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| 2008年 11月 |
| スーちゃんの教育 第二弾 岩国小旅行 両親から固く固く守られてきたスーちゃんは、スリランカではひとりでバスや電車に乗ったことがないそうだ。 政情不安でテロもある現状では仕方ない面もあるがどうも「何でも見てやろう」精神が不足である。 その側面では若者らしさに欠けるのである。以前に居たホアンとパッちゃんは手綱を引き締めるのに苦労したが、 スーちゃんは手綱を放しても決められた道をちゃんと歩く方である。 何とか若者らしさを取り戻させたいと思い、まず最初に一人で旅行させたいと思ったのである。 「博多に旅行に行き、九州にスーちゃん捨てて帰るから一人で帰るんだよ!」と冗談を何度か言っていた。 半分は本気なのであるが、AFSの決まりごとが赦さないのであるが・・・。 息子達の「我家の元服式」で15才の中学校卒業を記念して3日ほどの一人旅をさせたことを話して聞かせた。 自分の息子には本当にさせているので、もしかしてスーちゃんも「九州に捨てられるのか?」と半分は本気にしているらしい。 岩国の錦帯橋は未だ見ていないと言うので、日帰りでいいから自分ひとりで行きなさいと提案する。 なんだかんだと言うので「いつまでも赤ちゃんだねぇ〜!」と自尊心を突き動かす。 何かの話のたびに岩国行きの話をするものだから、スーちゃんもこれ以上バカにされては情けないので、 11月1日(土)に行くと約束して、今日に至った。 AFS広島支部も心配してくれ、岩国支部の担当者の携帯NOを知らせてくれたので、スーちゃんにその事を言うと、 「いらない!!」という答えが返ってきた。よし!よし! 使わ無くて良いので、人の親切は持って行きなさい!と電話番号と私の携帯を持たせた。 生れて初めての小旅行(日帰り!一人旅!)らしい。軍資金の5千円を渡す。 日本語はべらべらなので信用出来そうな人に聞いて、切符を買って、JRに乗り、岩国駅からはバスで「錦帯橋」行きに乗りなさい。 出来ればロープウエイに乗って山の上にある岩国城に上がってきなさい。 インターネットで調べると「ヴォランティアの人達が無料で案内してくれるらしいので 緑のジャンパーを着た人に相談しなさい」と言っておいた。 広島市と岩国市、そして岩国駅と錦帯橋の位置関係を理解させしょうと、グーグルアースで地図を見せる。 スーちゃんは嫁さんと同じで、地図を見る能力に欠けるのである。点と線でしか地図を理解していない。 三次元で想像する地理が分かりやすいのだが・・。その点グーグルアースの3Dで見ると、理解しやすいのでスーちゃんに見せる。 岩国市街地図を見ながら、海岸線は半分、面積も20%くらい占有している部分はアメリカ空軍基地だと教える。 日本人は勝手に入れない事を告げる。スーちゃんは非常にショックを受けた!! どうして日本にアメリカの軍事基地があるの?と真正面から質問を受けてしまった。 「何故?」の説明しようとすると、歴史的説明や背景を言わないといけん!! 自説の立場を置いておいて、外国人に客観的に説明するのは非常にむつかしい。 日本人同士でアメリカ軍事基地について意見を戦わせるのは簡単なのだが・・・。 スーちゃんは11月9日がピーススピーチ大会なので今一生懸命練習している。 スリランカ国内、戦乱真っ只中なのである。同じAFS生で、瀬戸内高校に行っているジョンもスピーチするそうだ。 彼は両親がミャンマー人でアメリカ生れのアメリカ人で、世界に平和は来ないと言っているそうだ。 スピーチの結論をどこに帰着させるのか知らないが、日本人の喉元に匕首を突き付けたようなスピーチの切り口を期待する。 「アメリカだろうが、日本だろうが、外国に軍隊を進駐させて平和をいくら語ろうがそれはまやかしだ!!」とだけ スーちゃんには伝えたが、本当はもっと話したかったのだが・・・ もっともスーちゃんにとっては、スリランカの内乱が目下のところ大問題なのであるが・・・。 夕方6時頃元気に岩国から帰ってきた。券売機の「岩国」の漢字は昨日インターネットで調べたものを印刷していたので、 駅員さんに聞かないで買えた。プラットホームも時刻表で確認したが、行く先は岩国行きではなかったそうだ。 アナウンスで「岩国」が聞こえたので大丈夫と思い乗り込んだ。 同じシートボックスで老夫婦と一緒になり、岩国に到着するまで、いろいろお話をした。老婦人は着物姿で、 着物が大好きだと言ったら「今度家に遊びにいらっしゃい!」とアドレスを書いてもらっていた。 岩国駅で降り駅員さんにバス乗り場と切符売り場を聞く。 切符売り場でバス賃、錦帯橋、ロープウエイ、岩国城の共通キップが1100円位だったので そのキップを買った。(大変よく出来ました。) 錦帯橋でグリーンのジャンパーを着たヴォランティアにお願いして、案内を頼んだ。 おじさんが昼食時間を割いて3時間かけて岩国城まで案内してもらった。(マンツーマンであったようだ。) おそい昼食は一人で食堂で食べ、夕方6時帰宅してきた。以上の報告を夕食を食べながら、嬉しそうに話してくれた。 スーちゃんの若者らしさ(何でも見てやろう精神)の第一歩となるか? 帰国するまでは、いろいろチャレンジさせようと思う。 |
| 11月2日(日曜日) 財団法人 広島平和文化センター留学生会館主宰の日本語スピーチ大会でスーちゃんが優勝した。 外国人の大学生や社会人で、出場者15名のうち高校生はスーちゃんだけだった。 翌日の朝日新聞朝刊に記事が出ていた。 ちなみに第二位は我が家と交流のあるインド人家族のお母さん(ママタ)、がんばったで賞は息子(ダッシャン5歳)でした。 シュワクマル一家 日本語スピーチ大会の様子は嫁さんのHP http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4573/08_11_1.htm ![]() ![]() 予告 11月9日はホアンやパッちゃんが出たピーススピーチ大会です。 5万円が優勝賞金なので力が入っているのですが・・・ |
| 11月1日(土曜日)是枝さんフライトログ 先月から風邪をもらって、なかなか治りきらない。(咳が止まらないのである) 以前は、少しくらいの風邪より「飛びたい病」のほうが重病で毎週飛びに行っていた。 前期高齢者になったせいか、気分がなえて最近飛びに行ってない。 今秋復活の是枝さんは毎週飛べば、全てビッグフライトのようである。 以下是枝さんフライトログ 2008年11月1日(土) 【天気概況】 弱い気圧の谷が西日本を抜け、大陸から張り出してきた高気圧の中心が朝鮮半島の南西に位置し、 日が昇った頃から西日本は比較的澄んだ空気に包まれている。 秋雨前線は台湾から東側の太平洋に伸びているが、本州からは比較的離れている。 しかし気になるのが明け方のにわか雨と、大陸からの高気圧の中心付近にしっかりとした高層雲があり、 夕方に中国地方にかかるかどうか? 風の予報は弱い北西〜西。あるサイトの予想雲低高度は1290m。 http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary/200811/20081101.php 【自己流風予想】 気圧配置としては良好であるが、やはり気がかりなのは未明のにわか雨で、 夜のプランでは昼頃からエリアに顔を出す程度で考えていた。 いつもよりややゆっくりと目覚め外を確認すると、地面は濡れているが日差しは強く、みるみる乾いていく。 雨量も少ないようだ。 そのうち快晴の空にポコポコと積雲が発生しだし、『午前中はお気に入りのラーメン屋で・・・』のプランを一蹴し、 我が家の姫参謀と嬢×2 を駆り立て、急遽12時前にはテイクオフできる環境とした。 空気の質と動きは良好で、北風成分はほとんど感じない。 予想雲低高度はいまいち低いが、朝の予報では空気がどんどん乾燥するとのこと。 西風主流でシアーはどのあたりか? 【フライトプラン】 フライトは頭に無かったが、エリア外を含め広い空域でのフライトは可能だろう。 風まかせを呼びつけるも家族サービスを選択したらしい。→さらに『いい条件』の駒は整った。 最近ヤツが来ない時はビッグフライトになる >゜д゜;ゴメンゴメン 【フライト】 11時半過ぎ荒谷TOに到着、弱い北風。と同時に広大N村殿が離陸、TO南側でリフトに入るもリーサイドサーマルにもてあそばれ、 絵に描いたようにサーマルを外し、お手本のように片翼をつぶされ、意気消沈と共に機体も沈下して行った。 今日は人数が少なく、TOには5〜6人しかいない。12時前の段階でN村さんがスタンバイしている。 テイクオフ上空を含め積雲は豊富。雲頂付近は西風がやや強く、雲の頭がなびいており、風下方向へ広がるように発達していたが、 積雲は同じ位置に比較的長時間滞在していた。 その頃テイクオフをしっかり覆っていた雲が東に過ぎ去りつつあり、次の雲まで数分間日照が期待できるタイミングを 見計らって準備に取り掛かった。 ≪第1章≫ テイクオフ〜向原〜大土山12時過ぎ、N村さん、M山さんに続きセットアップ。 ・・・N村さん離陸、まっすぐ東正面に向かうがなかなかリフトに当たらない。 M山さんが続きTO東前からややリーサイドにあたる南側に移動していたのを確認し、枯れ枝離陸。 速攻北尾根を目指して北にグライド中、M山さんがTO南、リーサイド側からTOに吸い寄せられるように強い上昇帯に突入したのを確認!・・・ あちゃ〜失敗か?と思いつつ北尾根からやや沖に出したところでサーマルヒット。 M山さんの上昇とTO上空に発達する雲を確認しつつ、北尾根をトップアウト後、荒谷山山頂方向にスライドさせ、 遅ればせながら力強い上昇帯に突入!セーフ Fu =´。`)ゞ 平均3~4mのバカデカイ上昇帯は、シビアなコントロールは必要無く、テイクオフ前をさまよっていた機体やTO待ちの機体に チャンスを呼びかけるも、 結局雲低に一番乗りしたM山さんと2人だけの空域となった (あとで聞いた話では、TOはフォローになり、ダストデビルが出ていたとのこと)。 雲低高度は海抜1600m弱。予想よりも高い。 上空の風はおおむね無風。 あちらこちらに程よく積雲が散りばめられたナイスコンディション ヘ(゚∀゚ノ シアーラインははっきりしていないが、幅広い空域で西から東方面に向けて積雲が出来ていた。 雲頂付近は明らかに西風であり、発達中の雲の頭にねぐせのような形ができていた。 気圧配置から想定しても南風は押して来ないだろうと考え、北風成分に対するマージンを取る為、 『予定変更、XCに出ます。北上し甲田方面へ向かいます。姫参謀にお伝え下さい』と交信。 了解の返信を確認し、向原上空の積雲を目指した。向原付近の雲は落ち着いており、上がりきれずも粘れる環境。 当初目指した甲田上空には雲が無く、 甲立付近までブルー。南側には神の倉最北鉄塔からカンノ木山北側にストリートあり。 一方『いつものコース』にあたる大土山山頂には雲が無い。 やや東側の谷筋を北上したM山さんは向原高校〜高獄山付近の積雲下で緩やかに上昇している。 その東側の大土山南斜面付近に次なる雲ができつつあるのを確認。 相変わらず北方面に雲が無いことを確認し、平畝山上空でしっかりした形になった積雲へ移動開始。 ほぼ同時にM山さんは川沿いに北上し始めた。北方面には積雲が無いことを交信したのだが・・・ 甲田を川沿いに北上するM山さんを確認しつつ平畝山上空で雲中へ。 海抜1900m弱で東方面へグライド開始!と思いきや、『白き世界』で軽く麻痺した方向感覚で雲を西側に離脱 (゚▽゚ ;) 即座に再突入!ウリャ!!そして大土山南尾根を東へ進む。 たった2kmちょっとで500mもロスする効率の悪いグライドであったが、 すぐさま復活。 ここから数キロの間、はっきりしないシアーラインに惑わされるも積雲を目指し、東へ・・・そして南へ・・・ぐにゃぐにゃグライドとなった。 ≪第二章≫ 悪夢から復活の豊栄〜世羅西〜世羅町〜ファイナルグライド 豊栄の天神獄山北側で薄雲の雲低付近に達した後、 向かう先の積雲は無かったが東方面へのグライド開始・・・したものの、一気にシンクにはまる。 板鍋山から北上する高圧線沿いを目指したがシンクがあまりにもきつい。 急遽、弱いながらも雲の残像が残る天神獄山東側へと進路変更を余儀なくされた。 結局コース取りミスで、天神獄山を見事に交わしてしまっていた。 さらに沈下は続く・・・ そこは豊栄と世羅西の狭間付近。下ろせるところはあるが民家は少なく寂しすぎる T▽T ついに対地高度200mを切った・・・地面を睨みつけ、トリガーになりそうな場所を探る・・・あった (;゚Д゚) とにかく外さないことだけ考えしがみつく。そのうち頭上に小さな積雲が出来だし、上昇率も安定。 ・・・ピンチから10分後、復活の狼煙を上げた。 この頃14時を過ぎ、雲低高度は海抜1900m程度となっていた。 しかし気が抜けたのか雲低から100mくらい下で上昇帯を外してしまった。 ここから先はもう積雲は無いが、世羅の町に向け仕切り直し。 東へ進路を取った。世羅の西側で弱いリフトに遭遇、しかしつかみどころが無く海抜1000m位をのたうちまわる。 中層の風は弱い西。徐々に東へ流れ世羅の町に近づいて行った。ここからは自分の勘を信じるのみ。 この付近には目立った高い山は無いが、風の収束しそうな場所は多い。 その一点を目指して突っ込みサーマルゲット!ここは以前も助けられたことのある場所だ。 ・・・順調な上昇かと思われたが、1400m弱でまたもやサーマルを見失い、サーチもせず次なるルートの2択。 一方は真東方向の川尻南・・・ここで上げきれば芦田湖横断が目に浮かぶ。 もう一方は南東方向の川尻から2km 南の石採場付近・・・上げ切れなくても宇津戸にはたどりつけそうだ=40km超。 ・・・後者を選択したがそれがファイナルグライドとなった。 その30分後には一気に上空を高層雲が覆い、日差しは消えてしまった。 離陸時間 12時22分 着陸時間 15時5分 飛行時間 2時間43分 荒谷山〜世羅町宇津戸までの41.3km 【本日のフィードバック】 フライト全般でみれば、まあまあ満足できるが、5つの反省点を挙げてみた。 @当初はXC狙いでは無かっただけにある意味仕方ないが、エリアは13時頃から渋くなったことと、 午前中の早い時間帯から積雲が活発になっていたことを考えれば、やはりテイクオフが遅い。 A上げきれたから良かったものの、テイクオフ直後のサーマルは南側から山頂につけたM山さんが正解。 Bテイクオフ上空からのスタートは北方面では無く、比較的積雲の連なっていた神の倉北尾根最北鉄塔→カンノ木山北側ルートを通り、 まっすぐ豊栄方面へ向かっていれば、最低30分は短縮できたと思われ、府中市へ足を踏み入れることができたかもしれない。 C最終サーマルが上げ切れなかったこと。またサーチをおろそかにして先に進んだこと。 あと400m高度を稼いでいれば、もう1サーマルのチャンスがあったかもしれない。 D世羅町からファイナルグライド前の2択。中層が弱い西風だったことから、川尻の南側山頂にサーマルがあったかもしれない。 結果論が多くなったが、次のチャンスに生かしたい。 ![]() 是枝さんのフライトデータ |
| 11月9日(日曜日) スーちゃん優勝 スーちゃんのメインイヴェント「世界平和弁論大会」(財団法人、ヒロシマ・ピースセンター主催)が今日である。 6年前にコロンビアのホアンにも起承転結を教えた。日本語はへたくそで、ボキャブラリーは少ないが 面白い言い回しと、ヒロシマ弁と南米人のノリで見事優勝を果たした。 2年前のパッちゃんは選外ではあったが、私的には第一位をやりたかった。 (応援に着てくれた先生方も一位間違いなしと言ってもらっていたらしい)。 スーちゃんが「おとうさん!教えて!」と真剣に頼んでくる。 ホアンが優勝したと聞いて、もう一回ビデオを見せてと頼んできた。ホアンが優勝したのが信じられないようである。 日本語がぺらぺらのスーちゃんから見れば、ホアンがなぜ優勝したのか、理解出来ないようである。 スーちゃんが助けを求めてきたので、私の出番である。 まず、起承転結の概念を教える。そしてコンペティションに当たって戦略と戦術を立てなさい!と命令。 戦略と戦術の説明も大変だった。命令して2〜3日ほっといた。 スーちゃんは困り果てて「おとうさ〜んん!」と甘えてくる。 ホアンを優勝に導いた実績があるものだから、何とかおとうさんの力を借りようと真剣である。 スーちゃんは日本語は上手なので、スピーチのテクニックを考える必要はない。 ただ、スピーチの起承転結はしっかり構築しないとダメだ。起はインパクトが欲しい。 スーちゃんは一学期の試験で日本史が好きでクラス一番の成績を納めたのだった。この実績を使うことにした。 「和を持って尊しとなす」聖徳太子の「憲法17条制定」を起に使う様に話をした。 後は自分の平和に対する考えを話をすればいい。基本的には子供達の原稿を、私はいじらない様にしている。 後は瀬戸内高校の新谷先生とIVCの日本語先生の佐藤先生がつきっきりで一生懸命サポートして下さった。 2ヶ月間のうち3週間ばかりは、先週の留学生会館の日本語スピーチ大会に専念して優勝した。 だから最終仕上げはこの一週間だけであったのであるが、やはりAFS生は頭のいい子ばかりなので、 覚える能力は抜群である。3日前に、私が結の部分をちょっと一行増やした。 11月8日(土)にIVCの授業でベトナム人のチャン(AFS生、女学院高校)と スーちゃんは「世界平和弁論大会」の予行演習でスピーチをした。 家に帰ってきスーちゃんはガックリきていた。 ベトナム人のチャンのスピーチが素晴しかったので「自分はもうダメ!」とすっかり自信を失っていた。 嫁さんもそれを聞いていたので「スーちゃんは負けるかも・・・」とナーバスになっている。 「スーちゃん!お父さんが起承転結を教えたので審査員もちゃんと分かってくれるよ! ホアンも勝たせたので大丈夫だ!!!」とまじないをかける。 そして「おとうさんは明日は応援に行かない。ホアンの時も、パッちゃんの時も、息子達の時も、 コンペティションの応援には行かないことにしているから・・・」と伝える。 スーちゃんは泣きそうになり、「お父さん来て!!」と5度ばかり泣き顔で哀願してきた。 コンペティションは自分ひとりしか頼るものがないので、オッス!で行って来い!と励ます。 ちっとも励ましにならず、後から聞いた話だが、昨夜はウトウトしただけで良く眠れなかったようで、5時には起きたそうだ。 日本に来て一番不安な夜だったと言っていた。 朝8時20分に嫁さんと二人で出かけて行った。 パソコンつついたりして、時間を過ごす。 12時頃固定電話が鳴ったので、スーちゃんかな?と思って出ると、初代パソコンの師匠津島さんからだった。 いろいろ話をしていたら12時20分頃携帯電話が鳴った。津島さんに待ってもらい、携帯電話を取る。 いきなりテンションの高い声で、「おとうさ〜ん!!!一番だよ〜!!」と叫び声が飛び込んできた。 「ようがんばったねぇ〜、よし!よし!」とあまり褒め言葉も浮かばず電話を切る。 その後津島さんと1時間ばかり話しこんだ。 先週(11月2日)に引き続いて、2週連続のスピーチ大会優勝は素晴しい!! ![]() ![]() 夕方玄関から飛び込んで来て、スーちゃん大喜びで第一位の表彰状を見せてくれハグする。 女学院高校のベトナム人留学生のチャンには絶対負けると思っていたので、 自分が第一位になれた事に天にも昇る面持ちである。 優勝の盾もずっしり重く、価値のあるものだった。 うれしくて、うれしくて出席者のリボンもスリランカに持って帰ると言っていた。 嫁さんが撮ってきたビデオを見る。 AFS生達(3人)のスピーチは全て撮っていたが、他の9名分は少ししか撮ってないので、 何とも言えないが、チャンは優勝してもおかしくない程の素晴しいスピーチであった。 まあ、私の戦略勝ちという事にしておこう! 表彰状や優勝者だけに与えられる楯や、副賞の5万円の図書券をつくづく見る。 2ヶ月前からずっとこのスピーチにスーちゃんは賭けていた。 瀬戸内高校の新谷先生がずっとつきっきりでスーちゃんのスピーチを助けて下さった。 IVCの佐藤先生もずっと気にかけて下さって頂いた。 スーちゃんの名誉の為に言えば、誰もスピーチの内容はつついてはいない。 日本語の言い回しや、助詞の間違いを訂正しただけである。 このスピーチ大会の参加者は高校生と大学生の外国人留学生達である。 副賞の5万円の図書カードは留学生達にとって夢のような賞金なのである。 スーちゃんにとっては、スリランカのおとうさんの月給の2か月分なのである。 (公式レートの計算なので、実勢はもっと高いはずだ) ![]() ![]() 今日は日曜だが、スーちゃんの妹は塾に通っていて、おとうさんは車で送り迎えしている。 スリランカとは3時間の時差がある。 家族全員そろっている時電話する為、夜11時30分まで待って電話する。 嫁さんがシンハラ語を教えてもらって「アユボアン・・・」と電話をかける。 お父さんが出たようで何かしゃべってくれたが、分かるはずもなく、スーちゃんに代わる。 すぐに電話を切るので「どうしたん?」と思っていると、すぐにスリランカからかかってきた。 スリランカのおとうさん、おかあさん、おばあちゃん、妹と次々に代わって喜びを伝えていた。 AFSとかかわって世界の優秀な子供達を預かって親子関係を築くということは、 リタイヤメント生活において、最高に心揺らす事柄である。 私が死んでも少なくとも50年間は思い出してくれる人間が居るということは、何だかほのぼのとしたものを感じる。 |
| 江戸から250里(1000Km)遠島 小笠原父島一人旅 |
| 11月21日(金曜日) 若い時から旅行は観光地はあまり好きでなく、半島や岬の先端や、内陸部奥地の行き止まりなどと言ったところが好きだった。 地元の人と話をするのが面白くいろいろな親切に出会うと一生の思い出となる。 今回は大学時代のクラス会が11月29日箱根であるのでどこか足を伸ばすところが無いかと考えた。 本土から思い切り不便な島(飛行機便がない)の小笠原諸島に行ってみたいという希望は持っていた。 父島へは週に一度しか船便が無い亜熱帯の島である。 観光化された島では有るが東京から1000Km25時間の船旅である。 朝10時出航なので東京に前日泊である。竹芝港の近くにインターネットでホテルを予約。 東京見物というのもおのぼりさんみたいで抵抗はあるが、テレビでよく聞くお台場が竹芝港の対岸であるので ちょっと見物してやろうと、朝スーちゃんの通学時間に合わせて嫁さんに新幹線口に送ってもらう。 通学時間帯は一方通行や右折禁止が時間帯制限である。 温品交差点で右折ウインカーを堂々と出して走っていると、交通整理のオヤジにどなられた。 スーちゃんを学校に送って新幹線でいざ出発。 今回や宿と船便を予約しただけで何も決めていない。皆さんに聞きながら行き当たりばったりの旅である。 品川で降り、新宿でユリカモメに乗ろうとして、改札口に聞いたら臨海線で行きなさいと言われ、少しバックになった。 お台場のどこで降りるのか?と思っていると、フジテレビの建物が見えたのであわてて降りる。 無料の巡回バスの看板を見つけ、とりあえず一周する事に止まる場所が9箇所ばかり書いてあった。 ホテルであったり、アクアシティ(大型店舗)であったりミュージアムであったりだ。 ミュージアムは未来科学館と船の科学館であった。なんとなく未来と言う文字にひかれて未来科学館で降りる。 ガラス張りの6階建ての大きな建物でデザインも「未来館」にふさわしい。 小学生の生徒も見学に来ている。子供向けなのか?とちょっと心配になる。常設展示場(500円)を見学しに3Fにあがる。 アシモやアイボなどロボットの展示場がある。実演時間は既に終わっていた。 ナノテクノロジーのコーナーに立ち寄る。 テレビでナノテクノロジーの言葉は聞くが、実生活でどのように役に立っているのか良くわからなった。 展示説明を見てもよく分からん。ナノテクノロジーの研究者達のビデオコーナーがあったので 江崎玲於奈などのビデオを見ていると、つい引き込まれ、15名分のビデオを見てしまった。 ナノテクノロジーの分野では日本も進んでいるのだなぁ〜と感心したり、安心したりであった。 何人かの先生方の話の中で、子供時代に学校の先生から聞かされた一言で、「自分もやってみよう!」とか 科学に強い興味を持ったようである。 ここに来た子供達の中で、科学を志す者が出てくる事を願わずにはいられない。 リニアカーの超電導物質発見の話では、試行錯誤の上、学生も発見出来る事を聞いた。 何だか宝くじに当たった様な話であったので、夢も膨らむ話であった。リニアカーで使用する冷却剤は液体ヘリウムとの事。 もう少し温度の高い液体窒素でも効率の良い超電導物質発見競争になっているらしい。 液体ヘリウムはアメリカだけで生産されており、非常に高価でMRIも従って高価なものになっている。 研究方向が決まれば探し出すのは日本人は得意なのでそのうち安いMRIを日本が作るようになるとうれしいのだが・・・・・・。 5階にも展示場はあったのだが、あっという間に2時間半たってしまい、心残りであった。 チャンスがあったら是非子供を見学させて欲しい。 科学を志す子供が育ってくれることを願うばかりである。 ![]() ![]() 5時頃ゆりかもめの船の科学館駅から竹芝港(310円)のキップを買う。 レインボーブリッジを渡ると「竹芝ふ頭」の文字が見えたのであわてて降りる。 駅舎を降り周りを見回したが、倉庫群である。ユリカモメの下を歩いて行き、「やよい会館」はどこでしょうか?」と尋ねる。 気の毒そうに、「まだ2駅先ですよ」と言われる。暗くなりかけた歩道を歩く。 2駅先が「竹芝駅」であった。もう一度「やよい館」を聞くと100m先であった。 やれやれ・・・。朝の出だしからケチがついていたのだった・・・ |
| 11月22日(土曜日) ホテルの12階で朝食をとる。眼下に浜離宮庭園があり竹芝桟橋も見え、少し先にはレインボーブリッジが見える。 対岸はお台場である。シーサイドホテルなのでロケーションは抜群であった。 8時過ぎにはチェックアウトし、竹芝桟橋を見て廻る。ナショナルツアーの出店で乗船券を受け取る。 10時出航。ドラの音を聞いたのは数十年ぶりか?ベイブリッジの下をくぐり抜け、お台場を左に見ながら進む。 羽田飛行場沖を進む2〜3分置きに旅客機が発着している。 海底トンネル(うみぼたる)の中央のエリアが見え、その向こうに千葉県側の橋が見える。 昼過ぎに房総半島を過ぎて本土からお別れだ。 本を読んだり日記を書いたりする。山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んでいるのだが、 この作家は本当に女性なのか?と思ってしまう。 男性作家が女性名を名乗っているのかと思ってしまう程である。「白い巨塔」を読んだときにも強烈に感じた事だった。 19:30船内のレストランで夕食の後デッキに出てみると南の水平線近くで遠い灯台の光と間違うほどの星が上下で光っていた。 銀河が白くぼんやりと天空を横切っている。 前回銀河を見たのはいつだったろうか? 歩行するのにちょっとよろける程の船の揺れであるが、思ったより少ないと思った。 夜10時過ぎまで本を読んで寝る。 |
| 11月23日(日曜日) 朝7時頃起きて 朝食。本を読んでいると9:30に 島が見えますとアナウンス有り。 甲板に出てみると島影が見える。弟島、兄島、そして父島である。 東京から1000Km・・・突如島が見えてきて、何やら心ウキウキする。 帆船時代に、太平洋に浮かぶ島を見つけた時の船乗り達の気分の高まりはどんなであったろうかと少し分かるような気がする。 定刻より40分ばかり遅れ11時40分入港。1000Kmを25時間かけて走るのだから40Km/hで走っている事になる。 水面に近いデッキで見ると海面は結構早く走っている。 二見港に降り立つと、各旅館・ホテルの看板を持った出迎えの人々が立っている。 民宿「ささもと」の看板は最後の方にあった。私が最初であった。 次に女性が寄ってきて、次に50代のおじさんが集まって来たので、とりあえずワゴン車で「ささもと」へ。 女性は尾道から「ささもと」に働きに来た人であった。初日に広島県人と出会うとは・・・。 午後の半日はバイクを借りて父島の道路をすべて走ってやろう!6時間借りて1500円であった。 船内でもらった島内の地図を片手に地図に書いてある神社や旧跡、ミュージアムなどすべてよってみる。 小笠原ビジターセンター、小笠原神社、亜熱帯植物園、八ツ瀬川、そして巽道路のどんづまりまで行き、 引き返し中央山展望台に上る。 夜明山を横目に見ながら旭平展望台、長崎展望台を巡る。 長崎展望台からは兄島瀬戸をはさんで兄島が静かに浮かんでいる。 小笠原諸島は親戚達の名前がついているが、現在人が住んでいるのは父島と母島だけのようである。 ヘヤピンカーブを一度二見港に下り、釣浜と宮の浜を見る。 ここまで3時間半走ったが、レンタバイクは5台、レンタカーは2台現地の車は5台ばかりすれ違っただけである。 今はシーズンオフなのか?夕方4時過ぎ3日月山展望台にサンセットを見にあがる。 30分ばかり待っていたが、上空は晴天なのに水平線は雲がかかっておりサンセットは見れず。 集まってきた観光客は10名程度であった。 民宿「ささもと」のオヤジの話だと「おがさわら丸」はドック入りしていて、2週間ぶりの東京便であったので、 観光客はおらず島民が多く東京から帰って来たようだ。 クリントイーストウッドの「親父たちの星条旗」の映画を見たことがあった。 日本軍2万129人(ほとんどが玉砕)、米軍2万8,686人の戦死傷者を出した激しい戦闘だった。 米軍としては、一戦闘で最大の戦死傷者であったらしい。 その為か、小笠原には上陸作戦は取らなかったようである。(硫黄島は飛行場の為必要であった) 父島の海岸線や山頂など見晴らしのいい所は、至る所トーチカなどの軍事施設や火器や沈没船の残骸が 戦後64年経っても残っている。 若い人達にも「戦跡巡り」のガイドツアーに一日を割いてもらいたい。 さあ明日から何をしようか?ホエールイルカウオッチング、ダイビング、戦跡巡り、シーカヤック、フィッシング、森歩き、 ナイトツアーバードウオッチング、などいろいろなツアーがある。 昔やってみようかと思って本を買った、スキューバダイビングにチャレンジしてみよう。 民宿のおやじさんに電話をしてもらってKAIZINに予約を入れる。案内書は沢山もらった。価格はどこも同じ。 NETでも調べた。一応基本的なところは調べておいて、あとは信用おける地元の人に推薦してもらうのがまず間違いない! ![]() ![]() ![]() |
| 11月24日(月曜日) 生れてはじめてのスキューバダイビング挑戦 若い頃からの夢達成!! 8時15分民宿に、KAIZINのオーナー山口さんが迎えに来てくれた。話を聞くと私より1才年下らしい。 港に係留されているクルーザー「アイランド・クイーン号」は外洋にも出れる33人定員の大型であった。 客は私を入れて3名、スタッフも3名(鉄也、かおり、あつし)であった。二見港を出て兄島の港内に行く。 ダイビングスポットの所でウキが浮いていて海底からロープが伸びていて船を係留する。 客の二人はベテランらしく、いそいそとウエットスーツを着込みスタッフ2名と潜っていった。 女性スタッフのかおり姐さんと二人っきりとなった。 機材の説明やら耳抜きの方法、水中眼鏡に水が入った時の対処の仕方など説明は淡々と進む。 私の一番心配事は水がすぐに耳に入るということであったのだが、耳に水が入るのは 気にしなくていいとの事であるのであったが、心配だ。頭を洗っていて耳に水が入るのもいやなのである。 耳抜きのやり方を3方法を教わった。 耳抜きが心配ならば、こぶし一つ一つくらいロープを伝って沈んで行き、何度も耳抜きするということだ。 出来なければ少し上がって来てチャレンジすれば良いという事なので一安心。 40分して4名が上がって来た。 ![]() しばらく休息して鉄也イントラ(オーナーの息子)が「行きましょう!」と声をかけてくれた。 鉄也イントラは23才、170Cm以上で、引き締まった身体で顔はいかついが、頼りになるマスクである。 ちょっと見30歳前後に見える。手話の説明を受け、クルーザー後部の階段に足をかける。 体験スキューバダイビングなので、砂浜から出かけると思っていたのに、いきなり水深10mをロープを伝って沈降するという。 自分の心を平静に保つ為、海中に降りる階段で顔を浸け、レギュレーターの使い心地を確かめ 一度レギュレーターを水中ではずしてみる。 もう一度レギュレーターをくわえ、水を噴出してみる。再呼吸するのはそんなに難しくはない。 シュノーケルの水を噴出す方が違和感があるくらいである。 階段から手を離し、ロープを掴みにウキのところまで2mくらい泳ぐ。 うん!何とかなりそうだ。ロープを掴み20Cmくらいづつ沈降していく。 2mくらい下がったところで耳がふさがった感じがしてきた。 あごを引きながらつばを飲み込む。顔がゆがむので、水中メガネを抑えながらやる。 ついでにメガネに水が入った時の排水の為の鼻から息を出してみる。うまくいった! 水深5m過ぎると耳抜きが不十分だと耳が痛い。一発では耳抜き出来ない。 顎下の一番奥に力を入れるとわりとスムースに耳抜きが出来るようになってきた。 ついに水深10mの海底。鉄也イントラが手を差し伸べてくれ泳ぎ始める。 手を引いてくれるのではなく、手に触れて呉れているだけで凄い安心感が生れる。 バタ足がうまく出来ないで、フィンがからんだり身体が回転しそうになる。 10分間ばかり何とかまっすぐ泳ぐことに専念。鉄也イントラが珊瑚や魚の写真を撮る為に止まるようになった。 私もようやく余裕が出てきて、廻りを見ることが出来るようになってきた。 赤や黄色の蝶々魚や珊瑚の模様やシャコガイの美しい紫色が目に飛び込んできた。 泳ぎをやめると少しづつ浮き上がってくる。 それを見た鉄也イントラはウエイトを1個はさんでくれた。今は鉄也イントラとは手を繋いでいない。 今度は泳がないと着底する。手足をばたばたさせていると、ホワイトボードに「足だけ使って」と注意を受けた。 ![]() 珊瑚のない砂地に来た。鉄也イントラは直径15cmある海鼠を拾い上げ写真を撮りだした。 撮影が終わったので私にくれる様に手を出す。海鼠を受け取って写真を撮ってもらう。 優しく掴んでいたはずなのに海鼠の口だか尻だからか、糸状のものが出て拡がって結構きれいなので写真に納める。 砂地を抜けさんご礁をしばらく行くと向こうにロープが見える。ここで初めて上を見上げると船底が見えた。 レギュレーターで息をする事、まっすぐ泳ぐ事とかに気を取られ、海底で魚や珊瑚を楽しむ余裕はなかった。(見るのは見たが・・・) 後から考えて一番悔しいのは一切水面を見上げる事がなく、船底の確認をしなかった事である。 パラでクロカンに出かけた時は、場所の確認を一生懸命しているのに・・・。 スキューバーダイビングにおいて、透明度が悪い時深く潜ったらブルーアウト(?)になるのであろうか?恐いだろうなぁ〜。 ![]() 頭が斜めになるとツーと耳に水が入ってくるのが分かる。 (船にあがってしばらくすると鼻からポタポタ水が出てきた。耳と鼻は繋がっている?) ロープにつかまってそろそろと浮上。沈降する時より耳抜きの回数はj少なく上がって行けた。 階段の所で皆さんでボンベやフィンなどはずしてくれた。 30分間のスキューバダイビングであったが達成感が身体を満たしてくれる。 空の上なら一人なので「やったぞ!!!」と叫んでいるところだ。 「60歳過ぎた人で初回のダイビングから手を離した人は居ないですよ!」 「若い人でもダイビングポイント見ただけでやめる人、機材を見ただけでやめる人、機材を背負っただけでやめる人、 海に入っただけでやめる人、結構います。」 「稲垣さんはパラグライダーをしているので肝が座っているのでしょう」とか言われた。 しかし、私には何の余裕も無かったのである。かおり姐さんから受けたレクチャーの80%は頭からすっ飛んでいた。 だが、40年ぶりの夢が叶った記念すべき日となった。 4時ごろショップに帰って、スキューバダイビングが成功したという証明書と水中写真のCDを記念としてもらった。 CDに焼付けしている間に私のHPやパラやホームステイなどの話につい力が入ってしまった。 ![]() ![]() |
| 11月25日(火曜日) 生れてはじめての一日シーカヤック体験 今日はじめてのチャレンジ、シーカヤックである。 今年の梅雨に北海道屈斜路湖でカナディアンカヌーの川くだりを体験した。 インストラクターと同乗でパドルは渡された。 沈木などに引っかかって転覆したり、万が一からだがひっかかったりしたら流れが急ではずせなくて おぼれることもあると脅かされたりしたので、パドリングはしなかったのである。 何か心残りで、目一杯パドリングしたい気持ちは残っていた。 シーカヤック一日コースというのがあったので、民宿のささもとオーナーに夕食の時お願いしてもらっていた。 朝居9時お迎えの車が来た。同宿の2組の若夫婦も今日はシーカヤックとかで皆さん別々のショップであった。 二見港地区で車にピックアップされたのは客は私一人であった。 扇地区にショップがあり、二見港地区の対岸であった。到着してお金を支払って隣のお店でお弁当のおむすびを買う。 どうも客は私一人だけである。インストラクターは45才で富ジー呼んでくださいと言った。 砂浜で準備体操をしていると、テレビカメラマンが「お願いしていたものですが、撮らして下さい」と富ジーに話しかけてきた。 このテレビカメラマンは竹芝港や船中で休む事もなく、カメラを廻していた。 24日に小笠原ビジターセンターに立ち寄った時も出会った。テレビクルーは次の便で来るらしく 使える絵が有れば使うと言うことらしく、思いつくところを目一杯撮影しているようである。 今日はシーカヤック一日コースで10時から15時で海に出るようである。 体力が持つかどうか分からないので二人乗りでお願いしますと言ったのだが、客が私ひとりであれば、 コースや休憩は全て私に合わせてもらえるので、一人で乗るようにお願いした。 昨日はスキューバダイビング体験であったことなど話したので、シーカヤックの説明はあまりくどくどとはされなかった。 ただパドルの使い方で、漕ぐ方に力を入れるのでなく空中に浮かしている方の腕を押し出すことに 意識を入れてくださいと、説明を受けたのは新鮮な驚きであった。 乗った船はプラスチック製でクリ舟の形ではなく底は2重構造になっており 水が入っても絶対沈まないペットボトルみたいなものだ。 形は細長い遊覧ボートである、復元力は強く安定しているようだ。 教えられたように押し出すほうに力を入れて漕いでみると確かに楽だ。 これなら1〜2時間は連続して漕げる気がする。 一かきで1.5〜2m進むのは舟が軽いせいなのか、とにかくベテランカヤック乗りになった気分だ。 扇湾の中央に高さ5m位で30×30mの岩があり、扇の要に当たるので要岩と言うらしい。 銃眼がコンクリートで作ってあり、鉄製のハシゴが65年前の姿をとどめている。 65年前の電柱も白く枯れた姿で腐りも立ち続けていた。 その後海岸線を巡ってみると岸壁のあちこちにコンクリート製の銃眼が岩にへばりついている。 出入り口は岸壁の上から掘り込んで行ったのであろう。 上陸用舟艇が来そうなところはすべて銃眼があった。 小笠原父島は全島要塞化し、不沈戦艦としたのであろう。どれくらいの戦死者が出たのかまだ聞いていない。 米軍の上陸作戦はなかった様なので、空爆や艦砲射撃であったようである。 父島のツアーには戦跡めぐりというのがある。 若い人には是非半日でもいいので、ツアーに参加して欲しいものだ。 きっと65年前にここで何が起きたのか話してくれるのだろう。 ![]() ![]() ここから更に南の硫黄島は、米軍機(B-29)が日本本土攻撃して帰って来る為に、 飛行場を作る必要があった為に、とことん戦ったようである。 米軍は圧倒的な兵力を集結させ、艦砲射撃と空爆で3日で落とすつもりが一ヶ月かかったようである。 日本軍は2万933名の守備兵力のうち2万129名(玉砕)、米軍は戦死6821名・戦傷2万1865名の損害を受けた。 米軍にとっては一戦闘における最大の戦死傷者だったらしい。 常夏で澄んだきれいな海が真っ赤に染まったのだろう。 最初に降り立った浜は富ジーのシークレットビーチで小さな砂浜でめのうや緑泥岩が波で丸く磨かれていた。 砂は水晶の細い砂がきらきらと輝いてきれいであった。珊瑚だけの白い浜や細い粒子の砂浜があるのも珍しい。 海岸に上がって、タコの木やリュウゼツランや小笠原固有の植物が移住者によって持ち込まれた モクヤオイや琉球松によてってすっかり植生が変わっていることを教えてもらう。 アオウミガメの産卵跡は1.5×2.0m位のくぼみで思ったよりでかいものであった。 卵は30cmくらいの穴に産み落とすらしいが・・・。 箱メガネをもらったが磯ではさほど魚も珊瑚も落ち着いて見れなった。 戦時中、1800tの貨物船が爆撃を受け火災を起こしたが、何とか海岸線に座礁させた残骸が無残な姿をさらしていた。 富ジーイントラを先に砂浜に行ってもらいゆっくりとビデオ撮影する。 別の砂浜からは、私のパドリングを撮影してもらったりもした。15時近くになたので帰途に着く。 客は私一人で申し訳なかったが、目一杯わがままな5時間ツアーであった。 結局5Km位は航行したようで舟でそんなに長く自力で移動したのは初めてであった。 さほど疲れもなく、楽しいシーカヤックであった。 民宿「ささもと」の夕食時に、二組の若夫婦と話す。彼らも珊瑚や魚も見れて楽しいツアーであったようだ。 ![]() |
| 11月26日(水曜日) 今日は最終日である。朝食を済ませ食堂を出ようとすると、民宿のささもとオーナーが「稲垣さん!ちょっと」と呼びとめ ささもと農園の小笠原コーヒー(ブニンコーヒー)を一袋手渡してくれた。 外にあった軽自動車箱バンからパパイヤを2ケ出してくれお土産にもらった。食堂で出された卵やクレープフルーツや パッションフルーツはすべてささもと農園の作物であった。立派なホテルよりやはり民宿は人情があって楽しい。 笹本さんは私より3つ年上で兄島に住んでいたが、八丈島に疎開して中学生まで過ごした。 小笠原が返還されたので父島に帰って来て民宿を始めたようだ。 今はホテル、ペンションなど沢山出来てしまったので苦戦しているようだが、釣具センターや農園など多角経営のようだ。 ここの”板さん”は安い料金なのだが、頑張って美味しい料理を出してくれる。仕事関係の長期滞在者も多いようだ。 この日記を民宿「ささもと」の部屋で書いている時、嫁さんから電話がかかってきた。 インド旅行の帰国日をどうするかシュワちゃんから相談あったらしい。 日記を書き終えて、散歩にでる。大上神社の案内板があったので石段を登って行く。 途中社務所があり隣に200坪くらいの広場があり、中央は四角の盛り土になっておりシートがかぶせてあった。 山側2方には岩石を削って5段ばかりの観客席がこしらえてあった。奉納相撲の土俵なのかもしれない。 200段ばかり登って大上神社に到着。 コンクリート製ではあったが屋根は銅版葺きで千木・鰹木が揚げられており、由緒正しき神社とみた。 更に登っていくと公園になっており、展望台が3ケ所点在していた。 二見港が一望でき昨日シーカヤックで行った扇浦も見える。町へ降りておみやげを買う。 お土産にはいつも悩まされる。どこの観光地も似たり寄ったりなので、とにかく小笠原の名前の入ったものを買った。 ![]() イルカのクリスタルの置物、ストラップ、ブローチなど嫁さんとスーちゃんに。 ココヤシの物入れとアオヌミガメの缶詰はちょっと珍しかったので買った。 もう一度bイジターセンターに寄ってビデオを見たり職員さんに声をかけDVD上映までしてもらったりして2時間ばかり過ごす。 小笠原には石器時代の痕跡もあるらしいが、ラセニエル・セボレーら白人5人とハワイ人25人がハワイ・オアフ島から 父島に入植し、初めての移住民となったということだ。 1861年 に幕府が小笠原の領有を宣言。江戸から250里(1000km)の離島をよく日本領土としたものだ。 1:00に港まで送ってくれるというので12時過ぎに民宿「ささもと」に戻る。 広間でSさんの奥さんから「何か条件が必要なんですか?」と聞かれた。 昨夜夕食の時2組の夫婦にパラの事、旅行の事留学生の事など話していたのであった。 一瞬パラのことかと思って「一応免許はあります」と言ったら、ホストファミリーの事だった。 興味がおありの様子だったのでここぞとばかり説明にも力が入った。 嫁さんが詳しく日記を書いているので是非読んでくださいと頼んでおいた。 14:00出港。港にはホテル、ペンション、民宿の人達が見送りに来ていた。 ユースホステルは「行ってらっしゃい!」の横断幕を持っていた。 「さようなら」の挨拶でなく「いってらっしゃい」なのだ。和太鼓を鳴らして送ってくれる。 ぼんやり見ていると「稲垣さ〜ん!!」と声がする。 スキューバダイビングに連れて行ってくれた鉄也若大将とかおり姐さんだった。 「出港したら左舷側に来てください」と伝えていなくなった。 しばらくして又「稲垣さ〜ん!」と声がした。今度は良く分からない。 もう一度声がしたので真下を見ると昨日シーカヤックでマンツーマンで一緒に行ってくれた富ジーであった。 嫁をもらい子供も出来たので、シーカヤックのイントラだけでは喰えないので「おがさわら丸」の荷役をやったり 環境省の木道を施工する仕事をしたり、土建屋の仕事をしたりしていると言っていた。 今日はヘルメットに作業服なのですぐにわからなった。 「おがさわら丸」の銅鑼が鳴りロープをはずす作業してもう一度戻って来て私を捜してくれた。 「又来て下さいね〜!!」と声をかけてくれた。 出港したので急いで左舷側に移動。 こちらは昨日乗ったアイランドクリーン号が併走していて、鉄也若大将とかおり姐さんが手を振っていた。 鉄也のおやじさん(64才)が運転していた。 一緒にダイビングした医者も立っていた。彼の出身は安芸津で毎日広島の修道高校に通っていたと言っていた。 無口な青年(?)であったが、デジカメを撮りながらずっとずっと手を振っていた。 二見港の中で鉄也は運転席の上のテントで逆立ちをして、足を振って愛嬌してくれる。 二見港を出てもまだ併走していて手を振り続けている。 私は手を振るのがだんだん恥ずかしくなるのだが、彼らはずっと手を振ってくれている。外海に出て波が3m位になって来た。 一度15m位まで「おがさわら丸」に近寄ってくれ最後に声をかけてくれた。 こちらも思わず「また来るからね〜!!!」と声をかけていた。 最後にボートから飛び込むというパフォーマンスを見せてくれた。 離島に住んでいるが故に人恋しく、人なつかしいのであろうか? 父島で話をした人で、もともとの島民は「ささもと」のおやじさんだけであった。 島民2千名のうち6割は島外者が仕事を見つけて住みついているのであるのに・・・・。 東京から1000Kmの離島なのに、東京弁ばかりであったのはちょっと寂しかった。 もう一度彼(鉄也)に会いに来たいなぁ〜と心からそう思った。 ![]() ![]() |
| 11月27日(木曜日) 25時間かけて15時過ぎに竹芝桟橋に到着。 竹芝桟橋からは伊豆七島に船が出ている。 土産物屋をのぞいてくさやの干物があったので買う。 大学の頃友人が買って来て一緒に食べ、強烈な臭さと美味しかった記憶が蘇った。 友人の4.5畳の部屋で電熱器で焼いたので、一週間は臭いが取れなかった。 凄く臭かったが美味しかった思い出があるので新島屋のものを買い込む。 今夜は長男のアパートに転がり込む予定。 携帯電話を入れ東京駅で会うことにした。 5時半頃出会って丸の内口のビルで肉料理をご馳走になった。 カプセルホテルの風呂に入り1週間ぶりにゆっくり湯につかる。 小笠原ではシャワーのみであった。アパートで早く嫁をもらえと小言を言っておいた。 私が死ぬ時は孫が15歳位になるように予定を組んでくれと言い置いた。 |
| 11月28日(金曜日) 朝8時に長男と一緒に出る。私は”くさやの干物”を発送するため郵便局に寄る。 今日は大学のプレクラス会である。13時に大船駅に集合して鎌倉散策しようという計画である。 ジモピーの林さんが資料を作り7名を案内してくれる。 同じジモピーの高嶋さんは車で皆の荷物を預かってくれ、先回りして面倒みてくれた。 北条氏や足利氏のゆかりの寺など廻る。紅葉が最高潮であった。 鎌倉の大仏も始めての見物だった。大仏さんの内部に入れるようになっていたので入る。 内部は鋳造したごつごつ感が見れて、外部から見るより遥かに迫力があった。 宿泊は江ノ島の中にある「岩本楼」であった。 |
| 11月29日(土曜日) 朝9時に江ノ島を出発し箱根に向う。 紅葉シーズンなので箱根への道はラッシュになるそうなので早く行くことにしたのだった。 今朝は雲が多く富士山は望めない。 湘南海岸、茅ヶ崎海岸にはサーフィンの人達がゴミのように浮いていた。 さすが東京をバックにした遊び場は人々であふれている。 箱根湯本駅で金時山(1200m)に登る連中と、芦ノ湖巡りをする連中とに別れる。 私は芦ノ湖巡りで、箱根登山鉄道で強羅駅に行く。紅葉が赤く緑に映えて美しい。 ロープウエイで大涌谷まで上がり黒たまご(温泉たまご)を食べる。 芦ノ湖では海賊船に乗り、芦ノ湖を渡る。箱根の関所を見学。 夜はクラス会。夫婦連れも含めて25名参加あり、60才過ぎてからは2年おきに開催されている。 皆さんの近況報告では現役バリバリが20%程度。週3日程度の勤め人が50%、完全リタイヤ組が30%くらいであった。 パラをやったり、ホストファミリーやったり、今日は父島帰りであったので、皆さんから活動的だな!等と羨ましがられた。 次回は岩手県の紅葉時期にやるという事なので、紅葉前線を追って 北海道から南に下ってホームレスの旅をしようかなぁ〜・・・・。 |