2003年今年は何かが見える年にしたいものだなぁ

2003年4  月   
4月5日(土曜日)
強風の為、神の倉へは行かず。
春になり、畑は草ボウボウなので、シャベルで天地返しする。
腕と腰が痛い。
4月6日(日曜日)ちょい飛びトップラン
晴天。風も強くない。本日は神の倉の総会が10時からある。
花粉症で6:30には起きてしまった。朝食を済ませ昨日やり残した畑を掘り返す。
6坪ばかりやったが、へとへとになってしまった。太ももまで痛い。
「もう少し、もう少し」と一区切り付くまでやったものだから、9時40分に自宅を出る。
総会に少し遅れた。
来週は神の倉の”桜祭り”なので、道路の掃除をする事になった。
昼過ぎに掃除終わる。

午前中は南西1〜2mだった風が3〜4mになっていて時々突風気味の風が入ってくる。
待っていても風は強くなりそうなので、プレジャークラブのおやじ2名テイクオフするも、
ぶっ飛びとなってしまた。3番手で私がテイクオフ。
サーマルは発生している様なのだが、強風の為繋がっていない、ちぎれサーマルの様だ。
テイクオフ前の斜面を這いつくばり、爪を立てる様なリッジソアリングを続ける。
3度ばかりトップアウトしたが、すぐにレベル以下になる。
テイクオフ前の谷底を這っていると、いきなり左半分潰されてしまった。
旋回に入りかけているのを、ようやく体重移動と右ブレークでとめる。
ちょっと強めのサーマルに乗って、メインポールを越したので、そのまま後ろに流してみる。
先程児島さんが、沖を通って鉄塔北へ行った。私も沖を通るつもりが、全然沈まないで
鉄塔の左尾根最上部に行けてしまったので、つい鉄塔根元をなめながら、沈下せず児島さんの
所へ行くというイメージを持ってしまった。
しかし、中程まで来ると沈下し始め谷底へ。南風のかぶりで左半分近く潰されてしまった。
体重移動とブレークコードを少し当て、何とか回復。テイクオフ北斜面は見えなかったので
皆さんに見られずに済んだかと思っていると、潰れるところはしっかり見えていたらしい。
「ヤレヤレ、山チン回収か!」と思われてしまったらしい。
高度が下がってしまったので、強風の為メインランディングには当然帰れないし、児島さんの
所へは上げて行けそうにない。仕方なくサブランを目指す。45分のフライトであった。

一人でたたんでいると、松永さん達が迎えに来てくれた。神の倉テイクオフに到着すると、
「南風が強いのだから鉄塔へ行ったらはたかれるに決まっているでしょう!」と
日高さんからきつい批判を頂いた。
メインポールから鉄塔尾根に行くまでに沈下もせず、少しの荒れも無かったので
鉄塔根元は虹色の道が、私には見えてしまった。おはずかしい!!
B級生の練習生はアホな不良おやじを反面教師として下さい。アッ!!とっくの昔に分かっているか!
プレジャーのE氏、ぼつぼつ帰りたいのだが、車が無いし、飛びたくてジリジリしている。
少し風も納まってきた様なので、私が先に出る事にした。
突風のインターバルも少し長くなった様だし、テイクオフ。1本目よりサーマルのリフト無し。
リッジで斜面にへばり付いていたが、あえなくぶっ飛び。それでも25分はネバネバしていた。

夕方5時過ぎてようやく風も納まりつつある様だ。三番手でテイクオフ。
少しアーベントになり、テイクオフ前でステイ出来る様になってきた。
テイクオフ前は、5〜6機がウロウロし始め、学生達が用意し始めた。
テイクオフ場は一人だけグライダーを拡げてウエイティングの様だ。
アーベントは学生達に譲るとして、トップラン狙う。
右尾根の松の梢をぎりぎりに偏流で西斜面へ。
強めの風が入っていたので、一度”ヘコッ”とテンション抜けたが、動きは何事もなく
ふんわりトップラン。10分のフライト。

本日のフライトは少し無謀だったと少し反省。南風(サイド風)で風の乱れもあるのに
斜面に近寄り過ぎたと思う。勇さんは、ちゃんと10m以上離れて、じっくりサーマルが
来るまで粘って、結局トップアウトした。
パラのトグルを握ると人が変わってしまう自分が恥ずかしい。
きつい”やいと”(怪我)をすえられないと治らない性格か?
いつになったら歳相応の枯れたかっこいい飛びが出来る事やら・・・。

4月12日(土曜日)岩城島エリア・2時間
岩城島に誘われた。地図を見るとしまなみ海道の途中の生口島のすぐそばの島だ。
レモンの島として有名らしい。桜が満開なので、行きましょうという事だ。
直径4Kmばかりの小さな島だ。トップアウトすれば、全島が見れるのも面白そうだ。
天気予報は毎日変わって、金曜日午前中には晴れとなっていた。
朝6:00に宇野さんと徳ちゃんが我が家に迎えに来てくれた。嫁さん特製の甘酒を飲んで出発。
(甘酒は一夜にして出来るのでアルコール発酵まではいかないので心配ご無用です)
宇野さんの新車のにおいがツンツンする車で(600Km)で出発。
途中小谷PAで皆さんと合流して出発。雨は本降りだ。
午後から晴れるという天気予報をひたすら信じて岩城島へ向かう。
私の天気予報の信じ方は、晴れはそのまま信じ、雨50%、風速7m/Secまでは神の倉は
大丈夫とひたすら信じ、いそいそと神の倉へ向かってしまうのである。

生口島からフェリー5分で岩城島へ8:30には到着。まだ小雨が降り続いている。
生口島から広大OBのばんばんが来ていた。彼は生口島の造船所に居るそうだ。
東京から来たうさぎちゃんチームと合流し地元の原さんの案内でテイクオフを見る。
途中山道は桜並木が続いている。雨は殆どやんだが、雲底が低いので雲中ドライブである。
テイクオフは南向きと南西向きがあった。とりあえず山頂まで登ってみる事に。
頂上の展望台に上がるも雲中で視界は30mくらいである。上から見ると全ての登山道が
桜並木になっていて、まるで桜のへびが山頂へ向かっている様であるとの事。
天気が良ければすばらしい景色なんだろうなぁ〜・・・。

   祥雲寺の花?三輪   

   隣の島(生口島)から初めて岩城島に渡った”ばんばん”   紅白の花が一本の木に

とりあえず下山し、島内一周観光する事に。もっとも一周20分しかかからないという事だが・・・。
途中、国の重要文化財の祥雲寺と天然記念物のうばめがしを見る。
出来るだけ、時間をかけて廻らないと時間が潰せないので、メイン道路をはずして
巡ってみるも30分位では一周してしまった。
地元フライヤーで食堂と宿をやっている”よし正”で昼食をとる。
今日来ているうさぎちゃんチームのメンバーは加賀山さん夫婦、6〜7年前に神の倉に来て
座談会に出席した武尾さんや、穴井女史達のトップコンペティター達がプライベートな遊びで来ていた。
よし正の大将も60歳でパラ、58歳でパソコンを始めたらしい。
”よし正”のラベルを貼った一升瓶をうさぎちゃんチームに差し入れしていた。
なかなかあなどれないおやじさんと見た。
昼食を済ませ、山に上がりながら、”よし正”の大将に聞いた話だと、この桜は戦後間もなく
島の住民の還暦を迎えた人が、一本づつ植えていったそうである。山の斜面に苗木が
植えてあるのをよく見ると、個人の名札が掛かっていて、大きい看板には33歳の
厄年云々と書かれていた。33歳は女の厄年なので、島民が競って植樹している様だ。
そのうちに全山桜に覆われたら、それは見事になるだろうなぁ〜!

   元UPの加賀山さん   一番奥が木下さん

フライト途中のビデオが欲しかったので、山本さんに空中撮影お願いする。テイクオフからは
由加里さんに撮ってもらう事に。2時頃一番手で山本さんテイクオフ。2番手で私がテイクオフ。
あっという間にぶっ飛びだったので、正面に相対しての撮影は無理だった様だ。
ランディングは30m×100m位で、緩やかな前傾斜。左は小山で右はミカン畑。
山本さんが先にランディングアプローチしているのだが、グランドサーマルがポコポコあって
狙いが定まらない。同時進入になりそうなので、私は手前の空き地で高度処理し
2mのショートでアウトラン。2本目テイクフに上がると皆さん南斜面でウエイティング。
しびれを切らせて南西テイクオフを見に行く。一応正面2m位で入っている。急いで皆さんに
南西に移動を勧めようと引き返すと、皆さん移動してきた。
4時過ぎて薄日も射し始めた。穴井さんが一番手てテイクオフ。私も遅れじと2番手でテイクオフ。
彼女から何か盗みたいものと、尻を追いかける。リッジソアリングも私の様な鋭角ターンでなく
なめらかなターンである。5分もすると、右尾根前方沖に出しサーマルを探り始めた。
サーマルをヒットし、クルクル廻しトップアウト。早々とサーマルポイントを判断し、きっちり
上げて行くのは、さすが女性トップコンペティターなんだ〜・・・。知らないエリアやクロカンに
出かけて、地形を読んでサーマルポイントを意識的に探るという訓練は私はまだまだだなぁ〜・・・。

   南のテイクオフ   二番手でテイクオフ

   上から花見と洒落込む   梢を蹴飛ばすリッジソアリング

      

テイクオフしたら、出来るだけ飛んでいたいものだから、毎度の様に、斜面にへばり付き
爪を立てるようなリッジソアリングを続けてしまった。それでも2時間ばかりのリッジソアリングであった。
テイクオフ後ろの尾根にも桜が植えてあり、テイクオフ上空10mばかりをソアリングしていると
うさぎちゃんチームの木下さんがカメラを構えて何か叫んでいる。
写真を撮ってくれるものと思い右に身を乗り出して手を振る。
後で聞くと写真コンクールに投稿する写真を撮ろうとしていたらしい。
桜の木を透して瀬戸内海の島々が夕日に照らし出されているという立派な構図を
描いたらしいのだが・・・。そんな事とは知らず、手を振ってギャラリーに答える不良おやじであった。
一緒に来た私達3人は日帰りだ。後の人は原さんの家にご厄介になるらしい。
明日は晴れるはずなので、空から素晴らしい花見が出来る事でしょう。
昼過ぎ東京の彩花ちゃんから電話入る。「息子さんのインタビュー終わりました。
うちのディレクターと意気投合してましたよ!」と無事撮影収録を伝えて来た。

明日は神の倉で私の番だ。「息子さんの写真を用意して下さい」と言っていたので、
今夜捜しておかないと・・・。
息子達とは小学生以上になってはべたべたした関係ではなかったので、親子の写真が
あるやらどうやら・・・。
4月13日(日曜日)テレビインタビュー
天気予報通り晴れではあるが、青空が見えない。
東京からインタビューを撮りに来る。
RCC中国放送「素顔の時」で21:54〜22:00の番組で親が子を語り、子が親を語る企画だ。
いつもは、NHKの「プロジェクトX」を見て余韻に浸って居る時なので見たことが無かった。

11時に広島駅新幹線北口にて待ち合わせ。
今日はホアンの友人で今年安芸府中高校卒業した由也と川崎がタンデムをして欲しくて来ている。
11時前に彼らをピックアップし、11時ジャストにテレビクルーの車と合流し、一路神の倉へ。
到着するなりランディングの桜の木の下に椅子を2ケ持ち出しインタビュー撮影となる。
インタビューの中身は興味ない方に申し訳ないので、別の欄へ

   インタビューが始まった    対談なので緊張なし

出来るだけ端に座ったが、風向きがコロコロ変わっていたので、特にハングのフライヤーには
相当プレッシャーになったのでは?と反省しとります。
すぐの積りが私より5歳若いディレクターと意気投合し、一時間三十分ばかり喋りまくってしまった。
さすが、インタビューのプロで、上手に話しを引き出し上手に私を乗せてしまう。
インタビューを終えて神の倉上空を見ると、+7〜800m上がっている様だ。
私のテイクオフと空中撮影がしたいという事だったので、勇さんにカメラマンのタンデムをお願いする。
よく話を聞くとカメラマンのタンデムは会社命令で中止となった。
会社命令で危険な仕事につかせる訳にはいかんとの事だ。
嫁さんにビデオ撮影しろと言ったのだが、失敗したら恐いので嫌がっている。
結局由也にさせる事に。初めてのタンデムでビデオ撮影では、どちらも上手くいかないのでは
とちょっと心配。北斜面からちょっと強めであるが、しっかり風は入ってくる。
テイクオフしてすぐ左に振ってテイクオフ上空+30mで勇さんのタンデム機を待つ。
勇さんテイクオフして行ったので、すぐに後を追う。由也は50Kgそこそこなのに
何だかタンデム機は浮きが悪く、どんどん沈下して行く。3回転ばかりスパイラルで高度を落とし
向き合おうとするのだが、お互い横を向いた格好だったので、上手く撮れたか?心配。
あっという間にぶっ飛んでしまった。

次は私がランディングして”ヘルメットを脱いでにっこり”という絵を撮りたいという事だったので
急いでテイクオフへ。彼らスタッフは下山して来ているだろう。
テイクオフに上がると近藤のおばちゃんがスタンバイしていた。先程の北風から変わり西斜面正面の
ブローが入って来ている様だ。急いで支度する。
強烈なブローが入って来て、立ち上げて前に走ろうとしたら、いきなり右半分潰され、少し引きずられた。
今はきっとサーマルがどんどん地面から離脱して来ているのだろう。
次から次と西斜面にブローが入って来る。すぐにテイクオフし、一度右に振って、2〜3回リッジとって
サーマルに乗っかってくるくる廻す。3〜4m/Secで順調に上がってくれる。
下でテレビクルーがランディングを撮影しようと待ち構えているのは分かっているのだが・・・・。
先程「どうやって上に上がるのですか?」と聞いていたので、サーマルの証明する為だ!!と
申し訳ないと思いつつも、回し続けてしまった。

遂に地上1000mを越えたので、土産話も出来たと思い廻すのをやめる。
しかし、上昇し続ける。何処へ行っても上昇する。早く降ろさねばとシンク帯を探るも、何処へ行っても
ピッツピッツと上昇してしまう。翼端折って上昇成分の少ないところを早く探ろうとする。
上昇音は消えたが、ブーは鳴らない。時々ピッピッと鳴る。
+−0mの空域を見つけようと鉄塔沖へ出していたら、ようやく下降音が鳴り出した。
安定したシンク帯(と言うより上昇成分の無い所)と見てスパイラルを入れてみる。
高度があるので、いつもより長く廻しているのだが貧血で意識を失う様な状態では無さそうだ。
でも不安なので、7〜8回転くらいでやめた。
ちょっとローリングしてみたが、全然下がりそうにないので、不得意な右回しでちょっとスパイラル入れてみる。
有終の美と、ターゲット狙ったが、3mばかりショートだった。
指示通り”ヘルメットを脱いでニッコリ”のはずが、30分も待たせてしまった心の痛みで満面の笑みとは
ならなかった。「地上から1000mでしたよ!!」と話したら、感心してくれた。
「やくざは小指1本差し出せば抜けられるが、パラは背骨1本必要なんですよ!!」と言ったら
すごく納得していた。
持参した息子の思いでの写真をカメラに納め、彼らとはお別れした。
帰路は県道が混雑しているので裏道を走り、志和を廻り高速で帰る。
先日井口さん達と行った焼き肉喰い放題¥1670のお店に由也と川崎をつれて行く。
昼飯も食べていなかったので、いくらでも食べられると言っていた。
「よし!90分勝負なのだから、肉を取りに行く時だけ箸を置いてよいが、それ以外は90分食べ続けろ!!」と
命令する。30分で音を上げ、1時間でギブアップ。私らは30分で終了。今日もお店の勝ちとなったか!

   川崎がタンデムをいまや遅しと・・・    北テイクオフから

4月13日(日曜日)我が家の親子関係  テレビ取材
私のHPの「不良おやじ」のネーミングに引かれてテレビ番組制作会社、グラビティの彩花ちゃんから
テレビ取材の電話もらった。
中国放送(RCC)毎週火曜日夜9:55〜10:00放映の『素顔の時』という番組らしい。
親が子を語り、子が親を語るという番組で7年ばかり続いているそうだ。
短い番組だし、内容も地味なはずだが、よく7年も続いたものだ。
私はほとんど民放を見ないので、批評は出来ないが、心あたたまる番組であったり、スポンサーの
中国電力の良心であったりするのかな?
出演のオファーが有った時、自分自身でさえ正確に語れないのに、とても息子の事など語れないですと
一旦お断りした。息子にどう対峙したか、子供への教育論なら語りましょうと答えたら、「是非そういう事で
お願いします」という事になった。
東京に行っている息子に電話して、嫌がるのを無理矢理承知させる。私の子育て論を箇条書きにして
グラビティの彩花ちゃんにEーメール送る。ディレクターの原田さんが興味をもった為か、インテビューが
彩花ちゃんからディレクターの原田さんに変わったのかもしれない。
可愛い娘のインタビューアーが来るのでタンデムをして下さいと、パラ仲間に吹聴していたので
がっかりさせてしまった。7〜8回電話でやりとりしていたので、彩花ちゃんには会いたいと
思っていたのだが残念。
ディレクターの原田さんは私より5歳年下で、感性は青春の同時代を共有した人なので、
会ったとたん打ち解けてしまった。全然打ち合わせもなく、対談録画撮りになった。
うまく話しを引き出してくれるので、緊張感も無く延々1時間半も喋りつめで子育て論を喋ってしまった。
子育てにおける父親の役割と言えば大げさになるが、どの様に子供に接したかを話した。

◎3歳までは犬猫と同じ躾。”命令”と”褒め上げ”と”体罰”。
体罰は一回だけで、長男がヒステリックに”キー!!”と駄々をこねるものだから、倉庫へほおりこんだ。
「もうしません!こらえて下さい!」と泣き叫ぶので、5分くらいで、母親に助けに行かせる。
次男ははしかいいので、一度も親に手を上げさせる状況は作らなかった。
私の幼児の時は、親が押入れにほうり込んだら、ふすまを蹴破ったらしい。
3歳を過ぎ言葉を理解する様になったら、言って聞かせる教育。言って聞かせて分からない様だったら
親の種と畑が悪かったものと自分自身で了解する。
私は一度も子供に勉強しろ!とか宿題しろ!とは言わなかった。宿題忘れて学校で先生にしかられるのは
本人だし、本人がそれなりの制裁を受ければ其れでよいと思っていたからだ。
勉強見てくれと言われれば。喜んで教えてはやったが・・・・。
長男も次男も保育園から小学校卒業まで、1年中半そで、半ズボンで押し通したのが、私には嬉しかった。
お蔭で風邪も引かない元気な子に育ったと思う。
一月の雪の寒さにふるえる子供達を見かねて、「長袖長ズボンにしてやって下さい」と小学校の先生が
言ってきた。子供に『寒ければ長袖、長ズボンにしようか?』
 『ずっと半ズボン半そで通したらクラスメートは一生おまえの事を
覚えているだろうなぁ〜・・・』とちょっぴり励ました。
そして『女の子は1年中スカートだからパンツ一丁だぞ!』とちょっぴり脅かした。

◎小学校高学年からは、私の人生観、ものの見方、考え方など哲学的な話を一年に一度程話をした。
そういった話が出来るチャンスは話しの流れの中で、ここだと思う時に話したので、年に一度位の
チャンスしかなかった。
しかし、話をする時は、理解をしようがすまいが、大人と論議している調子で口角泡を飛ばして熱く語った。
いつの日が「おやじが生き方について、熱く語ってくれたよなぁ〜・・・」と思い出してくれるだけで良い。
一個の人間として、対等に心を込めて語った。
別に理解してくれる事を望んだ訳でないので、一方通行ではあったが・・・・。

◎そして、我が家の元服式
中学校を卒業する15歳の春、我が家の元服式として、3日間の一人旅を課した。
自分の行きたいところへ、自分でキップを買いながら、上りに乗るのか?下りに乗るのか?
何番線に乗るのか?など全て自分の目と耳と口を使って、そして頭を使って旅をして来い!
但し宿だけは旅行会社に予約した。
現地で宿の交渉しても、、家出少年と間違われて警察に通報されてもつまらないので・・・。
長男は坂本竜馬の高知県へ。次男は長崎のハウステンボスへ。
旅先で一度も電話して来ないので、宿に子供が無事着いたかこっそり電話を入れてみる、
だらしない親ではあったが・・・。
15歳の少年に何の準備もせず、すべて自分で考えて、目的地に(宿)まで行けというのも
いろんなリスクを背負わせる事になるが、泣きを入れて電話をしてこなければ大きく成長するだろうと
大いなる期待を込めて送り出した。
帰宅して、勢い込んで「どうだった?」と聞いても「別に何とも無かった」とつれない返事は、
長男の時も次男の時もそうだった。  何だか拍子抜けでがっかりした。
しかし、「何でもなかった!」との返答に後日ふつふつと満足感が湧いて来た。
15歳の少年がキップも与えられず、宿だけ指定され、初めて一人旅するという事がどれだけ
プレッシャーだったが想像にかたくない、。そしてやり遂げてみるとたいした事でなかったと思っている
息子達の成長が嬉しかった。

◎高校生になると一切不干渉。全て自分の責任でやれ。
何をしても良い!もし警察のご厄介になる事があっても、もらい下げには行かない。
自分で刑期?(責任)を努めて来い!という姿勢だったので
幸か不幸か呼び出される事は一度も無し。
長男も次男も大学の入試で一度は失敗した。親のすねをかじる事になるので、かしこまって
「予備校に行かせて下さい」と頼んできた。
息子達の高校時代には、「大学に進学するのが、唯一の道ではないぞ!」
「4年間の時間と留学費用は出してやるので、海外に行け!」と日頃言っていたのである。
長男は留学して何をするのかイメージが湧かず予備校に行って広島大学に入学した。
次男は一浪したが、大学進学は諦め、アメリカへ語学留学でカリフォルニア州のフレスノに行く。
一度日本に帰ってきて、一年ばかりフリーターをして、少しお金を貯めて、再度アメリカへ。
ワシントン州のタコマから今はカリフォルニア州のサクラメントに住んでいる。
語学留学からカレッジに行き、今年ユニバーシティに行くと言っていた。
6年アメリカに行っているが、心配してメール送っても2〜3行「元気です」と言ってくるだけ。
学費はその都度送ってやるのだが、生活費は3年前に300万円送ったきりで、送金して下さいとも
言ってこない。「大丈夫か?」と聞いても「頑張れば月に一万円で生活出来るよ」と言ってくる。
家賃の4万円が痛いらしい。ヤミでバイトをしている様だが・・・。

二人の子供には「鶏頭となるも、牛尾となるなかれ!!」と言ってきた。
”東大”を出た連中には、バラ色の未来があるかもしれんが、東大のビリのやつの出世街道からはずれた
敗残兵の様な生き方はするな!自分の実力の範囲で良いから、自分の土俵を引き、自分が土俵の
中心で相撲をとれる様にせよと・・・・。
5万人が入れる土俵を描くか、10人入れる土俵を描くかは、自分で決めれば良い。

以前テレビで見たトンガ王国のカボチャの話を言って聞かせた。
日本でカボチャは秋に収穫する。反対の季節の春にオーストラリで日本向けカボチャを栽培している。
そして、その端境期にトンガ王国でカボチャを日本人が行って栽培指導した。収穫期のサイズなど
細かい規格を守らせるのに大変苦労したらしい。南国トンガでは植えておけば、いくらでも勝手に大きくなる。
カボチャに日本での市場価値をもたせるのに苦労した様だ。
カボチャ栽培農家も増え、トンガ王国の輸出総額の四分の一(はっきり覚えていないが)にもなり
トンガ王国にとって一大輸出産業にまで発展し、カボチャ御殿があちらこちらに建った!
カボチャの指導をした日本人はトンガ王国では英雄となり、国民等しく知るところとなったらしい。
トンガ王国の人口が何万人か失念したが、彼の地で日本人の名を刻んだ事は何んとロマンにあふれた
仕事だったろう。自分のやりたい事と仕事がぴったりマッチングするのは、稀有な事と思うが、自分の仕事の
中に創造性を持たせる事は、視点を少しずらして見れば何か見えてくる事もあるのだが・・・。

長男は営業をやっているのだが、やってもやってもなかなか達成感が味わえない事を嘆いていた。
自分で戦略、戦術を立て、思い切ってでかい仕事にぶつかってみたら?例え失敗しても、
会社の銭じゃないか!にっちもさっちも行かねば、辞表を提出すれば良い!と過激に励ましてしまった。

◎戦略と戦術
長男は社会人になっているので、人生の荒波へ船長となって航海している。
先輩船長たる私も荒波に翻弄されているので、たいそうな忠告は出来ない。
様々な問題をかかえてしまったら、何が主要な問題かを冷静に考え、戦略に立ち返って考えてみると
案外問題点が見えてくるものである。そしてどうしても方針決まらない時は、自分を信じ、自分の運の良い
事を信じ、敢然と前に進んで欲しい。
次男は今カリフォルニアのサクラメントに居る。アメリカは足掛け6年ばかりいるもだが、授業料が必要な
時しかメールをくれない。ユニバーシティへ行くのであと2年欲しいらしい。
アメリカから日本へリクルートするか、世界のどこかで働きがいのある場所を見つけられれば
其れでよい。30歳までは好きな様にやればよい。

私は来年・・・還暦。ささやかな夢は描いているのだが・・・・。
キーワードは社会で役に立つ年寄りになりたい!
年寄り同士が群れてゲートボールなんぞする老後にはしたくないと思っているのだが・・・。
テレビ取材風景

         

         

         

         

         
4月19日(土曜日) 
雨降り
4月20日(日曜日) 
雨降り
4月26日(土曜日)ちょこっと雲中 
瀬戸内海の波高1mの予報で曇り。
9:20分頃竹井さんから電話。神の倉に向かっているとの事。
私もすぐに出ますと急いで出かける。10時過ぎ神の倉へ到着するも、誰も上がっていないし、
学生達が集まっている程度。
少し立ち上げの稽古をする。竹井さんと石井さんは荒槙牧場へ行ってしまた。
一時間ばかりベンチで寝る。12:30頃少し風が納まってきた。
井口さん夫妻、宇野さん小脇さん達はタラの芽を採りに神の倉へ上がる。
私と福伝さん、利弘さんと新会員の高石さんと4人でパラ道具を積み込み神の倉へ上がる。
メインランディングは北風であったが、神の倉テイクオフは西風が入っていた。
少し強めとは思ったが西風はリフトが有る様だ。すぐに用意してテイクオフ。
右に一回振って、すぐにトップアウト。右尾根上に添って+3m位のリフトがある。
少しハイバンクで廻し、+300mまで上がり雲の吸い上げの影響を受ける。
雲底の低い雲が来て雲中飛行になってしまった。
全体に雲底は低く、向原方面と大力鉄工方面は雨雲であった。雲中で雨に会っても仕方ないし
雲底低かったので、雲中から脱出。ビッグイヤーからスパイラルで少し高度を下げる。

後続が誰も出て来ない。テイクオフに近寄って見る。
高石さんが北斜面でスタンバイしている。テイクオフ周辺を飛んでテイクオフを促す。
高石さんだけがテイクオフしたのみ。私はそのままズブッてしまって、40分のフライト。
2時過ぎ児島さんの車で竹井さん達と神の倉テイクオフに上がる。
ハングの永田さんが一人黙々と溝を掘っていた。
我々も神の倉の風速風向計の為の電線の埋設をする事に。
50歳を過ぎている石井さんが100人力の力を発揮してくれた。
結局一人で50mばかりの大半をシャベルで掘り出してくれた。
鉄人レースに参加し、フルマラソンも走り切る恐るべき54歳鉄人だ。
明日もハーフマラソンがあると言いながら、溝を掘り続けてくれた。
携帯で若い人の応援を頼んだが、結局力仕事は石井さん一人でほとんどやり切った。
手伝った若い人達のシャベルワークの腰の入れ方が全然違う。
慣れない若い人は、手だけで働こうとする。
さすがのおじさんパワーは全身の力をシャベル一点に集中させる。
年季の長さが全然違う!!
夕方少し風が強かったが、10名ばかりぶっ飛んで本日終了。当然私もぶっ飛ぶ。

4月27日(日曜日)豊栄町14Km・3時間半 
久々の晴れ予報だった為か、9:30に神の倉に到着したら、既に駐車場が一杯だった。
神の倉からは朝錬ですでに飛んで出ている。プレジャークラブのおやじ連中は荒谷山へ上がっている。
別府さんの車で荒谷山へ上げてもらう。
プレジャークラブのおやじ連中から、テイクオフして行ったがいまいちだった。
私もサブランにぶっ飛んでしまった。
塩出ゆかりちゃんが、リフトを取りながら初のメインランディング行きを成功させた。
福伝さんやたかちゃんがトップアウトし、頑張っている。
大急ぎで再度荒谷山へ上がる。

皆さんウエイティング中、河原さんが一番手でテイクオフ。
テイクオフ前で粘っている。是枝さん、原田さんもテイクオフし、バトルを展開。
向井さんもテイクオフし、上手に弱いリフトを使い、徐々に上げて行き、トップアウトを果たし
一瞬ではあったが一番上げした。
マキちゃん、小脇さんテイクオフして行く。私は南斜面から立ち上げるも、リフト弱く
とうとう正面斜面まで走ってしまってテイクオフ順番を6人抜きしてしまった。
先にテイクオフした集団10数機はトップアウトを果たし、ガグルを形成している。
私はレベル以下で、うごめいている。15分後ようやくサーマルヒットし、テイクオフ上空で
マイサーマルをゲットし、一気に上昇。先行していたガグル集団を抜き去った。
リフトの弱まったガグルは崩れ2〜3機私の下に入って来た。
マイサーマルに皆さん寄ってくる時が至福の時でもある。
その後は+500mくらいをキープし、荒谷山上空をあちこちに移動。
一時間ばかりしてGPS入れ忘れていたのでスィッチを入れる。
+1300mまでは上がっていた。
神の倉に移動しようとして−6mにシンクに捕まり谷渡り途中で引き返す。
今日はあっちこっちに強いサーマルが有って、10数機が散開している。

2時間ばかり飛んで、荒谷山上空に誰も居なくなった。
トップラン狙おうかと見ると、吹き流しはフォローである。一人も淋しいので、神の倉に移動。
井口夫妻、芦刈さん、河原さんとハングが一機頑張っている。
テイクオフ北斜面前では赤い機体が綺麗な形でツリーランして一時間以上同じ形である。
回収に手間取っているのだろうか?
神の倉テイクオフへトップランしようかと、+30mで近づく。
メインポールで強いサーマルに当たりつい廻してしまう。
+100mまで上がり、河原さんとランデブー飛行。「稲垣さ〜ん!!」と挨拶してくる。
「一番手でテクオフしたので、最後まで粘って最長飛行を果たせ〜!!」と励ます。

そうこうしている内にしっかりした中程度の+5mのサーマルヒット。
ラストチャンスかとハイバンクで廻す。2度ばかりコアはずしたが、一回転で探しあて、同一サーマルで
+1650m(地上2050m)まで一気に上昇。
今回はサーマルを使い切って、上昇天を探ってもリフトはなかった。
鷹ノ巣山がはるか下に見える。『よし!クロカンに出発しよう!!』
フルアクセルで鷹ノ巣山を目指す。ほとんどシンク音しない。
「鷹ノ巣山を越えられそうなので、クロカン出発しますー」と無線で知らせる。
+500mで鷹ノ巣山を越える。越えたとたんシンク音にはまった。
神の倉を出発するときは西風だった。鷹ノ巣山は北風の様だ。偏流で板鍋山を目指す。
途中一度もサーマルに出会わない。どんどん下がる一方だ。
とうとう地上30mで板鍋山の端に到着。
若干サーマルはあったが、山頂には行けない。山際に行くとシンクだ。
そのままズルズル下がり、荒起こし前の田にランディング。
風は南に変わっていた。道理で板鍋山北側に付けても上がらなかったはずだ。
豊栄町なので、田舎に連絡するも、電話誰も出ない。
仕方ないので、嫁さんに電話いれ家からこちらに迎えに来てくれる様頼んだ。
小脇さんから、奥さんが迎えに来る事になっているので、拾ってあげようと有りがたい電話有り。
嫁さに電話いれ、ピックアップはキャンセル入れる。
豊栄町内美穂さんにピックアップしてもらって小脇さんを迎えに久井町に向かう。
宇根山天文台(699m)そばのあき地にランディングしていた。
そうです!天文台という事はクロカン途中でトップランしていたのである。スゴイ!!!
38Kmばかりのクロカンであったらしい。
私は荒谷、神の倉でしっかり遊んでいたのでフライト時間3時間30分。
+6・2m/sec、−7m/sec、距離14Kmであった。

皆さん2時間以上は飛んでいたと思う。久々のハッピーフライト日和であった。
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            テイクオフして1時間後にスイッチをいれた。

  
4月29日(火曜日)笠岡エリア40分・トップラン 
天気予報は日中は晴れで、夕方から崩れそうである。
しかし、瀬戸内の波高は1mで、向原のスポット予報は南西8mであった。
どうしようか?と迷っていると石井さんから電話あり。
『皆さん笠岡に移動しますが、稲垣さんどうします?』と
『それでは志和インターで待ち合わせしましょう』という事で出かける。
神の倉は風がビュービューという事なのに12時頃笠岡干拓地に到着すると、南西1〜2mである。
早速高度150mのテイクオフへ上がる。1時頃とりあえずぶっ飛び1本目。
広大学生10数名、空チーム7名、飛亀5名、プレジャーなど本日飛びに来た神の倉の
メンバーが全員笠岡に移動し,笠岡エリアを神の倉軍団が占領した様だ。
待ってもぶっ飛び条件が変化しない様なので、石井さん、三好さん、土居さん、福伝さん
粟屋さんと6名でジャンケンし、私の車を交代でピストン輸送する事に。
ぶっ飛び5分、車を上げるのに10分なので、5本は飛べる事に。
ぶっ飛び5本果たし4時過ぎにアーベント条件になって来た。
向井さん、友井さん、利弘さん、山本さんがリッジを取り始めた。
大急ぎでテイクオフへ。テイクオフに上がると5〜6mと風が強く、後ろに流されそうである。
全員前に出して来た。高度が下がりながら一機見えなくなった。
山チンかと心配したが、何とか見えて来た。ヤレヤレ!!

すぐにキャノピー拡げたのだが、ビジターが先に出たのではまずいと思い、キャノピーをしぼる。
ジモピーのシグマ4がテイクオフ。垂直上昇し、前には出ている。もう一機出たので、私も拡げる。
地森さん、後ろでサポート。出てすぐアクセルバーを踏み込み、前に出ながらも上昇している。
しばらくするとジモピー2機は、右尾根の向うまで行き、高度を下げている。私は何とかトップアウトしようと
ホバ−リング状態を保ち、垂直上昇を心がけ、+30mに取り付き後は高度を保ったままリッジソアリング。
その後20機以上テイクオフした。何とかトップを保ったままリッジソアリング。
広大学生も全員テイクオフし地森さん一人残って無線誘導している。

テイクオフ場には、広大ボンゴと私のフレンディの2台が残っている。
よし!トップランして車の回収しよう!!
ビッグイヤーで高度を下げる。テイクオフレベルに下げ、テイクオフ場に近づくも、ドンドン上がって行く。
もう一度戻ってローリングでレベル−10m迄下げる。後は偏流でテイクオフへ。
持ち上げられながら+2mでテイクオフ上へ。正面に向き1.5mでホバーリング。
地森さんの背後2mで初めて地森さん気が付き振り替える。
ふんわりトップランした。40分ばかりのリッジソアリングであった。