2020年 10月 |
10月1日(木)平日フライト バリオなし無音のフライト 土日休みの少ない人の為、リタイヤ組も平日フライトに付き合っている。 本日は晴れ予報だが北東風予報。 10時半集合し、空にはおいしそうな積雲がプカプカ浮いている。 しかし、東がらみの風がMLに吹き込んでいる。 兵萬号で田原さん・柳田さん・大川さん・美香ちゃんの6名で 荒谷山へ上がってみたがMLに届きそうにないので神の倉へ移動。 田原さんと兵萬さんは飛ばないで残り、他4人はとりあえず一本抑えてぶっ飛び。 2本目は遅れてきた小田さんが沖の低い所から弱いサーマルを捉え 海抜800mばかり上げたようだ。 柳田さんもすかさずテイクオフしすぐに上げて海抜600mか・・ 2本目の自分のフライトは下記。 3本目は遅れてきた荒牧組も神の倉に上がる。 柳田さんテイクオフしすぐにトップアウト。 続いて三好さんもトップアウトし、30分は悠々と最後まで飛んでいた。 私の2本目フライト(バリオのスイッチ入れ忘れ無音フライト) 先発した人がトップアウト果たしていたので期待を込めて 北斜面から14時35分テイクオフ。 北斜面の左尾根でリッジを拾い10m高度を稼いだがバリオの上昇音が聞こえない。 スイッチを入れ忘れたようだがトップアウトするまではバリオ操作どころではない。 鉄塔下左尾根のリッジを狙いに行くも、小田さんも柳田さんも下がっていて 残念ながらリフトは何もなく40m高度を失う。 山肌に爪を立てるようなフライトで、鉄塔下を4往復目でやっとトップアウト。 山肌を飛んでいるので、少しづつ上がっているのは分かる。 (後でカシミールで確認すると0.5m/Sec上昇率) トップアウトしたのでバリオのスイッチを入れようと思ったが、昔川地塾で 「一年に何回かバリオを無音で飛ぶのも良いですよ」と言われた。 無音で何度か試したことがあるが、確かにリフトへの感受性を 研ぎ澄ませないと外しまくりとなる。 後期高齢者年齢を過ぎてしまい、生活の感受性もボロボロになっている。 どこまで無音で上げられるか、このままにして飛んでみることにした。 帰宅してカシミールで確認してみると、0~0.5m/Secの上昇率で 100mばかり高度を稼いでいた。 明らかに尻センサーでリフトを感じ神の倉山頂前で廻して海抜800m。 500m上空に鼠色の雲底があるので吸い上げがないかなあと 近寄って行ったが下がる一方だった。 携帯電話が鳴ったので荒牧組3人が帰ってくるはずだ。 北向きアゲインストでは10Km台になっているので風も強くなっているだろう。 神の倉山頂付近で遊んでいる時、鉄塔上空を飛ぶと墜落して鉄塔の避雷針に 尻が刺さると痛いだろうなあとつい思ってしまう。 5分間ばかり遊んで海抜500mで谷渡りをして養泉寺上空を目指す。 養泉寺上空プラス250mで到着したが何もなくランディング。 バリオの音なしで海抜800m、30分のフライトだった。 計器はアゲインストとフォローのスピードだけ確認。 計器に頼らず自分の感受性だけを研ぎ澄まして飛ぶのも気持ちいい。 サーマルコアにどんぴしゃりという訳にはいかないがそれでも 上げて行くことが出来たらうれしい。 大空に抱かれて飛んでいるという境地に至りたいと思うのだが・・ 本日のYOUTUBE動画 フライトログのページ |
10月11日(日)三瓶山温泉郷巡り 謡曲仲間の泉原さんから寺の過去帳の清書を頼まれた。 女房が書道の八段になり師範の看板をもらった事で 2400名分の過去帳を岩見和紙に清書することになった。 コロナ禍で日本語教室や「なるほど世界の料理」など 教室が一時閉鎖となり十分時間が取れた。 とはいえ四か月半ほど掛かってしまった。 岩見和紙は結構繊維が浮いているので小筆が5~6本擦り切れてしまった。 私は精々書き込みが間違っていないか読み合わせに付き合ったくらい。 過分なる時給を頂き、さらに三瓶山温泉郷巡りに夫婦でご招待いただいた。 9時半法正寺に厳原ご夫妻を迎えに行き西風新都ICで高速に乗る。 三次ICで降り54号線の道の駅ゆめランド布野でトイレ休憩。 昼食は島根県飯南町の「ミセス・ロビンフッド」で野菜中心の料理。 泉原さん、なかなかおしゃれなお店をご存じだ! 14時過ぎに泉原さんのご実家の「明眼寺」を訪ねる。 明眼寺は宝徳2年(1450年)開山で570年の歴史のある古刹。 本願寺第12代御門主の眼病平癒に功有りとして「明眼寺」と名付けられた。 松江藩初代藩主松平直政公の子供の眼病が平癒したことで藩主愛用の 銀の匙を下賜された言う事だ。 お寺の欄間は名工によるもので100年以上前のものだそうだ。 正門には有名な25mほどの大イチョウが2本そびえ立っている。 もっと由緒があったのだが・・・・ 今夜の宿は小屋原温泉の熊谷旅館。 泉原さんの同郷の女性がお嫁に行った旅館で何回か利用しているそうだ。 泉原さんは温泉好きで彼方此方行っておられる。 在所の近くの温泉はよく行っておられ、よく話をしてもらっていた。 24時間源泉かけ流しで温度は37.5度。 湯舟は温泉析出物がこびり付いていて板状になっている。 湯船につかると直ぐに炭酸ガスが体にまとわりつく。 泡を払っても1分間もすればびっしりと泡が付く。 湯舟には泡が付かず、人肌の産毛に反応するのだろうか? こんな泡のラムネ温泉は初めてだったので感激であった。 ぬるいお湯なのだが寒いわけでもなく何時間でも入って居れそうだ。 30分ばかりじっと入っていて泡を楽しんだ。 ぬるい湯なので”のぼせ”はしなかったが、湯当たりしたのか頭痛がした。 現在の女将も気さくな人で料理も一生懸命さが見えた。 小屋原温泉は熊谷旅館一軒で、家族風呂が4部屋。 鄙びた温泉だが好き者にとっては外せない温泉のようだ。 本日は我々だけだったので全館貸し切り!湯舟は使い放題だった。 温泉紹介その1 温泉紹介その2 |
10月12日(月)石見銀山・湯抱温泉 今夜の宿は湯抱温泉なので車で30分の所だ。 どこかでしっかり時間を潰さないと・・・ 昔、石見銀山に行ったことはあるが殆ど素通りだった。 間歩に入って見たいと思っていたので、石見銀山世界センターに行くことにした。 世界遺産に登録されてからは駐車場からバスで移動なのだ。 コロナ禍や平日もあって駐車場は10台もいなかった。 駐車場に併設されている世界遺産センターに入ってみた。 有料の展示室があり石見銀山を紹介している。 神屋貞寿が海上から山が光るのを見て、1527年銀山開発を始めた。 月光に光る山を見て銀山開発とは何ともロマンあふれる話である。 神の倉山の何処かが光ってないかなあ~(笑) 有料の展示室は銀山の歴史や間歩の紹介や昔の採銀の説明が興味深かった。 昔聞いたことのある「灰吹法」がどんなものか心に引掛っていた。 人形などを使って分かりやすく展示されていた。 興味ある展示であったので1時間以上世界遺産センターで過ごした。 バスで移動しとりあえず蕎麦・中華そばで昼食。 街並みを歩いていると由緒ありげな熊谷家があった。 500円の観覧料であったが女性が一人付いてくれ、たっぷり1時間ばかり過ごす。 豪勢なつくりで、庭の手入れもしっかりしてあり坪庭も各部屋に在った。 蔵も三棟もあり、昔の権勢を偲ぶに充分であった。 500円拝観料の五百羅漢も観てみたが・・・ 古い町中を2Kmばかり歩いていささか疲れたので大久保間歩見学はパス。 世界遺産センターの展示が素晴らしかったので満足してしまったのだ。 湯抱温泉に移動。 カーナビに導かれ30分ばかりで到着。 中村旅館は大正時代の古い建物であった。 中庭も立派で昔の繁盛を偲ぶに十分だったが、何せ昔の作りのままで トイレは共同便所(水洗ではあったが)、洗面所も共同であった。 湯抱温泉郷も3軒あった旅館もこの中村旅館が残っているのみ・・ 湯舟は温泉析出物がこびり付いていて板状になっている。 更にびっくりなのは、床が泉析出物で秋芳洞の千枚皿状態になっている。 しかも床の泉析出物は60年間掃除をしていないので10cmの厚みがある。 源泉は冷泉の為沸かすのだが、ボイラーでは直ぐに目詰まりしてダメになるので 入浴の度に薪を炊き煙突で湯を沸かすそうだ。 素晴らしい温泉が消えかかっている…残念だ! 夕食の大部屋に墨痕鮮やかな「猩々」の書と、お能の「猩々」絵の掛け軸があった。 食事が済み、謡曲の「「猩々」を泉原さんと二人で謡う。 ちょっと良い気分。 平日の所為かこの中村旅館も我々だけだったので、全館貸し切り状態。 温泉紹介 |
10月13日(火)松江 帰路は松江市廻りにすることになった。 途中、道の駅「多岐キララ」でトイレ休憩。 イチジクが名産のようでパックを積み上げて売っていた。 最近スーパーで買うイチジクは姿かたちは良いのだが大して甘くもない。 子供のころ食べたイチジクは皮が薄く、甘くとろりとした果肉であった。 恐らく流通過程で果肉は崩れ見た目が悪くなるので品種改良し 見た目も良く皮は固く果肉もしっかりしているが美味しくない。 道の駅では『朝採れ」を強調していたはずだ。 我が家は6パック買ったが、泉原さんは20パックばかり買っていた。 帰宅して食べたが、期待にたがわず昔の美味しいイチジクだった。 道の駅「多岐キララ」の風力発電の風車の前で海リッジフライトをしているらしい。 湯湯の北風で海岸の砂浜に人がいなければ良いエリアかも・・ 松江市の皆美館レストランで豪勢な昼食「鯛めし」を頂く。 宍道湖を望む白砂青松の庭園が素晴らしい。 泉原さんの姪御さんと合流しての食事会であった。 松江の観光は松江城のお堀の遊覧船か、神魂神社・八重垣神社かの どちらにするか聞かれた。 八重垣神社の名前は聞いたことがあるのでそちらにしてもらった。 地元の泉原さんの姪御さんに案内してもらう。 最初に神魂神社に行く。 神魂神社←この説明は力作だ。 出雲大社より古い造りで国宝に指定されている。 神社に人はおらず閑散としていたが、何となく神代の厳かさが伝わってくる。 その昔は、出雲よりこの松江のほうが中心地であったのだろう。 車で5分の八重垣神社に行く。 「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」は有名。 「鏡の池」はテレビで有名になっている。 お参りの人も多いが、占いやおねだり信心は大嫌いである。 帰路、松江城のお堀を車で一周した。 お堀は結構な大きさで遊覧船で説明を聞きながら食事もいいかな? 夕食は謡曲広島明生会の会長のビルのイタリアレストラン「AO]で夕食。 女房が過去帳の清書のお手伝いをしたとはいえ、何から何までお世話して頂いた。 何とお礼を申し上げたらよいやら・・・ 旅のDVDを作成して喜んでもらえて良かった。 a |
10月25日(日)久しぶりの荒谷山 藁科さん・中野さん・花野さん・福伝さんと一緒に中野号で12時過ぎに荒谷山に上がる。 テイクオフは、北東予報だが風は無風に近く風向が定まらない。 神の倉ではプレジャークラブが朝練していて、ぼつぼつとテイクオフしていた。 一番手は花野さんでホロホロと入って来た北東風で北斜面からテイクオフ。 彼方此方探っていたが正面沖で弱いサーマルを引っかけて上げて行った。 海抜1000mは越えて行ったが、やはり一番手でテイクオフし一番上げは 賞賛すべきであろう。 福伝さん構えているのだが弱風で立ち上がらず、藁科さんが面倒を見ている。 南斜面に10分間に一回程、弱いがブローが入ってくる。 南ブローの一瞬芸を狙って、私は南斜面にセットして待ち構える。 13時10分、1m/Secと弱いが南斜面に入って来たのでテイクオフ。 リーサイドだけど南小山にあると信じて周辺を探る。 南小山を過ぎマキゴンポイント手前でリフト発見。 強い所を探りながらそっと廻し、何とか海抜800m。 中野さんがテイクオフし南小山付近で粘っている。 テイクオフ上空にサーマルが纏まっていないものかな?とサーマルが 斜面を駆け上っていると妄想して真っ直ぐテイクオフへ向かう。 最小沈下速度でブレーキング効かせながらテイクオフへ。 中野さんと藁科さんも同行度に上がって来た。 海抜880mでテイクオフ上空に来て、もう一度沖に向かったがシンク音のみ。 先程沖で上がった所を探ってみるのだが、ステイが精一杯。 もう一度テイクオフ上空へ海抜711mになって戻る。 2m/Sec前後のサーマルで上がって行くが、時々荒れ気味で気味が悪い。 そのまま上がり続けて海抜1174m。 先行して上げて行った花野さんの機影を見つけられない。 ランディング場には居ないのでクロカンかな? 荒谷山テイクオフには誰もいないので神の倉上空へ行って見よう。 北東風のフォローで45Km/h前後で神の倉へ谷渡り。 神の倉テイクオフはハングが2機組上がっているのでトップランは無理。 南屏風に海抜743mで到着。 神の倉稜線より有留側で、リフトをもらったり外したりして海抜780m。 ヘヤピンに足を延ばして稜線より井原地区側を飛び、 テイクオフに戻ると下がる一方。 もうよかろうとランディング。 ランディングの吹き流しは微南風だったので駐車場から ランディングアプローチ。 最終ランディングの直線飛行にすると微北風で、しかも若干グランドサーマルもあり ぎりぎりランディング場内だった。 一時間ばかりのフライトで海抜1174m。 フライトデータのページ a |