2015年 9月10月入院日記   
  9月28日(月)入院
アキレス腱断裂で10時半入院。
昨夜あれこれ準備したらボストンバック一杯になった。
嫁さんが運転して、入院棟の駐車場にいれる。
松葉杖で入院棟の半分の距離歩くも疲れて一休み。
思いのほか松葉杖はしんどいものだ。

ベット、身の周り機器、病室の規則など説明受ける。
午後からは血液検査。
糖尿病などの持病、バッチリ検査される。
飲んでいる薬など提出する。
夕食にバラ寿司が出たのには驚いた。
最近の病院食は様変わりしているのだと・・・
夕食のみはAコースBコースと選べるようになっていた。
ところが私はカロリー制限と減塩コースなので選べない。
 9月29日(火)手術
売店は7時から開いているというので、朝食を済ませて
車椅子で隣の外来棟6階へ行く。
職員さんの出勤時間と重なった。
「おはようございます。おはようございます。」と出会う人全てに
挨拶を交わしている。
患者の私にも全ての人が挨拶をしてくれた。
朝から清清しい気分になる。

手術開始時間は16時と決まった。
保水液とかで500mlほど少し塩味の液体を飲まされる。
昼から手の甲の静脈に手術の為の点滴を打つ。
嫁さん15時に来てくれたが、別に準備するほどの事もない。
他の手術が入ってきたか?長引いているようで
手術時間は遅れるようだ。
17時ごろ手術は済んでいるだろうと田原さんが見舞いに来てくれた。
17時半になってようやく手術室へ。
カーキ色の手術着の看護師さんへバトンタッチ。
手術室は大きなステンレス製の扉だった。
ステンレス製の扉と言えば、広島市の高天原に付いていたなあ・・・
大きなモニター画面やら、計測機器が並んでいる前に質素な手術台がある。
自分の名前と生年月日を言わされ、リストバンドに書かれている事と同じかチェック。
更に私の手術着の襟元に「右」のプレートが付けられた。
私の右足はギブスが付いているので間違いないようなのだが
ヒューマンエラーを防ぐ為、何重にもチェックを入れるのだろう。
点滴の輸液に抗生剤を加える。
手術台に乗って手術着も脱がされ、パンツ一つになる。
タオルケットを被せて呉れたのだが、暖かくしてあったのには驚いた。
ここまで「患者様」の事を考えている社会になったのか!
昔はお医者様の言うことは絶対で、患者は黙って従うものだった。
セカンドオピニオンも常識になり、カルテも患者の前で日本語で
コンピューターに入力する時代になった。
病院で様付けで呼び出すのも、口先だけでなく根本から
変えようとしているのかと感心する。
そんな思いに耽っていると、執刀医の田中先生が「下半身麻酔をするので
しっかり丸まりましょう。丸くなればなるほどいいですよ」と言われる。
若い頃、脊柱注射は太い針で痛いのだと聞いた覚えがある。
出っ腹で苦しいのだが、一生懸命丸まる。
背骨を何度か撫でられ針をさす所を確認しているようだ。
チクリとしたが普通の注射針と同じようだ。
二人の男性の声で数字の相談する声が聞こえる。
少なくて切ったら痛かった!と言うのも困るが、多すぎて
下半身麻痺でした言うのも困るなど詰まらん事を想像。
「背中が熱くなりますよ」と言われそんな感じになってきた。
うつぶせになって手術態勢に入る。
麻酔はどれだけ効いているのかな?と左足指を動かそうとするのだが
ピクリとも動かない。
ホーキング博士のような障碍者もこんな思いに苦しんでいるのだろうなあ。
ギブスを外しているのだが痛さは感じられない。
後は痛くもかゆくもないのでうつらうつら。
時々看護師さんが気分を聞いてくれる。
「はい、終わりましたよ」と声をかけられ、自分のベットが手術室に
持ち込まれており、田中先生はじめ4人がかりでベッドに移動。
予定より1時間半も終了時間が過ぎているので、田中先生は
スタッフ達に早く仕舞う様に指示。
ご自分で私のベットを押して病室まで運んでくださった。
顔は厳ついが眼差しのやさしい先生だ。
嫁さんは1時間半ばかり田原さんと話し込んでいて、5分くらい前に
病室に戻っていたらしい。
田中先生は嫁さんに「報告するほどもなく、全て順調ですよ」と
家族をねぎらう挨拶をされて行かれた。

手術後2時間は飲食は厳禁だそうだ。
下半身は完全に麻痺したままだ。
そのまま眠りに付く。
夜0時ごろ腰が痛ただるく目が覚める。
左足の指を動かして見ると思い通りに動く。
背中が重い感じがする。
ベッドの手すりを掴んで寝返りを打つ。
右・左に寝返りを打ち30分もすると背中も腰も楽になった。
麻酔が効いて、5時間も微動だにしなかったので
背中にうっ血したのだろう。
普通ならば無意識にも寝返りを打っているだろうが・・・
意識の乏しい寝たきり老人が床ずれになりやすいのが実感できた。

夜中3時には手術後の痛みが最高潮でナースコールして
痛み止めのロキソニンを出して貰った。
何とか眠る事ができた。
 9月30日(水)
11時に男性の理学療法士が迎えに来てリハビリ室へ引かれていく。
手術の翌日からリハビリを行うのか・・
ギブスもはまっているのにいきなりアキレス腱の運動か?と
恐れたがそうではなかった。
まず、ギブスの先から足の指が出ているので、グーパーして動かす。
その事がポンプの役割を果たして足のうっ血を防ぐようだ。
アキレス腱も一緒に動きそうで痛いかな?と思ったが
連動はしてなかった。
理学療法士が手で補助しながら右足を動かした。
仰向け、横向き、うつ伏せの体勢での運動。

昼から嫁さんがあれこれ足りないものを持ってきてくれた。
夕方田原さんが来てくれた。
無理しないでと言ったのだが、新白島駅から此処まで3駅で
運賃も190円だと言っていた。

看護師さんが目まぐるしく変わる。
若い頃入院した事があったが、日勤の場合私の担当看護婦は決まっていた。
此処は毎日変わるので名前を覚える暇がない。
患者様にはソツなく丁寧でやさしい看護なのだが、何だか画一化されて
面白みがない。
パソコン持参でその場で看護記録を入力していく。
私の変わらない担当者はパソコンなのだ!

看護師の声掛け
看護内容についてはマニュアルがあって誰がやっても其れなりの
サービスが施されるようになっているようだ。
声掛けは人それぞれのパーソナリティーがある。
隣のベットに80歳くらいのじいさんがいた。
体も思うようにならない感じで看護を受けていた。
看護師が声掛けしてもワンテンポ遅れてつっけんどんな返事をする。
看護師も気を使ってやさしく声を掛けるのだが・・・
ところが老人ホームでよく聞く、赤ちゃん帰りをした老人への声掛けなのだ。
どんなに体が弱っても、ボケかかっていようとも老人向け声掛けは嫌なものだ。
私が聞いていても、自分に向けられたら腹立しく思うだろうなあ。
年寄りに向けての尊敬を込めての声掛けにして欲しいものだ。
面白かったのは前述のじいさん、看護師が変わって普通の患者に向けて
声掛けすると同じトーンで話すと、その看護師にはまともに受け答えしていた。

セクハラやパワハラが問題になるがどんな優しい声掛けでも年寄りに対する
尊敬の念がなければ”老ハラ”と言えるのでは・・・
私もそんな扱いを受けると怒り出すかも。
バスや電車で席を譲られた時の気分に似ているかな・・
若い看護師の、いきなりのタメ口も許せる場合とそうでない場合もある。

夜8時前に田中先生が状態を見に来られた。
昼1時過ぎまで診察、午後は手術、夜の回診と
毎日毎日が目の廻るような忙しさ!
社会的には立派な仕事なのだが、医者も相当に3Kな仕事である。
昔は尊敬と羨望の眼差しで見られたのだろうが、今はネットで
叩かれる存在でもある。
患者から感謝と尊敬がなければとてもやってられない職業になったものだ。
田中先生、本当にありがとうございます。
 10月1日(木)大雨
昼前に理学療法士が迎えに来た。
車椅子を押してくれる道中パラグライダーの
今日はいきなり足に錘を付けられた。
怪我をした右足は膝に、左足には足首に。
仰向けで足上げ10回。横向きで足上げ10回。
うつぶせで足上げ10回。
この課題を3セットやり切ることを告げられる。
一人で黙々とやるのだが、右足は膝に錘が付いているので
負荷は軽く15回づつやった。
左足は足首に錘が付いているので結構負荷があり、
10回目には足がプルプル震える。
ギブスが取れてからが大変そう。
アキレス腱が縮んでいるので、ヒールのある靴を履いて
少しづつ低くして行くそうである。
その時のアキレス腱を伸ばす訓練が痛そうである。
開腹手術で1週間、骨折でも2週間、アキレス腱は4週間で退院だそうだ。
それから長い訓練が待っているのだろう。
上半身は車椅子で肘掛を掴んで体を持ち上げる事を自主練している。

田原さんが話に来てくれ15時から18時までいろいろ話し込んだ。
田原さん自身も昨年長期療養で入院患者の気持ちは
痛いほど分かっているのだろう。
命に限りがあることを実感させられた人間ほど、
一日一日をどう過ごすか真剣なんだろう。
我がパラ人生もアグレッシブルに飛べるのはせいぜい75歳までだろう。
後3年半しか残ってないのに、その内の半年は飛べなくなった。
寿命の終わりも80歳を多くは超えられない筈だ。
残された時間はそんなに多くはないのが分かっていても
なかなか真剣な一日を過ごさないでいる。
死ぬ日が分からないので、安穏に生きては行けるのだが・・・
田原さんが後進たちの指導に意欲を燃やしているのも
自分の存在を長く記憶して貰うとうれしいのだと思う。
留学生のホアンやパッちゃんやスーちゃんが、少なくとも30年は私のことを
覚えてくれているだろうと思うだけでほんのり幸せな気分になれる。

今回の入院では皆さんに大きな迷惑をかけてしまった。
10月12日「市民能楽の集い」が喜多流の当番でいろいろお世話
しなければならないのに、段取りを狂わせて仕舞った。
11月末に行う中学校の同期会の役員会を招集する
立場であったのに大変な事に。
女子の役員さんは元気が良いので今回は女子部に
計画実施を全て任せようということにした。

夜9時の消灯時間を過ぎて、パッちゃんから電話。
電話室に移動して1時間ばかり話しこむ。
パッちゃんはよく電話をくれたが夏ごろからは
一週間に一度は「元気ですか?」と電話をくれる。
「おとうちゃん」・・・尊敬と愛情を込めて呼びかけてくれる。
最近はいたわりの感情も含まれてきた。
パッちゃんはIHI本社の人事部に就職し、社会的には高い立ち位置だし
一年半の実社会生活で相当に鍛えられてきている。
IQも高いはずなのだが、いまだに16歳の頃のままに慕ってくれる。
「お父さんと話していると、なんだか安心出来るんよ」と言ってくれる。
他人から同じ言葉を聞くより、信頼する人から聞くと
すんなり心に入ってくるということか・・・
新入社員1年間は残業禁止だった様だが、最近は自分ひとりで
やる仕事も増え夜10時ごろまでの残業も当たり前のようだ。
忙しい毎日の中「今、電車乗る前!」とか「今、寮に帰った!」とか
電話をくれる。
ヤッパ娘はいいなあ~
 10月2日(金)お見舞い
爆弾低気圧が通り過ぎて、晴れ模様になりおいしそうな綿雲もプカリ

午前中のリハビリは、10回やるところを20回頑張る。
理学療法士にパラの魅力をしゃべりまくる。
彼は実家が三次だというので、今度は芸備線スジから
帰って、神の倉を見てみましょうと言っていた。

昼食をしていると、買った弁当持参で田原さんが来てくれた。
昨日から妹さんがご母堂を連れて、九州の三ツ星列車乗車の二泊三日
観光に出かけているそうだ。
談話室に移動して、田原さんは飯を食いながら話す。
makuake」で探したお絵かきロボットキットを半額で買って
組み立て完了したものを見せてくれた。
会社の趣旨は自分のアイディアをネット上でプレゼンし
応援者を募るシステム。
何かやってみたい人が応援者を募ってお金を出して貰う。
応援者は世に先駆けたものをてに入れられる。
大企業の大量生産に対抗し、こんなものを作りたいという零細企業や
若者達が大勢出て来るのは日本にとって心強い事だ。
私も興味の湧くものがあれば応援して見ようかな?
この指とまれ!!のシステムを考えた奴は偉い!

ひょっこりプレジャークラブの斉藤さんが顔を出した。
病室に行ったが多分此処だろうと来たようだ。
早速パラ談義を始める。
暫くしてプレジャークラブの山本さんがパソコンを引っさげて
お見舞いに来てくれた。
暫く病室で待っていたのだが帰って来ないので探しに来たようだ。
パソコンを開いて、中野さんがアップしているプレジャークラブの
テイクオフの動画をチェック。
何がどう良いか、悪いか、を田原さんと一緒に解説。
松代玲子さんがお見舞いに来てくれた。
プレジャークラブの大先輩だと皆さんに紹介。
夫婦でパラをやっていたのだが10年位前に引退してしまった。
先日行った伐株山と阿蘇外輪山の兜岩で飛んだ動画を見てもらう。
中野さんと川口さんが敵の様にトップランを繰り返している。
雄大なロケーションの中で飛んでいるのである。
プレジャークラブの遠征が今月末なので、山本さんと斉藤さんには
イメージを膨らませるには丁度良かったかな?
あっという間の3時間であった。
 10月3日(土)
今朝から良い天気。
皆さん神の倉に飛びに行っているだろうなあ。

土日はリハビリ室は休日なので暇を持て余す。
車椅子の足掛けのビスがゆるんで落ちた。
ナースセンターに行ってドライバーがないか聞く。
ナースセンターにピンセットは有ってもドライバーはない。
看護師助士が来てどうしました?と聞いてきた。
車椅子を示してドライバーがないか尋ねる。
一緒に物置の部屋に行きドライバーを見つける。
ドライバーを受け取り自分でチェックし修理。
ビスを締め付けるだけなのにえらく感心してくれる。
「パンクも直したりも出来て?!」と言うので「空飛ぶおじさんは何でもできるよ」と
答えてやると「すげー」ときた。
「暇が出来たらYOUTUBE動画を見せてあげる」と言ったら暫くして尋ねてきた。
テレビ出演やら雲中に入る動画をみせたら「すげー」の連発。
71歳のじいさまが空を飛んでいるので感動したらしい。

昼過ぎ、今日も田原さんが訪問してくれた。
少し話していると竹井さんが談話室に入ってきた。
「声がしたのでこちらだと・・・」
田舎で栽培している湯がきピーナツを3人で
ポリポリ食べながらピーナツ談義。
パラ談義に移る前に竹井さんに電話。
奥さんの買い物が済んだらしい。
いつまでもやさしいアッシー君は帰っていった。
それから30分して中野一家が来てくれた。
山本さんが差し入れてくれた高級ぶどうを皆で頂く。
湖雪ちゃんはぶどうが大好きだったようでよかった。
阿蘇フライトのパラ談義で話が盛り上がる。
今月予定されている阿蘇遠征には中野一家は
仕事が忙しく行けないらしい。
先月行っておいしい思いが出来ていたので良かった。

今日も皆さんに来てもらって有り難かった。
 10月4日(日)
朝食を済ませ談話室に緑茶を汲みに行った。
左の腕を吊った人が自前のコーヒーを入れている。
暫く待って緑茶を入れる。
「最近は三角巾ではないのですね」と問いかける。
肩掛けかばんのでかいのを担いで、腕をそれに乗せている感じ。
肩の腱が切れて手術したそうだ。
肩に5~6ヶ所穴を開け内視鏡での手術ということだ。
2年前にも右肩の腱を2本切って手術したそうだ。
手術跡は小さくて目立たないと言っていた。
最近は内視鏡での手術がいろんな場面で採用されているのだ。
先月初め、半月板損傷(バケツ柄損傷)で手術の説明受けた時も
内視鏡手術でやるということだった。
パラを休む事になるので手術は先延ばしにしたのだが今回の怪我にあった。
両肩の腱を切ったのには何か原因があるのですかと尋ねる。
一瞬で切ったのでなく、だんだんに切れていって痛くなったそうだ。
どうもゴルフのやりすぎのようだ。
お歳を聞くと私と同い年だった。
同年齢と分かると急接近できるというものだ。
パラグライダーの魅力など30分に渡ってしゃべりまくる。
興味深く聞いてもらい、面白い話をありがとうと言ってもらった。

昼前に河原一家が来てくれた。
夫婦共にフライヤーなのでパラ談義には事欠かない。
河原さんは私の2番めのパソコン師匠である。
彼が独身時代には、家に寄ってもらって夕食を食べながら
パソコンのことを教えてもらった。
ボケかかった頭では何度も同じ質問しても嫌がらずに教えてもらえる。
同好の士だからこそである。
息子や部下に何度も同じ事を聞くと「ヘルプ!ヘルプ!」と言われるだけである。
ヘルプに書かれているカタカナや内容が分かれば聞くもんかい!
北海道の結婚式に駆けつけた仲(奥さんが北海道出身)なので
子供(幸多ちゃん)を我が家にも連れて来てくれた。
幸多も私になついて「じーじ、じーじ」と言ってくれた。
ここ数年は我が家でマージャンなどもする。
幸多とも「ウノ」やトランプ遊びもする。
幸多はトランプの神経衰弱を得意としていて、私のボケかかった頭では
到底かなわない。
擬似じーじ・ばーばの家族団らんである。
幸多は今年ピカピカの1年生なので「学校の勉強で何が好き?」と
聞くと「理科、科学」と答えた。
ふむふむ、パパ似だわい。
12時半になったので配られた食事を引かされると大変なのでベッドに戻る。
どんな食事なのか?と3人揃って見物。
糖尿病食事なので(1日1440Kcal、6g減塩)寂しい限りだ。
幸多はベッドの枕や布団を綺麗に並べてくれた。
年寄りや弱いものを労わろうという気持ちが芽生えている!!
両親は驚きと嬉しさの気持ちで見つめていた。

幼児の頃の幸多(神の倉テイクオフにて)

夕方、嫁さんが爪楊枝と裁縫道具を持ってきてくれた。
肝心の運動靴を忘れてきた。
運動靴に装具をつけ(ハイヒールにして)徐々にアキレス腱を
伸ばす訓練に2週目以降に入る。
暫くして妹一家が来た。
妹は2000年頃から訪問介護士をやっていて現在センター長を
仰せつかっている。
2週間休み無しでやることが多く、へとへとだと言っていた。
工場とは違って仕事の相手は人、働いてもらうのも人。
介護士のなり手が無い中で、自分で空いたところを埋めないといけない。
心の休まる間もないほど、精神的にハードな仕事をこなしている。
利用者も、モンスターも居ればボケかかって対応の難しい人も居る。
今後老人が益々増えてくるので、今のような訪問介護は
受けられなくなるだろうと言っていた。
子供達に負担をかけまいとする老人達の行き場は狭くなるのだろうなあ。
「ええがに、頼むでぇ」と言ったら「親戚、親しい友人は直接見ることは
出来ん決まりになっている」と言われた。
なんとか、ピンコロで逝きたいものだと痛感。
 10月5日(月)
7時過ぎ朝食が出る。
お盆に食券が乗っていて、私の名前と糖尿1440減6gと記入してある。
一日1440Kcalなのでご飯も少ない。
昔の牢屋の「もっそう飯」ではないが、少ないので一粒残らず食べている。
味噌汁の汁茶碗に残った葱のかけらも残さず食べる。
売店があるのでお菓子でも弁当でも買えば済むのだが・・・
退院までに3Kgは体重を落とそうと誓いを立てたので頑張る心算。

平日スクールフライヤーのメンバー吉岡さん、石井さん、宍戸さん、斉藤さんが
スクールを済ませ15時過ぎにお見舞いに来てくれた。
例によって、談話室に集まってパラ談義。
昨日のフライトで川口さんは雲底近くまで行ったようだ。
斉藤さんはサーマルでグイグイ持ち上げられ、廻さないのに
海抜950mまで上がってしまったようだ。
対地速度は5Km/h前後なのに4m/Secで上がっている所や
3m/Secで下がっている所もある。
垂直上昇、垂直降下に近いので、誘導者も怖かっただろうなあ。
本人はバリオを持ってないので気が付いただろうか?
川口さんにはメールでフライトデータ送れと云ったらGPS持ってないとの事。
フライトログを書き送ってくれと頼んだ。

今月末には九州遠征の予定なので、伐株山と兜岩のフライト動画を見せる。
トップランやり放題の中野さんと川口さんのトップランしまくりの映像や
雄大な両エリアの雰囲気を見てもらう。
随分前から遠征は心待ちにしていたので、練習生の夢は膨らむ一方だろう。
皆さんとカシミールデータお検討して居ると、昨日パラの話をした
入院患者のIさんが後ろで聞いていた。
今夜動画をお見せしましょうと約束。

夕食後談話室で、IさんにYUOUTUBEの動画を見てもらう。
同じ71歳なので私のアクティブさには感心して貰った。
 10月6日(火)
今朝も秋晴れでよい天気だ。
毎食事直前に飲む薬(グルファスト錠)をちゃんと飲んだか
毎食事毎に看護師さんがチェックし、表に判子を押していく。
忘れて食中や食後になると言うとだめですよ!としかられる。
必ず食直前でないといけない薬らしい。
食間などに飲むと低血糖を起こすのかな?

11時にリハビリ室に行く。
今日から足につける錘は3Kgになった。
足の衰えを防ぐ運動は左右10回づつ3セットなのだが、
錘が2Kgの時は20回出来たが3Kgだと15回までだ。
うっすら汗がにじんで、結構良い運動になる。

今日も午後は田原さんが来てくれた。
日曜日と月曜日の練習生達のフライトを聞く。
パラ談義をして居ると、中学校の親友清水さんが見舞いに来てくれた。
昼時間に同期会の役員会が西区民文化センターで行われ
その報告に来てくれたのだった。
同期会役員会の男子は11名中5名が鬼籍の人となってしまった。
3名は大病を患っている。
清水さんもその一人で、胸を切る大手術で今春に退院したばかりだ。
女子役員は1名が鬼籍に入ったが、残りは大小病気持ちながら元気だ。
今回の同期会からは女子部に全て任せてお願いする事にした。
 10月7日(水)
今日も秋晴れの良い天気だ。
リハビリ室に体重計が置いてある。
二つ並べて乗り、悪い方の足に徐々に体重をかけて行く
訓練に使っている。
早めに行ったので、体重計を引っ張り出して乗ってみる。
家で風呂上りに測ったのが62Kg,現在59,5Kgだ。
10日で2,5Kg減量になった。
1440Kcalの糖尿病食事と一切間食を絶ったお陰だろう。
歩行訓練が始まればもう少し減量できるかな?

今日も昼から田原さんが見舞いに(話しに)来てくれた。
無理しないでと言うのだが、新白島駅から三つ目で近いし
散歩がてらに来ていると行ってくれる。
今日もパラ談義や 「makuake」の話などで3時間ばかり・・・
嫁さんが血糖値測定器と新聞を持ってきてくれた。
 10月8日(木)
今朝方腹が減って目が覚める。
低血糖に落ちいった時、ネットで調べたら初期は
空腹感があると書いてあったのが気になっていた。
昨日もって来て貰った機器で血糖値を測ってみた。
113mg/dl・・・・なあんだ糖尿病だ!
年齢別血糖値

8時15分から総回診。
看護師が来てベッド廻りのカーテンを開け放して準備万端。
先に主治医の田中先生が見えられて様子を聞かれ、
今後の治療方針を話される。
家に帰ってもリハビリを怠けるのでベッドが空いてれば
目一杯置いてくださいと頼み込む。
「退院したら歩く事くらいなので病院も変わりませんよ」と釘を刺された。
「白い巨塔」の総回診そのままに主任部長の月坂先生を筆頭に
若い先生たちがぞろぞろ付いて廻る。
入院する一ヶ月くらい前に半月板損傷で月坂先生に診て貰ったのだが
騙しだまし使おうと手術を先延ばしにした。
手術していれば今回の事故はありえなかったのだが・・・
月坂先生に「逃げたので罰があたりました」と言ったら笑っておられた。

8時45分リハビリ室に行く。
先日から仲良しになった同い年の患者さん(石橋さん)と出会う。
「リハビリが終わったら、海外の凄いパラのYOUTUBEを見せますよ」と
後ほど談話室で会う約束をした。
談話室でパラのアクロバットやクラッシュの場面を見てもらう。
人は怖いもの見たさがあるもので驚嘆してみてもらったが、
危ない事をやっているおやじだと思われたに違いない。

昼から竹井さん、平萬さん、小田さんが時間を置いて来てくださった。
70歳前後が集まると我が身の病気について自慢話?で盛り上がる。
平萬さんは昨年の土砂災害からボランティアに目覚め、今でも
引越しの手伝いなど息の長い活動をしておられる。
普通は報道などで矢も盾も堪らず一時の興奮でボランティアを始めるのだが
年間を通して地道に続けておられる事には頭が下がる。
先日社長に「こんなに沢山給料取らずに社員に分けてあげなさい」と
具申したので、もう出社しなくて良くなるだろうと言ってておられた。
労金ならば兵器産業や原発産業に貸し出しはしないだろうからと
預金は労金に移し変えるのだとも・・・
徹底した人生の軌道修正みたいだ。
若い頃はバリバリの営業マンで、今考えればスレスレのことも
平気でやったらしいのだが・・

小田さんは、父親が94歳で脳梗塞で倒れられた。
母親はぼちぼち認知症が現れ始めた。
父親のMRIでは脳は殆ど働いてはおらず治る見込みはない。
何の反応もなく、点滴のチューブに繋がれたままなのだ。
点滴では栄養が足らないので、胃ろうしますかと医師から聞かれたそうだ。
名古屋大学の藤田先生の報告も読み・・
小田さんは自分としては胃ろうは諦めざるを得ないが、
親戚の皆にも聞いてみますと答えたようだ。
自分ならどうして欲しいか考えればおのずと答は出るように思うのだが・・・
親子ですから大きく考えが違わないと思います・・・
なかなか悩ましい問題です。
子供達にあれこれ心配させない為にも、元気なうちに終末ノートを
完成させねばならないと言う結論にはなったのだが・・・
自分も2年前に終末ノートを買ったのだが、一文字も書き込めないで居る。
死を受け入れたくないと言う本能が邪魔するのであろうか・・・
 10月9日(金)
リハビリ室から帰ってパソコンをつついていると、石橋さんが
今日退院ですと挨拶に来られた。
同い年で話があったのに、お別れは寂しいが引き止める訳にもいかない。

最近元気になった所為か、看護師さんが皆美人に見えてきた。
もっとも皆さんマスクをかけているので、涼かな目とくっきり引いた眉しか見えないので
アラブの美人さんと同じなのだが・・・
マスクの中から若く優しい声が聞こえると楽しくなる。
只、点滴の脱着のとき薄いプラスチック手袋を嵌めての作業なのだ。
柔らかい素手で触って欲しいのだが・・・
プラスチック手袋は病室にもトイレにもナースセンターにも
SとMの2種類が大量においてある。
ティッシュの箱と同じで一枚一枚取り出せるようにしてあり、1箱に100枚入っている。
看護師さんへの感染を防ぐ為の処置は徹底していると見える。
今朝は血圧を測るのに脈も取ってもらった。(当然素手ですよ)

昼からプレジャークラブの吉岡さんが見えられた。
吉岡さんのパソコンに田原さんから貰ったカシミールのソフトや
地図ソフトをインストール。
カシミールがうまく立ち上がってこない。
吉岡さんは以前ネットでインストールしたことがあるらしい。
お助けマンの田原さんの出動を願う。
吉岡さんが現場を見ていた最近の斉藤さんのフライトデータで
あれこれ解析して見る。
ひょいと思い立って、吉岡さんのカシミールをもう一度
アンインストールしてもう一回インストールしている時に田原さん登場。
3人でカシミール談義。
すると珍しい人が談話室に入ってきた。
吉岡さんも津島さんもお互い名前を呼び合った。
津島さんは15年前にB級生として飛んでいたのである。
吉岡さんの記憶力には脱帽!
昔の神の倉のパラ談義。
吉岡さんが先に帰られたので、こちらが初代パソコン師匠、
こちらが現代のパソコン師匠と互いを紹介。
二人のパソコン談義にはとても着いては行けない。
現代の社会現象についてあれこれ話が盛り上がる。
18時ごろ夕食が出るのでここらで解散した。

午前中はリハビリtとインターネットのチェックそしてHP書き込み。
午後は、手術が終わって毎日の様に皆さんお見舞いに来てくださる。
パラ関係者が殆どだ。
パラをやっていて本当に幸せを貰っている。
パソコン・インターネットの世界に誘ってくれたのはパラ関係者。
国内、海外のフライト旅行も出来た。
我が中・後半の人生を豊かなものにしてくれたと心からそう思う。
 10月10日(土)
神の倉では今日から平和カップ大会だ。
ところが朝からドン曇!
昨日までは秋空だったのに・・・
何とか大会が成立する事を願うばかりだ。

今日からリハビリは3日間休みだ。
午前中は、妻が差し入れてくれた新聞や文芸春秋を読んで過ごす。
直ぐに昼食となった。
入院していると、時間は飛ぶように過ぎていく!

今日も午後から田原さんが来てくれた。
レーザーカッターを香港に注文したそうだ。
レーザーカッターと言っても、ハイパワーな工業用でなく
せいぜいウレタンフォームがが切れる程度の物。
革製品や木材や樹脂板などに焼き焦げして、
絵や文字が描けるそうだ。
田原さんは製作よりも、機械を動かすプログラミングの方に
興味があるので思索する楽しみがあるのだろう。
私などは用意された絵のプログラムで製作したら終わりで
買ってもすぐに飽きてしまうだろう。
機械が到着したら、私の財布などの持ち物に名前を入れてもらおう。

田原さんと話が盛り上がっていると、夕方甲斐さんが見舞いに来てくれた。
東京からわざわざ!としたい所だが、明日からの平和カップの
競技にエントリーしているそうだ。
花束をお見舞いに貰った。
女性から花束を貰うなんて生まれて初めて?の事だ。
病院に花束を持ち込んでよいかどうか確認したそうだ。
田原さんの広大病院は不可だったようだ。
夕食時間が迫って長くは話せなかったが、明日はがんばれ!

 

入院二週間目
妻の先回った気遣いや、見舞い客の温かい心に幸せを感じている。
花束を貰ったのだが、花に心癒されている自分に驚いている。
今まで突っ張って生きて来た所為で気付かなかった事が、
入院で自分が弱者の立場になって初めて気付かされる。

 10月11日(日)
今朝もドン曇。
今日から平和カップでパラ競技が始まる。
7時前には柳田さんがボンゴを引き取りに来たそうだ。
愛車のボンゴフレンディーは私の変わりに活躍してくれるはずだ。

見舞い客も一巡しリビリもないので暇が出来た。
今日は読書三昧にしようか・・・
津島さんから貰ったDVDを読み始めるも、パソコン画面を
注視すると30分も持たない。
今回で4度目なのだが、司馬遼太郎のエッセイ集「春灯雑記」
”心と体”(朝日新聞社出版)を読んだ。
臓器移植について東北大医学部同窓会総会で講演をしたもの。
日本人の死生観、宗教観について歴史的にも考察してあり
司馬遼太郎自身の観念も述べられている。
初めて読んだ時は、今まで生きて来て何かもやもやしていた霧が、
一瞬に晴れた気分だった。
死生観・宗教観が自分は他の人とは違っているのかな?と思っていた。
司馬遼太郎の感ずる所が私にぴったりと嵌りました。
謡の仲間の坊さんに読んでもらったら、いろいろブログに書かれていた。
司馬遼太郎「心と体」と検索すると過去のブログが先頭に出てきた。
”心と体”に「寺が、死霊たちの管理をするようになったのです。
驚天動地の変化でありました」
この部分には、私に異を唱えられましたが(笑)
 10月12日(月)
今日は「市民能楽の集い」だ。
昨年と今年は喜多流の当番なのだが、私の役割も有ったのだが
この状態で皆さんにはご迷惑をかけてしまった。
謡の仲間で久保田さんのお孫さん「天空(そら)君5歳」を半年前から
「市民能楽の集い」に出演させるべく泉原さん中心に稽古をしていた。
毎週、我々の練習時間30分前にお稽古する。
我々が舐める「のど飴」を食べるのが楽しみだった天空(そら)君だったが
飴が口に有る間はお稽古にならないので、私が毎週グミを買って行くことにした。
毎週休まずに来てくれていて、グミも楽しみにしてくれていたようだ。
昨日の舞台稽古では、「おじいちゃんの後見はいらん。一人でやる」と
言ってくれたようでした。
本日の舞台は「鞍馬天狗」独吟で、扇の所作、謡の文言など
間違えることもなく立派に務めたようです。
謡の会は若い人が少なく、5歳の子が出演してくれて、会場の年寄りどもは
ヤンヤ・ヤンヤの拍手が鳴り響いたそうです。
電話でその報告を聞いて涙が出てきた。

今日はパラの平和カップ最終戦なのだが10mを超える風では
如何ともし難く、昨日の成績で順位を決めたそうだ。
オープン戦は昨日も飛べず、本日靴飛ばしターゲット狙いにしたそうだ。

午後山歩きの仲間だった岡本婦人と津田さんが見舞いに来てくれた。
岡本さんは中学校の10年先輩で今は寝たきり状態で
デイサービスのお世話になっている。
屋久島、霧島、石鎚山、剣山,白山、立山、富士山などを
車を飛ばして登りに行ったものだ。
嫁さんも同期会で出した案内書のあて先不明封筒や着替えなどを持ってきてくれ、
一緒に当時を懐かしむ。

平和カップが早く終わったので、中野一家がお見舞いに来てくれた。
岡本さんが持ってきてくれた柏餅をおいしそうに食べてくれた。
私は糖尿病で厳しく監視されているので、良かった良かった。

パラグライダーの斉藤さんと岩佐さんがお見舞いに来てくれた。
私のHPからいろいろ見てもらった。
こんなお礼メールを貰った。
『 たくさんお話や写真・動画を見せていただいて、とーっても楽しかったです(*^^*)
フランスのフライト、エベレストの旅行、4/6の大爆発、そしてテレビ出演の数々!
ご本人からの解説付きで見させていただけるなんて、このうえない贅沢な時間でした(*^^*) 』
一持間ばかり話していると、津島さんがバイクの繋ぎ服(カワサキネーム入り)に
リュックサックを背負って颯爽と登場。
女性二人が居たので、津島さんの本領発揮。
二人をコロコロ笑わせながら一時間。
リュックサックの中身は浦澤直樹×手塚治虫の「プルートウ」の漫画
9冊であった。
5Kg以上の重さで、よくもわざわざ持参してくれたものだ。
彼は熱く語って居たので、しっかりと読み込むことにしよう。
彼女達も楽しい時間が過ごせたようで良かった。
 10月13日(火)
朝一、リハビリの階に移りますとの事で荷物をまとめて1階下に引越し。
処置室に呼ばれ、ギブスを取る事になった。
田中先生がドリルのような機械に軸付きの円盤状の工具を
取り付け、スイッチを入れるとガーという音がした。
円盤をギブスに当てるとバリバリと切れて行く音がする。
足を切らないのか心配になる。
両側面を切り終わりパカッと外すと、少し痩せ皺もぐれの足が見えた。
何故足が切れないのか、田中先生に聞くと「この円盤は回転しているのでなく
振動で切っているので、皮膚に強く当たったにしても赤くなる程度です」との事。
振動か!どうりで大きな音がしたはずだ。
うつ伏せになり、看護師さんが足を拭いてくれ先生が傷口にフィルムを貼った。
「はい、今日から少しずつリハビリをしましょう」と言うことで病室に帰る。
病室でつくづく傷口を眺める。
12cmくらいのメス跡に14針縫ってあった。
透明なフィルムなので良く見える。
手術後に、このフィルムを貼り2週間もそのままで、蒸れもせず
ばい菌に感染しないなんて凄いフィルムだ!
ふくらはぎも柔らかくなり、細くなったようだ。
アキレス腱は縮んだままで、足首は上向きにならない。
老人が(俺も?)が骨折をきっかけに寝たきりになる筈だ。
アキレス腱が伸びるように頑張ろう。

   

昼前にリハビリ室に行く。
足首を目一杯起こして角度を測る。
水平に立てれば90度だが、いまは75度だそうだ。
こわばってしまった足の指や足の甲を揉んでくれる。
ゴムベルトを足先に引っ掛け足首の運動。
続いて、自分の運動靴に装具をつけたもので歩行練習。
体重はかけないで平行棒の間を体重を支えながら歩く。
装具になれて、将来松葉杖でしっかり歩ける様にである。
装具の足に体重をかけないで速足で移動したろ止められた。

昼から同期会の清水さんが宛名不明で帰ってきた封筒の処理や
前回の同期会の書類を参考に持参して呉れた。
病室に田中先生が来られ、清水さんが見ている前で傷口のチェック。
午前中リハビリに頑張った所為か、縫い目から少し血が出ていた。
「無理をしちゃあいけん。私の作品を壊さんで欲しい」と冗談を交え忠告。
(夕方、理学療法士が自主訓練はしないように注意を与えに来た。
 恐らく、田中先生に血が出るほどするなと注意を受けたのかな?
 可愛そうな事をしたようだ。頑張り過ぎないようにしないと・・)

昔、私が主催し同期生を3人集め、津島さんを先生に呼んで
JWキャドの講習会を1度だけやった事がある。
清水さんはその後、独学で何とか仕事に役立てる事が出来るようになった。
今日は田原さんが来てくれるというので、清水さんが疑問に思っている事の
解決方法を見て欲しいと頼んでいた。
田原さんはJWの本を買ったりネットで調べたりで全くの独学で
JWキャドを使えるようになったそうだ。
仕事でもなく、全く趣味に生かすだけの為に・・・凄いなあ~
私などは説明書にカタカナが出てくるともうお手上げで
ちょっと調べようとすると又カタカナが出てくる・・・
清水さんは3年くらい前から疑問があったのだが、田原さんに解決して貰った。
清水さんが帰って田原さんと話していると小田さんが来てくれた。
3人でパラ談義で17時半まで話し込む。

 10月14日(水)
リハビリは今日から午前、午後の2回になった。
3Kgの錘を付けての運動は、理解できたので自主練習。
次は理学療法士が足を揉んでくれる。
未だ足はパンパンに腫れており、足指も強張っている。
足先を反らせ、アキレス腱を少しずつ伸ばしていく。
ウォーキングシューズに装具を取り付け、平行棒の中で歩行練習。
ところが痛くて歩けない。
ウォーキングシューズが新しいので、踵の部分がアキレス腱に食い込む。
夕べ痛くて寝れなかったのはこの所為だろう。
靴を取り替えるまで歩行練習は中止にして貰った。

午後嫁さんが、同期会の出欠ハガキや下着の替え等持っていてくれた。
病室で話をしていると、謡の仲間で法正寺の泉原さんがお見舞いに来てくださった。
談話室に移動し、10月12日に行われた「市民能楽の集い」の報告して下さった。
天空君が一人で立派に舞台を務めた事を改めてお聞きした。
我が社中の若手グループが、女子部のベテランさんの仕舞の地謡を務めたのだが
福山の大島衣恵先生に大層褒められた事を聞いた。
私の高校の同級生の松村和子さんの出来を聞いたら、他流の上手の人々の中に
彼女の名前も挙がっていたようだった。
刑務所の謡の稽古では、2年やっていた人が出所したら残った人が
ちゃんと声が出るようになったとの事だった。
頼る人が居なくなればそれなりに自覚も出てきて謡えるようになるものだと感心する。
一時間ばかり話をして帰られる。
毎日お見舞いに来てくださる人がある。
弱者になって初めて皆さんの優しい心が沁みて来る。
 10月15日(木)
リハビリで装具を付けるウォーキングシューズが痛くてかなわない。
病院の売店に行くとスリッパのような病人用の靴を売っていた。
軽くてウレタンフォーム製の靴なのでアキレス腱を押さえないだろう。
コレコレと買い求める。1800円也。
装具をつけてもバッチリで足首も痛くない。
いつもの3Kgの錘をつけての足腰の鍛錬。
強張った足首や指の腱のマッサージ、そして平行棒での歩行訓練。
装具の調子も良く、自立して2割くらいは右足に体重を乗せられる。

   
  装具、5mmの厚さで剥ぎ取れる     柔らかな素材の病人用靴         7cmのハイヒール(1円玉で測る)

昨晩、パソコンにアップデートの画面が出てダウンロード作業が
終わったので電源を切った。
今朝ほど電源オンのスイッチを押すと「Windouwsの構成の準備をしていますので、
電源を切らないでください」と画面に出た。
それっきり固まったようで、カーソルも使えず画面は動かしようがない。
電源切るなと言う事だし、やりようが付かないなあと思案投げ首。
「困った時の田原頼み(神頼み)」で緊急出動をお願いすると
快く応じてもらった。
私のモバイルWi_fiルーターの契約が最低金額なので大きなデーターの
やり取りは無理だとの事。
電源ぶち切って、ウィンドウズの自動アップデートを手動に切り替え。
これで画面は固まることなく作動。
自宅に帰ったら自動更新に戻して置かないと・・・

13時半、午後のリハビリから帰ると竹井さんが来てくれていた。
1時間ばかりパラ談義。
15時過ぎプレジャークラブの山本さんがパソコン片手にお見舞いに・・・
カシミールでフライトデータを開いて分析。
ランディングがなかなか一定しないのは何故かを二人で探る。
2時間ばかりパラ談義。

リハビリで移ってきた5Fは、整形外科と内科の患者が混在して居る。
内科の患者は重病の様で、整形外科は退院間近の人ばかり。
看護師が手を取られる度合いを平準化して居るのだろう。
夕方から若い医師や看護師が走り回っている。
消灯前の時間に一人亡くなられた様子。
ナースセンターで業務連絡をしているのを小耳の挟む。

 10月16日(金)
朝6時過ぎ談話室にお茶を汲みに行く。
女性が泣きながら「さっき亡くなったんよ」と話していた。
昨夜二人も亡くなったんだ!
6階は外科場借りのフロアーで考えなかったのだが、
此処は病院で人の生き・死にのある所だった。
人の死に際に立ち会う看護師もタフでないと勤まらないなあ・・
それにしても昨夜の夜勤の看護師は大変だったろうなあ。
お袋もこの病院で息を引き取ったのだった。

昨日13時からシャワー室の予約を取ってもらった。
リハビリも13時からだったのを忘れ、シャワーはキャンセル。
手術から2週間目のシャワーだったのに・・・
昨日17時半にシャワー室に連れて行ってもらった。
脱衣場で、自分でシャワーくらい浴びるというのだが、「ケンケンで移動するので
ダメです。足元が滑って転んだら私の責任です」と頑として動かない。
可愛い看護師さんの監視の下パンツを脱いで、シャワー室用の車椅子に乗り換える。
シャワーの元へ来たら開放してくれ自分で洗う。
体を拭いてバスタオルを腰に付け、呼び出しのボタンを押しても誰も来ない。
これ幸いと、自分で着替えてシャワー室の扉を開放して置いた。
病室に帰っても誰も確認には来なかった。
恐らく一人死にそうだったので私のブザーには気が付かなかったのだろう。

本日9時半に、昨日の看護師さんが「今開いてますが入られますか?」と
聞きに来てくれた。
昨日夜勤との引継ぎが上手くいかなかったので悪いと思ったのかな?
折角だからと、昨日と同じ手順で入れてもらう。
終了のボタンを押したら、別の看護師さんが直ぐに来てくれた。

13時リハビリ室へ。
足の筋力トレーニングは自主トレメニューなので早めに行って始める。
足は未だ象の足のように腫れている。
足指や足の甲の強張りをほぐすので揉んでくれる。
それがあまりに気持ちいいのでウトウトして寝てしまう。
松葉杖の訓練も始まった。
タイミングも掴んできたし、松葉杖と足の体重区分は50パーセント。
立ったら両足50パーセントくらいの体重区分。
歩けるかな?と言ったら理学療法士に叱られた。
田中先生の作品を壊したら二人で怒られだろうと笑いあった。

病室に帰って寝ていた。
同室の迫さんが、「いつもの見舞い客の人がエレベーターで降りていましたよ」と
教えてくれた。
多分田原さんだろう。慌てて電話を入れる。
今日は秋晴れで風も涼しいので自転車で40分かけて来たそうだ。
病室を覗いたら私が寝ていたので、30分ばかり談話室で休んで
もう一度病室を覗いたら寝ていたので帰ろうとしたらしい。
田原さんも生き・死にの病気で入院したので、入院患者の気持ちは
痛いほど分かっている。
入院患者と看護師のやり取りを経験を踏まえて可笑しく面白く話し合う。
入院患者は神経過敏になっており人の心の動きも直ぐに察知する。
生き・死にの長い闘病生活を経験した田原さんは毎日の様に
話に来てくれる。
心から有難いなあと思う。

 10月17日(土)
土日はリハビリはお休みである。
午前と午後に小一時間ずつあるので一日のプログラムの
ファクターにはなっている。
通常午前中に、昨日の出来事をこの日記に書き込んでいる。
午後は皆さんお見舞いに来てくださるので空けてある。
お見舞いも一巡したので、時間も有り余ってくる。
肩の凝らない司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を全巻持ってきているので
暇つぶしに読むことにしよう。

昼過ぎ、同期会のハガキや郵便局からの振込み報告を嫁さんが持ってきてくれた。
嫁さんの学生時代からの親友が、国立がん研究センターへ行かなくては
ならなくなり、本人からお別れめいた電話があったと泣いていた。
病名を聞いてネットで調べたら、どうも直る見込みのない癌のようだ。
彼女は90歳を超えた両親を抱え、地元では対処できない癌に罹ってしまった。
こんな状況で、ノコノコお見舞いに行く状況ではない。
手紙を書いて、落ち着いたら東京へお見舞いに行く由を書き送ったそうだ。

同期会のハガキを見ていると、2名の奥さんから泉下に居るとの連絡を貰った。
前回66歳時の中学校同期会は66名の参加者だった。
卒業生は300名で、前回の時点で男子28名、女子8名が鬼籍の人であった。
今回の同期会に何名参集してくれるだろうか・・・
同期のものが亡くなって行くのが一番こたえる。

15時過ぎ、田原さんが来てくれた。
今日はあまりに天気が良いので神の倉に飛びに行ったそうだ。
ベテランフライヤーが6~7名しか居なかったそうだ。
フライトも風が悪く荒谷山からなかなか出れず、テイクオフしても
皆さんぶっ飛んだだけだったそうだ。
神の倉から飛んだ人もあまり変わらない飛びだったようだ。
神の倉の帰りがけなので車で来たが、駐車場は土曜日なのでガラガラ。
17時過ぎまであれこれ話をして過ごす。

 10月18日(日)
看護師さんが朝10時にシャワー室を予約してくれた。
16日はシャワー室使用が立て込んでいたが、今日は空いている。
毎日でもOKのようなのだ。
嫁さんが持参してくれた同期会のハガキや振込み状況をチェック。
300名分ののチェック表を作って、他の役員さんにメールで知らせている。
10月25日を振込みの締切日にしているのだが、昨日時で振込み19名。
せめて前回くらいは参加して欲しいのだが・・・
11月4日に役員会を開くので這ってでも参加しなくては・・・

夕方、初代パソコン師匠の津島さんと奥さんがお見舞いに・・・
津島さんは仕事関係で知り合ったのだが、悪の道パラグライダーに彼を引き込んだ。
それから仲良くなり、手取り足取りパソコンの事を教えてもらった。
彼の家にも何度も遊びに行ったので奥さんとも親しくさせてもらった。
9月21日に切り株山でアキレス腱断裂し29日が手術だった。
8日も放って置いたの!と痛そうな顔の奥さん。
彼女は訪問介護士をして居るそうで、私がどんな状態か心配して見に来てくれたのか。
津島さんは未だ禁煙が果たせていないようなので、奥さんと二人で攻め立てる。
私は50歳の時、3回目の禁煙で止められた。
当時60本まで進んでしまい、オエーオエーと吐き気を催しながら吸っていた。
あまりにも浅ましい姿に気が付き、神・仏がええ加減にせえよ!との信号と思い至る。
今回は性根が入り、タバコを胸ポケットに入れたままチャレンジ。
失敗の時は、新しいタバコは水につけ吸えなくして決意!
しかし6時間後には、車の灰皿を漁っている体たらくであった。
タバコは一年早く止めれば、一年早い効果はあると聞いたことがある。
外来禁煙もきっかけになるとは思うが、本人が重大決意を持って臨むかどうかだ。
本人も止めたいとは思っているようなので、一刻も早く決断する事を願うばかりだ。

夜嫁さんが寄って、下着など持参。
広大留学生の母親がペルーから来たそうで、縮景園のことの演奏会に誘ったそうだ。
母親は綺麗な着物に興味を持ったそうだ。
肩の按摩器が大層気に入りお土産に買ったらしい。
今度我が家に呼んで、手巻き寿司をご馳走すると言っていた。

 10月19日(月)
土日が休みだったリハビリが月曜日再開。
土日は自分で足指、足の甲、足首、ふくらはぎ、アキレス腱を
見よう見まねで揉んで見た。
今朝は足指の腫れは引いて左足指と同じ太さになった。
内側のくるぶしは少し見えるようになったが、外側はまるで見えない。
松葉杖も上手に使えるので、理学療法士が付き添い病室まで歩く。
今週から松葉杖で歩く練習が本格化するのだろう。
未だ、装具のヒールの高さは低くして貰えない。
痛みのあるリハビリはしないのだろう。
もっと頑張りたいのだが、直ぐにダメ出しが来る。
可愛い看護師さんが気を使ってくれ、毎日10時にシャワー室の
予約を入れてくれていた。
これで朝9時にその日の予約をナースセンターに申し込まなくて済む。
看護師さんが持ち歩くコンピューターには、カルテもあり毎日の看護記録も
書き込んでいるので、毎日変わる看護師も患者の事は共有して居る。
カルテにはパラグライダーで怪我をしたと書いてあるので薬剤師や
カルテを読んだ看護師は皆さん私のことが記憶に残る。
最初の頃は皆さんに空を飛ぶのですかと聞かれた。
71歳で空を飛んでいるおじいさん(殆ど20歳代の看護師から見れば)なので
気になって親切にしてくれるのかな?

15時過ぎ今日も田原さんが来てくれた。
午前中はプレジャークラブのお手伝いをして、昼からは飛んだそうだ。
荒谷山から出て、半分くらいまで下がったが良いサーマルをヒットし
海抜1320mまであがったので白木山へ向けてクロカン出発。
なかなかガーンとは上がらず1000m前後で白木山山系を広島方面へ。
海抜1100mで鬼が城を離れ田口の上空で斉藤さんの家を撮影したそうだ。
斉藤さんも将来、きっと我が家の航空写真を撮ることだろう。
クロカンをするフライヤーはいつかは我が家の上空を飛ぶという夢がある。
JR矢口駅前のの河川敷に降ろして、JRで神の倉に帰ったそうだ。
秋晴れで遠くも見通せ、気持ちの良いフライトだったろうなあ。
早く復帰したのだが、半年待てとのお達しだ。トホホ・・・

消灯時間後の21時半頃電話がなる。
パッちゃんからだ。
電話室に移動してかけなおす。
「おとうちゃん」と電話口の向こうで優しく呼びかけてくれる。
いろいろ、とりとめもない話を小一時間する。
電話を切る時
「お父さんありがとう。お父さんと話して居ると心が安心するの。
そして頑張ろうという気持ちになれるの。ありがとうね」
パッちゃんは16歳の時のまま、私に信頼を寄せてくれる。
娘っていいなあ~

 10月20日(火)
昼一番のリハビリをやっていると、執刀医の田中先生が立ち寄られた。
松葉杖も一本になったので颯爽と?歩く姿を見てもらう。
装具のヒールを一枚ずつ取っていくように計画しましょうと言ってもらった。
この分だと、松葉杖なしで早めに歩けるようになるかも・・

病室に変えると直ぐにプレジャークラブの山本さんがやって来た。
少し話していると、同じく斉藤さんが現れた。
談話室に移り、18日(日)の3人でフライト分析をする
練習生やベテランが20名近くいる中で、山本さんは昼の先頭を切ってテイクオフ。
南小山の少し下がった所ででサーマルヒットし一応トップアウト。
ベテラン勢をバタバタと引き出したらしい。
メインランディングへは高度200mを残し、田んぼの上で高度処理し
最終高度処理をグランドゴルフ上空で2回振って素晴らしいランディング。
指導員が誰もいない方が本気でランディングアプローチを考えますとの感想。
斉藤さんは360度旋回3回の課題しか考えずサーマル無視のフライト。
それでもグランドサーマルが出ていてなかなか降ろせなかったそうだ。
田原さんの矢口まで飛んだ軌跡とDVDを見比べながらどう上げて行ったかを見る。
嫁さんが同期会のハガキなど持って来てくれ、一緒に30分くらい見る。

夕方田中先生が病室に寄られた。
毎朝夕、肩が痛いので看護師さんに湿布を貼って貰っていた。
看護師さんがそのことを伝え様子を見に来られたのだ。
「昼に会ったのに・・」と言われたので「そんなに酷い訳でもないものですから」と答える。
手を真っ直ぐ上に挙げても耳の後ろまでは行かない。
先生が手を添えて後ろに引くと「いててて・・・」と声を上げる。
「はい!50肩」とおっしゃる。
私が「うれしい~」と言うと怪訝な顔をされたので「71歳なのに50肩ですから」と答え
皆で大笑い。
リハビリのほうへ伝えておきましょうと言ってくださった。

 10月21日(水)
リハビリ室で足首の角度を測る。
真っ直ぐに立った時の角度が90度で、退院時の目標が90度。
最初測った時は75度でアキレス腱は縮んだまま。
今日測ると、82,5度で(あと7,5度で90度))大分改善して来た。
今日から50肩の治療。
腕を上げても耳の後ろに行かない。
肩には様々筋が有るので、いろんな方向から伸ばしながら揉んで行く。
痛いのだけれども、固まっている筋が解れていく様な気がする。
治療が終わって両手を挙げると、左右同じように耳の後ろに上がっている。
一年ばかり苦しんでいたのに一発だなんて・・・
50肩は退院までに完璧に治っていそうだ。

午後のリハビリから帰るエレベータ室で、高校時代のOさんに出会った。
歯科に診察に来たようで、待ち時間があるので30分ばかり話す。
皆実高校第14期卒業のUさんがSNSを立ち上げお互い交流を深めている。
Oさんもそのメンバーの一人なのだ。
Uさんは14期のHPも立ち上げている。
他の期も立ち上げている所もあるが、我が期のHPが美しいし充実している。
皆実高校第14期HP

 10月22日(木)
昨夜パソコンを開いていて、デスクトップの背景画の孫の写真を見て
「かわいい!お孫さんですか?」と言ってもらった。
私の自己紹介ですとテレビに出たYOUTUBEを見てもらう。
YOUTUBEの紹介
一番は我が家の16歳元服式を言いたかった。
看護師さんたちが母親になったとき、男の子をしっかり教育して欲しいなあ
という思いで見せたのであるが。
当然パラの映像も見てもらっている。
「すごーい!」と反応は上々。
興味の深そうな看護師さんには名詞を渡してメールくれるように頼む。
メールを呉れればプレジャークラブの体験会の動画など紹介するつもりでいる。
残念ながら未だメールは来ていない。
名詞がなくなりそうなので、嫁さんに10枚ばかり持って来る様頼んだ。

2週間おきに総回診がある。
月坂先生を先頭に若い先生や看護師たちがぞろぞろくっ付いての行列。
私の傷口とアキレス腱を触り、「動かして見て」と言われるので精一杯動かす。
「3週間ね?」と後ろの若い先生に確認している。
私の担当の理学療法士もくっ付いてきているので頑張った。
他の理学療法士は付いてきてないので、リハビリ室で彼は一番偉いのだろう。
総回診が終わったので、ボチボチリハビリ室へ行こうと、
一本松葉杖で歩いていく。
2階エレベーター室で月坂先生にお会いしたので、「ヒールが高いので膝が逆反り気味で
膝の関節でクリック音がしています。この怪我をする3週間前に先生に診ては貰ったのですが
アキレス腱が治ったら診てもらいに行ってもよいですか?」と問いかけた。
”診ては貰った”に怪訝な顔をされたので、「あの~パラグライダーで怪我した・・・」と言ったら
さっと思い出して貰った。
顔は覚えてもらえなくてもパラグライダーは病院内でも有名になっている。

昨日、平日フライトでYさんがツリーランした。
本人から報告メールがあり、皆さんに迷惑をかけ、自分の機体はボロボロとの事。
どんな状況で落下して行ったのか、GPSデータを送るよう頼んだら昨夜送ってくれた。
カシミールで見ても今一分からないので、見ていた田原さんと小田さんに電話して聞いた。
Yさんが送ってくれたGPSデータも二人に送って、見ていた状況と照らし合わせるよう頼む。
15時過ぎ田原さん、小田さん、ツリーランのYさんが揃って病室に現れる。
聞くと、奇しくも3人一緒のエレベーターで上がって来たとの事!
二人なら偶然もあるとは思うが、三人とは!!!
しかも、別にお呼びたてした訳でもないのに・・・
4人であれこれ分析の結果。
①リフトでピッチアップした時すかさず片方のブレークを引きすぎスピンに入ったのだろう。
②練習で朝露をたっぷり吸わせたり、川で洗濯もしていたりでライン長が狂って
 バランスが悪くなっていたのだろう。
③乗っている機体が下限に近いのも影響しただろう。
当然大きなファクターは操作ミスということであるがが、次の機体は
体重レンジにあったバズーZ4と言う事になったのだが・・・

 10月23日(金)
今朝もリハビリ室で50肩の治療をして貰う。
昨日の揉み返しで少し痛いが、腕は耳の後ろまで上がる。
一昨日は訴えないのに50肩の治療をして貰った。
田中先生がカルテに治療するように書き込んだようだ。
毎朝チェックしているので、50肩の治療が新しく加わった事を分かっていた様だ。
患者の様子を、全ての医療スタッフが共有しているなんて大変革な事だ。
「日本の医療事情は大変に進んでいるのですね。私らの若い時は外科手術しても
傷口の予後がどうだったかの見当ぐらいでリハビリを此処まで確立してなかったような・・・
日本が一番進んでいるのかなあ」と理学療法士に聞いてみた。
理学療法士の学校は日本では4年だが、欧米では6年で社会的地位も高いそうだ。

昼食時に嫁さんが、我が家で採れた柿を持ってきてくれた。
我が家の柿は隔年結果なので今年は豊作の年で取入れが大変そう。
同期会のハガキや郵便局の振込み通知書を持参して呉れた。

昼過ぎ田原さんが来てくれた。
プレジャークラブの九州遠征で、明日早朝に出発。
明日は天気もよく高気圧どっぷりで、西風予報なので阿蘇の大観峰で飛ぶ心算。
翌日は北風も入るので、玖珠町の伐株山で飛ぶ心算。
怪我がなければ、私も一緒に行っていた筈なのに残念。
メンバー11人で行くそうで、皆さん心ウキウキだろうなあ。
竹井さんも足の怪我のリハビリを終えて寄ってくれた。
明日はテイクオフディレクターをする心算だが1本は飛びたいと言っていた。
私のボンゴも活躍する予定。

 10月24日(土)
土日はリハビリはお休み。
10時にシャワーを浴びたら何もすることはない。
皆実高校の同期のSNSにこの入院日記紹介したら、毎日I本さんと
交信が始まった。
彼は大変な読書家で書斎には4千冊を超える蔵書があるそうだ。
知識も豊富で、ウィットに富んだ文章を送ってくるのでタジタジだ。
返信するのに1時間もかかることがある。
毎日の交信で、どんなに無聊を慰められている事か・・・

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を全巻持ってきているので
馬力を加えて読み続けよう。

13時半阿蘇にいる田原さんから電話あり。
田原さんはぶっ飛んでしたの田んぼに降ろし、皆さんの誘導に専念。
大観峰から全員飛ばして、もう一度飛ぶので皆さん車で上がっているところ。
川口さんはトップランも果たし、宍戸さん・高木さん・岩佐さんは結構上がっていたそうだ。
川原さん・本田さん・斉藤さん・兼田さんは慎重に降ろして来たそうだ。
吉岡さんと竹井さんはテイクオフディレクター及び運転手だそうだ。
ジョモピーは3名しかいなかったそうで、ここにプレジャー有りを示した事だろう。
観光客も大勢いた筈で、「すご~い」とか言う黄色い声の中飛んで行ったのだろう。
初めての遠征が阿蘇の大自然のロケーションのなかでのビッグフライトになった。
一生の思い出になっただろうと思う。

 10月25日(日)
10時にシャワーを浴びて、今日の用事は完了。
昼前九州にいる田原さんに電話。
昨夜は馬刺しや赤牛のステーキなどで大盛り上がりだったようだ。
ユースホステルで宿泊代は2千円なので、食事は豪華にしたようだ。
フライヤー仲間の旅なので大いに楽しかったようだ。
本来なら私も参加して楽しんだだろうに・・・
伐株山に移動したのだが、風が強くてとても飛べない。
観光に切り替え「九重”夢”大吊橋」にいくそうだ。
昨日のフライトが素晴らしかったので、今日は無理しない方が良いでしょう。
耶馬溪で蕎麦を食べたり、道の駅に寄ったりあれこれしながら帰ったそうだ。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をせっせと読んだ。
全体の半分近くの1270頁間で進んだ。
同じ竜馬を描いても、作者によって竜馬像は違ってくるのだろうなあ。
司馬遼太郎の人物眼は矢張り作者の思想が現れていて面白い。
何度か読んだのに思わず笑ったり涙ぐんだり、作者のテクも素晴らしい。

夕方嫁さんが我が家になった柿を持ってきてくれた。
今年は隔年結果の表作で沢山なっていて、採るのが大変らしい。
見舞い客に押し付けで持って帰ってもらおう。

消灯時間を過ぎてパッちゃんから電話あり。
あれこれ話をする。
私は専ら聞き役で、「赤毛のアン」のマシュー爺さんの如く
「そ~よの~、そ~よの~、」と相槌。
それでもいっぱい話し終えるとすっきりするのか
「おとうさんと話していると安心が大きくなる」と言ってくれる。

 10月26日(月)
一週間の始まりで、リハビリは朝一番と昼一番にお願いしている。
アキレス腱がどれくらい伸びたか測ってもらった。
85度で(あと5度で90度))だった。
車椅子に座ってテーブルでパソコンつついているのだが
つま先を壁に押し付けアキレス腱を伸ばしている。
もう痛みはなく、ツッパリ感が残っているだけだが
力をを入れると矢張りまだ痛い。

昼から田原さんが九州旅行の話を聞く。
なにより練習生の皆さんが良い飛びが出来たので
ニコニコで大いに盛り上がったそうだ。
彼らの気持ちは手に採るようにわかる。
聞いてているだけでこちらの気持ちも昂揚して来る。
竹井さんが近くの病院から帰りに寄ってくれ、3人でパラ談義に花が咲く。

夕食を食べているとイントラの山本さんが病室に顔を出した。
談話室で待ってもらい、大急ぎで飯を掻き込み談話室へ。
パラ談義をしていると奥さんも顔を見せた。
なにせ病院のまん前が職場なのだ。
3人で消灯時間(21時)になるまでパラ談義。

消灯時間過ぎてパッちゃんから電話あり。
今夜も取り留めのない話なのだが・・・
パッちゃんは私の事を「おとうちゃんサプリメント」だといっていた。
こんなのでもパッちゃんの役に立っているのなら良かろう。

 10月27日(火)
今朝リハビリ室で足首の角度を測ると、90度だった。
退院時の目標達成!!
ハイヒールの装具も一枚抜いて4Cmの高さになった。
後は足首が左足と同じように反り返るようになるとパラ復活か?
でも、半年パラ禁止と言われていたしなあ・・・

昼からは田原さん、吉岡さん、宍戸さんが集まってGPSデータの講習会。
私が送ったカシミールデータを宍戸さんがダブルクリックで開いた為、
管理をしていたデータが行方不明になったらしい。
田原さんが宍戸さんのGPSから過去のデータを取り出し事なきを得る。

20時前パッちゃんから電話あり。
ゴーゴーという雑音で殆ど聞き取れない。
暫くすると聞こえ始めた。
本社ビルから出ると凄い風で声が拾えなかったようだ。
電車に乗るまでの5分間話す。
昨日から風邪を引いたようで、少し熱もあるようだ。
電車が来たので、それじゃ~と電話を切る。
今から1時間かかって寮に帰るそうだ。

 10月28日(水)
今朝のリハビリで足首の角度が90度を越え、わずかに反り返るようになった。
装具のヒールの高さは4Cmだが、装具を緩く締めているので
靴は前に滑り出しているので実際は3Cmか・・
理学療法士に「これならパラ復帰は早いね!」と言うと
「縫った後がしっかりくっ付いているのとは別ですよ」と言われた。
衝撃を与えると拙いのは理解できる。

昼から田原さんにカシミールの不具合をチェックしてもらった。
昨日、田原さんのお母さんが(83歳)スーパーの玄関で転んで
大腿骨骨折の大怪我で救急車で病院に運ばれた。
「ついてあげて居なければ!」と言ったのだが「病室では
何もすることがないのでこちらに来た」と言う。
救急車で運ばれる時「目が見えなくなりそう」と言われるので
頭を打っているかも知れないので対応できる病院を探す。
骨折の手術は2週間先になるかもと言われたのだがとりあえずそこに担ぎ込む。
私と話して居る時病院から電話があって、あさって金曜日に手術しますと連絡あり。
ヤレヤレ!一安心。
私の場合、ギブスを取った時(怪我をしてから2週間)ふくらはぎが
反対側の大きさの2/3に細くなっていた。
お年寄りが直ぐに寝たきり老人になってしまうのも実感した。
手術翌日からリハビリをする時代になっているのだ。
兎に角、あさって金曜日の手術は有難い。
基本4週間で退院させられるので、家での養生が大変だろうと思う。
ご高齢なので予後がご本人にとっても田原さんにとっても
大きな試練になるとは思うが・・・
一日でも早い完治を祈るばかりだ。

18時過ぎ山本夫妻が会社の退社時間を合わせて?来訪。
最近のマツダの活躍ぶりを聞く。
WVの問題でスカイアクティブがヨーロッパで大爆発して欲しいのだが
インターネットではあまり聞かないなあ。
水素自動車、電気自動車、補助エンジンで電気を供給する電気自動車・・・
今後どんな車が主流になっていくのだろうか?
デザイン開発の話になった。
私らは燃費が良くて安い車で、走ればよいくらいに考えている人間には
コンセプトがどうの、デザインがどうのと言われても興味はなかった。
インターネットでマツダが発表した流れるようなデザインイメージは目に留まった。
もっとも、スポーツカーでなく乗用車にどう具現化するかなんだが・・・

20時前病室に帰ると携帯電話に、18時40分にパッちゃんからの履歴があった。
早速電話すると「おとうさん!今タイレストラン!後でね」の返事。
21時前に電話。
タイレストランは寮の近くにあり、いつも食事をして居る。
来ているおじさんたちお客さんのアイドルになっているようだ。
風邪を引いたと言うと、薬局のおじさんはドリンク剤をくれたり、他のおじさんは
甘いものが良いとケーキを買ってきてくれたり・・・
遅い時間だと危ないからと寮まで送ってくれたりするそうだ。
タイレストランの看板娘になっているようなので「看板料もらわんとね」と言うと
お店の方も時々一品サービスで出してくれると言っていた。
「さっき、おとうさん!と言ったので皆から「何処のお父さん?」と質問されたと言う。
そうだろう!日本語で話して居るのでタイのお父さんであるはずがない。
皆さん、お父さんを任じている心算なので色めき立ったのかな(笑)
パッちゃんは日曜日から風邪気なのだそうだ。
今日は鼻水が沢山なので5枚もマスクを替えたよと言っている。
鼻をかみすぎて真っ赤になっとるじゃろうと言うと、「はずかしいので
鼻をかむ時はトイレに行ったよ」と笑っていた。
明日の仕事を準備しないといけないと言っているので、「熱いものを飲んで
暖かくして直ぐ寝なさい!明日一時間早く起きてやればはかどるよ」と注意。
若いのに風邪が長引くようなら、金曜日には必ず病院に行きんさいと命令。

 10月29日(木)
リハビリは今日で最終。
左の50肩はすっかり良くなり、むしろ右肩の稼動範囲より大きくなったくらいだ。
アキレス腱も装具をつければ、松葉杖なしでも歩けるのだが
看護師さんも理学療法士もダメですとうるさく言われる。
最近のリハビリ事情は本当に凄いと思う。
医師の処置が済んだ後、翌日からリハビリ態勢に入る。
骨を折っても、腱を切っても、内臓を切っても、脳内手術をしても
早め早めのリハビリ態勢に入って行く。
過去の試行錯誤の上、現在のリハビリが確立されたのだろう。
昔は後遺症の一言で片付けていたものを、一日でも早い社会復帰を
目指す今のリハビリ体勢には頭が下がる。
明日朝一番で、お別れリハビリしましょうと言う事になった。
思えば、入院生活で一番長く話した相手は理学療法士だったなあ。
看護師さんたちとはもっと話したかったが、忙しそうなのと
いつも担当が替わるので全員の名前を覚える暇などなかった。

昼から斉藤さんがカシミールのデータが行方不明になったと
パソコン持参で来訪。
あれこれパソコンをつついていると、Kさんがお見舞いに来てくださった。
Kさんは3歳年上で、山口県の大島で国鉄バスの官舎が同じだった。
3歳年上なので一緒に遊んだ記憶がないのだが、県工に居た時と
社会人になった時一度我が家を尋ねてこられた。
数年前にひょっこり電話を下さり、シャッターの修理の相談を受けた。
家の庭にはミニチュアの線路が引かれていた。
12分の1の蒸気機関車が置いてあり、実際に石炭を燃やして走る物だった。
その時に私のHPを紹介したのだが、それからずっと見て頂いていた様だ。
Kさんに「何で此処がわかったのですか?」と聞くと、田原さんが
新白島から三つ目の駅から来るとHPに書いてあった。
更に吉岡さんが班は違うが同じ町内で50mしか離れてない。
吉岡邸を尋ねて私の入院先を確認したと言う事だった。
話して居るとKさんは昔ウルトラライトプレーンの免許も持っており
大空を飛んでいたようだ。
大空の魅力が忘れられず、パラグライダーが出来るか相談受けた。
74歳でパラを始めるにしては、荒牧での練習に耐えられるか
心配な所だが、吉岡さんに相談されてみてはと伝えた。

16時ごろからパソコン再開。
何とかカシミールデータ復活。
バージョンが古い為、上昇率で軌跡の色を変えてリフトが
何処にあったのかの検証作業は出来なかった。
嫁さんが同期会のハガキを持参して呉れた。
高木さんの撮った大観峰のフライト映像を3人で見る。
嫁さんも久しぶりに大空の感触を疑似体験出来たようだ。
高木さんの映像を見てあれこれ、感想を送ってくださいと言う事なのだが、
帰宅してもう一度ゆっくり検証しよう。
明日の退院に向け、今日殆どの荷物を嫁さんが下げて帰ってくれた。
 10月30日(金)退院
入退院日・手術日を除いて殆ど毎日、皆さんの温かい来訪を受けた。
田原さんはパラ指導のない日、毎日訪問して頂いた。
どれ程入院生活の無聊を慰められたか、田原さんには感謝しきれないほどである。
テレビ出演した時、パラグライダーとは聞かれ「豊かな人生」と答えた。

テレビ出演NO1

テレビ出演NO2

50歳から始めたパラグライダーは、真に私の人生を豊かにして呉れた。
パラグライダーだけでなく、パソコンも仲間に教えてもらったりして
このHPのきっかけも作ってくれたりした。
そして歳の離れた仲間たちが出来た事が何よりもうれしい!
そのご恩返しを後輩たちにもしないと!と思うのだが、75歳までは
クロカンにもチャレンジし続けたいなあと思っているのだが・・・

自分が弱者の立場になって、皆さんの(妻、パラ仲間たち、友人たち、医療スタッフたち)
温かい心が身に沁みた。