまり会話がはずむという事が無かった。
この事は弁舌豊な主人を少しがっかりさせた事だった。
外見は明るく朗らかそうなスーちゃんだが、我家では至って静かな女の子であった。
自分から話題を提供して話をしようと言う事もなかったので、1時間でも2時間でもしずかな時間が流れていた。
なので、今スーちゃんが帰国してしまっても主人にはあまり変化はなさそうだ。
そしてまた淡々とした毎日の時間が私達に流れている。