8月20日更新

北海道    2007年 7月   
7月1日(日曜日)
旭岳姿見池→旭岳山頂2290m→天人峡の羽衣の滝→「あさひかわ」道の駅

旭岳姿見池へのロープウエイが朝6:00からだ。4時半には明るくまぶしい。
起き出して見上げると旭岳が逆光で黒々と見える。
駐車場に続々と車が集まり登山客達が支度をしている。バーナーでラーメンを炊いている人も居る。
私達も一番機で上がる事にした。
高山植物のお花畑を見る積りだったのだったのでラフな格好で行くつもりだった。
観光客は未だの様で、登山スタイルの人ばかりで、ちょっと恥ずかしいのでパラ靴を履き、リュックを背負う。
しかしリュックに詰めたのはペットボトルのお茶と残っていた飴玉5個だけだ。
あとは寒かったらまずいので長袖のシャツをほおりこむ。
ロープウエイのゴンドラは101名が定員で、並んでいた登山客をいっぱい詰め込んで定刻出発。
この頃になるとガスが立ち込め旭岳が見えなくなっていた。
出発して100mも上がるとガスも晴れてきて上空は雲ひとつない青空だ。ヤレヤレ良かった。
登山客はさっさっと山頂目指して登り始めた。ゆっくりしているのは4〜5名程度。

   雲底高度700m?

 雲より上は快晴の天気 旭岳遠望 101人乗りのロープウエイ

小さな子供たちの10人くらいの集団が居る。
一人の子供をつかまえて聞いてみると小学1〜2年生だと言う。
今日は旭岳山頂に登ると言う。
えらく若いお父さんや、お母さんだなあと聞いてみると大学生であった。
大学生達がボランティアで子供達の面倒を見ているようだ。
人と人の繋がりが希薄になってきた時代になってきたのに・・・・
大学生活を楽しく遊んでいたいだろうに、子供達の面倒を見ている若者たちが居る事に、
嬉しさとわが国の将来に安心感を覚える。

 旭岳登山の小学校低学年生たち 若い父母だと思ったら・・ 大学生だった!

旭岳中腹からゴーゴーと噴気が音を立てて登っている。噴気孔は硫黄である。
カルデラの四分の一が吹き飛ばされた姿は大山の様な山容である。
高山植物を見るためのルートがロープを張って作ってある。
高山植物の花たちが可憐な出で立ちでひっそりと一生懸命咲いている。
酷寒の寒さに耐えたたくましいい植物なのにほっそりと弱弱しく見える。
花の色も総じて淡色系のピンクや黄色や紫であったりする。
芯は強い日本女性のようである。最もたおやかで優しい日本女性は見かけることが少なくなってしまったが・・・。
最近は外見も中身も逞しくなってきたもんだ・・・

 ロープウエイ「姿見駅」  

   

   

名前も良く分からず二時間ばかり写真を取りまくっていると、山頂をめざすという85才と還暦の男の親子に出会った。
85才のおやじさんは旭岳に登るのは57年ぶりだという事だ。
「冥土の土産です」とスキーストック2本ついて、ゆっくりゆっくり歩いて登る。
還暦の息子は後ろにぴったり寄り添い、いたわりながら登っていく。
85才の人が登るのに、私達が後ろを見せるわけに行かないので、一緒に登る事にした。
抜きつ抜かれつでゆっくり登る。雲がビッシリと被っており雲は海抜700mくらいである。

 「冥土の土産です」と85才のおじいさん 八合目 九合目

山頂に着く頃、雲底は1200mに上がっていたがやはりビッシリの雲で、下界は曇りでフライト日和ではないだろう。
10時41分やっと北海道一の旭岳山頂2290mに到着。
その頃はガスがかかったり、晴れたりではあったが、残雪を残し縞模様が美しい。
大雪連邦がくっきり見える。山頂からは垂直に落ち込む火口のスロープがすごい。
30分位過ごして下山開始。一時間半かけて降りたが、最後は膝がケタケタ笑う寸前であった。
平生運動もしない不精な私にとってはくだりの最後は辛かった。

 旭岳山頂 GPSは2297mで7m違っていた 山頂お釜の縁

  旭岳の大崩落 山の残雪

下山して天人峡の羽衣の滝に向かう。名前も何か癒されそうである。
羽衣の滝は高さと言い姿と言い流れ落ちる様と言い私がこれまで見てきた滝のNO.1であった。
天人峡温泉の温泉に浸かって登山の疲れを癒す。

 天人峡 天人峡の羽衣の滝 私の一押しの滝

「あさひかわ」道の駅にて車中泊。
旭岳の花々

   

   

    

   

   
7月2日(月曜日)
カムイスキーリンクスでフライト→新保邸泊

朝、道の駅のテーブルでこの日記を書いていると自転車を積んだ姫路ナンバーの
キャンピングカーの人が話しかけてきてくれた。
すでに北海道は5回目で2〜3ヶ月過ごすそうである。
キャンプ地に4〜5日逗留して近くの山に登ったり、サイクリングを楽しむようである。
本州も一ヶ月くらいかけて北海道に来るようだ。本格的な滞在型の旅人であった。
七輪で煮炊きをしているのでキャンプ場に泊まることが多いそうだ。
じっくりと北海道を楽しんでいる人に会った。
次回はこんな風に北海道を過ごしてみたいものだ。秋にはもう一度来るぞ!!

今日はカムイスキーリンクスで飛ぼうという事になっている。
高塚さんの話によると、昨日のカムイスキーリンクスは基本的にはフォローであったが、
昼ごろテイクオフして一時間半は遊べたようである。
今日は天気は良いので風向きさえよければと期待は膨らむ。

途中コンビニでおむすびを買ってPAで食事。長期滞在の旅人たちは全員炊事しながらの旅である。
私達の様に買い食いしていては高くつくし、飽きるようである。
今回は嫁さんに炊事までさせると一週間で帰ると言われると困るので炊事道具は持参していない。
豪華ディナー付き(うに丼、いくら丼、札幌ラーメン?)とだまして来た訳である。
一日5000円の生活費(ガソリン代、高速代除く)とおもうのだが、なかなか予算に納まらない。
温泉は気分もリラックスするし、身体もほぐれるので毎日入っている。殆どが一人500円。
コンビニでおにぎりや弁当そして飲み物と少々のおかずを買うと、二人分で1000円。
3食共、コンビニ弁当では気が狂うので、夕食は食堂又は時々すし屋となると、夕食代が2000円〜3000円である。
とても一日5000円では納まらない。
持参した現金も心細いので出来るだけカードを使っていたが、ついに10万円を引き出す。
ローンを生まれて初めて使った。金利を考えると腹が立つがしかたない。
ツアーで旅行する事を考えれば宿泊費が不用なので格安になってはいるのだが・・・・。
海外ツアーだと一日あたり3万円、国内ツアーだと一日あたり2万円、車中泊だと一日あたり5千円弱か?

9時半頃カムイスキーリンクスに到着すると、新保さんと渡辺さんは既に来ていた。遅れて野沢さんも来た。
昨夜居酒屋で飲んでいて、モーターパラのイントラさんと一緒になり本日タンデムをしてあげようという事になったらしい。
早速全員でテイクオフに。ここのエリアはスキー場なのでテイクオフは8合目ばかりの斜面からである。
車で上がれるのだが、道路から50mばかりの担ぎ上げがしんどい。
スキー場の滑走面に添って飛べばぶっ飛びで練習生もプレッシャーはない。
今はクラブ員が10名位で女の子も居ないらしくさびしいかぎりである。
1本目。 テイクオフには正面っぽく1〜2mの風は入っている。
さほどサーマル成分感じないがとりあえず1本は飛んでみないと・・・。見事全員ぶっ飛び。
2本目。 北がからむ時は右サイドのリフトが良いと聞いていたのだが、少しリフト弱そうなので左サイドの木の葉の揺れている
ところを攻めてみた。新保さんともう一人右サイドを頑張っている。私はなかなかトップアウト出来ない。
とりあえずトップランの足跡は残そうとテイクオフにタッチアンドゴー。そのままぶっ飛びとなってしまった。
3本目。 何とかトップアウトしたいものだ。新保さんはテイクオフしてトップアウトで私達の頭上を飛んでいる。
少しはブローも入っている様なので3時頃テイクオフ。若干はトップアウト出来たが新保さんに追い付けない。
少しリフトが弱くなってきたのでトップラン。テイクオフで皆さんの動き観察。
新保さんが沖に出してグランドサーマルをヒットし、廻し始めた。すかさずテイクオフ。
沖で新保さんほどではなかったが、廻しながら山の斜面を上げ、何とかトップアウト。

神居山は700mでこの滑走面を上がり一度平坦地になっているのだが、そこがリッジを捉えにくくどうしても上がらない。
斜面から離れてみるも上がらない。100m弱のトップアウト。
二つ目の尾根三上さんが戻ってきてトップアウトしていった。
新保さんは翼端折りしてランディング。
私はこれ以上サーマル捉えられずランディング。
トップランをはさんで小一時間のフライトであったのでまあまあであった。

 新保さんの愛機 渡部さんの愛機 スキーロッジで一休み

 はにかみやさんの三上さん 笑顔のステキな新保さん 新保さん差し入れの卵

ランディング場で管理人前田さんの話を聞く。
管理人前田さんは三浦雄一郎のオヤジさん(101才で亡くなり、高齢でエベレストをスキーで滑走した)
からスキーの手ほどきを受けた人である。三浦雄一郎さんとも親交があるようだ。
65才にもかかわらず夏は登山ガイドもされ、ロッククライミングもされるそうだ。
3日前に旭岳に登って雪の様子を見てこられ、明日は旭岳から黒岳へ縦走されるそうだ。すごい人が居るものだ。
管理人前田さんの息子さんはプロのスノーボーダーで外国で活躍されているらしい。

無料でタンデムフライトをさせてもらったライダーの青年とも話をした。
青年はオフロードが好きで北海道に来たのもその為らしい。
熊に出会ったらまずいので熊のスプレーと爆竹を買いましたと言っていた。
一度はエゾシカをよけ損なって3日間ばかり膝が痛かったと言っていた。
タンデムをやってもらって大変感激をしていた。
バイクもジャンプすれば1〜2秒の浮遊感は味わえるがパラだとずっと三次元の世界なのですねーといっていた。
北海道に来て最大の嬉しい経験だったに違いない。新保さんに静岡のパラエリアをしっかり教えてもらっていた。
新保さんが奥さんは小樽に孫に会いに行っているので、遠慮はいらないので是非家に泊まれと言ってくれた。
ずっと狭い車の中での生活なので、よろこんで泊らせてもらうことにした。
夕食はマトンを買ってきて、ガレージの中でジンギスカン鍋をご馳走になった。
新保邸から歩いて5分のところにある温泉に入る。
今夜はゆっくり手足を伸ばして寝る。
新保邸泊。
月3日(火曜日)
留萌市小平のエリア→余市道の駅

今日は留萌市小平でも飛べるかもしれないというので、新保さんが開発した海岸のエリアに行く事に。
渡部さんも付き合ってくれるという。10時頃到着したが、風は弱く北風。
ここのエリアは南北に15Kmばかり海岸線が直線的に伸びている。丘は70mばかりの高さである。
所々途切れているので、その谷渡りが大変かもしれない。海岸の砂浜も少しはある。
テイクオフ場は50×50m位の平坦な大地で以前は麦畑だったようだ。
下は砂浜が広がっているのだが海岸線は232号線が走っている。強風で垂直降下で道路に降りたら大変である。
砂浜に降りたことはないとのことだった。全てトップランのようである。
風がよくならないので話をして昼過ぎまで過ごす。新保さんは私より5歳年上で68歳である。
62歳で胃がんを患い2/3を切ったようだ。すでに5年を経過したので、とりあえず安心。
胃を2/3切っているのに私と同じくらい食べていた。
非常に楽しい人でいくら話をしていても会話が止まらない。
7月8日に枝幸町でカニ祭りがあり、飛びに行くのでそれまでここに滞って一緒に行こうと熱心に誘ってくれた。
今年道警を退職した渡部さんは島根県安来の出身だ。
雪の多い島根出身の渡部さんだが、北海道の寒さと雪にはまいったらしい。
北海道の皆さんが沢山の花を育てている気持ちを聞いてみた。想像していた通り待ちわびた春を目いっぱい喜び為だった。
今が一番良い季節だと言っていた。渡部さんが帰省される時、新保さんも車で同行して泊まってくださいとお誘いしておいた。
おそらく寄って下さると思うのだが・・・。名残を惜しんでお二人と別れる。

 ご自慢のランクル前で 小平エリアのクラブハウス 

 70mばかりのリッジ帯 右に10Km 左に15Km?

 飛べないので早めのお昼ご飯 キャノピーと同じキャラクターが描かれているハウス ハウス内 

小平のにしん番小屋を見学。
かつて鰊で繁栄した名残を見ることが出来る。
たくさんの漁労労働者を率いての産業だったのだ!!

 小平の鰊番小屋  鰊番小屋内部

岩尾温泉で海を見ながら露天風呂にはいる。
夕日のビューポイントに立ち寄る。

 海岸線は海に迫って美しい  岩尾温泉

 夕日のビューポイント  

途中道の駅が無いので、231号線をひたすら南下。
夜10時頃余市道の駅に到着。車中泊
7月4日(水曜日)
余市ニッカウイスキー工場見学→宇宙博物館→積丹半島→岸町のpa

朝トイレに起きると神戸から一人で来ている人に会った。
一人で走っていて10日ばかりで北海道を廻ったので、ぼつぼつ帰ろうかと思っていると言っていた。
北海道は初めてのようでベテラン組のように滞在型になり切れてないらしい。
今度来る時は奥さんと一緒に来てゆっくりしましょうと言っていた。
運転台で日記を書いていると、青年が「広島ですか?私も広島です」と声をかけてきた。
東広島のエルピータに勤めている松岡青年だ。20日間で大急ぎで巡っている。
本州も車で走ってきて竜飛岬にも行き、下北半島からフェリーに乗ったと言っていた。
本州最東端のトドが崎に一時間歩いて行ったそうだ。最先端の岬や半島に行きたがるのは私と良く似ている。
今日の夜小樽港から舞鶴へ帰るそうだ。
北海道や東北の何処が良かったか聞いたら、車にデジカメを取りに帰って画像を見せながら説明してくれた。

 松岡青年

余市ニッカウイスキー工場の隣りが道の駅だったので歩いて工場見学に行く。
松岡青年と一緒に40分ばかりの工場見学をきれいなお姉さんの説明付きで巡った。
創業者は竹鶴さんといい、広島県三原の造り酒屋の三男で将来を嘱望されていた。
スコットランドにウイスキーにウイスキーの勉強に行ってウイスキー造りに目覚めた。
大変な苦労の末ニッカウイスキーを立ち上げた。
ウイスキーは熟成期間が必要なので、りんごジュースの会社を立ち上げた。
「日本果汁」と言う名前だったので「ニッカ」となったわけである。
私は酒は全然ダメなのだが三原の「竹鶴」は酒造会社とは知っていたが、ニッカの創業者が一族であったとは・・・・。

北海道に来て広島にゆかりの人に出会うなんて・・・とても懐かしい気がする。
「広島」のナンバープレートを見かけるとうれしくなるし、駐車場だと追いかけて声をかけたくなる。
石川啄木の「ふるさとのなまりなつかし停車場の・・・そをききに行く」の気持ちが少しは分かった気分である。
啄木の場合はもっともっと辛い事があった上で、なまりを聞きに言ったのではあろうが・・・。
松岡青年と別れるとき、ミキシーのハンドルネームを教えてもらった。彼もブログを書いているらしい。
どんな旅行記か帰って見るのが待ち遠しい。
パラをやっている事も話し、勇さんと訪ねる様言っておいた。
説明が終わって無料試飲コーナーでニッカのりんごジュースとウーロン茶を頂く。
竹鶴さんのことがもう少し知りたくてコースの逆をたどりながら展示パネルやビデオコーナーをゆっくり見る。
竹鶴さんの奥さんはスコットランド人で、「鬼畜米英」ということで第二次世界大戦では
言われも無く迫害を受けたようだ。
ただ、竹鶴さんは奥さんをしっかりガードし、愛し続けた。
2001年にはイギリスのスコッチウイスキー愛好家団体(イギリス150000人、世界に60000人)
一大イベントで、スコッチウイスキーのNO.1の栄誉を受けたそうだ。
本場スコッチウイスキーを抜いてのNO.1である。
竹鶴さんが生きていればどんなに喜んだであろうかと涙が出てしまった。
2時間松岡青年と話し込み2時間ニッカウイスキー工場を見学した。
その後、一時間ばかり毛利さんの宇宙記念館を見学。
小学生たちの団体が、大勢来ていた。
余市の道の駅を出たのは、15時になっていた。
うん!うん!だいぶ滞在型になってきたかな?

 ニッカ工場内  初代社長婦人の「リタハウス」

 無料子音コーナーでジュースを貰う 余市宇宙記念館 余市宇宙記念館

遅くなったが一路積丹半島へ向けて走る。
途中の海岸は巨大な絶壁や奇岩が続くのだが、すぐにトンネルに入ってしまう。
旧道のトンネルは海岸すれすれに作ってあるのだが、入り口をコンクリートでふさいである。
旧道を走らせてくれれば、海岸美ももっと楽しめるのだが・・・・。
ローソク岩がチラット見えた。5〜60Mの細長い岩が突っ立っている。
すぐにトンネルに入ったので、トンネルを抜けてから見ようと
トンネルを出てすぐパーキングエリアに入った。広場の奥まったところに記念碑が立っている。
以前テレビ中継でも見た20数名が亡くなられたトンネル崩落事故の現場であった。思わず手を合わせる。
景観より人命という事でその後は海岸すれすれを走らせるのではなく、長いトンネルを作っていったようだ。

 慰霊碑 この崖が崩落したのか・・・ 奇岩が多い

229号線から913号線に入り、積丹岬を目指す。松岡青年から岬の遊歩道を2.5kM歩けば美しいですと聞いていたが
夕方になっていたので、人道のトンネルをくぐって15分位かけて海辺まで急な坂道を下る。
水はきれいで目の前の岩礁にはかもめやうみねこがやかましい位にねぐらで鳴いていた。
にしん番屋跡であろうか、石垣が2箇所残っていて、当時を偲ばせる。
肥料にする程取りまくった報いの記念碑のようでもある。
夕食は漁師町のすし屋に入る。

 積丹岬 海もきれい 崖もきれい

 網元直営?すし屋 美味しかった 奇岩

神威岬手前の来岸町のpaで車中泊。
7月5日(木曜日)
神威岬→泊村のニシン御殿→布別の湯→江差道の駅

神威岬へは起伏のある両サイド海に落ち込んだ小道が1Km弱続いている。
エゾカンゾウの黄色が目を楽しませてくれる。
海に突き出た細長い岬なので、ここからは300度の水平線を見ることが出来る。
10:30レストンで塩ラーメンで遅い朝食。
テーブルには団体客用に100色ばかり焼きホタテセットの食事が用意されご飯を配っていた。
10:30は朝食なのか?昼食なのか?
中高年の団体のバスが入ってきて椅子に座った婦人の左半分はお岩さん状態だった。
外の縁石でつまずいて顔をぶっつけてしまったようだ。
出血はしてないようだが内出血で赤くなっている。
色白の婦人は大丈夫と言っているようだが、自分で鏡を見たら気を失うのではないかな?
赤い内出血が青黒く変化したら、観光どころではなくなるであろうに・・・かわいそう。

 神威岬 神威岬 

  神威岬の先端 

レストランの外では切り刻まれ、手足?がバラバラになった蛸がフックにかけられくるくると廻っていた。
電動の一夜干し製造機だ。あんなに早く廻っていては、ハエのとりつくしまもないといつも感心させられる。
しかし、干物はあんな速成機で作って欲しくないといつも思う。
干物は太陽の光をいっぱい浴びて美味しくなってもらいたい。

その後は229号線ソーランラインを南下。泊村でニシン御殿の案内板があったので海岸に下りる。
河村家と竹井家のは御殿の名にふさわしい立派なものだった。
中の展示物も立派で観光バスの立ち寄る事もない町営のものだったが北海道一の御殿と展示物であった。
ニシン漁は、一日2億円の水揚げが3ヶ月も続いた景気であったらしい。

 鰊御殿とまり 河村家 

  マネキンが臨場感を・・・ 大阪商人との折衝場面

 ニシン御殿 

途中、布別の湯に入る。ホテルの温泉で500円であったがいろいろ浴槽があって大きくてきれいだ。
温泉を出てからずっと走りっぱなしで江差に着いた。
出光給油所で江差の名産は?と聞いたら、羊羹屋さんとすし屋を教えてくれた。
羊羹は日持ちがするのでおみやげに買いたいと言うので訪ねてみることに。
江差の高台にある商店街に「御勝手屋」という名の羊羹屋さんはあった。
新しくきれいなお店であった。羊羹は買ったが水羊羹やきんつばも自分たち用に追加注文。
広島から来たというとえらく感激してくれ、お土産にタオルと竹差をくれた。
かわいいお嬢さんだったので嫁さんが写真撮ってと言うので、「撮ってもいいですか?」と許可を求める。
ニコニコして一緒に納まってくれた。ついでに「HPに載せますね}と不良おやじをちゃっかり宣伝しておいた。
見てくれてメールをくれるとうれしいのだが・・・・。

 江差の「御勝手屋」本店の可愛い娘さん

いつもすし屋とはいかないので、商店街の食堂に入る。
嫁さんはあんかけの中華そば、私は焼き魚定食を注文。
味は美味しかったのだが何と量の多いこと!
昔風な人間から言わせれば、食堂に食べに行ってお腹いっぱいになる為には、
2品も注文しなければならないのは詐欺である。
ここ漁師町の江差はきっちり昔風を守って一品でお腹いっぱいになった。そんなわけで頑張って完食した。
江差道の駅で車中泊。
7月6日(金曜日)
開陽丸記念館→江差追分会館→吉岡温泉→福島町道の駅

江差ではゆっくりした。
榎本武明がオランダに行って最新版の軍艦を発注し、一年後新造船に乗って帰ったのが開陽丸である。
一度大阪沖で大砲を打ったが、それ以降は、戦闘も無く北海道へ蝦夷共和国を打ち立てるべく
榎本武明や土方歳三などと渡ってきた。
江差沖で吹雪に会い座礁しあえなく沈没。125年後に遺品が32,000点引き上げられた。
再現させたコンクリート製の開陽丸に大砲や砲弾など沢山の遺品が展示してある。
歴史上の人物は彼の地でどのように受け入れられたかで表現が違うのが面白い。
函館では明治政府反乱軍と表記してあった。
ここ江差では蝦夷共和国を打ち立てる理想を求めた人物として表現してあった。
ビデオなどもしっかり見せてもらい2時間ばかり費やす。
「かもめ島」を半分くらい廻って、長い防波堤の先端まで行く。その先が開陽丸が沈没していた現場だ。
何とか荒波を避けようと、陸地に近づきすぎたのか・・・・。
当時の最新、最強の軍艦の能力を一度も発揮出来ず沈没してしまったのもあわれといえばあわれである。

 開陽丸船上 マストも高いね 

 海陽丸舵輪 開陽丸はオランダで製作 最新の開陽丸は一度の海戦のみだった

 当時の開陽丸再現 当時の開陽丸再現 当時の開陽丸再現

13時から江差追分会館で実演があるというので行ってみる。
若い頃から江差追分は何か心に響く民謡であった。
日本民謡の全てのテクニックが総合的に集大成されているのではないかという感じがしていたのである。
娘さんの歌い手であったが,生の追分を聞かせてもらってやっぱりなぁ〜という感じである。
身体の中にじわあ〜とにじみこんでくる。やっぱ日本人だなぁ〜と思う。
会場は江差追分の全国大会も開かれる3〜500名位入ろうかというほど大きなホールだ。
畳敷きで座布団も用意してある。若い女の子が靴を履いたままあぐらをかいている。
ムッとしてにらみつけると一人は脱いで、一人は畳の縁まで行って床を足を投げ出した。
開演のとき司会者の女性が「今日台湾からのお客様が多いのでちょっと通訳して下さい」と
台湾の添乗員に通訳してもらっていた。
説明の時は少しざわざわしていたが、歌がはじめるとシーンとして聞き入り始めた。
ソーラン節のときは「ハイ!ハイ!」「アーどっこいしょ、どっこいしょ」の合いの手はちゃんと入れていた。
台湾の人達にも何か訴えるものがあるのだろう。帰りがけに江差追分のCDを買ってしまった。

 江差追分娘 江差追分のマネキンたちと 

今夜は江差のお祭りが7日(土)8日(日)と開催されるオホーツク海側の枝幸(エサシ)町も7日、8日がカニ祭りだ。
江差町まで来る北海道の途中の町はすべて7日8日がお祭り日であった。
長い冬を耐えて夏祭りで爆発させるぞ!!といった雰囲気が伝わってくる。
今夜は祭りの前夜祭で3000杯のイカを用意し、一人前300円で振舞うといっているので、
食べてから行こうと思っていると港の片隅の食堂にイカ刺し300円の札が見えた。
お姐さんに「安いよ!食べねっか?」と声をかけられた。
気風の良いサバサバした、しかし優しそうなお姐さんなので食べる事にした。
地元の猟師の人が串でビールを飲んでいた。
大きなテーブルで同席させてもらう。「広島から来て既に20日間北海道に居る」と告げたら、大いに羨ましがられた。
二人の60過ぎの兄妹と二人の猟師と地元の5名とおしゃべり。
猟師はイカ釣り船でイカを追って長崎県の五島列島あたりからずっと北上して、11月頃まで漁をするらしい。
イカ釣り船も機械化されイカ釣り機もコンピューター化され、船価も一億円を下らない状況らしい。
イカ釣り機も船の片側だけでも20機ばかり見えた。イカ釣り機は一台100万円近いらしい。
しかし乗組員は3名で仕事をするそうだ。2時半には彼らは出航して行った。
活きイカ定食(1000円)は大当たりだった。観光客相手でなく猟師相手の食堂だったので安い!量もある。
お姐さん手作りのイカなれ寿司もサービスして出してくれた。
漬け込んで1週間と言っていたので、まだ酢飯にはなっていなかったが珍しいものを頂いた。
ツアーでないので少し時間をかけて探せば安くて美味しいお店が探し出せて楽しいものだ。
地元の人達とお喋り出来るのも楽しい。

 気風のいいお姐さん イカ釣りの漁師さんたちと・・ 美味しかったイカ刺し 

鰊御殿の横山家も見物。3:30に江差を出発。
228号線を南下し吉岡温泉に入り2時間ばかり寝させてもらった。
それから福島町道の駅にて車中泊。
月7日(土曜日)
福島町横綱→青函トンネル記念館→函館市誓願寺→大沼のキャンプ場

隣に泊まっていた新潟ナンバーのご夫婦といろいろ情報交換する。
冷蔵庫の湯沸かし器などがあり、昨夜冷蔵庫を切るのを忘れ、バッテリーが上がったとの事。
私のコードを繋ぎエンジンをかける。私たちは千代の山と千代の富士を記念した横綱館を見学。
千代の山時代の懐かしい力士達のビデオが嬉しかった。

 新潟のご夫婦と 新潟のご夫婦と

 お相撲さんの座布団は大きい 土俵があったので・・ てっぽう

   記念会館

青函トンネル記念館の共通券を買って見学したのだが、もう少しトンネル工事の苦労話などビデオで紹介して欲しかった。
昼頃出発。函館の町の中を見物するのはあまり興味ない。とりあえず函館山に登って全貌を楽しむ。
嫁さんのIVC(日本語教室)のお仲間の弟さんが誓願寺にいらっしゃるので、訪ねてみて下さいという事だったらしい。
湯川町の番地を聞いていたので、ぐるぐる廻ってようやく発見。
お寺の敷地に車を入れると、庭の手入れをされている若い住職さんがその人だった。
どうぞという事で、お寺に上げてもらって紅茶を呼ばれていたら、年寄りの住職が帰ってこられた。
メロンまでご馳走になり、一時間以上もお邪魔してしまった。

函館市内には、道の駅がないので、大沼まで行きキャンプ場を目指す。
一日5号線の待つ並木(本願寺通り)を走っていると、浴衣を着たかわいい女の子や、
男の子たちがビニール袋やナップザックにお菓子をいっぱい詰め込んで歩いている。
2〜3人づつ連れ立ってお店に入っていく。どうも商店を巡ってお菓子を貰っているようである。
私が山口県大島に居た頃、各家を巡ってお菓子やみかんをもらって歩いたものだ。
「お接待」と言って、弘法大師にちなんだものだったようだ。
ここ北海道での言われは何であるか分からないが、いつの時代になっても、子供にとって楽しいお祭りのはずだ。
こんなお祭りを今でも続けている北海道の優しさを感じる。大島ではいまでも続いているのだろうか・・・・。
せちがらい世の中になってしまって、今はやめてしまったであろうか?今度確かめておきたい!
大沼のキャンプ場を探すのに手間取った。車中泊。

 浴衣を着たかわいい女の子達 
月8日(日曜日)
大船遺跡→大船下の湯→昆布街道→函館市→「にこりの湯」→厚沢部の道の駅

 大沼公園 大沼公園キャンプ場 大沼公園キャンプ場

 大沼公園キャンプ場で釣り 大沼公園キャンプ場で釣り 大沼公園キャンプ場

北海道に来てから殆ど毎日温泉を見つけては入っている。
道路地図を見ながら次は何処の温泉に入ろうかと迷うくらいに多いのである。
料金は殆ど500円であるが、泉質が色々で、色がついていたり、沈着物が多かったり、
臭いがきつかったりすると、霊験新たかそう「ラッキー!!」と思うのである。
昨日は温泉に入っていなかったので、良い温泉に入りたいものと、午前中の第一目標は温泉探しである。
大沼の近くに温泉が8:00から入れるとあったが、普通の旅館だったのでバス。

森の中の砂利道を抜けると43号線に出た。そのまま走ると太平洋側の内浦湾(噴火湾)に出た。
5号線を南下していると、大船遺跡というのがあったので行ってみる。
女性館員が一人居て外を掃除していたが、かまわず入って行った。
9時開館なのに、8:30に入ってしまった様だ。
農家のおばさんが芋畑を耕していて、鍬にコツンと当たって発見したのが始まりで、
4〜5千年前の縄文文化の集落跡であったらしい。発見された中空土偶が国宝に認定されたのである。
遺物をしっかり見せてもらい、外の竪穴住居跡を見させてもらうと、大昔の普通の人々の生活を彷彿とさせてくれた。
外には木の実をすり潰したという30m以上の石皿が500ケ以上は無造作に積み上げられたいたのにはびっくり。
1000年以上に渡ってここに住んでいた人々の息吹がひしひしと伝わってくる遺物だった。

 国宝の中空土偶  縄文土器 

 石皿・・これで粉を挽いたのか?  住居跡 

展示館の女性に近くの温泉について聞いたら、大船上の湯は10時から、下の湯は8:00からですとの事だった。
下の湯は谷に少し下がったところですと教えてもらった。上の湯まで行ってみた。
ホテルが隣りにあったが、閉鎖されていた。町民の湯として、立派な建物が建っておりキャンプ場もあった。
やはり10時からだったので、下の湯に行く事に。ここに来る途中下の湯の脇道があるにはあった。
採石場の前の谷に下る道を行くとすぐに広場になっていて駐車出来る。古びた民家が3棟あるのみ。
良く見ると谷川に湯煙を立てながらお湯が流れ落ちている。沈殿物が河岸にしっかり盛り上がっている。
しかし何の案内状もない。湯殿と思しき小屋に裏山から樋が引いてあり、コンクリート製のパイプが引いてある。
樋から入る湯の量と箱から溢れ出ている量が同じ様である。
湯元は確認しなかったが、樋で引いてくるなんて、何と言う簡素というか安直と言おうか
兎に角ひなびた昔建てたままの「下の湯」であった。
湯屋には誰もいないので民家に声をかける。
何の看板も案内もないので、先ほど聞いていなければ声をかけるのもはばかられる。
古びた家屋の奥からしなびたおばあさんが出てきた。値段を聞くと一人100円との事。
200円出すとおばあさんは手を出しただけで、受け取ろうとしない。目が悪そうだ。手のひらに200円のせる。
泉質は硫黄泉のようで、黄色く濁っていて、湯の花が浴槽にびっしり付いている。
かけ湯をしようと見渡したが、蛇口がない。お湯は湯船に直接入っているだけ。
湯船の男湯と女湯は壁で仕切られているが、浴槽の中はつながっている。
丁度江戸時代の湯屋と同じ作りなのでびっくりした。
昨日入った温泉で1時間ばかりうたた寝したとき、風邪を引いてしまっていたのだが、
この湯に入ったお陰で風は吹き飛んだ。
北海道NO3のいい湯質だった。趣はNIO.1であった。
帰り際に駐車場に入ってきた3人家族(おばあさん、お母さん、嫁さん)に出会った。
「森町から良く入りに来るよ、ここはいい湯だからね。車で40分かけてくるのよ」と言っていた。
さもあらんとうなづける。

 ひなびた大船下の湯 かけ流しの湯 配湯の枡

 ガラクタのような設備 水も出ない湯だけの湯口 源泉から樋で引いている

278号線を南下し、昆布街道を走る。
道路わきは昆布の干し場が並んでいて、昆布独特のにおいが鼻を突く。途中お土産に昆布を買う。
がごめ昆布というのが売り!らしい。
278号線をぐるっと廻って函館に戻り、もう一度5号線を北上。濁り川温泉に入り、5Km程山に入る。
「にこりの湯」に入る。高温の湯船は44.4度となっていた。熱くてとても手も足も出なかった。
露天風呂に一時間ばかり入る。
北海道に来て毎日温泉に入っている。
25日も狭い車の中に寝て一日座りっぱなしで、何だか腰も痛くなり、病気になりそうなのだが、なぜか快調なのだ。
きっと温泉療法をしながら旅を続けているようなもので、温泉が霊験あらたかなのだろうと嫁さんと話しあう。
本当に快調なので不思議である。
夕方であったが、かまわず飛ばして27号線から67号線に入って、厚沢部の道の駅で車中泊。

 名産がごめ昆布 昆布干し場