九州ホームレスの旅
12月15日更新

九州    2007年 11月   
11月15日(木曜日)
3時50分広島東IC→福岡米の山フライト→唐津桃山天下市道の駅

九州の紅葉と温泉巡りをしようと、今回もボンゴにマットと布団を積んで
嫁さんをおどしつ、すがめつ、ホームレスの旅に出る事にした。
深夜割引を使用するため、AM3:50広島東ICを出発。
一気に福岡県古賀SAまで走る。AM7:00〜9:00までSAで仮眠。
今日は福岡の米の山でフライとする予定。中村さんは先行している。
中村さんと連絡を取り福岡ICの降りた所でAM10:15待ち合わせし、ロイヤルホストでトースト朝食。
AM11:00頃、米の山フライとエリアのランディングでジモピーの河野さんに挨拶。
昨年メールをもらった梶木さん、土橋さん、さっちゃん達と米の山テイクオフに上がる。
11時30分頃土橋さん、さっちゃん、中村さんテイクオフし、トップアウト果たす。
すぐにサーマル成分無くなり、中腹以下に下がる。
12:00ぶっ飛び覚悟で私もテイクオフし、何事もなくランディングへ。
金子さん達も来て再度テイクオフに上がる。テイクオフ場への道はずっと舗装された良い道だ。
1回目の立ち上げの時は左サイドの風で、だましで正面っぽく入るが、立ち上げると左に向かってしまう。
3回目の立ち上げの時は少し走ったがテンション無く、前潰れ起しテイクオフをストップした。
4回目でようやくテイクオフ出来た。今度は正面又は右寄りで入っているので安心だ。
テイクオフし、すぐに右に切ってリッジ風で何とかトップアウト。
テイクオフ上空はサーマルが収束している感じでよく上がった。
後ろへ流して若杉山山頂に取り付くも、あまり上がらなかった。
先に出たさっちゃんは雲の吸い上げにあい翼端を折っていた。
ジモピーや中村さんは2時間以上飛んでいた。
私は1時間ちょっとで車を降ろす。PM4:00に皆さんとお別れ。

 米の山山頂案内板 不良おやじ 中村さん

呼子の桃山天下市道の駅に泊まる。
11月16日(金曜日)
名護屋城祉記念館→有田陶磁館→道の駅
二人とも風邪気味なのでゆっくり寝たら9:00まで寝ていた。
桃山天下市には地元のおばさん達の農産物や寿司や、漬物など手作りの食材を売っていた。
いなり寿司と巻き寿司を朝食に買ったら美味しかったのでもう一つ買いに行った。

 作物の出品者たち 巻き寿司、押し寿司、まぜご飯

名護屋城址記念館で2時間程見学。
秀吉の命令一過、5ヶ月で名護屋城を築き、全国の大名たちも近くに陣屋を築いた。
15万人の大群で朝鮮を侵略。
何の理由も無く(理由はこじつけられたが・・)侵略を受けた朝鮮の人々はたまったものではない。
そして時代が下がって、1910年日韓合併され、名前まで変えられることになる。
加害者はすぐ忘れるが、被害者は2代、3代の末代に渡って忘れられるものではない事を肝に命ぜねばならない。

呼子大橋を渡り加部島に行き、イカの活き造りを食す。2625円/一人也の豪華昼食となった。

 呼子大橋を渡り、加部島に行く イカたちは生きていた おいしい!!

武雄温泉元湯(300円)はリーズナブルでうれしい。建物も度派手。
有田の九州陶器文化館が6時まで見れるので入館。大きく立派な展示館であった。
陶磁器の歴史や日本各地のものも陳列。有田焼の名品は門外漢の私にも感動を与えた。

 九州陶器文化館  

   

武雄市山内の道の駅にて車中泊。
11月17日(土曜日)
西海大橋→長崎平和記念館→亀山社中→夕陽丘そとめ道の駅

高速道路で長崎に行くつもりが、佐世保に行ってしまった。西海大橋で朝食し、大橋を歩いて渡る。
海面から43mは見ごたえがあった。

 新青海大橋 橋の下の歩道橋 海面から43m

長崎市の平和公園に駐車。(2時間以上一日でもでも500円)
平和像を見て原爆資料館や平和記念館を見学。
広島のは早くから市民の協力によって資料館を建てたので古めかしい。
長崎のは新しく大きく立派であった。

 平和の像 

 

長崎平和公園でべっ甲と真珠のお店の客引きのおじさんと話をする。
長崎ちゃんぽんの有名店、慶華園と亀山社中への道順を教えてもらう。
電車で移動した方が良いと言う。
市内電車で移動。松山町から諏訪神社へ。
今、司馬遼太郎の「竜馬が行く」の八巻目を読んでいる。丁度海援隊を作って、活躍している頃である。
亀山社中跡が山の中腹にあるのだが、頑張って路地の様な坂を登って行く。
坂道に家が両脇にびっしり建てられている。大傾斜地である。
新築の時どうやって建材を運ぶのだろう?

30分登って亀山社中跡に到達。今は公開をやめていて屋敷内を見学出来なかった。
長崎市街が一望出来る。殆ど山頂に近いところだった。
亀山社中は薩摩藩と長州藩のふところをあてにして設立した会社で、脱藩浪士の集まりはあったので
貧乏であったからか、えらく不便なところに家を借りたものだ。
ここから海を眺めながら、若者達は野望を膨らませたに違いない。
それにしても昔の人達はすごいなあと思う。
今なら、車を飛ばせば一日で広島から来る事は出来るが、江戸時代は徒歩や舟などで、薩摩から長崎から長州から
江戸や京都に向かって行ったり来たりで大変だったろうと思う。
そして竜馬は薩摩、長州、土佐をよく連合させたものだ。
早くから倒幕に目覚め、たぎったエネルギーを爆発させた連中は、早く生命を散らしてしまった。
よほど運のいい連中や、第二陣の連中が明治維新の果実を、もいだことになるのだが・・・。
竜馬が生きていたら明治になって何をしたのだろうかと、想像するのも楽しい。(政治家になっていないだろう・・)

 龍馬道 龍馬のぶ〜つ

 亀山社中跡  

夕方5時頃平和公園に帰っていると、15名の若者グループの中の女の子が「平和公園はどちらでしょうか?」と聞いてきた。
「私達も平和公園に帰るところなので、一緒に行きましょう」と連れ立って歩き出した。
100mも行かないのに声をかけてきた女の子は立ち止まっている。
よく見ると足をさすっている。一日中歩いたので足を痛めたようだ。
一休みしながら聞くと、彼らはベトナム人だそうだ。三菱商事の研修で2週間程長崎に来ている。
暗くなりかけているのに、平和公園に行ってもなぁ・・と目的を聞くと、ヤマダ電機でデジカメを買いたいようだ。
ヤマダ電機は平和公園近くにあるようだ。歩いているおじさんをつかまえてヤマダ電機を聞くと、
平和公園を越えて、球場の向こう側だそうだ。
平和公園に行くには、坂を登らないと行けない。
彼女は両脇からかかえられて、ケンケンをして、半べそである。
英語の出来る若者を5名引き連れてヤマダ電機の場所を確認する為、先に平和公園に登る。
平和公園から眺めてもヤマダ電機の看板が見えない。
女子高生(彼氏付き)が歩いて来たので、ヤマダ電機の場所を聞く。
「下に降りて300m位歩いて、歩道橋の上で見るとヤマダ電機の看板が見えます」と教えてくれたので、
若者を引き連れ、歩道橋まで行くと看板がみえたので、あれだと指差す。
一緒に引き返していると、足を痛めた女の子のグループがトボトボと歩いて来て、私達を
見つけて、パッと明るくなる。
それじゃーと握手して分かれる。日本語が出来たのは彼女一人で、
あと数名は英語が出来たようだが、全員賢そうな顔をしていた。
三菱商事の研修生だもんなぁー。

202号線をバックして、夕陽が丘そとめの道の駅で車中泊。
11月18日(日曜日)
雲仙温泉郷→島原雲仙普賢岳噴火記念館→八代市竜北道の駅
千千石のフライトエリアで飛びたかったが昨日から爆風。
エリアを横目で見ながら雲仙温泉郷へ。
雲仙共同浴場(100円)は地元の人たちのお風呂である。
PH2.2の温質なので一時間ばかり入っていたら、湯あたりし、ちょっとフラットした。
環境省の「お山の情報館」で火山や普賢岳の事をお勉強。
雲仙の地獄めぐりをして食堂で皿うどんの昼食。

 土管から湯気が上がっている 雲仙地獄 地獄むし(卵やサツマイモ)。買っているのは中国人や韓国人の観光客

 美しい紅葉たち  

昼食後、雲仙温泉郷隣りの小地獄温泉(400円)に行く。
ここのお湯は白濁していて5cm先の指先が見えない。
なんだか薬効がありそうで、ありがたい温泉なので一時間入っていたら、フラフラになった。
休息場があるので冷たい牛乳を飲みながら、30分ばかり寝転がって休憩。

 小地獄温泉 

島原に下って雲仙普賢岳噴火記念館にて1時間半見学。
15年の惨状を目の当たりにする。立派な記念館を作ったものだ。
普賢岳を目の前にしながら自然の猛威をひしひしと感じる事が出来た。
土石流で埋まった家屋をそのまま展示した物まであった。
2時間半ほど見学。うーんだいぶ滞在型になってきたかな?

 普賢岳 土石流で埋まった家屋 

島原の道の駅で泊まろうかと思ったが、6時なのでフェリーで熊本に渡り、
八代市手前の竜北道の駅にて車中泊。
11月19日(月曜日)
水俣の湯の鶴温泉→吹上温泉→知覧川辺やすらぎの郷道の駅
行くあても無く知覧に向けて南下。
途中水俣市から7Km山に入った湯の鶴温泉に寄り道。
ここ湯の鶴温泉郷は駐車場もないような、谷合の小さな温泉郷であった。
共同浴場(150円)に入ろうと思ったが月曜日休みと書いてあった。
此処まで来たので旅館の風呂に入ろうと相当古びた旅館”四浦屋本店”に飛び込む。
足の悪いおばあさんが出て来て一人200円ですと言う。おーお!ラッキー。
古い旅館ではあったが、浴室は小奇麗に改装してあった。
川のせせらぎを聞きながら小一時間入った。出たら嫁さん湯あたりして廊下の長椅子で寝ていた。

 四浦屋本店のお風呂に入った 

水俣市に戻り3号線を更に南下。
270号線に入り吹上温泉に寄る。
嫁さんの友人の野内さんに教えてもらっていたみどり荘(500円)に行く。
大きな池のそばに内湯と露天風呂がある。
露天風呂の目の前が池があり、もみじの大きな木が露天風呂を被っている。
何とも風情のある風呂だ。
後から入って来た枕崎市から来たというおじさんと一時間ばかり話をする。
枕崎市から一時間くらいかけて毎日あちこちの温泉に行くらしい。
今日は2ヶ月ぶりにここに来たという事だ。
近くの温泉では、鰻温泉(うなぎ荘)、川辺温泉が4〜5ヶ所お勧めの温泉を教えてもらったが覚え切れなかった。
ここみどり荘は秘湯100選にも選ばれているそうで、全国のファンが入りに来るそうだ。
お湯から出て10分ばかり汗が止まらなかった。よく暖まるお湯なんだろう。

 みどり荘 池と紅葉と露天風呂

知覧近くの川辺やすらぎの郷で車中泊。

 道の駅、「川辺やすらぎの郷」で日記を書く
11月20日(火曜日)
知覧特攻平和記念館→山川町うなぎ荘→霧島道の駅
今日の目的は知覧の特攻平和記念館である。
入館するとすぐに特攻で若い生命を散らした若者たちの遺影が数えられないほど掲げてあった。
特攻についてはいくらか知識もあったので、数々の遺影を見たとたん涙がジワーと流れてきた。
若者たちが必死(必ず死す)を前にして家族に当てた手紙や遺書を見ると、涙で曇ってよく読めない。
見ている人々もハンカチや手でほほをぬぐっている。

文は悠久の大儀に準ず!!必沈!!とか勇ましいものから(対外的なもの)から家族に宛てた親不孝を詫びる物や、
弟や妹に両親の事を託すものまでいろいろある。
それぞれに書いた若者たちの心情が汲み取れるものばかりだ。
死を前に、軍の検閲を意識しつつも、自分の思いを精一杯伝えようとしているのが読み取れる。
ファシズムを批判しつつ私は自由主義者として、愛する者のために特攻に出ますと言うものもあった。
軍の検閲を逃れる為、見送りに来てくれた地元の女子学生に手紙を託したらしい。
受け取った女子学生達は自分の名前で手紙を送り届けたようだ。
必死の思いを憲兵の恐ろしさを乗り越え、女子学生達も決死の覚悟で受け止めたであろう。
死に行く若者たちの心根は一隻でも軍艦を沈めて親、兄弟、妻子の為日本の防波堤になろうと思ったのであろう。
自決の目的は大儀とか言ったものでなく、愛する者の為にしか、生命を捧げられないのが本音であったろうと思ってしまう。
自分がこの手紙をもらう年になってしまい、展示してあるこの手紙をもらったら・・と考えると心が引きちぎられそうである。
この若者達を戦場に送った責任は大人達にあるのだから・・・。
自分には関係ないとか、関心がないとか、言っていて戦争に巻き込まれてしまい、
自分が死ぬならまだ良いが、子供達にその責任を果たさせる事になってしまったとは・・・・。
きっと当時の親たちも心が引きちぎられたに違いないと思う。

特攻は飛行機だけではない。
人間魚雷「回天」もあり、高速艇の特攻、そして爆弾をかかげて戦車の下に飛び込む肉弾もある。
非力な者の最期の抵抗戦である。今イラクで行なわれている自爆テロにも同じ様な感じを受ける。
イスラム教でジハード(聖戦)とか言われると違和感を持つが、
体に爆弾を巻きつける者たちの心根はどんなものであろうか?
何の罪も無い人間を狙って爆発するというのは、誰からも支持されない卑劣な行為だと思う。
しかし、だったら広島や長崎で原爆を落としたアメリカ軍はなんだったろうか?
軍事施設は有ったにせよ、一瞬にして非戦闘員14万人を殺した行為は
大テロリズムと言ってもよいのではないかと思ってしまう。
いつも心を研ぎ澄ませていないと、いつかは戦争に巻き込まれてしまうのではないかと思ってしまう。

 特攻に出撃前夜こんな小屋で過ごしたのか・・・・  酒を飲み大声で歌ったであろう軍歌が・・・・

昼過ぎまで知覧にいたので、ちょっと急がないと・・・
みどり荘で露天風呂で一緒になったおじさんのお勧めの温泉4〜5ヶ所教えてもらっていた
鰻温泉を覚えていたので、鰻池を目指す。
民宿が3〜4軒ある小さな温泉郷だ。うなぎ荘で声をかけたが誰も出てこない。
先程見た区営共同浴場(200円)に入る。
西郷どんの入った温泉と銘打ってあった。

 西郷どんが狩に来ていたようだ うなぎ荘を紹介されたが留守だった

鹿児島市内で暗くなり始めた。急いで霧島道の駅に行く。
11月21日(水曜日)
霧島温泉郷→新湯温泉→吉松町鶴丸温泉館

今日は体力余っていれば高千穂峰(1574m)に登ってみたかったのであるが、
朝起きたのが9時半頃であったので、断念!。
坂本竜馬がお良と日本初であろう新婚旅行で薩摩に来たとき、一緒に登ったのが高千穂峰である。
山頂に付き立ててある”天の逆矛”を引っこ抜いてみたらしい。
がれ場で単調な山ではあるが、みやまキリシマの美しい春にでも登ってみよう。

霧島温泉郷は沢山の温泉がある。今日は温泉三昧とするか・・・。
霧島温泉郷を走っていると「カジロの湯」の看板が目に入った。入湯料330円も魅力だ。
お湯が豊富だと見えてお湯で温めるサウナ(ちょっと低温)と露天風呂が付いていた。
お湯は普通の湯に見えたが、風呂から出ても2時間ばかりは湯あたりが続いた。結構温泉効能があるのだろうか・・・。
ここは湯治客用の宿泊棟と喫茶食堂も併設されていた。昔からの温泉宿が形を変えて存続しているのだろう。

 「カジロの湯」

10年前に山歩きの仲間と霧島に来て韓国岳(1700m)獅子戸岳(1428m)新燃岳(1421m)を縦走した事がある。
その時は行った新湯温泉が強烈に印象が残っていたので探す。それは県道1号線の峠にあった。
一軒だけの国民宿舎と銘打った掘立小屋に毛の生えた程度の湯殿で
隙間風どころか外から中が見える程度のものである。お湯は硫黄泉で白濁している。
ここのオヤジは名物オヤジのようで、30分以上風呂に入ってはいけませんなどの注意書きがあった。
白濁したお湯であれば先日入った雲仙の小地獄温泉の方が余程白濁していてドロドロだった。
10年前にショックを受けた(おまりにボロなのと白濁したお湯)事を思い出しながら
45分間ばかり入ったが、湯あたりもせず何ともなかった。

 新湯温泉

明日は吉松町に行ってパラをしたいものと思っていたので、霧島バードラインを下りえびの市を目指す。
出発して7日目となるので、旅館にでも泊まろうと、パラのエリアガイドに載っていた「鶴丸温泉館」を探す。
ボンゴフレンディにはカーナビは付いていない。
いつもは、道の駅で車中泊なので、大体で行き着けるのだが、旅館を目指すというのは道路に
案内板があるわけではないので、なかなか大変である。
嫁さんは地図感覚がゼロに等しい。
パラでも36度ターンをすると、ランディング場がどちらだったか分からなくなるのである。
北海道の旅で大分道路をたどる事がなれてきたが、景色を見て(山や川をみたて)
自分の位置を確認するには、まだ程遠いものがある。
走りながら目を皿のようにしていてくれたので鶴丸温泉の案内板を見つけてくれた。
国道53号線を左折して、500m位入ると「鶴丸温泉館」はあった。
地元の人々の為の温泉でもあり、入湯料は200円であった。
旅館が併設されていて、30室位はありそうだ。
パラエリアガイドには7000円だが、「フライヤーである事を伝える。
(翌朝チェックアウトの時、パラの人は特別価格で5500円ですと、安くしてもらった)
4時頃であったので、エリアを見てみようと、誰もいないパラのショップに出掛ける。
(今日はお休みですと聞いていたのではある)
入山チェックにテイクオフやランディングの地図が付いていたので、
よく覚えて吉松駅に向かうと道路案内にしっかりとパラの案内板があった。
案内板に従って行くと、テイクオフ場に行きつけた。
立派なトイレや、東屋があり、全面手入れの行き届いた芝生であった。
一応確認が出来たので、旅館に帰る。

 鶴丸温泉

食事前に一風呂あびる。地元の人たちが10名位入っている。
効能書きや温泉分析表は無かったがお湯の色はコーラ色である。アマゾン川と同じタンニン色である。
この色は北海道の十勝地方の帯広市音更町「鳳の舞」のモール温泉と同じ色である。
ひょっとして同じ成分かな?と思った。

夕食の部屋に運んで来てくれたのは旅館の主人だった。
「なかなかいいお湯ですね!」と水(湯)を向けると「日本に2箇所しかない温泉なのです」とここぞとばかり説明してくれた。
「もう一箇所は北海道でしょう?」と言ったら驚いていた。
「世界に3ケ所しかないそうです」とご主人は力説していた。
(帰宅して調べたらモール温泉は日本にも数箇所はあったが・・・モール温泉。)
しかし、この半年で北と南の珍しい温泉に2ケ所とも入る事になろうとは・・・。

吉松町鶴丸温泉館泊まり
11月22日(木曜日)
魚見台テイクオフ→五木の子守唄の里→五家の荘→谷部町通潤橋→清和町道の駅。
パラのお客さんを強調していたので、朝支払いの時11,700円のところを
¥5500にしてもらった。ラッキー!!

携帯でショップの奥さんと連絡を取ったらイントラさんは練習生を連れてテイクオフへ上がったとの事。
大急ぎでテイクオフへ上がると誰も居ない。風はサイドフォローである。
無線で連絡を取ると練習バーンへ行くとの事。
フライトを諦め一日かけてゆっくりと阿蘇へ向かう事に。

山の中を行くと五木と五家の荘を通る事になる。五木の子守唄で有名な山奥の五木に向けて出発。
えびのICに乗って人吉本線ICで降りる。それからは山又山の国道445号線をひた走る。
道路拡張工事で所々は二車線の道路になっているが半分以上は狭いくねくね道が続いている。
五木ダムが建設中で道路はよく整備されているところが五木の里であった。
五木の子守唄の里、道の駅があり、山奥の道の駅としては立派なものであった。
地元の物販も大きいスペースがあり、蕎麦の専門店もあった。
山ウニ豆腐の幟が沢山はためいていた。何だろうとお店に入ってみると、店内は山ウニ豆腐がびっしり展示してある。
試食コーナーで、食べてみると、これは!!と思った。
口の中で広がった風味は高級練ウニであった。安物の練りウニは酒かすが入れてある。
酒の飲めない私は安物の練りウニはすぐに分かるのである。(酒の飲めない私はアルコール検知機なのだ!!)
説明書を読むと、半年ばかり味噌に豆腐を漬け込んだ保存食の様だ。
安い豆腐を味噌漬けにするのもどうかと思うが、昔は味噌も自家製だったので、手軽な食材であったのだろう。
四分の一丁の豆腐の大きさで630円は少し高いと思ったが、ありふれた饅頭などの
お土産より、余程気が利いていると思い注文する。
冷蔵材をつけてくれるが、一日しかもたないというので、クール宅急便で帰宅する頃に送ってもらう事にした。
始めて食する風味であった。酒飲みにはたまらないあてであろう。
私は酒のあてをお茶で食するのが大好きなのである。
冷凍庫に入れれば半年が賞味期間らしい。
帰宅して美味しかったので、我が家でも硬豆腐半丁を味噌漬けにして実験してみる事にした。
冷蔵庫に入れているのだが、半年の間に腐らなければよいが・・・。
それこそ沖縄の豆腐ようになるかも(豆腐よう)・・・。
五木の道の駅は立派であったが、廻りは山奥の山様でダムの移転で周りはちょっとした団地にもなっていた。

   

更に445号線を走る。五家の荘に入る。
平家の落人(平清盛の孫まで)達が四国の祖谷から更に大分に渡り、ここ五家の荘まで3代に渡り移り住んだらしい。
源頼朝は義経と共に幼い生命を助けられ、後年平家を討った。
そんな訳か平氏の者どもは根絶やしにする必要を源頼朝は感じたのであろう。
しかし、2代3代に渡って平家の落人達は、人の通わぬ山奥へ一族をあげて逃げて行ったとは・・・。
追うものと追われるものの凄まじさを感じる史実であった。
緒方家の屋敷が300円で公開されていて、地元のおじさんが説明してくれる。
300円で30分も付いてくれて、色々説明してくれてまったくのボランティアだ!
説明してくれたおじさんに「どうして生き延びる事が出来たのですか?」と聞いた。
大木の栗は一本の木で一石の栗が採れるようだ。日本人が一年で食べる米の量は
一石であったので、一本の栗の大木でぎりぎり一人は生命を繋ぐ事が出来たようだ。
その後、移住して落ちつけば、焼畑で粟やひえを植え、陸稲も植えて生活を向上させたようだ。
しかし逃避行の生活は想像を絶するものがある。
ここ五家の荘は海抜1000mで急峻な山々に囲まれている。
人間の活きる力を否応無く感じさせてくれるきびしい風景である。
チベット高原の川筋の5〜6軒の集落を思い出した。

 五家の荘 緒方家の屋敷の説明のおじさん 緒方家の屋敷

 樅木吊橋  樅木吊橋

四時過ぎ谷部町の通潤橋に到着。石造りの水道橋で春の風物詩としてテレビでよく放映されている。
田畑に水を引く為に庄屋の布田保之助が力を発揮した。150年前の石工達の技術も大した物だ。
存外現代の我々が考える程には昔の人々知識や技術は低レベルではなかったように思う。
むしろ根源的なところでは現代人より賢かったに違いないと思う。
マニュアル化された現代生活からは新しいものの考え方は生まれてこない気がする。
巨大な石組みの通潤橋に圧倒されていると、クレーン車もなかった江戸時代に
よく知恵を働かせた職人達の息吹を感じる。
現代人と比べて昔の人々が賢さにおいて、遜色ないといつも感じさせられる。
科学技術の進んだ現代より昔の方がよく考え知恵を大いに働かせたものだと思う。
清和町道の駅にて車中泊。

 通潤橋  
11月23日(金曜日)
阿蘇高森町月廻温泉→らくだ山(地鶏料理)→大観峰→菊池渓谷→直方PA車中泊
今日は、昔よく行った(パラのスクールに入っていて10回ばかり通った)阿蘇を訪ねてみよう。
今はスクールのイントラさんは辞めておられる様だ。
阿蘇は温泉の宝庫だ。今日は大カルデラの東部方面を廻ってみよう。
(パラの時は阿蘇の西側のみだった)
まず朝風呂に入ろうと高森町の月廻温泉(500円)に入る。
立派な日帰り温泉施設で、露天風呂からは根子岳が草原の向こうにそびえている。
露天風呂で眼前が草原というのも思いっきりリラックス出来る。
一時間ばかり入って、冷たい風に吹かれたが次々に汗が吹き出して来る。
いい湯だった!!

大きな観光案内版を見ていると、地元のおじさんが声を掛けてきた。
広島から来たと言うと、いろいろ教えてくれた。
昼食は是非らくだ山の地鶏を食べに行くといいと道順も詳しく教えてくれた。
おじさんも2〜3回食べに行ったらしく、口コミで遠くからも食べに来ていると教えてくれた。
最近はテレビで偽地鶏騒ぎである。本物の地鶏を是非食べてみよう。
実は、未だ地鶏は食べた事が無いのである。
らくだ山が良く分からず行き過ぎてしまった。
道を歩いていたおばさんに聞き、ようやく小さな「らくだ山」の看板を見つける。
砂利道を少し山に登ったところが地鶏専門店「らくだ山」だった。
11時過ぎだったが、2棟ある食事場の炭火のカウンターは満員だった。
2〜3組待って合席で案内される。働いている店員さんは皆若い人達だ。
1人前1600円である。私はあまり鶏肉は好きではないがとにかく2セット注文。
タレに浸した鶏肉と野菜とご飯と味噌汁が出た。鶏肉のお盆に料理用バサミが付いて来た。
沢山のお客さんなのでもうもうたる煙である。アミ焼きが丁度良くなってきたようだ。
口に入れ噛み切ろうとしたがとても噛み切れない。ハサミが出されているはずだ。
飲み込める大きさに切る。口に入れ噛んでみるが、やはり噛み切れない。
ガムのように噛んでいるとタレと鶏肉がうまくマッチングされた味で口の中で拡がる。
最近は柔らかい霜降りの肉が高級で良いとされているが、こんな硬い肉なのに結構美味しい。
肉が本来持っている力強い味の深さを感じる。
飲み込むまで沢山噛んでいないといけないので、よけい肉の味を味わっているようだ。でも確かに美味しかった。
勘定を済ませて駐車場に出ると入りきれない車が4〜5台待っていた。九州各地のナンバーが駐車している。

 地鶏の店「らくだ山」  

次は菊池渓谷の紅葉がきれいと聞いていたので、大観峰経由で行く。
大観峰でパラが飛んでいるかと期待したが、風はサイドフォローでハンドクランチしか飛んでいなかった。
菊池阿蘇スカイラインを走っていると車が沢山だ。途中の駐車場に止めて案内板を見ると大分歩くようなので、
渓谷の入り口の駐車場に行く。ところが、駐車場は長い車の列だ。諦めてスルー。垣間見る紅葉は素晴らしい。
紅や黄色が緑に映えてきれいなのだ。紅単色もきれいだが、緑の中にある紅が一番映える。

パラで阿蘇山に来ていた頃は、土曜朝7:00頃に家を出て日曜日夕方5:00頃阿蘇山を出て、
菊池温泉で風呂に入って月曜日朝1:00に家に帰宅していた。
菊池神社の入り口にある城之井旅館の温泉で公衆銭湯にもしているので、250円である。
安い料金なのに、内装も少しきれいにしてあった。安い料金で頑張っているとほっとする。
湯質は美人の湯系で肌がすべすべする。嫁さんのお気に入りの風呂である。
日没前であったが、田原坂まで足を伸ばす。
明日はプレジャークラブのおやじ連中が九州のどこかで飛ぶらしいので、合流するつもり。
米の山でも平尾台でもどちらにも行ける様にと、直方PAで車中泊。

 菊池渓谷 城の井温泉 田原坂
11月24日(土曜日)
朝早く竹井さんに連絡取るも、どうも風向きが悪く決まらないようだ。
北九州空港近くのホテルに泊まっているので、小倉東ICで降りてホテルへ。
ファルフォークの岡さんも同宿していて、知り合いに連絡してくれているが、よくないらしい。
切株山に行く事に決定したので、皆さんと別れて、飛べなかった平尾台に上がってみる。
半仏鍾乳洞に行ってみた。ゴム草履を借りてじゃぶじゃぶ地下水の川を歩く。
冷たすぎるかな?と思っていたが慣れると平気であった。
水の中を歩くというのは、洞窟探検の風情でなかなかよかった。
子供達は大喜びであろうことは想像できる。私がわくわくしたのだもの!!

 平尾台 半仏鍾乳洞 

 半仏鍾乳洞の紅葉 

行き先も決まらず、私達はふらふらと山口県へ。
関門トンネル(150円)は安いからか、車が混雑していた。
山口県へ渡って下関で、河豚でも食べようかと思っていたら、長府まで来てしまった。
引き返すのもめんどくさいので、新しい道の駅(おふく)で焼き栗を買って食べ、
山口県まで帰ってきたので、もういいや!!という気分になってしまい広島直行。


九州旅行の雑感
今回の主目的は温泉と紅葉狩だったので、まあまあ目的は果たした。今年の紅葉は美しいと感じた。
家に帰って改めて廻りを見渡してみると、例年より黄色の落葉樹はきれいに装っていた。
九州には温泉が沢山ある。一日に2〜3箇所は入る事が出来た。しかも安い!!殆ど200〜300円であった。
色々な種類の温泉に入る事が出来たので納得であった。
知覧の特攻平和記念館や五家の荘は心に残った。
残念な事は道の駅で車中泊の人達を見かけなかったことである。
九州は近場なので、長期滞在者がいなかったのか?季節が悪かったのか・・・。
旅の一番の面白さはやはり人との出会いである。
心引かれる出会いが無かったのが返す返す残念。
メールを送ったり、電話したりする人に出会わなかった。もっと話掛ければよかったかな?