2003年今年の夏は日照が足りないなぁ〜

2003年8  月   
8月2日(土曜日)
一ヶ月前にシリコンスプレーをパラグライダーに使用して、インテークに手を突っ込んだのでやったので
手にしっかりかかってしまった。
ず〜と手が熱い感じがとれないので、スプレー缶を持参して皮膚科に行ってみた。
シリコン樹脂そのものは身体に害があるものではないが、石油系のものが害があったのでは?と
いう事で、様子を見ましょうという事になった。

2週間程前に顔に吹き出物が出来たので、カットバンにヨードチンキを付けて貼ったら、
長方形に皮がむけ、その後黒いシミがとして残ってしまった。
楕円形のシミなら自然だが、くっきり長方形のはどうもカッコ悪い!!
皆んなから「どうしたの?」と良く聞かれる。
いくら色が黒いといっても、やはり長方形は良く目立つらしい!
美容整形で10万円もかける面でもないし・・・・
先生に「何んとかなりますか?」と聞いたら、時間が薬ですと言われてしまった。

昼過ぎに神の倉へ行く。3mばかりのしっかりした西南西風が入っている。
しかし上がらない。1本目ワンチャンスで+200m上げたが、45分間のフライト。
あと2本も若干のリッジはあったが、15分程度であった。
児島さん一人南の屏風で2時間は飛んでいた。

夕方いっちゃん(4歳)が居たので、頭を撫でてやったら、いかにも嫌そうであった。
最近顔つきも少年っぽくなって来たなぁーと思っていたら、頭をなでてもらう様な可愛がられ方を
嫌がる年頃になって来たのかと感心する。
そういえば、1ヶ月前日高さんの娘「ゆきちゃん」の目の方で自分の自転車を持ち上げて見せていた。
男の子に変化しているのが、うれしいやら、ほほえましいやらで、孫を見守るじい様気分を味わっている。
               
8月3日(日曜日)1100m2時間
今日はランディングの草刈日だ。
朝7時からフレックスタイムで2時間作業という事なので、7時少し前に到着すると、既に10名以上
集合していた。結局40名ばかりがやったので、10時頃には草刈終了。
汗びっしょりになったので、シャツとタオルをセブンで買って、東屋のホースで水をかけてもらう。
すっきりしたので、やっぱり稲垣号が一番手で神の倉に上がる。
今日は少し南よりに入ってくる。
4名テイクオフしたら、ツリーラン発生し、20m位の松の木からの回収に一時間ばかりかかった。
小脇さんと芦刈さんが手際良く回収作業。
特に足刈さんのロープワークはプロなので、見ていて気持ちが良い。
怪我もなく、キャノピーの破れもなく、めでたく回収終わった。

私は見てるだけの精神的救援だったので、ダミーを果たそうと、3番手でテイクオフした。
テイクオフ廻りは+30mは上がれるが、それ以上にならない。テイクオフは混み合ってきた。
小脇さん、是枝さん、時安さん、竹井さん達が南の屏風に移動し始めた。
『私も!!』と思ったが、少し高度が足りない!
移動する彼らを見ていて、あまり沈下してない様なので、+50mで出発。
やはり最後の鞍部のところで、沈下するし、キャノピーもテンション抜けかける。
何とかすり抜けると、一気にリフト帯へ。
そのうち+5m/SECでピピピツーとバリオが鳴り始めたので、ハイバンクで廻す。
+200mまで高度を稼いだが、テイクオフ近くまで流されたので、もう一度南の屏風へ。
小脇さん、時安さん、是枝さんが上がっている。
同レベルでサーマルに到達したので廻す。
+400m位まで上がるも、北の鉄塔近くまで流される。
フルアクセルで帰るも+100mで鉄塔上空へ。もう一度サーマルにヒットし、+500mまで上昇。
小脇さん、勇さんが廻している。また流され過ぎて帰れなくなったのでは、嫌なので
途中でサーマル離脱。やっぱり来た!!前潰れやら、テンション抜けするやらで、気持ち悪い。
今度はテイクオフ近くまで下がってしまったが、荒れ気味のサーマルヒットし、+200mまで
上がったので、一応納得して、翼端折って降りる事に。

実はさっきから、携帯電話が鳴っていた。大方さんが来ているはずだ。山本さんからイプ3を
借りて、私の車に入れてある事を伝えてはいたのだが・・・・。
神の倉に上がるのに困っているのかと、翼端折っているのだが、グランドサーマルあるので、
なかなか下がらない。
結局私が降りる時はサーマル成分無くなって来た様で、是枝さん一人頑張っていた。

しびれを切らしていた大方さん達と友井号で神の倉へ。
テイクオフは南風に変わっていて、サーマル成分はなくなったが、リッジだけはとれて
+50m位でいくらでも遊べた。30分フライトして、混み合ってきたので、トップランした。
結構リッジはとれるので、様子を見る。竹井さんが私の車を降ろしてくれるというので、もう1本
飛ぶ事にした。程よい風が入っているので、2度もトップランしてしまった。
車の回収あと一人なら私が努めようと思ったが、あと2名必要なので、回収部隊を地森さんが
募集していたので、私は飛んで降りることにし、あとはまっしぐらにランディングへ。
梅雨空も晴れて、サーマル発生して、+500mで2時間フライトであったので大満足であった。
                                       
毎年恒例のハングとパラの一日体験会が開催されます。
下記タウン誌「Freak」から転載しました。

  日時・・・・・9月6日(土)・9月7日(日)  ※1日のみの参加も可
           9:30〜15:00
  場所・・・・・テージャスランチ(高田郡甲田町上甲立)
  参加費・・・1日3000円
  問い合わせ・・広島ハンググライディング連盟(日高充次)
           п@0824−62−5496
           〒728−0013
           三次市十日市東1−3−12−201
           apara@orange.ocn.ne.jp

  参加希望者は住所・氏名・電話番号・年齢・性別・参加希望日・ハンググライダー又は
  パラグライダーの希望を記入し、80円切手と返信用封筒(住所・氏名を記入)を同封して
  左記まで申し込みを。
  締め切りは8月29日(金)必着。定員は50名程度ただし、17歳以上の男女が対象で
  未成年者の場合は親の承諾が必要。


8月9日(土曜日)
昨夜台風が通過。時速20Km位なので台風一過というわけにいかず、いつまでも風が強い様だ。
この一週間長男が帰省していたので、会社のコンピューターをつついてもらった。
私がつつきまわしていて、調子が悪くなっていたので、古いコンピューターのリカバリーしてもらった。
何とか軽快に動く様になた。盆休みに仕事が有るとかで、本日帰るというので、「北夢」のぶっかけうどんを
食って新幹線に送って行った。
雨は降りそうにないので昼過ぎて神の倉へ出かける。途中雨もパラついて、風もまだ納まっていない様だ。
ランディング場に到着すると学生達が立ち上げの稽古をしている。
社会人は誰も居ない。学生に混じって立ち上げを30分ばかりやり汗びっしょりになる。
携帯で神の倉の風をチェックすると27m/secとなっている。???
大方さんと福伝さんが来た。彼らもパラ中毒末期患者の様だ。
3時頃もう一度神の倉の風をチェックすると16m/secである。
本流は西なのだが、ランディング場は東風なのだ。
強風の為西側の山から大ローターで東から入っているのだろう。
神の倉の西斜面は木の葉が裏返っている。
強風にもかかわらず、下から3分の1くらいは木の葉が裏返っていない。
4時過ぎ神の倉は6m北風に変わり、下の竹薮も揺れ始めた。
少し強風だが、風向きも一致したので大方さん、福伝さんと神の倉へ。
神の倉テイクオフへ佐古さんが家族と来ていて、奥さんの友人のポーランド人の
旦那をタンデムしようとしていたのだが、強風で断念したらしい。
私が一番で北斜面からテイクオフ。強めに入っていたので、テイクオフ前でリッジソワリング。
15分ばかり粘ったが、大方さんテイクオフの準備完了した様なので、鉄塔下尾根に行く。
ぎりぎり張り付いたが、なかなかトップアウト出来ない。ついに力尽きランディング場へ。
25分間のフライトであった。もう一本ぶっ飛んだ。
誰も飛べないと日と思っていた日にとりあえず2本も飛んだので、3人共密かに満足。
車回収がPM7:30になり、下山途中、鹿の夫婦と遭遇した。
ライトに目がくらんだのか、道から山へ逃げる事もせず、道で私の車を見ていた。

8月10日(日曜日)1時間フライト・トップラン
天気予報は晴れだったので、皆さん早く来ていた様だ。
私は10時過ぎに到着。
工藤さん、大方さん、近藤のおばちゃん、友井さん、利弘さん達と荒谷山へ。
すでに福伝号は上がっていた。福伝さん,工藤さんに続いて私もテイクオフするも
サブランへぶっ飛んでしまった。
周さんが迎えに来てくれ、大急ぎで荒谷山へ。上がる途中大方さんが粘って上げ始めていた。
テイクオフに到着すると、大方さん、立石さん達が+300m位で遊んでいた。
近藤のおばちゃんテイクオフし、南の小山でヒット。利弘さんもテクオフし、+300m上がって行った。
その後パラパラとテイクオフするも、トップアウトしない。石田さんは、粘り勝って上がっていた様だ。
結局1時間待機したが、良いサーマルが来ず。
小脇さんテイクオフしたが、緊急ラン近くで粘りに粘っていた。
福伝さんも粘っていたが結局トップアウト出来ずサブランへ。
私と松代さんだけ残ってしまった。サーマルを諦め私は一目散にメインランディング目指し、何とか届いた。
井口号は神の倉へ行った様だが、友井号で私達はもう一度荒谷山へ。

対面の神の倉では、リッジが取れていて+300mばかり上がっている人も居る。
トップアウトも10名以上は居た様だ。南風が強いらしく、センタリングすると、どんどん南に流されている。
南の屏風へハングを入れて3機ばかり到達している。
福場さんが、練習生に「帰って来れなくなるので、あまり北に流すなよ〜!」と無線を飛ばしている。
荒谷山の我々は、神の倉の状況を見て、全員で車の回収をして、神の倉へ移動しようか?と考えた。
とりあえず、回収だと一人余るので、福伝さんをダミーとして飛んでもらう。
南西風なので、リッジが取れるかと思っていたら、+50m位トップアウトしてしまった。
それじゃぁーと車の回収はやめて、フライトする事に。
右小山を狙って行くも、一周すると外してしまう事を何度かやりながら、小山周辺を探る。
小山左で2週くらい廻し、サーマル外しそうなので、廻さず思い切ってテイクオフ方向へ行く。
斜面を駆け上がるサーマルの中でブレーキングしながら廻す事無く+1〜2mで上がる。
レベルまで復活したら、次のサーマルでトップアウトは簡単だった。
しかし、今日のサーマルは長続きしない。
100m位上がっては見失ってしまう。沖に出せばヒットする事を3〜4回繰り返す。
松代さんと先程からバトルを繰り返している。
友井さんは+100mでテイクオフから結構後ろへ流されている。
沈下すれば尾根の被りで谷底フライトになりはしないかと心配するも、リフトは有りそうで
テイクオへレベルで帰って来た。松代さんは+200m位で右後方の尾根伝いに大きく弧を書きながら
メインランディングを目指して行った。友井さんもメインランディングへ。
荒谷は私だけとなった。リフトも弱そうなのでトップランすることに。
テイクオフは南風で2〜3mである。正面沖からアプローチ。
丁度良い風なので、ど真ん中にふんわりと着地。1時間のフライトであった。
利弘さんと神谷さんがテントの下で眠っていた。車が5台残っているので、3人では回収ならないので、
トップランして車の回収という美学を忘れ、ぶっ飛び1本を追加するパラ中毒患者であった。

利弘さんにサブランで拾ってもらって、メインランディングで8人詰め込んで、神の倉へ。
風は北風に変わっていた。学生達がテイクオフするのを見守る。
少しアーベントっぽく、高度を保ったまま飛べている。どんどんテイクオフすればよいのにと思っていると、
急に風が凪いで完全に無風になってしまった。
それではおじさんパワーを見せつけようと、キャノピー広げる。
北斜面で距離もあるので、キャノピーを頂上に拡げ、捧げ持ってもらい、”エイヤッツ!”と
クロスで立ち上げ、斜面を最後まで走り、ようやくテイクオフ。
お寺上空はアーベントっぽく沈下少ない様だ。
お寺上空は避けながら、体重移動のみで、ゆっくり廻す。
車の回収の為、友井さんの車で上げてもらう。友井さんはイプ3を上限で乗っているので、
イプ4に買い変える為、10万円で売り出している。
学生達にこのお盆貸し出すことにして、今日はよう子ちゃんが試乗し飛び立って行った。

回収者の車が上がって来るまで3m位の西風に、夕涼みしながら7時過ぎまで友井さんと話をした。
”景気が悪いねぇー”という話から、パラが何歳まで続けられるかと言う話になった。
友井さんも私も70歳まではパラをやりたいねぇ〜と希望が合った。友井さん63歳なのだが・・・。
『70歳過ぎたら何をしようか?』と聞いたら、友井さんはスキューバダイビングを始めたいと言う。
これには脱帽してしまった。今年石垣島に行き、波照間島へ行った時、きれいな珊瑚礁を見て
早速シュノーケルを買い、先日孫達と海水浴場へ出かけたそうだ。
友井さんの弟さんが、スキューバをやっておられるので、あまり抵抗はなさそうだ。
それにしても70歳からスキューバを始めようかと思う友井さんの心の若さに圧倒されてしまった。
私は70歳過ぎには何をしているだろうか?
死ぬまで飛び続けているのかな・・・?
                            
8月13日(水曜日)雲中飛行
天気予報はお日様マークであったのに、高層雲がしっかり張っていて、雲っている。
10時に到着。京都からビジターさんが昨日から来ている。
さすがお盆で皆さん出足はにぶい様だ。
石井さん、河原さん、ビジターさん2名乗せて荒谷山へ。

北風2mで河原さん、石井さんテイクオフ。石井さん、南小山で強めのサーマルに
ピッチング起しながら半周しては外していたが、ついにトップアウト。
+200m位で40分ばかりのフライト。ランディング場近くでも粘りにねばっていた。
私はあえなくサブランへ。河原さんの車でメインランデインングへ。勇さんの車で急ぎ荒谷山へ。
12時過ぎ正面の風に変わった。井口さん、勇さんテイクオフし、正面目の前でヒットし、トップアウト。
武ちゃんテイクオフし、右尾根でヒットし、井口さん、勇さんを追いかけ始めた。私もテイクオフ。
テイクオフの目の前でリフトは有るものの、なかなかトップアウトしない。
3人共+200m位上がっているのに、私は+30mでウロウロしている。
北風に変わったので、左尾根頂上に行くもイマイチだ。
2〜3機テイクオフし、正面沖で上げている。私も沖に出し、ようやく4m/Secのサーマルヒット。
サーマル強いのでハイバンクできりきり廻す。サーマル強いとハイバンクで廻すと外す事がない。
+400mで雲底につける。あとから出た大方さん、河原さん、石井さんも雲底に付けてきた。
私も彼らと100m位離れて雲底に付けた。
私は雲中に入ったので、彼らと離れる様に向原方面に向ける。
河原さんも雲中に入った様だ。
私はすぐに雲の端に出た。雲は東風に乗って流れてくる。
皆さん雲底にいる。もういちど雲へ入り、北西に向ける。「誰か雲にいますか〜?」と無線で伝える。
吉田町へ半分位来てしまった。高度は+600mで、雲が切れてしまった。
神の倉上空から雲が流れて来ている。井口さんは神の倉上空で、雲底につけている。
フルアクセルで谷渡りを試みるも残念ながら+100迄高度を失ってしまった。
仕方ないので、荒谷山へ戻り、トップラン狙う。
テイクオフ場は小脇さんがキャノピー拡げている。河原さんも居た。
北風2〜3mで、リフト有ると思えなかったが、トップランしようと近づくと結構吹き上げられる。
南側でしっかり振って、小脇さんの拡げてあるキャノピーを避けながら何とかトップラン。
+900m1時間のフライトであった。
河原さんもトップランしたので、テイクオフに居た様だ。
さっそく小脇さんテイクオフして行ったが、何事もなくぶっ飛んでしまった。
京都からのビジターさんもサーマルの狭間でぶっ飛びとなってしまった。

嫁さんは東京から里帰りする友人と食事するとかで、
私は「高宮湯の森」で食事して風呂に入ろうと思っていた。

「パーティするので、どうです?」と誘われ「高宮湯の森」の帰りによる事にした。
甲立駅から5分ばかりの所だ。2年前までは生活していた家なのできれいでしっかりしている。
※(宿泊所提供に付いては未だ何も決まってないようです。)
私はお酒は一滴もダメなのですぐに引き上げ様と思っていたが、小脇さんも井口さんも
お酒はダメな様で、本日のフライトで話は盛り上がる。
井口さんは3時間ばかり飛んだ様で、後半は全空一人占めだったので、雲中飛行やり放題であった。
コンパス持ってなかったようで、出来るだけ雲の縁をフライトしたが、それでもしっかり上げ、
雲上飛行を楽しんだそうだ。
私もいつかは雲をつき抜け、更に雲上で発生している雲を利用してあげてみたい。
河原さん、宇野さん、武ちゃん、美穂さん、たかちゃんはお酒を飲みながら、盛り上がっている。
11時に心配した嫁さんから有り。退散する。
明日は雨予報。
                 
8月14日(木曜日)
雨で嫁さんと「たかみや湯の森」へ行く。
8月15日(金曜日)
墓のお花を替え、少し草を抜く。
一週間もするとすぐに草が生えてくる。
昼前に神の倉へ行く。雲量は80%位だが、低層雲で積雲でもなさそう。
東北東の風で、雲が次から次へと流れてくる。今日は若い人たちは海水浴に行った様で
社会人は小脇さん、福伝さん、石田さん、大方さん、利弘さん等パラ中毒患者と学生達だった。
荒谷山へ上がるも、左サイド3〜4mでちょっと強め。日照がないので、皆さんほとんどぶっ飛び。
小脇さんは1本ぶっ飛んで、自転車に乗り換えた模様。
私らはもう一度上がったがやはりぶっ飛び。
後は東屋でPM7:30頃までパラ談義に花が咲く。
ぶっ飛びデーでも、仲間が寄れば男同士のおしゃべりで3時間ばかりあっという間であった。

8月16日(土曜日)小学校の思い出
今日は小学校の時のクラス会である。
中黒瀬小学校に1〜3年生まで在学していた。
11:30の開始時間前だったので、中黒瀬小学校跡に行って見た。
小学校は相当以前から無くなっていて幼稚園や商工センターなどが立っていた。
昔、サッカーゴール代わりに見立てていた栴檀の大木がフェンスに守られている。
小学校の時、大木だと思っていたのだが、50年経った今も、大きさはあまり変わってないように思われた。
小学校の裏手の小高い所に神社が有ったが今も健在であった。
記念碑の四角に大砲の弾や機雷が設置してあって、「爆発しないのかなぁー?」と恐る恐る触ったのを
鮮明に思い出した。
50年経った今も,錆びて穴が明くわけでもなく、昔のまま不気味な姿で鎮座していた。
広島市に3歳から5歳まで居て、親が国鉄バス勤務だったので、
勤務で6歳から9歳(幼稚園から小学校3年)まで居たのだった。
昭和25年の朝鮮戦争の翌年に引っ越して来た事になる。
街から田舎に引っ越して来て、山懐に抱かれ自然児としてのびのび育ち、思い出が多い。
              

引っ越した当日、近所の悪ガキ(地元の男の子で国鉄官舎の小さい子や、女の子をいじめていたらしい)
を「うちのビワの葉を取った!!」と、私が取っ組み合いして泣かしたらしい。
手伝いに来ていた官舎の職員や奥さん方が「今度の助役の息子は悪そうだ!!」
「自分家の子供がいじめられなければいいが・・・」とヒソヒソ話をしていたらしい。
私は物心ついた頃から、小さな子や女の子など、弱い者いじめは卑怯者だと自覚していたように思う。
実際、弱い者いじめは現在に至るまで一度もしなかった。
後日官舎の人々から「うちの子がいつ泣かされるのかと思っていたが,全然違ったねぇー」と褒められた。

私のような転勤族の子供は必ず転校すると番長に便所の裏に呼び出される。
それは小学校の時も中学校の時も同じだった。
けんかをしても多勢に無勢で負けることは分かっている。
堂々と正論を吐けばむやみに相手もかかっては来ない。
番長は仲間にボスたる姿を見せれば、それで良い様だ。
こちらも卑屈な態度をとれば、相手になめられるし、あまり刺激すると寄って集ってやられるし、
その辺の微妙なバランスが難しい。
基本姿勢は「大勢でやりたいならやれ!なぐられてやるから!!しかしお前らは卑怯者だ!!」と
堂々としていたら、殴られたことは一度もなかった。
昔は悪がきにもそれなりの規範があったように思う。「お前は卑怯者か!!?」と問えば、
お互い素手でなぐりあったり、それなりのルールはあったものだ。
最近は相手が死ぬまで、いじめて追いつめたり、バットなどで殴ったり、私には想像できない。
いつ頃からか子供社会の規範が失われていったのだろうか?
皆さん!幼稚園の頃を思い出してみてください。
物心ついた頃には、善悪は充分判断出来る(理解出来る)能力は有ったように思う。
何が正義なのか、何が卑怯者なのか、何が悪なのか、理解していたように思う。
若いお父さん、お母さんに言いたい!子育ての本を読んで右往左往しないで、
自分の規範でよいので自信を持って子供を養育して欲しい。

脱線したので話を戻しましょう。
私は7つ上がりであったので、6歳で小学校と併設の幼稚園に1年間通った。
入園してすぐに女ボスにおやつをせびられた。「これは、僕のじゃけん、あげん!!」と断ると、
夕方小学校のお兄ちゃんが「妹をいじめたんか?」と言ってきた。
「自分のおやつを取られそうになった」と告げたら黙って去って行った。
小学校に上がってからも違う部落のボスからもちょっかいは出されたが、けんかにはならず。
「おたまじゃくしを取りに行こう」と誘われれば、もう嬉しくて授業を抜け出していた。
一時もじっとしてない子で、授業中は先生の後を付いて廻っていたらしい・・・

同じ部落の悪ガキから「山スイカ取りに行こう!ナイフ持って来い!」と誘われた。
私がスイカを見たのは一度だけ。井戸の中に吊るしてあったスイカであった。
よって、スイカは井戸から生まれるものと漠然と思っていた。
それが、山スイカがあると言う!!!
大急ぎで家に帰り、肥後守(おりたたみナイフ)を持ち出して、ワクワクしながら彼の後に従う。
別に山に分け入ったわけでもない所にスイカが整然と生えていて、スイカがゴロゴロ転がっていた。
何と沢山の山スイカと思いうれしくなった。
おじさんが一人あちらの方で鍬を握っている。
一緒に来た悪ガキは端の方で見ている。おじさんもこちらを見ている。
私は出来るだけでっかいやつを物色した。
おじさんに負けないようにと、ナイフで切り落とす。とたんにおじさん怒り出した。
悪ガキは尻に帆かけて逃げ出した。
私は何んの事かわからず、どこの誰兵衛ベえと正々堂々と名乗って立ち去る。
しかし山スイカをおじさんに奪われたのがくやしい。理不尽だ!!
遊んで夕方家に帰るとお袋がえらい剣幕でしかりつける。
何が何だか良く分からんが,「謝りに行くから付いておいで!!」と言うので付いて行く。
農家でお袋が頭をペコペコして、私の頭も押さえつけられペコリとした。
庭先では、未だ白っぽいスイカが半分割にしてあり、鶏がつついていた。
「何んだ!熟れてなかったのかぁ〜!!」と残念に思っていたのを思い出す。
何故叱られているのかがまだ分かっていないのだ。
お百姓さんが手塩に掛けて作っている事を知ったのは翌日の事だった。
野菜とか果物とかいう概念は街の子にはなかったのである。
                                   

小学1年生の頃進駐軍が河原でテントを張ったりして演習していた。
農家の子供達はスイカとか、果物を持参して、チョコレートやチューインガムと交換していた。
チョコレート等は田舎のお店には売ってなかった時代であった。
自分も何か交換出来る物がないか真剣に考えたものだ。
しかし、田舎の子供達は決して「ギブミーチョコレート」とは誰一人言わなかった。
「ギブミー・・・」はほいと(乞食)が言う事と思っていたので誰一人言わなかった。
最も兵隊達もお菓子をばら撒かなかったし、又ばらまく暇もなかったのか?・・・

ある日、家の前で近所の子と遊んでいると、食パンを満載した進駐軍のトラックが行き過ぎ、
50cm位の長さの食パンを一個落として行った。
それ〜っ!!とばかり皆んなで100m位走り、私がゲットした。
意気揚揚と”戦利品”をひっさげ、誇らしく近所の子を引き連れ家に帰りお袋に渡す。
おふくろは「MPが来るかもしれんからね!!」と近所の子供達を追い返す。
翌日近所の子供達がうち揃って「おばちゃん!”食べたぁ〜」と偵察に来る。
「MPが来るかもしれんからね!!」と追い返す。
3日目にまた近所の子供達が「おばちゃん〜・・・・・」と来る。
3日経っても進駐軍のMPは来そうにないのでやっと食パンを切ってくれる。
3日経っているので、少し固くなっていたが、何も付けないで食べるのだが
ミルク味がして、口の中でパンの風味が拡がったのを覚えている。
その頃パンと言えば、玄米パンくらいで、あんが入っていれば大変なものであった。

本当のパンの味を知った記念すべき日だった。
その時のお袋の困惑した表情を今でもよく覚えている。
落し物なので、警察に届けるべきか?
息子が敵軍からかっぱらってきた戦利品とも言えなくもない!
近所の子供達が毎日おすそ分けを楽しみに来ている!
これ以上置いておいて、食べられなくなってもつまらないし・・・。
意を決して食パンに包丁を入れた時のお袋の顔はよく覚えている。
私と近所の子供達は一心にパン切りの厚みに集中していたのであった。

黒瀬町市飯田の小学3年生までの私を心身ともに鍛えてくれた。
同級生の西田のお兄ちゃんに連れられよく山を走り回った。
山で食べる事の出来る松グミやアケビ、山葡萄などの果実や、
食べると酸っぱい木の葉や草の葉っぱなど色々教えてもらった。
ため池で泳ぎも教えてもらった。始めは木につかまり、次には犬掻きで
岸から1m離れてすぐに引き返す。それを2m、3mと距離を伸ばして行ったものだ。
子供なりに生命をかけて泳いでいたので、どこが限界か探り探り、やっていた様に思う。
2〜3歳の子供を水に放り込んだら、本能で泳ぎ始めるという映像を見た事がある。
浮き輪に捕まらせて水に慣れさせるというのは、泳ぎを教える事とは全く異質な事だ!!!
その事に気付く親は多くないのではないか、とつい思ってしまう。
浮き輪に捕まって遊ぶ子は、手を滑らせれば、パニックになって溺れ死ぬしかないのである。

近所の子と泳ぎに行くと言えば、私の親は5〜6回は
こっそりと後を付けて遠くから見守ってくれていた様だった。
子育てとは、子供の自立を促すという事が基本にあると思う。
手取り足取り教えることが教育ではないように思う。
昔の親はいちいち子供に構ってやれないのが実情だったが・・・
自立を促すという事は、動物では当たり前の事なのだが・・・。
少年時代の出発を切った場所なので、もっと様々な思い出が詰まっている。
還暦を迎えるクラス会で、50年前の話に花が咲き、あの頃の自分の生き様(幼児から少年へ成長する過程)
が思い出され、何だか心がフルフルと打ち震えている。
そうだ!!こうもり傘を開いて橋から飛んだのも、小学2年生の時だったなぁ〜・・・・。

そんな訳で夕方神の倉へ来てしまって1本ぶっ飛んだ。
8月23日(土曜日)
晴れの予報だったのに、何んだか薄雲が張っている。
神の倉ランディング場に到着すると、結構車が多い。
お盆休みに来れなかった人が、繰り出して来たらしい。
荒谷山へ11:30上がる。南又は正面からも入って来る。
今日は空気がいやに水っぽい。安駄山はかすんで見えない。雲低も1500mくらいか?
しかし暑い!例年ならばお盆が明ければ秋風が吹く頃なのに。
1本目は3人でぶっ飛んでしまった。
大急ぎで荒谷山へ。既に3機ばかり上がっている。
正面沖で強風なのだが流されつつ上がって行く。
私も正面右でサーマルヒット。何とかトップアウトし荒谷山山頂に付ける。
しかし今日のサーマルは、強いのだけれども細く強風で流される。
そして、よくテンション抜けて気持ち悪い。
廻しては流され、テイクオフ上空に戻り・・・・・を何度も繰り返す。
1時間ばかり飛んで+300mしか上がらず、飽きてトップラン決意。
両翼端折って駐車場上空5mをスルー。
少し強めだったので、前進せずバリケードをギリギリ超えてソフトトップラン。
その後、小脇さんを残して全員ランディングしてしまった。
小脇さんは一人2時間ばかり飛んでいた。
荒谷山テイクオフのテントで、小一時間眠ってしまった。

目を覚ましてみると、未だ4〜5mの風は吹いている。
リッジがとれるかとテイクオフ。出てすぐ、右ボール奥に突っ込む。
林道と同じレベルで斜面にへばり付く。
コネコネとリッジで+20m上がるもそれ以上上がる気配がない。
とりあえずトップランしようと高度処理したのだが、少し高いのでもう一度ボール奥に振ったら、
高度を失ってしまった。林道上を偏流で行き、駐車場トイレ前にトップラン。
しかし、バリケードより外側なのでアウトラン???。
夕方小脇さんに聞いたら、アウトランだがトイレ掃除ペナルティの範囲外であった。
車を降ろそうと思っていたのだが、木原さんが降ろしてくれると言うので、
お言葉に甘えて、本日最後のフライトをぶっ飛びで飾る、パラ中毒末期患者の不良おやじであった。

   足刈さん、石田さん、野口さん   先週は雲の上で発達している雲でリッジソリングした井口さん

   珍しくテイクオフにいる地森さんと、近藤さん、藤谷さん   

   遠路はるばる通って来る崇ちゃん。運転に疲れ背筋体操   おやじ軍団の小田さんと石井さん
8月24日(日曜日)
10時過ぎにランディング場に到着。今日も20台ばかり車が有る。
しかし昨日より雲量が多い様だ。
稲垣号、友井号、総勢13名で荒谷山テイクオフに上がる。
12時過ぎ、卵焼色のキャノピー宇野さんと徳ちゃんガ、キャノピー拡げ宇野さんテイクオフ。
正面で弱いサーマル引っ掛けトップアウト。続いて時安さん・井口さんテイクオフし、トップアウト。
しかし100m以上はあがらない。暫くして私もテイクオフ。相変わらず南風で、5m前後吹いている。
リッジを取ろうと右奥ボールに流す。奥まで来てスルスルと上がり始める。
一度左に振って、トイレの屋根筋で強いリフトあり、右ターン。コネコネして荒谷山上空へ。
テイクオフ上空で小脇さん、足刈さん達が廻しているので、私も近寄って廻す。
しかしサーマルは一気に上がって行くほど続いていないのか、又は強風でちぎれてしまうのか
最後まで使いきれない。それでも一時間フライトし、翼端折ってトップラン。

昨日の暑さにやられ、顔は真っ赤になってしまった。色は黒いのに未だ赤くなる余地は残っていたと
見える。疲れているのでテイクオフテントで30分ばかり眠った。
「浮いている!」との声で目が覚める。田中さんがテイクオフに来ていた。
田中さん、ぎっくり腰になって今日は飛ばないとの事。
彼も週1回は神の倉の空気を吸わないと、パラ中毒症状で手足が震えるらしい。
「目の前で上がって行った」と言うので、早速キャノピー拡げテイクオフ。ゲッ!何も無い!!
南風5m位にサーマルは混じっているのだが、一周も廻し切れない。
とうとう右小山に来てしまった。
少しリフト強めかと旋回に入れると、1/4廻ったところでテンション抜けた。
小山+10m位だったので半周で小山後ろの小さな鞍部で少し低くなっているところを目指した。
バッシバッシと梢を蹴飛ばしてスルー。ぎりぎりツリーラン免れた!
もう一度右小山表でコネコネして、少しづつ高度を稼ぎながらテイクオフの方へ移動。
正面尾根に乗り移る。何度もコネコネして、5mづつ高度を稼ぐ。
テイクオフ真下の崖に到達した後は爪を立てる様によじ登る。
-3m迄上がり一気にテイクオフに近寄る。
リッジ風を捉えトップラン。

4時過ぎ、もう一度テイクオフ右奥ボールの壁で+50m位でリッジソアリング。
プレジャークラブ、三次さんが、テイクオフ前でコネコネして粘っている。
「トップアウトして、高度があれば、ボール奥の壁に来て、リッジを取ったら〜!」と無線入れる。
暫くして、リッジソアリングに参加し、すぐ同高度に来た。
何を思ったのか旋回をしてしまいあっという間に左尾根まで飛ばされてしまった。
ローターに会わなければ良いと思っていたら、何とかテイクオフ上空まで帰って来た。
やれ!やれ!本格的なリッジソアリングで、一時間ばかり飛んで欲しいと思っていたのだが・・・。
彼はこのところサーマルヒットは目覚しいものがあり、時々マイサーマルで他の人を下に従える事もある。
リッジサーマルもそこそこ出来るとは思っていたが、旋回入れてしまい、後ろに流されるとは・・・。
発展段階を知らないで、安易に誘ってはまずい事になると反省!

青い機体がテイクオフし上がって来た。てっきり別府さんと思って居たら友井さんだった。
高度が同じ所しか取れないし、1時間飛んだので、私はトップラン決める。
今日はあまり高くは上がれなかったが、一時間が2本飛べたので満足。
車を降ろして東屋でうだうだ話をしていると、夫婦連れがテイクオフ場への道順を聞いていた。
車が発進して橋を渡りかけた頃、崇ちゃんがテイクオフに上げてもらいたくて、車の後ろを追いかけて
「乗せてー!」と大声を出していた。
崇ちゃんは毎週の様に大阪から神の倉に通って来る。
「私パラ貧乏なの・・・」と言っていたが本当にワンフライト数千円かかっているだろう。
「近くにもエリアがあるだろうに!」と言えば、「色々行ったが、エリアも仲間達も神の倉が一番!」だそうだ。
ワンフライト数千円かかっても、めげずに神の倉通いするとは、私より余程パラ中毒症状が激しいかも・・・・。
もう一本飛びたそうなので、1本単価を下げるに協力。回収も兼ねて神の倉テイクオフへ。
ほとんど無風になり、最後の中川さんは久しぶりのフライトなので、躊躇していたが、
鍛冶ちゃんの後押しもあり、フロントで2本目に見事テイクオフ。

   テイクオフ前を探る   田中さんが見守っている?

   ぐいっとUターン   ここが強いリフト帯だ!

   よっし!トップアウトだ!   右奥ボールにつけてリッジソアリング

8月30日(土曜日)
雨で飛べず。
8月31日(日曜日)
雨の確率60%なのに夜半の雨はやんでいた。
来週の体験会の為に荒槙牧場にテントを仮設するので朝8時集合になっていた。
5m×10mの巨大な日除けテントだった。大勢でやったので2時間もしないうちに完成。
荒牧牧場は5〜6mの南風で練習は出来ない事はない。
雲底は低く(1000m位か?)早く流れて行くので皆さん神の倉に移動しようとしない。
まあ、神の倉ランディングで立ち上げでもやろうと一人移動する。
指江さん、竹田さんとCOOのビジターが一人来ていた。昔のハング仲間のようだ。
ハングの竹田さん、パラを貸してもらって立ち上げ稽古を始めた。
来週の体験会にパラで参加しようかと言っていた。
そう言えば、昨日彼の奥さん(ハングをやっている)も体験会にパラで参加しようかと言っていた。
メインランディングのアプローチの方法が変わって”アトス”での北侵入は辛いと竹田さん言っていたなぁー。
早く刈り入れ終ってハングの専用ランディング場が確保出来ると良いのだが・・・。

少し風も弱まって来た様なので,竹井さん、榎本さん、福伝さん、粟屋さんなどで神の倉に上がってみる。
南南西で、3〜4mなのだが、息継ぎの風なので余りよくない。
榎本さんの新機体の初試乗で竹井さんが早速テイクオフしぶっ飛んでしまった。
山際はグラグラしている様だ。続いて私がテイクオフ。
右尾根でリフトを貰い南側に移動中、山際の左半分以上潰される。
さすがイプ3だ。
2mばかりストンと落ちるものの、旋回には入らず、直進を続けてくれる。
(若干当てて体重移動はしたが・・・。)
一度左ブレーキコードをはたいて直る。
そのまま、南鞍部に回り込みリフトを貰ってターンし、テイクオフ上空10mで戻る。
しかし、リフトもすぐに無くなる。−50m迄下がったが、右尾根でコネコネし、ジワジワと復活。
しかし最後の-15mのところは南風の回り込みでローター気味なのでグラグラし、ターンすると、高度失う。
リフトのある時、右尾根稜線一杯に偏流のホバーリングで枯れた松の木の梢をスルー出来たので、
そのままトップラン。
ど真ん中にふんわりトップラン。15分間フライトであった。
急に姿が見えなくなったので、竹井さん心配して無線で安否を聞いてくれた。
てっきり裏山ツリーランと思ったらしい・・・・ご心配ありがとうございます。

ランディング場に石井さんと小田さんが到着したとかで、竹井さんと3人で上がりますとの事。
「一人位なら、乗れます!」との事だったが、誰も出る様子がないので、もう一度私がテイクオフ。
ぶっ飛ぶ予定だったのだが、テイクオフ前でステイ出来るものだから、粘っていると、
「頑張って下さい!!。私達は上がります!!」と無線入れて来た。
ランディング場には、誰も居なくなったので、もう一度トップラン果たそうとしたが、
復活ならず、あえなく10分間フライトになってしまった。

一人メインランで待っていると、友井さんが荒槙牧場から帰って来た。
神の倉は南がかぶっているようだし、石井さん、指江さん、ビジターさん、友井さんを誘って荒谷山へ。
右斜面からまっすぐ3〜4m入ってくるのだが、リフトを感じない。
雲の晴れ間を狙ってテイクオフするも廻す程もなく、15分でサブランへ。
皆さんも同じ様なフライトで降りてきてしまった。
徳ちゃんがピックアップしてくれてメインランディングに戻る。
山本さんの車でもう一度神の倉へ上がる。
皆さんテイクオフするもぶっ飛びばかりだ。
一度キャノピー拡げたが、もう一度しぼる。うだうだと1時間ばかり待ったが、良くならない。
車の回収者も居るようなのでぶっ飛んで本日の仕上げとする。

来週はハングとパラの体験会だ。
タウン誌に記事を載せてもらっても、先週は7〜8に名しか申し込みがないと
日高さん嘆いていたが、締め切で50名ばかり集まったらしい。
参加者が少ないと聞いていたので、知り合いに声をかけた。
私の中学校時代の同級生の息子とその彼女。
ホアンの同級生(今は大学一年生)が6名参加する事になった。
児島さんの奉職する広島市立大学の女学生も、そのうち3名ばかり参加します。
勇さん、女学生ですぅ〜・・・タンデムよろしく!!!
昨年義弟の友人からメールを貰った。
パラを始めたのだがもっと基本をじっくりやりたいということだった。
今回10ヶ月ぶりにメールもらった。
まだB級生だがHP開設しましたとのことだった。
写真も沢山でパラにのめり込んでいる様子が手にとるようだ。
又一人、パラ中毒重症患者が生まれたようです。
笠岡エリアで飛んでいるので、会う事が有ると思います。

HPのタイトル「ど素人のぱらぐらいだあ」です。