北海道放浪一人旅 その2


その1 6月26日〜7月9日
その2 7月10日〜7月19日

2009年 6月〜7月   
7月10日(金曜日)
朝1時にはトイレで目が覚めウツラウツラする。3時過ぎには本日登山の人は起き始めた。
マイクロバス1便が8名ばかり乗せて出発。
第2便は、私ともう一人の女性と二人であった。
女性は斉藤さんといい、新潟県から車で一人で来ているそうだ。
100名山を目指しており、あと11座を残すのみで、北海道は利尻山が手始めだ。
70歳くらいで、山は単独行を専らとしているそうだ。
相当体力、気力に自信がないと山の単独行は無理である。
私は昨年嫁さんと大雪山系の黒岳に登っただけで、登山は一年振りである。
利尻山北峰は標高1719mであるが、2.5合目位から登り始めるので相当きつい山である。
独立峰で頂上に行く程急勾配となる。往復で10時間かかるそうである。
おまけに本日の天気予報は曇りである。おそらく山は一日中ガスに覆われているだろう。
無理して登る必要もないので「私は長官山(1218m)まで行けばベストです」と斉藤さんに伝えた。
もともと、利尻富士に登山する気はなかったので、何も持たずに来た。
風呂道具を入れるナップザックに飲料水1.5リットルとチョコレートお菓子と宿で作ってもらった弁当だけ。
靴はパラ靴。ステッキ無し。雨具は昨日求めたレインコート。ベテラン登山者から見れば顰蹙ものであろうと反省。

斉藤さんは12年前から100名山を目指す人なのでパワーはあるはずなのだが、私を前に歩かせて
おだてたりすかしたりで、私は思いのほかスムースに登ってしまった。
登山口を朝4:00出発で利尻山山頂に9時30分に到着。(所要時間、5時間30分)
私としては、思いもかけず早いペースで登ってしまった。
私が一人で登ったのであればきっと長官山で下山したであろう。
5合目くらいまでは少しはガスが無い時もあったが、7合目以上はずっと雲の中であり、唯黙々と登る。
尾根上は雲が吹きつけ、帽子からはポタポタと水滴が滴り落ちる。
街の気温は15℃だから山頂は5℃位であろう。
私の3280円のレインコートもギリギリ役目を果たしてくれている。
斉藤さんの装備は本格的な登山用なのでビクともしない。ステッキも2本用意している。
山頂はさえぎるものも無く10mくらいの風が吹きつけ、ズボンも濡れてきて寒い。
山頂の神社にお礼を言って、記念写真を撮って5分間山頂に居て下山し始める。

7合目過ぎた頃から私の膝が痛み出した。
何せ山道は火山礫で滑りやすく、粘土質の所もあって滑らないようにと膝と腰に思わず力が入る。
遂に右足の膝が悲鳴を上げ出した。右足に力を入れないようにするのだが、腰が痛くなってきた。

斉藤さんには「先に降りて下さい」とお願いしたのだが、ゆっくりした足取りで同行してもらい、心強かった。
結局下りは4時間30分も、かかってしまった。
1年振りの登山なんて少し年を考えないとなぁ・・・。

 利尻富士 同行してもらった斉藤さん 山頂だぞ〜

登山口近くの利尻温泉に入り1時間ばかり腰湯を使うも痛みはとれない。
利尻温泉の露天風呂でも「もう民主党しかなかんべ〜」の声が聞こえてくる・・・
露天風呂で小泉元首相がこんな離島に来島の話題で盛り上がっている。
「武部がやっきになってんべー」「でも今度はダメだんべー」
「今回は民主党だんべぇ〜」「一回やらせなばなんねえ」

17:30分発のフェリーで利尻島とお別れ。今夜は稚内港で車中泊。
7月11日(土曜日)
朝コンビニにおむすびを買いに行く。歩けるようになったが未だ膝や腰が痛い。
そうだ、先日入った稚内「童夢」温泉で一日過ごそう。
入浴料600円なのだが、受付はホテル化と思うほどである。
浴槽はいくつもあり休息室、仮眠室、カラオケ室、食堂もあり、立派な施設だ。
ここは最北端の温泉と銘打っており、説明文も英語とロシア語があった。サハリンからの観光客も来るのだろう。
とにかく、今日はゆっくりとここで一日過ごそう!
頑張って1時間風呂に入って一時間休んだり本を読んだりを3回ばかり繰り返したが15時30分にはギブアップ。
さて今度はどこを目指そうか?
北海道に来ていて3ヶ月も滞在している人は、一箇所で一週間も滞在するらしいのだが・・・
いらっちで貧乏性の私は一日同じ所に滞在するのが難しい。
とにかく出発しよう。

宗谷岬を横目で見ながらスルー。238号線を南下。
猿払原野はさすが広そうで15kmくらい先に山が見える。
牧草地が延々続いている。ここらの農家は未だサイロを所有している。今まで殆どサイロは見なかった。
クッチャロ湖近くのベニヤ原生花園の看板があったので左折し海岸方面に行く。
駐車場があり案内所があったが、17時すぎているので締まっている。
車一台も見えず気温14℃の海からの風は半ズボンには寒い。

 夕方5時宗谷岬。21℃でした さるふつ村の道の駅 さるふつ村の道の駅似合った化石の岩石 

 ベニア原生花園 ベニア原生花園から見た、重なった4連の風力発電風車

海岸線を離れ275号線に入り内陸部を走る。鹿の飛び出しに注意の看板がある。
鹿の親子に2度、キタキツネに3度会った。
鹿は子連れの為かすぐには茂みに入れず、道路を渡ろうか?どうしようか?と路肩でウロウロする。
鹿の行動は予測できそうに無い。確かに危ない。猛スピードで鹿をはねれば、車も事故になるだろう。

中頓別から音威子府に到着し、先日通った40号線に合流。
ここの道の駅は寂しすぎ車一台いない。まだ19時過ぎなのでこのまま走ろう。
美深を過ぎ名寄に到着。20時30分なので嫁さんに定期報告の電話を入れる。
今日稚内の温泉でゆっくりしたのに、もう少し走ろうと遂に深川の「ライスランド深川」まで来てしまった。
同じ道の駅に来てしまうのだが、ここのトイレはウオシュレットなのでついつい来てしまう。
結局今日も、夕方稚内を出発して深川まで走ってしまった。
23:30着。車中泊。
7月12日(日曜日)
いささか疲れたので8時過ぎまで寝てしまった。併設されているコンビニでむすびを買う。
9時に新保さんに電話するとすでにカムイスキーリンクスに行っていた。
私も到着すると今日は天気予報もよくて、行ってみると20名近くのフライヤーが参集していた。
札幌や標津、釧路、名寄など遠方から飛びに来ている。
この3年の間にメジャーなエリアになったものだ。
新保さんや渡部さんの地道な活動(草刈やビジターさんへのしっかりした対応)の賜物であろう。
札幌の富永さん夫婦は、長尾さんと電話で話して私の情報も聞いていたようだ。
先週顔を合わせた人も何人か居るので多くの人と話をさせてもらった。

2本ほどぶっ飛び。高塚さんが彼女を連れてきており、今日初タンデムをした。
彼女はフライヤーではないのだが、パラグライダーを理解しようと本日の初タンデムとなった次第。
その心根が嬉しいと高塚さんは言っていた。

 高塚さんの彼女 彼女は初めてのタンデムフライト

3時半に皆さんとお別れする。
十勝岳近くは未だ行ってないので、十勝岳温泉を目指す。
いつも通る度に気になっていたカムイコタンに寄ってみる。国鉄の古い駅舎があった。
竹井さんから電話あり。おやじ連中が寂しがっているので早く帰れとのこと。

美瑛町の「ぜるぶの丘」で500円払ってカートに乗り、花畑を散策。
今を盛りと、赤や黄色や紫の縞模様があでやかである。

 ぜるぶの丘の花畑  

美瑛町から966号線に入り、吹上温泉を目指す。
途中、普通の住宅のような目立たない手打ちそば屋(狐狸庵)が有ったので、大盛りそばを食べる。
そば屋のオヤジは3年前に店を開いた山男であった。
山が好きで、ゴミゴミした東京から逃げ出してきた。
あまりに辺鄙な所に出店したので、冬場は半分は店を閉じているらしい。
山登り三昧できると思っていたが、まだ一度しか山に行ってないそうだ。
無酸素単独行の植村直巳を尊敬していると言っていた。
寄ってたかっての機械や人の手助けの三浦雄一郎の登山はね〜と批判を言っていた。
1時間ばかり話し込む。

吹上温泉に18時半頃着き、そば屋のおやじに聞いたとおり、無料の露天風呂が2つあった。
上のほうは熱いと聞いていたので、そちらに行くと、地元のおじさん3人ほど入っていた。
何度くらいですかと聞くと49℃との事。
温度計を持ってきていたので湯口の51℃は間違いない。
10秒から15秒もはいると、我慢できない。なぜか足先が火傷するほど熱い。
おじさんはさくらんぼを洗面器一杯持っていて、食べろ食べろと勧めてくれる。
どこから来たの?と聞いてくれるので、広島からとかパラとか、何やかや説明した。
地元のおばさんも一人入ってきた。そう!混浴なのである!
結局7回ほど湯船には浸かった。
今夜10時頃もう一度風呂に入りに来れば、星がすごくきれいだと教えてくれた。
(どんなに考えても49℃は熱すぎて入れないので、おじさんにちょっとからかわれたのだろう)

 吹上温泉の無料露天風呂(無料)下段の低温の湯

日記も書かないといけないし、十勝岳温泉の凌雲閣まであがり、291号線を下がってきて、上富良野町。
今夜はどこで寝ようかなぁ・・・・。

あ!!今日は日曜日だ!
1000円割引を使おう!
38号線を走り滝川ICから道央自動車道に乗る。
夜11時55分に札幌JCTを通過。
有珠山SA迄走って車中泊。
今日も走り回ってしまったなあ〜
7月13日(月曜日)
有珠山SA6時出発。早朝からここは風が強い。
8時過ぎ函館に着いて安い青函フェリーを調べると夕方しかあいてないそうだ。
16000円で乗れる大間行き(東日本フェリー)とする。大間には11時過ぎに到着する。
下風呂温泉郷に寄って昼食を取る事にする。
「あさの食堂(すし屋)」にてマグロ丼を注文。
大間のマグロと説明してあったが2500円とはねえ〜。ちなみに、うに丼も2500円!
マグロ丼は2500円の美味しさとは思えなかった。
マグロ丼の2500円は美味しさのバロメーターでなく、希少価値(不漁の為)のバロメーターであった。
まだうに丼のほうが美味かったと思う。
久しぶりに新聞を見る。東京都議選で民主党が圧勝したことが一面を飾っている。
政権交代が可能になる小選挙区制の機能が発揮される事になることだろう。
我々下々の民衆には、もう限界が来た様に思う。

 <下風呂温泉郷 新湯 7月13日の朝刊

下風呂温泉郷に公衆風呂があるのかを聞いたらあるという。
教えてもらった公衆風呂(新湯)は古い木造建物で洗い場の床も湯船も木造であった。
但し湯船は強化プラスティックで被ってあった。
地元の人3人ばかりが入っていた。300円也。

小雨が降っている。八甲田山の酸ケ湯温泉を目指す。
279号⇒394号⇒103号を走る。八甲田山麓に近づくと嵐になった。
木々の枝や木の葉が強風で飛んでいる。木々には幹から揺れている。
私のボンゴフレンディも揺れている。転倒すると怖いのでゆっくりゆっくり走る。
傘松峠(1024m)を越えるといきなり雲中になった。時々車も走ってくるのでますます危ない。

何とか酸ケ湯温泉に到着。ここは湯治客が多いと聞く。
日帰り入浴600円のキップを買う。フロントで渡そうとすると、「浴室でお願いします」との事だ。
浴室には誰も居ず、箱が置いてありここに入れてくださいという事だ。
山の中なので、日帰り客はあまりおらず湯池客が多いのか?
それにしてもおおらかな事だ。湯舟は熱湯(20m×10m)4分6分の湯(40m×20m)の二つだけである。
混浴で湯舟の淵の中間に棒が2本建ててあり、棒の裏、表に男女と書いてある。
湯舟は一つだが、一応男女のエリアは分けていると言う事か・・・。
男客10名ばかり、女客2名であった。酸性度2HPで、なかなか入れる湯でないので、1時間ばかり出たり入ったりした。

夕方5時半出発。
山中行はいかにも危ない(枝も飛んでくる)ので、街へ降りる事にした。
嵐は黒石市まで降りて来て少しは納まったが、強風が吹いている。
東北自動車道に乗って津軽PAのコンビニで弁当を買い食事しながら日記を書く。
日記を書いている今(夕方7時)も湯疲れが出ている。
100km以内で降りて通勤割引を使うぞ。
道の駅「鹿角」で車中泊。
7月14日(火曜日)
6時に道の駅「鹿角」を出発。コンビニで弁当を買う。
昨年入れなかった新玉川温泉に行ってみよう。
途中山道を走っていると「ニッコウキスゲ」の黄色が目に飛び込んできた。
木道も見えるので引き返して駐車場に入れる。外は寒いのでレインコートの上着を着る。
大場谷地園地の案内板があった。
朝7時頃は当然誰も居ない。整備された木道が続いていた。
残念ながら「ニッコウキスゲ」も「ワタスゲ」も昨夜の嵐で花びらは吹き飛ばされ、ワタスゲは濡れていた。
700m位木道は続いていた。木道が終わり山道となった。
先程の看板に一人では歩かないようにと注意があった。火山ガスの危険かな?引き返していると
70歳過ぎの秋田弁の男性が写真を撮っていた。少し話し込む。
先週は北海道ニセコに行ってじゃがいも畑の白い花を撮ってきたそうだ。
雨で煙っていたので羊蹄山は写せなかったらしい。
3日前「ニッコーキスゲ」と「ワタスゲ」が満開で、黄色と白色のコントラストが素晴しいと聞いたので
写真を撮りに来たのですが、残念ですと言っていた。
一時間ばかり過ごして、新玉川温泉に向う。

 大場谷地園地の案内板  ニッコーキスゲ 

 ガスが発生してきた ガスに包まれ墨絵の世界に・・・ ワタスゲ

 

新玉川温泉は湯治客の為の宿であるが、玉川温泉よりは新しく立派であった。入浴料600円のキップを買う。
こちらの温泉は酸性度が高いせいか(pH1.2)湯殿はすべて木造りである。柱も天井も湯舟も床も立派な秋田杉を使ってある。
手洗いの縁も3cmもある一枚板の杉板である。さすが秋田杉の産地である。
PHは1.2で毎分8400リットルの湧出量で98℃の源泉である。ここは混浴なし。
100%源泉と50%源泉の両方ある。皮膚の弱い人は50%の湯舟のようだ。
昨年と同じように飲んでみる。「コップに20分1くらいに源泉を入れ、あとは水で薄めて飲んでください」
「飲んだ後はうがいをして下さい」と注意書きがある。
PH1.2の源泉はどうだった?と少しなめてみる。えくぼの裏からキューとつばが出てきた。
酢ではないが、鉱物的すっぱさで美味しくは無い。
100%源泉とは・・・こんなものに身を沈めているのか・・・・。
西日本では絶対に入れる湯でないので粘って入るぞ!!
時々水をかぶって頑張る。床の下に98℃の源泉を流す蒸し湯やミストサウナに入る。
頭浸湯といって10cmの深さに仰向けに寝転がり丸太が転がしてあり、
そこに首をあてて、頭は30cm位の所につけるのである。
ついでに顔も浸してやろうとタオルに源泉を浸して蒸しタオルとする。
2〜3回タオルを取り替えると顔がヒリヒリしてきた。体の中で一番強い皮膚が顔だと思っていたのに・・・。
南極の50℃にも耐える面(ツラ)の皮なのにである。
体で微妙で繊細な薄い皮膚は所々にあるのに、面の皮が2〜3回源泉蒸しタオルでヒリヒリするとは・・・・。
(風呂から上がって1時間ばかりすると2〜3ケ処がヒリヒリしてきた)
カウンターの脇に自由に使えるパソコンがあったので、掲示板をチェックし高塚さんの返事を書く。
天気が良くなったので10:40分出発。

  新玉川温泉

東北電力の澄川地熱発電所に寄る。相当高い所(道路から標高で300mは上がった)にPR館はあった。
朝が早いので当然客は居ない。受付のお姉さんが所在なさそうに座っている。
一通り見て子供の頃から疑問だった事を聞いてみた。
太陽はH⇒HEの核融合反応でエネルギーを出している。
地球の内部の熱は地球生成時のエネルギーが残っているだけで、今は冷え続けているのかなぁー。
お姉さんは「専門外なので良く分かりませんが、反応熱なんでしょう・・・」と言った。
地球の内部は鉄が中心で外側は岩石など溶けたもののはずだった?(50年前の記憶は定かでない)
全世界で地球にストロー突っ込んでエネルギーを吸うと、大地が冷えて寒冷化が進むのかな?
使用した熱水は地中に戻すと説明があったので大丈夫か?
イタンキ浜で??さんに聞いた話だと、水素を取り出すのはアルミ微粉末と水を反応させれば簡単らしい。
唯、制御が大変らしいと聞いた。それと水素の貯蔵と取り出しが簡単でない。
とにかく石油がなくなるのは目に見えているのだから、日本人の英知を振り絞って新エネルギーを開発して欲しいものだ。
経済効果、経営効果のみで研究機関をしぼる小泉改革を見直して基礎研究に重点的に費用を投入してもらいたいものだ。
アメリカの研究機関には何故あんなにもお金が潤沢にあるのだろうか?
シンガポールの政府も世界から優秀な若者を集めているとテレビで言っていたなぁ〜。
日本政府も、せめて日本の優秀な研究者が海外流出するくらいは止めて欲しいものだ。
世界中の優秀な研究者が「日本は安全で優しく住みやすいので日本で居住し、研究しよう」と
言ってくれる環境を整えたらいいのになぁ〜。
研究施設や環境に相当の投資は必要だが、それしか日本に残されている道は無いと思うのだが・・・・。
地熱発電所でエネルギーについていろいろ考えさせられた。

 

八幡平アスピーテラインに入る。八幡平のビジターセンターがあったので寄ってみる。
最近はビデオが沢山用意されていて、テーマ別に見ることが出来る。
ボタン一つ押せばいいので展示物には時間をかけないで安直なビデオ鑑賞が多い。
3〜4ケ処見ると1時間はすぐにたってしまう。小部屋で長椅子があり、八幡平の自然のビデオがあったので
寝転がって見ていたら、思わず30分ばかり寝入ってしまった。新玉川温泉の朝風呂が効いたらしい。
ビジターセンター裏100m行った所に泥火山(別府でいうところの海ぼうず)があるというので、行ってみた。
何気ない茂みの中でボコボコと粘土と硫黄臭い蒸気が湧き上がっている。
観光資源でなく自然観察してくださいという感じがほっとする。

 泥火山 

八幡平のビジターセンターをあとにし、しばらくジグザグの坂道を走ると、八幡平に到着。
結構観光バスも駐車していた。レストランに土産物売り場)に立ち寄っても仕方ないので
無料の方の駐車場でビデオを廻して下り始める。
先程地図を見て岩手山の山麓を巡る八幡平樹海ラインを走ろうと思っていたが分かれ道を見落としたらしい。
八幡平アスピーテラインを1/3位下がっていたのであるが、Uターンして
もう一度頂上のレストハウスまで戻ると分かれ道はあった。
藤七温泉への案内板だけだったので、見落とした。
まだ大きな雪渓が残っていて、その下が藤七温泉の源泉で、雄大な湯煙が上がっている。
更に下ると「太古の息吹」と言う看板があった。
道路下の斜面から90℃のお湯が噴出していた。
岩手山の山容は美しい。特に山頂に向って裾野から上がっていくラインが女性的でいい。

 八幡平の大深沢展望台  この看板を見落とした

 道路工事のような看板 しかも手書きの看板 90℃のお湯は熱かった

4号線を下がって盛岡市に入る。イオンスーパーの看板があったので迷いながら到着。
飲み物など調達。コンビにはどこにもあって重宝している。(ゴミを捨てられるのがうれしい)
スーパーは安いのが嬉しい。イオン内の出店でアクセサリーと一緒にハンチング帽子を売っていたので買う。(1995円也)
最近若者の間で(しかも女性にも男性にも)はやってきた。
おしゃれで種類も豊富になってきたが、専門店しか売ってなく、3〜5000円位とえらく高くなってしまった。
5〜6年前は1000円くらいで衣料品屋に売っていたのに。20年来の愛好者としては腹立たしいかぎりだ。
大体ハンチングはヨーロッパでは労働者が被っていたし、(映画で見た事がある)日本では土建屋のオヤジが被っていた。
私に似合う帽子はハンチングしか無く、20年来かぶっていたのである。
若者のおしゃれな帽子として定着してきた事は、私にとって嬉しいような(流行の最先端)恥ずかしいような(オヤジが若ぶって)
腹立たしいような(高価になった)複雑の気持ちである。

4号線に出るのに同じ道を通らず、感で走らせたら、住宅地に入り込んでしまい、方向が分からなくなった。
若い時は遠くの山を見て自分がどこにいるか分かったのであるが・・・。最近はその能力が失われて来ている。
結局迷走していて、盛岡市の端に来ていた。
もう一度4号線を南下。途中昭和29年創業幸楽苑ラーメンの看板があったので、立ち寄る。
昭和の文字を見てノスタルジーを感じる時代になってしまったのか・・・・。(平成になって21年だものなぁ・・・)
ここのラーメン屋は昭和29年の時代のラーメンを食べさせるというのが売りであるのだが、
貧乏な時代のラーメンはたべたくないので、ネギラーメン(塩味)を注文。麺は自家製とかで、こしがあって美味しかった。

4号線から343号線に水沢の道の駅があるのだが、地図で見るような分岐点に行き着かない。
最近はバイパスを作るので古い地図には載ってなく、分岐点が分からず、引き返したりした。
343号線に入っても、田んぼばかりの道になり、不安でコンビニで飲み物を買って聞いたら、もう少し先の様だ。
しばらく走ったのだが、看板が見えない。もう一度地図で確認しようとコンビにに戻って地図を見ると、
道の駅の少し向こうが高速道路である。
高速道路はまだ過ぎていないので、もう一度引き返すとようやく看板があった。
夜11時過ぎで駐車場には他県ナンバーの車は無く、えらくさびしい所にあるようだ。
トイレ(大)に入ると、自動点滅で赤外線センサーなのであろう。便座に座っていると、自動的に電気が消え、真っ暗になった。
真夜中に真っ暗な中、便器に座っているのも面白いといえ、不安になる。
手を振ってみた。すると電気は点いた。手を振り振り続けトイレを済ませた。
外は雨。車中泊。
7月15日(水曜日)
今日は大学時代の同級生の松森さん(女性)を訪ねる事にしている。
彼女は60才まで先生をやり、還暦にしてNPO法人のグループホームを立ち上げたのである。
「どんなものになっているかチェックに行くから」と言ってあった。「良ければ私の予約を入れておく!」とも・・・・。

8時頃起きだし気持ちのいい風に吹かれながら道の駅の東屋で日記を書いていると、
自転車旅行の中年の男性が声をかけてきた。
静岡から2週間でここまで来たようだ。46歳で派遣切りにあい、思うところあって自転車旅行に出たらしい。
9月には一応静岡に帰ろうと思うが行き先は決めてないと言ったので、北海道行きを勧める。
1時間以上彼の話やら私の話をする。
最後に「迷ったら何も考えず体を動かして見ることです。日常生活で見えているのに見えなかったことが
ポッと見えてくることがありますよ!」と励ましにならない励ましを言って分かれる。
これから先の、人とのいい出会いが有ります様に!!

松森さんはまだ現役で働いているので、早くから電話をするのもためらわれ、
帰りのルートを検討したり、コンビニで遅い朝食をとって11時頃рキる。
343号線の道の駅を説明するも、良く分からないようだ。藤橋の名称で了解。
グループホームへの道順を説明してくれるのだが、さっぱり要領をえない。
大体グループホームの住所もまだ聞いていないのである。
お互い自分の思い込みだけで話をしている事に気づかない前期高齢者の二人である。
電話口の隣の人が「「迎えに行ってあげたらー!」と言ったのであろう「今から行くので待っていて」と言って電話を切る。
北上川の堤防を少し歩く。太田川より大きく水量も豊富だった。
先日からの雨で水はにごって、数多く歌われた北上川とはちょっと趣が違った。
橋脚には過去の台風のときの水量がマークしてあった。
キャサリン台風とか、外国女性の名前の台風なので相当昔の事である。

  大きな川幅の北上川 橋脚には過去の台風のときの水量

程なく松森さんが車で来てくれ、彼女の後をついてグループホーム「はいらん家」に到着。
松森さんのおばさんが1町6反の田んぼと屋敷を残してくれたので社会への恩返しとして、グループホームを始めたようだ。
何とか無事に5年間が過ぎ、新規をお断りするほど盛況なのだが、経営はぎりぎりだそうだ。
ボランティアの人からも力も借りていてもいるそうで、経営は楽ではないらしい。
彼女は理事長をやっているのだが、週に半分くらいしか来れず、あとは岩手県の代表を努めたり、
社会福祉協議会の役員を務めたりで、多忙なようだ。

 松森さん経営のグループホーム おばさんから頂いた農家を建て替えた

13時頃分かれ45号線を南下。前沢市で前沢牛レストランの「牛の里」看板が目に入る。豪勢な昼食をやらかそうと入店。
おそるおそるメニューを開くと、ステーキが15,760円とある。あせってメニューの後ろを開くと1050円のメニューもあった。
落ち着きを取り戻し、ステーキ丼が1050円と3150円があったので3150円のを注文した。
ご飯の上にステーキの厚さとはほど遠い薄い肉が乗せてある。
肉は柔らかく(薄いせいもあるが)タレも上品で肉丼を食べている感じはなく、何だかスルスルと胃の中へ入っていった。
今回の旅で一番高い昼食であった。まずは納得の昼食ではあった。

 前沢牛レストランの「牛の里」看板 ステーキ丼3150円也

地図を見て蔵王高原が目に飛び込んできた。よし、今日は蔵王高原で涼しく寝てやろう。
4時頃古川ICで高速道に乗る。山形蔵王ICまで99kmで通勤割引が使えるぞ。
5時半頃山形市に入り、今日は未だ温泉に入ってないので地図を捜す。
蔵王にはくさるほど温泉はあるが、ホテルでは日帰り客は5時でお断りというのがある。
蔵王に行く途中、山形市のはずれに飯田温泉があった。
13号線を南下し脇道を5分ばかり走ったら小さな小さな看板が電柱にかかっていた。
通り過ごしたのでUターンして右折し、500mくらい走って旅館があった。
温泉街があるのかと思ったのだが、この宿一軒のみである。
玄関間口は広いのだが、小さなカウンターには灯りも点いてない。
ベルがあったので叩いてみるも小さな音で聞こえそうに無い。少し廊下を歩いていくと館内案内図があった。
2階まで部屋数は15部屋くらいと大広間がある。やはりカウンターは先程のところだ。
カウンターの脇の調理室に人影が見えるので声をかける。
昔は美人だっただろう小柄な初老の女将が出てきた。入浴料300円を廊下で渡す。
先に立って浴室まで案内してくれた。指差して「あそこが風呂です」と言わないのは
ちゃんとした旅館の女将であったのだろう。
湯舟は1間×2間位の大きさで、5人も入れば(足を伸ばせば)いっぱいである。
湯は美人の湯系でちょっと熱かったがいい湯だった。300円だが、旅館なのでシャンプーなども用意してあるのはうれしい。
公衆浴場(温泉)は石鹸は置いてない。
駐車場には乗用車が2台しか止まっていない。バスが一台止まっていた。おそらくバスの運転手達が泊まる宿なのだろう。

 昔は大いに流行っただろう飯田温泉

温泉にも入って元気が出たので蔵王高原に行くぞ!!
蔵王高原ライン21号を上がって行き、山形市内の見渡せる駐車場で嫁さんに電話して掲示板に書き込んでもらう。
21号線を行くと、蔵王温泉郷であった。まだ53号線を通って12号線に出ないといけない。
53号線はドンドン下るばかりの道である。山の中だしちょっと不安になる。ようやく12号線にぶつかり蔵王高原に上がるようだ。
21時半頃蔵王高原の看板が見えて施設の看板やペンションの看板があるので左折し、
NTT坊平無線局の空き地に駐車し、車中泊。

 蔵王高原の坊平キャンプ場。ここで車中泊 
7月16日(木曜日)
6時半起床。外は寒い。
今日は刈田岳(お釜)に行ってみたいと思うが、雲底が低い。もう少し様子を見ようと日記を書き始める。
ますます雲底は下がってくる。未だ人は動き出さないが駐車場があると思うので行って待つことにしよう。
7時半出発。案の定すぐに雲中ドライブになってきた。視界は15〜20mはあるので30km/hで走る。
すれ違う車は無い。峠で宮城県の看板有り少し行くとお釜行きのリフトの駐車場があったので左折。
駐車場にはそれでも3台の車が止まっていた。当然リフトは動いていない。
枯葉マークの車の登山スタイルのおじさんと話をする。
「今日の予報は晴れ、降水確率は10%で9時頃には晴れると思うのだけど」と、少し聴き取りにくい山形弁で話してくれた。
私もリフトの動く9時頃まで待ってみよう。今回の旅で初めて湯を沸かし、焼きそばを作った。
外は10m/sec以上の風が吹いているし寒い。車の中で少し窓を開け湯を沸かす。
9時頃食べ終わっておじさんに「晴れそうに無いですね〜」と声を掛ける。
先程6人の若い登山者が雲中に消えて行った。おじさんに聞くと湘南ナンバーの車で来た人で、屏風岳に登ると言っていたという。
「この気象条件では危ないよ」と注意すると「前に登った事がある」と6人のパーティは出かけたそうだ。
ちょっと無謀ですね〜と言い合って寒いので車に入っていると、20分くらいして先程のパーティが帰ってきた。良かった!良かった!
おじさんも車で下山したので、私も下山する。

 お釜へのリフト乗り場 今回の旅で初めて湯を沸かす やきそば出来上がり!

遠刈田(とうがった)温泉郷の公衆風呂「神の湯」に入る。新しい設備で床も湯舟も黒御影石であった。
300円はありがたい。ぬるい湯41℃〜42℃。熱い湯44℃から45℃とあった。熱い湯は本当に熱くて入れなかった。
すると吹上温泉の露天風呂の上の段の49℃は違ったのかも・・・。
地元のおじさんにからかわれたのかも・・・・。湯口の湯は確かに51℃だったのだが・・・・。

  

遠刈田温泉を後に走っていると12号線だった。引き返して457号線を走るとこけし館があったので入ってみる。
こけしは鳴子が有名だが、遠刈田のこけしの方が古いらしい。
私の子供の頃の温泉地のお土産の定番はこけしだった。
可愛いこけしを一つ求めた。

 こけしの産地は沢山ある 東北地方のこけしが展示してあった 

457号線を走り、南蔵王七ケ宿線の51号線を走る。
113号線を右に切り米沢市に入る。
宮坂考古館の看板が見えたので入ってみる。上杉謙信、景勝や直江兼続や前田慶次の鎧兜が展示されていた。
別館には火縄銃も展示されていた。ちょうど団体客が入ってきたので、説明が聞けてよかった。

 <宮坂考古館の看板

米沢市を過ぎ、裏磐梯をめざす。最上川源流の立て札があった。
ここ吾妻山山系には白猿がいるらしい。看板が出ていた。
白布峠は1350mあり、けっこう寒かった。

 最上川源流の立て札  白布峠

眼下に桧原湖、小野川湖、秋元湖が望める。くねくねと坂を下ると桧原湖に出た。
湖に添って走っていくと裏磐梯のリゾート地に出た。
大きなホテルやペンションが数多く立ち並んでいる。
こんな所に滞在するのはいやなので、磐梯ゴールドラインをめざす。有料道路だった。
頂上付近で寝ることが出来ないかも・・・・。ゲートを閉められてもつまらんしなぁ・・・。
裏磐梯道の駅に立ち寄ってみるも、何もないところだった。携帯のアンテナが建っていない。
そのまま桧原湖を一周しようと廻り始める。

4/5位廻って桧原地区があり、公衆浴場の看板が見えたので立ち寄る。村外者は400円也。
風呂に浸かりながら一人のおじさん(60才?)と話をする。
「村の人ですか?」と聞くと「子供の頃ここで育った。今は商売で時々こちらに来る」「農機具や除雪機などを扱っている」
「広島も2度行った。サタケに用があった」など福島なまりなので、何度も聞き返して会話が成り立った。
「子供の頃は木地造り(こけしやお椀や盆)や炭焼きが盛んだった。昭和40年頃は高原野菜の大根で儲けた。
しかし連作障害で今はダメになった。人口も1/3になって過疎になってしまった」どこの農村も荒果てている。
若い人にとって魅力のある農業て何だろう?
離農家の土地の活用を考えないとそのうち米まで輸入する事になるだろう。百姓は一年に一回しか経験出来ない。
40年続けても40回しか米作りが出来ないのだ。百姓の後継者もおいそれとはいかないのに・・・・。

今日はこの桧原地区の公衆浴場脇で車中泊にする。
一応公衆浴場のおばさんに車に寝るのでびっくりしないでと伝えた。

 裏磐梯案内図 桧原地区の公衆浴場 近接して診療所があった
7月17日(金曜日)
6時起床。桧原湖畔は朝靄が晴れかかっている。
風は無く湖面は鏡のようで対岸の景色を映している。
朝早くからバス釣りの人が湖に立っている。

 バス釣り人 桧原湖の朝靄 無風で桧原湖面は鏡のよう

静かな湖畔を結局一周半して磐梯ゴールドラインの料金所で730円払う。
管理人に聞くと、朝6時から夜7:00までで夜はフリーだそうだ。もう少し早く来ればよかった。
料金を取るので眺望は素晴しいかと思ったが立ち木も切ってないので裏磐梯は良く見えなかった。
峠を越えて表磐梯側は見晴らし台を作ってあり、猪苗代湖も良く見える。あっという間にゴールドラインは終了。

 裏磐梯  

せっかく会津若松に来たのだから飯森山の白虎隊の少年達に会いに行こう。
街中に入ってしまい少し迷ったが、飯森山への案内はいたるところにあった。
土産物屋の無料駐車場があったので止めさせてもらう。動く歩道が250円だったので、利用する。
白虎隊の少年達の墓や自刃の地を巡る。武士道精神にのっとりそれなりに筋を通したのだが、
世の移り変わりには付いていけず悲惨な運命をたどる事になる。
そして「北の零年」にと続いてゆくのである。生き残った者も辛酸をなめたのである。
土産物屋は老夫婦がやっていた。店に入ってもほったらかしで、オヤジは外で広い駐車場を掃除している。
他の駐車場も無料と書いてあるのだが小屋があって係員がいる。
みやげ物の案内をするのだろう。うるさくないこの店の駐車場に止めてよかった。
無料も可愛そうなので「什の掟」のてぬぐいを(400円)買い求める。
「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」など7ケ条のなりませぬが書いてある。
最後に「ならぬものはならぬものです」とある。年寄りの言い草である。
しかしダメな事はダメです」と言えるはっきり言う年寄りも少なくなってきたなぁ〜。
テレビのバラエティ番組でもディベートはやりである。
「あ〜言えばこう言う」風潮で、真実なるものの輝きが薄れて来ている気がする。
白虎隊の少年達が現代に蘇ったら腰を抜かすだろうなぁ〜・・・・。

 飯森山の案内板  

9時半に磐越道に出る。北陸道⇒上信越道を走り11:30頃長野県の妙高SAで大休止。
本日はここに泊まって1000円割引を使う積り。午後は雨が降り出す。
早坂茂三著「権力の司祭たち」を(ブックオフで100円)を一冊読了。
20年前に書かれた自民党の首相達の権力闘争や、人物批評が面白い。
権力の中枢に居たものから見た視点も面白い。現在生き延びているのは小沢一郎くらいなのだが・・・。
同じSAで昼食と夕食をとったのは初めての経験。今朝温泉に入っておくべきだった。
この旅行中毎日温泉に入るという目標は崩れてしまった!
妙高SAにて車中泊。

 妙高SAで昼からずうっと本を読んで過ごした
7月18日(土曜日)
今日は二人共大学時代の同級生で結婚した小林夫妻を訪ねることにしている。
須坂のリンゴ農家で2年前にも泊めてもらった。今はブドウが主であるそうだ。
妙高SAにて6時起床。昨夜は夜通し雨が降った。今は小雨。
須坂明徳エリアで飛ぼうと思っていたのだが無理。
本州に渡ってからは梅雨に突入したので毎日雨模様である。仕方ない!

今日も温泉三昧しよう。とりあえず近くの渋湯田中温泉郷に行き一番古い渋温泉に行く。
外湯は9つあるが、一番有名な大湯に入る。泉源は酸化鉄を含んでおり赤く濁っている。
2間四方の湯殿に1.5間四方の木造の湯舟があり、廻りは木張りで10mm位隙間が開いている。
蛇口は一切なく、洗い場が無いのである。湯舟に浸るだけの風呂である。
湯口に50cm四方の枡から樋で湯舟に熱い湯が流れてくる。木片でせき止めてあり湯舟には少ししか入ってこない。
殆どがあふれ出ている。あふれた熱い湯は木造の床の下を流れていく。
熱い蒸気が上がってくるので床に寝転がっていると蒸し風呂のようで気持ちいい。
腰の痛いところに蒸気を当てると温熱灸のようで具合がいい。1時間以上入っていた。
近くに野猿公苑があった。テレビによく登場する「真冬にサルたちが温泉に浸っている」あの露天風呂である。
駐車場から歩いて30分だったので雨も降っているし、やめた。

 渋温泉の「大湯」 一番有名な大湯に入る 街のマンホールは野猿公苑だった

山に行けば志賀高原なので、何も見えない雲中なのだが一応行ってみる。
12時頃到着したが、雲中なので散策する気にもならない。
地図を見ると山を越えた群馬県に草津温泉がある。
夕方に友人の所に行くつもりなので、夕方には長野県の須坂に帰ってこれるだろう。
渋峠(海抜2172m)を過ぎ、下り始めると白根山登山口があった。
有料の駐車場には半分くらい(200台?)駐車してありゾロゾロ白根山へ登っていた。
なんだかハイヒールでも登れそうな山だ。でも山頂は見えない。
エメラルドグリーンの”おはち”の湖面がお天気だときれいなのだろうがパスする。

 志賀高原の案内図 渋峠(海抜2172m) 渋峠に群馬と長野にまたがるホテルがあった

1時間ばかり下るといきなり草津温泉街の細い道に迷い込んでしまった。
先程あった駐車場の大きなベルツ温泉センターでもよかったかなぁ〜・・・。
「大滝の湯」の案内板が見えた。道路地図にも書いてあったのでなんと駐車場にもぐり込む。
大きな浴場で100人くらいは入れるだろう。
源泉PH2と説明があった。舐めてみると玉川温泉のような酸っぱさがあまりしない。
帰りがけに番台のお兄ちゃんに「湯舟に入っている湯は本当にPH2ありますか?」と聞くと、
源泉PH2のかけ流しです」と言うばかりでちょっとマユツバだ!!
かけ流しは本当だろうが、PH2は源泉であって、お湯をブレンドしているに違いないとにらんだのだが・・・。
新玉川温泉の湯はちゃんと50%源泉と、源泉の湯舟があった。
洗い流さない方が源泉成分が効くと書いてあったので、拭くだけにしたのだが夕方には普通の温泉で、
洗い流したくなった。さすが新玉川温泉の湯は何か体に効くのだろう。

 「大滝の湯」の案内板 草津温泉街は祭りであったのですごく混んでいた

ちょっとがっかりして草津温泉を後にし、もう一度山越えをし、志賀高原途中から県道66号線に入る。
一台しか通れない細い林道であった。峠を越えると前が開け山口牧場の放牧地が見えてきた。
おや?この公衆便所は来た事があるな?2年前小林夫妻とそばを食べに来た時寄った所だ。
この下に「雷滝」があれば間違いない。滝の裏側を通る事が出来る雷滝は、やはり有った!
現在15時頃で、まだ昼食を食べてないので以前食べたそば屋を探すとあった。
15時頃なので一人もお客は無く、何となくさびれてしまったお店の雰囲気だ。
そばを打って80年と言うのがうたい文句のそば屋なのだが・・・・。

 県道66号線の峠を越えると高山村だった 山口牧場 80年の歴史の峯本そば屋

16時頃友人宅の近くだろうとスーパーに車を止めрキると、やはり近くであった。車で迎えに来てくれた。
大学時代の話に花が咲き、気が付くと23:30で、あわてて風呂に入って就寝。
7月19日(日曜日)
朝早く目が覚める習慣がつき、4時に目が覚めトイレに起きる。
夕方6:30から広島で31会の飲み会があるので、遅れても参加しようと思っていた。
早く目が覚めたので友人をたたき起こして近くの大通りまで送ってもらった。
5時半高速「須坂長野東」ICに乗りひた走る。
3連休の為、各JCTで10kmくらいの渋滞があったりした。湿度や気温が高いので、車のクーラーをかけっぱなし。
体調が狂いだした。身体がだるくなり、何度かSAで仮眠。しかし、熱くて寝られない。

休みながら広島に帰ってきた。
19:00に何とか飲み会に滑り込み。23:30に散会。
0時過ぎに帰宅。
無事北海道一人旅は終了となった。

今回は一人旅であったので目一杯わがまま旅行と思った。
24日間のうち結局はパラグライダーを6日間、利尻島に2日間、東北地方に6日間であった。(後は移動日)
パラグライダー以外は走り回っている旅行であった。
湖畔で一人本などを読み、ゆっくり過ごすなどと言う事は出来そうにも無かった。ちょっとくやしい!!
北海道では必ずスピー度違反でつかまるそうだが、この3年間警察のご厄介にならなかった。
他の自動車に抜かれても平気になってきた。高速自動車道も殆ど100Kmで走った。
前期高齢者になったおかげであろうか・・・

初日の1500Kmをはじめ、夕方から23時ごろまで走ったり、ちょこまかよく走ったものだ!
天気にはあまり恵まれなかったので走るのが仕事みたいだった。
秋には紅葉前線を追いかけ南下したいものと思っている。