8月14日更新
北海道 2007年 6月 |
6月22日(金曜日) 釧路湿原巡り(北斗遺跡資料館→温根内ビジターセンター→コッタロ湿原→糖路湖→細岡展望台)→道の駅「厚岸グルメパーク」 道の駅「しらぬか恋問」のネーミングは恋人同士ではなかなかロマンティックな響きを持つ。 次の写真は何を写したものでしょう・・ 今日はラムサール条約にも入っている釧路湿原を巡る予定だ。 今日一日かけてゆっくり見てやろうと思う。北海道に来て旅行でなく 滞在してやるぞと言う気分にやっとなってきた。 気に入れば2〜3日逗留すると言う気分にはまだなっていない。 北海道を去る頃にはそんな気分になっているだろうか? 昨日釧路湿原を横切る道路を走ったのだが、結構木が生えていて、見渡す限りの湿原は実感出来なかった。 今日は一日かけて釧路湿原を一周してやるぞ!! 国道38号線から道道53号線に入りたかったのだが、どうも昨日走った道を行っているようだ。 カーナビがついていないので、道路案内板を見落とすとすぐに迷ってしまう。 今回は敢えてカーナビにこだわらなかった。急ぐ旅でもなく、道に迷えば現地の人に聞きながら行くのも楽しい。 (田舎は家は有るが一人一人歩いている人を見かけることは無かった。) 砂利道に入れば酪農家への道だったり、牧場の道だったりするのでアスファルト道路であればどこか街へ通じているようだ。 夜砂利道をつっ走って行き止まりになって熊が見物に来るなんて事は避けなければ・・・。 昨日は阿寒湖に行くまでの道で、エゾシカの親子が道路を横切るのに出会った。 ブレーキをかけスピードダウンするも、さっさと道を渡ろうとはしない。 小鹿がいるので親鹿も後ろを振り返り、振り返りするのだが、子鹿の方は悠揚迫らぬ感じである。 車をストップさせ10m先のエゾシカ親子を見送る。 カルガモの親子にも出会った。2m手前で停車。ヒナは路肩から草むらになかなか入らない。 30cmくらいの所をウロウロしている。 後から車が来ているのは分かっていたので、ヒナが完全に草むらに入るまでストップしていよう。 後ろの車も止まって窓から顔を出している。 キタキツネには3度ばかりであった。彼らは横断するのではなく、道端に止まってじっと車を見つめている。 スピードゆるめ、目が合っても逃げない。じっとこちらを見ている。彼らは人間から食べ物をもらう事を教わったに違いない。 近くでエサをねだる姿や食べる姿を見るのはかわいいに違いないが、結局のところ彼らの生命力を 奪っている事に人間は気が付かなければならない。 「お腹が空いているのね!かわいそうー」とエサを投げ与える事が 彼らの生命を奪う事に継る事に気が付かなければならない。 53号を少し走ると、北斗遺跡の看板が芽に入る。資料館があるので立ち寄って見る事に。 掘っ立て小屋だが、建物は四角で、1m程掘り下げが住居で、北海道の寒さに耐えていた様だ。 説明で面白いのは石器時代、縄文文化時代は本州と共通なのだが、弥生時代はなく、続縄文時代 擦文時代、そしてアイヌ時代と続く。アイヌ時代に入るのは本州では平安時代の頃だ。 江戸時代後期に入ると、アイヌの人々はだんだんと和人に追いやられて行くのだが・・・・。 本州では渡来人たちが高度な文化を日本に持ち込んだわけであるが、北海道では 擦文時代の土着の人々とアイヌ民族との興亡があったのであろうか? 卑弥呼の時代にも大陸との往来系の人々との興亡は有った様な気がする。 中国や朝鮮の古い文化にひかれるのは、日本人のDNAに刷り込まれた何かがあるように思うのだが・・・。 寒い冬の北海道で生きていた古代人を思うといろいろなことが頭をよぎった。 北斗遺跡資料館を出て車でしばらく行くと、立派な展望台ハウスが見えた。 展望台に上がるのにエレベーターが付いていて400円となっていた。???どうも民間の施設の様だ。 散策路があるので小一時間歩いてみた。見晴台はあるのだが、木が茂っていて見えにくい。 ここは国立公園なので勝手に木を切ってはいけないのであろうか? それにしても景観悪すぎ!林の中を歩いているので、蝦夷春ゼミの「カナカナ」という鳴き声のうるさいくらいである。 全山で鳴き声が響き渡って短い一生を泣叫んでいる感じだ。 目の前をエゾハルゼミが弱弱しく飛んだ。 体調3cmで透明な羽を一生懸命震わせてとんでいるのだが、蝶が飛んでいるくらいのスピードである。 次にもう少し車を走らせていると、温根内ビジターセンターがあった。 ここは環境庁がやっているところだ。物品を販売しているわけではない。 湿原の動植物の説明パネルや標本が展示してある。 暇そうにしている男の職員に、先程うるさい程鳴いていたセミの名前(エゾハルゼミ)など聞いた。 散策路に出る。ここは湿原の中に立派な木道が施設されており、3コースが選べるようになっていた。 花は端境期なのか、ちょろちょろしか咲いてなかった。2.5Kmの木道を1時間半ばかりかけて巡る。 次は釧路湿原を一周するコースに向かう。 何もあるわけではないが、湿原の広大さを走って体感しようと言う次第。 コッタロ湿原というビユーポイントがあった。湿原の中を川が流れていている。 護岸工事をしてない自然のままの川である。私は湿原の中を流れている川が大好きである。 ゆったり流れているのを眺めているだけで心が和む。 途中道産子牧場というのがあったので立ち寄る。道産子馬が10頭ばかりが草を食んでいた。 人なつっこい馬で嫁さんが草をちぎってやると、うれしそうに手もかまず唇で草を手から取って食べていた。 癒し系の牧場なのだろう。引き馬はやる様だったが、レストランは閉じていた。 7月8月がハイシーズンなので、今はお客さんは少ないのだろう。 いままでに観光バスとすれ違ったのは、阿寒湖近くで2〜3台といったところ。道路はむちゃくちゃ空いている。 北海道に来て自分がスピード出すかな?と思っていたが、広大は景色がうれしくてスピード出しては 景色が見れないのがもったいなくて、60Km前後で走っている。 直線道路では追い越されるし、自分からウインカー出して道を譲るのである。 広島での私には考えられない事だ!! 糖路湖の案内板が見えたので立ち寄る。湖畔にカヌーが5〜6艇置いてある。 珍しいので見ていたら「すみません、今日は終わったのですよ」と声をかけてくれた。 湿原の中川を9Km一時間半程かけて下るらしい。料金は一人9000円だが、ちょっと惹かれるものがある。 湿原を見るには細岡展望台が一番だと、北斗遺跡の管理人さんに聞いていたので、 日が暮れないうちに行かないと、今は4時半である。 一度達古武オートキャンプ場に迷い込んでしまった。慌てて引き返して細岡展望台へ。 ここは遥か先まで展望台が見渡せるビューポイントだった。 あらためて湿原の広大さに感心する。 次の道の駅、グルメパークまで走る。グルメパークの名があるので、ちょっと期待する。 炭焼きタイプで店の前にある海産物を注文する。牡蠣、ホタテ、エビ、野菜などのセット品で2人前。 2000円追加でイカ、ホッケ、ジャガイモモチ、かぼちゃ芋など合計したら5000円で ご飯を入れて5500円の豪華夕食となった。食事を終えて出ると稲田さんに声をかけられた。 別に待ち合わせたのでもないのに・・・どうも縁のあるご夫妻だ。 ここ「厚岸グルメパーク」道の駅で車中泊。 |
6月23日(土曜日) あやめケ原→霧多布湿原→霧多布岬→根室半島(納沙布岬)→道の駅「スワン44ねむろ」 「厚岸グルメパーク」道の駅で「インターネット無料接続出来ます」と張り紙がある。 ラップトップパソコンはずっと持ち歩いているのだが、一度も接続してない。 メールチェックや神の倉掲示板に接続したかったのだが・・・ 高速道路のSAや道の駅などでインターネット接続のサービスが、何故ないのであろうか? 現代のビジネスマンにとっては、パソコンは必需携帯品であろうに・・・ 別に無料にせよとは言わないので、環境を整えて欲しいと思う。 インターネットをしっかりやっていたので、11時ごろ出発となってしまった。 厚岸湖を渡る橋を通って海岸線を通り、あやめケ原を散策。 馬が放牧されていて、門を開閉しながら岬の突端に行く。 馬はあやめは嫌いなようで、花は食べられずに残っていた。 しばらく走ると霧多布湿原とあるので内陸部に入ってみたが、花はたいしたことはなかった。 霧多布岬に寄る。観光客は少ない。 お店にはオヤジ一人で店番して揚げ団子を揚げていたので注文。結構美味しかった。 お店のオヤジさん(75才)が暇なようで、団子食べながら花園の説明に一緒に歩いてくれた。 たんぽぽの黄色が一面に染めている。日本タンポポの群生は珍しいとの事。 ほとんどが西洋タンポポになっているそうだ。黒百合も探し出して見せてくれた。 チシマフウロ、センダイハギ、エゾカンゾウ、など高山植物が雑草の如く咲いていた。 やはりしっかり説明を受けると、草花を見る目も違ってくる。 200円の団子を買っただけなのに、30分ばかり説明に歩いてくれた。何だか北海道の人々は皆優しい感じがする。 特に観光客に毒されていないのに感心する。心から対応してくれるのが嬉しい。 後はひたすら根室半島を目指す。途中ムツゴロー動物王国の看板が目に入ったので右折。 しかし王国は滅亡の憂き目にあっていた。 すぐに道道142号にもどり、ひたすら根室半島の納沙布岬を目指す。 納沙布岬では四島返還のモニュメントがあり、記念館もあったが、時間が遅く閉館していた。(夕方5時頃) 記念のキーホルダーを買った。嫁さんは元コンブといい質の良いという昆布を買っていた。 後は道の駅「スワン44ねむろ」にひた走り車中泊。 |
6月24日(日曜日) 風連湖畔→風連湖半島の送古丹→別海町→尾岱沼→野付半島トドワラPA→標津町温泉→羅臼町。 またまた稲田夫妻と道の駅で同宿であった。不思議な縁だと思う。広島へ帰ったら訪ねてみよう。 風連湖を見ながら走る。何となく心そそられる名前である。半島を走ってみる。 送古丹という港が行き止まりだった。野付半島先端近くのトドワラPAまで走る。 鶴や水鳥たちが居るし、立ち枯れたトドワラが地の果てを思わせる。 稲田さんから別海町で島エビ祭りがあり、松原のぶえが来るとの情報をもらった。 田舎町の祭りも面白いかと寄ってみることに。別海町だけが頭に残っていたので、内陸部の別海町へ。 しまえび祭りの案内があったが、尾岱沼漁港であったエビ祭りなので、内陸ではないはずだ!! ガソリンが半分を切ったのでホクレンの給油所で給油。アイスクリームの100円引きの券をくれた。 隣のお店らしい。ノートパソコンの充電をお願いしたら、快くOKしてくれた。 隣りのお店でアイスクリームや「米チチ」なる飲み物も注文。 話をしているとこれらを作っている街の工場が近くにあり、チーズやバターも売っているらしい。 工場を訪ねる。受付か販売店に誰も居ない。 呼び鈴があるので鳴らすと、奥から白衣姿の優しそうなおじさんが出てきた。 チーズを購入、いろいろ話をして分かれるときカレンダーを5部も押し付けられた。 あげられるものは何でも持って帰ってという感じ。 尾岱沼へ急ぐ。祭りは結構な人出である。 露天商街を見て現地の人が海産物を売っている中にてっぽう汁300円とあった。 注文したら毛がに丸1匹と花咲ガニがバラバラで、発泡スチロールの丼にいっぱい入れてくれた。 汁は味噌汁でカニのだしがいっぱい出てなんとも美味しい。 稲田さんもこの祭りには来ると言っていたので、携帯で連絡取ったら、すぐに来て一緒にてっぽう汁を頂く。 標津町で温泉(くすのきの湯)に入る。ホテルもやっている温泉で390円也。 アルカリ成分PH8.3であったが、石鹸がなかなか落ちない程であった。 美人の湯は何度も入ったが、風呂から出て肌が乾いてもすべすべなのは初めての経験であった。 途中何も見るところないので走り続け知床半島のラウスの道の駅「知床らうす」に8時頃到着。 雨が降り出した。今日も車中泊。 |
6月25日(月曜日) 羅臼町→知床半島相泊泊→羅臼町能の湯→知床峠→ウトロ→岩尾別温泉→ウトロ”尼宿ペレケ泊 北海道に来て本格的な雨にあった。雲底は150m位で知床連山を見るべくもない。 今日は知床半島を車で行ける所まで行ってみよう。雨の中相泊へ向けて走る。 ひかり苔の自生地の案内があった。 洞窟の中に見る角度で違うが、苔が光って見える。 知床半島はいきなり断崖で、海の中に落ち込んでいる地形なので、波しぶきがかかりそうな道路である。 新しくトンネルも出来ていた。エゾシカが道路わきの柔らかい草を食んでいた。 山は笹が多いようであまり美味しい草は無いのかな?浜に昆布が干してあるかと思ったが、見当たらず。 海辺に昆布も打ち上げられていた。知床半島の根室海峡側の相泊に到着。 ここから先に行けませんと進入禁止マーク。そこに忽然と食堂があった。 店の名は「熊の穴」! そうだ!! 河原さんが若い頃北海道をバイク旅行し、ここで食べた言っていたのを思い出した。 朝飯は未だだったので食べに入る。いろいろ料理の名前がおどっている。 これこれ!!河原さんが言っていたのは・・・・。 嫁さんにエゾシカ丼、私はとど焼き定食を注文する。トド焼きは鉄板の上でじゅうじゅういっているのが出た。 しょうがの入ったたれに付けて食べるのだが、まずまずの味である。 エゾシカもトドよりは柔らかくいい味付けであった。 どちらにしても牛肉の様な肉自体がすごく美味しいという訳にはいかないが、一生に一度の食材であった。 食堂のオヤジの顔は一見コワオモテ風だが、笑うとかわいい。 テレビで何度も取材を受けたので芸能人たちも沢山来て色紙がいっぱいあった。 この「熊の穴」は23年に始めたそうだ。 最初から来店証明書を発行していて、今日私たちがもらったのはNO。112467であった。 遊漁船もやっていて、一年中お客さんは有るそうだ。 冬は来ないでしょう?と言ったら流氷やオオワシやアザラシの写真を撮りに来るそうだ。民宿もやっているのだ。 下関へ10日間デパートから呼ばれて珍しい食材(トド、ヒグマなど)を持ってラーメンを作りに行ったようだ。 「ヒグマやエゾシカはどうやってとっているのですか?」と聞いたら、釧路の猟師に頼んでいるという事だ。 「知床半島の熊は鮭なども食っているので太っていて美味しいのでは?」と聞くと、「雑食性の草はまずいのです。 釧路の熊はどんぐりなど草食性なので食べる事が出来ます」という事だった。 「それじゃー人間の肉は一番まずいですね〜」と聞いたら、次のような話をしてくれた。 昭和19年12月にこの知床半島の先端に流氷に閉じ込められた北海道の漁師がいた。 何日も流氷に閉じ込められ、一人死に、二人死に、していった。 そして何も食べるものが無いので、死んだ人を食っていった。 とうとう最後の一人になって、知床半島を歩いて相泊にたどり着いた。 今でもその時の石碑が建っているそうで、本や映画にもなったそうだ。 この3年は流氷が少なくなり去年は3回しか来なかったとオヤジいった。 昔は国後島に歩いて行ける程厚い流氷に覆われていたそうだ。 私達は、今年2月に道東ツアーに来たが、網走の流氷見物は出来なかった。 あざらしは氷の上で出産子育てをするのに、氷が無い今年はアザラシの子供達は育つ事が出来ないだろう。 確かに温暖化は確実に進んでいる様だ。 広島に居てはあまり実感しないが、寒い北海道では目に見える形で分かるのである。 おそらく生態系にも大きな変化が現れて来るのだろう。 雨も何とか止んだ。羅臼町に引き返した。 町外れに「熊の湯」の看板が目に入ったので、駐車場に止める。 橋を渡って見に行くと無料の露天風呂の様だ。女風呂は一応木の塀で囲ってある。 無料が気に入って入ろうという事にした。 鳥取ナンバーの軽自動車が隣りにとまった。「中に石鹸ありますか?」と青年が聞いてきた。 「無料だから置いてないと思うよ」と答える。 相当熱い風呂で、注意書きに「10人の内2〜3人が熱いと言っても水でうすめてはダメ」とか 「この注意書きを読めない人は風呂に入るな」「朝6時には掃除します。その時手伝い出来ない人は風呂に入るな」など ”熊の湯愛好会”の注意書きがびっしりと書いてあった。 無料の湯を提供する為毎日頑張っているのが良く分かる。募金箱が置いてあったので、200円入れる。 漁師らしい二人が先に入っていて「不漁で油代も出ん!」と嘆いていた。 一緒に入った鳥取の青年は19歳で一年電気工事会社に勤めたが、どうも合わないので止めて、この旅行に来ていた。 事故起こさないで無事に帰るように言う。石鹸を貸してやり頭もしっかり洗わせた。 この「熊の湯」は43℃はありそうで、3分も入っておれない。 とうとうと流れる川音を聞きながら木立の露天風呂だ。 川向こうの駐車場からは丸見えの露天風呂である。成分はしっかりある湯の様だ。 嫁さんは美人の湯だと大喜びだった。 知床峠はずっと雲の中で何も見えず。知床5湖へ向かう。 駐車場で聞くと、熊が出ているので湖へはいけませんとの事なので引き返す。 途中岩尾別温泉の案内があったので、そちらへ左ターンし山奥へと走っていく。。 途中エゾシカが道端で草を食んでいるが、車を止めても慣れていて逃げない。 道の尽きる所に岩尾別温泉のホテル「地の涯」があった。500円支払って風呂に入る。 ここは少しぬるめに設定してあったがいい湯だ。 なぜか私の肌まで風呂から出てもすべすべになって来た。 ホテルの駐車場の下の方に露天風呂(穴が掘ってあるだけみたい)がある。 登山道のすぐ脇にあり、入浴無料で若者が二人ほど入っていた。 ここは脱衣場も無く、大きな穴が5個点在してると言う感じ。 お湯はホテルから提供していて、塩ビ管が施設してある。 若者にとっては野趣豊かな温泉であろうが、私たちはちょっと入りかねた。 4時頃ウトロの道の駅に着いた。 デジタルビデオやノートパソコンのバッテリーを充電したいし、 たまには畳の部屋に寝たいので、一人7000円の民宿を頼んだ。 民宿ペレケはそこそこきれいな所で、20室位は有ったがシーズンオフの為か3室しか使ってないようだ。 夕食時オーナーが漁師からホタテを貰ってきてさしみにしましたと貝柱とヒモの刺身であった。 ヒモはゴリゴリと美味しかった。食事も味付けは美味しかった。 やっぱ、コンビニ弁当とは違う! |
6月26日(火曜日) 知床半島クルーズ→網走市→サロマ湖→上湧別町 「かみゆべつ温泉チューリップの湯」 きょうは学生時代から一度は訪ねるぞと思っていた知床半島クルーズである。 昨日の雲は無くなり、青空が見える。民宿ペレケに車を置かせてもらい、港に歩いていく。 クルーザーで行くと14名ばかりの定員で3時間¥8000である。 定員400名のオーロラ号で行くと3時間40分で6000円である。 時間はたっぷり有るし、当然安いほうが良い。巨大な岩にトンネルが掘ってあり、抜けると市の駐車場と波止場がある。 半分のコースを廻ってきたオーロラ号が入港して来た。10時出港。 船の右側が良いと聞いていたので前のほうの右の席に行ったが、デッキ通路の天井で山は見えない。 一番前の中央に席を取る。550円出せば特別席はあるが、やはり右側の席は当然埋まっていて満席であった。 ビューポイントに来ると外に出て見る方が圧倒的な迫力で断崖絶壁が迫ってくる。 学生時代、知床半島へ行った先輩からいろいろ聞いて、ずっと心躍る気持ちだった。 知床連山がいきなり海に滑り込んでいて、200mばかりの断崖絶壁の下は青い海である。 幾筋もの滝が山肌を流れ落ちていて一つは深い海が滝つぼである。 イオウ岳からは95%とけた硫黄が流れ出し、カルデラの一部が割け、V字形の谷が海につながっている。 知床半島の最先端は平地になっておりお花畑である。(今回は未だ早かった様だ) 41年前に聞いたとおりの知床半島が目前に現存する。 街は毎年景観を変えてしまうが手付かずの自然は41年とはちっともその姿を変えないのであろう。 しかし、相泊の「熊の穴」のオヤジはこの3年間流氷が殆ど接岸しなくなったと嘆いていた。 温暖化は地球規模で確実に進んでいるようだ。 そのうち知床半島の植生や動物生態も変わって行ってしまうのであろうか? 途中イルカの群れにも出会え、あっという間の3時間40分であった。 下船して巨大な岩を登る。150mばかりにずっと階段をつけてくれているのだが、フーフー言いながら登ってみると ウトロの町が見渡せ、海鳥や海つばめが眼下を飛び回っている。 エゾカンゾウやアヤメなど高山植物の群生も見ることが出来る。 良くこんな施設を作ったものだ。 民宿のペレケのオヤジの奥さんは広島の東城の出身であるので、いろいろ親切にしてもらった。 北海道で出会った人々は皆おっとりしていて親切心が大である。何か懐かしい気がする。 2時頃ウトロを離れ今年2月に来た網走刑務所は素通り。 サロマ湖の半島竜宮街道をレンタサイクルで走れるかどうか調べようと常呂町に入る。 サイクルロードは見つかったが受付場所が良く分からない。 常呂町の「・・・安さん」と言うすし屋が目にに入ったので夕食にする。 漁師町のすし屋なので美味しいものを食べさせてくれるか?と思ったが、注文したのは天ざる手巻きセットであった。 しかし、これがなかなか美味しかった。そばも美味しかったし、寿司飯も海苔もさすがすし屋だと感心した。 室内を茶屋風にしたり、カードも使える。雛には珍しい小じゃれたお店だった。 店員さんに聞くとレンタサイクルはもっと先の方だった。 地図で見ると、半島の先端まで行くには今は馬車はなくなりサイクリングのみの様だ。 原生花園が見えるはずであったのに残念。 上湧別町の「かみゆべつ温泉チューリップの湯」にて車中泊。 |
6月27日(水曜日) 上湧別町→紋別→興部→雄武→枝幸→クッシャロ湖→猿払町→宗谷岬→稚内港 朝3時30分トイレに起きる。 外は夜が明けている。どうも3時が白んでくるようだ。夜も7時が夕暮れである。 北緯45度(赤道と北極の半分)なのに白夜じみているのであろうか? 運転席にも日除けをやっているのだが、夜明を感じて結構朝早くから目が覚める。 トイレで早朝なのに顔を洗っているヒゲのオヤジに出会ったので「おはようございます」と挨拶する。 ヒゲオヤジはサツキ鱒を釣りに来たといっていた。早朝なので私も釣り仲間と思ったようだ。 このヒゲオヤジによると、7月からは白鮭などを釣りに来るそうだ。 川で釣るのが面白いのだが、本来は禁止されていると言っていた。 「川に上がると食べ物を食べないのでは?」と言うと、産卵孔が開いて肛門は閉じてしまい、 一切食べ物は食べないそうだ。ルアーで誘ってつるそうだ。鮭が小魚を追いかける習性を利用するらしい。 川での漁は禁止なので当然持って帰ることもしないと言っていた。 湖の鮭釣りにはまってしまい、19年勤めた会社をやめ、(転勤があり北海道に来れないので)札幌に住み着いた様だ。 今回も15日間休んで来ているといっていた。イヤハヤ「釣りバカ日誌の浜ちゃん」より上をいっている。 4時にはあたふたと駐車場を出て行った。 今日はオホーツク海岸をひたすら宗谷岬を目指して走る。 紋別、興部、雄武町の道の駅で一休み。 「おうむ」道の駅にはさりげなく流氷が転がしてあった。 仰々しく観光資源にしないのが奥ゆかしい。 出入り口に座っていたおばさんと話をする。 戦後、親たちと開拓農民として入植し、苦労の連続だったらしい。 北海道の道の駅のトイレには「トイレットペーパーを持って帰らないで」と良く書いてある。 バイク野郎の若い衆が面白半分に持って帰るのか? 最近増えた外国人たちが持って帰るのか? 便所の張り紙を見て半分は納得。 私の文化論→公共施設のトイレットペーパーがあるかどうか!!が木っ端微塵に砕け散りそうである。 北海道人や日本人で無いことを祈るのみである・・・ 枝幸町を過ぎクッチャロ湖に到着。 クッシャロ湖湖畔の水鳥観察所があったので行ってみたが一羽もおらず。 引き返してベニヤ原生花園に寄るも花はなし。 道の駅「さるふつ公園」に寄ったら、猿払温泉があったので入浴。 PH9.9とあったが、肌は全然ぬるぬるしない!!?? 出て牛乳やチーズを売っていたお店があったので立ち寄る。 仲代達也主演の古い映画「人間の条件」のポスターが所狭しと貼ってあった。 私が高校生の時オヤジと一緒に見た映画で、ポロポロ涙が止まらなかったのを思い出した。 「人間の条件」の撮影場所がここ猿払原野であたのだ。 お店の気のいい親父さんは中学生の頃撮影現場に見に行ったようだ。 気のいい親父さんから記念品にロゴ入りの牛乳瓶などを貰った。 そして遂に来ました日本最北端の地、宗谷岬。 大学4年の夏休みが終わりかけた8月末、学生最後の休みにどこにも行かなかったので、 エイヤ!とばかりに稚内への国鉄の往復乗車券を買った。 お金がなかったので、寝袋一つと米、缶詰と飯ごう、ラジュースを引っさげ、夜汽車に飛び乗った。 時刻表一冊だけ買って、何も調べず時刻表の簡単な地図を見て何とか半島の先端とか、 ローカル線に乗るのが未知なる所へ来た感じがして心踊るものがあった。 (都市部は全国何処へ行っても同じ様なもの) 鈍行列車で方言を聞きながら行くのも楽しいものなのだ。 鈍行列車だと、退屈なので自然と同じボックスの地元の人と話をすることになる。 「何処に泊まるの?」と聞かれて「テントはないので駅舎か農小屋か橋の下です」と答えると うちに泊まれと言ってくれたした。 北海道旅行の時に急行の夜行列車で同じボックスに同席したのが画家夫妻であった。 札幌の別荘に行く途中だそうだ。今夜はうちに泊まりなさい。 但し、別荘の掃除を手伝って!と言われ、画家夫婦の別荘に泊めてもらった。 次の日は稚内まで行き、宗谷岬まではバスに乗った。 宗谷岬に降り立ったのは私一人。「日本最北端」の碑が建っていた。 風はビュービュー吹いていて、早く今夜の寝床を探さねばと歩いていると小学校があった。 とりあえず今夜の飯を炊かないとと思い「水を分けてください」と宿直室を訪ねる。 昔は若い男先生が宿直をしていたのである。 「今夜はどこに寝るの?」と聞かれ、「どこか雨露のしのげる所を探します」と答えると 「よかったら宿直室に泊まりなさい」と言ってもらって泊めてもらった。 昔は”学生さん”という社会的な身分があって、無条件に信用してくれ、いろいろ親切にしてもらえたのである。 ”学生さん”は国の宝で、将来お国のために働いてもらうので、大切にしてくれるという風潮がまだ、かすかに残っていた。 田舎に行けば行くほどその気分は濃厚であった。 翌朝、稚内に戻ってこのまま宇都宮に帰るのは何だかつまらないので 手持ちのお金の殆ど使って礼文島への往復キップを買った。 礼文島へは結構風が強く、揺れながらの航海であった。 香深港に着いて、今夜の炊事の水と宿を考えねばと歩いていたら、トンネルの工事現場があり、近くに飯場があった。 水を貰おうと、お兄さんに「水を分けてもらえますか?」と恐る恐る聞いてみる。 「水をどうするの?」「はい、ご飯を炊こうと思いまして・・・」「寝るところは?」 「良かったらトンネル工事現場の穴の中にでも寝かしてください」とやりとりしてたら まかないのおばさんに向かって「今夜一人分追加してくれ!」と言った。 びっくりして顔を向けると、お兄さんはにこりともせず「今夜飯を食って泊まって行け」と言ってくれた。 こんな親切受けていいものか?後から何か言われるのではないかと不安は残るものの、 地獄に仏とばかりご好意に甘える事にした。 夜どんな話をしたか忘れてしまったが、家の事、学校の事など、退屈な話をしてしまったのであろう。 翌朝の朝食もよばれて、挨拶をして立ち去ろうとすると、ジープに乗れと言う。 口数の少ないお兄さんだったので、送ってくれるのかと思っていたら、半日かけて礼文島を案内してくれたのである。 海岸でめのうを拾ったり、昆布を拾ったりした。 昆布はそのまま食べてみると肉厚でゴリゴリとして、口の中いっぱいにネバネバが拡がった。 大学に帰ってお礼の葉書を出したのだが、今は名前を失念してしまった。 その時の学生は大してお国の為にはならなかったので、ご期待に沿えず申し訳ない気分でいますよ! 今生きていらっしゃれば75才〜80才位になっているのだろうと思う。 北海道からの帰りは、一度も汽車から降りず・・・ 手持ちのお金は10円しか残っておらず、列車内では飲まず、喰わずであった。 黒磯あたりで女子高生のグループと同じボックスになった。 彼女たちは郡山からの帰りだと話をしていた。北海道旅行のあれこれを話をする お昼の時間になり、車内弁当を売りに来た。女子高生たちはお弁当を買う。私は10円しか無いので当然買えない。 「お弁当買わないのですか?」と問われて「食べたくない」としどろもどろで説明。 お金が無いのを見透かされて、一人の女子高生が半分弁当を分けてくれた。 今なら、携帯電話の番号を教えてもらうところなのだが・・・ 名前も住所も聞かず、”ありがとう”だけで分かれてしまった。 10円しかないので、駅からアパートまで2時間歩いて帰った。 明日は礼文島なので、41年前のことをあれこれ思い出した。 稚内で回転寿司を食べる。ネタも新鮮で美味しかった。地元の人でいっぱいだった。 富士見の道の駅に泊まろうと思ったが、あまりに遠いので引き返し、稚内港の無料駐車場で車中泊。 |
6月28日(木曜日) 稚内港→礼文島 香深港→元地 めのう浜→桃岩→香深港→稚内港 学生時代に行った礼文島がまだ行っていない利尻島にするか迷ったが、やはり懐かしい礼文島を選んだ。 花の島礼文島と銘打ってあるので花々も歓迎してくれる事だろう。 朝5時に起き出しトイレに向かう。 隣に寝ていた京都ナンバーの夫婦と少し話をする。 ご夫婦は登山が趣味で礼文島は日帰りで、次の日は大雪山を昇るそうだ。 アイゼンも持参しての本格登山の様だ。北海道から帰ったら山仲間とすぐに長野県の白鳥に行くそうだ。 パワフルなリタイヤエイジだ。 6:20分の一番船で稚内を出港。 2等船室は20名定員のとこに29名も座って寝転がるところではない。 中高年の団体客が半分以上は居るようだ。私達のような個人客も3〜4割居る。 日帰り客でこの一番船は混み合っているようだ。 ニセコを出てから今回の旅の軌跡をGPSで取ろうと思い立った。 せっかくノートパソコンも持参しているので、取り込むのは簡単。 しかし船内では衛星を拾ってくれない。デッキに出ないと難しい。 私が船室で日記を書いている間、嫁さんがデッキに出て衛星を拾ってくれた。 嫁さんはずっとかもめとたわむれていた。 ウミネコ?カモメ?はずっと船と一緒に飛び、船客がエサを投げると空中で上手にキャッチ。 嫁さんはポテトチップを手に持って直接手渡そうとがんばっている。 エサを取ろうとウミネコ?(かもめ)はすぐに近くを一生懸命羽ばたいている。 一度だけ手から直接エサを取ったそうだ。 (中年の男性がエサをやっている人たちに「生態系を壊すのでやめましょう!」と注意をして廻っていた。) おっしゃる通り!! 香深港に8:15に到着。バスの時刻表を探そうとバスターミナルを探すのだが見当たらない。 観光バスは20台位ウロウロしている。島内バスが止まっている。 一日のバス本数は少ないはずなので、とにかく乗らないと! 北の端に行くのと山越えして島の裏側に行く経路があるはずだ。 元地行きとあるが良く分からんがとりあえず乗り込む。乗って地図を見ると島の裏側に行く便の様だ。 日帰りと決めていたので近くでもいいか!!バスは8割方の乗車率である。 桃岩展望台というところで地元の乗客2名を残して全員降りた。 一瞬降りようかと思ったが、先っぽの好きな私はバス終点まで行こうと決心し、バスに残る。 トンネルを通ってヘヤピンカーブを何度も繰り返して海岸線に下って3駅目が終点元地だった。 バスを降りると真っ先に目に飛び込んできたのが「めのう浜」という文字だった。 何と!!!41年にトンネル工事現場のお兄さんとめのうを拾いに来た海岸だった。 目頭がじわっとした。 嫁さんに「ここだ!ここだ!」と感極まって言うもキョトンとしている。 海岸に行きめのうを探す。私が来た41年前は全然観光化されていなかったとはいえ、 41年も経つとめのうが転がっているわけもない。 30Cm位靴で掘り下げてみると、小指の先程のめのうが4個ほど見つかった。記念に持って帰ることに。 地蔵岩のビューポイントを見て引き返す途中に数軒の地元の人のやっている土産のお店がある。 屋台風のお店のうに丼、トド焼き、つぼ焼き、芋モチなどの張り紙が目に入る。 うに丼1000円だった。こんなへんぴな漁師町(2〜30軒)なので、新鮮で安いかと思い注文。 思い通り新鮮でほんのり甘い。芋モチも3ケで250円であったので、一皿注文。 このお店のお姐さんは一人でやっていて、非常に話し好きな人で一時間以上も話をした。 途中「漁港にいもモチを出前に行くので店番していて!」と15分位帰ってこなかった。 まだお金も払ってないのにのんびりしたものだ。最もバスは一日4便しかないのである。 食い逃げするわけにも行かないのである。お姐さん帰ってきて私が泊めて貰ったトンネル現場を聞く。 トンネルは全島で先程越えてきたトンネルしかないという。海抜200m位の所にあるのである。 41年前、そんなに山道を歩いて上がって行ったのであろうか? 港のすぐ近くというイメージが残っていたのだが・・・。 11:58分のバスに乗ってトンネルを抜けた桃山展望台入り口で降りる。 30分位フーフーいいながら展望台に到着。団体客のグループがひっきりなしに上がってくる。 バスガイドさんが一緒に登っての案内である。残念ながら雲底が低く、桃岩は良く見えない。 バスは4時頃しか通らないので、登山道を降りて行く。 香深港に到着すると2時の船が出港したところであった。 ホテル「花れぶん」のラウンジで抹茶セットを注文。 一時間以上居させてもらって日記を書く。 このホテルはすごくあか抜けていて、ホテル名のごとく花でいっぱいである。 大作の生け花はもちろんあらゆるところに一輪挿しが活けてある。 ラウンジでお茶をよばれるだけでも大変心が和むホテルであった。 外には高山植物の花壇が作ってあり名前が分かるようにしてあった。 一見の客にここまで和ませるというのは、私が感じる10倍もの努力が隠されていると思う。 乗船を待つ時間にタクシーの出来るだけ年取った運転手を見つけ話を聞いた。 「41年前港の近くにトンネルを作っていなかったですか?」 「その頃は小学生であったがトンネルはなかったよ」という返答であった。 やはり山を登ってトンネル現場まで行ったのであった。 学生生活最後の旅の思い出が確認出来たなんともうれしい来島であった。 そして、「花の島礼文島」の名に恥じず花いっぱいの島であった。 稚内無料駐車場で車中泊 |
ホテル「花れぶん」の花壇 |
6月29日(金曜日) ノシャップ岬→サロベツ原生花園→豊富温泉→大規模草地のレストハウス→サロベツ原野ビジターセンター →留萌市→深川市「ライスナンドふかがわ」道の駅 朝は、ノシャップ岬を廻る。北風が強く寒い。 無風であれば最低気温が10度くらいなのでちょっと肌寒く湿度が少ないので、広島の晩秋の様である。 2ヶ月・3ヶ月車で移動している人たちが居たが、まさに北海道と言う避暑地で過ごしているのである。 気に入ればそこに2〜3日逗留するそうだ。 自転車で一日サイクリングしたり、近くの山に登ったり、釣りを楽しんだり、 ボート遊びしたり、一日読書したり、人それぞれに一日を過ごす。 町という町にパークゴルフ場がある。 グランドゴルフは平坦地であるがパークゴルフは芝生が張ってありバンカーもあり、 起伏もありでミニゴルフ場みたいである。 スティックとボールはグランドゴルフと同じ様なものである。 船で出会ったキャンピングカーの夫婦は山口県の人で、北海道をパークゴルフ場巡りをし、 2ヶ月ばかり過ごすそうだ。 各パークゴルフ場で地元の人やパークゴルフ場を渡り歩いている人と沢山お友達が出来るそうである。 気に入れば同じところに2〜3日逗留する。 北海道は土地が広いのでパークゴルフ場はいくらでも造れるだろうが、芝生の手入れも大変である。 町営は無料のところも沢山あるそうだ。北海道は様々な楽しみ方の出来る避暑地である。 今日のメインはサロベツ原野である。106号線を下って途中444号線に入りサロベツ原野を横断する。 サロベツ原生花園に到着、一面まっ黄色である。エゾカンゾウの大群生地であった。 5km×10km位の広大な原野が黄色一色なのである。 広い木道を歩いているとワタスゲの群落もあった。圧倒的な平坦地に感動。 温泉に入りたかったので豊富温泉に足を伸ばす。 ここは天然ガスを掘削していて掘削した温泉で色は薄褐色で石油臭い。石油臭いのも初めての温泉だった。 午前中の11時頃なので誰も居なかったが一人入ってきた。40歳台の人で稚内から入りに来るとの事。 すぐ近くに大規模草地のレストハウスに行くと、100円で牛乳飲み放題だと教えてくれた。 早速行ってみる事にした。草地を5km位行ったところであった。 行けども行けども草地なので、しっかり教えてもらっていなければ不安になって引き返すところだ。 ようやくぽつんと一軒だけ2階建ての何の変哲も無い長方形の建物が見えてきた。 レストハウスと大書してあるので間違いは無い。2階に上がるとかわいい女の子がいらっしゃいと言ってくれた。 本当に野中の一軒家なのでよく努めているなあと感心していると、年増のお姉さんも厨房から出てきた。 ジンギスカン定食が1000円とある。北海道に来て未だジンギスカンを食べて無いので注文。 野菜はギンギスカン鍋の周りに水を張って、煮立ってきたら入れて下さいと言われる。 もやし、たまねぎは普通だが、緑のものの名がわからないので聞いたら「ギョウジャにんにくです」と言われた。 北海道ではギョウジャにんにくを野菜代わりに食べるのか!!と感激する。 マトンもたっぷりもって来てくれ、通常の1.5倍の量はありそうだ。しかも柔らかくマトンの臭みも全然しない。 ジンギスカンとして注文しなければそれと気が付かず食べてしまう。 100円の牛乳を注文。ガラスコップとピッチにナミナミと注いだ牛乳を持って来てくれた。 ここ大規模草地で沢山の乳牛を飼っているし、北海道では牛乳がだぶつき気味で、 価格維持の為廃棄処分までしているとテレビで言っていたようである。 捨てる牛乳であればたらふく飲ませて集客すればおもしろい企画になるだろうに。 以前2,500〜3,000円でカニの食い放題というのもあったなぁーー。 頑張って飲んだが、ジンギスカン定食の後では、3杯が目いっぱいであった。 かわいい女の子の写真をとらせてもらい、不良おやじのHPの宣伝をそれとなくしたら、彼女は書き留めてくれた。 豊富町を出てもう一度サロベツ原野を別の道で横断し、ビジターセンターでゆっくりビデオなどを見て勉強する。 ツアーなどの旅だと絶対こんな事は出来ないだろうと思いながらスローライフの至福にひたる。 106号線にもどり、232号線をくだり、一気に留萌市まで行き、233号線に入り深川市には夜になっていた。 地図にあった滝川温泉や沖里河温泉を探すもよくわからなkった。 夜旭川のパラの高塚さんにпB天気も良くないしフライトは無理という事で、富良野のラベンダー見学という事にした。 「ライスナンドふかがわ」道の駅にて車中泊。 |
6月30日(土曜日) 富良野「ファーム富田」→美瑛町→旭岳温泉 富良野への道を探すと、道道4号線が一番早そうである。 4号線を行くとすぐにカムイスキーリンクの案内があったので、見物に立ち寄る。 高塚さんは今日ここでライン交換すると言っていたのでひょっとすると来ているかもと電話してみる。 後30分位でここにこれると言うので挨拶だけはしておこうと待つ事にした。30分して高塚さん登場。 河原夫妻の結婚式で会っているのでやあやあーという事に。 河原さんも高塚さんも私も農学部と言う共通項があり、何となく親しみを覚える。 68歳の人もここで飛んでいるのですよと言っていると本人さん(新保さん)登場。 新保さんと挨拶していると、リタイヤ組の渡部さんも登場。練習生野沢さんもそろった所で記念写真を撮る。 北風で右サイドの風なので今日は失礼して再会を約してわかれる。 4号線から38号線に入り、237号線沿いのファーム富田の看板を見つけた。 すでに観光バスが20台以上自家用車は数え切れなかったが、富田ファームの中は人、人、の行列である。 早咲きのラベンダーが一面に咲いており、青紫色に畑が染まっている。 ラベンダーの盛りにはちょっと早かったようである。色々な花をびっしり植えてお客さんを飽きさせないようにしている。 一番感心したのはここファーム富田は入場料も駐車料も取らないのである。 ファーム内での物品の販売だけでこのファーム経営をしているのである。 富田ファームの社長の心意気に感じ入った次第です。それにしても大変なお客さんの人数です。 ここまでにするには涙の努力があったのだろなぁ〜。 次に美瑛町の起伏に飛んだ丘がきれいだと野沢さんに聞いたので、行ってみる事に。 マップには”ケンとメリーの木”とか、”マイルドセブンの丘”とか、”パッチワークの丘”とか書いてある。 ケンとメリーの木には会えたが、後は良く分からんかったが、起伏のある丘に様々な作物が植えてある。 それらの種類の色がとりどりだったり、帯が美しかったりなかなか広島では見ることの出来ない風景であった。 内地の人は絶対に感激すると思う。 明日は旭岳のお花畑を見ようと決めたので、一路旭岳温泉へ。 天人峡と旭岳温泉の別れ道に食堂兼民宿があた。バスが一台止まっていた。 「まんてん」という名でだいぶくだびれた民宿が一軒だけぽつんと建っていた。 今日はご飯を食べてなかったことを思い出して引き返す。 豚あんかけ丼を注文した。味の方は全然期待していなかったのだが、結構な味だった。 バスの運転手が一人だけが民宿の客らしい。食事の味が良かったのでちょっとかわいそうであった。 旭岳温泉に着いたのはすでに7時過ぎていた。 一軒目は入浴を断られた。次に立ち寄ったのは立派な温泉ホテルであったので、 日帰り入浴客は断られるだろうと恐る恐るお願いした。 本日はお風呂デーなので特別ですのでどうぞという事であった。 一人1000円は痛かった。(北海道のホテルは全て500円で入浴させてくれた) しかし、今までのお風呂の設備とは段違いに立派な浴場であったので納得。 1000円分がんばって入浴したら、私も嫁さんも湯あたりしてしまって2時間ばかり気分が悪かった。 旭岳温泉郷の駐車場で車中泊。 |