2006年 7 月  写真は皆さんから提供いただきました。 

スペイン旅行記を早く書こうと思いながら伸び伸びになってしまった。
8月11日に東京に着いて風邪を引いてしまい、更に蒸気の中に居るような蒸し暑さと
時差ぼけで体調をくずしてしまった。
明日にしよう、明後日にしようという感じで、なかなか書く気にならなかった。
仕事をしている時なら否応無く行動しなければならないので、精神的にはシャキッとするのだが、
リタイヤした今は精神がたるんでいるのだろうか?
それにしてもなかなか書く気が起きない。
昨日あたりから朝夕が少し過ごしやすくなって来たかな?と思うと
少し書く気分になってきたので、日記を少しづつ書こうと思う。

仕事もリタイヤしたので、海外ロングステイをしたいものといろいろインターネットで情報を集めている。
来年あたりは決行したいと思っている矢先、川地塾がスペインフライトツアーを募集していた。
嫁さんスペイン語圏が希望なので実地調査という事でツアーに応募する。
7日ばかりフライトツアーで皆さんとフライトし、あと20日ばかりは
嫁さんと二人で残ってスペイン旅行を楽しむという目算だ。

スペイン個人旅行の文章を書くことがなかった。
YOUTUBE動画集で感想なども書き込んだ。
下記ページの動画集を参照。

http://furyouoyaji.boy.jp/supain.htm

7月15日(土曜日)
次男に広島空港まで送ってもらいJALにて羽田空港へ。
東京では長男と会い食事をしながら話をする。
部下も3名ばかり預ったようで、親の欲目か、少し逞しくなったような気がする。
夕方6時羽田空港でスペインツアーの皆さんと落ち合う。
なれない私どもが皆さんに迷惑をかけたらいかんと早めに到着。
最初に来られたのが菊池さんだった。
その後野中さん、渡辺さん、木村さん、三島さん、田村さん、長岡さんが来られてツアー客は揃ったのだが
川地さんが渋滞に巻き込まれてぎりぎり出発2時間前に到着。
エールフランスで夜10時30分テイクオフ。
パリドゴール空港まで正味11時間のフライトである。
テイクオフして軽い食事が出て、あとは窓のブラインドを降ろしてひたすら寝るのである。
4時間も座り続けていると、ケツが痛くなってきた。
60歳を過ぎてからケツの肉が無くなってきて、骨盤の骨にひびくようになった。
エコノミー症候群になってもつまらんので一時間に一回くらいで機内を歩いた。
もう眠たくなってしまった。
非常口のブラインドを開けて外を見るとシベリアの上空だった。どこまでも続く沼地・・・。
ところどころでパイプから煙を吹いている。
パイプラインが見えるので天然ガス田なのであろうか?
縁は一点も見えず灰色と言うか茶色というか、不毛な地帯がどこまでも続く。シベリアは早朝のようである。
その後時々外を見たが雲の上でずっとお昼の輝きであった。
7月16日(日曜日)
パリドゴール空港に現地時間7:00頃到着し、3時間のトランジットでスペインマドリッドにお昼に到着した。
サポート隊のインド人エディとチュニジア人ラザックが迎えに来ているはずなのだが、出会えない。
別の出口で待っていたらしいのを長岡さんが探してきてくれた。
9名乗りのワゴン車と乗用車を用意してくれていた。

 パリ・ドゴール空港  マドリッド空港

パラツアーが終わったらお世話になる日本スペイン文化協会(SNJ)でスペインのの携帯電話を
借りる事になっていたので、川地さんの運転でマドリッド市内に取りに行く。
アトーチャ駅の近くなのは分かっているのだが、高速道路から降りて探すのに苦労したが、
40分探して諦めかけた頃ようやくSNJは見つかった。
SNJの看板が小さくて分からず、SNJの前のお店で一生懸命嫁さんが聞いていた。
携帯電話を受け取り、皆さんのワゴン車を追いかける。

お昼の過ぎているので途中高速度尾路のサービスエリアで食事する。
土曜日なのでお客さんでごった返していた。コカコーラも付いているセット品で注文したら13ユーロであった。
良く考えたら2000円ちかくである。スペインもロングステイの候補地だったのだが、初日でがっくりである。
その後スペインの物価の高いのに驚かされる。

夕方4時頃ピエドラヒタから20Kmばかりの我々の宿営地のレストランで待ち合わせた。
宿営地は避暑地で我々の泊まるところはレンタル別荘で、2階建てで8部屋もある農家を改修したものだった。
プールもあり周りの別荘からいえば高級だったようである。

現地時間は4時頃ではあるが、とりあえず1本飛びに行きましょうということになり、ピエドラヒタのテイクオフへ。
皆んなうずうずしていたので、テイクオフ場に到着するとニコニコである。
風は正面から入っているのだが、5〜6m/Secで、誰もテイクオフしない。
準備していると電池を手荷物の中に入れていて、テイクオフに持参するのを忘れた事に気が付く。
仕方ないので「テイクオフは諦めます」と申告する。
三島さんに電池を借りた。
野中さんが「無線の予備がありますので使ってください」と貸して下さる。
ヤレヤレ!これで飛べると私も準備にとりかかる。

 ピエドラヒタテイクオフ 

PM5:00に6m/Secの風の中エディがテイクオフ。
テイクオフは緩斜面なので、風が強くても下がりながら沖に出す。50m位沖で弱いリフトで上げはじめる。
風の弱い時、PM5:30に菊池さんテイクオフし、左尾根で上げはじめる。
PM5:50野中さんテイクオフ。次々にテイクオフ。
渡辺さん前の道路に尻をスリスリしそうになりながらテイクオフ。木村さんようやくテイクオフ。
私は準備が遅れたのと、風の納まるのを計っていたらテイクオフはPM6:30になってしまった。
皆さんは+2〜300m上がっているのだが、私はレベルキープがやっとという状態。
最後に川地さんテイクオフ。
PM7:30頃全員ランディング。
田村さんと長岡さんの女性軍団だけは別荘に向けて飛んで、20Km?近くのクロカン。
今日は女性軍のダントツの勝ちであった。
恐るべし女性軍団!!男性軍も頑張らんとうつむいて日本に帰ることになるぞ!!!

 エッヘン!女性軍の底力だ!

PM9:00ピエドラヒタのフライヤー御用達のレストランで食事。
3〜40人の客の殆どがヨーロッパから来ているフライヤー達であった。
世界戦を闘っている選手たちも2〜3人いたようである。
エディは顔見知りなので彼らを捕まえては情報収集していた。
メニューを見てもさっぱり分からないので、エディと川地さんに任せて注文してもらう。
名前は忘れたが何でも美味しく食べる事が出来た。
どちらかというと私は洋食はなかなか喉を越さないのだが、今回のスペインでは何でも残さず食べる事が出来た。
PM10:00過ぎてようやく日没。PM11:00食事を終えて貸し別荘に。

ピエドラヒタテイクオフ動画
7月17日(月曜日)
時差ぼけでAM3:00にはトイレに起きてからはなかなか寝ることが出来ない。
ベッドに横になって夜明けを待つ。なんとAM7:00になってようやく空が白み始めた。
なんとここスペインでは夜明けがAM7:00、日没がAM10:00なのである。
サマー時間で一時間遅らせているとはいえ、夕方がやけに長いのである。
後日マドリッドで聞いたのであるが、始業時間は日本と同じAM8:30で終業がPM5:30なので、
日没までの4時間ばかりを家族と過ごしたり、友人たちとおしゃべりしたりで過ごすらしい。
「一日が2度ある人です!!」とマドリッド在住の日本人が言っていた。
さしずめ日本でサマータイムを設けても、サービス残業が一時間増えただけの事か!!と思ってしまう。
ヨーロッパ人は残業などしないでさっさと帰宅して家族と過ごすそうである。そうしないと奥さんが恐い!!
バケーションはタクシーの運転手であろうが、小売店のオヤジであろうが、最低でも2週間は楽しんでいるようである。
(本人たちに確かめたので間違いないのだが・・・)
日本人が長期のバケーションを楽しめることが出来るようになるのは、いつのことであろうか?
有給休暇という制度はあるのだが、国民が心置きなく使えるのはどうすればよいのだろう・・・

AM9:00には全員起きてきて、川地さんのPCからピエドラヒタの地図や
ポイント等のデーターを各自のGPSにダウンロードしてもらう。
今日はこのデータが行かせるフライトをするぞ!!と皆さんは張り切っている。
AM10:00には来ると言っていた行商のパン屋さんが来ないので、待ちきれずAM10:00に別荘を出る。
すると警笛を鳴らしながらパン屋がやってきた。隣人たちも家から出て来て買い始めた。
我々も(12名)も朝食用に買い求める。急な買占めで地元のお客さんの分がなくなってしまったかも?
途中ピエドラヒタのスーパーで食料や水を買う。現地スーパーに立ち寄って売られているものや、
値段を見るのは人々の生活の一端が垣間見えて楽しい。

12:00にテイクオフ場に到着。
ラザック、菊池さんの次に私テイクオフ。いつのの癖で山際にへばりついていたが、レベルキープで上がらない。
沖に出すと上がり始めた。トップアウトすれば山の稜線に戻ってもいい具合に上がってくれる。
ここピエドラヒタはランディング海抜1000m、テイクオフが海抜1930mである。
+500m位まではあがるのだが、サーマルを追いかけすぎると裏へ流される。
裏はだらだらと続く放牧地で牛が20〜30頭づつたむろしている。
テイクオフの山は全体が放牧地で、木は一本も生えていない。草に近い潅木が生えているか、牧草である。
そして有刺鉄線が張り巡らされている。どこでもランディング出来そうだが、結構大きい石がゴロゴロしている。
土地は砂利でとても日本で見る牧草地とは程遠い。
テイクオフ場も潅木を取り除いてあるくらいで、するどく尖った砂利と石がごろごろしている。
日本ではみかける事の出来ないひどいテイクオフ場だ。エリアフィーがないので文句も言えないが!!!

1時間半ばかり飛んで仲間が見えなくなった。寂しくなったので、テイクオフにもどりトップランをトライ。
正対して高度1m位までになったのだが、何だか強風のようで、、ランディングしたら引きずられて
すぐ後の有刺鉄線まで持っていかれそうなので、トップラン諦める。
仲間を探しに沖に出したら、そのままサーマルにめぐり合わずメインランディングに
降りてしまった。

PM4:002本目テイクオフ。菊池さん、田村さん、私、渡辺さん、木村さんの順でテイクオフ。
上空には雲が40%位ある。川地さんが「山際には無いので沖に出して下さい!」と無線が入っていたので、
リッジは少しあるのだが、思い切って沖に出す。
ない!!我慢して沖に出す。ない!!メインランディング近くまで行って、地上300m位でやっとサーマルヒット。
+1m/Sec位の弱いものだが、結構半径は大きく、中心を探らないでも上がっていく。
レベル高度頃になると、+2m/Secに成長してしっかり上げてくれる。
ピエドラヒタの街の上空で飛んでいると、アビラ方面から黒い雲がやってきた。
リフトはどこに行ってもある。今は海抜3000mである。
川地さんに「黒い雲はどこまで危険ですか?」と無線を入れる。
そうしたら今まで聞こえていなかった川地塾の無線交信が聞こえてきた。
野中さんが高度を失ってどこに降ろすか?など聞こえてくる。
野中さんは最後のたのみと一軒家の上空に行くと教科書通りトリガーになっていて、サーマルゲットし
高度を持ち直したようである。
川地さんが「ここは教科書通り、トリガーがあって、サーマルが発生していますのでチャレンジして下さい」と言っていた。
先行した川地さんが採石場の上空に良いサーマルがありますと教えてくれる。
移動している時もシンク音は聞こえない。採石場に近づくとしっかりしたサーマルに遭遇。
どこがサーマルコアか分からない。直進しても+3m/Secのリフトが変わらない。いい加減で廻す。
余程でかいサーマルなのか、同じ調子で上がる。海抜3500mまで上げた。
西方面のダム湖近くに先行して川地さんが「こちらに来て下さい」と誘っているので、私と渡辺さんが
追いかけるも、サーマル見つからず。長岡さんと田村さんはエディがサポートしている。
川地さんとエディは走り回ってサーマルを探っては私たちに教えてくれ、
クロカン先行しては、コースを指示してくれる。

 上から田村号・長岡号・渡辺号 此処から上げ直す野中号

何とも大名行列コースのクロカンであった。4名がようやくコンボイを組んで、同じ方向にクロカンし始めた。
途中渡辺さん、雲底につけスポっと雲に入ったが、すぐに離脱。
田村さんは寒くて疲れたので降りたいと集落を探していた。
長岡さんと渡辺さんと私はこのまま直進。その後はサーマルに会わず次第に高度を落す。
ランディングすると言っていた田村さんも合流してきた。エディが高度を落として先にランディング。
長岡さん、渡辺さん、ランディング。
眼下で田村さんがランディングしているのが見えるので、私も近くに降ろす事にする。
高度100mを切ると結構風が強く、あまり前に進まない。500m四方くらいに有刺鉄線が張ってある。
ランディング場所を決めようと操作していると川地さんから
「緑のところは作物あるかもしれないので降ろさないで!」と無線が入る。
上空で監視していてくれたのだ。田村さんの近くに降ろそうと思ったが、思うように前に出ない。
無理矢理行けば、有刺鉄線の近くになる。無理せず500m位離れたところに降ろす。
地面が近くなると、前に進んでいない。
地面は平地と思っていたのだが、後方へなだらかな下り坂となっている。
ランディングは上手く出来て、後に振り返ってグライダー降ろす。
降ろしたがグライダーがあばれて6mばかり引きずられてしまった。
降りたところは麦畑で刈り取った茎が10cm位残っている。
更に土は日本のような耕土でなく、硬い砂利道の農道の様であった。
特に麦わらは良く滑るので、引き回しの刑に会ってしまった。
長岡さんの話によると、ランディングは-10Km/secであった様だ。

 クロカン40Kmランディング川地号 クロカンランディング付近

結果はPM7:00ランディングで3時間フライト。
海抜3800m(雲底は4100mであった様だ)に達し、40Kmのクロカンであった。
高度、距離共に自己新記録となった。

しかし、フラットランドであった為、地上から2800mを飛んだのであるが、高度の実感がない。
ラザックへの緯度経度の連絡が正確でなかったせいか、ランディングして2時間ばかり待たされてしまった。
日差しの無い中では風があるとは言え暑い!!水が無くなって脱水症になりかける。
田村さんに半分残ったボトルをもらって全部飲み干してしまった。
PM9:00頃ようやくラザックが回収に来てくれた。
ピエドラヒタのレストランで塾生4名の40Kmクロスカントリー祝いをした。

KMLデータ(グーグルアースで見ること出来ます)
  060717inagaki.kml
7月18日(火曜日)
今日は雲ひとつない抜けるような青空。昨日のビッグフライトがあったので皆さんまったりしている。
嫁さんはこの家に残って近所の人達と過ごすと言うので残して出発。
テイクオフは南西風なのでフォローである。
だんだん前の斜面が暖まってきて、時々ブローが入ってくるようになった。
エディーが一瞬を着いてテイクオフ。ヨーロッパから来たハング、パラのフライヤーが見守る中上げていった。
余りにバンピーな風のためただただ指をくわえて見つめるだけ。そのうちテイクオフではダストデビルが発生。
砂塵を巻き上げながら50m位上がるのが目視出来る。ビニール袋が巻き上げられ、50m近くまで上がっていった。
パラグライダーを絞っておいていたのだが、巻き上げられては大変とハーネスを置き、大きな石を置いた。
その後も5回ばかりダストデビルが発生。キャノピーをたたんでウェイティング。
ダストデビルが納まった頃一機テイクオフして行った。
しかし我々以外のフライヤー達は下山してしまった。
それでも我々日本人以外のフライヤーはしぶとくウエイティングしたが結局テイクオフ出来ず。
その間エディは4時間ほど空中で我々がテイクオフするのを待っていてくれた。恐るべしエディである。
彼は自分の意思以外ではランディングすることは無いのだろう。
サーマルをはずして降りてしまうと言うフライトパターンは彼の中には無いのだろう。
7月19日(水曜日)
今日も雲ひとつ無い晴天。
しかし強風フォロー。早々と観光モードに切り替えセゴビアに出発。
詳しくは嫁さんのHPで。
夕方帰ってきて別荘の近くの小山までちょい飛びトップランした。風が殆ど落ちかけていたので
私の後に田村さんと川地さんが20分ばかり飛び、ほかのひとは飛べず。

7月20日(木曜日)
今日も晴天なれど風強し。サラマンカの観光。
7月21日(金曜日)
ピエドラヒタ最終日。今日も晴天なれど強風フォロー。
もう一回くらいは飛びたいので、エディと川地さん、一生懸命情報収集してくれる。
ピエドラヒタから30Km位のところに南西で飛べるエリアを見つけてくれる。
期待を込めて出発。そこはテイクオフ場といっても手を加えているわけではない。
緩斜面には草が生えていて先はいきなり断崖絶壁なのである。山肌は岸壁なのである。
山チンは死を意味しそうである。前は狭い盆地で道路が走っている。
風は6m/Sec位の息継ぎのある風が吹き付けてくる。
右30度から45度位の方向である。高度差は300m位だ。
エディがグライダー拡げて立ち上げてみるも、あばれてテイクオフ出来る様な状況に無いので、
キャノピー絞って、ウエイティング。
ヨーロッパ人フライヤーが6名ばかり来た。
彼らも様子見でパラを出そうとはしない。2時間ばかりのウエイティングの後エディがキャノピー拡げた。
最初の時とさほど良くなったとは思えないのだが・・・。
一度立ち上げて安定しないので降ろす。10分後に立ち上げユラユラしながらテイクオフして行った。
風向きは相変わらず右30℃〜45度である。リッジがとれず下がる一方である。
若干サーマル成分はあるのだが6m/Secの風ではちぎれているのだろう。
さすがのエディも地上50m位まで下がってしまった。
しかしそこからがすごい!サーマルを見つけたのであろう。
八の字で高度を100まで上げてきて、そこから360度廻しながらじりじりと上げトップアウトした。
せいぜい200m位しか上がらないが、もう下がる事はない。

風が3m/Sec位になる時間が少しづつ長くなってきた。一番手を永岡さんが努める。
田村さんも準備始めたので私も負けじと準備する。
今回のツアーメンバーの女性軍は完全に男性軍を押さえ込んでいる。
2番手で私が立ち上げたが、持ち上げられ、前つぶれして失敗。田村さんが二番手でテイクオフして行った。
私も追いかけてテイクオフ。山から離れないとゴツゴツした岩山なので危ない。
野中さん、渡辺さん、木村さんもテイクオフしてきた。
沖でエディが「サーマルがここにあります」と渡辺さんをご案内している。私も野中さんも近寄って行く。
強風でサーマル流れていると思うのだが3人3様で廻している。3つのサーマルでなく一つのサーマルであった。
サーマル追いかけながら廻しているとトップアウトし、(+200m)結構風下に流されていた。
フルアクセルで戻るも、息継ぎの風は気持ち悪い。何とかだましだまし稜線の風を正面で受けている。
斜面に辿り着く。地上200m位か?サーマル混じりのリッジ風を捕らえ今度は山肌に思い切り寄る。
+2m/Sec位で上昇して行く。斜面+300mにはエディがのんびり遊んでいる。エディに無線で呼びかける。
お仕事! !!お仕事!!とばかり無線誘導してくれる。「サーマルは2筋あるでしょう!」
「強さが変わるので良い方を使いながら上がって来てください!」と次から次へと指示が飛んでくる。
無線誘導はA級生の時3度ばかりしか経験ないので、100%誘導されるとわずらわしくなる。
サーマルをどのように外したとか、捕らえたかを考えなくなる。ほとんど聞き流してじわじわと上げて行く。
+200mばかりでそれ以上は私の腕では上げ切らないと見切って「それでは走りましょう!」と言ってくれた。
他の人は降りてしまったようなので、ピエドラヒタに向けてGO!
コース取りをエディが説明してくれるのだが、とりあえず目指す集落がどこにあるか分からない。
「良く分かりません!」と伝えたら「それでは私についてきて下さい!」という事になった。
アーベントっぽくシンク音が鳴る程には下がらない。私より100m位上をエディが飛ぶのだが、目標が分かっていないので、
エディと飛んでいる積りなのだが、追尾すればする程ジグザグコースを走っているようだ。
車で走って来た道路をたどる気持ちになってしまう。
エディはなんとかピエドラヒタまで帰る事が出来ると考えていた様であるが、私が迷走コースを取るものだから、
途中の町に降ろさざるを得なかった。
その町の向こうは森林が続いていたので、とても突っ込む気にはなれなかったので、幹線道路沿いの牧草地に下ろす。
エディも降ろしてくれた。しばらくするとヨーロッパ人も一人降りて来た。
上を行かれたのではくやしいがこの辺が限度であったのか?10Km位飛んだか?
それにしても今日はツアー客では私だけがクロカンに出かける事が出来たので大満足!!

 7月22日(土曜日)〜8月10日

8月10日までの日記は動画YOUTUBEHEへ