2009年 8月 |
8月13日(木曜日)包丁を研いで指をザックリ 夜、嫁さんに頼まれ包丁を研いだ。 刃こぼれが少しあったので、力を入れて研いだら手が滑って指をざっくり切ってしまった。 血がぼたぼたと落ちる。脱脂綿にヨーチンを含ませ、テープでぐるぐる巻きにして血止め。 ドックンドックンと痛みが走る。寝れないのでバッファリンを飲む。 土日が挟まったので医者には行かずじまいだった。 テープで閉めすぎて逆に指先が痛くなったので半分テープを切断。 結局2週間パラにも行けずじまいだった。 何とか膿まずに経過している様子だ。 |
8月23日(日曜日) 今日はお天気の予報であったのに、11時頃神の倉に到着すると高層雲がびっしりと張ってしまった。 是枝一家と原田親子は先に荒谷に上がっていった。斉藤さん、西沢さん、小出さんは神の倉に上がった。 石田さん、時安さん、川口さん、広大生の田中さん、私で荒谷に上がった。 高層雲はびっしりで晴れ間が出そうに無い!とうとう、フォローになってしまったので神の倉に移動。 ファルフォークの前田さんがオゾンの試乗機を20機ばかり持参してきたので飛んでみることに・・・ 1年がかりで私の次期グライダーを決めようと思っている。 無風の中、RASHU2の試乗機でテイクオフ。 キャノピーを見あげるとイプシロンよりえらく小さく見えて心細く感じた。 サーマルがあるわけでないので、特性が掴みにくい。 ウイングオーバーをかけてみる。目一杯やって潰れたら怖いので80%くらいで振ってみる。 クィとターンに入る。外翼が潰れるかと思ったが粘ってくれている。 スパイラルを少しやってみたが別に不安は無かった。 ビッグイヤーもやってみたが回復もスムーズであった。 ブレークコードを引いてのホバーリングでどの程度粘るかは試せなかった。 すぐに竹井さんがランディング場に迎えに来てくれた。 2回目はMOJOに乗ってみる。 初級機なので操作性は非常に重たかった。 どんなに無茶苦茶操作しても、びくともしない機体であった。 SWIFTも乗ってみたかったので後送することにして借りた。 |
8月25日(火曜日)外壁塗装作業完了 4月16日に我家の外壁塗装工事を自分で始めた。 6月は北海道に行ったり、日中は暑いので朝夕の作業であった。 ご近所には一年がかりでやりますと発表しておいた。 ご近所は「作業を諦めて、いつ本職さんを呼ぶのだろう?」と思っていたようだ。 2階部分を済ませた頃からは「ようやりんさったのう!」とご近所の見る目も変わってきた。 一年がかりでやろうと思っていたので、気持ちに余裕があったので最後まで出来たように思う。 「うちもやってください」と予約が入ってきたが丁重にお断りする。(笑) プロはプロに任せた方が結果的には良い仕上がりで安く出来るので、仕事が現役時代はそうした。 その作業時間には、自分のプロの部分で稼いだ方が良いのだ。 「金は天下の回り物」にしたほうが世のためである。 現在は稼ぎが無く、時間だけがあるので自分で作業を始めたわけである。 インターネットでの見積もり金額の四分の一程度で仕上がった。(自分の工賃は0円) 凸凹塗装なので仕上がりにプロとの差はない。 振りがついたので、外柵のコンクリートブロックの塗装もやる積り・・・ |
8月26日(水曜日)同級生を高照寺エリアにてタンデム 同級生の上野夫妻がタンデムフライトをやってみたいと飲み会の時言っていた。 夏場は高照寺エリアが確率が高いので田原さんにお願いした。 上野夫妻とは玖珂PAで待ち合わせて、11時前にランディング場に到着。 テイクオフがはるか上にあるので二人共びびり気味。 早速、ヤエちゃん、ジモピー2名と上野夫妻と私とでテイクオフに上がる。 南東風6mの予報であったが、テイクオフは程よい風が入っていた。 どちらが先に飛ぶか聞くと、上野君から飛ぶと言う。 普通は旦那の方は人の飛びを観察して、奥さんを先に飛ばすのが普通なのだが・・・・ 今回は旦那の方がやりたいと言ったので、旦那が先に飛ぶはめになった。 11時半頃テイクオフ。走ってくださいと言っていたが一歩でテイクオフできた。 少し沖でサーマルヒットし、ぐいぐいトップアウトして行った。 氷室の新しいテイクオフ近くまで行ったそうだ。 私も空中写真を撮るつもりだったが、なかなか追いつけなかった。 30分以上飛ばせて貰った。 降りてすぐ感想を聞く。緊張していたのでライザーを強く握りっぱなしであったようだ。 13時過ぎは奥さんのフライト。 テイクオフの準備している時もニコニコしている。 やっぱり女性はプレッシャーに強いと言うべきか?はたまたリスクイメージが弱いと言うべきか・・・ おじさんは60年以上生きてきてわが人生に自信が有るので、いろいろ考える訳である。 さっさとテイクオフしてドンドン上がっていった。私も追いかけてテイクオフ。 30分以上飛んで降りていったので、私もスパイラルで追いかける。 開口一番「楽しかった!」「岩国や海や大島もみることできました」と旦那とは違って おおいにリラックスしてフライトを楽しんだようである。 ただ、強いリフトは全然感じなかったようだ。シンクは分かったようである。 田原イントラに「どちらがリラックスしてましたか?」と聞くと「やっぱり奥さんでしょう!」でドット笑い声。 3時ごろ上野夫妻は帰宅した。 上野夫妻のタンデムフライトYOUTUBE http://www.youtube.com/watch?v=o4izdtOkTBY&feature=youtu.be 今回はオゾンの「スイフト」の試乗が半分の目的である。 機体重量は4Kgなので私のイプシロン(6Kg)よりえらく軽く感じる。 しかも生地は薄く向こうが見えそうなのでちょっとどきどきする。 一部コンペラインも使っている? 今日は結構サーマルもあるので不用意な飛びで機体が潰されるのは避けないと・・・ 小一時間飛んで潰れはしなかったが、結構気を使った。 |
8月27日(木曜日) やくざの仲間入りに!?(指が無くなる!) けさ包丁で切った指先のテープ(医療用の粘着テープ)を切り離してみた。 指の腹が真っ黒で硬く板のようになっていた。 指先は細くなっている。真っ黒なので壊疽だと直感! 同級生のかかりつけ医の木下医院に電話で相談。 「どこの医者に行こうか・・・・」と相談したら「すぐ来てみろ」と言う。 私の指を見るなり絶句。 どうも重大な事になっているようだ。 彼の奥さんが近くで皮膚科を開業しているので、見てもらってどこか紹介してもらえという。 木下皮膚科でも絶句された。ますます不安増大。 私の指を携帯の写メールで送ってもらい、なんとかなるか相談してもらった。 どうも電話の様子だと指の切断しかなさそうだ・・・・ 指を切って3日間はズキズキ痛んだが、それ以降は痛くも痒くもなかったので 治って行っているのだと思っていた。 テープで血流を止めてしまい組織は死んで行き壊疽を起こしていたのだ。 壊疽を起こした所はミイラ化してカチカチになっていたのだ。 紹介された岡山形成外科にいく。以前背中と首筋の手術をしてもらった所だ。 前回は皮膚の切り取りぐらいであったのだが、今回はそうはいかない! 13時過ぎにやっと見てもらえた。(患者さんがすごく多い) 岡山先生も絶句。 お医者さん達の絶句は「何故こうなるまで放っておいたのだ!ばかやろう!!」ということのようだ。 指先の切り傷くらいでこんな事になろうとは自分の愚かさが情けない。 指を縛りっぱなしにしていると血が通わなくて壊死するというのは知っていたのに・・・ しかし、こんなにも簡単になるなんて・・・・悔やんでも後の祭りだ! 岡山先生の見立ては「携帯の写真でははっきり見えなかったが、爪は生きているようなので 壊死している部分を切除して手のひらと指をくっつける手術をして皮膚が再生するのをを待ちましょう」 「但し骨まで壊死していたら指を切断するしかないです」といわれてしまった。 「パラグライダーのブレークコードが操作できるように指先は残してください!」とお願いする。 骨まで腐ってないことを祈るのみだ。 8月29日が手術日と決まった。 |
8月28日(金曜日)指先壊死! 手術前日の診察で皮膚移植の方法変更。 手のひらの皮膚が一番良いのだが、手のひらに3週間も人差し指をくっ付けておくと 関節が固まってしまう恐れがあると言われた。 「65歳の高齢なので関節が固まる恐れがあり、皮膚を移植して関節が動かなくなったのでは 本末転倒になりますので、中指の背中の皮膚をめくって人差し指の腹に移植します。 の皮膚をめくったところには足の付け根の皮膚を切り取って貼り付けます。 3週間して人差し指と中指を切り離します。」と言う説明を受ける。 人差し指の壊死している部分を紙に写して、中指の背中の皮膚で間に合うか検討。 明日の17時から手術しましょうと言う事になった。 BeforeとAfterの為写真を撮った。 黒く変色している所はカチカチでミイラ化していた。 第一関節は曲がらなかった。指先は少し細っている。 指先は壊死している |
8月29日(土曜日)最悪でなく最良であった。 16時半頃到着。 事務員さんが「すみません!先程午前の部の診察が終わりましたので稲垣さんの手術は19時ごろになります。 夕食を食べてきてもらっても良いです。」と言われてしまった。 岡山先生は予約制は取らず、頼ってくる患者は全て診てあげますと言う姿勢を貫いている。 水曜日と祝祭日が休診日なのだが、手術した患者は休診日にも診察している。 前回の手術の時も休診日なのに診てもらった。(入院施設はない) 岡山先生はおそらく年中無休で通しておられるのではないかと思われる。 2時間ずれたので本通りに出かけて謡曲の本を買った。 来年宮島の桃花祭の演目「草紙洗小町」と粟谷明生会の演目「小鍛冶」である。 バス通りでは選挙の最終日でスピーカーから最後のお願いの声が響き渡っている。 18時半頃、目に大きなガーゼを張った男性が出てきた。 眼科ではないのに何の手術だったのであろうか? 19時に私の名前を呼ばれた。 麻酔は腕の付け根と手首に打つので上半身は裸になり、足の付け根の皮膚を切り取るので ズボンも脱いでステテコ姿になる。手術室のクーラーの風が直接当たるので少し寒い。 手首に一箇所麻酔を打ち「手が熱い感じになりましたか?」といわれたが全然変わった感じがない。 腕の付け根に7箇所ばかり打ったら腕がジンジンし始めた。 先生が腕を持ち上げ放すとボトンと落ちた。でも手は先生の手が触れているのは分かる。 手首に注射したら針の痛さを感じたが3箇所目から感じなくなった。 足の付け根の皮膚を切り取る為にマジックでデザインするのにパンツまで脱がされてしまった。 いかに前期高齢者とはいえ恥ずかしい。 老人ホームでおしめを変えてもらう様にはなりたくないものとつくづく思った。 素っ裸に近いので寒くて震えてしまった。 指先の手術なのに、なんでこんな格好を晒さないといけないのかと情けない。 指の切開をするときには布をかけてくれた。 さっき足の付け根を消毒した時、麻酔の注射をしてない! このまま皮を剥ぎ取られたら大変と「先程注射したように無かったのですが・・・」と恐る恐る聞いてみる。 「切り取る時注射しますよ」と優しく言ってもらった。 完全に手の感覚はなくなった。 切開を見ようと顔を向けたが看護婦さんのお尻がある。 顔を向けっぱなしだとセクシャルハラスメントなので上をむく。 メス!とか言う声が聞こえ手術は始まった。20分くらい?経った。 「壊死している部分を切開したら奥は出血しているし皮膚の再生が見込まれますので このままで様子を見ましょう!指先は痛んでいるので細くなるでしょう。」とのご託宣。(ほんと神の声だ) こんな訳で皮膚を移植する手術は避けられた。 ご先祖や神様や仏様や先生や看護婦さんや全ての皆さんに感謝したい気持ちです。 唯、指先の状態がどうなっているかは分からないので100%安心と言うわけにはいかないが・・・・ |
8月30日(日曜日)車の回収 昨日は指の手術なので車に乗っていった。 3時間以上の手術予定だったのでたっぷり麻酔を打ってもらった。 指先の縫合だけなで人差し指だけ包帯を巻くのだろうと思っていたのだが、 手と腕をギブスで固めてしまった。 壊死した部分が壊れて細菌が感染しないようにとギブスでガードしたようだ。 手術台から起き上がるときフラッとした。おもわず手術台から転がり落ちる所だった。 服を着て先生に挨拶している時もフラッとする。 腕の局部麻酔なのに身体にも影響が残ってしまったのか。 21時30分にタクシーを呼んでくれ、看護婦さんが道路まで付き添ってくれた。 とても乗ってきた車を運転するどころではない。 タクシーのドライバーは「岡山先生のところは夜患者さんを運ぶ事があります」と言っていた。 看護婦さんが3名と事務員さん1名が私のために22時ごろまで残業してくれたのだ。 本当はあと1時間半は余計にかかる予定であったのだ。 医療従事者も大変なことなのだ。頭が下がります。 今日は岡山先生の診療日なので診てもらい、車の回収もあるので嫁さんとタクシーで出かける。 今日は午前中だけの受付なのに私の診察は14時ごろになった。(私の受付は11時半だった) 指が痛くないか?ギブスが閉まりすぎてないか?心配してくださった。 締めすぎで壊死が始まったのでは洒落にならんし・・・・ |