2004年クロカンシーズン突入だ!
もうすぐクロカンシーズンだなぁ〜

2006年 2 月   
2月4日(土曜日)パッちゃんお別れ
今日夕方5:46の新幹線でパッチャンがタイに帰国する
昨夜からパッチャンの荷物をパッキングする。ホアンの時もそうだったが、今回も私が全部してやった。
若い頃山登りをしていたので、リュックへきっちり荷物を詰め込むのは得意だ。
パッチャンは日本人形を10ケなど、多くのおみやげを買っていた。
先生やクラス全員や、親戚など60点以上は買ったのである。
日本の友人などからのお土産も30点以上は有る。
二つのトランクとゆっくサックに目いっぱい詰め込んだ。タイから持ってきたパッチャンの衣類や、
日本で買った衣類など全て後送する積りなのだが、目いっぱいの荷物だ。
ようやく夜1:30頃終了。

そんなわけでパッチャンはお昼の12時近くに起きてきた。
私の親の墓が近くにあり、以前玉石を敷くのを手伝ってくれた。お墓参りしてお別れを言うという。
仏教国なので、成長した子なのだ!!
墓石の文字に土蜂の巣があったので、枝でこさげ取ろうとしたら「おとうさん!ダメ!!」と言う。
パッチャンはハエや蚊に至るまで殺生は悪という教えが身に染み付いているようだ。
2時半頃家を出て、早い夕飯を食べに行く。最後に何を食べたいかと聞くと、焼肉と言ったので、「雲助」へ行く。
夕方5時に新幹線口に行くと、女学院のお友達は来ていた。
先生やAFSやお友達が40名ばかり見送ってくれた。
列車が30分間ばかり遅れて、涙、涙のお別れのはずであったのだが・・・・
パッチャンが財布を車に忘れたとプラットホームに上がってから言い出すので、
愁嘆場からとたんにドタバタの修羅場になってしまった。
車まで走って財布を取りに行き、途中由也が来てくれたので、バトンタッチをする。
私がプラットホームに上がると、扉は閉まってしまい、パッチャンの為に買った弁当を車掌室の窓が開いていたので
投げ込んで渡す様にお願いした。
列車は出てしまったのだが、女子生徒10名ばかりは泣いていて、プラットホームを降りようとしなかった。
4年前に見たホアンと同じ情景であった。
パッチャンも存在感のある娘だったのだなぁ〜・・・とつくづく思った。
詳しくは嫁さんのHPで。

  さようなら〜パッちゃん

2月5日(日曜日)
今日の予報は晴れ予報なので、北西風2〜3mだ。河原さんから高照寺に行くかどうかのメールが入っていたが
あまり行く人が居ない様なので、神の倉に向けて出発。
晴れ間がのぞくので、本流北西ではあるが、南東っぽく入っているので、とりあえず荒谷山経由神の倉という事で出発。
阿部号で高石さん、大方さん、徳ちゃん、向井さん達と一緒に出発。
テイクオフは3cmくらい雪があったので、除雪作業。そのうち、山本さん、藁科さん、増山さん、メンデル達も上がって来た。
晴れ間がのぞくと、南東や東北東からも入ってくる。風向きは一定しない。
晴れるとサーマルが谷を伝って上がってくるのか、雪煙が立ち上ってくる。
晴れ間がしっかり出てきたので、ラインチェックを始める。
やっぱ私が一番最初にスタンバイしてしまった。風向きはコロコロ変わる。フォローも吹いてくる。
今日初めて南西から強めのブローが入ってきた。
テイクオフ斜面から後のほう拡げていたので、立ち上がりきらず、後に引っ張られてしまった。
強いブローのあと、ちょっと心配だなぁとチラっと思ったが、まだブローは弱かったが、
続いていたので、立ち上げてテイクオフ。
テイクオフして、5mばかり進んだらドシンクにはまってしまった。
前に進まず、垂直に落ちている気がする。
30mばかり下がって15mばかりの木立のこずえが迫ってくる。
ついに1mばかりの高さで梢がせまってきた。狙いすませて梢を足で押さえつける。
フットバーが引っかかるかと心配したが、何とかクリアー。
谷底まで落ちていくのかと思ったが、すぐにリフトを感じる。
何とか南小山に取り付け。
サーマルは上がっているのだが、はずしまくり。
本流は北西なので、かぶっている所もあり、グラグラする。山本さんの無線が聞こえてきたが、
何を言っているのか分からない。返事をしている暇もない。
サーマルはずしながらも、レベルでマキゴンポイント上空まで来ると、オッ!!天国へのいざないが・・・・・。
雲の吸い上げに出会った!!結構広い範囲の吸い上げで、いい加減に廻しても上げてくれる。
ついに雲底(海抜1100m)につけた。雲中に吸い込まれそうなので、雲の端に寄る。
雲は北西に続いているようなので、可部方面に機体を向ける。
5分間ばかり走ったが、雲がうすくなり、シンク音が鳴り出した。
Uターンして神の倉上空を目指す。シンク音なしで、南の屏風上空へ。北の鉄塔へ移動するも、途中で雲はうすくなってしまった。
神の倉テイクオフへ引き返す途中、徳ちゃんが、無線で「今から全員神の倉へ移動します。」と伝えてきた。
「それでは神の倉テイクオフで待っています」と返事する。
結局誰もテイクオフ出来なかったようだ。神の倉テイクオフ上空に戻ってきたが、リフト帯は見当たらない。
トップランしかなさそうだ。
北西1〜2mの風。西斜面から進入してトップラン。
一時間ばかりのフライトで雲底まで行けたし、一人飛びであったので、良かったとしよう。
テイクオフのとき、山チンはしなかったのが何よりの事であった。
神の倉はずっと雲が張ってしまい、三時頃まで待ったが、状況は変わらず。
ぶっ飛んで4時過ぎには帰宅した。
2月18日(土曜日)
昨日天気予報は南部晴れマークだったが、北部は曇り。
朝起きてみると、見事に晴れ渡っている。
久しぶりのすっきりした青空だ。

「うちとパラグライダーとどっちが大切なん!!」とせまってくるパッちゃんも、今はタイに帰ってしまった。
タイに帰った今でも、毎晩10時〜12時までMSNのチャットをしに来る。
「一週間に一度は電話ちょうだい」と言うので、金曜日に一時間ばかり話しをする。
とは言っても、私はあまり話題がないので、嫁さんが大部分会話をしてくれるのだが・・・・・。

2月13日に次男がようやくアメリカ留学を終了し帰国した。
10年前、19才で語学留学で渡米し、7ケ月で帰って来た。
ヤレヤレと思っていると、次男曰く「語学留学の人は60%は一度社会に出て、留学を思い立ち、
アメリカに来ていて真剣なので、僕もそうする」と、日本に帰国してきてしまった。
一年半ばかりフリーターをやっていた頃は、このままフリーターで終わるのか!!と心配した。
突然「お金出来たので、もう一度アメリカに行きます」と渡米した。
タコマ(カレッジ)〜サクラメント(カレッジ)〜サンノゼ(ユニバーシティ)と居場所を変わった。
留年しながらも、何とかサンノゼ州立大学を無事卒業する事が出来、先日卒業証書が送られて来たのを見て
夫婦で感慨深い思いにひたった。
外国は卒業がむつかしいと聞いていたので、次男がいつかはケツを割るのではなかろうかと心配した。
卒業が出来ない事より、ケツを割ったという負け犬根性が出てきたのでは、
この10年がパーになってしまうのではないか・・・と。
なにはともあれ無事卒業してくれた。
10年前に持たせた300万円と、フリータで貯めた120万円、そしてアメリカで少しアルバイトをして、
8年ばかりのアメリカ生活を成し終えた。
渡米する際、「決して日本人と群れてはいけん!!」ときつく申し渡した。
ホームステイやハウスシェアーで日本人と一緒には住まなかったようだ。
英語で授業受けられるようになったのは、意味ある事だと思う。
日常会話に不自由しなかった、頭のいいぱっちゃんでも、授業は分からないと言っていた。
持参した420万円と、バイトしながら8年間生活した(授業料は送ってやった)という事は、
何とか生きて行くクソ度胸は付いたかな?と思う。
因みに、5万円の家賃で食費は1万円の生活だったようだ。
車は必需品でフォードのステーションワゴンを40万円で買って乗り回したらしい。
帰国に当たって、ちゃっかり20万円で売ってきたようだ。
3年前の夏に7万円の往復チケットでゴムぞうりを履いて帰って来たのを見て、
世界中どこにでも行ける奴に成長したな!!と内心ほくそ笑んだわけである。

就職には中途半端な時期で、29才であれば尚更な事きびしい事にはなるとは思うが、
クソ度胸で頑張ってもらいたいものだ。
私が仕事をリタイヤする事も伝えたので、退路を断たれたも同然なので、
何とかクソ力を発揮してくれる事を願うばかりである。

毎週土日に狂ったようにパラに通う不良オヤジは、次男坊に呆れられている。
「生命保険は効くので、心配するな!」と言い残して10時前には家を出る。
10時半に到着したが、学生と斉藤さんしか居ない。
北部は曇りの予報だったのだが、晴れていて雲もポコポコ出来ている。
ハングの近藤さんが、「稲垣さん!荒谷に上がりますが、どうですか?」と声を掛けてくれた。
本流北西風だがテイクオフは正面っぽく入っている。
「ダミーを努めましょう!!」とハングの車で荒谷山テイクオフへ上がる。
テイクオフは無風になったり、正面からホロホロ1〜2mばかりの風が入ったりである。
正面ボールから時々サーマルが上がっているようだ。

3分ばかり正面風が続くのでテイクオフ。
正面小山でサーマルは上がっていた。弱く小さいのと、北西風のかぶりで、テイクオフ場に寄るとシンクになる。
不用意に沖に出してしまうと、サーマルを突っ切りそうである。
サーマルをはずし気味ながら、何とかしがみ付いていると集束したサーマルに乗れたようで、
雲底1450m(海抜)に付ける事が出来た。
雲底を移動し、吸い上げの強いところで廻すとあたりが白くなり始めた。
今日は何だか寒い。あまり顔が冷たいので、雲中は避けて雲の端に寄る。
ハング2機はまだテイクオフしないしパラは誰も居ない。
しばらく雲底で遊んで、神の倉テイクオフ場を見ると3〜4機グライダーを拡げている。
自分ひとりで飛んでいても寂しいばかりでつまらないので、神の倉へ移動。途中雲はない。
これだけ晴れていたのでどこかにサーマルは上がっているだろうとタカをくくって移動。
しかしサーマルの気はどこにも見当たらずシンク音ばかり。
ハングが一機テイクオフしたが、荒谷山にもサーマルなかったのかぶっ飛んで来た。
さみしいので、神の倉テイクオフにトップラン。40分ばかりの一人フライトであった。

その後、ハングが一機テイクオフしたが、これもサーマルに恵まれず神の倉テイクオフで、学生のテイクオフを見ながら、
まったりしていると荒谷山からパラがテイクオフし、ステイし始めた。
私も荒谷へ移動しようと、神の倉からテイクオフし、ぶっ飛び。小田さん号で荒谷山へ上げてもらう。
7〜8機、1400m(海抜)に上げている。
河原さんと地森さんが、続いてテイクオフし、すぐに左尾根にとりつき、磨き始めじりじりと上げて行った。
鍛冶ちゃんがテイクオフし、正面でキコキコやってトップアウトした。
正面が開いたので、私もテイクオフ、キコキコやるのだが、なかなかトップアウトしない。
あまりテイクオフ前を占領するもの悪いので、東尾根に渡ろうかと向けたが、シンクに捕まってたどり着けそうにない。
あわててテイクオフ前に帰ってきたが、高度も下がっていて、どんどん下がってしまい緊急ランに降りてしまった。
他の人は下がってくる事もなく、1400mを飛んでいる。そのうち神の倉に移動する人は下がってしまった。
パラを担いでメインランディングに帰っていると、大方さんの車に出会う。
小田さんをサブランに迎えに行き、荒谷山テイクオフへ。
さほど上がる気もしない。大方さんに飛んでもらい、小田さんと私で、車を降ろし本日終了。

あとで聞くと、私一人寂しく飛んでいる時、集まってきた人達全員一人飛びの私を注目してくれていたらしい。
それならば、まずまずのフライトデーだった。

2月19日(日曜日)
一日中曇り。
12時一瞬のうす曇りをついて井口さん神の倉テイクオフし、右尾根で弱いサーマルを大事に廻し、
+500mばかり上がって一時間強の一人飛びであった。
阿部ちゃんが鉄塔下で粘ったがトップアウト出来ず。
皆んなぶっ飛びデーだった。井口さんの一人勝ちであった。
私は3本ぶっ飛び。