2011年頑張ってまだまだ書くぞ!リタイヤメント生活も6年目だ!ついに初孫誕生!
春だ!クロカンシーズンだなぁ~

2013年 10月   
 10月1日(火曜日)スーちゃん無事到着
昼過ぎ家の電話が鳴った。登録している電話番号ではない。
躊躇していると電話が切れた。番号を見ると028・・・・
宇都宮大学交際交流課の電話番号だ。
折り返し電話をし、スーちゃんと変わってもらう。
いつもの、1オクターブ高いスーちゃんの声が飛び込んできた。
無事大学に到着したと、スリランカにSKYPで連絡して欲しいとのことだった。
スリランカでは一人旅した事もない娘が、初めての外国旅行で無事宇都宮に
辿り着けるのかと、ヤキモキして家族は連絡を待っているに違いない。
スリランカの時差は3時間30分なので、今スリランカは9時半である。
SKYPを立ち上げると妹のそれが立ち上がっていた。
無事に宇都宮大学に到着した事を、嫁さんに英語で書かせる。
スリランカの家族のホッとした気持ちが伝わって来る気がする。
 10月3日(木曜日)スーちゃん、先輩を見つける
宇都宮大学大学院に在籍している、スリランカ人先輩夫婦を紹介されたらしい。
先輩の家からSKYPを繋いできたので、色々話をする。
この一週間は授業は無いので、生活の準備をしなくてはならない。
布団は一日300円で借りたようだ。
インターネットはプロバイダー契約申し込みしたようだが、繋がるはまだ先のようだ。
携帯電話は高いので来月奨学金を貰ってからにすると言っていた。
自転車は必需品なので直ぐ買うつもり。
百均のお店はすぐに教えてもらった。
あれこれ買わないといけない物が沢山ある。
日本の物価はスリランカの10倍近いのでスーちゃんの
持ち金はあっという間になくなるのでしょう。
スーちゃんが文部科学省から貰う12万5千円は、スリランカのお父さんの
月給の5倍近いのである。
但し奨学金は今月末の支給なので、スーちゃんも頑張って生き延びないと・・・
娘を日本に送り出すに当って、スリランカのご両親の苦労が想像できるというものだ。
高校生の時のAFS留学は全てボランティアの人がやってくれたので
全然不安は無かった。
今回は全て自分でやらないといけないので泣きそうだと言っていた。

SKYPでタイのパッちゃんと話した。
パッちゃんは先月に埼玉大学から帰っていった。
パッちゃんは交換留学生だったので、月に8万円が文科省から
支給されていた。
タイの警察官であるお父さんの給料では、日本への送金は
とても無理なのである。
8万円ではぎりぎりなので、英語やタイ語の個人レッスンのバイトをした。
ネットで登録して顔写真まで付けての生徒募集なので、私は随分心配した。
応募してくる生徒は、助平おやじと決まっている!!と
パッちゃんを叱り付けたのだが・・・
やばい事は何も無く、3人ばかりを教えていたようだ。
最後の頃はタイレストランでも働き、最終的に60万円貯金したようだ。
教授にバイトの事が見つかり、成績が悪ければ即刻帰国させると宣告されたようだ。
頑張って日本語に関する授業のテストはクラスで1番になったようだ。
タイでも日本でも厳しい環境で育っているので、たくましい女性に変身しているようだ。
明日から日本企業の就職ガイダンスがあるので、シンガポールに
1週間ばかり行ってきますとの事だった。
国を渡って就職活動をするなんて!
パッちゃんは国際人になりつつあるのか・・・
先が楽しみな事だ!
 10月8日(火曜日)スーちゃん
嫁さんがスーちゃんの心配して、米やインスタントラーメンやレトルトカレーや
皿やスプーン等と共に手紙と僅かなお金を忍ばせたらしい。
今夜のスーちゃんは2オクターブばかり高い声で感謝していた。
大学からの要請で奨学金の受け入れの為に銀行口座開設。
本人に連絡を取るために携帯電話の購入を勧められたらしい。
1年しか居ないので、先輩夫婦に相談して購入したようだ。
お父さんと同じソフトバンクにしたので無料で話が出来ると喜んでいた。

今月末に孫の宮参りに横浜に行く予定だ。
車に使わない布団を積んで、横浜経由で宇都宮に行こうと思っている。
本当は紅葉前線を追いかけて車上生活者になりたいのだが
嫁さんはあれこれ忙しいので長い旅行はダメと言っている。
 10月10日(木曜日)パッちゃんから報告
今日、パッちゃんからメールを貰った。

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こんにちは、お父さんお母さん。
お元気でいらっしゃいますか?
うちは七日にシンカポールからタイに帰りました。
そして、昨日は実家に帰りました。
日本にいた時に10月にシンカポールで日本企業の説明会があるという
情報が入ってきて、応募しました。
その後、履歴書をいくつかの会社に送りました。
そして、タイに帰って、日本のリクルート会社から「シンカポールに来てください」と
いうEメールをもらいました。
ですから飛行機のチケットを買って安いホテルを予約してシンカポールに行きました。
10月4日には会社の説明会があり、5日に会社の面接がありました。
人が多くて日本人、タイ人、ベトナム人、シンカポール人、マレーシア人、中国人、
台湾人、香港人、韓国人、インド人などいろんな国から来た。
皆は日本語と英語が話せます。
説明会と面接は全部日本語ですので皆は日本語を話せないといけません。
うちはIHIと第一生命という会社に面接を受けました。
合格するかどうかはまだ分からないですけど出来るだけ頑張りましたので
それだけで嬉しかったです。
ではまた連絡しますね。
写真を沢山送りました。
シンカポールは良い所です。日本人みたいに人が優しいです。

  

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パッちゃんはチュラロンコン大学(タイの東大)の後ろ盾でなく
個人で国際競争に参加しているのだ!

何とも彼女の成長が眩しい!!
どうぞ、成功裏に事が運びますように・・・
ホストファーザーとして、八百万の神にお願いしたいところだ。
平素、無信心なので効き目は無いか・・

日本の一流企業はシンガポールを試験会場としてアジアの
優秀な若者を採用しているのだろう・・・
現地採用で安く使うなどの姑息な事ではないような気がする。
日本の若者も、国際競争に打ち勝つ実力を養わないと・・・
工場の単純労働は労賃の安い国に出て行く。
日本の若者にとって、大変な時代に突入しているのだと実感した。
 10月12日(土曜日)平和カップ1日目
今日から3日間平和カップ。
初日と二日目ハングの大会。
二日目と三日目がパラグライダーの大会。
ハングとパラが同時開催の大会は、神の倉くらいなものであろうか?

スタッフの集合時間は7時ということなので、6時半に家を出る。
途中セブンイレブンで朝飯の握り飯を買う。
神の倉に近くなると、霧が発生している。テイクオフは見えない。
準備は机、椅子、ボード等を出せばよい程度なので学生達が殆どをやってくれた。
9時過ぎに開会式を済ませるも、北風が強い。
オープンクラスもエキスパートクラスの選手達も神の倉山に上がる。
ダミーフライトが必要かな?と神の倉に上がって見る。
北西風で最大風速が8~10mの風がテイクオフに入ってくる。
とてもパラグライダーがダミーを務められる様な風でない。

少し風が弱まった頃合を見て、エキスパートクラスの選手が
ポツポツとテイクオフして行った。
さすがハングは強風を切り裂いて飛んでいる。
只テイクオフした選手は9名で、タスクを廻ってゴールできたのは1機のみ?
 10月13日(日曜日)平和カップ2日目
今日はパラとハングが合同の大会となる。
昨日ハングのオープンクラスは飛べなかったので、
朝一番で神の倉に上がっている。
昨日ほど強風ではないが、北東の雲が流れている。
秋晴れの良い天気なので、ブローは期待出来るのでテイクオフは
荒谷山に決まりハングは早々に上がって組み立てを始める。

パラグライダー大会の開会式(YOUTUBE)
http://www.youtube.com/watch?v=9yv2T-sAUeY

パラの選手が荒谷山に上がる前に、神の倉からハングのオープンクラス
選手達がランディングしてきた。
ターゲット大会なので、学生が実測係をしている。
メインランディング南のグランドゴルフ場も使うのだが、ハングには
狭いと感じるのか半数がショートで距離を測ってもらえない。
神の倉から飛ぶのが2本目の学生が2m位で上位の様子。

ハングオープンクラス(YOUTUBE)
http://www.youtube.com/watch?v=DAeQcqvJOaQ

私の運転でボンゴに選手を乗せ、荒谷山に上げる。
ピストン輸送になると思っていたが、自分の車で上がった人も居たようで
メインランディングに戻ったら選手は、全員荒谷山に上がっていて誰も居なかった。
ボンゴのドライバーは三次さんに任せ、夜勤明けの消防士達と荒谷TOに上がる。
11時半ゲートオープン予定と発表されたので、それ以前に飛ばないと
ダミーにならないのでラインチェックを始める。
10分間置きにハングとパラが交代でテイクオフするようだ。
ハングは殆ど組み立ては終わっている。
11時半にハングがダミーで飛び出して行ったが、トップアウトが難しいようだ。
12時にパラのゲートオープンという事で、花野さんがダミーで飛び出して行った。
北東風なので、北尾根を目指したが尾根には辿り付けず
沖に出し、田んぼの上で粘っていたが上げきれず、パラの田んぼLDへ。

ハングの順番になったが誰もテイクオフをしない。
児島さん(競技委員長)からダミー指令が私に下る。
2~3mの風が1mくらいに落ちた。
本当は正面から入ってくるブローであれば言う事なしなのだが・・・
しかし、風が緩んだと言う事は沖でサーマルが上り、
北東風をブロックしていると信じ、テイクオフ。
北の谷を渡るのだがそれほどは高度を失わず北尾根に到達。
北尾根にリッジがあるか?と思ったが大外れ!
尾根上をドンドン下がって行き、海抜480mまで下がってようやくリフトに遭遇。
コアーを探し切れないまま何とか上昇は続けられた。
海抜780m(320mゲイン)に上がるも、誰もテイクオフしてくれない。
下手糞な上げなので、良いサーマルが有るとは見えないのか?
井原市駅近くのお寺に行く途中上がり続け、海抜860mになった。
もう一度テイクオフに戻ろう。
テイクオフ近くに戻ると、やっとパラがテイクオフし始めた。
下がり続けているので、選手と絡んでは邪魔すると思い
県道を越え神の倉への谷渡りする。
シンク音は鳴り止まず、海抜400mで神の倉の裾野に付ける。
中束でリフトは有ったがしがみ付けず、撃沈しそうだったのでさっさと諦めて、
メインランディング場へ。
サーマルは見つけて、海抜860mまでは上がり、25分間のダミーフライトだった。

私のダミーフライト(YOUTUBE) 音楽注意
http://www.youtube.com/watch?v=IoiVOjCzVZM

16時には終了したのでフリーフライトをさせようと、スタッフを務めた人を神の倉に上げる。
ハングのオープンクラスが2本目の競技を開始していた。
彼らを飛ばせて、フリーフライト突入。
少しずつ風も強くなり、東がらみになってきたのでフライトは中止。
19時からリンダルハウスで、パーティーがある。
事務局の机などの片付けを終えて、バスでリンダルハウスへ。
19時過ぎに到着。
子豚の焼肉と、豚汁を頂く。
川地塾で一緒だった神原さんと少し話をした。

明日は「市民能楽のつどい」がアステールプラザである。
毎年、「体育の日」に開催されている。
12時~14時までは喜多流の皆がスタッフを務める。
私は毎年喜多流の出演者のビデオを撮っている。
夕方は我々のグループの発表もある。
フラメンコを見て、20時には失礼した。
 10月14日(月曜日)「市民能楽のつどい」
毎年恒例の「市民能楽のつどい」がアステールプラザで開催される。
市内4流派の能楽愛好者が一堂に会して、日頃の研鑽を発表する。
若い人たちがなかなか入ってくれないので、平均年齢は上がる一方である。
それでも、我が社中は一番平均年齢が低い方だと自負している。
(私が居るので平均年齢を大きく引き上げているのだが・・・)

平均年齢といえば、「子ども能楽ふれあい教室」の受講生は小学生達である。
喜多流能楽師の大島衣恵先生(福山在住)のご指導の下、
毎年「市民能楽のつどい」で発表を行っている。
子ども達が着物を着て袴を着けて、舞ったり謡ったりしているだけで嬉しい。
子ども達は将来チャンスがあれば、スムースに能楽をやってくれる事だろう。
地道な努力をずっと続けておられる大島家の人々には頭が下がる思いです。

「子ども能楽ふれあい教室」の受講生による「鞍馬天狗」
http://www.youtube.com/watch?v=BQWY_FlQY8g

喜多流仕舞 「老松」 「羽衣」 「楊貴妃」
http://www.youtube.com/watch?v=eNGg2fmJisE

金剛流 仕舞「大江山」 連吟「砧」
http://www.youtube.com/watch?v=dfr5zQtb3No

喜多流連吟 「野宮」 「鬼界嶋」
http://www.youtube.com/watch?v=OLZ7VK5e4D4
 10月26日(土曜日)横浜へ
孫娘(初孫)の宮参りと言う事で、横浜に行く。
今回の予定
27日 横浜・・・ ひなこ宮参り
28日 宇都宮・・スーちゃん
29日 埼玉・・・・パッちゃん
結構過密スケジュールなのである。
宮参りは夫の母親が準主役ということで、嫁さんは和服を着るのだと張り切っている。
スーちゃんの先輩に荷物を運ぶ事もあり、乗用車で行く事にした。
車(アテンザ)のトランクは一杯になった。

知らない土地を暗くなって走るのも嫌なので、朝5時に出発。
ボンゴにはカーナビが付いていないので気にも留めなかったのだが・・・
アテンザは何せ10年以上も昔のカーナビなので、新しい高速道路が載ってない。
草津JCTを新名神高速に入るとカーナビでは道の無い所を走っているし、
300m先は右に行けとか煩いので切る。
三ケ日JCT~新東名高速に入る。
清水PAでトイレ休憩。
PAでない様なお店(ブティック、雑貨、バイク乗り向け商品など))が並んでいる。
「限定商品!」などの文字が躍っている。
嫁さんは30分ばかりウインドショッピングをしたいと言うので
私は先ほど目に留まった「レンタルバイク」を見に行く。
そういえば3週間前くらいに、富士山グッズを売る雑貨店の紹介をしていたなあ。
このPAは外にも駐車場を設けてあり、地元のお客さんも利用できるようになっている。
「レンタルバイク」コーナーには50ccから250ccくらいのバイクが並べてあった。
バイクを修理していた人が居たので話しかけた。
株式会社キズキの渡部さんと言う人だった。
レンタバイクを借りるには不便な所(清水PA)で、商売が成り立つのか
是非知りたいものと、30分ばかり仕事の手を止めてしまった。
清水PAまで来て、バイクで高速ドライブを楽しむ人やオフロードや
富士山麓ドライブを楽しむ人が増えてきているようなのだ。
レンタバイクは市内に有るとばっかり思っていたのだが、新しいニーズの開拓と提供に
本気で取り組んでいるのだと感心する。

今から横浜に行くのだと言ったら、彼も会社が横浜なので帰るのだと言っていた。

 渡部さんと・・ PAに展示してあったサイドカー

カーナビは狩場ICで下りろと指示するので下りたら
直ぐにICに上がれと言う。
長男夫婦の自宅には5Kmくらいなので無視して広い道を走る。
ネクサス7のグーグルマップでどんぴしゃりのマークを打っておいたので
玄関前に17時前到着。

挨拶もそこそこに、バーバはひなこを抱っこする。
ひなこは夕方から夜にかけては機嫌が悪いそうなのだ。
愚図り始めたのを、昔取った杵柄とばかりバーバはあやし続ける。
泣いたり大人しくなったりの繰り返し。
お母さんのおっぱいにしゃぶり付いたら途端に静かになった。
お父さんとお風呂タイムの時もご機嫌さんであった。
長男の嫁さんがジージにひなこを渡してくれた。
まだ首も据わってないし、なんだか壊しそうなので5分でバーバと交代。

  バーバに抱かれて・・ 寝たのを幸いに・・・
 10月27日(日曜日)ひなこお宮参り
今日は福井の御両親も参集で、7名で宮参り参りだ。
嫁さんは今日の準主役だと言って張り切っており、広島から姿見まで持参で
6時に起きて支度をし和服を着込んでいる。

  

お宮参りは伊勢山皇大神宮に9時の予約を入れていた。
七五三のお参りも沢山ありそうで、神社の駐車場には
ガードマンが3人配置されていた。
まだ早かったのか駐車場にはスムースに入れた。
三歳児の女の子は可愛い服を着せてもらって、
ちょこまか動く姿はなんともほほえましい。

   

無事お祓いを受け、みなとみらいに歩いて移動。
こども写真館で記念写真を10時半に予約していたようで
「マークイズみなとみらい」にあるこども写真館に急ぐ。
七五三と重なってしまい、写真館は大混雑であった。
こども写真館なので可愛い衣装が沢山用意されている。
ひなこは生後三ヶ月なので、着るのでなく赤い服を掛けてもらうだけである。
一人で写真に収まる為椅子に座らせた。
母親は遠くに居て、赤ちゃんの視線から消えておく。
二人のスタッフが声を出したりタンバリンを鳴らしたりして
赤ちゃんの気を引きカメラ目線を作っている。
更に、にっこり笑い顔も作るのである。
ひなこは絶対に泣くと思っていたのだが、スタッフ達は一度も泣かせなかった。
三歳児たちにはおもちゃを見せたり、ボールで遊ばせたりして
自然な笑い顔やポーズを引き出している。
そして何十枚となくシャッターを切り続けている。
写真を選ぶ段になると、ジージやバーバの財布の紐も
自然と緩むと言うものである
子どもを扱うスタッフ達のプロフェッショナルさには脱帽であった。
驚きをスタッフに伝えると「私達全員子どもが大好きなだけです」と言うことだった。
確かに心から好きでないと、子ども達からは見破られ泣かれる事だろう・・・

ようやく今日の行事も終わったので、中華街に行って昼食。
5階建ての大きな中華料理屋さんで、一品一品が間をおいて
出されてくるので結構お腹一杯になった。
お宮参り
65歳以上の人が居れば7パーセントお安くしますとの事だった。
ジージやバーバは全員手を上げる。

帰宅して、二人で夕食の支度しているので私がひなこを預かる。
おっぱいを飲んだ後なのでご機嫌さんであった。
抱いて二階に上がったりしていると、ひなこは寝入った。
安心しきったような寝顔で、私の胸に顔を預けている。
暖かくて、柔らかで・・命を抱いているのだなあと感慨に耽る。
そして、我が命がこの子に繋がって居るのだと肌で実感。

 10月28日(月曜日)スーちゃんに会いに宇都宮
宇都宮大学の留学生寮に住んでいるスーちゃんを訪ねる事にした。
一緒に来たスリランカ留学生アエーシャも居る。
宇都宮は寒くて外に出られないと言っている。
夜は靴下を二枚重ねで服を着込んで寝ているらしい。
冬になったらどうするつもりなんだろう・・・
二人とも冬着は持ってない様なので、嫁さんの着なくなったセーター類や
古着屋で買い込んだ冬着を10枚ばかり用意した。
電気アンカも2個買って持って行ってやる事にした。

スーちゃん達のスリランカ人先輩(ササンカ)夫婦が宇都宮大学に居る。
ササンカ先輩の先輩が広島大学に居て、ちゃぶ台やマットレスなど
宇都宮に持参して欲しいと頼まれた。
東広島で受け取って、トランクに積み込んである。

12時にスリランカの本場カレーをアエーシャと二人で作って待っていると言う。
11時半には留学生寮に到着。
宇都宮には日本人の知り合いは居ないし、寂しかったのか到着すると駆け寄ってきてハグ。
5階のスーちゃんの部屋に上がって、4年ぶりの積もった話をする。
アエーシャもやってきて4名で本場カレーを食べる。
本場カレーなので、当然スリランカ方式の素手で食べる。
素手で食べる事には、何か食べる事の本源的なものが感じられ
食べ物の味が深く味わえる気がする。
何種類のスパイスがじっくり煮込んであるので、深いコクがあって美味しい。

スーちゃん達は自分でお弁当も作って、生活費を切り詰めようとしている。
嫁さんは彼女達に安い食材で、おかずを作るように料理教室をする事に・・
私はスーちゃん達がお世話になっている留学生課のK澤さんを訪ねた。
残念ながら出張中で会うことが出来なかった。

寮に帰って、ササンカ先輩に近くのホテルを紹介してもらおうと
スーちゃんから電話をさせる。
ぜひササンカのアパートに泊まってくださいと言っているということだ。
彼ともゆっくり話をしてみたいものだと、宿泊をお願いする。
彼の奥さん(タノージャ)は、今日の夜はバイトで朝の2時ごろ帰宅だそうだ。
ササンカはスリランカの高校を優秀な成績で卒業。
日本に留学が決まり、文科省から奨学金を貰い一年間は東京で日本語の勉強。
その後、北海道の苫小牧高専の3年生に編入。
北海道の寒さには死ぬ思いだったそうだ。
成績優秀により大学進学が認められ、宇都宮大学工学部の3年生に編入。
文科省から貰った奨学金を大事に使い、昨年自分の貯めたお金でスリランカにて
結婚式を挙げたそうだ。
奥さん(タノージャ)はスリランカの大学を卒業し銀行に勤めていた。
結婚して宇都宮に来て、深夜の工場でラベル貼りの仕事を週2回ばかりしている。
銀行の安定した生活を振り捨てて、異国の地で3Kの仕事で夫の勉学を支えている。
留学生の夫婦寮は1年間しか居れないので、今はアパートに住んでいるのだ。
夫婦二人寄り添って、倹(つま)しく倹(つま)しく頑張っている。

ササンカは頑張って、工学部で2番目の成績だと言っていた。
大学院にも進みたいのだが日本も景気が悪くなり、3回目の文科省の
奨学金延長はないと言われたらしい。
別の奨学金を探していると言っていた。
アジアの若者は命がけで勉学に励んでいるのだと感心する。
それにもかかわらず、日本にいるスリランカの留学生達に呼びかけて
月に3千円の拠出金を募って見ようとササンカは思っている。
50名の賛同を得られれば月に15万円になる。(スリランカにとっては大変な金額だ)
勉強が出来るのに貧乏で、高校に行けない生徒達の助けをしたいと言っていた。
ササンカ自身が苦しい生活をしているのに、こんな事を考えるなんて・・・
賛同者はスリランカの留学生に絞っているようだ!
自助努力の有る所には援助が生きるのだと心打たれる。
スーちゃんとアエーシャに、必ずスリランカの高校生達のお役に立つように申し渡す。

夕食は宇都宮駅前のビルで、しゃぶしゃぶの食い放題があるので5人で出かける。
私達夫婦はそんなに肉が食えるわけではないので、3名の若者で
元を取ってもらわないと・・
もっと食べろとばかりに鍋にじゃんじゃん放り込み、肉は25皿ほど平らげた。
最後頃になってしゃぶしゃぶの食べ方を伝授。
薄い肉をしゃぶしゃぶと色が変わった頃食べると
柔らかく甘みがあることを実感させる。
ササンカも一度しゃぶしゃぶは食べさせて貰ったが、
食べ方は教わらなかったと言っていた。
アエーシャは細い体なのに幾らでも食べられそうで、最後までチャレンジ。

 寮の部屋にて スーちゃん、アエーシャ しゃぶしゃぶ屋 にて ササンカ夫婦、アエーシャ、スーちゃん


動画YOUTUBE

 10月29日(火曜日)パッちゃんIHI合格!!!
10月18日パッちゃんから、シンガポールのIHIの一次面接に合格したと報告があった。
2次、3次面接は10月28日、日本のIHIで行われるそうだ。
パッちゃんは就職活動のウォーミングアップとして初めて試験を受けたら
いきなり日本を代表する会社の一次試験にパスしてしまった。
パスするとは思っていなかったので、あれこれ会社面接の勉強を始めた。
IHIの事をどれだけ知っているかも問題になるかもしれないので
私もIHIの関連するウエブサイトを探して紹介する。
パッちゃんは面接想定集を探し出してきて、回答文章を送ってきた。
嫁さんは、文章としておかしい所をチェックして返信したりしていた。
回答文章は言葉としては模範解答だがさっぱり具体性に欠ける。

10月22日SKYPで24時ごろ2時間ばかり話をする。
面接試験ではその人の感性、問題解決能力、対人能力など
あらゆる面のチェックがあるのだろうが想像できない。
美辞麗句で切り抜けられるほど、一流会社の面接は甘くはないであろう・・
例えば「バトミントン部の部長をやっていました」では
全く自分のスキルの説明にはならない。
クラブ内での問題をどのように捉え、どのように解決して行ったのかが問われるであろう。
SKYPでパッちゃんと問答して、私がさっぱり納得した顔をしないので困り果てていた。
「そんな回答では人の心に届かない!」・・・
美辞麗句を並べ立てるのは、糞の役にも立たないことは分かってくれたようだ。
23日にもあれこれSKYPで話をする。
私が納得した顔をしないので困り果てていた。
パッちゃんがタイ空港でユナイテッド航空カウンターで日本人乗客のクレームを
タイ人の上司の間に入って解決した話を引き出した。
タイ人の感性、日本人の感性の狭間でお互い納得いくように収めたのだった。
そんな話こそ回答の中に入れるべきだと話した。
後から聞いたのだが、パッちゃんは二日間「食べては吐き」で
最後には血が出たと言っていた。
採用人事部長から電話を貰ったり、毎日メールを貰っていると言っていた。

面接試験日は10月28日(月)だそうで、エアーチケットもホテルも
IHIが用意してくれるそうだ。
パッちゃんは人事部長に、エアーチケットの25日来日と30日の帰り便に
変更して貰うようにお願いのメールを出した。
何故そんな変更をするのか訪ねられたようで、埼玉でお世話になった人たちへ
ご挨拶したいのと、ホストファミリー(私達)に会う為と説明したらしい。
希望のANAエアーチケットを手配してもらったので、29日に埼玉で会う事にした。

29日埼玉大学で会う事にしていたのだが、雨が降っているので駅に迎えに行った。
公衆電話から連絡を入れてくるだけなので、兎に角確実に出会わないと・・・
二次,三次面接の結果はお互いに話題にしなかった。
車に乗り込んで顔を見合わせたら、やっと合格した事を告げられた。
大騒ぎでなく、静かに握手しておめでとうを言う。
お祝いのご馳走をしようと言ったのだが、埼玉大学に居た時
よく行ったカレー屋さんに報告したいと言うので、昼食はカレーと言う事にした。
店長は面接に合格と言う事だけ理解していたのだが、IHIと聞いてぶったまげていた。

カレーを食べながらあれこれ話を聞く。
二次試験と三次試験は想定外の質問ばかりだったようだ。
でも落ち着いて自分の所見を述べる事が出来たそうだ。
返答に詰まると皆さんそれまで書いていたのに、一斉に顔を上げてくるのが
一番のストレスだったと言っていた。
それでも微笑みながら、頭の中はフル回転だったと言っていた。
設問の中には私にも答えようの無いのがあったが、パッちゃんの感性で
見事に答えていた。(IHIの為、秘す)
おとうちゃん、おかあちゃんと甘えてくれるので、何時までも可愛い子どもと
思っていたのだが、とっくに私を追い越していた。
つらい事、悲しい事も色々経験してきているので、立派に大人になっていた。
パッちゃんを16歳からずっと見守ってきたので、しみじみと嬉しさがこみ上げて来る。

 カレー屋さんで、色々話を聞く おとうさん、がんばったよ・・・

シンガポールで行われた合同面接会は、あるリクルート会社が開催。
その会社は、アジアの国々の一番の大学しか案内状を送らなかったらしい。
パッちゃんはその会社に、日本にいる時登録していた。
タイはチュラロンコン大学にしか案内状が行ってないらしい。
パッちゃんは、その会社から350ドル貰ってシンガポールの合同面接会に行った。
そして、日本に来る時もIHIがチケット類を用意してくれた。
一流会社は、海外から優秀な若者を本気で集めているようだ。
今回の合格者は3名で、パッちゃんとインドネシア人とマレーシア人だそうだ。

 夕食は日本料理で・・ 

 10月30日(水曜日)横浜三渓園
昨夜埼玉からもう一度横浜に帰ってきた。
長男の新居は三渓園正門から歩いて3分の所なのだ。

広島東ICに帰る時間が深夜12時を過ぎると半額の料金になる。
折角だからゆっくり見学しようと言う事にした。
ひなこを連れて行く事を告げると、長男の嫁は喜んでくれた。
溜まった家事が一気に片付くので、早速お出かけの用意してくれた。
バーバは抱っこ紐でひなこを抱いて張り切っている。
10時半に出かける。
三渓園入場料500円也。
ボランティアの女性の案内人がグループに説明をしている。
グループにくっ付いて行って説明を受ける。
なかなか上手な説明をしてくれた。
11時から鶴翔閣の特別案内があることを教えてもらう。
鶴翔閣は自由に見学できない。
30名ぐらいのグループにして、11時と14時の2回のみ案内している。
なかなかチャンスがないと思われるので見学する事に・・
1時間以上に渡ってゆっくりと詳しく説明してもらった。

この三渓園を作った原富太郎(号 三渓)さんの話は感動的だった。
庭園は横浜市民が自由に見物出来るようにしていた。
神社仏閣が廃棄されるので、買い取って移築した。
50円で売り出していた寺院に1200円で買い取った。
鶴翔閣は総檜造りではなく普通の杉材を使って、飛騨の匠に造らせた。
欄間などの装飾はなく、海外の客の為鴨居は2mほどある。
自分の子ども達に使う言葉と、使用人に使う言葉は同じだったと言う。
関東大震災では横浜市民を招き入れ炊き出しをした。
生糸の貿易で財をなしたのだが、本当のお金持ちは
お金の使い方を知っているのだろう。

園内をゆっくり見たものだから、13時半になってしまい3時間も居た事になる。
ひなこは一度も眼を覚ます事もなく延々眠っていた。

14時半、横浜を出発。
帰宅したのは深夜1時半になっていた。

ひなこ宮参りのYOUTUBE