タイ訪問記
2007年3月

2007年 3 月パッちゃんを訪ねて   
3月21日(水曜日)タイ訪問記
タイに行きパッちゃんとあってきました。
毎日の様にタイのパッちゃんとスカイプで話をしている。
学校が始まると土日に限ろうとするのだが、「おとうちゃん!おかあちゃん!」と
呼びかけてくるとつい話してしまう。
いつも「いつ来るん?」と言うので、パッちゃんが大学へ入学したらと思っていたのに、
一年でタイ訪問を約束させられてしまった。
春休み(一番暑い季節らしい)が3月中旬から5月中旬なので、ちょっと行ってみようかという事にした。

旅行計画に当たって安いチケットは?と探してみたのだが、トータル的に見ればツーリスト会社のツアーが一番安いのである。
理由は
々島からの直行便があるので、新幹線や前泊が不要。 
▲張◆爾梁絛發伴分で探す航空券が同金額。(つまりホテル代及び観光ツアー代金がただになる。)
そんな訳で、5泊6日のツアー(一人81,000)に便乗して、二日間の観光してその後5日間はパッちゃんを訪ねようという事に。
延泊はホテル指定というのがJTBで、ホテル無用と言うのが近畿ツーリストだったので、近ツリにした。

旅行記は嫁さんが書いているので、重複してもつまらないので、嫁さんの日記を見て下さい。
嫁さんのタイ訪問記(ページを開くのにちょっと時間かかります)
思いついた事のあれこれと、最終日の日記は書きました。

思った事のあれこれ。
A) 旅の思い出 
22日から23日は5人の女の娘たちと私達の7名の観光ツアーであった。
アユタヤの世界遺産や、きらびやかな王宮や水上マーケット等素晴らしいものを見せてもらった。
しかし心に残るのは、人との出会いである。どんなに美しいもの、珍しいものを見ても、旅の思い出としていつまでも
心に残っているのは、人々との良い出会いである。過去旅に出た思い出として浮かぶのは必ず人との出会いである。
ツアーで行くと、現地の人との出会いの場が少なくなるので、残念なのであるが・・・。
語学の出来ない私が現地の人々との交流を言うのも変であるが・・・。
ボディーランゲッジや覚えた単語のつなぎあわせでコンタクトし、通じた時には、お互いに嬉しいものなのだ。
ちょっとした事なのにいつまでも心に残っているのである。

初日3時にはホテルに入ったので一時間ばかり近所を探検してみた。
ホテルを出て信号を渡り、日本大使館を過ぎて、川を渡る歩道橋があるのでわたる。
対岸は水上タクシーの船着場だった。そこからは2mくらいの路地のような道が続いていて、やばいかな?と思った。
100m位右側に平行してメイン道路があるのは分かっているのだが、十字路がないのである。
ずっと路地が続くので、ちょっとあせって引き返そうかと思った。
ようやく1Kmくらいで大きな道に出て右折してメイン道路にたどり着く。
途中の広場で子供4人、大人3人、爺さん一人位の集団がソフトボール大の鉄球を投げて遊んでいた。
どんなルールで遊んでいるのかと立ち止まって観察。ビデオも撮る。3ゲームばかり見ていたのだがルールがよくわからん。
球に当たる事があるのだが、誰も歓声をあげない。何かに球を寄せるのかと思ったが、そうでもないらしい。
ルールが理解できれば仲間に入れてもらおうと思ったが残念。
お互い言葉は分からないと分かっているので、彼らも淡々とゲームしている。手を振って分かれた。

B)タイ式マッサージ、足マッサージ:
旅行案内書に沢山のマッサージ案内があった。ホテルの廻りにも4軒も有る。
ホテル敷地内の足マッサージやさんを覗いてみる。50歳くらいのおばさんが暇そうに外を掃除していた。
料金がウインドに書いてある。見ていると日本語のチラシの料金表を持ってきた。
「きもちいい!」「安い!」を連発している。一時間250バーツである。1000円程度なので2日間行った。
旅行案内書に記載されていた目の不自由な人達を集めて,市が応援している施設があったのでそこにも行った。
終日フリータイムの日に地下鉄に乗り、スカイレールに乗り換え5駅行ったところであった。
駅からすぐの所であったはずなのに良く分からない。デパートの警備員みたいな人に案内書を見せて聞くもわからず。
モータイサイ(オートバイタクシー)の運転手に聞いてくれた。英語で近く(ニヤー!)といって指し示してくれた。
ちょっと行き過ぎたようだ。商売なので二人を乗せて行くと言うかと思っていたのだが、親切に教えてくれたのだった。
ここのマッサージ料金は2時間で350バーツであった。タイ人のお客さんが多いようであった。
これでバンコクの地下鉄もスカイレールも自在に乗れるぞ!

そしてホテル敷地内のマッサージ屋さんは、二日続けて行ったので、仲良しになった。
小さな木の棒で足の裏など刺激するのが痛いが気持ちいい。
足を押さえるのはもっと強くやってくれと、身振り手振り、擬音で伝える。
一日目の嫁さんをマッサージしてくれた人は弱かったので、二日目は私をやってくれたおばさんにやってもらう。
一時間半コースの350バーツ支払う。
マッサージが終わって面白かったおばさんをつかまえて、「そこへ座れ!」と言った。(身振りで指示)
お客さんが何か怒ったのか?何をされるのか?と不安げなおばさん!
さっきおばさんが(名前を聞いたのだが、忘れた)やっていたと同じ様に、おばさんの足を私の膝に乗せ、
ズボンの裾をひざの上までまくり上げた。
「ジャパニーズ インポータント ポイント」と言い三里のツボを押さえる。
三里のツボの場所の探り方も教える。三里のツボの下側を足首まで揉み下げる。
気持ちよかったのであろうか、おばさんは納得して大きくうなずいている。
するとこの診療所の美人の責任者?も自分でズボンの裾を捲り上げ三里のツボを探し始めた。
はじめは不安げなおばさんを見て笑っていた他の3名も真剣にツボを押さえたりしていた。
嫁さんが「主人はハリもするのよ」とハリを打つしぐさ(これは通じたようである)をしたので
皆の目は真剣になってしまった。
「ノーノー!アマチュア!」と言ったのだが、今や遅し!の感あり。
おばさんの歳を聞いたら両手で4と5を示した。45歳らしい。
ちょっとふざけて、5の手を先にあげるさせるものだから、違う!!と怒っている。
皆がどっと笑ったところでお開き!。ホテルを去る前の晩に「明日は行くから」と声をかけに行ったら、
ちょっと名残り惜しそうだった。

C)パッちゃんとの再会
25日朝10時にホテルに来るように打ち合わせをしていた。パッちゃんはタイに到着して毎晩電話してきていた。
最初ホテルに「イナガキさん」いるはずですが・・・と言っても「泊まっていない」という返事だったようだ。
何度か電話して「タケシーイナガキですよ!」と伝えると「タケシさんはお泊りです」という事で、電話を繋いで貰った様だ。
25日は朝6時にはお父さん、お母さん、二人の弟と5名でペッチャブリーを出発したようである。
パッちゃんの家族全員方向音痴なので、ホテルに来るのに、バンコク市内でモーターサイ(オートバイタクシー)を捕まえて、
お金を払って先導させて来たので、8時には着いた様なのだ。
てっきり10時だと思っていたので、食事は済ませていたのだが、部屋でゆっくりしていた。
電話があって「もうすぐ着くよ!」と行って来た。着いてからロビーに降りればいいと思っていた。
実はすでにロビーに到着していて、私達が降りたらびっくりさせようという魂胆だったらしい。
会ったら走り寄って、ひっしと抱き合い、パッちゃんの「感激の再会」という絵は描かれていた様である。
いつまで経っても降りて来ないし、お母さんはお腹の調子が悪い。
しかたないので部屋に行かして欲しいと頼んだら、身分証を預けさせられたらしい。
ようやく部屋に行く事を許されてドアーをノックして入室。「おかあちゃん〜!!」とひっしと抱き合う。
肝心のおとうちゃんは、その時トイレにしゃがんで居たのである。
パッちゃんの「おとうちゃんは?」という声は聞こえるが出るに出られずの状況である。
ようやく用をたし、臭い仲のハグであった。タイのお母さんは我慢出来ず私と交代でトイレに走り込む始末。
何ともちぐはぐなパッちゃんの描いていたロマンチックな再会とは、程遠いタイ家族との初対面となってしまった。

いろいろなことは嫁さんの日記を見てもらえば分かるが、滞在中はパッちゃんの家族には全身全霊200%の歓待を受けた。
パッちゃんが両親には、私達の事をいろいろ話していたのであろうが(命の恩人)、心が震えているのが分かった。
当然私達の心も共振した。
パッちゃんの新しい弟(ガイ9歳)は昨年家族となった。おばあちゃんの家の前に生後3ヶ月で捨てられていた。
おばあちゃん(お父さんの母親)は身寄りの無い子を何人か育てていたのである。
おばあちゃんも高齢(90歳)で病気がちとなりパッちゃんの両親が引き取ったらしい。 
パッちゃんの家に来た時には世話が行き届かなかったのか、痩せていて、頭はかいせんで耳垂れもあったらしい。
一年でやっと普通の子供のようになったが、背はクラスで前から3番目らしい。
パッちゃんのお父さんは警察官で安月給らしい。
ツアーの現地案内人が強調して「警察官は可愛そうです。本当にサラリーが安いです。だから悪いことする人も居る」と
言っていた。タイは仏教国で功徳を積むという風習はあると思うが、坊さんへの喜捨や動物を保護するのとは違って
人一人育てるという事は、やはり大変な事である。心優しい家族であろうと思う。
3月29日(木曜日)〆能日は日記書きました
今日はパッちゃんとの最終日だ。パッチャンは最終日をバンコク市内で過ごしたいと言う。
昨日予約したトラックタクシーは9時に来るので朝7桙時におきてシャワーなどして朝食。
食べていると8時45分にはタクシーが来た。南国タイ時間ではないようだ。
そういえば、コロンビアでも朝6時にタクシーを予約していたら、6時前には迎えに来た。
パーティなど10時と言ったら11時にしか来ないのが南米やタイの時間ではあるが、
さすがタクシーなどの時間は世界中正確な様である。
バンコクに行くのに列車も良い経験と思っていたが、パッちゃんの家族全員やめておいたほうが良いと言う。
列車には冷房車が付いてない事が多いようだ。
タクシーの運転手がどこへ行くのですか?と聞いてきた。
バスターミナルと言ったのだが、小型バンタイプのミニバスが良い!と言ってくれた。
冷房もしっかり効いているし、どこでも止めてくれるらしい。
「OK]すると20分ばかり走って着いた。料金は200バーツとられた。
昨日の言い値の150バーツに比べ、距離は2倍位とは言え、ちょっと高いかな?と思った。
リゾートホテルで買って飲まなかったコカコーラをあげていたので、チップは支払わず。

4本柱の布製テントが事務所で机を一個置いただけの事務所に4名ほど怪しげな男たちがいる。
タクシーの運転手がバンコクまで3名案内したと告げているようだ。
一番おっかなそうなヒゲおやじがいきなりニコッとして、何やら話しかけてきた。
破顔(笑顔)したおやじの顔はいきなり菩薩の顔に変わるのがうれしい。
やはり笑顔は世界のパスポートである。10日ばかりのタイ旅行で一番の笑顔に会ったのは、このおやじであった。
「微笑の国タイ」を宣伝文句に使っているには、少しさびしい現実であった。
こちらから笑顔をむければ、優しい笑顔は帰って来るのだが・・・。
少ない経験ではあるが、笑顔はバリ島が一番であった。バリ島はあちらからいつも笑いかけてくれるので、
ついつい自分も積極的に笑顔を向けるようになる。「癒しのバリ島」は本物である。
エンジンかけっぱなしで冷房を効かしてくれた。誰も居ないミニバスに乗り込む。
先程からいくらだとパッちゃんに聞いてもらっていたのだがまだ返事をもらっていないまま乗り込んだわけなのだが・・・
タイの案内書で、一等エアコンバスで94バーツの情報は仕入れてある。
あまり無茶を言えば降りてやるから!!と身構えていた。(ちなみに3等のみの列車は当然冷房車なし)
3名分のハンコを押したキップらしき物をくれ、一人120バーツと言ってきた。
バスが94バーツで、乗り合いタクシーが120バーツなら高くは無いと思い支払う。
5分くらいして娘の子が乗り込んできた。男の子は見送りに来たらしく、外にずっと立っている。
彼らは見つめあって時々笑いあっている。恋人同士は世界共通のようで、情熱の国スペインのようなキッスはないが、
こちらがちょっと恥ずかしくなるくらいのラブラブの様子である。
18歳の娘盛りのパッちゃんは、いいなー!いいなー!の連発である。
10分くらいしておばさんが乗り込んできた。
15分位経っても出発しそうにない。定期バスではないので、定刻は無さそうである。
9名が定員のバンなので、満員になるのを待っているのだろうか?
結局30分間待って、若い運転手が乗り込んで来た。総勢5名のお客さんである。
120バーツ×5名=600バーツで、2時間走る訳である。
何だか先程のタクシーの200バーツがえらく高いように思われてきたから不思議だ。

バンコクまでの道路は全て片側2車線で、街の中は3車線でよく整備されていた。
途中の風景は道路脇には殆どに道中お店などが並んでいた。時々見える畑にはトウモロコシが多かった。
パッちゃんが「おしっこが漏れそう」と言う。
運転手に止まってもらうように言え!と言うのだが、「恥ずかしいし、他の客にも迷惑なので言わない!」と言う。
とうとうパンツが少し濡れたと言う。ちょっと冗談の積りで、日本から持って行った「武富士」のポケットティッシュを渡した。
(ポケットティッシュはパッちゃんが本通りで沢山集めていたものである)
本当にジーパンのボタンをはずし、チャックに手をかけている。
嫁さんと二人でタオルを引っ張って、前を隠してやると、ティッシュをはさんでいる。
オイ!オイ!・・・18歳の娘のする事か!!と思う。
男の子の前ではいきなりなよなよと、女学院の茶道部のしとやかで、女の子らしくなるパッちゃんではあるが、
私達の前では幼児の様な振る舞いなのである。
いつも「イナガキの娘パチコです!」とか「おとうちゃん、おかあちゃんが年取ったら、めんどうするからね」とか言ってくれる。
息子しかいない私達にとっては、本当にかわいい娘なのである。
とうとう我慢しきれなくなったようで、運転手に止まってくれるように言った。セブンイレブンで止まってくれた。
ガソリンスタンドも併設されている。大急ぎで走っていくかと思えば、そろそろ行っている。余程満タンなのだろう。
一緒に乗っていたおばさんも後からトイレに行ったが、おばさん帰って来ても、パッちゃんは帰って来ない。
15分位して帰って来たのだがで、「えらい長かったね」と聞いた。
「だって、お腹痛いくらいだったら、うちはシャーと出て、あとはちょっとちょっとなんよ」と生生しく話をするパッちゃんである。

パッちゃんはホストチェンジで我が家に来て、4ヶ月経った11月頃から私達の寝室の布団で一緒に寝るようになった。
そのうち「おとうちゃん、寝ろう!寝ろう!」と私を誘うのである。布団に入ると、「手!手!」と腕枕を要求するのである。
腕枕をすると、こちらを向くので、肩を抱いてやるとリラックスして心から安心を楽しんでいる様である。
嫁さんが寝室に入ってくると、自分の位置を嫁さんに譲るパッちゃんではあったが・・・(笑)
そして嫁さんにくっついて寝ていたなぁ〜・・・。
嫁さんとは毎晩一緒にお風呂に入って、お互い背中を流し合っていた。
一緒にお風呂に入るのがいたく気に入って、嫁さんが声をかけずに入ってしまうと、
「おかあちゃん!どうして言ってくれん!」とむくれていたものだ。
そのうち、「おとうちゃんも一緒に3人で入ろ!」と言い出した。
これには私も参ってしまったが、何度も入ろう!入ろう!と言ってくれた。
余程私の背中を流してやりたかったのだろう。
私が「おとうちゃんが90才になったら入ろう!」と言うと、「おとうちゃん、おかあちゃんが年取ったら、
うちが面倒するけん!」と言ってくれる。
この頃から「おとうちゃん、おかあちゃん!」と言い出した。「ちゃん」付けで呼ぶべきシチュエーションを学んだようである。
そして、17才のパッちゃんでなく、5〜6才のパッちゃんとして接してきたのである。
娘の居ない私にとって、こんなにも娘はかわいいものなのか!と有頂天になっていたのである。
タイ滞在中のホテルでは、川の字になって寝た。私の膝に乗ったり、腕を取ったりべたべたであった。
しかし、タイの父母の前では、絶対にベタベタは見せなかった。(色々な意味で当然であるが・・・)

ここまで書いてハッとした。
ティーンエイジの娘が過去心に傷を受け、受け入れホームで心を開く過程で
幼時がえりをするという場面をテレビで見たことがあった。
パッちゃんは過去何か心に傷を受け、心の闇を引きずっているのであろうか?あれこれ想像をめぐらすと心が痛い。
それとも私達夫婦を生命の恩人と思っているからなのか?(タイの父母はそう思って大歓迎をしてくれたのだが・・・)
パッちゃんがタイに帰国する頃になって、明かしてくれたのだが・・・
自分は奨学金で派遣されて来ていて皆さんにお世話になっているし、ホストファミリーで辛抱が出来ず
帰国という事になれば、自殺しようと思っていたというのだ。
タイでは途中帰国で自殺した子は何人も居るようなのだ。
パッちゃんが堤さん(AFSボランティア)に連れられ初めて我が家に来た時、私がハグして背中をトントンたたき、
耳元で「大丈夫、大丈夫・・・」と言ったのだが・・・。
「うちはずっとずっとあの日の事を忘れんよ!」と言ってくれる。
パッちゃんは子供なのかというと、そうではない。ある部分大人顔負けなのである。
まず頭がよく、自分の心に残った出来事すべて月日付けで覚えているのだ。
だからこそ将来の小説のネタになるようにと「日本留学日記」を書けと言ったら、タイに帰国してすぐに
150頁の日記を書いて寄こしてくれた。
実は、私のハッピーバースデーのプレゼント何にしようか?」と言ってくれたので、「日本留学日記」を要望したのである。
私はパッちゃんを小説家にしたいのだが・・・。人心観察眼もしっかりしていて素質は充分である。
そしてすごいと思うのは日本で出会った人々の評価を彼女なりにもっているのである。
聞かないとなかなか言わないが、するどく深い洞察力でもって観察しているのである。
そう、17才とは思えない感性で!!そして驚くべきは全ての人々に感謝しているのである。
「お陰様で・・・」の心が根付いているのである。やはり仏教国タイで育ったせいか・・・。
メチャメチャ幼児っぽい、そしてメチャメチャ大人っぽいパッちゃんなのだ!!
わが娘として一生見守ってやろうと思う。
私達が亡くなってもパッちゃんは一生私達の事を覚えていてくれるだろう・・・。

バンコク市内に到着して最初のターミナルみたいなところに降ろされた。
市内の中心に降ろして下さいと頼んでいたのだが、パッちゃんも良く分からないらしい。
別に市内観光をする積りはなく、冷房の効いたデパートに行こうという事になり、タクシーを呼びとめる。
ガイドブックにはタクシーのメーターが起動されているか良く確かめる事と書いてあった。
いつ起動させたかわからなったが・・・35の数字出ていたので一安心。(初乗り運賃は35バーツなのである)
パッちゃんの行きつけのデパート(MBK?)に行く事に。
今日は平日なのにノロノロ運転である。30分位走って13Kmで70バーツ?であった。
デパートに入って冷房が効いていてホッとする。
とりあえず昼食にしようとパッちゃんに聞くと何でもいいと言う。
タイに来て日本食でもないので、一階でタイ食事店を探すと、客がいっぱいであいてない。
「すもう」という日本食のお店は高級そうで、店員さんもフロアに6名も居る。テーブルは三分の一くらいしか客が居ない。
「パッちゃん!ここにしようか?」と言うとうれしそうに「お寿司食べたい!」と言う。
日本にいる時そんなに寿司が好きそうになかったのに、日本が恋しいのか・・・?
私達はスパゲティを注文する。対応に来たウェイトレスにタイ語でパッちゃんが注文入れてくれた。
オーダー聞いて「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀した。
「日本語きれいですね」と言うと「2年間日本に居ました。千葉にいました。」
「1年6ヶ月、研修で、半年は働きました」と満面の笑顔で答えてくれた。
寿司はカリフォルニアロールと鮭のにぎりであった。
カリフォルニアロールを一個もらって食べたら、これがなかなかいける味だ。
アボガドも少し入っていたが、外側は鮭の刺身にとびっこがついていて、酢飯も程良く食感も良い。
日本ではお目にかかってない種類だが、日本的食味である。
先程のお姉さんにこれは美味しいと感激を伝えると、「このお店はタイに6軒あります。
日本人の板前さんも6人居ます」と説明してくれた。
カウンターの後にハチマキ姿の板さんがいたので、「彼も日本人?」と聞いたら、「いえ、タイ人です」との事。
各ホテルで出たバイキングの鉄火巻きやかっぱ巻きとは雲泥の差であった。
このデパートでは冷房が目的なのでゆっくり食事。一時間ばかり粘ったのだが、席の半分以上に
お客さん(殆ど西欧人の外国人)が入ってきた。
緑茶(これも美味しかった)を5回ばかり入れてくれたので、そろそろ退散(731バーツ=2400円位)
暇つぶしにデパートを歩いてみる。
別に買いたいものがあるのでないので、サラサラとみて歩く。6階建てのデパートは50m×250m位で中央が吹き抜けである。
フロアーの半分は個人オーナーの一坪ストアーがびっしり並んでいる。半分はデパートで様々な売り場がある。
6階はシネマで5Fは食堂街であった。水曜日だと言うのに歩くにも事欠く程混雑している。
5Fは3時なのでガラガラで、一番空いている喫茶店に入る。ジュース一杯で一時間以上粘った。
お客さんが少ないのでサクラになるので、お店も喜んでいると思っていると、パッちゃんも同じことを言った。
この子はやる事はまるで子供っぽいのだが、考えている事は大人顔負けなのである。
通路側のガラス越しに通行人の品定めをして、時間を過ごす。
「あれは絶対日本人!」「あれは韓国人!」「あれは中国人!」とか・・・・。
パッちゃんの家族とは夜8時に空港で会おうという事になっている。

4時過ぎなのだが、パッチャンは「空港で遊ぼ!」と言うのでタクシーで行く。
30Km位で260バーツ支払う。スワンアブーン新空港は成田空港の第一と第二ターミナルを合わせた広さだ。
早めに来たので出発・受付カウンター、出国ゲートなどゆっくりチェック出来た。
沢山の案内板が有り、初めての私達でも分かりやすい空港であった。
新空港は総幕ニ費1550億バーツのうち、730億バーツ(約2000億円)が円リ款によりまかなわれている。
私達が泊まったホテルは古いので、わけの分からんエレベーターでいつも3〜5cmの段差で止まっていた。
日本ならテレビで大騒ぎなのだろうが・・・(シンドラーミ製ではなかった。)
新しいビルのエレベーターやエスカレーターは殆ど日本製であった。
建材やガードレールなど目に付くものは日本的であった。
車は90%位日本ブランドであった。パッちゃんの家で見た家電も新しいものは殆ど日本ブランドであった。
今まで見てきた国(少ないが・・・)の中で、これ程日本ブランドがあふれている国は初めてである。
パッちゃんが「結婚するのなら絶対日本人!!」と言うはずである。
これ程お世話になっている親日タイであるのに、チェンマイやプーケットくらいしか知らない日本人は反省すべきである。
メディアはもっとタイについて知らせて欲しいものだ。
歩いていると、Left Baggage があったので、一個持ち歩いていたバッグを預ける。
楽になったので、一階から4階までしっかり見て歩いた。新空港は案内出来る程しっかり見て歩いた。
3撃Q9日(木曜日)▲僖奪船礇鷁搬欧箸諒れ
パッちゃんの家に旅行カバンが2ケ預けてある。家族とは空港でPM7:00に会おうと約束していた。
バンコクでバイトしているお兄ちゃんも見送りに来てくれるようである。
パッちゃんの家族は全員方向音痴の様で、お兄ちゃんをピックアップするのも、空港へ来るのも迷いに迷っている様である。
ようやくPM8:00に到着した。4階のFカウンターのところと言ったのだが、新空港も初めての様で、迷っている。
全員携帯電話を持っているので、安心なのであるが・・・
飛行機のテイクオフは翌日のAM1:00なので、たっぷり時間はある。

先程目を付けていた中華料理へ入る。
ずっとご馳走になりっぱなしであったので、夕食は私の方でという事をパッちゃんに伝えてもらう。
お兄ちゃんは英語が出来るので、嫁さんと沢山話をしているのだが、タイなまり?がひどい。
パッちゃんがトイレに立ってしまったので通訳が居なくなり、会話が途切れそうになった。
嫁さんが昨晩用意してあった手紙を父親、母親と弟たちに渡す。
日本語で書いて、行間にパッチャンがタイ語通訳を書いてくれた。
タイ語訳を書くのに昨夜私のひざの上に乗って、私の腹の上で書いたものである。
イヤハヤ・・・・(汗)
家族全員大変喜んでくれた。そしてお互いの手紙を見せ合って笑っていた。
10:00過ぎ食事を終えたので、「タイのおとうさんも仕事あるし、弟たちも眠いので、もう帰りなさい!」と言うと、
「12時まではここに居る。皆そう言っている」と言う。
私達が乗る飛行機の搭乗口が空白のまま電光掲示板に出ているのでなかなかゲートインする事が出来ない。
パッちゃんが「あ〜!」と言って母親と息子の親子連れに挨拶している。
彼はパッちゃんと同じ年にAFSのプログラムでニュージーランドに行ったらしい。
女の子(妹)が戻ってきて説明を受けて「こんばんは」と挨拶。日本語が出来るようである。
彼女は今から日本へ同じAFSのプログラムで福岡へ出発する様である。大分県へ行くと言っていた。

12時になってゲートがD−1と表示された。
それではと家族たちとハグしてお別れする。パッちゃんはハグしようとしなかった。
ハグすると泣いてしまうと考えたのだろう。
決して親の前では涙を見せないと言っていたパッちゃんらしい。
出国のエリアに入り、出国審査カウンターを過ぎるまでエリアの入り口で係官の制止を振り切り、
(少しエリアの中に入って)家族たちは手を振り続けてくれた。
パッちゃんは最後に「愛してるぅ〜!!!」と大声を出したので、審査カウンターに並んでいた
日本人全員パッちゃんの方を見ていたそうである。
日本に帰ってスカイプで話を聞いた。ついにパッちゃんも泣いたそうだ。
タイのおかあさんも兄弟達も泣き、お父さんはオロオロしていた様だ。
そんな訳で心から嬉しいタイ訪問であった。パッちゃんが大学に入学したら又行く事を約束させられた。

タイ訪問記は嫁さんのHPで!

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