2008年リタイヤメント生活に4年目だ!春だ!クロカンシーズンだなぁ〜

2008年 12月   
12月7日(日曜日) 川地塾
今日はスーちゃんの日本語能力検定(2級)の試験があるので広島大学教育学部まで送って行く。
沢山の外国人の若者達が試験を受けに来ていた。
スーちゃんの話だと一番多いのは中国人韓国人、ベトナム人であったようだ。
白人、黒人、世界の若者達が真剣な顔つきであった。
帰りがけに教育学部の玄関で、案内人スタッフが「ここは広島大学です」と受験票を返していた。
建物を出て悄然と歩く青年に声をかけ、受験票を見せてもらった。確かに岡山大学教育学部になっている。
青年は島根県から朝早く会社の人の車に乗せてもらい、職場の仲間と一緒に来たようだ。
他の仲間は3級を受けるので広島大学で、彼は4級で岡山大学が試験会場だ。
近くなら車で送ってやってもいいけど、とても間に合わない。
受験票は昨日会社の人からもらったそうで、一人だけ岡山大学だとは気が付かなかったようだ。
受験票にもひらがなでしっかり「おかやまだいがく」と書いてある。
「僕がチェックしなかったのが悪い」としょんぼりしていた。まあ来年もチャンスはあるので、良い人生経験をつんだと思えばいい。
「頑張って来年、3級を受けなさい!」と励まし分かれる。(6000円は研修生の彼にとっては痛手であろうなぁ・・・)
夜スーちゃんに、試験の結果を聞くとぎりぎり合格みたいな事を言っていたが、おそらく大丈夫だろう。

東広島市に住んでいる嫁さんの弟一家を訪ねる。一時間ばかり滞在して引き上げる。
家に帰ってパラの用意をして、神の倉に急ぐ。
川地塾の座学を終わって塾生達は東屋に集合していた。
荒谷山への第一陣は是枝さん達が上がっているがまだ誰もテイクオフはしていない。
神の倉からは広大の学生達がテイクオフして飛んでいるがぶっ飛び模様だ。
家からこちらに来るまでは雲量100%くらいあったが、こちらは青空が拡がっている。
早速荒谷山に上がる。第一陣の人達はキャノピー拡げてスタンバイしていた。
原田さん、是枝さん、中村さん、田中さんたちが12時すぎ続いてテイクオフし、弱いサーマルながら上げて行った。
塾生達もテイクオフし粘って上げていく。ジモピーのKさんテイクオフ前でサブロクを描いて山沈になってしまった。
斜面にトップランもどきであったので、3名で手助けですぐに回収出来た。

塾生2名がテイクオフ前で粘っている。
私は10月にバリオを水に濡らしてしまったので地森さんにお願いしておいた。
地森さんが車の中から出してきたバリオは、原田(?)さんの遺品らしい。
昔のタイプで20cm×15cm位ある。私はフロントコンテナでないので当然見る事は出来ない。
音だけバリオとして使おうか?良く使い方がわからないがスイッチオンしてフライトスーツの胸ポケットに入れる。
更にジャンパーを着込んだので音が聞こえるかどうかわからない。
川地さんに「バリオがないのでサーマルがどちらにあるか、誘導してください」と頼んでおいた。
南南西2m/Secの程よい風が入ってくる中13時すぎテイクオフ。
先発の2名は一気には上がらず、サーマルサーチをしている。私は南小山を目指す。
途中リフトを感じるが廻す程ではない。南小山に来てリフトを感じたので廻す。
バリオの音はかすかであるが鳴っている気がする。一周廻ってどちら側にサーマルコアがあるが、まだ分からない。
とりあえず廻しながら様子をみる。2機飛んでいるので小さくキリキリ廻す。
テイクオフ上空に戻りながらあがっていく。テイクオフ上空+200mであった。(GPSを見ながら書いている)
海抜1200mまではサーマルにしがみついて上がる。上空に戻りながら上がっていく。
上空は薄い雲の出来始めのようだ。雲にまっしぐらと思ったらサーマルはずしてしまった。
ぐるっと一周してサーマルを感じるところを捜す。
バリオはなっているよだが、上昇音なのか下降音なのか小さすぎてよくわからん。
今まですべて自前のケツセンサーを使って上がっている。
バリオの音に集中しないで尻に集中し、無音の中飛ぶのも新しい感覚であるが、集中をとぎらせず飛ぶのも疲れる。
雲の吸い上げを期待し、雲が厚いほうへ移動。
緩やかな吸い上げを感じながら、何とか雲底につけた。
海抜1400mであった。
(GPSを読み違え1200m雲底ですと無線を飛ばしてしまった)

南方面の日浦地区で一機粘っているのが見える。そちらへ移動をかける。
テイクオフ正面ボール上空1000mでもう一度リフトを感じたので廻してみる。
海抜1200mまで回復したのでテイクオフ上空に戻るもリフト見つからない。日は翳っている。
マキゴンポイントより南西側の山道上空あたりでサーマルヒット。
ここらは日陰になってなかったのでサーマル成分は残っていたようである。大事に廻して海抜1250mまで回復。
川地さん達は神の倉に渡っているようなので、私も神の倉へ谷渡りとする。どんどん下がりっぱなしである。
川地さんも有留上空でねばっていたが、下がって鉄塔を越えてきた。
南の屏風にリフトあるかと近づいてみたが、全然リフトを感じない。
神の倉テイクオフへトップランしてやろうかともどる。テイクオフより下がってしまっている。
テイクオフの南尾根で強いリフトを感じキリキリ廻してみる。何とかサーマルを捉えあがっていく。
川地さんも下に入ってきて二人で上げ始める。接近して信頼感で廻すのも楽しい。
同心円で廻すという感じでなく強いリフトのほうへずらしてみる。
小さく廻すことになるので、川地さんの前を横切る格好になるのだが大きく廻って私の我がままを赦してくれている。
海抜1200mまで上昇。鷹ノ巣山方面に厚めの雲があるので吸い上げを期待して移動するも下がる一方。
すぐに神の倉へ引き返す。川地さんは荒谷山へ移動している。
左程下がっているように見えないので同じようなコースを行ってみるも、ドンドン下がり
マキゴンポイントであきらめサブランの土手にランディング。
一時間ばかりのフライトであった。バリオ無しで1時は私だけが雲底に居たので、
まずまず良いフライトであった。寒さで鼻が痛くなり目も冷えて涙が出た。
一晩寝てもぐたぐたの疲れがとれなかった。前期高齢者を感じてしまった。

 

 今日のフライトログ
12月13日(土曜日) 
明日は雨予報なので神の倉に30名ばかり集合した。荒谷山テイクオフに上がる。
風向きは左サイド(東風)で時々正面から入る。晴れているが小さな積雲もポコポコある。
南ボールからも弱いリーサイドサーマルが上がっている。
第一陣で石田さん、指江さんたちがテイクオフしたが、サーマルコンディションには少し早くてサブランへ。
続いて私も立ち上げたがキャノピーがくるりと廻ってテイクオフ出来ず。
2〜3機テイクオフ左ボールや尾根で上げ始めている。
私も12時30分テイクオフ。左ボールで一周してテイクオフ上空へ。廻しながら南小山上空で+200m迄上がる。
荒谷山登り口林道からのサーマルで海抜1300mまであがる。
今日は地森さんから借りたバリオメーターの音量を最大にしていたので良く聞こえるのだが上昇率と下降率での
発生音調整が出来ないので音がいつも聞こえる。
ブーピーブーピーと下降音と上昇音が連続すると音の判別がつかなくなる。
雲底に付けると雲の吸い上げがありステイ出来る。井口さんの赤い機体がピンク色に見えるくらい雲中に入れた。
増山さんも追いかけ雲底につけ、「井口さん、北に流してますから・・・」と無線を入れていた。
私も視界を確保しつつ雲底につける。日浦上空の雲を目指したが、ドンドン下がる一方なので、すぐに引き返す。
先ほどの荒谷山登口林道上空に返ったが、上がらない。
右ボール奥に行くと3〜4m/Secのリーサイドサーマルでぐいぐい上がり始めた。
神の倉側の雲につけようかと思って谷渡りを試みたが、下がる一方なのですぐに引き返す。
海抜950mまで下がってもう一度林道上空に行き、海抜1270mまで持ち直す。
3機ばかり神の倉に渡っているので私も行きかけるが、やはり下がる一方なので、引き返す。
テイクオフに買えってトップランしようかと思ったのだが心地良く上がり始め、海抜1200mまで上がってしまった。
中村さんの機体が一機お寺上空で高く飛んでいる。それ以外誰も居なくなった。
東方面に1Km移動してトップランすべくテイクオフ上空に帰る。
テイクオフでは岡本さんと川原さんが居て「トップランですか?」と岡本さんが無線くれた。
トップランアプローチしたが、東風のリッジで持ち上げられトップランできず。
そのまま沖に出したら持ち上げられトップアウトしたので余勢をかってトップランアプローチ。
正面からアプローチし、右ターンしながらテイクオフ正面の斜面にトップラン。
1時間30分のフライトで4回雲底近く上がり、最後は私のパラ美学「トップランして車を降ろす」で終了。
小田さんはクロカン練習(3〜5km)9本を終了したようだ。
晴れて5kmの糸が切れて遠くを目指す事が出来る。
おめでとうございます。

 

今日のフライトログ
12月14日(日曜日)
今日の予報は昼から雨であった。朝刊を見ると南部は一日中晴れてなっている。
まあどうせ曇ってくるだろうと家に居たが、ずっと晴れたままでいる。
とりあえず神の倉へ行ってみようかと行ってみる。プレジャークラブが新人さん達を立ち上げ稽古をさせていた。
田中さんと広大の岡田とアワちゃんを乗せて荒谷山に行きかけると
橋を渡ったところで大方さんが来たので引き返しピックアップ。
アワちゃんの為にサブラン確認に行ったら中村さんから電話。引き返しピックアップ。
荒谷山に上がると西成分強く6m/Secの風なので神の倉へ移動。神の倉に上がる途中井口号とすれ違う。
「山鳴りしているのでやめます」と下山中であった。
とりあえず神の倉テイクオフの空気を吸わないと納まらないので上がる。
西風は4m/Sec位で強いが山鳴りは納まりかけたので田中さん、大方さん、広大岡田テイクオフし、30分ばかりのフライト。
ちょっと風が強くなってきて、アワちゃん30分ばかりウエイティング。
勇さん号が上がってきて児島さん、足刈さん、瀬戸さん、立川さん、スタンバイ。
勇さんテイクオフし粘っている。児島さん、足刈さん、テイクオフした。
続いて瀬戸さん、立川さん、アワちゃんもテイクオフして行った。
私もテイクオフし、テイクオフ前で少し粘って児島さん、勇さんを追って南の屏風に行く。
足刈さんもすぐ後ろに付いて来ている。3名は少し粘って上げ神の倉に戻ったが私は上げきれず、
少し南屏風で遊んでランディング。
3機ともいい調子で飛んでいるので、瀬戸さん、立川さん、を飛ばす為再度神の倉に上がる。
児島さんと足刈さんは上げきり、海抜1300mを飛んでいる。
瀬戸さん、立川さんは、私達が車の回収して下山してもまだ飛んでいて、一時間ばかり飛んで降りてきた。
児島さん、足刈さん、勇さんは3時間近く飛んでいた思う。
昼間晴れていて強風が納まるとアーベント状態になるという神の倉マジックが今日起きたのか?
練習生にとっても素晴しい日となった。今日は雨予報なのに、飛べただけでもラッキーであったのに・・・・。
12月19日(金曜日)
スーちゃん教育 第3弾


スーちゃんは奨学金で日本に来ている。
スーちゃんを助けた日本企業は(株)ジンテックという会社だ。
インターネットで調べると少数精鋭でユニークな会社であった。(是非HP参照)
東京に行き会社訪問してお礼を言いに行くというか・・・
潟Wンテックさんがスーちゃんに東京見物させてあげようという心遣いか・・・。
いずれにしても、東京に行く費用を潟Wンテックさんが受け持って下さるようだ。
会社の人の家に一泊させてもらうらしい。
同じボランティア同士なのでホストファミリーからおみやげといのも変だと思い、
スーちゃんの日本での活躍ぶりを紹介することにした。
二つのスピーチ大会の様子を撮ったDVDと私達夫婦のHPをコピーしたものとを、手紙を添えて持たせる予定だ。
12月23日9時6分新幹線出発である。
東京行きを知らされたスーちゃんに「一人で行くのだよ!!」と言ってやる。
つまり我家から一人で出るのだと分かると「おとうさ〜ん!!」と甘えるが、私が横を向くと
「おかあさ〜ん!!」と広島駅に一緒に行き、列車に乗せてもらおうと何度も甘えてくる。
「我家の元服式は15歳なので」と、もう一度息子達の事を言い、「我家から一人で出かけなさい!」と言う。
途方にくれたような顔をしているので、少し手助けしようかと考える。

12月19日にスーちゃんは学校からお休みをもらってスリランカへ送る荷物の整理とおみやげを準備することにした。
宮島に行って1000円均一のお店で日本人形を買いたいというので付き合うことにした。
他のものには目もくれず日本人形を8体を買った。(タイのパッちゃんも10体買って、持って帰ったなぁー)
帰宅途中に広島駅に寄った。
「車で待っているので、入場券を買って新幹線のプラットホームに30分居て観察しなさい」と命令する。
「おとうさん!一緒に行こう!!」と甘えた声を出す。「早よう行け!!」と横を向く。
入場券をどこで買うのか不安そうであった。(駅員さんに聞けばすぐ分かるさ!!)
車のシートを倒してうとうとしていたらドアが開いてスーちゃんが乗り込んできた。40分間くらい経っていた。
「どうやって自分の新幹線に乗るのか分かった?」と聞くとニコニコしながら「ハイ、おとうさん!分かったよ!」とご機嫌顔だ。
「上り下り線も分かったし、プラットホームのどちらにのぞみが止まるのかも分かったよ。」
「広島発の電車は13番線で止まる側は決まっていたよ。」「電車案内の電光掲示板の見方も分かったよ!」
「広島発の列車に乗ってE席は窓側だと分かったよ!」と目一杯観察した事を告げてくれた。

スーちゃんに「百聞は一見にしかず」ということわざを教える。
「新幹線の乗り方をお父さんに聞いたり、インターネットで調べるのも良いけど、自分の目で観察するのが一番良く分かるだろう!」
「スーちゃんが今、日本で観察している事をもっと目的意識を持って見なさい。そして自分の枠を拡げてもっと見なさい!」
とハッパをかける。
おとうさんがプラットホームに一緒に行けば5分間で済むけど40分間待ったよ。
なぜなら東京からスーちゃんが帰ってくる時、迷ってもパニックにならずに観察出来る心の余裕が出来ていると思うから・・・。
私が5分間を使って案内するのでなく、40分間待った事の意味がスーちゃんの心にしみたようだ。
教育は待つという事も大切だよと教える。
スーちゃんが将来社会で指導的立場に立った時や、子供の教育の時も思い出すんだよと言うと、
「スリランカのお母さんから毎日同じ小言を言われても反発心しか生れないものね〜」と我身に置き換えていた。
スーちゃんも将来お母さんになるので、教育と躾について私の思いも話したかったのだが・・・・
12月22日(月曜日)
さて、東京行き当日。
「30分前には広島駅に着きなさい!いつものように7時30分には家を出なさい」と言っておいた。
私が朝寝坊して7時45分に起きるとスーちゃんが出かけるところだった。
福田は朝7:00〜7:30はマイカー規制なので、7時30分過ぎるとマイカーが多くて渋滞するのでは?と不安が走る。
一応、迷った時のお守りに私の携帯電話を持たせておいた。
受信の仕方とおかあさんへの電話のかけ方を一回だけ教えておいた。
新幹線の出発時間9時6分が過ぎたので嫁さんと「スーちゃん乗ったよね〜」と話をしていた。
(出かけるのが7時45分になっていたので間に合ったかな?と二人とも思っていた)
その時嫁さんの携帯が鳴り始め、按摩器にかかっていた私に手渡しに来た。
携帯電話を受信にすると「おとうさ〜んん!!」とその後は聞こえない。
あわてて電話をかけるも話中の状態である。何度かけても話中である。
スーちゃんが電話を切った状態にしないのか、携帯電話折りたたまないままなのか・・・・。
スーちゃんの「おとうさ〜んん!!」の声に続く言葉は何であったのか?・・・
「乗り遅れたよ〜!!!」の叫び声なのか?「乗ったよ〜!!!」の歓声なのか・・・??
山陽新幹線はトンネルが多いので不通が多い。
暫くして嫁さんがダイヤルすると留守番電話に繋がるという。試しに私も電話をかけようとアドレス帳を開く。
家族の一番最初は稲垣愛子である、私はそれに電話を入れていた事に気が付く。
スーちゃんのテンションの高い「おとうさ〜ん!!」の声にパニックになって、嫁さんの電話を使っていることに気が付かなかった。
私の番号に電話すると呼び出し音が聞こえるが当然スーちゃんは出ない。
新幹線の案内(インフォメーション)で、お客さんの呼び出しが出来ないか聞くも、不可という。
(昔はその列車に電話をかけることが出来たのに・・・)
スーちゃんが万が一乗り遅れても、次ののぞみの自由席なら持っている切符で乗れるからとは教えておいた。
時刻表を調べると9時15分発のひかりがあるが、大阪どまりである。
パニックって、次に来た列車に飛び乗っていなければ良いが・・・と次から次へと半べそをかいたスーちゃんの顔が浮かんでくる。
イカン!イカン!彼女も18歳なのだから、自分でなんとかするし、試験会場に行くわけでないので、
少し遅れてもいいんだ!!と心を落ち着かせる。
もし乗り遅れていたのなら東京駅で待ってくれるAFSスタッフに連絡を入れようとするが繋がらない。
一応広島支部長に事の次第を電話入れる。
東京駅には13時13分着くである。13時10分に東京駅に迎えに来てくれるAFSスタッフに
「ひょっとして乗り遅れたかも・・・」と電話をいれる。
13時15分に東京AFSスタッフから電話あり、スーちゃんが「おとうさ〜ん!」と出てきた。
スーちゃんは「おとうさ〜ん!!乗ったよー!!}と伝えたつもりだったのできょとんとしている。
やっぱり娘となるとあれこれ心配事がふくらむものだ。
東京のみやげ話が待ち遠しい。(詳しくは嫁さんのHPで)
12月24日(水曜日) スーちゃん教育第4弾
今夜からベトナム人AFS留学生のチャン(女の子17才)が我家にお泊りだ。
折角、将来国を背負って立つ優秀な留学生二人がいるので、何か彼らに伝えたい!!
スーちゃんはハードなことはあまり興味がなさそうなので、チャンと二人ならおとなしく聞いてくれるかな?
先日「男たちの大和」を民放で放映していたのをビデオテープに撮っていたものを見せる。
時代背景や特攻の説明は大変なので、あれこれ言わずに見せる。
血の出る戦闘シーンでは二人とも目をそむけていた。映画の中でのせりふの深い意味は良く分からないようだ。
パッちゃんは日本人の深い心情を理解しようと映画館に3度も見に行ったなぁ〜。
65年前日本はアメリカに負けたが、30年前にはベトナムjがアメリカに勝ったのだから
「日本人はベトナムを心では応援しているのだよ」と伝える。
チャンはピーススピーチでは、アメリカ軍が枯葉剤を飛行機で撒き、チャンのおばさんが少頭症になり現在も家族が
苦しんでいる事を日本語や英語をもっと勉強して伝えたいと言っていた。
米国に戦争被災者達の保障を実現させたいとも・・・・。チャンはハノイ在住でお父さんは軍人さんのようだ。
ベトナムの学校教育の中でも如何にアメリカが非道な事をしたかを教育しているのだろう。
ベトナムはフランスの植民地になっていた期間も長い。
65年前はベトナムに日本軍がどの程度侵攻していたのか詳しくは知らないが・・・。チャンに”ゴメンネ”を言った。
広島での平和学習や原爆資料館や日本映画などで”アメリカ憎し”の論調がないのはなぜだと二人に聞いてみた。
私に言われて初めて気が付いたようである。
非戦闘員の上に原爆を落とすなんて、人間のすることではないのだけれども、アメリカが悪い!!アメリカ憎い!!と
声高に言っても世界中の人々の心に日本人の声が届かないよ!
どうやって世界の平和を達成するのかの観点でしか訴えられないよ!
ベトナムはフランスとアメリカに、スリランカやインドはイギリスに、中国は5大国に植民地支配を受けたわけである。
ホアンのいるコロンビアを初め南米はスペインとポルトガルに・・・
北米はイギリスの植民地に始まりアフリカからの奴隷支配を続けたのである。
先進国の連中は、過去のことを暴いて、叩けば埃だらけの状態である。
パワーバランスが巾を利かせる時代が早く終わって欲しいものである。
彼女達に何か結論めいた事を説いた訳ではないが、考えるきっかけになればなあ〜とおもって・・・・
12月25日(木曜日)
朝9時のマツダ工場見学をインターネットで予約を入れておいた。
9時前にマツダ本社玄関に到着し、カウンターでバッジを受け取る。見学バスの出発は9時30分だそうだ。
玄関脇にロータリーエンジンのコーナーがあったので立ち寄る。
エンジンの構造には興味を示さずカーレースのゲーム機が2台置いてあり、あれこれ触っているうちにゲームが始まった。
二人とも車を運転する事が出来るので大喜びである。アクセルを踏んでスピードが上がり何度もクラッシュするのを楽しんでいる。
見学バスが出発しそうなのにチャンは離れようとしない。余程気に入ったのだろう。
二人とも学校出たらすぐに車を買いたいと無邪気に話し合っていた。10年後の予約をマツダで入れて置いて欲しいものだ。
見学バスは10分ばかりマツダ工場内を走るので、二人共大きさにびっくりしていた。
マツダミュージアムでは1931年に初めてオート三輪を作ったものから歴代の車を展示してあった。
1931年製のオート三輪(バタンコ)はバイクに2輪付きの箱をくっつけたような幼稚なものである。
物事の始まりはどんな幼稚なものでもいい!!
始める事が重要なのだ!
インドでもTATAが100%自国生産の乗用車を出した(30万円)様である。
20年もすればベトナムでもスリランカでも自国の乗用車が持てるようになるよ!!
君達若者が決心するだけで道は開けるよ!!と励ますのだが・・・。
現代のオープンカーやコンセプトカーのカッコよさに心奪われている二人である。
女の子にはちょっと無理だったかな?

昼から呉の「大和ミュージアム」に二人を連れて行く。
戦艦大和にはあまり興味ないようである。
「大和」のコーナーにはヴォランティアの説明員さんが居たので、説明を任せる。
当時「大和」は世界一の技術を多く投入したものであったが主役は飛行機に変わってしまって
ほとんど闘いにはならず撃沈されてしまった様だ。優れた技術があったことなど力を入れて説明されていた。

人間魚雷「回転」や「ゼロ戦」のコーナーで特攻については私が説明をする。
「大和」も片道のオイルしかなくて特攻に出かけていった事を説明する。
最後にはモーターボートや人間の背に爆弾を背負って特攻をやった事も説明。
二人共想像するだに身の毛もよだつ思いであったようだ。
イラクやアフガニスタンなど身体に爆薬をまきつけた特攻が今でも行われている。
非力な人々の特攻を考えると心が痛む。
テロリズムが赦される事ではないが、一方的に相手方を非難するだけでは和平は程遠いだけである。
そんな事をポツポツ語ったのではあるが、内乱真っ只中のスーちゃんにとっては「でも・・・・・」と言いたげであった。
平和で豊かな日本人のたわごと、世迷言と聞こえたかなぁ・・・・。
夜は宮崎駿の「となりのトトロ」と「蛍の墓」のアニメを見せる。

PS
その後、宮崎駿のアニメをすべてみたのであった。
12月26日(金曜日)
昨夜は遅かったのでゆっくり寝た。午前中はのんびりと過ごす。
スーちゃんは年賀状を30枚近く書いていた。チャンは嫁さんに折り紙を習っている。
バラの花はそうとう複雑でインターネットで再度確認しながら折っている。
チャンも3個の折バラを完成させたので、ベトナムに帰って皆さんに披露出来るだろう。

昼から「ボール投げに行こう!!」と皆で出かける。
二人共何の事か分からず「寒空の下でボール投げてもつまらん!!」と思っているようだ。
「どこでボール投げるの?」と聞いてくるのだが、ニヤニヤして「瀬戸内高校のグランドにしようか?」とからかう。
スーちゃんは本気にして「男子のいるグランドは絶対イヤ!!!」とわめいている。

街中に出たので違うようだと思っている。「広電ボール」のピンの看板が見えてボーリングだと分かったようだ。
二人共ボーリングはやったことがないという。
私がボールを投げて手本を見せるのだが、どうしても助走をつけて投げるのは手を足がバラバラになり、無理なようだ。
立ったまま手を振って投げるだけである。
3ゲームやったのだが、一回だけはストライクが出たので飛び上がって喜んだ。
しかし少しづつ状況が分かるようになると欲が出て狙って投げるとガーターばかりと
なってきて、3ゲーム目が一番悪くなってきたので終了する。

17時頃であったので、100m道路のライティング(イルミネーション)を見せようといく。
駐車場がいっぱいであったので、私は車に残って3人だけで散策させる。「きれい!きれい!」と喜んでくれたようだ。

夜は撮りためていたNHKの「プロジェクトX]の”セブンイレブン”と”カーナビ”の番組を見せる。
両方とも会社で打ち捨てられた部署の人間が頑張って成功させる物語である。
スリランカやベトナムが小さな国で貧乏だというが、若い人が頑張ればすぐに日本に追いつけるよ!!
台湾はスリランカより小さいけど頑張っているよ。同じ社会主義国だけどベトナムは中国に次ぎ企業誘致に力を入れているよ。
初めは下請けでも良いから、技術移転してもらってそのうち自国生産出来るようになるよ。
とにかく「百聞は一見にしかず」、目的意識を持って日本を見て帰りなさいと励ます。
日本人が出来る事は、スリランカ人にも出来る事だと実感して欲しいのだけども・・・

P.S
年末「おかあさん、何もする事がない」と不満を鳴らしていたので、”話さんといけん!!”を一発かませた。
嫁さんの手助けをする事も少ないので、スーちゃんは身体をもてあましてそう言ったのであるが・・・。
「一年近く日本にいて思いつく全ての事柄で、日本とスリランカとの違い、スリランカへ持って帰りたいシステムや事柄、
スリランカのここを変えたい、など等思いつく事をノート一冊分書きなさい!!」
「百聞は一見にしかず」で日本に来た意味も少しは充実させる事が出来るかもしれない。
スーちゃんは100名から2名選ばれて奨学金で日本に来れたラッキーガールとしてしか思っていないようである。
自分がスリランカの国に役に立てる人間だという自覚がない。
とにかくノート一冊分書き上げたならば、きっと何か見えてくるだろう事を期待し
私達がインドから帰ってくる1月10日までに完成させる事をきつく言い渡す。