8月4日更新
第2回目北海道 2008年 7月 |
7月1日(火曜日) 岩見沢から234号線で苫小牧に行く。 昨年室蘭のイタンキ浜を案内してもらった長尾さんに連絡し「飛べますか?」と聞く。 苫小牧で帰りのフェリーのキップを買いにJR駅に寄る。苫小牧から敦賀の切符を買う。 イタンキ浜に12時頃到着。長尾さんと一年ぶりの再会。 風見をしていたのだが、とりあえずゲストハウス上の斜面に上がって様子を見る。 イタンキ浜は南東が正面の100〜150mの海リッジエリアである。 今は南南西2〜3mといったところか?もう少し東に振ってくればとウエイティング。 しかし西南西に変わって裏風っぽくなってしまった。諦めて下山。 長尾さんは高低差30mを何度も休息しながら歩いている。 今年の冬に朝霧などで飛んで、フェリーで苫小牧に帰る途中、八戸沖で大変な状態となり、 海上保安庁の船に乗せかえられ八戸病院に運び込まれた。 しかし、夜の当直医は若い医者で様子を見ましょうという事で、病院で支払いをしている時、 たまたまベテランの医者が来て、もう一度検査しましょうという事になった。 検査済ませると、意識を失って集中治療室へ入る。 途中気が付いたが再び意識を失い20日間意識を失ったままだったそうだ。 北海道に帰る体力をつける為、結局2ケ月以上入院していたそうだ。 奥さんはずっとホテル暮らしで、毎日看病に通う始末。歩ける体力に回復したので、北海道に帰れた。 一日2箱吸っていたタバコもやめ、酒も止めたそうだ。 散歩などで少しづつ体を慣らし、でも3月にはイタンキ浜で飛んだそうだ。 現在もパラグライダーを立ち上げて横移動に力が入らない状態だそうだ。 今日の担ぎ上げも、退院以来初めてだそうだ。 何とか私を飛ばせようとして気を使って頂いたが、断念して登別温泉を案内して下さる事に。 私の子供の頃温泉地で、九州と言えば別府、北海道は登別であった。 そして北海道土産といえば木彫りの熊が定番であった。 北海道の観光案内で登別温泉がNO1といった印象は今では皆無である。 昨年の北海道旅行の時も、登別温泉はパスしてしまった。 無線で連絡を取りながら長尾さんの車のケツにくっついて行く。 別府ほど広域ではないが、深い谷間に10数階建てのでっかりホテルが林立していた。 昔の栄華だけで、今は寂れているのかと想像していたのだが、なかなかのものであった。 観光バスから降りてくる人々の話し声を聞いていると、ほとんど中国語(台湾)や韓国語である。 日本語の連中は個人旅行者の様だ。 日本の観光地は外国人客、とりわけ中国、韓国のお客さんを抜きには、成り立たないところまで来ているのだろう。 まず天然足湯に行く。登別温泉の源泉で、大湯沼から流れ出て来るお湯の川で、 冷えて丁度いい湯加減のところに丸太を転がしただけの場所がある。 よく説明を聞いて行かないと無料だし、誰も行かないのではないかと思われる。 長尾さんも初めて行くのだと言っていた。 行くと若い白人が1人丸太に腰掛け足を浸けていた。 私が「ファイン?」と声をかけると、「ベリーウエル!!」と親指を立てていた。 ズボンの裾を捲り上げて川に入る。足湯にしては1〜2℃低いかな? まさに天然かけ流しの足湯で気分は最高。 嫁さんは青年と話し込んでいる。 彼はカナダ人で、大学を卒業して大学院に進むので一ヶ月間、日本旅行に来たようだ。今2週間目らしい。 地獄谷に行ったが、噴煙はわずかで、迫力には乏しかった。 次に源泉の大湯沼に行ってみる。 直径100mくらいの沼で、50℃位の湯で、温泉成分の濃いそうな泥沼であった。 温泉街では使い切れない湯が先程の天然の足湯の川となって流れているのである。 長尾さんが子供の頃から変わらないという事だった。 温泉街の銭湯「さぎり湯」(390円)に入る。 硫黄のにおいがして、アルカリ性でヌメヌメの湯で、嫁さんは大喜び。 長尾さんの家に是非泊まれと誘って下さるので、お言葉に甘える事にした。 長尾さんが奥さんに電話して、泊まることを告げて、何か食材を買って来てと頼まれたらしい。 夜7:30になっているので「とんでもない!!食事して帰りましょう!」と夕食は断る。 長尾さんの家の近くの洋食屋さんに立ち寄る。「洋食」という呼び名を看板に書いてあった。 子供の頃によく使った言葉だが、今は死語なんだろうなぁ〜。 カレーのお店で、イス、テーブルもどっしりした作りで古風さを感じる。 インド人もびっくりの辛いカレー「インドカレー」を注文。 長尾さんも嫁さんも半分しか食べられなかった。私は一応完食。 ちょっと辛すぎてカレーのコクを味わう余力がなかった。 8;30頃長尾宅を訪ねる。 突然の訪問を詫びたが、気持ちよく迎えて下さった。 長尾さんは久しぶりにパラの話が出来る仲間が出来たので 機関銃の連射の如く話が止まらない。 |
7月2日(水曜日) 今日の風予報は西風(裏風)である。 長尾邸の居間にデスクトップの立派なモニター付きパソコンがデンと座っている。 サポーターの居ない60才台のおやじにとって、パソコンは買ったが、何をどう使うか?が大問題なのである。 いろいろやってはみたいのだがパソコンのほうから「はい」「いいえ」などと聞かれると、壊してしまったらどうしようと、 「はい」とか「次へ」とかのボタンが押しにくいのである。 次に進んでわからなくなって、引き返せなくなったらどうしよう!など考えてしまい「いいえ」を押してしまう。 「はい」など押しても自分が何をしているのか分からない! 終了して、後から「何をしたのですか?」などと聞かれても答えようが無い。 ヘルプで調べようにもカタカナの名称が出てくると、その事が分からないのでヘルプも開けない。 60才台のおやじは高いパソコンや解説本は買えても、どうにもこうにも歯が立たないのである。 息子や部下に聞いても教えてくれるのは2度までで、あとは「ヘルプを見たら?」で終わりである。 馬鹿にされるのはくやしいのだが、どう頑張っても「ヘルプ」がヘルプにならないのが60才台のおやじなのである。 その点、同好の士というものはありがたいものである。年が離れていても同じ目線で話が出来る。 パソコンも同じ事を何度も飽きることなく面倒を見てくれるが同好の士である。 私はパラグライダーの若い仲間に恵まれ、手取り足取り何度でも教えてもらう事が出来る。 イタンキ浜エリアは現在フライヤーは4名だそうで、天売島のオロロン鳥のごとく絶滅危惧種だ!! そんなわけで長尾さんは若い仲間が近くにいないので、パソコンはメールと天気予報を 知る為の単機能の機械になれ果てている。 長尾さんと私との年は同級生なのだが、パソコンはちょこっと私が上の様なので、講習会となった。 まずスカイプをインストールする。私がするのでなく、長尾さんに操作してもらう。 フリーソフトをインストールして、パソコンが動き始める喜びを味わってもらいたかったのだが・・・・。 スカイプは私の乏しい知識でも長尾さんの手助けになればと、無料電話の出来るスカイプを入れた。 まだマイクを持ってないので試しに話すことは出来なかった。 私が広島に帰ってからでもスカイプで少しはお役に立てるかもしれない。 スカイプで長いお付き合いになるだろうと思う。 お気に入りに私のHPは入れてあった。(ちょっとうれしい) 価格.Comや気象庁の風向きなどを入れる。 午後、リアルタイムの風向きを見ると正面っぽいかもというので、イタンキ浜に出かけてみる。 残念ながら左45度で1m/Secでとてもリッジなどはとれる風ではない。 虎杖浜のホテルの風呂に入りに行く。 京都府警の車が15台ばかり駐車してあり、サミット期間中は日帰り入浴は出来ませんとあった。 仕方ないので同じ浜の猟師さんが入る銭湯に行く。泉質は同じという事だ。 「アヨロ温泉」と錆びた看板があった。浴室はカランが無く、長細いかけ湯の湯留からすくって身体に掛ける。 お湯はアルカリ性でぬめぬめ美人湯系で肌にやさしい。300円はうれしい。 虎杖浜で加工した干物などを売っていて、早速嫁さんはスキミタラを買っていた。 食事も海の幸で美味しいかも・・・ 今夜も泊まれ!泊まれ!と言って下さるので、パソコン教室の続きという事で、お世話になる事にした。 スーパーで北海道ならではの買い物を手伝ってもらう。魚介類コーナーで品定め。 毛がに(ロシア産)がボイルしたのが1パイ350円、生カニが1350円で売っていた。 長尾さんは手に持って重さをみていたが、ダメだという。こちらがいいとホタテの生を勧められた。 ボイルしてきれいに並べられたものもあったがこちらがいいと言う。 秋刀魚の甘酢浸けや、イカの粕漬けも買い込む。奥さんも料理をして下さっていて、豪華晩餐会となった。 奥さんは炊事の時ゴム手袋を付けてやっておられた。失礼とは思ったが理由を聞く。 私が10年近く悩んだ汗胞であった。 皮膚の汗の出る穴が潰れ(?)汗が表皮の内側にたまり、水虫のように皮がボロボロになる。 風呂に入ると表皮がシワシワになって手をこすり合わせてだけでポロポロ落ちる。 手のひらは真皮だけになり、ピンク色となる。もういきなり肉なので、細菌も入りやすく 膿んだり、表皮がすぐかぶれ、血が出るそうだ。 主婦は水仕事から離れなれないので、いつまでも表皮が出来ない。 長尾さんが八戸で入院していた2ケ月の間は治っていたそうだ。 おととし川地塾で川地さんが花粉症の症状を抑えることの出来る 「シジューム茶」というのを持っていて、試しに飲ませてもらった。 ちょっと症状抑えられたかな?と思いドラッグストアで安いのを買って煎じて冷やしてお茶代わりに飲んでいた。 杉花粉症のようで春の飲んでいたのだが、初夏になっても汗胞にならないのだ。昨年もちょっとシジューム茶は飲んだ。 今年は花粉症もひどくなくシジューム茶は2〜3回飲んだだけである。 汗胞の兆候は全然ない。シジューム茶のお陰で汗胞が出来ないのか、もう治る時期が来ていたのか定かでないが、 10年近く苦しんだ汗胞がなくなった。 もしかして汗胞にも効くかもしれないので、奥さんに試してみるよう勧めた。 登別市のドラッグストアーに寄ってシジューム茶を聞いたが置いてなかった。 広島へ帰って送ってあげる事にした。奥さんはワラにもすがる思いの様であった。まるっきり薬効がなかったら 期待させただけで、よけいかわいそうだが、安いものなので試してみる価値はありそうだ。 北海道人が選んで勧める物はさすが美味しかった。2日連続して出してもらったメロンは甘く美味しかった。 アスパラガスはやわらかく歯ごたえがあり、甘くておいしかった。(ちょっと矛盾した表現だが・・・) 長尾さんにパソコン操作の宿題を出して、我々3人は汗胞や健康食品で話が盛り上がる。 奥さんも嫁さんも試した健康食品は数知れずだが、お互い共通のものを沢山試していて、話題がぴったり当たった様だ。 そんなわけで0時過ぎまで話し込んでいた。 |
7月3日(木曜日) 長尾夫妻に長逗留を謝してお別れ。 お昼にはメグちゃん(河原妻)のお母さん(中村さん)と会う事になっている。 北海道の結婚式と幸太君が生まれた時顔を合せている。 三ツ星製菓の駐車場で落ち合う。一緒にメグちゃんのお母さんの弟さんの奥さん〔ミエさん)が来られた。 中村家に立ち寄って、一台の車で漁港水産市場で働く人達が利用する食堂に行く。 13時だというのに外に10名ばかり並んでいる。20分くらいしてようやく中に入れた。 壁や天井までここに来て食べた有名人達のサインや写真が所狭しと貼られている。 テレビなどでも紹介され漁港の食堂としては大ブレークと言ったところか・・・・。 またまた、へそ曲がりな私のへそが曲がり始めた。 この色紙はタレントか、スポーツ選手が求められて書いたものであり、自分の名を売るために書いたものである。 お店もこんなに沢山の有名人が来てくれたという証明に張りまくっている。 しかし、料理の美味しさの証明には成らないと思う。 この食堂の血のにじむような努力試行錯誤の末にたどり着いたものであれば長続きするだろうが・・・・。 ブームが去って静かになれば漁港の人々もゆっくり食事が出来るというものだ。 恐らく新鮮な材料を旬に食べる事の出来る、漁業関係者の舌に答える食材を出していたのであろう。 現在は行列が出来始め、旬も何も分からぬ私達のような素人が押しかけ、 お店も人々をさばくのがやっとといったところか・・・ ここのホッキカレーには驚いた。メニューに大盛りカレーと言うのがあった。 ステンレスの皿で食べているのが大盛りと思っていたが、陶器の大皿で 出しているのが大盛りであった。おそらく他の食堂のカレーの3〜4倍のご飯の量なのである。 5人に1人くらいは大盛りを食べていた。大食いの女の子のタレントにも負けない位だ。 私はホッキ丼を注文し食べた。 温かい丼ごはんの上にホッキ貝がずらりと並べてあるシンプルな丼。 私は色々味付けしてある食べ物より、単純明快な食べ物の方が好きだ。 嫁さん達の海鮮丼が出てくるのを待っていたので、生のホッキが温かくなってしまった。 ホッキ貝がもっとゴリゴリ感があるのかと思っていたが、ちょっと物足りなかった。 ホッキ貝を食べるのはこれで3度目なのだが、昨年小樽の魚市場で食べた刺身の方が おいしかったと思った。旬の問題もあるのかな? 生のホッキ貝を温かいゴハンにのせる意味がどこにあるのかな?と思ってしまった。 刺身にして出してくれて、温かいご飯で食べた方が余程美味しく食べれるのにと思った。 恐らく忙しい漁港関係者が昼飯をかき込むのに、ホッキ貝(さしみ)をメシに並べて出してやったのが 始まりではないか?と思った。 食事を済ませ、ウトナイ湖に連れて行ってもらう。 水辺の鳥たちの観察小屋や教育施設があり、湿地帯には木道が敷いてある。 風が強く少し寒かったが、木道を3Kmばかり散歩した。 水鳥の渡りの季節でないので、湖には水鳥の姿が見えず、林の中ではウグイスが自慢の鳴き声を聞かせてくれる。 湖面を渡ってくる強風で林の上ではとんびがリッジソアリングをしている。 2羽が争っているなと思ったら目の前にポトリと30Cmばかりの鯉が落ちてきた。 北海道の太平洋側は今の季節、ガスが低く垂れ込める。今日もタワーの(50m)上のは見えない。 ウトナイ湖野生鳥獣保護センターにもどる頃はとうとう雨が降り出した。 中村家に帰って一休みし、パソコンに「不良おやじ」をお気に入りに入れる。 夕方中村さんの弟さんも交え、5名で日本料理屋「熊谷」にて豪華夕食を頂く。 ここのおやじはうんちくが多く一品、一品出すごとに説明をしてくれる。 最も私のような味音痴な者にとっては、説明がある方が安心して食べる事が出来る。 うんちくが多いだけあってこのおやじのこだわりが伝わってくる。 まず店で使う野菜は700坪の自前の畑で自分が育てているそうだ。 少しづつ時期をずらして播種しているそうだ。魚も肉も生産者の所へ行って仕入れてくるそうだ。 第一主義的には安全、安心なもの、そして旬のものを提供している。 それなりの工夫と苦労がしみているので、其々美味しく頂けた。 唯一、鱒の種類で名前は失念してしまったが、「美味しいでしょう?」と言われたが、同意しかねた。 今は漁獲量が激減した貴重な魚種らしいのだが・・・・。 何故同意しかねたかと言うと・・・ 私が子供の頃は新巻サケは安価なものであった。 毎日塩鮭の切り身を食べさせられると食傷気味となる。唯一腹身は油がのって美味かったが・・・。 サケ独特のにおいが子供の柔らかい脳みそにこびりついて、今でもサケを出されると胸焼けをおこすのである。 皆さん同年配なので昔は貧しかったよね!と同感しあう。 夕食後苫小牧港まで送っていただいた。 えらく辺鄙な所にありカーナビ備えていないし、人に聞こうにも人家もない。本当に助かった。 北海道は広いのでウロウロしている間に出航時間過ぎるところであった。 是非広島にも来て下さいと握手して分かれる。 夜11:25分出航。風呂は0時30分まで使用可であったので、ひとっ風呂浴びる。 |
7月4日(金曜日) 朝8時からバイキング朝食の案内がある。食堂に行くと、私達を入れて7名であった。 乗用車は30台ばかりあったが、皆さんは持参のものや自販機のもので済ませるのだろう。 夕食も15名ばかりしか集まらなかった。ガソリンの値上げがこんなところにもびびいているのか? 乗船客は少なく、船の燃料代が出るのか?と他人事ながら心配した。 嫁さんが買っていた「大人の国語力」で漢字や四字熟語の問題をやる。「ナンプレ」もやってみる。 何もやる事も無く有り余る時間なので、私も付き合って出来た。覚えている筈の漢字などが出てこない。 若い頃より半分位能力が落ちている気がする。ボケ防止の為にも何かやってみないと・・・。 たまっていた日記も書く。 15時頃風呂に入る。大海原を見ながら、大きい風呂に浸かっているのはまったく気持ちがいい。 波で揺られながらの入浴は大海原に漂っているかのように錯覚する。 船内のレストランで夕食をとる。 20時30分敦賀に下船。 敦賀港に泊まろうかと思っていたが、車がドンドン来るので流にのって走り「シーサイド高浜」にて一休み。 河口の側の道の駅で、釣り人がスズキを狙っていた。30分位見ていたら40Cm位のスズキを釣り上げた。 釣果が見えたので出発。 0時近くに舞鶴の「お魚とれとれセンター」道の駅に到着し、車中泊。 |
7月5日(土曜日) 暑い!!6時頃目が覚めた。シャツが汗でべとべとだ。 涼しい湿度の低い北海道から、いきなり梅雨真っ只中の内地に帰ってきたので最日朝からぐったりだ。 もう寝てられない!!車を走らせてクーラーをつけようと6:30出発。 明日10時頃、謡曲の会がある姫路の塩田温泉に行けば良いのである。 朝早く出発したので兵庫県の青垣町のパラエリアに行きたいろころだが・・・。 そうもいかんので淡路島を目指す。明石大橋のたもとの道の駅に10時には到着した。 アナゴやエビなど海産物が沢山売られている。農産物コーナーでは玉ねぎ、枇杷が多く並べられていた。 お世話になった北海道の皆さんに何を送ろうかと悩んでいた。そうだ!枇杷は北海道には無いはずだ!! 枇杷をお店に納品に来ていたおばさんにおいしいかどうか聞く。「今年はぜんぜんダメだよ」とつれない返事。 一箱かって試食してみる事にした。 「こちらの農協の方がおいしいはずだよ」と教えてくれた。 おばさんの正直さに感じ、北海道の人には珍しいと思うので送る事にした。 淡路島は瀬戸内海で一番大きい島だ。時間はたっぷりあるので沿岸部をぐるりと廻ってみよう。 北淡町の野島断層の展示館は見ごたえがあった。 震度7の体感施設もあり2時間ばかりゆっくりと見学した。 とにかく海岸線を走る。何もあるわけでもないのだが、私は足跡を残すのが好きなのだ。 鳴門大橋の記念館に立ち寄る。淡路島人形浄瑠璃館があった。 そうだ、20年程前に家族4名ではじめて人形浄瑠璃を見たところだった。 子供達と一緒に見て泣いた事を思い出し、ちょっとしんみり。 夕方5時頃、明石大橋まで帰ってきた。近くの「松帆の郷」の温泉に入り夕食を食べる。 松帆(まっぽ)は藤原定家が「こぬ人を松帆の浦の夕凪に、やくやもしおのみも焦がれつつ」と詠んだ所だそうだ。 露天風呂から明石大橋のライトアップが見える所でゆっくり過ごす。 20時過ぎに出発。 出来れば姫路の塩田温泉に少しでも近づきたい。 高速道路にのったが間違えて山陽自動車道にのってしまった。 本当は中国自動車道にのって途中のPAで車中泊と思っていたのだが・・・。 山陽姫路東ICから、中国自動車道の福崎ICを降りて、塩田温泉方面へ走るも えらく田舎で、コンビニもみつからないので、聞くこともできない。 ようやくファミマがあった。電池を買って塩田温泉を聞く。 「次の信号を左に曲がれば塩田温泉です」と聞いてやれやれ・・・。 しかし5分ばかり走っても次の信号がない。不安になりかけた頃ようやく信号が・・・。 左折して10分ばかりで「夢の井」ホテルの看板があったので敷地に入って行く。 ホテル玄関前に来てしまった。そのまま通り過ぎてホテル駐車場へ。 どこにも移動しようがないので、この駐車場で車中泊としよう!! 車を駐車させて、灯りを消し寝る段取りをしようと思っていると、 懐中電灯を持った警備員が一台、一台車を照らして廻りだした。 夜0時過ぎに玄関の前を通った車が出てこないので不審車と考えたのであろう。 嫁さんも私もまだ座席に座ったままである。後部座席に隠れようかと思ったが、ますます不審車と思われてしまう。 仕方ないので息を殺して身じろぎもせず座っていた。見つかれば仕方ないと色々言い訳を考える。 警備員もこんな時間にこんな所で不審者を発見するのも気持ち悪いだろう。 ナンバープレートの部分を照らして見廻っているだけだ。運転席は照らさない! 遂に私の車の前に来てナンバープレートを照らしたが、私達には気がつかない。 私の車の後ろに街灯があって、逆光になるので運転席が良く見えないのであろう。 私の方からは警備員の顔の表情まで良く見える。 警備員も実はこちらが見えていて、直ぐにさわぐのは危ないので、後で警察を呼ぶのか?などと色々考えてしまう。 余程こちらから声をかけ、明日は「夢の井」さんに泊まるので、 今夜はここで泊まらせてくれるように頼もうかと真剣に考えた。 目が合うほどの距離だったが、警備員は気づかず、次の車に行った。ヤレヤレ・・・汗が噴出した。 今夜はトイレも我慢して静かに車中泊。 |
7月6日(日曜日) 喜多流の職分、粟屋明生先生の夏の「ゆかた会」が昨日から開催されている。 今日も朝7時から開始である。先代の人間国宝粟屋菊生先生の時は、朝6時から開始だった。 朝5時に目が覚めたが、ウロウロするわけにいかない。 6時までじっとして服を着替え、6時半にフロントに行く。 「粟屋明生先生のゆかた会が7時から開始されるので来ました」と伝えると、2Fの「野武士の間」を教えてくれた。 ゆかたと袴に着替える為に大浴場に行き、一風呂浴びる。 7時半頃「野武士の間」に行くと、すでに謡曲の発表会は始まっていた。 粟屋明生先生にご挨拶して席に着く。男性の謡曲の2/3位は全員地謡で舞台に上がらねばならない。 私が習っている本は持参していたので4番位舞台に上がり、皆さんと謡った。 今日の参加者は100名位で、女性6割、男性4割だ。 関東地方から3割位で、あと7割は関西地方の様だ。 広島からは私達のグループ5名と女性グループが10名ばかり来ている。 16時頃まで休み無しで謡曲や仕舞いが続く。昨日の開始は遅かったが一日中びっしりやっていたそうだ。 16時過ぎには終わり、18時から打ち上げの会。 後評で私たちのグループの若手(30代前半)が頑張ってくれたのが、男性郡で一番だとお褒め頂いた。 殆どが60代、70代、80代の年代の超ベテランの教師、教授の人達なので、 素直に若い人にエールを送っていただいた。 彼らは来年4月の厳島神社の御神能で「敦盛」の能を一番奉納する事をご披露され、 超ベテランの皆さんからヤンヤ、ヤンヤの拍手を頂く。 私達年寄り組も1時間の地謡をつとめる事になるので、ボチボチ覚えていかないと間に合わなくなる。 今夜は予約してあるので、大威張でホテル泊だ。 |
7月7日(月曜日) お泊りの皆さんの内、36名が姫路観光バスで出発だ。 私達も車でくっついていく事にした。 近くに住んでいるのだが、姫路に降り立った事がない。 世界遺産になった、姫路城くらいは見ておきたい。 しかし、姫路市内は日差しも暑く蒸し暑い!! 観光バスは書写山に向かい始めた。 私たちは行くのを辞めて、姫路城を目指す。 市内に道を探すのはカーナビがないと不安だ。 何とか、姫路城に到着。クーラーの効いた車を降りると死ぬほど暑い。 兎に角早めに見物だけはしよう。城内に入ると少しは涼しい。 床板も、鴨居も、敷居も、柱もぶ厚くでかい。 昭和の大修理の写真や説明を見るとこのお城の雄大さが良く分かる。 重機など無かったその昔、よくぞこんなものを建てたものだと感心する。 現代の科学の進歩もすごいが、400年以上前に知恵と努力でこんなお城を良く立てたと思う。 北海道でアイヌの丸木舟を石器だけで作るのをビデオで見た。 石器が鉄の道具と変わりなく働くのを見てびっくり! 石器時代の人々も大いに知恵を働かせていたのだ! 当時の人々も、現代人も精神性では同じなのではなかろうかと思ってしまう。 現代人が石器時代の人々より抜群に賢いとは思われない! 天守閣で、風通しの良い所で15分ばかり休んで早々に見物は引き上げた。 姫路バイパスを通ったので,福山まで下道を走る。 福山から高速に乗り5時過ぎ我が家に到着。 北海道を出てからは蒸し暑く、本当に疲れた。 長尾さんの奥さんは手先が器用で、はぎれでかわいい小物を作っておられた。 嫁さんが感心すると、色々下さった。 車のマスコットにしてずっと使わせてもらおう。 昨年は7500Km走ったが、今年は北海道の内陸部であったので5000Kmであった。 今年は全行程、私のみが運転した。良く走ったものだ。 ピンクが2007年 ブルーが2008年に走った行程 |