2016年 11月   
  11月2日(水)孫誕生
男児孫誕生(3150g)。
真に嬉しい。
 11月6日(日)孫に会いに・・・
赤ちゃん誕生の写真はメールで送ってくれたのだが
我が目で確かめ我が手で抱いてみたいものだ。
二人揃って横浜に出かける。
長男とひなこが羽田へ迎えに来てくれた。
その足で病院へ行く。
病室に母子共に寝ていて、共に健康そうで一安心。
バーバは早速抱いてあやしている。
私にも抱けというのだが、なんだか壊しそうで怖い。
バーバがひょいと手渡してくれた。
軽い!指なんか細くて服に引っ掛けたら折れる??
早々に母親に返す。
動画を取っているだけで満足だ。

 

明日からひなこの保育園のお迎えがバーバの担当となる。
11月7日(月)退院
朝6時半ひなこを起こして7時に朝食。
7時半お父さんが保育園に連れて行くのだが
ひなこは自分でお洋服を選ぶので遅くなる。
イクメンパパは叱らないし、急がせもしない。
怒ると泣いて余計に遅くなるのでじっと我慢して待つしかないと
イクメンパパは過去の痛い経験からじっと見守っている。
保育園へ届けるので一緒にお出かけが毎朝の日課のようだ。
ひなこを我々が連れて行っても良いのだがずっとそうしてやれる訳でないので
口出しも出来ず、おだてて早くさせることしかない。

10時に退院の為母子を病院へ迎えにいく。
病室は日が当たると温室のようで暑かったが、家に帰ってからは
適温だったのかオッパイが足りていればスヤスヤ良く寝てくれる。

地元住人には三渓園の年間パスが与えられている。
二人分あるので、紅葉は如何に?と思って出かけた。
紅葉にはまだまだでその代わり菊花展をやっていた。
品種改良が進んでいるのかこれが菊?というものまで展示。
立派な菊や懸崖、そして盆栽菊にはびっくり。
古木のような仕立てなのに、菊は一年草なので
毎年それらしく造るのだそうだ。

以前母親が保育園に迎えに行った時駐車違反の
罰金を18,000円課せられたそうだ。
お迎えはバスで行くことにする。
バーバはまるっきり方向音痴なので、バス通いの訓練をしないといけないので
私が付き添いでひなこのお迎えに行く。
保育園は保護者カードをかざして入園。
部屋に行くとひなこちゃんのジージとバーバと分かって
子ども達がワイワイとよって来る。
一人ひとりが大きな声であれこれ言うのでその声のうるさい事。
一日中この声を聞かされたら神経が参ってしまいそうだ。
保育師たちはよほど子どもが好きでないと勤まらないなあと思った。
 11月8日(火)みなとみらいへ
今朝もひなこを起こして朝食を食べさせ、洋服を着るのを待って
そそくさと父子は出かけて行った。
イクメンパパはよくやっているなあと感心する。
朝のバタバタが終わると、保育園へのお迎えまでやることはない。
みなとみらいへ一度は行ったが未だ良く見ていない。
羽田からこちらに来るとき、橋の上で3車線のうち2車線でアスファルト工事を
やっていたので、横浜駅まで行ってYCATで交通事情を確認する。
もう工事は終わっていたようだ。
みなとみらい線に乗って「みなとみらい」で下車。
長いエスカレーターを登って外に出たらでかい観覧車が目の前に見えた。
何か見たいものや買いたいものがある訳ではない。
運河に沿って動く歩道に向けて歩いていると高々とした建物が見えた。
横浜ロイヤルホテルと看板が見える。
地震が来ても大丈夫なんだろうかと心細くなる程高層ビルだ。

運河の方をを見ると帆船「日本丸」のマストが見えた。
初代の「日本丸」は山口県周防大島で見物に父親と行った。
父親の仕事の関係で周防大島の小松町に3年間住んでいた。
小学生の頃なので60年前のことである。
大島商船高校の学生達が全員マストに上がって鈴なりであった。
なかなか勇壮な景色であったことを鮮明に覚えている。
今日は入場料を払って「日本丸」に乗船して見る。
ボランティアの男性が説明しましょうと付いてくれた。
男性は「日本丸」に練習生として航海もしたし、乗組員になって航海もしたらしい。
いろいろ実際の航海での話も聞けて面白かった。
甲板を歩き回ってみて60年前の記憶よりはえらく小さいと思った。
親父の思い出や夏休み7月8月の毎日、小松港の波止場で泳いだ事を思い出した。
それは私の人生三大命の危険の一つであった。
小さな伝馬船の下を潜って反対側に出たと思い、浮かび上がったら
伝馬船の船底に背中が張り付いた。
まずいと思い必死で平泳ぎで脱出しようとしたのだが、伝馬船の底は藤壺が沢山で
泳いでも泳いでも背中は船底から離れず伝馬船はついてくる。
海水をしたたか飲んで頭がボーとした頃、伝馬船のロープが張って脱出できた。
おかげで背中は血だらけとなった。九死に一生の思い出である。

船に追い込まれた小鰯の群れが波止場の岸壁に沿って泳ぐ。
網を海面に浸けているだけで、ワッカの針金が曲がるほど入ってくる。
サヨリも夕方、ゴカイをチョンがけした針を水面で引くとよく釣れたものだ。
初めての島暮らしだったのでいっぱいの思い出がある。
懐かしい「日本丸」であった。

 

夕方バスに乗ってひなこをお迎えに行く。
バーバも何とか道順とバスの乗り方を確認したようだ。
 11月9日(水)富士山を俯瞰
広島に帰る飛行機便で、ふと下を見ると富士山が見える。
通常仰ぎ見る富士山を上から見るのは何とも不思議な気分だ。
矢張り富士山は仰ぎ見るのが一番である。

飛行機からの富士山俯瞰

 11月12日(土)土曜立上げ教室
最近プレジャークラブの会員さんが増えつつある。
吉岡さんのきめ細かい対応の功績に拠るところが大きい。
可部運動公園や荒牧牧場での新jんさん練習も増えた。
NP証やP証のメンバーが練習場でのお手伝いも増えざるを得ない。
プレジャークラブの練習日は基本的には日曜日だけである。
NP証やP証のメンバーが飛ぶ機会が少なくなるので、私主催の
土曜日立ち上げ稽古を復活する事にした。
B級生以下はメインランディングで立ち上げ稽古。
B級生は何が何でもパラグライダーに触っていたい時分である。
安全な平地でそこそこの風であればMLでの稽古もありと判断。

11時頃荒谷山TOに、田原さん、中野さん、川原さん、高杉さんと上がる。
11時前には雲海は晴れたが、本流の北風が未だ残っている。
予報では12時ごろから南風に変わる予定。
12時のサイレンを聞いて高杉さんが一番手を勤める。
正面はなくて、南小山の少し南西よりで10分間ばかり粘って
ジワジワ上げ始めトップアウトして500mばかり上空へ。
テイクオフするには弱い風で暫く待って田原さんテイクオフ。
矢張り南小山で10分ばかり粘って500mばかり上げて行った
中野さんも直ぐテイクオフしたかったのだが無風に近く
風向きも一定しない。
矢張り南小山で10分間以上粘ってちゃんと上げて行った。

13時私もテイクオフ。
南小山を探ったが1m/secを出たり入ったり。
TO右ボール億で少し上がったのでコジツーポイントに移動するも
何も無いのでTOに戻るもレベル以下。
私の後に出た藁科さんがTO北側で10mアップしているのが見えた。
TO前を廻りこんで左の尾根に近づくと少しリフトあり。
1m/Secで左尾根のリッジをコネコネしていたら、何とかトップアウトし
海抜936mまで上がった。
川原さんは正面を探ったがサーマルに遭遇せず。
現在高く飛んでいるのは田原さんのみかな?
田原さんは向原方面に行きかけたが戻ってきている。
神の倉山系へ谷渡りをして見よう。
途中リフトには遭遇せず、稜線より100mばかり下で到達。
山腹を巡ったが何もなし。
せめてターゲットでも狙おうと高めに入って高度処理。
読みが浅く、1mばかりショートランディング。
海抜936で30分ばかりのしょぼいフライト。

本日のフライト動画

兼田さんと穐山さんは少し遅れて来てMLで立ち上げ稽古。
田原さんにフライトを見てもらえるので大喜びで荒谷山へ。
二本ずつは飛べたので満足の様子。
 11月24日(木)38豪雪の思い出
平年より40日も早く関東地方は雪に見舞われ大騒ぎ。
54年ぶりの大雪は38豪雪のことだ。
38豪雪の時は皆実高校高校3年生の冬。
年末に三菱重工の人達に混ぜてもらい、国泰寺高校の友人と一緒に
恐羅漢スキー場に行くことにした。
朝7時ごろ広島をバスで出発。
昼前には戸河内の恐羅漢登山口に下車。
30m位の雪の林道を暫く歩き、近道の為林道をはずれ
内黒峠への直登の登山道に入る。
友人(3年前癌で鬼籍に)と私は急遽、スキーツアーに混ぜてもらったので
リュックとスキーを担いでいる。
社会人のスキー部は雪の無い日に車で荷物は横川部落に運んでいる。
だんだんに雪が深くなり、遂に新雪が1,4mになった。
ラッセルの先頭者は一度雪を胸で押し、足を一歩踏み出す有様になった。
ラッセルを勤めるのは大いに体力を消耗するので10分間も持たない。
私達も一応体力が続くまでラッセルを引き受ける。
11人のパーティーなのだが直登は遅々として進まない。
2度目のラッセルを引き受けたときは疲労困憊し
先頭を交代する時は横に倒れ込んだ。
雪の中に倒れこんで、顔も雪に埋もれているのだが全然冷たくない。
新雪の綿に包まれている様で気持ちが良く、このまま寝転がっていたい。
皆に励まされ起き上がり最後列に廻る。
雪がなければ1時間で登れる直登の登山道なのに
5時間以上かけて内黒峠の林道に出る。
林道に出たとたん6~7m/Secの風が吹いていた。
いっぺんに体中が凍りついた。(下着も凍った気がした)
命の危険を予感した。
とにかく早く内黒峠の避難小屋へ急ごうと言い合う。
林道を100mばかり進むと、スキーとストックが立ててある。
先行者が重くなり捨てて行ったのかな?と思った。
更に30mばかり進むとリュックが道端においてある。
小便でもしに行ったのかな?と思いつつ進む。
林道がカーブした風当たりの少ない所に人が寝ている。
社会人たちがゆすって呼びかけていたが反応がない。
死が身近に感じられた瞬間だった。
二重遭難を避ける為にも、とりあえず非難小屋に全員辿り着こうという事に。
30分ばかり歩いて、殆ど日も暮れかかった頃非難小屋に到着。
社会人男性は非難小屋の戸板を外して遭難者の収容に行く。
残った者は大急ぎで火を起こす。
遭難者を収容して服を脱がしてタオルで乾布摩擦を4名で行う。
小一時間した頃パンツが濡れてきた(失禁)・・・・・・・死亡。
今夜は非難小屋で泊まることになるだろうと思っていると
夜中の11時頃横川部落の人達がどやどやとやって来た。
遭難者は二人連れで、体力の残っていた人が横川部落まで辿り着き
救援を求めたらしい。
二人は我々より一日前に登り始めたのだが、何せ二人でのラッセルは
体力の消耗が激しかったに違いない。
登りきれなかったので、木小屋で一晩過ごしたらしい。
内黒峠に出た途端強風に会い、一気に体力を奪われたに違いない。
夜12頃横川の住人に先導してもらい横川部落へ行く。
当時の恐羅漢スキー場は大根畑の上を滑る程度のゲレンデ。
リフトはなくロープ塔があるだけのスキー場だった。
それでも県内一の雪質だと言うことで人気はあったのだ。

38豪雪で学院の生徒が十方山に閉じ込められ米軍のヘリコプターに
助けられた事が新聞に載っていた。
この登山行で肝に命じたのは、絶対に100パーセント体力を使い切ってはならない。
30パーセントは引き返す為に残しておかねばならないと・・・
今月は我が「九死に一生」の事を二つも思い出してしまった。
 11月25日(金)プレジャー平日フライト
プレジャー平日フライトは看護師さんとリタイア組が参加する。
週末は天気悪そうだし、本日は天気良さそうで北の空には
クラウドストリートも見える。
11時前に田原さんに電話してみる皆さん良さそうだ。
急遽神の倉に急ぐ。
到着するとちょっと荒れていたがよく上がったそうだ。
田原さん、竹井さん、本田さんを誘って神の倉に上がる。
13時ごろは北風が爆風(8m/Sec)で入ってきて収まるのを待つ。
4m/Sec位に収まってきたので北斜面からテイクオフ。
ヘアピンカーブの伐採地まで行けず、鉄塔下で2往復でランディング。
20分後に出た竹井さんもあえ無くランディング。
30分後に田原さんテイクオフ。
伐採地に到着し粘ってジリジリ上げて行きトップアウトし海抜1000m。
川原さんもテイクオフし神の倉山頂で海抜1000mに上げ、沖に出して遊んだ。
本田さん、山本さんテイクオフしかいばつ800mへ。
斉藤さんもしっかりサーマルソアリングで廻し海抜1000mを越えた。
今回は自分の意思で上げて行き、土師ダムもしっかり観察できたと喜んでいた。
皆さん良い飛びになったので喜んでいた。

皆さんのフライトデータ

 11月26日(土)土曜立上げ教室
プレジャクラブは基本的に日曜日が練習日。
A級・B級の練習生は、ちょっとでもパラに触っていたい時期があるものだ。
彼らの為に、土曜日にMLで立ち上げ稽古をやりなさいと呼びかけている。
天気の良い日にやるので、NPおよびP証の人はフライトを田原さんに見てもらう。
NPおよびP証の人は、日曜日には新人さんの練習のお手伝いに
動員されるので飛ぶ機会を提供しようとするものだ。
練習生の穐山さんと藤見さんは一日中4mの風が吹いていたので、
じっくり納得いくまで練習できたようだ。
風が良いので一人で、グライダーを広げたり向きを変えたり出来るようになった。
グライダーの傾きの修正が正しく出来るようになった。
そこそこ思い通りにグライダーを扱えるようになったので、二人とも満足の様子。

お昼頃、第二陣で荒谷山に上がる。
荒谷山TOに上がると藁科さんがハンドクランチグライダーを飛ばして
サーマルの有様を調査していた。
「リフトは有るよ!」と言うのだが誰もテイクオフしようとしない。
南風4mばかりの風が入っている。
久しぶりにお毒見役を果たそうか・・・
荒谷山山腹の梢は揺れているようだ。
風向きはちょっと安定しなくて、風力の強弱も少しある。
かぜの雰囲気確かめるべく立ち上げてみると、一度は西を向き
二度目はキャノピーが上で整形されなかった。
ちょっと強めの三度目でテイクオフ。
すぐ右ターンして右ボールドン詰まりに行き、30mゲインして荒谷山山腹につけ
リッジを貰いながらじりじり上げて行く。
70mゲインしもう少し粘って100mゲインで遊んでいると
日高さん、藁科さん、足刈さん、中野さんたちが次々テイクオフして
同高度で右ボール上空で行ったり来たり。
誰かが突き抜けるサーマルを拾えば被せてやろうと
待ち構えていたがそんな条件にはならず。
リフトを感じ廻したらフォロー55Kmで荒谷山上空へ海抜760m。
ターン切って帰ろうとしたが時速は最低2,8Km!
バックしている?でも未だアクセルは使ってないので余裕。
アクセル使わずに沖に出して見る。
ずっと5Km/h前後で進んでいる。
無線でテイクオフの人にどれ位の風が入っているか聞くと4m/Seccとの答え。
テイクオフ正面の尾根筋まで出たらレベルまで下がったので
ターンして右ボールで海抜750mまで戻した。
待っていても突き抜けるサーマルは無さそうだし、これ以上
強風になると嫌なのでMLを目指したがとても届きそうにない。
三篠園の田んぼに降ろす。
田原さん、川原さん、甲斐さんがボンゴでピックアップに来てくれた。
久しぶりに一番手で出て、皆さんを引き出したので良しとするか・・・

本日のフライトログ
 11月30日(水)共命鳥行列
本日の謡曲稽古日に、先輩の法正寺の泉原さんから参加を飛びかけられた。
オバマ大統領が来広した影響は大きかったのだ。
最初の計画はハワイの仏教者と連携してハワイで戦没者法要を計画したのだが、
所定の人数が集まらず広島での法要となったようだ。
仏教者が真珠湾の全ての戦没者に祈りを奉げる行動は初めてかな?
以前沖縄にいった時「平和の礎」に沖縄戦で亡くなった人々の名前に、
全ての米兵の名前まで刻まれたいたのには驚いた。
沖縄の人々の深い平和主義に感銘を覚えたものだった。


「共命鳥行列」「真珠湾攻撃75周年 全戦没者法要」
12月8日(木曜日) PM13時50分集合 平和公園
            PM15時 法要 浄寶寺


 共命鳥とは・・

下記実施要綱