2017年 10月   
  10月1日(日)龍頭山フライト
先日の大雨で荒谷山の山道が石ころだらけらしい。
あさ8時半の集合がかかった。
団地の出口でいったん停止しドライブに入れたら昨日と同じようにエンスト。
通行の邪魔になるので焦る!
エンジンを廻して続けて、暫く様子を見てドライブに入れる。
動き始めたので神の倉に行くのは止めて広島マツダに行く。
途中信号で止まって発進するとき、エンストするかずっとドキドキだった。
なんとか広島マツダに辿り着き、サービスマンに説明するも
スタンダードな症状で無いので理解できないようだ。
エンジンの不調でなく、ミッション関係なのは想像できるのだが・・
すぐには症状が出る訳でないので、暫く預けることに。
嫁さんに迎えに来てもらう。
アテンザで神の倉に出かける。
荒谷山山道の掃除が終わって皆さん降りてきた。
プレジャークラブのNP生以上は龍頭山に出かけていった。
9月26日の平日飛びで皆さん良い飛びをしたらしい。
プレジャークラブ練習生達の昇級試験をするのでテイクオフにあがる。
ランディング場では地森さんと竹井さんが見守っている。
試験が終わって龍頭山へ行く。
先行したフライヤーは川原さん、本田さん、斉藤さん、ひーさん、塩ちゃん。
4人とも一本は飛んだらしい。
到着したとき川原さんがずっと飛んでいた。
大急ぎで龍頭山山頂に向かう。
山頂は東屋があり、山頂駐車場から15分ばかり歩く。
最後は50段以上の階段があり苦しくて途中で一休み。
ランディング場は休耕田で無風であった。
しかし山頂は5m/Sec前後の風が吹いていた。
午前中一本飛んだひーさんがダミーでテイクオフしてくれた。
15時41分、続いて私がテイクオフ。
斜面を駆け上がって振り向く時よろけてしまった。
頭ではイメージしているのだが、加齢の為0,3秒ばかり遅れるようだ。
風はテイクオフ左45度、5m/Sec前後で直ぐにハーフアクセル踏み込む。
ハーフアクセルで5Km/hで前進はしている。
ひーさんを追いかけ尾根先端にジリジリ進む。
竹井さんが無線で速度を聞いてくる。
ハーフアクセルで7Km/h前後だが、アクセルなしだと3Km/hに落ちる。
大川さんテイクオフしたので、テイクオフ前に戻る。
フォローに向かうと53Km/hの対地スピード。
アゲインストに向かいアクセル解除し、少しブレーキングし大川さんを観察。
大川さん徐々に私より前に進む。
稜線の後ろに行かないように無線を入れる。
尾根筋が切れるところまで行ったのでターンしてリッジを利用したら言う。
ターンして戻ったら山から離れたので「前に出さないように」と言ったら
もう一度Uターンしたのには驚いた。
すかさず田原さんが戻るように指示を出してくれたので後はお任せ。
金谷さんがテイクオフして稜線上を進んでいて指示しなくても大丈夫みたい。
大川さんを見失ったが、もし低いところで止まっているようなら
自分も高度を下げアウトランのエスコートしようか・・
尾根筋を3度ばかり往復して三好さんのテイクオフを待つ。
三好さんが出たのでよく見るとテイクオフ上空で止まっているようだ。
テイクオフへ戻り一緒に飛べば落ち着いてくれるだろう。
近づいて見ると、三好さんは全然パニックには陥ってない。
アクセルバーを左右対称に踏み込む事を伝える。
自分もアクセルの滑車が当たるほど踏み込んでいる。
三好さんより自分の方がバックしているようだ・・・
三好さんが後ろに飛ばされるようなら、右偏流で3km先の
刈り入れが終わった田んぼにエスコートするしかないかなあ・・
三好さんが「何とか前に出てきました」と無線を入れてきた。
流石バイク乗り!肝が据わっている!
稜線上を動き始めた。ヤレヤレ!
ところが自分は未だ動きが鈍い。オイオイ!
私はフルアクセルで頑張っているのだが、三好さんは尾根筋を離れて行った。
三好さん尾根筋は抜けたが谷の吹き抜けに捕まったのか?
そんなに前に進んでいないように見える。
県道を超えられないようなら手前の刈り取りの済んだ田んぼに
エスコートをしないといけないかな・・電線もあるし・・・
三好さん、高度が下がってきたらしっかり前に出るようになった。
後は同時進入にならないように出来るだけ浮いていよう。
ランディングアプローチで県道の電線が気になりショートランディング。
私は一分差で休耕田にランディング。
酒井さんと午前中に飛んだ3人はテイクオフを断念。
川原さんは2時間10分のロングフライト。

皆さんのフライトログ

 10月6日(金)横浜へ
パッちゃんの結婚式の為、前泊で横浜に行く。
樹は1歳になるので何処まで成長しているだろうか・・
広島空港を夕方飛び立ち、横浜の「そごう」11階で韓国料理の夕食。
夜8時ごろ根岸駅に長男がひなこを連れて迎えに来てくれた。
後部座席でひなこはばーばと家に着くまでおしゃべり。
4歳になったので女の子はおしゃべりの口が止まらない。
到着して家の中に入った私の顔を見るなり樹は泣き出した。
「どうして泣くの」とカメラを廻しながら追いかけて行くと、台所で後片付けをしていた
お母さんの足にすがって泣き止まない。

 

8月に我が家に来た時は私の腹の上でスヤスヤ眠ってくれたのに・・
ばーばがあやしても泣き止まない。
お父さんでも駄目なのでお母さんの出番となる。
ひなこの1歳当時と同じようだ。
ひなこはばーばを捕まえて保育園での事や文字ゲームなどを話し続けている。
平生は両親とも忙しいのであまり相手が出来ないのかな・・
女の子はおしゃべりの方が雰囲気が楽しくなりよろしい。
ひなこと樹にカープ名前入りのシャツとつなぎ服のお土産。
横浜スタジアムへカープグッズを持って3回ばかり応援に行ったそうだ。
カープの文字はラメ入りでキラキラしていてお気に入り。
寝る頃になると樹もすっかりなついてくれた。

  

  

 10月7日(土)
朝食時、樹は味噌汁かけのネコまんまご飯を食べていた。
離乳食が主なのだが、ご飯の方が好きみたいだ。
お茶の子供用ボトルを片手で持って、ご飯をお父さんに食べさせてもらっている。
食事が終わっても子供用の椅子に上がったり降りたりして、
じーじとばーばはハラハラするが両親は平気だ。
平生も男の子は一時もじっとして無いようだ。
ひなこはキッチンセットでお飯事が好きなようだ。
ひなこはお父さんとピアノ教室へ出かける。
昼からパッちゃんの結婚式があるので上野に向けて出かける事に。
樹とお母さんは根岸駅に送ってくれた。

  

  

夜ひなこはお父さんに歯磨きの仕上げをしてもらう。
くすぐったいのかひなこは身もだえしているのがほほえましい。
樹もお姉ちゃんと同じにしたいらしく、歯ブラシをくわえているが
最後に寝転がって、お父さんに歯磨きの仕上げをしてもらう。
何でもお姉ちゃんのすることはまねしたいらしい。
ひなこはお姉ちゃんぶりを発揮し絶対に樹と張り合わない。
女の子らしく成長しているようで嬉しい。
「今夜はじーじやばーばと一緒に寝ようね」と約束した。
その代わりいつもお父さんが就寝時に本を読んでくれるので
じーじがお気に入りの本を読み聞かせする。
約束で一緒に寝ようと言うのだが愚図っている。
お父さんがしばらく添い寝してくれてひなこは眠ったので二階に上がった。
明け方4時頃ひなこは目を覚まし、さみしがって二階に上がっていった。

 

 10月8日(日)羽田空港
朝食は樹も盛り皿を出してもらい、プラスチックフォークでこぼしながら食べる。
お姉ちゃんと同じ様にしたいのだろう。
親としては食べさせた方が早いのだろうが、日曜日なのでゆったり構えている。
来年お母さんは仕事の復帰をするので、朝食は泣きたくなるほど大変だろうなあ・・
ひなこを朝保育園に送っていくお父さんはよく遅刻となるそうだ。
ひなこを急かせて怒っても結果的には更に遅れるそうだ。
我が息子ながら、よく辛抱しているなあと感心する。

ひなこは4歳の誕生祝に買った自転車に補助輪を付けてもらい乗り回しているらしい。
どの程度乗るのかと近くの公園に行く。
自転車専用道路で走らせようとするのだが、男の子が自転車を乗り回しているので
どうしても走ろうとしない。
滑り台も誰かが登っていると一緒に登ろうとしない。
生き馬の目を抜く都会で、ひなこは生き延びていけるのかちょっと心配。

 

昼食を羽田空港で食べようと一家して出かける。
空港で皆を降ろして駐車場に向かったが満車で一時間以上かかるらしい。
大変なので昼食は取りやめて別れる。
ひなことはハグはなくてハイタッチのみだった。
 10月9日(月)市民能楽のつどい
例年恒例の「市民能楽のつどい」は体育の日に催される。
今年は金剛流の当番年なので準備段階は楽であった。
朝8時半に準備作業があるかと行ったが昨日で全て終了していた。
喜多流の担当作業は16時から入り口の受付や番組のめくりや
楽屋での進行・見台の出し入れなどがある。
私は喜多流の知り合いをカメラ撮影することに専念。

毎年恒例になった「子ども能楽ふれあい教室」による「西王母」は
大島衣恵師が指導される。
小学生23名が交代で仕舞と連吟を演ずる。
子供の頃能楽に触れていると、大人になった時チャンスがあれば
スムースに能楽の世界に入ってくれることだろう。
我が社中「広島明生会」のメンバーのお孫さんが独吟を披露。
「橋弁慶」を7歳の男の子、「猩々」を6歳の女の子。
二人ともおじいちゃんと和尚さんと私の3人で毎週30分教えているのだ。
二人とも嫌がらず一度もずる休みした事はない。
私は毎回色々のグミっを買って持参しているので、
お菓子をくれるじいさんと思っていることだろう。
仕舞「国栖」を演ずるのは6歳の男の子。
これも我が社中のお孫さんで地謡はお父さんとおじいさんも加わり
昨年に引き続き、親子三代での仕舞になるはずだった。
今年は直前におじいちゃんが膝の手術をして正座が難しくなり
三代にならなかったが残念。
面白かったのは、「特別企画 能楽ガイド★広島」
4流の能楽師が能舞台で座談会。
今回のテーマは「舞」。
”舞”のシステムや流派の特徴などをトークや実演を交えて解説。
シテ柱、目付け柱、ワキ柱、笛柱は4流ともに同じなのだが
東西南北の方向が流派によって違うのが面白い。
あっという間の1時間であった。
ぜひ来年も企画して欲しいものである。
我が社中は仕舞と連吟を披露。
若手に主演を任せて年寄りは後ろに下がる方が良いと思う。
若手が頑張って飛躍していってもらいたいものだ。

 パッちゃん結婚式(10月7日)
東京見物は子供の頃、家族ではとバスに乗って見物したことがある。
子供の頃なので記憶が定かでないが、皇居の二重橋と歌舞伎を見た。
大人になってからは、観光地や大都会を巡るのはあまり好きではないので
東京見物もやった事はない。
長男が浅草寺と東京タワーに案内してくれた程度。
パッちゃんの結婚披露宴を上野不忍池畔の「東天紅」で行われる。
学生の頃、国立博物館に言って見たいと思っていたが果たせなかった。
10時ごろ根岸駅に送ってもらい上野駅まで直行。
シルバー席の近くの入り口から乗ったのでさっと座席を譲ってくれた。
思いもかけなかったので、ちょっと逡巡しお礼を言ってすわる。
上野駅の公園入り口で降りて公園内に行く。
看板に国立博物館があったのでそちら方面に行ってみる。
後で気がついたのだが、何も思わず入った建物は「国立科学博物館」だった。
70歳以上は無料で免許証を見せれば良いのでフリーパスとなった。
電車のこともあり、自分も守られるべき社会的弱者になって
しまったのか・・とちょっと寂しい。
「国立科学博物館」だったので子供向けの展示が主であったが詳しい。
球体の内側全てがスクリーンのシネマは面白い。
有蹄類の剥製が50頭以上陳列されているエリアは凄かった。
シカの仲間のようだが偶蹄目や奇蹄目で様々な形態なのだ。
館内のレストランで昼食を済ませ、タクシーを拾って東天紅へ行く。

パッちゃんは16歳の高校生のときにAFS生として我が家に1年弱ホームステイした。
高校生の留学生はコロンビア、タイ、スリランカの3カ国の子ども達を預かった。
3人とも優秀な子ども達だったのでいろいろ話すことも多かった。
人生で一番多感な16~7歳の時期に係われるなんて何と幸せな事だった。
パッちゃんについてもたくさんの事をHPに記した。
16歳だった少女がタイの東大であるチュラロンコン大学を卒業し
IHIの本社採用で本社の人事部に務める事になったのが3年前。
昨年、同社の彼と結婚届を区役所に提出しIHI社宅で同居。
ようやく神社での結婚式と披露宴を催す運びとなった。
東天紅に到着しフロントで着替え室を聞いて式服に着替える。
何せパッちゃんの日本のお父さんなので服装くらいはしっかりしないと・・
着替えていると燕尾服に着替えて人がいる。
ひょっとして新郎のお父さんかと声をかけると果たしてそうだった。
パッちゃんからは日本のお父さんの事は伝わっていたと見えて親しく話が出来た。
(不束な娘ですが)「よろしくお願いします」とお願いする。
着替えも済んだのでパッちゃんの親族の控え室に行く。
タイのお父さんとお母さんとお姉さんと、タイから一緒に来てくれた
チュラロンコン大学のお友達がいた。
タイの家族とは2007年に訪ねて行ったので、10年ぶりの再会だった。
言葉が通じないのだがお互い懐かしさに溢れて、お母さんとはハグし
お父さんとは硬い握手。
時間が来たので新婦側のマイクロバスに乗って根津神社に行く。
結婚式の前撮り写真は無く当日写真なので、二人は境内をあちこち連れまわされる。
参拝客からは「きれい!」と言ってもらえるし、外国人からは
バシバシ写真を撮られていた。
神前結婚式にでh、新婦側にはパッちゃんの家族と私ら夫婦のみ。
静々と三々九度の杯も無事に済ませ、結婚指輪交換。

  

東天紅に帰って、披露宴開始。
結婚式・披露宴の進行や写真撮影のスタッフが3人ばかりでこまごま世話をしている。
新婦の親戚のテーブルには両親・お姉さん・チュラロンコン大学のお友達
そして私ら夫婦と高校時代のベストフレンドの恭子ちゃん。
媒酌人は立てていないので、まず最初に新郎がご挨拶。
続いて新郎の上司がお祝いのスピーチ。
「新郎は素晴らしく仕事の出来る男で、上司の指示の内容もスピードも
150パーセント達成出来ます」とべた褒め。
新婦の上司のご挨拶では「入社3年論文では近年稀に見る秀逸な論文である。
もう日本で仕事をするに当たっては何の心配もありません」と・・・
上司たちは短いフレーズではあったがタイ語でお祝いを述べ、心細い思いをしている
タイの家族に対し心遣いを示されていた。
乾杯の音頭はIHI執行役員がなさって下さるとの事!
乾杯の御発声の前に「新郎・新婦共にグローバルな人材として育ってきています。
IHIはタイとの結びつきも強いので、二人の力を更に発揮して頂きたい」と・・・
読み終えた日経新聞をパッちゃんに渡していたエピソードも交え
乾杯の音頭にも拘らず沢山お話して頂いた。
パッちゃんは上司に恵まれ愛されていたのだと・・日本のお父さんとして誇らしい!!
タイの御両親に伝わらないのがもどかしい。

 

乾杯が終わり、全面ガラスのブラインドが一瞬で開かれた。
上野公園が眼下に広がり、近景の不忍池そしてスカイツリーが遠望される。
皆さんからどよめきの声が・・・なかなか洒落た演出。

  

パッちゃんのお父さん(警察官の大尉)が英語で皆さんへの感謝のスピーチ。
皆さんに祝福されているとは言え、娘を遠くに手放す父親の心情としては
複雑なものがあっただろうが・・
初めての日本で一流企業の皆さんの前で堂々のスピーチであった。
新婦のお色直しで、お父さんのエスコートで退場。
プロジェクターで二人の生い立ちの紹介。
ケーキカットの後、各テーブルにご挨拶周りし記念写真。
続いて二人からのプレゼント抽選会。
お友達のお祝いスピーチでいきなり私にもご指名。
事前連絡は無かったのでちょっとあわてて思いを充分伝え切れなかった。

  

  

伝え切れなかった思いを含めて・・
「AFSのフォストファミリーの日本のお父さんの稲垣です。
パッちゃんは我が家で1年弱過ごしました。
パッちゃんが我が家去るに当たって、留学時の日記を書いてくれと言いました。
パッちゃんは16歳の少女にしては、大人の気持ちが分かるというか
人間観察が鋭いなあと感心することが多かったのです。
先ほど上司の方が仰った様に、決して人の悪口は言いませんでした。
16歳の少女としては、人生で大きな経験であったろう
日本の日記を書くよう求めたのです。
人間観察の能力があれば、小説家にすると面白いのではないかと
密かに思っていた次第です。
タイに帰って17歳の少女は、2ヵ月後に150ページに日記を書いて送ってくれました。
残念ながらタイ語で書かれていたので私には分かりません。
所々に日本語で「パッちゃん、辛い時は電話ちょうだい。泣けばいいから・・」
いつかはパッちゃんに返却して小説の材料にしてもらおうかな・・と。

我が家の子どもは二人とも息子で独立していました。
娘は初めてだったのでどのように接すれば良いのかと思いましたが
”お父さん、お父さん”と直ぐになついてくれました。
沢山おしゃべりをしてくれ、色々自然な気遣いをしてくれました。
女の子っていいなあ・・とつくづく思った次第。
タイに帰ってからもメールや写真を送ってくれました。
タイにいつ来るのと言うので、タイの実家にも遊びに行きました。
チュラロンコン大学に在学中、埼玉大学に1年留学しメールも沢山送ってくれた。
埼玉大学にパッちゃんに会いにも行き、広島へも里帰りして来ました。
日本が大好きになり就職先も日本のIHIを選びました。
この10年娘としていろいろ気遣ってくれました。
良い娘を持って幸せです。
あとは孫の顔を早く見たいものです。」

最後にご両家を代表して新郎のお父さんがご挨拶。
新郎も皆さんへの感謝のご挨拶。
パッちゃんは新郎のご親族や会社関係やお友達に心からの祝福を貰っていた。
ぱっちゃんは良い星の元に生まれたのだろう。
人生沢山の困難も有ろうと思うが二人で切り開いて、幸せになって欲しい。
二人の様子を見ると、きっと幸せを築いていくことだろう
 10月29日(日)
10月21日22日は九州遠征だったが、台風余波で飛べず。
2週間続けて台風でパラグライダー飛べず。