2004年クロカンシーズン突入だ!
もうすぐクロカンシーズンだなぁ〜

2006年 1 月   
 2006年 元旦
あけまして、おめでとうございます。

 いろいろ厄介かけますが、皆さんよろしくお願いします。

                          

4月で62歳になるので、今年で仕事はリタイヤするつもりです。
第二の人生に向かってステップして、来年あたりジャンプしようかなと考えています。
体力が残っている70歳位までは、何かしたい!!
外国で暮らしてもみたい。彼の地で子供達に日本語を教えるのも悪くない!
少しは役に立つ年寄りで居たい!というのが私の老後設計のコンセプトなのだが・・・
留学生を受け入れて一年間じっくり向き合うのも、心が打ち震えるものがある。
大言壮語のように思われるかもしれませんが、実は自分自身への鞭なのです。
HPで大風呂敷を広げてしまえば、実現しないと皆さんから笑われるので、丁度良いのです。
皆さんからのご助言や励ましをよろしくお願いします。

                 2006年     元旦 



         どんなワンちゃんになることやら・・・・

             


        
1月1日(日曜日)パッちゃんの振袖
私たち夫婦には息子しか居ない。
パッちゃんという娘の出来た嫁さんは大張り切りで、自分の振袖を着させて初参り。
振袖は結婚式のお色直しのときに着た嫁さんの振袖。
33年ぶりに、振袖に風を送る。


かわいいパッちゃん
 嫁さんも大喜び。かわいいパッちゃん


 着物姿もあでやかなパッちゃん

1月2日(月曜日)「男たちのやまと」を見る
嫁さんとパッちゃんと3人で「男たちのやまと」を見に行った。
ハリウッドのような戦争映画でなく、ヒューマンドラマとして製作してあって、みる価値はあると思う。
「やまと」が建造された時は世界最新鋭の軍艦であったが、戦闘の主力は飛行機にとって変わられていて、
日本海軍の最後の軍艦が、特攻として使用された。
片道の給油しかされず、友軍の飛行機一機の援護も無く、出陣しなければならい将校達の苦悩や
死ぬこと(特攻)の意義を見つけたいと思う若者たちの苦悩。
そして愛する者たちへ何とか自分が防波堤に成りたいという、かすかな希望。
そして男たちの友情、更に愛するものたちとの別れなど・・・良い出来栄えだったと思う。
少数の生き残りの人達の、戦後の生き様は事実なだけに、胸にせまった。
パッちゃんは、セリフは半分くらいしか理解出来ないが、登場人物が何を苦悩し、
何に泣いているのか90%は理解した。
必ず死んでしまう特攻に行く人達の心の変化や、恋人達との美しくも、悲しい別れ・・・・。
パッちゃんは日本人のラブはディープだと言った。
1月4日に大和ミュージアムに連れて行ったら、どうしてももう一度
「男たちのやまと」を見たいと言うので見に行った。
日本語の「セリフ」をもっと理解したいと言っていた。
パッちゃんは、「日本人は「男たちのやまと」を見んといけん!!」と言っていた。

1月8日(日曜日)初飛び
10時から新宮神社でのパラの安全祈願祭が終了してランディング場へ。
晴れたり曇ったりの天気で、本流北西である。神の倉は登山道がバリバリに凍っているので、
四駆でチェンがないと無理というので、荒谷山へ。
晴れ間が覗くと南から風が入ってくる。河原さん、石田さん、テイクオフして+200m葉刈上げ始めた。
私もテイクオフし、沖でレベル程度までは上がるも、力尽きランディング。
山本さん、上妻さんテイクオフするも、リフトに恵まれず・・・・。河原さん、石田さんも降りてしまった。
もう一度荒谷山へ登ったが、フォローになった為スコップと塩カルを持って神の倉へ。
2〜3cm新雪があった為、チェン無しで神の倉テイクオフに行けた。
日が当たると西斜面から、日が陰ると北斜面から入ってくる。
大方さんテイクオフするも、粘りきれずぶっ飛び。何だか荒谷山の向こうが降る雪でかすんできた。
石田さん、急いでテイクオフすると、すでに吸い上げの影響か、レベルキープで沖に出しても下がらない。
私もテイクオフし、リッジ気味に4〜5回往復し、雪で濡れるのもいやなので、トップラン決めて、畳もうと思った。
山本さんはテイクオフをやめると言い、キャノピーを納めた。
トップランアプローチするも、吸い上げられる。
ドンドン雪が迫っているので、ヘヤピンカーブまで逃げる。
ここは雪雲の端であるので、リフトが無くなった。ちょっとサブランへ降ろそうか?と思ったが
雪もまばらなようなので、メインランディングを目指す。ようやく今年の初飛び完了。

1月9日(月曜日)高照寺4時間フライト
晴れ予報なのだが、神の倉の凍結があるので、上がるのが大変なので高照寺に行くことに。
我が家に大方さん、河原さん、向井さん、上妻さんが9:30集合。
山本夫妻と石田さんは別々に高照寺に向かう。11時頃到着すると、5〜6機テイクオフしていた。
山本夫妻も乗り込み7名でテイクオフへ。
正月のご祝儀で北方面10Km以上クロカンで200円のエントリー費だったので、神の倉勢のXCは全員参加。

12時にテイクオフ。高照寺は南西向きで天気であれば、必ず飛んでいる事が出来る。
テイクオフして、ちょっと渋かったがテイクオフ左側斜面でトップアウト。
廻しながら+200mに上がったので、ボルタックの後ろ側を通って、右側の尾根を攻める。
サーマルは上がって来るのだが、南西風も強くすぐ後に流される。
追いかけすぎて、盆地内の稜線を越える事が難しい程垂直降下している。
目の前の稜線はどんどん上がってくる。
いつ引き返してアウトランディングの田んぼに向かおうか、計っているとようやくピッピと鳴り出した。
稜線手前30mで、対置高度20m位だった。やれやれと胸をなでおろす暇もなく結構グラグラくる。
リッジ風とローター風の混じりあっている所だろう。稜線を越えると力強いサーマルが待っていてくれた。
少しくらいはずしても、しっかりしたサーマル帯は残っていてくれた。
気持ちよく上がり始めたのを見つけた山本さんは、すぐにサーマル帯に入ってきた。
二人で雲底まで(海抜1100m)上げきった。
山本さんはすぐにもっと北のもっこり山に移動して行った。
私の機体とは速度が違うので、あまり参考にならないので、誰か来ないかと
思っていたが、雲がなくなって下がってしまった。

何度もあげ直すのだが、今度は雲底に付けられず、海抜800m止まり。
次に雲底に付けたら走ってやろうと決意したのだがスタートするチャンスは来なかった。
あまり動き回る事もなく、延々4時間飛び続けてしまった。
まだ飛んでおれる状況ではあたが、生理現象には勝てず、ランディング。
キャノピーもたたまずトイレに走る。(走れなった!漏れそう!!!)
寒い中4時間も飛んだので、皆さんから呆れられる。
まずは年初から、ハッピーフライトであった。
フライトログはこちら
1月14日(土曜日)
雨。
今日は嫁さんは日本語教師の学校がある。パッちゃんの最後のAFS広島支部の集まりがある。
この一年間の留学生活の報告などと、フェアウェルパーティである。
パッチャンとキャロラインのこの一年の思い出など報告し、今年海外に行く高校生の決意表明があった。
そして一品持ち寄りのパーティとなった。
我が家はパッチャンが一ヶ月間作り続けて女学院に持参した大学芋を持参。
今度ホストファミリーをやってみようかという、娘さんと同道して来られたお母さん2家族と話しをした。
ショートステイで受け入れた事はあるが、一年間は長いので、いろいろ心配される事が頭をよぎるらしい。
ボランティアというより、優秀な子供が一人出来たと思えば良いので、肩の力を抜いて、
普通に接すればそれで良いと思うと、お話をする。
”親・親たらんとし、子、子たらんとする”関係が出来るので、実の親子関係より、
よっぽど理想的な親子関係が築けるように思う。
17歳前後の人生で一番多感な時期、人間形成の時期に関われるなんて、本当に素晴らしい事と思う。
留学生にとっても、ホストファミリーは一生忘れられない存在になると思う。
そして、信頼の於ける大人として受け入れられれば、留学生の日本人の友人達とも、擬似親子関係も出来る楽しさ。
(4年前のホアンの友人達も、いまだに我が家に遊びに来てくれる。)
若い人達に「おとうさん!おかあさん!」と尊敬を込めて親しんでもらえる極上の喜び、等等。
つい力が入って、口角泡を飛ばし、30分ばかり独壇場で喋ってしまった。

  広島支部長とキャロラインと

これから退職期を迎える団塊の世代の人達に、是非ホストファミリーを買ってもらいたいものだ。
子供達が独立し、家から出ている老夫婦は、理想的なホストファミリーと思うのだが・・・・。
留学生にとっては、一身に愛情が受けられるし、老夫婦にとっては、
日々の生活が張りのあるものになってくるのは間違いない!!。
      一生懸命書きました
3時過ぎに解散。
パッチャンはもう一度「男たちの大和」を見たいと言う。
3度目になるのだが・・・・。どうも、もっとセリフを理解して日本人の心を理解したいようだ。
3度も見たいというパッチャンの心意気に共感し、バルト11に行った。
今回見たパッチャンは、一番泣いていた。理解が深まって感動したのであろう。
1月12日に留学生達が広島市長を表敬訪問した時パッチャンは
「私は”男たちの大和”を2回見ました。広島人は見んといけん!!」と言ったそうだ。
パッチャンは会う人達に「”男たちの大和”を見た?見んといけん」と言っている様だ。
17年間生きてきて、沢山映画を見たが、一番感動した映画だと言っている。
私も付き合わされて3度も(私にとって前代未聞)見てしまったのだがその都度胸にせまるものがある。
映画が完全に終了して、館内に明りが灯るまで、誰も席を立とうとはしないので、皆さんも
深く感動を覚えているのだろう。

 3回も見てしまったパッチャン
1月15日(日曜日)パッちゃんスキーへ
結局お正月には雪が多すぎてパッチャンをスキーに連れて行ってなかった。
日本に来て初めて降る雪を見て興奮していたし沢山の雪のあるスキー場に連れて行ってやりたいと思っていた。
昨日瑞穂スキー場でなだれが起きたらしい。3月の気温になってしまい、雨も降った。今日は雨は降らない。
夕方31会の新年会があるので、短時間で行ける大朝町の寒曳スキー場に3名で行った。

当然パッチャンはスキーは初めてである。最初ゲレンデの一番下で歩く練習やら、
ボーゲンを教えようとするのだがなかなか上手く出来ない。
すぐに飽きてしまって、リフトで上に上がりたいと言う。私も頭にきて、それじゃぁ上がろうという事にした。
第一リフトで滑ろうかと向きかけたら、係員がど素人という事がリフトの降り方で分かったので、
第二リフトの方が緩斜面ですよと教えてくれた。
第二リフトで上まで上がる。(嫁さんがまたリフトを止めた!)
スキー板を付け、歩こうとするのだが、前に進みずらい。
少し傾斜のところに来ると転んで、スキーが交差して、起き上がれない。
「おとうさん!!」と甘えた声を上げてくる。
基本練習しない子には、厳しく接する事に。
スキー板を斜面に対して直角に揃えて、ストックを使って起き上がる事を実演して見せるが、一切手を貸さない。
スキー板を揃えることもおぼつかないので、スキーを中止すると言い出した。
「よし!スキー板をはずしてかついで下に歩いて降りなさい!」と命令。
私が一切取り合わず、手助けもしないので、あずりこずり起き上がるも、スキーは勝手に滑ってしまう。
斜面に直角にスキー板を揃えなければならないと言うのに、そうしない。
私のストックで雪面に線を引いたり、靴をたたいたりして指導。
いつものやさしいおとうさんと違うので、戸惑っている様子。
それでも下まで滑り終える頃には、斜滑降は出来る様になった。

  

  

2回目はスキーを履いてリフトに乗る。
降りる時も転ばずに降りた。2回目の滑降は転ぶ事を教える。
しかし、ボーゲンを教えたいのだが、やろうとしない。
上手な人が滑るスタイルのみが、目に焼きつく様だ。
斜滑降で最後に斜面を昇る様にして、ストップする事を覚えた。
そして、中ほど以降は直滑降をしだした。スピードが付くと怖いので転ぶ。
結構なスピードまで上げるので、スキーは飛んでいくしストックも飛んでいく。
ホアンの時より過激なのだ。私も若い頃、無茶する方だったが、2回目であんなスピードを出すとは!!
11時過ぎたので、昼食にする。1000円のバイキングだった。

  

昼から2本滑る。制動は出来ないが、直滑降で斜滑降に移行し、ターンをかける事を覚えた。
私は、ビデオカメラを廻しながらパッチャンを追いかける。
追いかけるが間に合わないくらいに早い。4本滑ってこんな具合である。
もう大丈夫と思い一人で滑りなさいと自由にさせる。
リフトに乗って降りてくるのに、15分ばかりである。初日にして長足の進歩である。
運動神経も抜群で、暴走族の気もあるのかも・・・・。何だか私の若い頃の様だ。
3時半になったので、ぼつぼつ帰ろうか?と言うと、もう一回とリフトに乗って行った。結局もう2回であった。
滑れるようになったので面白くて仕方ないようだ。
帰りたくないようだが私の寄り合いもあるので、4時には引き上げる。
夜は、日ごろ使わない筋肉を使ったのと、あちこちで打ったようで、痛い痛いと言っていた。
1月21日(土曜日)川地塾
午前中、川地さんのパラの寺子屋。
フラットスピンと、リッジソアリングについて。
知っているつもりでも、あらためて知識が深くなる。
長いこと間違って覚えていたことの修正も出来る。

昼からぶっ飛び1本。強風になる。
1月22日(日曜日)
強風で飛べず。
1月28日(土曜日)
ぶっ飛び1本。
1月29日(日曜日)パッちゃんの最終お願い
今日はパッちゃんの日本最後の日曜日なので、一日中つき会う事にした。
出来るリクエストは全て付き合うと言うと、朝5時に起きて、20のリクエストすると言っていた。
しかし起きたのは10時ごろ!!

4回目の「男たちの大和」を見たいと言う。
とりあえずダイアモンドシティにいって考えることに。
4度まではいかにも芸が無いので、邦画で何か心に残るものはと、「博士の愛した数式」を見ることに。
シュチュエーションやセリフがパッちゃんには少し難しいかなと思った。
でも、パッちゃんは良かったと言ってくれた。
無味乾燥な数学の公式や定理を、あのように物語ってくれるときっと数学も好きになるのにと思った。
あの授業が本当のゆとり授業だと思った。
先人たちの努力で開かれた学問を教わることは、本当は楽しいことだと思うのだが・・・・
公式や定理を無理矢理詰め込むのでは、益々数学を嫌いになることだろう。
私は、学校教育について考えさせられた。

映画そのものは、ほのぼのとした物語であった。

映画が終わって、嫁さんのおふくろさんが入居している老人ホームに行く。
パッちゃんのリクエストで行ったのです。
ボケが進んでいてパッちゃんのことが理解できないのだが、
合計5回ばかり見舞いに行ったのである。
パッちゃんは子供も大好きだが、年よりも大好きです。
1時間ばかりいて、夕食はタイ料理を食べに「サワディ」に行く。
パッちゃんに選んでもらって7品ばかりつつきあう。
どれも初めての味であったが、旨かった。
本道のプリクラ館に入って、3人で写真を撮らされた。
入っていくと若い娘からじろじろ見られて、恥ずかしかった。
パッちゃんは慣れたもので、凄い速さで、様々に絵柄を加工していた。

詳しくは嫁さんのHPで