北海道ホームレス旅日記
愛子 記
2007年 6月・7月 |
6月12日(火曜日) 出発 北海道は今年の2月、主人のパラグライダーの友人が北海道の女性と結婚することになり、 結婚式出席を兼ねて2月21日から10日間旅行をした。 2月の北海道はまだ寒く、千歳での結婚式はぶるぶる震えながらの式だった。 結婚式を終えて旭川の旭山動物園や層雲峡、阿寒湖、網走などを観光バスで廻った。 北海道も温暖化の影響で2月とは言っても雪も沢山降らず観光するにはバスが 雪で交通止めになる事も無く快適な旅行だった。 さて、私たちが仕事をリタイヤして早一年あまり。 毎日の生活のリズムも固定化し、穏やかな日々の毎日であった。 主人はパソコンに向かい、週末のパラグライダー日記をHPにあげ、他のパラグライダーグループの様子をPCでチェック。 私は土曜日は留学生会館へ日本語教師ボランティアで出かけ、火曜日は健康の為に体操教室に出かけ、 残りの時間は語学をラジオで聞いたり、庭の草取りなどするのが私の生活パターンである。 さてそんな折、主人は兼ねてより密かに計画していた事があったらしい。 北海道、気ままの旅に出かけるという、しかも車に寝泊りしながらである。 私には畳のないところに寝るなんて事は論外であった。 最初は頭から主人の計画に聞く耳を持たなかった。 そんな私の顔色を横目に見ながら、主人はじわじわ、着々と計画を実行しつつあった。 まず、8人乗りの車(ボンゴフレンディ)の後部座席を倒し、ベッドとして使用する。 それだけでは凸凹があり寝られたものではない。 いかにすれば寝心地が良くなるかを考えまずインターネットで検索すると まさにピッタリの大きさのエアーマットを見つけたようだ。早速注文。 数日すると大きな箱に入ったマットが到着。早速空気を中に入れてクッションマットを敷いて寝心地を確かめている。 なんだか体がグラグラしていまいちの様だ。私にも寝てみろと声がかかる。何だこれは!!!寝る以前の問題じゃないの! なんたってビニールの強烈な臭い!こんなところで寝られたもんじゃないわ!!!と私。 マットを雑巾で拭いたり、防臭剤を撒いたり、苦心している主人。 次に考えたのは、次男が使っていたベッドに敷いてあったマットだ。 しっかりしたスプリングが入っており固くて薄い布団でも敷けば上等だ。 これはいい!!自分で納得の主人は早速私にも寝てみるように言う。「エアークッションよりはいいわね」と私。 じわじわと自分の頭の中に描いた構想を実現化していく主人とうらはらに、未だ乗り気でない私。 そうは言っても結局は同行する羽目になる事は分かっているのだが・・・。 さて、車の中で寝る算段は着いた様だ。これで決まりだ!と一応満足そうである。 何と言っても夏なので冬布団は不要だ。毛布一枚と夏の薄い布団を持っていく事にした。 そして出発日もいろいろな行事、やるべき事を考慮に入れて考えた結果6月13日と決まった。 後部座席を倒しマットを敷き布団を置いた。 座席の下のスペースには衣装缶を置き、地図、本、ノート、懐中電灯、ラジオ、下着一式 など詰め込む。そうそう、主人のパラグライダーの道具も座席の下に押し込んだ。 家庭の主婦はあれやこれや留守の間の心配事がある。新聞はストップした。郵便物と鯉のえさやりは近所の方に頼んだ。 これでしばらく留守をしても大丈夫だろう・・・・。 こんな訳で、20日間くらいで帰らせてもらおうと心に決めて、しぶしぶ主人のお供をし、北海道への出発となった。 |
6月13日(水曜日) 早朝も早朝、3時半過ぎ、我が家を出発。4時までに高速道に入れば、ETC割引30%が適用される。 昨夜9時過ぎ少しでも寝ておこうと早めに布団に入る。 しばらくはあの狭い車で寝起きしなければならないなぁーと考えつつ・・・タイマーを2時半に掛けておいた。 眠気眼をこすりこすりくたびれた顔に一応お化粧をする。誰も見るものは居ないのだが、一応礼儀か?? これから京都舞鶴に向けて走る。ここからはフェリーで小樽まで延々20時間の船旅が待っている。 竜野SAでうどんを食べトイレ休憩だ。再び車を走らせ宮津天橋立ICを降りる。 高速料金¥6000円也だ。フェリーは真夜中の12時なので舞鶴観光する時間がたっぷりある。 天橋立、成相寺、丹後ちりめんの歴史資料館も行った。 舞鶴市役所近くのお蕎麦屋さんでおそい昼食。 お品書きを見ると「皿そば」というのがある。 注文したら、本当に小さなお皿5枚(一人前800円)にそばがもってあり、ふたりで13枚平らげた。 舞鶴市内を走っていたら、銭湯があったので朝風呂ならぬ、昼風呂に入る。一人380円。 引き揚げ記念館、レンガ博物館、多弥寺参拝し、舞鶴桟橋に夕方6時前に着く。 コンビニでおにぎりを買いひとまずはらごしらえ。そして出港まで一眠りする。 夜中12:00いよいよ北海道小樽に向けて出港の時間だ。 大型客船”はまなす”に主人は車で、私は港の待合室2階からそのまま船に乗り込み ”はまなす”の4階に入って行ける。 船室は12人が寝られる。毛布と枕が備え付けてある。 今はオフシーズンなのか私たちの部屋は主人と私の貸切部屋となった。だれも他にお客さんはいない。 これから20時間の船旅。部屋に落ち着いたので少し横になる。 船内にはAM一時半まで入れるお風呂がある。主人は早速入ってくると言い行ってしまった。 私は少し鼻水が出て、微熱があるので薬を飲んだら、いつの程にか熟睡していた。 |
6月14日(木曜日) 朝、目が覚めると鼻水は出るが熱は出てなさそうで一安心。 朝食は5階レストランでバイキングで用意されている。一人1000円。 1時間と時間制限があると館内放送されているので急いで行く。 バイキングに来るお客様は少ないように見える。おにぎりなど買って乗り込んでいるお客さんも多いのだろう。 食事を済ませ、海の見えるベランダで本を読んでいたが、うとうとしてきたのでお風呂に入ることにした。 朝から海を見ながらのお風呂なんて!!なんて贅沢なんだろう。勿体無い・・・。 おまけにこのお風呂も私一人の貸しきり状態だ。至福のときである。 お風呂から出ようとした時、一人の奥さんが入ってこられた。声をかけると、愛想良く受け応えして下さった。 この女性は山口の防府の人で、キャンピングカーで北海道を4ヶ月かけてまわられるという。 自分は一ヶ月と長〜い旅だと思っていたがまだ上には上があるもので、4ケ月だそうだ。 これにはびっくり。それに今年でもう5回目とか・・・。 北海道をどう過ごすかを伝授される。この方はご夫婦でパークゴルフの道具を持ってまわられるのだそうだ。 これがあるとすぐにお友達が出来一緒にバーベキューしたり、会話を楽しんだりされるのだそうだ。 私にはこのスタイルは少し躊躇するところがあるが・・・・。 ひとしきりお話をしたあと部屋に戻り、持ってきた小説を読みながらうたた寝。 夜の窓から陸が見えた。函館の方だろうか? あと数時間で小樽港へ入る。夜8時に到着だ。今夜はこの小樽港桟橋駐車場で車中泊である。 少し小雨がぱらついていた。駐車場の係員さんに許可を求めると、快くOK。 他にも数台の車がここで朝を迎えるようだ。 |
6月15日(金曜日) ああ、ここは北海道なんだ!と自分に言い聞かせる。でも辺りを見回しても実感は沸いてこない。 とりあえず目が覚めたので小樽港ターミナルのトイレに行き、洗面所で顔を荒いお化粧をし、 小樽市内観光の支度をする。 小樽運河どおりを車で流す。倉庫群も立ち並んでおりレトロな雰囲気を感じる。 本州では丁度梅雨の時期で毎日雨が降っているそうだが梅雨のない北海道は寒いくらいだが今朝は少し小雨模様。 さあ、どこかで朝ごはんにしたいが・・・。 旧右近倉庫と書いた建物の隣に魚市場があるので入ってみる。市場の一角には食堂もあった。 「麟友朝市のんの」ののれんをくぐりメニューを見る。市場から買って来て持ち込みも料理しますとかいてある。 主人の気に入りそうなお店である。とりあえず”いかとびっ子丼”を注文。 主人はほっき貝を市場から買って来て刺身にしてくださいと頼んでいる。 ほっき貝は2個で250円、4個で500円で売っていた。 きっとおつくりにしてくれるので、いくらか”おつくり代”なるものをとるんだろうなぁ〜と・・・ 食べ終わってお勘定をお願いするととびっ子丼と合せて¥2300.−也だった。 ・・・という事は全然おつくり代としては勘定に入れてなかった。すなわちまさに原価そのものだった。 刺身の好きな主人にとってこのほっき貝刺身は大感激のようであった。 食事を終え小雨の中を車を空地に駐車して倉庫群や運河通りを歩いて散策する。 食事をしている間にボツボツ観光客や修学旅行の学生の列など観光地らしくなってきた。 普段のツアー旅行であったら時間に追いたくられてゆっくりとみる事など出来ないが、 時間があってないような私達の旅はゆっくりと、気に入ったところを時間をかけて 見ることが出来るというのはうれしい事だ。 小樽でゆっくり出来たので次の地ニセコに向けて出発する事にした。国道5号線を走る。 今晩はニセコのパラグライダーのメンバーの家に泊まらせてもらうらしい。 ニセコでは東京からこられるパラグライダーの人たちと3日間パラを楽しむようだ。 私は飛ばないので、そこらあたりの温泉にでも投げといてもらえばいいのだけれど・・・。 ニセコに向かう途中、国道578号線に”五色温泉郷”がある。 北海道に来てうれしいのは至る所に温泉があることだ。 入浴料も高くても500円位だ。この五色温泉も500円。 硫黄の臭いがぷんぷんしている。いかにも本との温泉に入った!!という気分だ。 5時頃ニセコの小野邸に到着し、東京からのメンバーとも合流し、ゆっくり休む。 明日は皆さん飛べるといいな。 |
6月16日(土曜日) 昨夜はニセコの小野邸に泊まらせてもらう。 小野さんはニセコのパラグライダーのメンバーのお一人で、本業はマッサージ師さんである。 昨夜はご本人はお留守だったがいつもここをパラノメンバーの宿として使っておられるのだろう。 地元の方がカギを開けて下さっており、私達も上がりこんで休ませてもらった。 今朝は7:00に起床。セブンイレブンでおむすびを買い小野邸で食事する。 今日は残念ながら風が強くて飛べないらしい。 グループのインストラクターの川地さん一家に同行し、真狩温泉方面にとうふ専門店があるからとご一緒する事に。 そのお店は「湧水の里」というお店で、羊蹄山のふもとに湧き出る名水を使いいろいろなとうふ製品を作って販売している。 おぼろ豆腐、ゴマ豆腐、わさび豆腐、生湯葉、よせ豆腐。 それにおからドーナッツや本葛を使用してワラビ餅等あわせて30種類もある。 うれしい事にそのひとつひとつを試食させてくれる。試食だけでお腹がいっぱいのなりそうである。 これならメタボリックの主人も安心して食べられそうだ。 というわけで、おからドーナッツ、豆乳どうふ、ゴマ豆腐、わさび豆腐などを買い 真狩温泉に入った後早速休憩室で昼食にそれを頂く。 お昼を食べた後は「ルスツリゾート」で川地さんの息子さん翔君が乗馬をするというので一緒に行ってみる。 このルスツリゾートでトレッキング、マンテンバイク、熱気球、ラフティング、カヌーなどいろんな自然体験が出来る。 まさに留寿都というリゾート地ならではの体験が出来るのだ。 パラグライダーも勿論入っている。翔君もお母さんのふじみさんと一緒に乗馬体験が出来てご満悦であった。 再びニセコに戻り駅前にある「綺羅の湯」で温泉に入り、今夜も小野邸にて寝袋に雑魚寝だ。 明日は予報では良い風らしいので、皆さん期待して就寝。 |
6月17日(日曜日) 予報どおり天気よし。風もほどほどでパラ日和のようだ。 皆さん意気込んで9時前にはテイクオフに上がる。川地さんよりエリアの説明がある。 どのあたりでサーマルが発生するとか、ランディングの場所とか、危険場所の事など。 テイクオフからみるニセコの風景は飛ばない私なども楽しめる。 遥か向こうには羊蹄山を見ることが出来る。風もほほに心地よい。 準備の出来たメンバーは三々五々テイクオフして行く。私はビデオを構え一人一人のテイクオフを撮っていく。 主人も1本目2本目はぶっ飛びだったけれど、3本目はしっかりと高度を稼ぎ1時間半くらいは飛んでいた。 他の方々も海抜2000mの高度で充分空の散歩を楽しまれた。 後で聞くところによると、ニセコの地元のエリアの方もこんなに良い日にはなかなか恵まれないのだそうで、 すっかり今回のメンバーの事が北海道パラグライダー間でニュースとなって走ったらしい。 満足した主人もいささか疲れたか降りて下のショップで仮眠を取っていた。 夕方は留寿都のエリアで飛んでおられる長尾さんという方が、エリアを案内してくださるという事で同行した。 今日はもう飛ばず明日にまたご一緒する事になり、私たちは再び今夜の宿、小野邸にもどる。 今夜はそれぞれに満足の飛びだったので宴会は大いに盛り上がっていた。 |
6月18日(月曜日) 小野さんはマッサージ師だ。朝一番で川地さんがマッサージを受けておられた。 実は私も重大な肩こりの持ち主。 大きな岩をいつも背負っている感じで、この思い肩こりが無かったらどんなに気分爽快だろうと思う。 出かける前に未だゆっくり出来るので、私もお願いする事にした。 小野さんはすごく体格のよい方で、手のひらを広げるとやつでの葉っぱ程もある。 さすがの川地さんも、うなって治療を受けておられる。 次は私の番。このごりごりの肩はちょっと恥ずかしいなー。揉まれなれているので強さの程は"強”でお願いする。 台の上に腹ばいなる。口元は穴が開いているので息をするのに支障はない。 頭もツボがあるのだろう、丁寧に指圧をして下さる。肩から腰、そして足へと治療。 身体もねじったり引っぱったりと身体をほぐしていく。 身体はこんにゃくのように柔らかいと自負しているが、身体の柔らかいのとこりしょうとは関係無さそうだ。 治療が終わって、「結構こってますね」と言われてしまった。やっぱり運動不足かな? 私がやっていただいたのをみて、川地さんの奥さんのふじみさんもやってもらう事に。 私は息子の翔君の面倒をみていてあげると申し出外に抱っこして連れ出した。 今朝は翔君も気分が良さそうで、猫を見てはキャッキャッと笑う。ふじみさんの終わった頃を見計らって小野邸に戻る。 彼女も私にまけず劣らずこりしょうらしかった。ちょっと安心。 主人は昨日の長尾さんの案内で留寿都のエリアに飛びに行っている。 マッサージもしてもらったので、私は川地さん一家と洞爺湖方面に観光に出かける。 この洞爺湖の上には来年サミットが開かれるウインザーホテルという立派なホテルがある。 川地さんがそこへ案内してくださる。一泊7万から8万位だそうだが、話の種に・・・と中にあるパンやさんで高いパンを買う。 ホテルを後にし、留寿都で飛んでいる主人たちと合流し、お昼を食べ川地さん一家とは分かれる。 長尾さんは室蘭のパラエリア、イタンキ浜を案内される。 浜辺では海水浴やサーフィンをしている人もある。寒いのでは?? ここで長尾さんとはお別れをして、地球岬まで車を走らせる。 地球岬はその名の通り岬に立つと一面に広がる水平線は地球が丸いというのを 目の当たりに感ずる事が出来る。観光シーズンではないので、観光客の姿は無い。 海を見渡せる高台に来たとき、一人の青年がセルフタイマーで写真を撮っている。 「撮ってあげましょう」と言うと、セルフから外し「お願いします」とカメラを渡された。 青年が海を背に飛び上がった瞬間を取りたいのだが、なかなかぴたっと合わない。 3回飛び上がってくれたのだが、3回とも足が地に付いてからカシャっと押すという下手な私に、 「貸してみろ!」と今度は主人が撮る。 一発で青年の飛び上がったところをカメラに納めた。 「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言ってくれたこの青年は日本全国を自転車でまわっているそうだ。 「気をつけて旅をしてね」と声をかけ分かれる。 今夜は室蘭の道の駅「みたら室蘭」というところの駐車場での車中泊なので、室蘭の町に下る。 町を走っていたら出光があったので給油。車も相当ほこりもぐれになっているので、洗車もすることに。 ガソリン注ぎ終わったのに、スタンドの従業員さんサイン下さいも言ってこない。 もたもた時間を食っている。どうしたんだろう・・・・。 やがてのほどに「すみません、カードはお返ししませんでしたかね〜・・・・」と言ってきた。 何言ってるんだろう??返してもらってなんかないよ。挙句の果てには、車の荷物までひっくり返して探し回る事に。 あろうはずもないのに・・・。カードが無かったら、これから先の給油はどうなるの? もっと性根入れて探しなさいよ!!!とイライラする私達。 とどのつまり、ちょっとした隙に盗難にあったか、間違って給油した人に渡してしまったか・・・。 ここで時間くってても仕方ないので私達は先に温泉に入って、わかったら連絡をくれるようにと 主人の携帯の番号を伝えて近くの温泉に。 お風呂から出ようとしていたときようやく連絡あったらしい。「ありました!」と。 実は、給油したお客さんから連絡があり、その人はスタンドと契約のお客さんでカードは不要なのだが、 店員から渡されてつい「ハイ」と何気なく受け取ったらしく、会社に戻って気が付いてすぐに連絡されたらしい。 やれやれ、悪用するような人に渡って無くてよかったと胸をなでおろす。 ほっとして室蘭駅近くで、夕ご飯のラーメンを食べ道の駅に向かう。 車の中の寝る支度をする。トイレに行った主人がなかなか帰ってこない。 どうしたんだろう・・・と思っていると、「またあの青年に会ったぞ」と言う。 地球岬の自転車の青年がテントを張っていたらしい。今度はゆっくりと話をしたらしい。 彼は滋賀県出身で、勤めていた会社を止め、思うところ有って自転車で日本一周自分探しの旅に出たらしい。 名前は稲田君と言う。年は24歳。滋賀を出て38日と言う。 彼は何だか我が家の次男に良く似ていて他人とも思えない気がしてエールを送りたくなる。 彼はこうして道の駅に一人用テントを張ったりライダーズハウスに泊まりながら旅をしている。 時々は恐い目にも会うようで、そんなことを聞くと心配になってしまう。 とにかく無事の日本一周を終えてくれればいいなぁと願う。 |
6月19日(火曜日) 北海道の朝は早くから明るいので目覚めもつい早くなる。 近くのコンビニでおにぎりを買い、道の駅のベンチで朝食。稲田青年も出発の様だ。 ウインザーホテルで買ったクッキーを持って走り「気をつけて走るのよ」と我が息子とダブった声がけをする。 真っ黒い顔の稲田君は白い歯を見せてにこっと笑い自転車にまたがり出発して行った。 無事の旅を願う。 私達も室蘭を出発し海岸線をひた走り、登別、苫小牧を通り道の駅レコード館にて休憩。 ”牧場の牛乳”を飲んだ。無調整で濃いくて美味しかった。 つぎに寄ったのは「三石道の駅」。ここには温泉があった。一人390円と安い。 昆布温泉とあったが言われは良く分からない。 身体も休まったところで襟裳岬を目指して走る。襟裳岬までここから44Km。今は4:30だ。 襟裳岬着は夕暮れ。コンビニで買ったかつ弁当とカレー弁当、キムチで夕食。 ここの駐車場に車を置いて車中泊の予定だったが、かの歌に有るように、 「風はヒューヒュー波はざんぶりこ」で何だか寂しい。 端っこの方に車が一台だけ駐車していた。 次の道の駅まで走ろう!!という事になり、襟裳岬をあとにする。次のところは広尾だ。 広尾の道の駅「コスモール大樹」についたが、どうもここも芳しくない。 小さい道の駅でトイレなどの設備もあまりよくない。 次のところまではそんなに時間はかからないようなので、もうひとっ走りする事に。次は「忠類道の駅」だ。 ここの駐車場には数台の車がいた。キャンピングカーもいる。「ここにしよう!」とようやく落ちつく。 すでに夕食も済ませているので後は休むだけ。少し早いので持って来た本を読んだりする。 車で寝るのも慣れて来たようだ。全然暑くないし、薄い夏蒲団一枚で丁度いい。 やはり北海道は梅雨がないし、さらっとしている。 どこでも良く寝る私なので、心配した車中泊もどうにかクリア出来そうだ。 私たちの車の横になんと広島ナンバーの車が駐車している。 なつかしくなって明日の朝声をかけてみようと主人と話をし眠る。 |
6月20日(水曜日) 朝起きると既に主人は外に出て隣の車の人と話をしている。 車内を片付けて身支度をしてそろりそろりと外に出て会話に加わる。 お二人は安佐北区大町の方で、私達と同じ年代だ。今回で北海道も4度目だと言われる。 そして2ヶ月をかけてまわられるそうで、びっくりだ。 ご主人が4−5年前に大病されその療養の為北海道の旅をされており、すっかりお元気になられたので、 毎年こうして北海道でゆっくり旅をしながら療養されるとのこと。 お二人が寄り添って旅をされている姿が想像され、ほほえましく思われた。 広島に帰ったら是非訪ねさせてくださいと言うと、是非といって名刺を差し出された。それを見てびっくり!。 なんとあの地球岬で会った青年稲田君と同じ名前”稲田さん”であった。 これも奇遇な出会いに思え縁の不思議を感じる。 一時間ほど稲田夫妻とおしゃべりをした。 この忠類というところは以前マンモスが完全な姿で発掘された事で有名になった町だ。 道の駅の裏に資料館があり、発掘状況や、写真など多数の展示があるので見に行き、 その後12時前帯広に向かって走る。 3:30帯広市内着。 今回の旅行ではノートパソコンを持参している主人。 パラグライダーで使うGPSのデータを入れて旅のルート軌跡をパソコンに取り込んでいるので GPSがフル状態になると前の軌跡が消えてしまうのでその前にパソコンに入れなければならない。 メールチェックをしようと帯広市内でインターネットカフェを探すが分からない。帯広警察に飛び込んで聞いてみる。 丁寧に地図で教えてもらったので行ってみるも高いと言う。 今度は帯広駅で電話帳でみて音更にあるようなのでそこへ行く事に。241号線を走る。 パラの長尾さんがモール温泉に入りなさいとこの音更を紹介されたのを思い出した。 モール温泉というのは、海藻、ヨード分の多い温泉だそうでどこにあるのか聞いてみると、 「風の舞」という温泉を教えてもらった。早速行ってみる。 この温泉は少し茶色の湯で、やさしくて肌にぴたっときてソフトな感触だ。 主人などは自分の生涯で一番の湯だったと絶賛だ。 湯に使った瞬間の感触が今まで味わった事のない優しくぴったりと馴染む感じだったと言う。 この温泉にはレストランもあり、バイキングで1200円だった。 お風呂も380円と安くて満足したので、レストランで食事もする事に。 全て満足したので、6:30次の道の駅足寄に向けて出発。 現在出発してからこの音更までの走行距離は1385Kmと言っている。 足寄道の駅は「あしょろ銀河ホーム21」は足寄駅が一緒になっている。 ここには35mまで上がれる階段があり、最上階から街を見下ろすと夜の足寄の街がきれいだ。 2Fはこの街の英雄「松山千春」館となっており、様々の所持品、洋服、レコード、ギター、表彰状など 沢山の展示品がある。ぐるっと見て今夜はここの駐車場にて車中泊で。 |
6月21日(木曜日) 今日で広島を出て8日目である。車中での寝泊りも少しづつ慣れてきた。 出る前に想像していた車内での暑さというものは全く無く 思ったより心地よい為、この調子ならまあ許せるかな?と思えてきた。 一週間に一度くらいはホテルでゆっくり手足伸ばして寝させないと、いつ”私帰る!!”と言い出すかも・・・と 心配している主人なのでそろそろかな?と思ってか、阿寒のホテル”花ゆう香”に電話で明きを聞いている。 この”花ゆう香”は2月に北海道に来たとき泊まってとても接客が良かったので、 今度来たときは利用しようねと言っていたホテルだ。 このホテルは山側と湖側では値段が違うのだ。 山側で¥11,500との事で、「う〜ん・・・また後で連絡します。」と言って電話を切る。 一日の予算を5000円(とても無理とは思うのだが・・・)ははるかにオーバーなので、このホテルは却下。 あ〜ぁ、今夜も車中泊みたいだ・・・・。 さて、今日は足寄から阿寒湖方面に走る。朝8:20に出発。 国道241号線沿いに”ラワン蕗”を栽培しているところがあり行って見る。 このラワン蕗というのは、長さが3mほどもあるでっかい蕗だ。葉っぱは傘を拡げたように大きい。 そしてその葉を切り落として茎を大きな束にして10Kgで¥1200で売っていた。 ちょっと買って帰りたかったのけれど、まだ旅の前半なのでやめておいた。 ここのラワン蕗は栽培されているのだが、自生地があるらしい。 オンネトーへ行く途中らしい。そこに行ってみようと車を走らせる。 途中オートバイの若い青年二人が居た。オートバイを止めてなにやら考え込んでいる。 車を止めてどうしたの?と話しかけてみる。 彼らもまたオンネトーというところへ行くらしいのだが、どのように行くのか迷っているらしい。 私達も地図を拡げて見るがちょっと紛らわしい案内図なので迷ったらしい。 地図に詳しい主人が、「この道だと思う」とアドバイスし分かれる。 彼らも再びオートバイにまたがり手を振って先に出発して行った。 5分位走った頃だった前方にバイクが2台止まっている。そして一人はズボンのすそをまくり上げている。 びっくりして私達も車を止めて近寄ると、なんとさっきの青年たちだ。「どうしたの?」と聞くと、「転んだんです」という。 カーブで松葉の落ち葉で車輪がすべり転倒したようだ。膝坊主からは血が出ている。 ティッシュも何も持っていない様なので、急ぎウエットティッシュを持ってきて血を拭いて手当てする。 幸いたいしたことはなさそうだ。この度重なる縁で、お互い自己紹介することになった。 彼らは東京から休暇をとって北海道をバイクで廻っている。名前も「慧君」と「悟君」というコンビ。 慧君の両親はタイで日本料理店をしておられるらしい。 タイには私達も縁があるので、もしタイに行ったら尋ねたい由伝えて分かれた。 オンネトーはきれいな湖があり、以前はあまり知られておらず、観光客も少なかったので、 ”神秘の湖”といわれ、水の色が場所、場所で違って見える。 グリーンであったり、ブルーであったりとまさに神秘的な色を見せてくれる。 湖畔に展望台があると言うので登ってみる事に。30分ほどえっちらおっちら登る。 ところがあたりはうっそうとした木があって湖の視界をさえぎっている。湖は少ししか見ることが出来なかった。 11:45オンネトーから阿寒湖へ。国民宿舎野中温泉に入る。 ギトギトの硫黄温泉で、湯は透明だが成分はとても濃い気がした。 ちょっと口に含むと、口がひん曲がった。露天風呂もまた雰囲気が良くしばし疲れを癒す。 釧路道の駅”阿寒丹頂の里”に寄る。長く走ったので少し休憩する。 主人の寝ている間、私は「阿寒国際鶴センター」に行ってみる。 ここは鶴の博物館で、尾黒鶴、丹頂鶴など飼育されているのをまじかに見ることが出来る。 一休み出来たので、今夜の車中泊予定の”白糠恋問”道の駅に走る。 |
6月22日(金曜日) 今日は釧路湿原の探索だ。 9時半に白糠の道の駅を出発,海岸線にある大楽毛(おたのしけ)〜53号線を走り、北斗遺跡へ。 ビジターセンターに寄り情報を得る。湿原の展望台から見下ろすと広々として世界遺産は納得である。 実際に湿原を身近に見るため木道を30分〜40分歩くが、なんだか湿原というより山の中を歩くようだったが・・。 さらにビジターセンターから歩道湿原の中を一時間歩いた。 午後からは北斗遺跡を見学。そこで案内の方から釧路湿原お勧めスポットを教えて頂いた。 「細岡展望台」「岩保木水門」に行きなさいというものだった。ここからの眺めは素晴らしいですからと言われた。 4時過ぎウトロ屈斜路コタン、アイヌ民族資料館に行き、お勧めスポット細岡展望台へ。 なるほど湿原が一望に見渡せるビューポイントだ。 もしお花のベストシーズンならば、青、黄色、緑、紫など美しいと思われるが、 今は丁度端境期のようで、ただ、ただ広い!!という印象だ。 山道を走り391号線に戻り、海岸44号線に入り次の地厚岸へ。 釧路国道を走れば早いのだが海岸線が美しいので遠回りをする。 ローソク岩、タコ岩、帆かけ岩など奇岩が聳え立っている。この道は車は殆ど通っていない。 あまりの景観に車を止めて海を見下ろす。 目がクラクラしそうだ。絶壁にはちらほらとお花も咲いてとてもきれいだ。 厚岸の町に入り道の駅「厚岸グルメパーク」に到着。 グルメパークというので中に入ってみるとレストランがあり、水槽の中にホタテやウニ 貝、イカ、タコなど海の幸がふんだん。好きな魚等を選んで炭焼きで食べる事が出来る。 久しぶりにコンビニおにぎりから解放されて今夜は豪華にいきましょう! さてお風呂は何処にあるのかなぁー? レストランの方に尋ねると、厚岸の町には銭湯があるはずですと言われるので、町中を車でウロウロ 走っていると、銭湯が一軒目に入った。 入ってみるとおばあちゃんが番台に座って監視!まさに庶民の銭湯だ。ゆっくりお風呂に浸かる。 番台のおばあちゃんは80才。以前には4軒の銭湯が有ったのに、2度の地震で この銭湯一軒になってしまった・・・と嘆いておられた。 結構熱い湯で石鹸も何も自分で持ち込みだ。 お風呂を済ませ出ようとすると、男湯の方に向かって「忘れ物!!」と注意される主人。 石鹸を忘れたのをしっかり見られていた。 再び道の駅に戻ると、「稲垣さ〜ん!!}と薄暗い駐車場の向こうから私たちを呼ぶ声がする。 こんな所に私たちを知っている人なんていないのに・・・といぶかしく思いながら声の方をみやると、 何と忠類道の駅でお話した広島ナンバーの車のご夫妻、稲田さんのご主人であった。 「また会いましたねー」とニコニコ顔。 まあ同じ方向に向かって走っていて、休むところも道の駅となると、どこか出会う可能性は高い訳だ。 稲田さんも今夜はここでの車中泊らしい。再会に感動し、しばし会話をし車に戻り床につく。 |
6月23日(土曜日) 起床し、トイレに行くと稲田さんの奥さんが「また会ったね〜!」と私の肩をポンとたたかれニコニコ顔。 しばし旅談義をする。 近くのセイコーマート(北海道のセブンイレブンといったところか?)でおにぎりを買って駐車場に戻りベンチで朝食。 8:30過ぎ稲田さん夫妻はお先にとご挨拶され出発して行かれた。 今朝は少し肌寒い。小雨がパラパラしている。 このグルメパークではパソコン電源があるので朝食後しばらくルート軌跡をパソコンに 取り込んだり、メールチェックなどをして出発する。 厚岸からあやめケ原のあやめ群生地を見て別海厚岸線から霧多布岬へ。 この霧多布も湿原が広がっている。季節にはエゾカンゾウの黄色いユリのような花や、 ワタスゲの花が咲き乱れ美しいらしいが、今はエゾカンゾウがちらほらだ。 海岸線は”なぎさのドライブウエイ”と地図にある。 根室まで今日は走るので霧多布の突端には行かず142号線をひた走る。 地図を見ると、途中に”ムツゴロウ動物王国”とある。 「あ!あのムツゴロウさんのだ!」行ってみようと案内板にしたがって行って見た。 しかし見るものは何も無く、立ち入り禁止の札が立ててあるだけだった。 根室納沙布岬に来た。ここから北方四島が見える。今日の天気はまあまあなのでかすかに見える。 岬には北方館や望郷の岬公園、平和の鐘などがあり、北方領土返還を願う切実な思いが伝わってくる。 道の駅「すわん44根室」でGPS軌跡をパソコンに取り込む。外は風、ビュービューと吹いて寒い。 今夜はここで車中泊である。なんだか寂しい所だ・・・・。 |
6月24日(日曜日) 風連湖畔の道の駅「スワン44ねむろ」はなぜかぶよが多い。 駐車している人たちはぶよと格闘だ。とにかく少しの隙にたかってくる。 そしてかゆくなる。なるべく車のドアーを開けないようにする。あけてもサッとすぐ締めるようにする。 私達もここでのんびりしていられない。すぐに出発する。 風連湖という名前の響きがいい。ここは国内最大の白鳥の飛来地だという事だ。昨夜レストランで食事をした。 窓のそばに望遠鏡が置いてあり、覗いてみた。遠く湖畔で二羽の白鳥を見ることが出来、とても感動した。 野付街道を走り、475号線ハマナスロードを走り、風連湖畔を走る。 浜で魚を釣っているおじさんに声をかけると、「今日は別海町で松原のぶえが来るからそれを聞きに行く」と言っておられた。 忠類道の駅で会った稲田さん夫妻もその事を教えてくださり、お二人も楽しみにしておられた。 別海町の町の中を走る。主人のGPSがそろそろPCに取り込まないと前のが消えてしまうのでとあせっている。 JAのガソリンスタンドに入った。ガソリンを給油し、パソコン充電もOKして下さったのでここでさせてもらうことに。 給油したらアリスクリムパーラーの100円引きの券を頂いた。 すぐ横にパーラーがあり、充電の間アイスクリームを食べる。 ここ別海町は人が一万人に対し、乳牛12万頭いるそうで、乳製品の町らしい。 ガソリンスタンドの人が、近くにある乳製品の工場の事を教えてくださったので、行って見る。 日曜なので工場は休みのようだったが入り口は開いている。 そろそろ入って行き声をかけると、奥のほうから白い仕事着を着たおじさんが出てこられた。 ショーケースには製品のサンプルが置いてある。チーズを買った。 おじさんは優しそうで、一緒にデジカメに納まってくださり、帰り際にこれも持って帰って!といって カレンダーを5部も6部も手渡された。 ガソリンスタンドに引き返し、充電の終わったパソコンを受け取りお礼をいう。 再び野付街道を走り尾岱沼(おだいとう)へ。 今日は松原のぶえの歌のほか、えび祭りもやっている。 祭りの会場に行くと、人が沢山!!地域の産物を売っていたり、海産物もある。 トウモロコシもある。カニのてっぽう汁が美味しそう!!2杯注文して美味しさ満喫。 確か稲田夫妻も近くにおられるはずと携帯で呼んでみると、すでに会場に来ておられ、 カニてっぽう汁に誘われてこちらに来られるようだ。 何度目かの再会ですっかりお友達になった。てっぽう汁を頂いてお二人は松原のぶえの歌を聞きに行かれた。 私達も始まるまで待っていたが余興が長くてなかなか始まりそうに無いので次の地標津へ出発する。 そろそろ夕刻。標津にも温泉があり、一人390円と安い。 温泉に浸かり、少し洗濯物もたまったので200円を払い洗濯もする。 ぬるぬるのとてもいいお湯だった。40分程かかるので、温泉にゆっくり浸かることが出来た。 夕食はこの標津で食堂に入る。 日も落ちてきて7:00、今晩の道の駅のある羅臼にむけ走る。夕方は少し雨模様になった。 「知床・羅臼道の駅」に着いた。 ここの道の駅はとても掃除が行き届いてきれいだ。壁には当番表が貼ってあり、担当者の印が押してある。 駐車場にも数台の車が停車し、今晩の宿にするようだ。雨もかなりの降りになって来て寒い。 長い距離走ってここまで到達したので、早々に床に就く。 |
6月25日(月曜日) 起床してトイレに行くと、今日の当番の女性が一生懸命掃除をしておられる。 「きれいで気持ちいいトイレですね」と声を掛けると、いつもの事ですからと当たり前のような顔で言われた。 道の駅を沢山通って来たけれど、こんなに気持ちの良い道の駅は珍しいと思った。 昨日の雨は今朝も止んでいない。寒いし、とにかく走る事に。 しばらく走ると洞窟「光り苔」があった。車を止めて行ってみる。 洞穴があり入り口に立て看板の案内がある。岩の表面に苔が生えている。 右から見ると光沢があり光っているが、左から同じ苔を見たら単に岩しか見えない。 この苔は珍しい光る苔なのだ。洞穴の奥には入っていけないように柵がしてあった。しばし苔を観察。 知床半島は突端までは車では行けない。「相泊」(あいどまり)が行き止まりだ。 海岸の景色を楽しみながら相泊まで走る。この相泊には一軒の名物飯屋がある。 主人の友人河原さんが「知床へ行ったら訪ねてみて」と紹介された。この店の名は「熊の穴」と言う。 このお店の主人は北海道ではちょっと名の知れた人のようで、芸能人が訪れたり、面白いお店という事で 何度もテレビ取材を受けたりされているようだ。 守繁久弥とを初め名だたる有名人と一緒の写真が何枚も額に入れて飾られている。 何が面白いかというと、他では食べられない熊の肉、トドやアザラシ、鹿の肉などを食べさせてくれるらしい。 なるほどメニューを見るとずらりと写真入で並べられている。 主人は珍し物好きなので早速トドの焼肉、私はエゾシカ丼を注文。 味はというと・・・うーん、やはりちょっと硬いかな?頻繁に食べる味でもないな。話の種にはもってこいだが・・・。 「熊の穴」主人の話では、熊は食べるものによって臭みがあったり、味の良し悪しがあるそうで、 自然の木の実などを食べる熊の肉は美味しいのだそうだ。 食べ終わりお勘定をすると、店主は来店記念の証明書を下さった。 葉書大でN0.112467、112168で、証明書には「貴方は知床世界自然遺産日本最北東突破に到達し、 味処熊の穴を味わった事をここに証明する」と記してあった。なによりのお土産だ。 今日は雨なので、知床から北方領土は全く見えない。引き返し知床峠を越え、ウトロに入る予定。 途中に温泉があった!「熊の湯」という山の中にある温泉で、うれしい事に無料だ。 小さなつり橋を渡って温泉小屋に行く。無料だけあってタオルも無ければ石鹸も無い。 掘っ立て小屋を少しましにした感じ。入っていくと女性が一人入っていた。 背中をこちらに向けてもくもくと身体を洗っている。 浸かる前に身体を湯を流すべく掛けると”あっちっち”40度以上はあろうかというほど熱い! 片足づつゆっくりゆっくり浸けた。のぼせそうで長湯なんか出来ない。15分ほどですぐ上がる。 脱衣場の壁には注意書きがしてあった。 @お風呂の掃除を手伝える人は手伝ってください。A身体を洗ってから湯船に浸かって下さい。 B熱くても入った人の半分以上の人が熱いと言わなければ水でうめないで下さい。などなど、思わず笑ってしまった。 ここら当たりは地熱が高い地域だそうで、看板には「マムシ出没に注意!!」とあった。 熱かった温泉を出て、峠越えをしウトロへ。 道の駅インフォメーションで近くの民宿を紹介してもらい行く。 今夜は久しぶりにお布団の上に寝かせてもらえる。やれやれ・・・。 紹介された宿は「民宿ペレケ」という。夕食まで時間があるので、近くの海岸に夕日を見に行く。 海岸ではウミネコがキャーキャーニャーニャーと賑やかに鳴いている。 100mもあろうかと言う断崖絶壁のねぐらに急いでいる。 宿に帰ると夕食支度も出来ており、おさしみ、サラダが並び、、貝、えび、とうふ、 野菜が小さな小鍋に入って火が点けられている。 宿のご主人が「いまホタテを猟師さんからもらったので・・・」と言っておつくりにしてお皿に盛って出してくださった。 ホタテ貝はあまり歯ごたえが無く美味しいとは思わないが、ひものこりこりした食感が美味しかった。 たらふく食べてお腹もいっぱいになった。今夜ゆっくり足を伸ばして休むぞーーー!! |
6月26日(火曜日) 今日は知床半島から船に乗っての遊覧をする。朝食を済ませ出かける支度をする。 ところで、この旅館ペレケのご主人の奥さんは何と広島県の人だった。 東城という少し田舎の山間の町だが、私達の車のナンバーが広島だったので同郷の好で何かと親切にして下さった。 今日の知床遊覧も普通ならば波止場の駐車場にお金を払って駐車するのだが、この旅館の駐車場に 置いていきなさいと言って下さった。好意を頂いたので荷物を車に置いて出かける。 オーロラ号に乗り込んで知床半島遊覧の旅は4時間半。 主人にとってはこの知床遊覧は今回の旅のメインイヴェントだったらしい。 寝袋一つ担いで手持ちのあるだけのお金を財布に入れ学生時代最後の旅をしたのがこの北海道。 宗谷岬、礼文を訪れたらしい。大学の先輩から知床の魅力をしっかり聞かされていたらしい。 そんな訳で今回の旅行は、いわば若い頃の自分探しの旅という特別の思いの旅でもあるようだ。 この知床は印象深かったようで、遊覧が終わって港に帰った時思わず記念のビデオもしっかり買っていた。 港に帰ったのは2時過ぎであった。旅館「知床ペレケ」にご挨拶をして失礼する。 近くにオシンコシンの滝というのがあるそうで、行って見た。 双美の滝ともいい、水量の多い綺麗な滝であった。ウトロの道の駅で少し車を拭き、網走に向けて走る。 標津町から濤沸湖を見ながら走り網走湖に、ここはもう網走だ。 美幌峠に行く手前に網走湖畔温泉があった。今日の温泉はここ。 大きな立派なホテルの中にある温泉で、少し寂れた感じがする。 かつては権勢を誇ったであろうこのホテルだが、客足が途切れたか哀れである。 フロアーには厚手の真っ赤な絨毯が敷いてある。お風呂に入ったが私一人の貸し切り状態。 お風呂も何と2階建て。2階では泳ぎ、3Fでは歩いたりゆったりと入らせてもらった。勿体ない!! 網走を出て走り次の道の駅湧別(ゆべつ)に走る。 サロマ湖の道の駅「上湧別温泉、チューリップの湯」へ着く。今夜はここで車中泊。 |
6月27日(水曜日) 道の駅「かみゆうべつ温泉、チューリップの湯」、ここの温泉のいわれは面白い。 というのはこの温泉、囚人が牢破りをしようと牢屋の床をずっと掘って行ったところ温泉が湧いたというものであった。 さてさてその囚人の行く末はどうなったのだろう?? 8:00身支度をして出発。紋別〜興部(おこっぺ)〜雄武町(おうむ)へ。ここ「雄武道の駅」にて一休み。 道の駅の前に大きな今年の流氷が3つ、ドン、ドン、ドンと置いてある。 さわって今年の流氷の感触を味わう。冷た〜い!! その横に一人のおばさんが何だか寂しそうに椅子に座っておられた。隣に座って声を掛ける。 おばさんは62歳、ご主人は51才で病気で他界されたそうで、子供さんも出来られなかったので お一人になられたとぼそぼそと話をされた。 私達が北海道を車で廻っているとお話しすると「私達も仕事をやめたら、日本中を車で廻ろうねと言っていたのに」と悲しそう。 きっと家におられても寂しいので、こうして日がな一日ベンチに座って人の往来を眺めておられるのだろうなぁ〜・・・。 しばしお話し相手をして失礼する。 オホーツク海を右に見ながらひた走り、北緯45度を通る。赤道と北極の丁度真ん中にあたる。 雨がぱらついてきて気温19℃、寒い。土砂降りの雨の中を走り浜頓別に到着。 ここはクッチャロ湖畔オホーツク海側のベニヤ原生花園を訪れたが、お花は殆ど咲いてなく緑ばかり。 お花は端境期の様だ。雨も降って寒いのでこんな時は温泉に限る。 北海道はどこに行っても温泉だけはあちらこちらにあってこれが嬉しい。ここ猿払村にも一人350円の安い温泉があった。 早速入ることに。この温泉は湯が茶色で、PH9.9.アルカリ性の強い温泉。とてもいいお湯だった。 遂に最北端宗谷岬に立つ。晴れたにはサハリンが見えるそうだが、今日は雨模様で全く見えない。 間宮林蔵の銅像の前で写真を撮る。 展望台に上がろうと思ったが、さびてくずれそうなので途中で恐くなりやめ、一路238号線を走り今夜の地稚内へ。 到着後明日渡る礼文島へのフェリーの状況を聞きに行く。 礼文へは稚内から東日本海フェリーで2時間である。 今夜はこのフェリー乗り場駐車場で車中泊。 朝一番6:30のフェリーなので早々に寝る。 |
6月28日(木曜日) 朝早く起床し、礼文への身支度。北海道の朝は早くから明るい。 礼文島の香深港までは片道2200円。 礼文島や利尻島へ渡る人もあるようで、車からゴソゴソ起き出して準備をされている人の姿もある。 主人は隣りの車の人と話をしている。宮津天橋立の人だったようで、ご夫婦で利尻山に登られるそうである。 桟橋に着くとすごい人だ。観光客、登山姿の人、人。人が沸くように乗り込んでくる。 この人達皆〜んな礼文に渡るのか?? 今朝の稚内は少し雨模様だった。 聞くところに依ると、稚内が少々雨っぽくても、礼文に渡ると晴れていることが多いらしいので期待する。 私たちは今回訪れるのは礼文島だけ。実は今回の北海道旅行の主人の第二の目的がこの礼文島だ。 学生時代にリュックひとつ背負ってこの礼文に渡り、どこかのトンネル工事現場の飯場でお世話になったらしい。 夕ご飯を炊く為にお水を貰いに行ったところ、現場の監督さんらしき人が「今夜どこに寝るの?」と聞かれた。 「あの〜・・・そこのトンネル現場の穴の中にでも・・・」と言うと、飯場の飯炊きのおばさんに向かって、 「おばちゃん、夕ご飯もう一個追加ねー」と言って主人の分を追加し、「今晩ここへ泊まれ!」と言ってくださったそうだ。 おまけにあくる日にはその監督さんが現場を休み、ジープで島を案内して下さったそうで、 近くの海辺でめのうを拾った記憶があるという。 何十年も前の事なので、薄ら覚えの状態だし、トンネル現場がどこであったのか殆ど記憶に無いという。 小高い山を少し登り、結構歩いたとか、頭をひねりひねり思い出そうとしている。 まあいずれにせよ、当時の人が優しかったのか、主人があまりにみすぼらしく見えたのか、 青春の記憶としては胸キュンとなるものがあるようだ。 香深港に着きバスで南側の高山植物群生地までいくことにした。30分ほどバスに揺られて終点に着く。 降りて海岸の砂浜を歩いていると、主人の声。「ここだ!ここだ!ここでめのうを拾ったんだ!!」 そこはまさしく”めのう浜”と杭に書いてある。 「めのうをここで拾ったんだよー!」としみじみと当時を思い出しながらじーと立っている。 それにしてもバスで行き着いたところが探していたまさにその場所だったとは・・・ きっと青春の思い出が蘇ってなんともいえない気持ちだろうなぁー。 そんな思い出を持つ主人を少し羨ましくも思いながら見ていた。 そのめのう浜に何軒かの食堂があったので、昼食にする。 メニューが大きな字で書いてある。『つぶ焼き・・一本¥300』『焼きうに・・・800円』『生うに・・・800円』 『トド串焼き・・・300円』『芋もち・・・100円』『かぼちゃもち・・・100円』『うに丼・・・1000円』等等。 せっかくうにの本場に来ているので、うに丼を頂く事に。 なぜかうにの産地に来ているのに、北海道ではどこでもうにがとっても高い。 きっと手間隙掛けてうにを処理するので、高いのかな〜。 他につぶの串焼きと芋もちを頂いてお腹いっぱいになった。 芋もちというのは、ジャガイモを潰して片栗粉を入れて焼くのだそうだ。ほんのり甘くて香ばしい味だった。 桃岩展望台に歩いて登り、お花を愛でる。 礼文島の「礼文あつもり草」は北のほうに自生しているようだが、バスの便も少なく、私たちは南のほうだけで 香深港に引き返す。港にちょっと小奇麗なホテルがあり、二階のレストランで抹茶とお菓子を頂いてしばし休憩。 お店の前に礼文のお花を寄植えした花壇があり、かわいいお花がいっぱい咲かせてあった。 えぞかんぞう、エゾすかしユリ、白山ちどり、礼文こざくら、礼文草、利尻ひなげしなど・・・。 身体を休めたので、香深から再び稚内港へもどる。今夜はもう一度この港駐車場で車中泊とする。 |
6月29日(金曜日) 朝、野寒布岬に行く。ものすごい風、吹き飛ばされそうだ。 8時過ぎなので、そろそろ観光客が来始め、お店も開店の準備を始めている。 寒いので長居は無用とばかり、国道106号線に添って南下する。右に訪れた礼文島が見えた。となりに利尻島も。 106号線から444号線を入ると、荒涼たるサロベツ原野が広がっている。 ここは日本最北端の大湿原で、季節には100種類以上の花々が咲き乱れるそうで、見ごたえあるだろうと想像しながら、 ちらほら咲いているエゾカンゾウや名も知らぬ白い花を見て走り、自然公園の中の木道を歩いてみる。 30分ほどあるいたので、原生花園の中の茶店で一休み。 ここでもあの”いも餅”を売っている。絞りたてと書いてある牛乳も美味しそうだ。一杯100円が嬉しく、2杯目をお変わりする。 サロベツ原野を少し北に入ったところに豊富町という町がある。そこの温泉は良いらしい。 早速車を走らせて行ってみる。温泉街には何軒もの旅館、ホテルがあった。 その中の小高い丘の上にあるグランドホテルのお風呂に入る。 お客さんは誰も居ないようだ。私一人の貸し切り状態。今は季節も端境期なのかな・・・。 なんだか豪華ホテルなのに、経営は大変だろうなぁーとしばしお風呂に浸かりながら考えてしまった。 この温泉郷は天然ガスを採掘していたら温泉も湧いてきたという言われで、この温泉の湯も油分を 含んだ茶色いものであった。長く入っていても湯疲れをしないと効能書きに記されていた。 主人の入った男湯で稚内の男性が居て、近くに大規模草地レストランというのがあり、そこでは牛乳100円で 飲み放題だよという情報を仕入れて来た。それではと早速行ってみる事に。 走ること30分、何だか道を間違えたのかな?と思いつつ走っていると、看板が有り何とか到達。 二階のレストランに上がっていくと、若いかわいい女の子が「いらっしゃいませ」と言ってにっこり笑ってくれる。 丁度お昼時でもあったので、ジンギスカンセット(肉、ごはん、野菜、牛乳か味噌汁)¥1000なので、それを注文。 マトン(羊)の肉だが、臭みも無く柔らかくとても美味しかった。 牛乳100円飲み放題の注文したら、なんとボトルにいっぱい入れられた牛乳が運ばれて来た。 ご飯も頂いた後なので、そんなに飲めない。頑張って2杯飲んだ。窓の外では乳牛がのんびりと草を食んでいる。 絞りたてとは言っても全くの無調整の牛乳は出さないようで、やはり普通私達が買って飲むのより、 少し濃い目かな?という程度である。 近くのビジターセンターに寄り、原野を双眼鏡で見たり、ビデオ放送を見る。遠別〜羽幌町〜オロロン街道を走る。 右に天売島と焼尻島が見える。ここはオロロン鳥が生息する島らしい。 道の駅「風Wとままえ」に寄り、次の地、留萌にひた走る。苫前海岸線は夕日が沈むのがとてもきれい。 途中鰊番屋が有り、よってみたが、すでに終わっていた。夕日がもう少しで沈みそうだ。 今夜は留萌市233号線深川の道の駅「深川ライスランド」で泊まる。 隣りにセブンイレブンがあった。今夜は車中で買ったおむすびを食べ、車中泊。 |
6月30日(土曜日) 朝9:00出発。セブンイレブンで朝食用おにぎりを買う。 ガソリンを給油し、12号線音江〜神宮町から4号線を走り芦別へ。 石狩川を左に見ながら走るが、途中カムイスキーリンクというパラグライダーのエリアに立ち寄る事に。 2月に北海道で結婚式があり北海道出身の女性と広島の男性というカップルで、 彼女はここカムイでも飛んでいるので、彼女の友人を紹介された。 そのなかのお一人、高塚さんに会いに行くという主人。今日は土曜なのでお仕事休みかもしれないのでр入れてみる。 するとすぐにそちらに向かいますとの事。20分程待っていると到着。立ち話をしていると次々と車が到着した。 このエリアで飛んでおられる新保さん、渡部さん、野沢さん達。 今日はやはり飛ぶ風では無さそうで、三々五々散っていく。 野沢さんが観光ならば美瑛町がきれいですよ是非行って下さいと勧められた。 皆さんにお礼を言ってカムイを後にする。 主人には残念の様子だが、今日は観光モードで行こうと車を走らせる。 今は丁度さくらんぼの季節か、道端の小さなお店にさくらんぼが沢山並べられている。 やはりご当地なので安い!!広島などではとてもとても信じられない値段だ。 嬉しくなって留守をお願いしているご近所に宅配を頼む事に。 ワンパック50粒くらい入って500円位で売っている。 送り賃のほうがよっぽど高くつくのだが、旬の味を喜んでもらおうと手配する。 車の中で食べるのも買った。サトウ錦と紅さやかという種類があり、紅さやかは丁度アメリカンチェリーの様な 濃い色をしているが糖度があってとっても美味しい。 今日は観光モードなので、ここは何と言っても富良野はラベンダーファームを訪れなければ・・・。 一番有名な富田ファームに行ってみる。観光バスから沢山のお客さんがぞろぞろ降りてくる。 駐車場には沢山の乗用車も止まっている。ほんのりとラベンダーの香りがしてくる。 お花畑をあるくと他にも色とりどりの花が植えてある。早咲きのラベンダーは咲いているのだが、ほんとうの 季節は少しまだ早いようで、7部咲きといったところ。朱色や黄色のマリーゴールドが華やかな色を添えている。 畑、丘の急斜面に歩道があり、ひとつひとつのお花畑を見ながら歩けるようになっており、観光客の皆さんは それぞれにお花の香りを楽しんだり、写真を撮ったりとゆっくりとお花を楽しんでいる。 お店にはラベンダーの加工品やアイスクリームなど売っている。 ここの富田ファームでは拝観料も駐車場の料金も一切取っていない。 中のお店で販売する品物だけの売り上げで経営を成り立たせているようで、ここまで大きなファームにされた事に感心する。 富田ファームを後にし、野沢青年に勧められた美瑛に行ってみる。 小高い丘に小麦やとうもろこし、ジャガイモなどが植えられていて、まさにパッチワークみたいだ。 小麦色づく季節にはもっともっとはっきりした色が楽しめてそれはきれいらしい。 その丘にはおもしろい名がつけられていて、「マイルドセブンの丘」とか「ケンとメリーの木」とか 「クリスマスツリーの木」などと名づけて丘にそびえる高い木を楽しみながら歩いく。 カムイエリアには旭岳に登ってから帰り際にもう一度来ようと計画変更。 今晩は旭岳の麓あたりの駐車場で車中泊し、明日の朝早くロープウエイで旭岳に行く事になった。 今夜はゆっくり身体を休めようとロープウエイの見えるホテルの駐車場車中で横になる。 |
7月1日(日曜日) 今日はいよいよ大雪山山系のひとつ旭岳に行く。 登山の準備はしていないので、多分麓の散策コースを廻って降りることになろう。 朝一番のロープウエイに乗ろうと身支度をして乗降の駅に行った。一番で登る人は私達の他沢山いる。 皆さんリュックサクを背負い、登山靴を履き、杖を持って本格登山の格好だ。 私たちのように軽装でズックに毛の生えたようなスタイルの人は誰も居ない。恥ずかしくなってきたが、仕方ない。 5合目までにキップを買う。一人¥2800也。 5合目で降りるとここからは歩き。夫婦池や姿見の池を見ることが出来る。 一生懸命歩いているうち、もう少し、もう少しと元気が出てきて地獄谷を通り頑張って山頂まで来てしまった。 高さ2290mの山頂に着くと、えもいわれぬ達成感に満たされ、しばし絶景を堪能する。 きっと登山途中の高山植物や花、エゾノツカザクラ、チングルマなどが目を楽しませてくれ、幸運にも雪ウサギが走って 茂みに入って行くのも偶然見ることが出来た。ラッキー!! 今朝私達は山頂に登る予定でなかったので、さくらんぼの残りをほうばり、パンの残りを半分づつ腹に入れただけだった。 さすがお腹は空いたのだが、この絶景に気持ちは満腹状態でうれしかった。 お昼過ぎロープウエイで下に降りる。お店で記念のバッジとキーホルダーを買い、チョコレートひとつなめながら下る。 昨夜この駐車場のホテルの温泉に入らせてもらったが、入浴料は¥1000とられてしまった。お風呂は我慢して、車で下る。 天人峡という秘境があるので、是非そこの温泉に入りたい。まずは腹ごしらえだ。 昨日麓に来る前に入った小さな食堂がとても美味しかったので、もう一度食べに行く。 「旭岳に登りましたよ」と女将さんに報告。 ここはバスの運転手さんなどがくるいっぱい飯屋みたいなところで、五目ラーメンと豚丼を頼む。 五目ラーメンはとても熱っつく手口の中が焼けそうだ。 ふーふー言いながらゆっくりたべる私に、さっさと食べてしまった主人はしばらく片隅の畳で横にならせてもらう。 30分かかって汗だくでどんぶりと格闘。汗はダラダラ、鼻水ずるずる状態。でもとてもいい味付けで美味しかった。 しばらく仮眠が出来た主人も少し疲れがとれたか天人峡の羽衣の滝を見に行こうと再びハンドルをにぎる。 針葉樹と広葉樹の原始林が生い茂る中に屏風のような絶壁が2キロメートルにわたってそびえたち、所々に滝のしぶきをあげている。 中でも峡関壁の奥、天人峡からさらに東北に登れば、7段に落下する情景は、天人の羽衣がひるがえる姿を思わせるところから 羽衣の滝と名づけられているそうだ。この羽衣滝はまっすぐ下に落ちた北海道一の美しい形の滝だそうだ。なるほど・・・・。 この天人峡の一角ー旭岳の西南の麓に天人峡温泉がある。大雪山の西登り口、さらに南にそびえるトムラウシの登山口として足場と なっているひなびた温泉である。天人峡という名前の響きも良い。ゆっくりと温泉に浸かって疲れを癒す。 旭岳山ろくを堪能し、明日もう一度訪れるカムイのエリアに近い道の駅「ライスランド深川」に到着。今夜はここで車中泊だ。 旭岳に登った満足感ですぐに眠りに就く。 |
7月2日(月曜日) 先日訪れた旭川カムイのパラグライダーエリアで飛ぶことになった。今日は天気はまあまあのようだ。 道の駅を8:30に出発。コンビニでおむすびを買い、、途中のパーキングエリアで食べる。 エリアに到着すると、新保さん、渡部さんが来ておられた。私は飛ばないので、一緒に山頂に上がり、車を降ろす事に。 一本目主人は飛び出した。そしてトップラン(飛び出したテイクオフに戻った降りる)。あまりあがらず2本目にトライ。 佐藤さんとおっしゃるプロのフライヤーがビジターを連れてタンデムをされるようだ。静岡の方から来たライダー青年だった。 みなさん一通り飛んで降りられたので、私も車を降ろす。 もう少し良い風が入るまで下でうだうだとお喋りタイムだ。バナナや餅菓子をつまみながら、新保さんは卵を湯がき始められた。 3本目はなんとか上空に上がって30〜40分くらい飛べた。 新保さんが「今晩うちへ泊まって下さい」と言って下さった。 奥さんは今小樽の娘さんの所へ言っておられてお一人だそうで、遠慮せずに どうぞ、どうぞとしきりに誘ってくださるので、好意に甘える事にした。 お宅は留萌市内にあり、今夜は我が家でジンギスカンをしましょう!!と途中のスーパーで材料を買われる。 私たちがお支払いしますからと言ってもどうしても払わせてくださらない。もやし、お肉など買い揃え新保さんの車の後を追う。 御年67歳というのに現役バリバリの暴走族運転だ。見失わないように後を追う。 ガレージでごそごそ道具を出してジンギスカンの準備。私は失礼して、新保家の台所で材料を切ったりの下ごしらえ。 火を熾し、鉄板を置くと、煙が出だす。熱すぎる!! これではすぐに材料が炭になってしまいそうだ。炭を少しにして温度を下げる。 新保さんはお酒は飲まれないし、主人も全くのまないのでその点会話が弾む。 新保さんもパラ命の人でパラグライダーの話さえしていれば、にこにこと少年のようだ。 家は妹背牛町という町で「もせうし町」と読む。うれしい事にすぐ近くに「妹背牛温泉ペペル」というすばらしい温泉もある。 「ペペル」というのは・・アイヌ語で”PE"は水、”PERU"というのが泉という意味だそうだ。 北海道の人は羨ましいなぁー、毎日こんな良い温泉に入れるんだから・・・・。 食後早速温泉に連れて行って下さった。 久しぶりに畳のある所で休む事が出来る。洗濯機も貸して頂き、すこしたまった衣類の洗濯もさせて頂いた。 居間では主人と新保さんが明日の天気を見るためパソコンに向かっている。 天気がよければ明日もう一度飛びたいようだが・・・。 いろいろお話をして12時過ぎに休ませて貰った。 |
7月3日(火曜日) 朝ご飯は昨日の残りの材料で炒め物をする。 たわいも無い食事なのに美味しい!美味しいと言って食べてくださる新保さん。 ごはんが少し残ったのでおむすびを作り持っていく。新保さんは海岸の別のエリア小平でも飛んでおられる。 今日のカムイは風がよくないようで、小平エリアに私たちを案内して下さった。 今朝も新保さんのハンドルさばきは軽快で、見失ってはと必死になって後を追う。 30分ほど走って海岸の小平へ到着。日本海を見ながらの海リッジ飛びだ。 ここには小さなパラハウスがある。これは新保さんが建てられたそうだ。 こちらもやはり風は悪く、しばらくパラハウスで雑談をしていると、渡部さん登場。 渡部さんの出身地は島根だそうで、秋には里帰りされ由是非広島にも寄って下さいとお誘いする。 持参したおむすびを食べながら良い風が入るのを待ったが、改善しそうにない。 新保さんはとても優しい方で「帰らないで!一緒に枝幸のエビ祭りに行きましょう。もう一晩うちに泊まって!」と言って下さり、 つい甘えてしまいそうになるのだが、心を鬼にしてお別れする。 渡部さんもかつて警官であった方にはみえない、無口で優しい方でこの北海道旅行で 心に残る素晴らしい方々に会えた事が嬉しかった。 おびら鰊番屋が近くにある。この間寄った時は遅くてすでにしまって見学しそこなったので、ちょっとよってみる事にした。 中に入ると真ん中に囲炉裏があり、漁夫がここで食事をとったのだろう。 北側には親方の居住部分、南側が漁夫の生活寝台などが配されている。 明治から大正にかけて北海道西海岸の鰊漁は全盛を極めた。 この番屋から若いヤン衆がもっこ(背負いかごのような物)を背負い鰊を運ぶという光景が毎日見られたのだろうなぁー。 鰊番屋を見学し終えたのでオロロンラインを引き返し増毛町へ南下、雄冬岬展望台へ。 雄大な日本海を見ながらひた走る。雄冬町の手前汐の岬PAに温泉がある。 「あったまーる」といういかにも入りたくなるような温泉だ。 行ってみると一人500円で眺望も素晴らしい。入ろう!湯質はすこしぬめぬめの温泉、 目の前に日本海が一望出来る絶景で、こんな贅沢をしていいのかと勿体無い思いになってしまった。 2〜3時間をずっと日本海を見ながら走る。しばらく走るとトンネル、また美しい海岸を楽しんでいるとまたトンネルと、 けっこう絶景をさえぎるようにトンネルが多い。 というのは、このあたりで以前崖くずれがありバスや乗用車が生き埋めになったと言う悲しい災害が発生した。 このことを教訓に、少々の景観を損ねてでも安全なトンネルを通そうという事になり、古いトンネルは全て新しくされたそうだ。 一気に走り小樽に帰ってきた。もう一息余市まで到達する。余市は宇宙飛行士毛利衛さんの故郷だ。 今夜はスペースシャトルならぬ「スペースアップル余市」道の駅で車中泊。 |
7月4日(水曜日) 朝車から起き出すと主人が青年と話をしている。 私たちの車のナンバーが広島だったので声をかけて来てくれたそうだ。 彼は東広島から来ている松岡青年。出身は神戸だそうだが、東広島の企業で働いている。 北海道を10日間かけて乗用車で廻っていて今夜の船で帰るそうで、東北も廻って来ていたので、 これから訪れるかもしれない私たちへのお勧めの場所やアドヴァイスをしてくれた。 余市はさくらんぼや果物が美味しいところで、町中を走っていると店先に美味しそうな色のさくらんぼ、トマトが並んでいる。 ここでも広島への地方発送の手配をする。果物価格より運送費の方が高くつくのが辛いところだが・・・・。 ここ余市には見るべき場所が2箇所ある。 ひとつは毛利衛さんの出身地という事で、宇宙博物館があり、毛利さんのプロフィールや宇宙旅行での 体験談、宇宙での実験の様子、その他無重力体験も出来たりするコーナーもある。 今日は遠足を兼ねてか、小学校の生徒たちがワイワイガヤガヤと見学をしている。 私もゆっくりと毛利さんが小学校の時書かれた作文やどのような少年時代を過ごされたか等ゆっくり読むことが出来た。 もう一箇所はニッカウヰスキー余市蒸留所である。 ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝は広島県竹原の人だ。 彼のウイスキー作りを成功させるまでの足跡がビデオや書物などで詳しく記されていて、 とても興味深くゆっくり時間をかけて見ることが出来た。竹鶴政孝は造り酒屋の三男として生まれた。 兄二人が其々の道へ進んだ為、政孝が家業を継ぐべく大阪高等工業(現大阪大学)へ進む。 こうした自らの生い立ちについて竹鶴政孝は自己回顧録に「物心がついた頃には、もう酒が身辺を囲んでいたのも、 兄たちがいなくなった為に醸造学を学んだ事も運命だ。 父親が身を持って酒造りの厳しさを教えてくれたこともそうだ。”酒はな、一度死んだ米をもう一度生き返らせて作るんだ” と父は言った。今から思うと、酒造りの厳しさはいつの間にか父を通して、私の血や肉になっていたようである」と。 竹鶴政孝の酒造りの人生はまさに運命という糸に導かれた道だったと言えよう。 しかし、政孝は学校で洋酒の世界に興味を持ち始め大手洋酒メーカーに入社し、 スコットランドに派遣されモルトウイスキーの勉強をする事になる。 スコットランドに渡った政孝はウイスキー作りの本場ハイランドと呼ばれる町で下宿し、ウイスキーの研究に没頭する。 そこで政孝は一生の伴侶となる一人の女性に出会い求婚。研究を終えた政孝はこの女性リタを伴って日本へと帰国する。 帰国した1921年の日本は深刻な戦後不況の状況下にありました。 自分の研究の成果も発揮出来ず政孝はこの会社を去ることになる。 そんな政孝に運命の扉を開いた人物、壽屋の鳥井信治郎社長という人物で、「どうしても本格ウイスキーをやってみたい」 という鳥井氏の申し出を受け政孝は寿屋へ入社。 1929年4月日本人が日本で初めて作った本格ウイスキーが世に出る事となった。 その後政孝は10年間という寿屋との契約期間を終え退社。 自らがウイスキーの原酒作りの地として前から心に決めていたこの北海道余市へと赴く。 余市で1934年(昭和9年)政孝は新会社を設立する。 北海道工場(余市蒸留所)が完成し、いよいよ念願のウイスキー造りを始める。 このニッカウイスキーという名前は、「大日本果汁」の「日」と「果」から「ニッカウイスキー」と命名されたそうである。 「ウイスキーづくりにトリックはない」これは政孝が生涯持ち続けた志であり口ぐせでもあったと記されていた。 そういえばニッカウイスキーの宣伝で「何も足さない、何も引かない」と言う名文句を思い出した。 政孝の生涯を通しての信念がこのコマーシャルに生かされている気がする。 「お酒」は残念ながら主人も私も一滴も飲まないので試飲はリンゴジュースを頂いた。 主人は体質的に飲めないので、ウイスキーそのものにあまり興味はないのだがこの竹鶴政孝という人が ニッカウイスキーを世に出すまでの努力、苦労を読み知る事はとても興味深いことであった。 一緒に工場を見学した東広島の松岡青年とはここで別れた。広島に帰って機会があったら会いましょうと約束をして。 余市ですっかり時間をとったので、次の地へと走る。 余市を出発して走る海岸線はローソク岩とかセタカムイ岩といった奇岩を楽しみながら走る。 古平町に向かう途中に豊浜トンネルがある。 このトンネルは一昨年崖崩れの為バス、乗用車が生き埋めになり、尊い命の失われたあのトンネルであった。 今ではそのトンネルは潰されて新しい立派なトンネルになっている。近くに慰霊の碑があり手を合わせる。 海岸線913号を走り神威に到達。神威の町は今ウにが最盛期でうに丼!ウニ丼!という幟が目立つ。 一軒のすし屋に入った。やっぱりこの店でもうに丼はいい値がする。私は上寿司、主人はイカ刺定食を注文。 ちなみに積丹丼は¥2600、生ウニ丼は¥2200とあった。 余市で会った松岡青年が是非行ってみてくださいとこの積丹の温泉を勧めてくれたのを思い出した。 一人600円だが、お風呂は大きくジャグジーやサウナ風呂などもあり、舐めてみると塩辛い。 露天風呂もあり、夕日の沈むのを見ながら至福の時を味わった。 今晩は近くの海岸沿いの駐車場で車中泊となる。 |
7月5日(木曜日) 主人は朝5時頃から起きてゴソゴソしている。 外も明るいので忘れぬうちにと旅の日記を書いている。 トイレが遥か300mも先だというので、車を動かしてトイレ近くに行ってもらう。 今朝はコンビニなど近くにないので朝ごはん抜きで出発。 国道229号線美しい海岸線を走り、泊村から岩内町道の駅へと向かった。 泊村をしばらく走った所に『鰊御殿とまり』があったので入ってみる。 この鰊御殿は鰊漁で財を成した川村家と武井家の番屋を後世に伝えるべく番屋を復元し、 泊村で始めての有形文化財となり、一般公開してある。 泊村で鰊漁が始められたのは今から300年前。 明治になって鰊漁が最盛期を迎えると泊村には50を越える鰊番屋が立ち並び、鰊漁によって莫大な富をもたらした。 この番屋は漁場を経営する親方と雇った漁夫たちと共同生活をするために独特の構造となっている。 それぞれの部屋は親方や漁夫たちの当時の生活の情景を再現してあり、数々の貴重な展示品がある。入館料は300円。 北桧山町に入り、230号線を少し入ると小さな温泉がある。 昨夜お風呂に入れなかったので入ることにした。中はうたせ湯、サウナ、踏み石、水風呂、 露天風呂といろいろ楽しめる温泉であった。 露天風呂に入っていると、年のころは70代か、ふくよかな上品なおばあちゃんが入っておられお話をする。 この方は東京から来られたそうで、「北海道の産物、特にジャガイモなど北海道産を頂くと他のは食べられないので、 車で来て箱で買って帰るのよ」と言われていた。毎年ご主人と来るまでゆっくり時間をかけて廻られるのだそうだ。 再び229号線をしばらく檜山国道山の中を走り、海岸線に出た。 「てっくいらんど大成」という道の駅に着いたが、小さな道の駅で利用客も無く寂しいところなのでパス。 小雨になってきた。海岸線は沢山の奇岩が海の中から突き出ており美しい景観をなしているが、トンネルでかなり 損なわれてしまう。雨の中80Kmのスピードで走ったので夕暮れ前に江差に入ることが出来た。 給油しようと出光ガソリンスタンドに入った。 ガソリンスタンドのお兄さんにここらあたりの美味しい物は何?と訪ねると、「御勝手屋本舗」の羊羹ですと 教えてくれた。教えられたお店に行ってみた。 お店には若い店員さんがニコニコと出迎えてくれた。見るからに老舗という感じだが、羊羹はじめ 季節の和菓子がガラスケースに並べてあり、どれも美味しそうで食べてみたくなる。 羊羹ならばお土産にももちがいいので買うことにした。丸い筒の中に羊羹が入っており、押し出して糸で切って頂く。 主人は車の中で食べたいと言って涼しそうな水菓子を注文した。 主人が自分のHPに載せてもいいですか?と若い店員さんにピーアールする。 それではと一緒にビデオカメラにおさまってもらうと、はるばる広島から来たという事もあってか、 帰りがけに沢山のお土産を下さった。 手ぬぐいと1mのものさしを2本も。そういえば羊羹は一さし、二さし、と数えるのだ。 昔は(今もかな?)羊羹をものさしで測ったからである。 お店を出てすぐ近くのラーメン屋さんで夕食を食べる。お店の壁に大きなポスターが貼ってあった。 この土日に江差で祭りがあるという。 湾の中にある大きな岩に若者たちが海を渡ってしめ縄をかけてくるのだ。そして去年の古いしめ縄をはずすのだそうだ。 お祭りでは江差の海産物、イカ、タコなども安く食べる事が出来るらしい。 少しこの江差で町の中を観光してみようと思い今夜はここ江差の道の駅で車中泊。 小雨が降り、冷たい風も吹いている。早々に車の中の布団に包まる。 |
7月6日(金曜日 今朝は8時半まで寝てしまった。身支度をし、江差湾の方を散策する。 まず開陽丸を見学する。海洋丸は帆船で明治元年、11月15日江差沖で台風にあい座礁、沈没してしまった。 昭和50年から始まった引上げ作業で発掘された遺物3万点余りを復元した開陽丸内に展示してある。 この開陽丸はオランダで建造され、榎本武明はじめ14名の日本の近代化に貢献した幕末の志士たちの在りし日の姿や、 貴重な資料、遺品の数々を見ることが出来る。 ゆっくりと時間をかけて資料を読んだり、展示品やビデオを見ることが出来た。 浜の近くの飯屋のお姉さんと後で寄ると約束していたので江差会館を見た後食事をするために寄る。 この飯屋のお姐さんはキップのいい女性で、漁に出る若い衆相手なのでべらんめー調で威勢がいい。 昼定食を注文すると、透き通ったイカ刺しがご飯や味噌汁と一緒にお盆に乗せられて出てきた。 こりこりして甘くて美味しい!!こんな活きの良いイカ刺しは初めてだ!!美味しい!! ご飯もいくらでもお代わりしてくれる。 江差追分会館では「江差追分」を実演してくれる。 毎年この会館で江差追分大会が行なわれて、喉に自慢のある人が喉自慢を競うのだそうで 壁には歴代チャンピオンがずらりと額に写真が入れられて飾られている。 私たちの他に今日は台湾からのツアー客がぞろぞろと入ってきた。 この人たちは江差追分を聞いて分かるのだろうか?と疑問に思ったが通訳さんを通して、 言い渡された合いの手を入れたりして、静かに聴いている。音楽は世界共通なのか? 江差を後にし、海岸線を走り松前から福島町に入る。 近くに吉岡温泉があり9時半まで入れるとの事で、ゆっくり入り、疲れた主人はしばらく仮眠休憩。 今夜はこの道の駅で車中泊。 |
7月7日(土曜日) 朝この道の駅に駐車していた新潟のご夫婦と話をする。 年のころは私たちと同じくらいか、バンタイプの車を使い易く改造されており、後学のために見せてもらった。 助手席にはクーラーボックスが置いてあった。 クーラーボックスをエンジンを止めた後もずっと使っておられて、バッテリーがあがってしまったそうで、 私たちの車のバッテリーででエンジンを始動してあげる。 ここ福島町は第41代横綱千代の山、第58代横綱千代の富士という二大横綱の生誕地である。 平成9年この相撲記念館が地元に有志により建設された。 施設内には数々の二横綱の所持品、マワシその他多数の品々、そして九重部屋稽古場が再現されており、 実際に夏季合宿がおこなわれ、ぶつかり稽古を一般公開されているそうだ。 ここでも二大横綱の歩みをゆっくりとビデオで見、足跡を読み知る事が出来た。 この道の駅の近くにトンネル記念館もあり、見学する。 木古内町→上磯町→函館に向けて走る。 函館では立待岬への途中、啄木一門の墓というのがあり、手を合わせる。 函館タワーに上り、町を一望する。タワーの中のビデオ「歴史と光の街 函館」を見る。 函館には、私の属しているIVC日本語教室で一緒にボランティア活動をしている上の先生の弟さんが お寺の住職さんをしておられ「北海道行かれるのでしたら、是非訪ねて下さい」と言って下さっていた。 函館の隣り町湯川町にそのお寺、誓願寺はある。 初めて行くところなので、車でウロウロ探し、やっと電車沿いのお寺を見つけた。急に訪ねたにもかかわらず、すでに私たちの訪問の事を 伝えていてくださったのでニコニコと出迎えてくださり、お茶を頂いてしばしの時を過ごす。 今夜は函館市の北、大沼公園の湖キャンプ地で車中泊する。 函館の町から大沼公園に通じる道は、新国道5号線と、昔からの大沼国道がある。 地図を見ると大沼国道に点々が記されておりこのしるしは国道沿いに赤松が植えられており、景観がいいと聞いた。 街路樹は赤松。古くから植えられていたのだろう。新しい道が出来ても 切り倒さずにこの古い道は生かされて利用されている事は喜ばしい事だと思う。湖の手前で合流している。 大沼湖、小沼湖があり、湖畔に温泉があるように地図に出ていたが、わからずキャンプ地で駐車し、車中泊となった。 |
7月8日(日曜日) この大沼公園にあるキャンプ場では、思い思いの場所にテントを張って家族連れなどがキャンプを楽しんでいる。 土日ということで多い。バーベキューをする人もいる。朝風呂に入りたいと思い湖畔を走ってみたが分からない。 そのうち海岸線に出てしまい、鹿部町に来てしまった。 278号線を南下し、鹿部の遺跡跡を見学。 遺跡の資料館の受付の女性から近くにある秘湯、大沢下の湯を教えて頂いた。 山の中を走っていくと、こんなところに?というへんぴな場所にひなびた温泉があった。 ひなびた温泉には少し目が悪い様子のひなびた女性がおられ、入湯料を聞くと200円ですと小さな声で言われた。 昔からのそのままの温泉で、入ってみると女湯と男湯は仕切こそあるものの湯の下は続いていた。 ミルク色の硫黄泉で、とても気持ちいい。 お風呂から出ると、別の3人の入浴客がにぎやかにやってきた。 こんな山の中でもよく知られているんだなぁとびっくり。 278号線を南下し、恵山に向かう。岬や突端の好きな主人は、恵山岬まで走ると言う。 岬を眼前に見ながら買ったお弁当を拡げる。 素晴らしい景観だ。水無海浜まで降りて行くと、なんと海の中に温泉があった! 湯の温かいところが仕切られて、手を浸けると暖かく、外は冷たい。 子供達が海水パンツではしゃいでいる。岩の小石の間からゆらゆらと暖かい湯が上がってくる。 恵山道の駅、「なとわ、えさん」に寄る。沢山の人だ。 隣りはキャンプ場があり、テントを張ってキャンプしたり、海岸では波乗りをしている。 海岸の石段に腰を下ろしソフトクリームを食べながら波乗りをしばし見学。 ゆっくりしたので、海岸線を走り、もう一度大沼公園に戻り散策。日暮山展望台から大沼湖を見る。 この湖には大きな木の茂った浮島があり面白い。 湖を遊覧船に乗って楽しむ事も出来る。5号線を北上し、「YOU遊・もり」道の駅に到着。 中に入ってみると大きな公園になっており、沢山のサクラの木が植えてあり、それは見事であった。 きっと春には沢山の人がここを訪れるのだろう。中に螺旋階段付きの展望台があった。 一番上にあがると足がすくんだ。駒が岳目の前に見え素晴らしい。 さすが北海道も南のこのあたりは暑い!西日は焼け付くようだ。 地図に濁川温泉が書いてある。5号線から少し山の中に入る。 その名の通りにごった44度の熱〜い湯であった。出てくると主人は肌がキュッとしたと言っていた。 この北海道旅行の間、殆ど毎日温泉に入っている。それだけ至る所に温泉がある。 やはり温泉効果はあるのだろうなあ、あまり疲れたと思わなかったので・・・。 知らず知らずで疲れが癒されているのだろうと、温泉に感謝! 江差で買った御勝手屋羊羹をほうばりながら67号線山の中を厚沢部に向かってはしる、夕方7:00着。 今日の夕ご飯は980円の刺し定。甘エビ、タコ、イカ、マグロ、せごしが少しづつ入って、ちょっと贅沢気分を味わう。 今夜はこの厚沢部道の駅で車中泊。 |
7月9日(月曜日) 函館をゆっくり見ようと早く出発。 国道227号線厚沢部町山の中をはしり函館を目指す。 ここらあたりはジャガイモ(メークイン)の里だ。ひろびろした畑は緑一面できれいだ。 函館に6:30過ぎ到着。早すぎてどこも開いてないようだ。 五稜郭タワーの周りを散歩する。コンビニで買ったおにぎりを公園のベンチに座って食べる。 五稜郭タワーは入場料一人840円だ。 タワーに登ると、あまりの高さに足がすくむ。パラグライダーでは恐いと思わないのに・・・・。 五稜郭と言えば幕末の志士達、榎本武揚や土方歳三をすぐに思い浮かべる。 最上階にはこういった人たちの人物史や軌跡が写真やパネルで紹介されている。 ここでもゆっくりと時間をかけて資料を読む事が出来た。 函館の近くに湯の川温泉がある。昨日誓願寺を訪ねたので、今日は北海道最後の温泉になる、 湯の川温泉でゆっくりし、いよいよ本州、東北へと渡ることになる。 湯川町を走っていると、「寿の湯」という町のお風呂屋さんが目に入った。ここで入ろうと駐車場に車を入れ、行ってみる。 地元の人たちが日々利用しておられるようで、朝風呂でゆっくり入って帰られる人、 家事を終えてくつろぐ主婦の方達など、にぎやか。 湯は普通のお湯、とても熱い湯、めっちゃ熱い湯と分かれている。普通の湯でも足だけ浸けてみたが熱〜い!! 普通の湯に頑張って入り、すぐに水風呂に行く。 私の横に居たおばさんが話しかけてこられた。地元湯の川の方で、明るいいい人だった。 お風呂の間じゅう話をして、お風呂から上がって服を着るときも一緒だったので、意気投合。 地元名産の話題に花が咲き、「北海道の名物、トウモロコシ、ジャガイモの旬の時送ってあげよう」という事になった。 それでは私も広島の名物を送ってあげますからね。と住所などを教えあって分かれる。 今日は函館から青森県の大間に向かうフェリーは13:00なので、早めに港に行く。 昼食に函館近くのお蕎麦屋さんに入った。 空知産のおそばという事で天ざると盛りそばを注文したが、時間がかかっているようでなかなか出てこない。 時計を見ると、もう受付開始の時間が迫っている。やっと来たお蕎麦を5分でお腹にかき込んだ。 きっとお店の人は可笑しかったろうなー。ゆっくりと味わって食べている時間は無かったのだ。 いそいで港に行く。フェリーターミナルで書類を書き乗船手続きをする。いよいよ北海道ともお別れだ。 梅雨の無い涼しい素晴らしい時を過ごさせてもらった。 来年もまた一ヶ月かけて廻ってみたいなぁ〜・・・・。 出航は13:50分。船室ですこし横になり休む。 青森県大間の港に2時間後の15:40分着。大間から国道338号線佐井村の九十九折の海岸線を走る。 願掛岩、腰切岩といった奇岩が海の中から突出している。そのうち東北の至宝、仏が浦に着く。 仏が浦展望台から見下ろすと、切り立った岩肌は縦にきれいに筋が入った様に見える。 山の中の国道253に入ると道の駅「かわうち湖」があった。ちょうど昼休み時間で誰も居ない。 仕方なく販売機でお茶を買って一休み。 46号線のカモシカラインを走り、ふたたび海岸の町、川内に着く。 北海道では延々まっすぐな道だったけれど、東北は一変してくねくね道だ。 運転には神経を使うし、反対は谷底で怖い。 夕方になり、今夜の道の駅はどこ?とにかくむつ市走ろうという事に。 田野沢→城ケ沢→大湊を通りむつ市の手前174号線を入ると、「むつ矢立温泉」があった。 今夜はそこへ野宿となるの?温泉に入ると、この温泉は宿泊も出来ると書いてある。 聞いてみると、一泊6000円と安いので、今夜の宿はここで決まりだ。 しばらく畳の上で寝ていなかったので、ほっと一安心。 洗濯機も使えるので早速たまった洗濯を片付ける。 夕食は部屋に運ばれ、味噌の貝焼き、蕗、刺身、、味噌汁、千切り大根の煮物など素朴な料理を堪能出来た。 |
7月10日(火曜日) 9時半出発。ずっと調子よく走ってきた愛車、ボンゴフレンディのバッテリーがあがってしまった。 宿泊していた旅館の従業員さんの軽ライトバンでバッテリー充電させてもらい出発。 174号線から恐山へ4号線にぶつかり恐山へと向かう。 ”恐山”は今からおよそ1200年も昔、慈覚大師円仁によって開かれた霊場である。 この地は宇曾利湖を中心に、釜臥山(かまぶせざん)、大尽山(おおづくしやま)、小尽山(こづくしやま)、 北国山(ほっこくさん)、屏風山(びょうぶやま)、剣の山(つるぎのやま)、地蔵山(じぞうやま)、鶏頭山(けいとうざん)、 の八峰がめぐり、その形があたかも花開く八葉の蓮華にたとえられる。 火山ガスの噴出する岩肌一帯は地獄に、そして湖をとりまく白砂の浜は極楽になぞられ、人々は「人が死ねばお山に行く」 という素朴な信仰と祈りを今日に伝えて来たのである。 7月の大大祭、十月の秋詣りは、肉親の菩提を弔い、個人の面影を偲ぶ多くの人々が全国から集まり 連日境内はあふれるという。潮来、口寄せ。何か暗ーい,陰な雰囲気である。 あちらこちらに死者の霊が浮遊しており、自分の会いたい霊を”あの世”から降ろしてくれるそうである。 早朝の恐山は来る人も少なく、ぷんぷんと硫黄の臭いが鼻をつく。 ちょろちょろ流れている溝を見ると黄色い硫黄が沈殿し、また何箇所かは岩の間から熱風とともに吹き出ており、 ”危険”と立て札がしてある。あちらこちらに小さな小石が積み上げられ小山になっており カラフルなセルロイドの風車がカラカラと風で廻っている。 小石と砂、緑の少ないこの恐山に風車のカラカラという音だけが、水子たちの哀しい叫びのように響いている。 宇曾利山湖の砂浜を歩いて砂の中に手を浸けてみた。生あったかい。 水の底が黄色いところがあった。私はひょっとして・・・と思い砂の中に手を突っ込んでみた。 下のほうに行くにしたがってだんだん熱くなる。 手が浸けられないぐらいになりそうだ。面白いので一人もくもくと突っ込んでは引っ込め、突っ込んでは引っ込めしていた。 すると少しはなれたところに若い男女が私の真似をして手を水の中に浸けている。 私は目が悪いのでそれが外人らしき二人連れとしか認識できない。 主人が何やら身振り手振りでもっと深い所に手を浸けてみろと(後から聞いた話では)言ったらしいが、 二人も真似をしてやっている。 主人が何処から来たのか「What's Country?」と言った。すると「スペイン」と言ったらしい。 主人は大声で「スペインからだって!!」と私を呼ぶ。 スペイン語をほんの少し分かる私の出番とばかりに、ペラペラ・・・と言うと、二人は、目が点になったようで、 きょとん!!というか、びっくりの様子。 どうしてこんなところに、スペイン語がしゃべれる人がいるの??が最初の印象のようで、次に「オー!!」と言って、 スペイン語をまくし立ててくるので、私は降参!!とばかり、ゆっくり、ゆっくりお願いします!と落ちつかせる。 二人はスペイン人の夫婦で、コンチとアルベルト。休暇を利用して日本の旅行をしている。 7月3日から8月6日までの予定だそうで、これから 北海道を旅行し、その後九州、広島の予定だと言う。そこで私達は広島だから、我が家へいらっしゃいと招待する。 彼らはむつ市のホテルに泊まっているようで、ホテルまで一緒に送って行ってあげることになった。 むつ市のグリーンホテルに着き再会を約束し分かれる。 むつから279号線をくだり、横浜町へ着く。 「道の駅 よこはま」でトイレ休憩し、パソコンのルート取り込みなどでしばらく時間をとる。 野辺地の日曜大工センターにより、パンフレットがたまってきたので、収納箱を買い整理する。 平内町を走り、ここで5000キロ突破だ!と主人は豪語している。今は陸奥湾の湾岸線を走っている。 青森市に入ると、道の駅「浅虫温泉」ゆーさ浅虫がある。 ここは青森の奥座敷と呼ばれている浅虫温泉郷にひときわ目立つ「コースタルシャトー」を思わせる建物である。 展望風呂に浸かりながら陸奥湾を一望する。真昼間の温泉なんて贅沢で申し訳ない気がする。入浴料もやすくて350円。 青森湾を右に見ながら下北半島に向かって北上。平舘(たいらだて)で夕食。 高野崎で海を見下ろし歩く。こんなだれも来ない所だが、一人の青年がテントを張って野宿するようだ。 竜飛岬に着く。歌にある如く、風はビュービュー、車も飛ばされんごとく、猛烈な風だ。 岬のトイレの近くで車中泊と思ったが、なんだか寂しくてしたのホテルの駐車場まで降りる。 このホテルのお風呂に入れてもらえるか聞くと一応OKという事であったが、8時までになれべく出て下さいとの事。 まだ3,40分はあったのでゆっくり入らせてもらった。今夜はここの駐車場でこっそり車中泊とする。 |
7月11日(水曜日) ホテルを利用せず、駐車場泊をしたので、早朝5:30には起きて移動する。 昨夜風がびゅーびゅーだった竜飛岬突端にもう一度行く。 ここは日本でただ一ケ所ある歩く国道339号線だ。主人はここもしっかりナビを持って歩いて降りると言う。 私が下へ車を回し待っている。下までは階段国道で家の間を縫うように通って行く。 竜飛岬をあとにし、中泊町→五所川原市→つがる市に到達。 リンゴ畑の中を右往左往し、国道7号線に出る。十和田湖に向けて走るが、弥生の里「いなかだて」道の駅で腹ごしらえ。 この道の駅には産地直売コーナーがあり、漬物類、ねぶた缶ジュース、餅、野菜、お米、 あらゆる物を売っていて、どれも買いたいのだが・・・。お土産にと漬物「いぶりがっこ」を数本買った。 東北も温泉の宝庫だ。黒石温泉郷へ向かい、落合温泉で公共のお風呂に入る。なんと一人150円だ。 番台の様なところにおじさんが座っている。中に入ると女風呂には一人のお年寄りが入っておられた。 黙っているのも気まずいので、話しかける。お風呂屋さんのすぐ近くに住んでおられて、御歳78才。 おばあちゃんの言葉はつがる弁っぽくて70%位しか分からない。 ご主人は昨年脳梗塞で亡くなられたそうで、寂しい一人暮らしだが、娘さんがすぐ近くの藤崎町なので 3人のお孫さんを連れてお休みには来られるそうで、それが楽しみの様子。 「足が悪いのだけど、この温泉に毎日浸かっていると楽なんですよ」話して下さった。 お風呂上りに私は汗びっしゃりなのに、おばあちゃんはしっかり長袖のブラウスを着、さらにその上に ちゃんこまで羽織って帰って行かれた。 そういえば北海道の人たちは寒がりの人が多いかった。 私達が半袖の薄手のTシャツで、暑い暑い!を連呼していても、地元の人たちはしっかり靴下を履いて、 長袖とかジャケットまで着て、つるっと涼しそうな顔をしておられるのだ。 その事を聞いてみると、「ああ、それは言えますねー」との返事。 北海道は寒さ対策がしっかりしていて部屋の中の暖房がしっかりしているので、肌がきっとあまやかされていて、 結果、寒さに弱い肌になっているんだろうなぁー・・・。 柔らかいお湯に浸かりリラックスしたので、一路十和田湖へ。 十和田湖畔を走っていると、湖の見えるビューポイントがあり、車を止めて降りてみた。 湖畔で二人の男の人が釣り糸を垂れている。 話しかけると、ひめます釣りだそうで、竿を5本岩に立てかけて引きを待っておられる。 クーラーボックスを開けて見せていただくと、中に3〜4匹のヒメマスが釣れていた。 お一人は八戸から、もう一人は弟子屈出身の方だった。 紅葉が美しい秋にはこの十和田湖には大勢の観光客が何台もバスを連ねて訪れるようだが、今は殆ど観光客の姿は無い。 十和田湖畔の乙女の像を見る。この像はあの有名な高村光太郎の彫刻だ。 十和田湖を後にし、鹿角市、八幡平の道の駅「かづの道の駅」に立ち寄る。 秋田は稲庭うどんが有名。最近では我が主人もうどんを自分で打つので、うどんには少しうるさい。 この稲庭うどんは主人もおいしい!と太鼓判を押す。おみやげに少し買って帰ることにする。 八幡平の奥の秘湯をご存知だろうか?かの有名な玉川温泉だ。 雄大な自然に包まれる十和田八幡平国立公園の一角、焼山山麓に濛々と湯煙を上げる玉川温泉。 1680年に発見されて以来、効能の優れた温泉として知られ、今も多くの湯治客で賑わっている。 テレビなどでも皮膚湿疹に悩む人や、末期がん患者が藁をもすがる思いで、この玉川温泉で湯治しながら治すという。 泉質は酸性ー含二酸化炭素、鉄、アルミニウム、塩化物泉(低調性ー高温泉)とある。効能は神経痛、リウマチ、胃腸病、 糖尿病、皮膚病循環器疾患等・・・。 浴室は木張りで源泉50%の湯、源泉100%の湯、ぬる湯、蒸気湯、箱蒸し、 打たせ湯、浸頭湯、寝湯、露天湯、気泡湯飲泉。とこんなに沢山ある。 ゆっくりと入る為、小説を片手に読みながら入っている人も居る。じーと目をつむりゆっくり湯に浸かっている人。 私は最初50%源泉に浸かったところ、その瞬間首の後ろがチリチリっとした。 皮膚の弱い所にはこたえる。100%に入るともっとチリチリ。いろいろな湯を試してみた。 「6時までで駐車場を閉めますから」と言われていたので、一通り入ってお風呂からあがった。 雨はじゃんじゃん降りになってきていた。 私が目いっぱい入っていたので、風呂の中で倒れたのでは?と主人は心配したらしい。 効き目のありそうな温泉だったので、もう一度明日の朝来て入ろうか?と相談するも、あまりの山の中なので、 駐車するところも無くやむなく次のち田沢湖方面に向けて車を走らせる。 田沢湖畔のレストランで夕食を食べ、その近くの駐車場で車中泊。 |
7月12日(木曜日) 朝5時半に起き湖畔を歩くが、水鳥一羽も居ない。やはりここは来る季節を間違えたようだ。 ポスターを見ると秋の燃えるような紅葉がそれはそれは美しい。湖畔は霧でかすんでなにも見えない。 早々に出立する。秋田県から岩手県に入る。 道の駅「雫石あねっこ」に立ち寄る。この道の駅は素晴らしかった。 トイレはウオシュレット付き、インフォメーションも充実している。 大型テレビスクリーンがあり、色々な情報を見ることが出来る。 パンフレットも自由にお持ちくださいとあり、お茶も自由に飲んでくつろげる。 盛岡市内に入り、宮古に向かう。宮古市までまっすぐなルートなので、運転を代わる。 余市で会った東広島の青年松岡君が、次に訪れる地”浄土が浜”に是非行って下さいと勧めてくれた。 入りくんだ宮古湾の中に浄土が浜はある。陸中海岸の本州最東端のリゾート地だ。 ここを訪れた霊鏡和尚が「さながら極楽浄土のようだ」と感嘆したことから名付けられたという”浄土が浜”。 本州で一番早い日の出の地である。白い岩と緑の松が織り成す美しさは、何とも言えない 日本の風景美をここに見ることが出来る。浄土が浜に30分かけて降りる。岩が波の浸食で美しい岩肌を作り出している。 2時過ぎに浄土が浜を出発。46号線を津軽石というあたりで41号線に入り、とどケ崎方面へ。 宮古湾を見ながら山の中を走るが途中迷ってしまった。 歩いていたおばさんに声をかける。一緒に歩いていたかわいい女の子はオモエ小学校の6年生、みずほちゃんと言った。 おもえは重茂江と書く。もう少し先ですと教えてもらって、まだしばらく走る。 本州最東端のとどケ崎へは4Kmだ。徒歩で、行き一時間、帰り1時間だ。とにかく行って見ようと、下に車を置き、歩き始める。 主人はGPSを持って歩く。起伏のあまり無い、頑張れば何とか歩けそう。 一時間あまりでとどケ崎突端に着いた!!ここは映画「燈台守」での舞台になったところだ。 実際にここの燈台守の奥さんの日記を下に映画化され、佐田啓二という俳優さんが演じた。 突端には碑があり、いまでは使われなくなった灯台がたっている。雲行きが怪しいので急いで引き返す。 私達の後ろから一人の男性がやはり突端にやってきた。 何だか気持ち悪いと思っていたが、「写真を撮ってあげましょうか?」の問いかけに安心する。 私たちより先に引き返したこの青年に途中で追いつき、会話しながらもと来た道を引き返した。 彼は愛知県からオートバイで来ている人で今夜はこの麓のキャンプ場で一泊300円で泊まるそうだ。 私たちは山の中のくねくねした道路を、警笛を鳴らしながら走った。 地図に無い新しい道を走ったので、道の駅を通らず、次の場所は釜石と陸前高田市との間にある。 雨が所々で激しくふるが、トンネルを抜けるとまったく降っていなかったりする。霧で一寸先の視界も無いところもあった。 温泉がないだろうか?と地図で探しながら走っていると、山田町45号線に「光山温泉」というのがあり、寄ってみる。 420円で早速入ることに。長い廊下を奥へ奥へ行くと、小さなタイル張りの湯船がありぬるい湯と熱い湯の二つの湯船がある。 この地域の温泉のようで、子供づれの若いお母さんや、おばさんたち数人が入っていた。 夜9:00頃、道の駅「さんりく」に着く。2台車が駐車している。今夜はここでの車中泊である。 ボンゴフレンディの屋根を雨が激しく打っている。 にぎやかだったが、疲れてすぐにうとうと眠りに就く。 |
7月13日(金曜日) 朝目を覚ますと雨は止んでいた。近くに道の駅はないからだろうか?トラックや乗用車の出入りが激しい。 身支度をして7:20出発する。浜街道を陸前高田市に向けて走る。 リアス式海岸を見たいと言ったので、もう一度逆戻りし、ビューポイントを探す。 あまり良い場所が無い。走りながら、下の漁港の方へ降りていくと地元の人が早朝から総出で草刈り作業をしておられた。 お邪魔になるので、すぐに引き返す。 45号線をもどり釜石市に入る。釜石は鉄の街だ。 そして日本で初めて洋式高炉の稼動に成功し、近代日本の鉄産業をリードしてきた街。 主人の興味深深の鉄である。「鉄の歴史館」に入ってみる。そこには釜石と鉄の歴史がみてとれる。 1727年(享保12年)何部藩の阿部友之進が大橋で磁鉄鉱を発見。 しかし藩は採掘を禁止。1856年、水戸藩の要請で反射炉の操業に成功した 大島高任がその翌年、何部藩の許可を得て釜石に洋式高炉を築造。 大橋産の良質な磁鉄鉱を使って、日本で初めて銑鉄の製造に成功した。 1857年12月1日は日本における近代製鉄の幕開け。「鉄の記念日」として今に伝えられている。 まさに製鉄の歴史は釜石の歴史と言っても過言ではないだろう。 歴史館をゆっくり見たので、釜石街道を走り民話のふるさと”遠野”に向かう。 「民話のふるさと遠野」はなんだかノスタルジックで、素朴な昔の日本の原風景に会えそうな町だ。 特にNHKの朝のドラマ「どんと晴れ」の舞台にもなって特に有名になった。 とおの昔話村では、「遠野物語」の著者である柳田國男の隠居所があり、彼が妻の孝とともに、 昭和31年一月から昭和27年8月に88歳で他界するまで過ごした家。 これは東京都世田谷区にあったのものを再現し、彼の愛用品や、資料などが展示され、彼と遠野のかかわりを紹介されている。 実際に語り部が民話を聞かせるコーナーもあり、訪れた観光客とともに、障子のある日本間にすわり、聞く事が出来た。 「昔、あったずもがな・・・」で語り始め、ゆっくり、たんたんと語られる昔話にしばし聞き入る。 カッパの話、白い鹿の話等・・・。物語蔵に行くと、柳田國男の生涯を紹介する展示のほか、遠野地方に語り継がれてきた 多くの昔話が収められた昔話ボックスや、ザシキワラシの話を映像化して大画面のスクリーンを見ることが出来る。 遠野の昔話の本も売っていたので、素朴な心に会いたいと2冊ほど買った。 冷たい物を飲み、一休みして花巻に向かう。ここからは283号線を走り小一時間である。 花巻では庶民のお風呂らしき安い温泉を見つけ入る。350円でゆっくり出来た。 温泉郷には豪華なホテルも立ち並んでいる。温泉や観光客でいつも賑わっているんだろうなぁー。 夕食を食べながら、今夜の宿を検討。 北海道ニセコで一緒に飛んだ、千田さんは岩手から来られていた。 「もし、東北ルートで帰られるなら、是非寄って下さい」と言って下さっていた。 ちょっ電話してみようか?と主人。 突然に失礼かな?と思いながら、お聞きしていた携帯にрキると、気持ちよく「是非是非寄って下さい!」の返事。 「夕食は済ませたので、部屋の隅に寝せていただくだけでいいです」と伝え、場所を聞き、30分位して伺った。 「きっとまだ独身なので、気軽に言って下さったんだ」と主人と話しながら伺うと、なんと奥様、 そして千田さんのご両親の4人家族だそうで、気持ちよく迎えて下さり、恐縮する。 お父様はいつも8時には床に疲れるとかで、伺った時はすでにお休みになっていた。 千田さんの奥様は11月頃に出産の身おもの身体。申し訳なく思いながら、すでに奥の間にお布団まで敷いて下さっていた。 温泉にも入って来たので、夕食後の団欒に加えさせていただき、いろいろお話をする。 折りしも丁度台風が西日本方面に近づいていた。天気予報も気になり、テレビを見せてもらう。 このまま太平洋側を走って帰るとなると、台風に向かって帰る事になりそうだ。 帰るルートを千田さんと一緒に検討。まだこの東北方面は明日あさっては大丈夫そうなので、とりあえず明日は平泉あたりを ご一緒しましょうと言って下さる。 今夜は千田さんの暖かい好意に甘えて、ゆっくりお布団で休ませてもらえ、幸せ・・・・。 |
7月14日(土曜日) 8時に起床。主人は少し先に起きて心配なテレビの台風情報を見させてもらっている。 私もお布団を片付け、身支度をして、台所に伺う。昨夜ご挨拶できなかったお父様に、突然に伺った失礼とご好意に対し、 お礼を申し上げると温厚で落ちついた感じのお父様は、ご丁寧な挨拶を返された。 もう一日でも二日でもゆっくりしてくださいとご親切に言って頂いたけれど、そうもいかず、千田家を後にする。 近くのジャスコに車を置き、千田さんの車で平泉中尊寺に向かう。身重の奥様も同道して下さった。 最初に連れて行って下さったのは、歴史公園「えさし藤原の郷」。 ここはNHK大河ドラマなどのロケ地としてつかわれる建物がかずかずあり、園内一周はゆっくり全部廻ると約2時間かかる。 主なる場所、義経屋敷、金色堂、ロケ資料館、清衡館。安宅関など廻る。 中尊寺はゆっくり見たいと時間をとる。天台宗東北大本山中尊寺。 奥州藤原氏の初代清衡公が多宝塔や二階大堂など、多くの堂塔を造営した。 その趣旨は前九年、後三年という長い戦乱で亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建設するものであった。 のち火災にあい堂塔は焼失したものの、金色堂はじめ3000余点の国宝や、 需要文化財を後世に伝える平安美術の宝庫である。 金色堂は厳かで素晴らしかった。ご本尊は阿弥陀如来さま。その前に観音菩薩様。 中央の須弥壇の中に初代清衡公、向かって左の壇に二代元衡公。右に三代のご遺体と泰衡公の首級が納められている。 これらは歴史とともにずっとずっと大切に語り継がれて行くのだろう。 千田さんが、一ノ関という所に美味しいおそばの店があるので、行きましょうと連れて行ってくださる。 有名なそばどころらしく、丁度お昼でもあり少し並んで順番待ち状態であったが、しばらく待っていると座れた。 お蕎麦には目の無い主人、おいしいお蕎麦を堪能する。 台風も気になるので、そろそろ広島に向かって走りますと告げ、ジャスコ駐車場に戻る。 千田さんとはここでお別れする。さて、エンジンをかけようとすると、どうした事かかからない。 あれーーー!エンコだ!!すぐに分かれた千田さんが変に思い引き返して来られる。 「すみません!充電させてください!!」とお願いし、何とか発車。 どうもボンゴフレンディは調子が変だ。3時半岩手奥州を後にする。4時半富谷町附近通過、郡山ジャンクションを6時半入る。 太平洋側を通ると台風に向かって走るようになるので、本州を横切る事にした。 郡山JCから磐越自動車道を走り、新潟に出る。 北陸自動車道をとり走れるところまで走り、富山県魚津市の有磯海SAに8時半到着。 今夜はここで車中泊。 |
7月15日(日曜日) 朝6時に目が覚める。すこし曇っている。7:00出発。 黒部→滑川→金沢→加賀→福井→米原→多賀へ10時半着。 ここ多賀ではSAでお風呂に入れるんじゃないか?と言う。 インフォメーションで聞いたところ、午前中はお掃除なので、午後からですとの事 ゆっくり出来ないので、諦めて出発。 もうひたすら帰るのみである。ほとんど主人の運転であったが、15:00福山に到着。 ようやく半分我が家に帰った気分。夕食にはすこし中途半端なので我が家で漬物とご飯にしようと一気に我が家へ向かう。 台風の影響は広島の方もほとんど無かったようで安心。 一ヶ月の長きに渡るボンゴフレンディとの放浪のたびが終わった。 何と言っても涼しい、梅雨のじめじめのない北海道は良かった。 人々の優しさも沢山頂いた。また来年もきっと行きたくなるような気がしてきた。 車の中での寝起きも、涼しい北海道では許されるかな? 北海道で出会ったキャンピングカーでの旅行者達は旅行しているのではなく、 北海道で過ごしていらっしゃるんだなぁ〜とつくづく思った。 忠類の道の駅で会った広島の稲田さんも、ご主人の病気をきっかけに北海道をゆっくりまわりはじめ、 いまではすっかり北海道のとりこになりご主人も身体の調子もとてもいいという事をおっしゃられていた。 きっと本州での7月8月をさわやかな乾燥した北海道でゆったりと過ごすなんて、 北海道はきっとそんな癒しの場所でもあるのだろうと思う。 こんなゆったりした時間の使い方が出来るのは贅沢過ぎるかな? さて来年のこの時期は私達は何処にいるかなぁ〜・・・・。 |