ホアンと稲垣夫婦のホームステイ日記

                                              愛子 記

3月16日完了

コスタリカ・コロンビア訪問記
コロンビア
コロンビア百景
コロンビア百景NO2

12月30日 (火曜日) 『コロンビアへ』
ホアンは本当に空港に来てくれているだろうか・・・。
多分大丈夫と思うけど、会うまで心配なホアンである。
会った瞬間どうだろう・・・等と飛行機乗った瞬間、胸はわくわくときめいてくる。
人の人生って、本当に分からないものだ。ホアンという子と出会った為に、今私達は
こうして地球の裏側、コロンビアという国に足を踏み入れようとしている。
コスタリカというおまけ迄付いて・・・。
私がある日、たった一つの小さな新聞記事を目にしなければ・・・
そして、ホアンが留学先を日本に選ばなければ・・・一つ歯車が違っても、私達がこんな
コロンビアくんだりまで、来る事にはならなかったのだから・・・。
そして中南米の魅力に取り付かれる事にはならなかったのだから・・・。
不思議な縁を思い起こしながら、いまから訪れるコロンビアという国の事を考えていた。
ホアンが日本に来た時も、クラスの生徒はコロンビアという国が一体どこにあるのか
半分以上のものは知らなかったみたいだ。

ちなみに、コロンビアは日本の国土の3.1倍、ラテンアメリカ地域の人口の8%に相当する
4300万人の人口で、ブラジルとメキシコに次ぐ第3番目に人口の多い国である。
現在のコロンビア大統領は、アルバロ・ウリベ大統領。
ホアンに言わせれば、2002年8月の大統領選挙で当選したこのウリベ大統領に
なって以来、コロンビアは少しづつだが、政府側と反政府ゲリラファークとの対立が
緩和して、話し合いももたれるようになり、良い方向に向って変わって来ているというのだが・・・
コロンビアへの旅行を前にして、日本企業の社員がゲリラに殺されるという怖いニュースも
流れていたが・・・。

機内ではほんの1時間のフライトだったが、機内食も出た。
真っ白い半袖ブラウスに赤いベスト姿のスチュワーデスさんは、
★型のクッキーが2枚入ったもの、アルミ箔に包まれたパンを配ってくれる。
私達の胃も少し疲れて来た様だ。機内食も半分しか食べられなかった。

コロンビアへもうすぐ着くという気持ちに心は、はやっている。
私達の席のうしろでは、女の子が早口のスペイン語で喋っている。
時々理解出来る単語があるので、きっと学校の事友達の事を喋っているのだろうと
聞くとも無く聞いていた。
1時間という時間はあっという間だった。下を見下ろすと緑、緑。きっとジャングルね。
あのどこかにゲリラが一杯いるのかなぁ〜?と頭はコロンビアに切り替わって来たぞ。
そろそろ空港着陸だ!高度がぐ〜んと下がった。ランディング!ランディング!うまい!!
遂にコロンビア、『エル・ドラド空港』に着いたのだ!!やったー!!
心はウキウキだ。手荷物チェックは以外に簡単。
すいすいと皆さんの後に付いて出口を目指す。
外は出迎え客を待つ人が、フェンスでさえぎられて、入られないのでずらりと横一列に並んで
全員こちらを向いて出て来る人々を待ち構えている。
その中で一際ハンサムな貴公子!やっぱりホアンだ。
真っ白い手編みふうのセーターの袖を半分まくりあげて、列から一人はみ出て、ニコニコと
こちらに近づいて来る。
私達を見て手を揚げ満面の笑みを浮かべている。
ホアンだ!!主人も思わず「お〜ぉ!!」と声をあげ、ビデオ!ビデオとあわてている。
ホアンはずっとニコニコして、目の前に来ると、「おとさん!!」と、主人とまず抱き合って再会を喜ぶ。
(コスタリカではエリックは『おかさん!』だったのに、ホアンの場合はどうも主人の方がインパクトが
強いらしい。  ショック!!)
ニコニコしながら、「おとさんもおかさんも変わっていない、年寄りになってない」と笑わせる。
主人が「まだ2年じゃやーないか」と言うと、「ホアン、ちょっとハゲになった」と、またまた笑わせる。
日本に居る時、長い髪をしていたホアンだったが、なんと今は丸坊主だ。
そして、右の眉の端っこにはピアスなんぞしている!
『身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり。」と日本であれほど
呪文の様に唱えていたではないか!!。 あのホアンは何処へいった!
『僕、耳のピアスは嫌い!絶対しない』と言っていたのに眉ならいいのかぁー?
大学に入ってボゴタで一人暮らしするようになった。寝てばかりで食事も不規則になってか
今では体重が以前より10Kg減ってスマートなホアンになっている。

   「おとさん、おかさん、やっと着いたネー・・!」   「おかさん、ほんとに着たんだね!」

   「僕 ちょっとハゲになった! ふふふ・・・」   「おとさん、風邪ひいてて、熱も出そうなの・・・」

再会を喜び合い、安心して、主人はちょっとトイレに行って来ると言う。
主人を待ちながら、ホアンとの話は尽きない。彼はまだ私達と会えた事に夢見ごこちで、
「僕、まだ信じられない、おかさんちょっとここつねってみて!」と腕を差し出す。
「おー!夢じゃない!」とにこにこホアン。
そして、急に思い出した様に、「そうだ!ククタのお父さんに知らせなきゃ!!」と携帯まわす。
「おとさん、おかさん着いた!」と言っている。

さて、2年ぶりの熱き再会を喜んだ私達は、このまま夕方の便で両親の待つククタへと
移動するのだが、まだ3時間位ある。
主人は咳もしんどそうなので、二階の喫茶に行く事にした。
喫茶店のcamarero (ウエイター)が親しそうに話し掛けて来る。
「Yo hablo japones」 と言い”こんにちわ、ありがとう、さようなら!”と上手に言う。
「どこで習いましたか?」と聞くと、「ノー、ノー、ここへ来る日本人アミーゴ居ます」と言う。
コロンビアの人々はとても日本人には友好的だと感じる。
コロンビアを代表してホアンに言わせると、日本人はとてもすごいって言ってると。
電機製品は勿論、日本の技術に対しての評価は大変高いし、みんな日本製品を持ちたがるそうだ。
人々の視線はとても優しく、日本人に友好的なコロンビア国民の心をじかに感じてうれしくなった。

「ドルをコロンビアペソスに替えた方が良い?」と聞くと、携帯でお父さんに聞いている。
「ボゴタで替える方がいいみたい。おかさん、行こ!下に替える処ある」と言うホアンに
主人は「咳がしんどいので、動きたくない」というので、荷物の留守番を頼み、下に降りる。
小さな窓口があり、出張銀行みたい。「ホアンいくら替えようか?」と財布ごめて差し出すと
「おかさん、ドルいっぱい持ってる」と笑う。
とりあえず、5万円分だけ替える事にした。コロンビアのお金はやたらゼロがいっぱい並ぶ割に
日本円に換算すると、ぎょっ!と仰天してしまうほどの金額だ。
ちなみに、25000ペソスというと、日本円に換算すると、たったの1000円くらいなのである。
5万円コロンビアペソスに替えたので、財布の中が膨れかえり、ちょっとお金持ち気分を味わう私。
「おかさん、ちょっと外に出て見る?」と誘ってくれる。
空港の正面あたりを少し歩く。ポンチョを身にまとい、ケーナとか太鼓とかの楽器演奏している
数人のグループ。あ〜ぁ!コロンビア!って雰囲気だ。
「あれは何してるの?」と聞くと、空港に着いたお客さんを歓迎して演奏しているんだよ」と
教えてくれる。勿論、それでいくらかのお金をもらうのだろう。

   ついに、ダウンのおとさん。    「また飛行機に乗るのかぁ〜・・・。」「あと一息頑張って!」

おとさんが心配するといけないので・・・とホアンと二階の喫茶に戻る。
ジュースを飲みながら、コスタリカでの話、エリックの話大学の話等しているうちに
時間はそろそろククタへの搭乗受付になりそうだ。
ホアンがスーツケースを押し私のリュックも担いでくれる。
アビアンカ航空の便でククタへ。出発時間までは未だ1時間位ある。
主人は完全にグロッキー状態で、床にリュックサックを枕にして寝てしまった。
熱も出だしたのだろうか・・・ホアンも心配そう。
ホアンが、『タバコ吸いたい。あっち行こ!』とサッシひとつ隔てた喫煙室に誘う。
この待合室にいる人達はククタへ向かうひとばかりだ。
「あの人知ってる」とホアンより2,3歳年上に見える男性を見ている。
そして、タバコ片手に、彼に近づいて言葉を交わしている。
ククタは小さな町だから・・・・とホアン。
そろそろ出発時間も近づいた様なので主人を起こす。
コスタリカからボゴタに来る時に乗った位の大きさの飛行機だ。
機内に乗り込むと、私達の席は一番後ろ。3人掛けに主人を真ん中に私は窓側に座った。
『わしは寝るから、お前代われ!ホアンと話もしたかろう』と言って、主人は窓際に移る。
南米時間は当てにならない!と来る前には思っていたが、何と1分も違わず、定刻どおりに
ボゴタを出発した。
後ろも後ろ、最後部の座席なので、背の高いホアンの頭は、天井にくっ付きそうだ。
『チケット早く取ったのに、なんで?!』とぼそぼそ文句を言っている。
ククタに着くまでホアンと私は休み無く喋っていた。

ホアンは今でも日本語をよく覚えている。日本でクラスメートが教えた悪い言葉なんか特にだ。
広島はかつて、「やくざの町!」で名を馳せ、映画が出来る程、悪名高き町だった。
そんなビデオを借りて来ては、
『おひけーなすって!てめえ、コロンビアはっしますところの保安!と申します!』なんて、
眉を吊り上げ、中腰になって、手を前に差し出し格好までしてみせると、
そこは何とどうに入っていて、これまた格好いいのである。

また、高校のクラスメートから『この、あまぁー!』とか、『何しょんならー、おまえー!!』とか
習ってきては、家に帰って私の前ですごい形相でやるので、『ホアン、やめなさい!!』と、
言えば言うほど面白がって言うのである。
機内でも、やって見せるので、私はゲラゲラ笑ってしまった。
そして、チケットを早く手配したのに、一番後ろだった不満を、美しいスチュアーデスさんに向って、
『何しょんならーおまえ!!』と彼女が日本語が絶対わからないだろうという安心感で言うのである。
勿論そんな言葉だから、微笑みながらでは言えない。すごい顔つきになるので、面と向っては
いくらホアンでも言えなかったのだろう、彼女が背を向けた背中越しに浴びせ掛けるのである。
遂には、『おかさんも言って言って!』とけしかける。”嫌よー”と言っても、いいから!とせかす。
つい、私も旅に出た開放感も手伝って、つい言ってしまった。 『なにしょんない、このあま〜!!』と。
スチュアーデスさん、ごめんなさい・・・・。
「来る前に、広島はすごい雪降ったよ。由也君と田谷君が来て、ホアン雪ダルマ作ったよ」と言うと
「雪か〜・・・なつかしい!!スノボーしたよねー」とあの頃の事を思い出していた。
ずーと機内で喋り続けていたらボゴタに到着した様だ。
ところが、しつこいホアンは、降りる寸前になっても、「早く手配したのに、席がどうしてここなの?」と
まだスチュアーデスに向って文句を言っていた。

さて、お正月で里帰りの客で満杯の飛行機から、ぞろぞろと皆さんやホアンの後を
付いて降りて行く。
ホアンのお父さん、お母さんが来て待っていて下さるのだろうか・・・。
ここまで来て不安と何だか恥ずかしさとが交互して、気持ちが萎えてきた。
この便は、国内便なので、チェックは何もない。
機内預けの荷物を、ホアンがベルトコンベアーの一番早い出口の所で待っている。
出て来たスーツケースを転がしながら、出口に向ってホアンの後から付いて行く。
外は既に暗くなっており、サッシの向こうには到着の人を迎える人々の群れが
全員こちらを向いて、わ〜っ!とかきゃ〜!とかの歓声でどよめいている。
勿論私達にだけ向って言ってくれている訳ではないのだろうが、何だか恥ずかしくなってきた。
ホアンが「あ〜ぁ!あそこ、おとうさん、おばあちゃんいる」と教えてくれる。
写真でホアンのおかあさん、スリマさんやお父さんのフォルフェさんの顔はわかるが・・・・と
心の中で考えながら、おもむろに顔をあげると、まず一番先に目に入ったのはスリマさん。
人々の後ろの方でこちらに向って手を高く上げておられる。
段々その人達の群れの中に近づいて行き、スリマさんと抱き合い、フォルフェさんと抱き合い
次はホアンのおばあちゃんとそしてホアンの彼女タチアナと・・・・ホアンの従兄Jhon,
タチアナのお母さん、ホアンのおじさん・・・等等  頬と頬を合わせての、南米式挨拶を
繰り返していると、なんだか呼吸困難を呈してきて、頭がぼ〜となってしまった。
そして招かれるままに、私はスリマさんの車に乗り、主人はホアン達とフォルフェさんの車に。
クリスマスのイルミネーションが、あちらこちらに輝き、家や木々は沢山の豆電球でデコレーションされ、
暗い夜の街に浮き上がり、それはそれはきれいだ。
ククタの空港から車で走る事、30分。ついに私はホアンの家に来てしまった!
10分位して主人達の車も到着だ。
玄関に立つと、全身真っ黒のホアンの犬、”ガンジャ”が擦り寄って来る。
私は以前歩いていただけで、犬に噛みつかれ、服を食いちぎられ、腕も血が出るくらい
やられた事があり、犬の気持ちはさっぱりわからない。(その時も真っ黒い犬だったが・・・。)
犬が視界に入ると、なるべく犬の目を見ない様に、そーとよけて通るようにするのだが、
ガンジャが近寄って来たので、ドキッとして、身体がすくんで硬直。
ところが、あにはからんや私に擦り寄ってくるではないか。
おそる、おそる撫でてやるとますます気持ち良さそうに横になってしまった。
「初めてじゃの〜、お前が犬に好かれたのはー」と感心する主人。

   「ガンジャは私が好きみた〜い!」   「そうかー、よし、よし!お前もどつん腹じゃの〜!」」

リビングに通され、もう一度落着いて、挨拶を交わした後、スリマさんは私達が使わせて頂く
部屋に案内して下さった。
普段、ここはご夫婦の寝室として使っておられる様だ。壁にはキリストの十字架はりつけの彫刻。
絵、そしてスリマさんとフォルフェさんの寄り添った写真が大きな額に入れて掛けてある。
部屋は大変広く、贅沢な間取り。
真ん中にどんとベッドが置かれ、鏡台、小机、電気スタンド、テレビ、冷蔵庫が置かれ
10歩くらい行くと大きなバスタブ、シャワー室、トイレがある。
お風呂はこの小さな私が5人くらい入れそうな大きなジャグッジー風呂である。
スリマさんは「あなた方の部屋ですから、自由に使って下さいね」。と言われ
「泡風呂にする時は、ここまで湯を張ってからジャグジーのスイッチ入れないと感電死するわよ」と
ニコッとし、出て行かれた。

   寝室には仲むつまじいお二人の絵が。   おぼれそうになたジャグジー風呂

   素敵なフォルフェの従妹、ジャスミン。   履きこまれたフォルフェの下駄

鏡台の横の洋服掛けには、スリマさんの普段着やベルト、ハンドバッグ、スカーフ等が
掛けてあり、ホアンと京都に行った時、スリマさんの為に買った着物地の浴衣も掛けてある。
鏡台の端にはブレスレット等装飾品がそのまま掛けられている。
ベッドの横の小机の下には、二人のゲタが置いてある。
この下駄は、去年私が贈ったもので、特にフォルフェさんの下駄は特大30センチの”大下駄”である。
見ると、嬉しい事に下駄の歯も擦り減っており、鼻緒もすれて、色も薄くなっている。
スリマさんの下駄も同じ様に、結構使い込まれている。
ホアンもよく言っていた。「おかあさんが日本の下駄、気持ちいい!気持ちいい!って
いつも履いてる・・・と。なるほどうなづける。
「これ、履いていいわよ」とさっき言われたので、ここに居る間貸して頂こうと思う。

主人も相変わらず調子は悪そうだが、気が張っているのか、なんとか頑張っている。
くつろいだ洋服に着替えて、リビングの方へお土産を抱えて行く。
スリマさんには、漆塗りの菓子鉢、フォルフェさんには特大の浴衣。タチアナは化粧筆。
ホアンの従兄Jhonには、T−シャツ。
ホアンには、お米と漬物だ。とりあえず、主なる人のお土産を配り終える。
フォルヘは、土産の浴衣を着てVサイン。超ご機嫌である。
スリマさんも、お土産は気に入って下さった様子で「Muy bonito, muy lindo!!」と叫んでおられる。
しばらくすると、また新しいお客さま。
フォルフェの従妹でジャスミン。彼女はとっても楚々として品があり、本当に素敵なかただった。
ご挨拶をすると、スペイン語でペラペラと何か言われたので、「ホアン、何ておっしゃったの?」と聞くと
「おかさん、とっても可愛いって」と訳してくれる。ふふふ・・・嬉しくなる私。
私達の為にだけ会いに来て下さったようで、挨拶を済ませるとすぐに帰って行かれた。
彼女とはもう少し、ゆっくりお話がしたかったなぁ・・・・。

   フォルフェには大きな浴衣。「男は腰で着るんだ!」と主人。   漆塗りの菓子鉢 「!Que bonito!」

   
今日、ホアンの家には、タチアナと彼女のお母さん、お兄さん、従兄、
そして、ホアンのおばあちゃんや従兄のJhonがいる。
ホアンは親戚おじいちゃん、おばあちゃんが多いので、いろいろいっぱいお土産を用意したが、
スリマさんに頼んで、誰に何を上げるかを考えてもらおう。
ここにいる皆さんにお土産が行き渡ったのかどうか、ちょっと心配。

リビングのすぐ横には食卓が置かれ、対面は台所になっている。
夕食をどうぞと言われ、なぜか私だけ食卓に座らされる。
(主人が何処に居たか記憶が無いのだが・・・たぶんビデオ撮りしていたのだろう)
今晩の食事はタチアナが作ったそうだ。
陶器の入れ物に、スープ状の”豆で炊いたご飯”みたいなのが入っており、それに豆や粉状の肉等
を入れて混ぜて頂くそうだ。これは”Bandeja Paisa! という料理だそうで
Paisa はメデジンの人を意味するという。成る程、タチアナ家族は今メデジンに
暮らしているそうなので、メデジン料理なんだ・・・。
甘すぎるという訳でもなく、辛いわけでもなく、まあまあの味。
別の器には、バナナを潰してぺちゃんこにしておせんべいみたいなのがあり、
これはパタコンと言い、これにオニオンやトマトを小さくみじん切りにしたものを
トッピングして頂く。
チョリソと言ってウインナーソーセージにレモンをかけて頂くもの。
こうしてひとつ、ひとつ丁寧に料理を紹介して頂いた。
さて、どうぞ!そうぞと言われるままに、この”Bandeja Paisa"という料理を、ひとくち、ふたくち、
口の中に入れた時、口の中で何やら糸の様な物が舌に触った。
へ〜!何だろう?これも材料のひとつなんだろうなぁ〜・・・・・・・でも、ちょっと待って!
噛む事も飲み込む事も出来ないの。
どうしたものか・・・と思いつつ指でその端っこをつまんで、その材料の正体を見るべく
たぐり寄せていた。
ところが、ひっぱれど、ひっぱれど延々とその糸状のものは口の中から出て来るのだ。
私は下を向いて、まだ考えながらもくもくと、引っ張っていた。
タチアナと、タチアナのお母さんが気付き、「アイコ!どうした?」と声を掛ける。
私は「だいじょうぶ、なんでもない・・・」と、手でしぐさをしながら、依然下を向いて・・・
もくもくと引っ張り続ける。そしてついに口から出て来たものは髪の毛であった。

やっと事に真相が明らかになり、今度はタチアナのおかあさんが、「娘が作ったので・・・
ごめんなさい・・・・」とほんとに申しわけ無さそうに私に詫びられる。
なるほど、タチアナの髪の毛は背中の後ろまでスラリと伸びた金髪をしている。
「コロンビアには面白い食べ物があるんだな〜!!と思って」と私が真顔で言うと
皆揃ってゲラゲラ大笑いになってしまった。
スリマさんも来て、「おぉ!ノー!!」と申し訳なさそうな顔。
それからは皆さん私の顔を見つめながら「おいしい?おいしい?」と聞くのだが、
とびきり美味しいという訳でもなく、かといって残してもいけないし・・・と思い、どこにどう食べたのか
分からない夕食であった。
その時、私の記憶の中には、主人がどこに居て、何をしていたのかも定かでないので、
日本に帰って「あなたはあの時何処に居た?夕食、どうだった?」と聞いたのだが、
このあれほど大騒ぎした”髪の毛入りコロンビア料理”に付いては全く知らなかったと言っていたし
第一、主人も自分が何を食べたか、さらには、夕食を食べたという事すら、記憶になかった。
後でゆっくり考えてみると、皆さんは既に食事は済まされていたのかどうか定かではないが、
皆さん揃ってのきっちりした挨拶があるわけでもなく、リビングではフォルフェさんやタチアナのお兄さんや
従兄が応接椅子に座って、ワイワイ、ガヤガヤ雑談しておられたし、ホアンも立ってウロウロしていて、
何だか落着かない状態だったからかな?と思う。

こんな訳で、コロンビアでの最初の晩餐はこんな具合で、タチアナや彼女のお母さんが
心配そうに最後まで私を見つめ、『おいしい?おいしい?』と言うものだから、
どんぶりいっぱいに入れられた”Bandeja Paisa" を訳の分からないうちに、胃の中に
流し込んだ。
一応、お腹がいっぱいになった様子に、ホアンが、「おかさん、折り紙で何か出来る?」と言うので
コスタリカで折ってきたばかりなので、「出来るわよ、鶴折ろうか?」と、お土産で持って来た
折り紙を部屋からもってくる。
食卓に座り、タチアナ、タチアナのお母さん、ホアンの従兄達が私の手元をみながら一緒に折る。
「おかさん、ちょっと早い!」とホアン。
この折り紙に関しては、たった一枚の紙きれから、鶴の様なかわいい鳥が出来上がる事が
彼らには驚きの様である。
スペイン語を一緒にならっている、女の子が言っていた事を思い出した。
やはり、彼女が外国旅行をした時の事、ミカンをいつもの様に剥いて食べたときの事
彼女はミカンの皮を放射状に剥き、中の実を食べた後、その食べかすを剥いた皮の中に
きれいにしまい込んで捨てたところ、『おぉ〜!!』と周りの外国人が、驚きの声をはっしたそうだ。
そして、「日本人ってすごい!」と言うのだそうだ。かれらの食べた後はというと、皮はばらばらに
散らかっており、食べかすも放り投げられている。
彼らが驚くのもむりはない。私達日本人が何気なくやっている何気ない”しぐさ、手先の機用さ”というものも、
「日本人の誇れる文化なんだなぁ〜・・・」と感じる。

   ほら!こんなに可愛い鶴が!ホアンのnovia Tatiana   さ、もう一度みんなで折りましょ!

   僕にはどう? Jhon (Primo de Juan)   arroz, hayaca, choriso, Pavo melon・・・・??


ホアンは日本から帰った時、日本での体験、ホームステイの事、そして主人や私達から
教わった事を、針小棒大に親戚中に吹聴していたようである。何となく想像はしていたが・・・。
そんな事で、地球の裏側から、まるで仙人か、魔術師でもやって来たように思われている気がした。
折り紙の次は『算盤』そろばんだ。日本にいる時に、ホアンにはそろばんも教えた。
すでにその『算盤』も二丁程送ってやっている。
こんどはホアンは算盤をを出してきた。私がそろばんなしで暗算が出来る事をみんなの前で
自慢したいようだ。
と言っても恥ずかしながら、ほんの二桁位までしか、出来ないのだが・・・・。
ホアンが読み上げる。
「願いましては・・・・3円也、5円也、15円也、9円也、18円也、6円也・・・・では?」
そして私が答える。
計算機でやったのと答えが合っているので、みんな目を白黒させている。
ホアンは誇らしく、「おかさんはねー頭の中に算盤があるんだよ!」と。
こんどは、主人の登場だ。コスタリカでやった、『コロンブスの卵』だ。
冷蔵庫から卵を2〜3個出してきた。先ず私が精神統一して卵を立てて見せる・・・。
が、コスタリカでは5分位して上手く立ったのに、髪の毛食事が災いしてか、どうも立たない。
そのうち、タチアナ、彼女のお兄さん、従兄、ホアンの従兄ジョンも挑戦しはじめる。
まずタチアナが卵を立てる。この卵立ても、コツを上手く掴んだ者は成功するが、
絶対に立たないという先入観を持っていると、立ってくれない。

ホアンにとって、主人は、柔道はやる、パラグライダーはやる、腕に針は通す、火は食べる、
大きな石は素手で割る。
日本で自分がどれだけ素晴らしい体験をしたかを、この際自分の親戚縁者に
みてもらいたかったのだろうと思う。
あにはからんや、主人は風邪をひいて、ゴホゴホやっているし、私も大した事は出来ないし・・・
今日一晩でそれをやってみてと言われてもね〜・・・。
私達は芸をしにコロンビアにやって来たわけではないし。
他に何か出来る?と言われてもね・・・・。
そんな訳で皆さんの興奮は次第に冷めていき、三々五々皆さん帰っていかれ
気が付くと既に時計は12時を廻っていた。
主人はいつの間にか部屋に引っ込んで眠ってしまった様だ。
いつ、どこでも元気な私は、コロンビアに来た興奮はいまだ覚めやらず、
リビングにいるフォルフェ、ホアン、タチアナや彼女の家族達と一時頃まで話に加わった。
タチアナの家族も引き上げられ、お開きとなったので、私も部屋に戻り、早速ジャグジーの
お風呂に入らせてもらって温まる事に
実はククタはとても暑いと思っていたが、何だか肌寒かった。
ホアンも「自分の人生でこんなに寒いの初めて!」と言うくらい、珍しく気温の低い日で
あった様だ。

コスタリカでもそうであったが、皆さん夜にシャワーとかお風呂に入る週間は無い様で
私はバスタブに湯を張るのに大きな音がするので、遠慮気味に入らせてもらったが
バスタブに、身体ごとどっぷり浸かると、つるりと身体がすべって湯の中に沈んでしまい、
おぼれそうになり、一人笑ってしまった。

先に休んだ主人は、時折ゴホゴホと苦しそうに咳をしていた。
明日はいよいよ大晦日。どんな事が待っているんだろう。楽しみ!楽しみ!!
12月31日 (水曜日) 『コロンビアの大晦日 』 
一応8時半頃に目覚ましをかけておいたので、時間通り目は覚める。
大きなサッシのカーテンを上げると、明るい日差しが射し込む。
ボゴタは標高が高いので寒かったけれど、ククタは年中暑いと聞いていた。
日本の真夏の暑さと思っていたが、今朝は何となく肌寒い感じだ。
家の周りは芝生が植えられ、大きなプールに水が張られている。
下駄を履いて中庭を散歩していると、太めのガンジャがロープにつながれて座っている。
昨日ガンジャへの挨拶は済ませてあるので、私を食いちぎる事はないだろうという安心感で
頭をなでてやると、ごろりとまた横になる。
スリマさんが出て来られて、「ブエノス・ディアス」と挨拶。
「朝食は中でする?ここがいい?」と聞かれるので、プールの横のパラソルの下が
気持ち良さそうなので、「こちらで・・」と言うと、うなずいて中に入って行かれた。
フォルヘさんの姿は無いので、外出されたのだろう。主人も起きてきた。
パラソルの下の机の上には、お手伝いさんが朝食を運んでいる。
主人と中庭を歩いていると、「アイコー!」とスリマさんから声がかかり、主人と一緒に朝食を頂く。
スリマさんも一緒に食卓につかれる。
こちらでもやはり朝食は簡素で、パパイヤとコーヒー。
手のひらに入るくらいの丸い”ククタのパン”に、クリスマスにおばあちゃんが作られたという、
ケーキが並んでいる。ケーキはブランデーがたっぷりしみ込んで、木の実やフルーツの
ワイン漬けしたものがトッピングされて、とても美味しく、おかわりまでしてしまった。

   素敵なホアンのママ   料理は全部お手伝いさんが?

   私はキャリアウーマンなので・・・・。   私が全部この一角を全部プランニングしたの・・・。

スリマさんは建築設計の仕事を持つ、キャリアウーマンである。
このメンドーサ家も実はスリマさんが設計プランニングされたもので、数ヘクタールの
この近辺の土地すべてプランニングされ、1haの塀に囲まれた敷地内には5軒の家がある。
そんな話をしていると、「分かりにくいでしょう」という事で図面まで取り出して来て詳しく説明して下さる。
こうなったらホアンがいてくれないと、話がちんぷんかんぷんだ。
スリマさんが起こしても「あと、すこし!あと、すこし!と言って起きはしない。
ついに主人がホアンの部屋に行き『”ホアン、起きろ!”』と言うと、
一発で起きるホアンなのである・・・。
ようやく目を覚ましたホアンを交えて、このあたりの設計プランニングされた内容を詳しく説明される。

ククタは一年中どちらかというと暑い日が多いので、材料の木をそのまま生かして
吹き抜けを多く取り入れた風通しの良い造りとなっている。
2階はくつろぐ為の部屋になっていて、冷蔵庫と小さな応接机が置いてある。
ホアンは壁に立てかけてあるケーナを吹き始める。
「僕タバコ吸うから息が長く続かない・・・」と言うが、結構上手に吹いている。
その横にある太鼓もリズム感の良いホアンは、すぐに上手に叩いてしまう。
やはり気候、風土民族性を考えると、中南米の人のリズム感というものは
やっぱり尊敬してしまう。
吹き抜けから外を見渡すと背の高い木が何本かあり、いろんな種類の鳥が来るのである。
ほんのしばらく眺めている間にも、真っ赤な背中をした鳥、真黄色や頭だけ真っ赤で
胴が黄緑色など、見ていても楽しくなる。
朝早くとか、夕方にはそれこそ群れになって飛んで来るのだそうだ。

   「コンドルは飛んで行く・・・ぴゅーぴゅー」   どれどれ!うん? 音が出ないょ〜・・!

   プールに入る?  今朝はちょっと寒いな〜!   今朝はこのパラソルの下で朝食です。

朝食を頂いて庭でホアンといろいろ話しをしていると、フォルフェが帰宅。
主人がゴホゴホと辛そうに咳をするので、咳止めの薬を調達して来て下さった。
早速、瓶に入った飲み薬をスプーンに一杯呑む主人。

今日はフォルフェが私達をククタの町に案内して下さるそうだ。
支度をして、スリマさんを残し4人で出かける。
この敷地内には、コカコーラの倉庫があるので、出掛けにフォルフェは今晩の年越しパーティの為の
コーラを何カートンか頼んでおられる。
30分程でククタの一番にぎやかな町に入る。街の通りは人がいっぱい。

「新しい年が来る、だからみんな新しい服着たいとか、新しい物欲しいとか・・」とだから
こんなに人いっぱいと説明してくれる。
通りを歩いている若い女性は、殆どが臍だしルック。おへその上までのT−シャツに
G−パンスタイルだ。すこしお肉がたるんでボディに自信の無い女性は、
日本でも良く見るノーマルな、T−シャツにスラックスの格好。
男性も殆どがラフな半袖シャツにズボン、Gパンスタイルだ。
大晦日でもあるので、みんな生き生きして、いそがしそうだ。
開いているお店もあれば、閉まっているお店もあるが、そんなお店の前でも堂々と露天のお店を
やっており、カバン、ベルト、赤ちゃんの服、装飾品等が‥・手押し車の上とか、
木の台の上に一杯置かれ商売をやっている。
ホアンが「あれ見て!あのお店の前の3人は、お金頂戴って言ってる」と言う。
見ると、お母さんらしき女の人が子供2人の手を引いて、お店の前に立ちお金をせびっている。
そうだな・・・コロンビアもまだこうして貧しい人と富める人の差があるんだろうなぁ・・・。
突然、ホアンが「あれ見て!あのネコ!」と指差す。
みると「FOTO JAPON」 という黄色い目立つ看板がある。
お店の前にはなんと手招きするネコの人形だ。高さが1.5mある。
「おかさん、あれ日本で何て言う?」と聞く。 『ああ!招き猫よ!』と叫ぶ。
コロンビアで日本の招き猫を見ようとは・・・。
ククタの街では日本の車あまり見ないなぁ〜と主人。そう言えば、コスタリカではいたるところで
「TOYOTA」・「NISSAN」のトラックが走っていたが・・・。
フォルフェが駐車所に車を入れる。すると、ホアンは「車全部調べる、トランクも」と言う。
「ここ、2年前に爆発があった!30人死んだ!」と言って驚かす。
車から降りて、私達はCDショップに行く。前からラテン音楽のCD買いたいと頼んでおいたので
さっそくエスカレーターで2階のCDショップへ。ガンガンに音楽がかかって話し声も聞き取れないくらいだ。
フォルフェも今晩の為のCDを何か物色しておられる。
私は「カルロス・ヴィベス」 と「オレハ・デ・バンゴゥ」のコピーCDを買った。
多分すごい安いはずだ。無断コピーで山ほど売っているから。

   ククタの街角で・・   「おかさん、好きなCDいっぱいあるよ!」

   「何買いたい? ”Oreja de bango” ネ 」   マンゴーに塩かけて食べる。

   [!Hola! Bienvenida a Colombia!!] アムジャのお父さんと。   「これ、買おうかな・・・」

こんどはホアンの友達のアムジャのお父さんがやっておられる洋服店に行く。
ホアンが我が家に来ていた時、親友のアムジャはよく電話をかけてきていた。
いつの頃か、私も何度か彼と話をしてり、メールのやり取りをしているが
ホアンは冗談に「おかさん、僕の友達取った!」と言うのである。
今アムジャは、アメリカのマイアミで仕事をしながら大学へ通っている。
私達がコロンビアに行く事を電話したら、「休暇がないので、お正月ククタに帰れない・・・」と
残念がっていた。
私は早速今晩着る為にと、イタリア製のスーツと主人のシャツを一着買った。
(実を言うと、日本で買うよりだいぶ安かったので・・・)
街を一回りしたので、お昼をスリマさんが待っておられるので、再び家にとって返す。

大晦日の夜 『 En la Noche Vieja』  
昼食の後スリマに頼んで、お土産をだれにあげるか、考えてもらう。
大晦日に一体どれだけの親戚縁者が集まるのかわからない。
そこで部屋の床に並べられたお土産をひとつひとつ行く先を考えながら選んでもらう。
スリマは床に座りこんで、このお扇子は伯母ちゃんに・・・このカレンダーは主人のオフィスに・・・
と言いながら名前を貼り付けていく。
「あ!この人形とても可愛い!私がほしい!」とおかっぱの髪をした木目込み人形を
ちゃっかり手中に収められてしまった。(Que’bonito の菓子鉢あげたでしょう??)
スリマは「全部私がほしいわ!」と言いながらお土産の分配に四苦八苦の様子を
見ていると何だか、ほほえましく、とても可愛いと思った。
大体のお土産の行く先が決まったので、くつろいでいると、ホアンが
「タチアナ迎えに行くけどおかさん、行く?」と誘ってくれるので、ちょっとお邪魔虫をして
ドライブをした。

今朝フォルフェにもらった咳止めの薬が良く効いたのか主人は部屋で休んでいる。
眠り薬も少し入っていたのだろう。少しでも楽になればいいが・・・。

外も薄暗くなりかけた夕方、フォルフェのお母様とお姉様が来られる。
お母様は御歳75歳だが、とてもお若く見える。
私を見て盛んに「かわいい!かわいい!」を連発して下さる。私も大好き!!

   こんな遠くまで、よく来て下さったわね〜!フォルフェのお母様   「貴女もっとおばあちゃんかと思ってたのよ・・・」 「まあ!!」

   「ホアンは私の一番かわいい孫なのよ!!」   ホアンの従兄 ジョン、ヘンリー、グレースです。

   !Que' interigente!! とても利発なヘンリー。   「もう、そろそろ花火が始まるよー!!」

お姉様は血液の検査技師をしておられる。小太りの女性だが、とても素敵な女性だ。
ご挨拶をし、お姉様はお仕事があるのでと、お土産を手にして帰って行かれた。
フォルフェのお母様と、ホアンを交えてしばらく歓談。
彼女は日本の食べ物がとても気に入っておられる。以前、私が送った日本の食材で
ホアンが皆さんを招いて食事会をしたらしい。きっとカレーか何か作ったのだろう。
とても美味しかった、日本の食べ物大好き!と言って下さった。
ホアンがパラグライダーを日本でやろうとした時、このおばあちゃんが一人大反対で
「危ないからやめて!やめて!」と言ったのよと告白されていた。

そんな話をしていると、外で突然パーンパーン!!と大きな音がする。
みんな、「あ!始まった!!」と言って外に飛び出して行った。
私も何事かとホアンの後を付いて庭に出てみる。あの大きな音は花火だ!
そうか!コロンビアの人達は大晦日の夜、こうして花火を打ち上げて年越しをするんだ!
ホアンが「おかさん、おとさん、来て!来て!」と呼ぶ。
庭に出て見ると、壁に一体の人形が、すがらせて置いてある。誰がどこから持って来たのか
聞き忘れたが・・。
「これ、ヴィン・ラディン人形だよ」という。なるほど、世を騒がせたあの”ヴィン・ラディン”の
そっくり人形である。
そしてこの人形(去年の人と言う人形)の服の下には沢山の花火がしかけられて
12時とともに火を付け、燃やすのだそうだ。

   「ヴィン・ラディン人形花火? 面白いわねー」!   「そう、簡単に死ねるか!!」

花火が始まると同時に、このメンドーサ家には、次々に車が到着し、親戚縁者がぞろぞろとやってくる。
スリマのお父様は、やはりお医者様だが、30年前に落馬が元で半身不随になり、車椅子の生活を
やむなくされいる。すでに高齢で、殆ど会話は出来ない状態だが、それでも、この年越しの席には
奥様が連れて来られ座っておられる。
そして、フォルフェの兄弟、従妹、スリマの姉妹、従妹、ホアンの従妹達、タチアナの両親や兄弟従妹と、
総勢30人くらい集まったろうか。
ラテン音楽がガンガンにかかり、庭にセッティングされたテーブルには、ワイン、ビール
ウイスキー等並べられ皆さん、てんでに好きな飲み物を手にとっている。
またフォルフェもホスト役でいろいろ忙しく動き廻って接待をしておられる。

私はホアンの従妹Jhon,Henry,Grace達と庭に出て花火をする。
11歳のヘンリーは手に抱えるほどの線香花火を買って来ていて、火を付けては庭を走り回っている。
私が「じゃー誰が一番遅くまで火が付いてるか競争しましょ!」と言うと、
これが盛り上がってしまって、彼らは必死になる。
いい加減に疲れてしまったが、「まだ有るよ”!まだ有るよ!」と紙袋から次々に出してくる。
スリマも加わり、ついに主人まで、ゴホゴホと言いながら担ぎ出される。

   「!Feliz Ano Nuevo!!] タチアナ、ヘンリー達と花火ごっこ!   [僕、一番!! 私が一番よ!!」

そして、ついに12時だ。
街のあちこちで大きな花火が”ボン!ボン!!”と鳴り響き
遠くの空を見渡すと、花火が暗い空に浮き上がってとてもきれいだ。
そのとたんに、私の周りの人達は、「Feliz ano nuevo! Feliz ano nuevo!!] と口々に言い合い、
お互いに抱き合ってキスをし、新年を迎えた事を喜びあうのである。
私も次々に新年の挨拶に廻って来られるので、誰が誰かわからない人もいる中で、
新年の挨拶抱擁を繰り返す。また頭がくらくらしそうである。
日本にいたら、雪がしんしんと降る中で、除夜の鐘を聞きながら、静か〜に新年を
迎えてるだろうな〜・・・やはりこんなところからして、静と動というべきか、民族性の
違いがうなずける。

面白い事に、この花火の点火には、専門の火付師が、どこからかやって来るのである。
特にホアン一家はドクターなので、手に怪我をしてはいけないということらしい。
以前は他の地域でも、花火で手を吹き飛ばしたりするという事故が多発したそうだ。
という事で、メンドーサ家も先ほどから火付師によって、数発の花火が点火され、
打ち上げられている。
門柱の上に置かれた花火に点火すると、シュポーと大きな音をたてて、煙とともに宙に発射。
そして空に大輪の花が咲いたようで、皆さん新年の明けた喜びにひたるのである。
なるほどこの位の大きな花火なら、素人が安易に点火すると危ないだろうなぁ〜・・・と思われた。

最後にあの”ヴイン・ラディン人形に火が点けられた。ところが、シュポン、シュポンと音がして、
1個か二個の花火は燃えたものの、勢い良く全部に点火していかない。
火付け師は2〜3度ためしていたが、どうも上手く行かない。
さすがしぶといヴィン・ラディン人形だ。
ついに庭の一番奥まで引っ張り出され、ガソリンをぶっ掛けられて、ヴィン・ラディン氏は
あえない最後を遂げた。

大きな花火の間隙に、ヘンリーやグレース達との花火ごっこは続く。
花火が無くなったので、席について皆さんと話をする。主人はスリマさんの従兄から
「ボゴタに面白い所があるから、行こう!行こう!」と盛んに誘われていた。
それは、私がいるとどうもいけない場所らしく、明日行こう!と本気で誘われていたようだ。
これには、ホアンもニヤ笑いをしていた。きっと男同士で分かる話らしい。
ホアンは日本を離れる時、AFSもびっくりするくらい、友達が駆けつけた。
ホアンは女たらしでも、あるが、”人たらし”でもある。自分が意識していないが、いろんな人を
自分の周りに集めるという魅力を持っている。
街をちょっと歩いても、いろんな人が声をかけてくるし、すぐに人が集まって来るのである。
これはラミネス家の家系なのか、とにかく何となく皆さん”たらし”なのである。
それをいとも簡単にやってしまうという、これはなかなか真似の出来ない事である。

みんなで話をしていると、「”Colombia es una Chimba" と言って!」と私にリクエストがある。
私は何の事かわからないので、手を振り上げて、”Colombia es una chimba!!! と叫ぶと
その度に皆さん大笑いをするのだ。
その様子を見て取るに、きっとあまり言い言葉ではなかったのかもしれない。
悪い事言ってるのかな?と思って気は引けたが、皆ではやし立てるものだから
つい、調子に乗ってしまった。
日本に帰ってスペイン語の辞書で引いてみたのだが、わからなかった・・・・。
(どなたか教えて・・・?)

   スリマのお父様夫妻」   La familia de Tatiana.

   [Colombia es una CHIMBA!!]   私は長い間、アメリカで記者だったんだよ・・・」

ホアンの従兄のヘンリーと、意気投合してずっと話していた。
彼は11歳だが、とっても利発な子だ。「僕、日本のお金とても興味ある」というので
私の部屋に連れて行き、一円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉と1000円を出して見せ、
彼に日本語で何と言うか教えた。
すると、一回で覚えてしまい、みんなの前で、「ichien goen jyuen gojyuen, hyakuen senen」と
瞬く間に言ってのけた。
算盤を教えても、とても呑込みが良く、1の位、10の位、5円玉の使い方、10の位に上がるところ
とすぐに覚えた。私達が日本の絵ハガキを見せて日本の事を教えると、彼の目はキラキラ光り
教える事全てを吸収していくようだった。そして 「日本に行きたい!」と目を輝かせて言う彼がとても
いじらしく、一緒に連れて帰りたい衝動に駆られてしまった。
ホアンや、ヘンリーの様な子が将来コロンビアを背負っていったら、きっとコロンビアも
少しづつでも平和を取り戻して行くだろうに・・・・。

   「日本のお金の数え方教えてー」「ensenarme contar los dineros・・・」   「わかった! ichien, goen, jyuen, gojyuen, hyakuen・・・]

大晦日もにぎやかなうちに深けていき、すでに3時をまわっている。
一組、また一組と親戚の家族がメンドーサ家を後にして行かれ、元旦の朝が
あと数時間で、明けようとしていた。
この家に泊まる人はいない様で、リビングには主人と私、それにホアンが残った。
スリマさんはキッチンの片付けをしておられる。
ホアンも夜ざるこきなので、まだ眠く無い様だ。3人で少し話をする。

私は旅の記念にと、持っていた旅行雑誌の表と裏の白紙の所に、出会った人のメッセージを
書いてもらった。コスタリカでもエリックの従兄やラリッサの恋人などに書いてもらった。
ずらずらとスペイン語で書いてもらったので、ホアンに見せ、訳してもらった。
白いところが無いくらいに書いて下さっている。
ホアンがひとり、ひとりのメッセージを日本語で言ってくれる。
主人は帰ってビデオで見れるように撮影している。
「これはね、ホアンの友達、ミゲルだ。『僕の名前はMiguel です。おみやげ有難う。そして
コロンビアにようこそ。あなた方の旅行が楽しいものでありますように』って書いてある。

そして、これは僕のおばさん、Yanneth。『あなた方と会えてとてもうれしいです。ホアンの事
いろいろ面倒見てくださって有難うございます。新年おめでとう!そして幸せな年でありますよう』

「あ!これはヘンリーだよ。『僕はHenry いっぱいありがとう、僕をあなたの友達にしてくれてありがとう。
それからお土産もありがとう。とても大好き。Aiko, Takechi ありがとう。とても大好き。新年おめでとう。
アイコありがとう。とても大好き。タケチありがとう。とても大好き。
もう、僕数字覚えた。”イシ、ニ、サン、シ、ゴね。”アイコ、あのお金僕大好き。
アイコ、タケチとやった花火とても楽しかった。僕の事ビデオ、写真撮ってくれて有難う。
こころから大好き』って書いてるよ。」
等‥・・・一人一人心を込めて書いてもらったメッセージを嬉しく聞いていた。

キッチンでその様子を見聞きしておられたスリマは、ふいにつかつかと私達の所へ、歩み寄って来られ
「そんなふうに、ホアンとタケシ、アイコが3人で話をしているのとてもいいわ!・・・」と
半分羨ましそうに言って下さった。
きっと、洋の東西を問わず、どこの家庭でもそうであるように、なかなか我が子と
心を開いて話をするという機会が持てないのではなかろうか。
ホアンは完全に主人を信用しきって尊敬しているし、スリマさんの殆ど見ることの無いホアンが
そこにいたのではないかと思う。
主人もこの夜のホアンとのくつろいだ時間は、コロンビアに来て初めての満足な時間だったようだ。

  かわいい絵を書いてくれたヘンリー 「私はホアンの従妹グレース。10歳です!・・・・

  TACIANA 日本名 田地安奈です! ホアンのおばあちゃん、タチアナのママもメッセージを。

年寄りには徹夜はこたえるので、少しでも休もうと私達は部屋に引き上げた。
主人はベッドにもぐりこみ、私は体がすっかり冷え込んだので、今夜もジャグジーのお風呂を
使わせてもらった。
ジャグジーの音がゴボゴrボと隣りのスリマ夫妻の部屋に響くので、ジャグジーは使わず
そーと静かに入らせてもらい温まった。

コロンビアの大晦日の夜もまた私には忘れられない一日であった。
1月1日 (木曜日)
さて元旦の朝をこんな遠く、コロンビアで迎えようとは、本当に幸せだ。
私は10時頃ベッドを抜け出し、二階に上がり、色とりどりの鳥がやってくるのを双眼鏡で見ていた。
真っ赤な羽の鳥、あ、今度は頭が真っ黒でお腹が真黄色の鳥が2羽、木のてっぺんにとまった。
ほんとにいつまで見ていても飽きない。そうしていると、主人も起きて来た。調子はどうだろう??
今日はスリマ、フォルフェそしてホアンとで『パンプローナ』という古い街を訪れる予定だ。
夕べ少し雨が降ったのか庭が濡れている。
夕べの賑わいはそのまま続いているかのように、テーブルもワインやビールの空き瓶はそのままだ。
フォルフェがテーブルを片付け始める。お手伝いさんの姿は無い。
主人は、「手伝ってあげよう」と言う。
「ブエノス、ディアス」と声を掛け、一緒にテーブルの上の白いシーツや、コップ、瓶などを運ぶ。
テーブルはたたんで塀に立て掛けておいた。後で業者が取りにくるようだ。

皆さん、眠そうな目をこすりこすり、出かける支度をする。
家を出て10分位の所で給油。
ここはガソリンスタンドというには程遠い、ちょっと見には分からない変な建物。
男の人が、ポリタンクを抱え給油を始める。
フォルフェの言われるには、ここはとても安いガソリンを売っていてタックスも無い闇ガソリンスタンドのようだ。
無事給油完了で、出発。
途中、道路の真ん中に大きな星のマークが書いてあるのを見た。ホアンが「ここ、人が死んだ印!」と言う。
ゲッ!どうして??と聞くと、道を横切っていて、車に跳ねられたり、交通事故で人が亡くなった印なのだそうだ。
この黄色い星マークを見て、ドライバーへの警告としているらしい。
ホアンとドライブした時も感じたのだが、道路にあまり信号が無いなぁ〜と思う。
これで事故が起こったりしないのだろうか?と
不思議に思ったが、やはりこの星マークを見ていると、このククタの小さな町でも
交通事故死亡者が沢山いることに驚いた。

   闇のガソリン屋さん。   「ハイ、ここで止まって!!」ポリスのチェック。

さて、『パンプローナ』という街はククタから車で約1時間あまりのところ。
車は段々山の中に入って行く。ゲリラはいないの??大丈夫だろうか??
途中検問所が有り、いくらかのお金を払っている。ミリタリーの迷彩服を来た兵が車を止めては調べている。
ホアンは大丈夫と私達を気使う。
調べる時と調べない時がある様で、私達の車は何も調べられる事なく検問所を通過。
山へ山へと進んで行く。
途中に小さな町が見えた。「ここは、パンプロニータ」だよと教えてくれる。
その名のとおり、小さなパンプローナなのだ。
少し長いドライヴだったが、パンプローナに到着。ここは標高2500〜600位あるのだろう少し肌寒い。
スリマは持って来たポンチョを着る。何を来ても様になる可愛いスリマさんだ。
街は元旦で家族連れで賑わい、元旦なので、お店は開いてないが、露店がある。
街の中で、面白い果物を売っていた。これは丁度金柑くらいの大きさで、グリーン色だ。名前はマモンという。
甘栗を食べるように、果物の周りを詰めで二つに割ると中に甘酸っぱい実が見える。
20個くらいを人括りにして売っている。
フォルフェはその一掴みを私達の為に買って下さった。後で車の中で頂こう。
小さなお店に入り、コーラと軽いおつまみを買う。
コーラを飲んで少し身体が冷えてしまった。

   「アイコ! これ温かいのよ!」とスリマ。   「ホアン、マモンを買ってみようか?」

   「おとさん、コーク?ジュース?」   これはマモンという果物。甘酸っぱい!

街の中にあるホテルでちゃっかりトイレを借りる。
ホアンとスリマは壁に掛けられている地図を指差しながら、ククタは何処?ボゴタは?
と仲良く捜しっこ。
立体地図なので、ククタの様な小さな町は谷に埋もれて分からない様だ。
ようやく、ここらあたりらしいと見当をつける。見ていて面白いのは、ふつう緑の部分が街なのだが
コロンビアでは凸凹の凸の部分にククタ、ボゴタといった街があるのだ。
やはり緑の部分はゲリラが居て住めないのかなぁ〜・・・・。

   「おかあさん、ククタはどこだろ?」   「ほら!ここでしょ。」

   パンプローナの街   街角にはポリスやミリタリーが・・・。

   「おい 見ろよ、Japon すごいぜ!!」   「やったぁ〜!当たっちゃたぁー!!」

今日は元旦なので、家族連れでこの古い街はにぎわっている。
昔日本でも見られたが(今でもかな?)露店には、お面とか甘いお菓子、おもちゃ等‥子供達の
喜びそうなものがいっぱい売られている。
鉄砲の弾を射て当たった賞品をゲット出来る露店が有った。
早速何でもやってみたい私は挑戦。5発中3発命中。周りに子供が群がっているので、ゲットしたお菓子を
やると大喜び。ホアンも「おかさん、すごい!」といってくれる。
小さな子供が、喜んで付いて来る。何処からと聞くので、「ハポン!!」と言うとかわいい顔で笑い返してくる。

   コロンビアでフランスのレストランに。   オーナーは欄愛好家。

   「ここは、前に娘のアンナと来たんだよ」   他で見られない欄がいっぱいあるみたいよ」

朝食抜きで出かけたので、少しお腹が空いた。
車に再び乗り込み、フォルフェいきつけのお店が有るそうなのでそちらに向かう。
このレストランはフランス人の経営者で、欄の愛好家らしい。
レストランに入ると、いたる所に美しい欄が咲き誇っている。
コロンビアの国花はオーキッド、(欄)である。なるほど、日本では見た事の無いような種々の欄がある。
欄の他に私が大変興味を抱いたのは、軒に吊るされた巨大は葉を持った観葉植物だった。
人の手では抱えられそうにないくらい巨大。球のような胴体から大きな葉が沢山出ていてとても面白い。
二階から吊るされているので、近くまで行って見た。
オーナーのフランス人の男性は事細かく植物の事を説明して下さった。
ホアンに助けを求める。
食事を済ませ、トイレから帰ろうとすると、オーナーの男性が私に手招きをしている
何かな?と彼の後を付いて行くと、そこはもうひとつ別の欄を育てている温室だった。
ここにも数多くの欄が数え切れないくらいの鉢に育てられていて、それをわざわざ私に見せて下さった。
しばし、この沢山の欄に魅せられ、心地よい時間を過ごした。

   「この植物はね・・・・」丁寧に説明して下さるオーナー。   「すごいわねー。初めて見ました!!」

   ご自慢の欄   こんなに変わった欄もある。綺麗!!

今日はこのパンプローナの見学で半日を費やす。ふたたび車を走らせ、ククタに戻る。
ホアンと主人は遠くの山を見つめては、「あ、おとさん、ここパラグライダー出来そう!!」
すかさず主人も「おー、いいなぁ!飛べるぞ!」などと楽しそうだ。
高い山を見れば、飛びたくなる二人である。
車窓の景色を眺めていると、面白い木が目に付いた。高い木から長〜いひげの様な物がぶら下っている。
「あれは、何?鬚みたい!!」と言うと、「おかさん、あれ ひげ(barba)って言う名前なんだよ」と
ホアンが教えてくれる。まさしくその名の通りだ。
木のてっぺんからぶら下り、川の水に届くくらいなのも有る様だ。
コロンビア大使館から取り寄せたパンフレットに丁度同じ”ひげ”の絵を見た。
解説を読むと、これは苔の種類だと説明してある。
そして、お互いに共生関係にあり、栄養をもらい、そして鬚の方も木に何か良い事をしているに
違いない。(スペイン語なのでよく理解出来なかった・・・)

夕べがあまりの遅かったので、スリマもフォルフェも殆どグロッキー状態。
おまけにパンプローナへのドライブで疲れはピークに。
家に帰り皆早く休みましょう!という一言にそれぞれ部屋に入る。
主人も相変わらずゴホゴホ言っているので、風呂もシャワーもせずにベッドにもぐり込んだ。
私はやっぱ、お風呂に入らない事には眠れない。
さっそくいつものジャグジー風呂に静かに入らせてもらい眠る事にした。
皆さん今日はお疲れ様・・・・・。

1月2日 (金曜日) (Fuimos a Venezuela)
今朝も木々に沢山の小鳥がやって来ている。本当に綺麗だ。
朝早いともっと沢山の小鳥が群れになってやってくるらしい。
それでも私の見ている間にも、鮮やかな赤、黄色の鳥がひっきりなしに飛んできては
私の目を楽しませてくれる。

   「真っ赤な胴に真っ黒な服着て・・・」   こちらはあざやかな黄色。

   尾がこんなに長いの。   「僕の仲間はどこだぁー?


そうしていると、スリマさん「アイコ、朝ごはん食べましょ!」と声がかかる。
主人を起こしてキッチンに行く。
フォルフェは今日はもう仕事に行かれたらしい。
今朝の食卓は・・・・赤ちゃんの頭大のハムがお皿にのっている。
スリマはナイフを持ってお皿の上でそのハムを半分に。そしてもう一方のお皿にはチーズが丸ごと。
今朝の食欲もあまり無い私達でした。

   手前の丸いのがハム、向こうの赤いのはチーズ。   「これ、私が欲しい!」とスリマ。 すでにリビングに飾られていた。

   これはスリマお気に入りのスイカの絵。   インカの雰囲気の漂うお面

   ????   皆さんにはどう見えますか?

朝食を頂いて、ホアンと一緒にリビングでくつろぐ。
ホアンは高校卒業の時のアルバムを引っ張り出して来て見せてくれる。
ホアンは日本に留学していたので、アルバムの中に加われなかったので、別にいろいろ写真を
使って特別のアルバムを作ってもらったらしい。
その中には、ホアンが女装した、きもい写真もあり、「これ、ホアンの妹。ちょっと気持ち悪いね」と笑っている。

   「おかさん、これ僕の卒業アルバム」   「ふふふ・・・これ僕の妹」 [Me llamo Juanita!]


「アイコ、ネイルアーティスト呼びましょうか?」と言われる。最初何の事か意味がわからなかった。
よく聞いてみると、手や足の美容師さんをよんで下さるらしい。
日本では、専門のお店もあるが、美容院などでもやってくれる。勿論別途の料金である。
結構お値段もいいので、私は自己流で・・・よって、生まれてこのかた手足の美容院の経験はない。
スリマさんは月に何度か自宅によび、手や足の爪の手入れをしてもらっておられるらしい。
「よびましょうか?」との再度の質問に「スリマは?」と聞くと、「私は火曜日にしてもらったわ」と言われる。
初めての経験だし・・・・と思い「じゃー、お願いします」と言ってみた。
OKと言ってスリマは早速電話でアポイントをとっている。
「アイコ、今日2時頃に来てくれるわ」との事。手と足のお手入れ、それにヘアーメイクまで頼んでしまった。

「じゃーそれまで私がドライブに連れてってあげましょう」と、スリマの運転でドライブに出かける。
最初に寄ったのはフォルフェの仕事場。ホアンはコーラのボトルを一本手に持っている。
どうやら、おとうさんにコカコーラを届けたようだ。再び車に乗り込み出発。
通りを走っていると、ホアンが突然「あ、ここ、僕が習ってた忍術の道場だ!」と教えてくれる。
ホアンが我が家に来た時に、僕は忍術を習っているんだ」と言うので、忍術と言えば、”ドロン、パ!”の
忍術かぁ〜??と思ったが、どうも合気道の様な感じの柔術らしい。
この道場も見ると、忍者らしき格好の絵がシャッター1枚に大きく書かれている。
へぇ〜・・・面白い。
ホアンが言うように、東洋の柔術というものが高く評価され、受け入れられているのを感じる。

車で走りながら、「今からベネズエラへ行くわよ」とスリマ。
街は車が多い。コスタリカでも見た風景だが、車と車の間を縫うように物売が声を掛けてくる。
果物であったり、アイスクリームであったり、甘いココナッツのお菓子であったりといろいろである。

   ホアンの通っていた”忍術”の学校。   今からベネズエラの国境を越えます。

「ハイ、ここからベネズエラね!」と丁度橋の真ん中辺りがコロンビアとベネズエラの国境線であった。
この二つの国の違いはないけれども、近年ベネズエラは貨幣価値が3分の一にまで落ち、経済状態は
悪いらしい。フォルフェはベネズエラから買いに来るお客を対照に衣料の商売を2年前に始められたが
ベネズエラ不景気の為、この衣料品店は悲しい事に閉店せざるを得なかった様だ。

車から降りて、町を散策。
雰囲気はコロンビアと変わらない。同じ様な空気を感じる。
すこし土ぼこリっぽいかな?と思うが、息苦しくなるほどではない。

お正月なのだが、ここらあたりは中心街でもないのだろう、人通りは何だか少ない。
ベネズエラの町でも「Japonesa」の文字を見つける。
ショウウインドウーに着物姿の写真が貼ってあるお店を見つけた。
今日はお正月だからか、お店はしまっている。
中を覗いて見ると、売っているものは、すべてこちらの物のようだが、経営者は日本人らしい。
一昔前のカレンダーの日付の所だけを切ってショーウインドウに貼り付けている。
モデルの女性も見たことのない女優さんかモデルさんのようだ。

歩いていると少し汗ばんできたので、スリマはアイスクリームを買っている。
12〜3歳位の少年が手押し冷凍車のような小さな車を押して町の中を流している。
その時丁度スリマの知人に出くわして、挨拶をする。

   ベネズエラでもJAPONESAというお店を見つけた。   面白い事に日本のカレンダーを切ってショーウインドウに貼ってあった。

   アイスクリームを買いましょう!   スリマの知人にばったり会う。

ベネズエラのバスは胴長だ。でもお客さんはあまり乗っていない。
こちらはタクシーもバスもこんな白い色だ。
ベネズエラの探索は終了。国境検問所を通過してククタに戻る。

   胴長のバスが走っている。   国境ではポリースがチェック。

私達のククタ滞在も明日にはボゴタに移動だ。
今夜は皆さんへのお礼に、コスタリカでしたように、ここでも日本料理を何か振舞う事にした。
ホアンはすき焼きを食べたいと言う。
こちらですき焼きを作るのは難問で、日本にある様な、向こうが透けて見えるような薄い牛肉は
絶対に売っていないのだ。
ましてや、彼らは脂身は食べないので、霜降り肉なども見当たらない。
スーパーの中の肉やさんに、出来るだけ薄く切って下さいと頼んだ。
見ると、3mm位の厚さに切っている。「もっと、もっとうすく切って下さい」と言うと
いま切った肉はほかして、もう一度薄切りに挑戦してくれた。
何度も言うのも気の毒なので、1mmから2mmくらいで良しとした。後はネギがあればいい。
春雨は前にくずきりを送ってやっているのが有る様だ。

主人がスーパーの中でデジカメ撮影していると、どこからか守衛さんらしき男の人が来て
撮影禁止と言われてしまった。

買い物を済ませ、家に帰ると落着く暇もなく、例のネイルアーティストの女性がやって来た。
私が椅子に座ると、彼女は私の正面に少し低い椅子を持って来て腰を降ろす。
温かい石鹸水に手をつける事5分くらい。
手の皮や爪がふやけて来たところで、爪を抓み、あま皮を丁寧にとっていく。
足も同じ様に湯に漬けた後、爪をつみ、あま皮をとり、足の裏には丁寧にブラシをかけてくれる。
やってもらうのって、こんなにも気持ちの良いものか・・・。
私は、作業工程を逐一見させてもらったので、こんどは家で一人で出来そうだ。
彼女はククタに住んでおり、この仕事はもう15年くらいやっているそうだ。子供は一人。
仕事に出る時は、ベビーシッターがみてくれるという。
この仕事が好きなので楽しいわと話してくれた。
お店は持たず、ひと月に40軒くらい回るそうである。

手と足が終わると、こんどはドライヤーを出して、ヘアーメイクをしてくれる。
ホアンがさっきからデジカメを持って、きれい(?)になっていく私を撮っている。
おばさんなので退屈になったのか、時折自分にカメラを向けて、頭のハゲ具合をまじまじと眺めている。
30分ほどかかって、私は少し変身しました。
ちなみに支払った金額は日本円で¥800程でした。
(日本では美容院でやると3000円から4000円くらい、かかるのではないかと思う)


   今からきれいになりま〜す!   「私この仕事大好きなので、楽しいです」

   「ホアン!あまりアップで撮らないでね!」   ”使用前・・・・使用後・・・・どう? 太い手と足ですみません。



   ホアン、タチアナ どう?   「アイコ とっても素敵よ!!」とタチアナ

   「僕の頭だいぶ髪が無くなってきたなぁ・・・」   「僕やっぱりハゲるのかな〜・・・・・」

夕方、ククタのAFSのメンバー女性二人の訪問があった。
この女性達はよくもこんなにと言うくらいべらべらとまくしたて、私達が口を挟む間はほとんどなかった。
スペイン語もさっぱりわからないし、私はもろに不愉快さを顔に出してしまった。

ククタでのAFSの留学生の話等は殆ど話題にのぼらなかった所をみると、活動もしていないのだろう。
私的な話に終始し、私達にと、陶器の置物のレプリカを、お土産に下さった。
これは日本に、持って帰るのには、少し問題だ!!
小一時間喋りまくったAFSのお二方は帰って行かれた。

さあ!これからすき焼き料理の準備に取り掛かろう!!

ホアンは私達が持参した漬物を楽しみにしている。
となると、白いご飯が欠かせない。
コスタリカでの失敗を繰り返さないようにと、ご飯炊きに神経を配る。
ところが、こちらでもやはり適当なお鍋が無い。スリマが棚の上の方から何個かのお鍋を物色。
ご飯を炊くには、厚手の熱がじわじわ伝わるようなお鍋が適しているのだが、どれも薄ての様だ。
一応適当に選んで、お米を研ぐ。スリマさんも見よう見真似でお米を研ぐ。
ゴシゴシとお米とお米を擦り合わせるように洗う(米を研ぐ)事を伝授。

さて、次はトンカツだ。ホアンにも手伝わせて、下ごしらえをする。
やはり、久しぶりのトンカツ、すき焼きを作るとあって、嬉しくて仕方ない様子。
トンカツのお肉に小麦粉をつけ、卵を潜らせ、パン粉を付ける。
揚げ物をするので、ついでに天ぷらも作ることにした。ネタは玉葱、カボチャ、さや豆を用意。
今日はホアンのおばあちゃまも、私達が料理するという事を聞いて、駆けつけて来られた。
タチアナも興味深深でキッチンをうろうろしている。
さて、下ごしらえも出来たようなので、先に天ぷら、トンカツに取り掛かる。

   はい!きれいに切って!   てんぷらもトンカツも出来たわよ

   先に頂いちゃおう   日本のご飯と漬物大好き

   どれどれ!とホルフェさん   ヘ〜イ 完成よ

こちらでは、お鍋いっぱいの油で何かを揚げるなんていう料理はないのだろうなぁ〜・・。
コスタリカでも、油をたっぷりと使って、後始末が少し気が引けたが・・・・・。
ネタに衣を付けて、揚げていく。
待っていられないホアン達は「あっちっち!あちっち!」と言いながらほうばっている。
天ぷらというものは揚げたてほど美味しいものだ。
彼らはすっかり天ぷらの虜になってしまった様だ。
おばあちゃんは、なぜか、てんかすを揚げたのが気に入られた様子。
とうとう、タチアナが天ぷらの衣だけを、次から次へと油の中に落としている。
油の中で、ふわーと膨らむと、網ですくって食べている。天ぷらは大成功だ!
トンカツも全部揚がったので、メインのすき焼きに取り掛かる。
フォルフェは糖尿病の心配があるので、日頃から砂糖は低シュガーのものを使っておられる。
すき焼きもフォルフェの鍋を別に用意する。
皆さんのお鍋は特大だ。(ちょっと大きすぎるんじゃない??と心の中で思ったが・・・・)
お肉屋さんで、頑張って薄く切ってもらったお肉に、前に送っておいた”すき焼きの素”を絡めて
下味をつけておく。(少しでも美味しい様にと・・・・)
鍋に油を敷き、お肉を入れる。肉が厚いので、あまり炒めると固くなるので心配だが・・・。
くずきりも熱湯でもどしておく。スーパーで人括りになった長ネギを買ったので、このすき焼きは
ネギが巾を効かしている。手っ取り早くすき焼きの素を使う。さあ、出来たぞ。
炊きながら食べよう!と皆さんキッチンに集まってくる。
もう恥も外聞もあったものではない。
皆さん立ったまま、てんでにお箸とお茶碗を持ち、すき焼き鍋の周りに集まる。
皆さん口にほうばったものの、すき焼きが熱いものだから、天を仰ぎながら食べるのに必死だ。
やはり、美味しいんだろうなぁ〜・・・。ものの言わずに次から次へとすき焼きは口に運ばれている。

   すきやき!!こりゃー美味いな!!   久しぶりの日本食だ!

ホアンの漬物も、何だか大好評だ。
日本人だって、こんな古漬けのぼろ雑巾の様な、もの好きな人は稀なのに・・・。
主人は漬物と言っても、白菜漬けに限り、それも良く漬かった”ぼろ雑巾”の様なのしか食べない。
浅漬けの様なのを食べると、胸やけがすると言う。
我が家に留学して来たホアンは、こんな”ぼろ雑巾漬物”の大フアンになってしまった。
持って来た漬物を、私流に5mm位に刻み、3点セットといって、お醤油、味の素、七味を掛けて
食べるのである。
お醤油も広島だけに売っている、「アサムラサキ牡蛎醤油」である。
ホアンは漬物は自分だけが食べるんだと思っていたところ、スリマもフォルフェも美味しい!美味しい!
と言って、ご飯と一緒に食べている。ホアンは「僕の漬物取った!」と嘆いている。
我ながら「あんな、臭いもの、良く食べるなぁ〜」と思うのだが・・・・。
あまり食欲のない私は、流しに向って洗いものをしていたが、ふっと後ろを振り向くと
皆さんハイエナの如くすき焼きをむさぼるように食べてしまい、鍋の中は、跡形も無く、ただ汁が
残っているだけだった。おかしいやら、うれしいやら・・・。
おまけにタチアナなどは、家に持って帰って皆に食べさせるんだといって、小さな容器に
すき焼きも天ぷらも混ぜこちゃにして放り込んで持って帰った。
美味しくなくなるよ〜・・・そんな事しちゃ。
今夜の日本食パーティはこんな具合に大成功に終わった。
皆さんもコンロの周りで汗ダクダクでたいらげ、お腹一杯になった様だ。

毎日苦しそうに咳をする主人によって、遂に私もビールス感染したようで、
お腹の具合が変だ。喉も痛い。食欲も無い。

明日の朝早く私達はボゴタに移動する。
今夜は早く寝よう・・・・。

1月3日 (土曜日) (Bogota)
朝5時半に目覚ましをかけておいた。
荷造りは済ませておいたので、身支度を整えたら出かける。
ホアンも今朝はさっと起きた様だ。ホアンは私達とボゴタに移動したら、大学が6日から
始まるので、そのままボゴタに残る様だ。
ガンジャにお別れをし、フォルフェに空港まで送ってもらう。フォルフェは今日は仕事なので
それを済ませ、夕方ボゴタに来られる予定だ。

空港にはまたしばらくお別れとなる為、恋人のタチアナもホアンを見送りに来ている。
8時半の出発の飛行機なのだが、今日は空港は沢山の人人人・・・だ。
なかなか手続きが捗らないのか、列は前に進んで行かない。
フォルフェが業を煮やし、VIP用の列の問い合わせをして、そちらに行けるようになり
やっとスーツケース預け、手荷物チェックなど終わらせた。
あまり待つ事もなく、飛行機への搭乗が始まる。
ボゴタへの飛行時間は約1時間。これでククタの町ともお別れか・・・。
また何時の日か訪れる事が出来ますようにと祈りながら・・・。

   ボコダ全景 真下がホアンの大学   ボコダ全景

   ボコダ全景 一番高いビルで40階?   ボコダ全景

ボゴタについてこれからホアンのマンションに向う。
タクシーを走らせる事30分強、ホアンが暮らすマンションに到着だ。
このタクシー運転手は好意的であったので、明日の朝私達がボゴタを発つ時も
このマンションに迎えに来てくれるよう予約しておいた。
「それでは、6時に迎えに来ます」と運転手は快く引き受けてくれたが・・・・
コロンビアの運転手は時間にルーズらしいので、はたして大丈夫だろうか・・・。

ホアンの住むこのマンションは、何年も前に両親が買われていて、外には一日中守衛がたっており、
扉の開け閉めをしてくれるのだそうだ。
やはり首都となれば、治安も悪いし、そういうことも必要なのだろうか。
部屋に入ると、丸いテーブルがひとつ、寝室にはベッド、トイレ、バス、キッチンも完備。
ホアン一人には贅沢な間取りだ。
今夜4人が寝るには狭いけれど・・・・。
ククタの家と同じ家政婦さんが、週に何度か掃除や片付けにやってくるそうだ。
荷物をホアンの部屋に置き、再びボゴタの街の見学に出かける事にする。
私は夕べから、喉は痛いした、下痢状態だし、あまり元気がないのだが・・・。
でももうひとふんばり、頑張ってコロンビアの首都ボゴタをしっかり見て帰ろう。
お昼時でお腹もすいた。ホアンが時々行くらしい美味しいレストランに連れて行ってくれるという。
かねてからの私の希望、トランスミレニオにも乗りたい。
レストランに入ると、にぎやかに音楽もなっている。メニューをカマレロが持って来てくれる。
ホアンがみつくろってオーダーしてくれる。
スープの中にジャガイモやいろいろはいっていて、生クリームをいれ混ぜて食べる。
これはなかなか美味しかった。

いよいよトランスミレニオに乗ってホアンの大学の方に行ってみる。
トランスミレニオはボゴタの街を縦横に走る交通機関で、市内を走る真っ赤な電車である。
主人がビデオを構えて撮っていると、やはりここでも、ポリスマンが近づいて来て
撮影禁止を言い渡された。
爆弾をどこに仕掛けるか、その場所を捜しているようと思うらしい。
やはりコロンビアの首都でもあるし、そういうことに神経敏感の様だ。

トランスミレニオに乗ると上客はびっしりだ。
一番後ろの方へ進んで行ったが、席はあいていない。
最後部座席には小さな子供達が4〜5人並んで座っている。
私達を見てニコニコと笑っている。「僕らは何歳?小学生?」等とスペイン語で話し掛けると
嬉しそうに答えてくれた。
次の駅で降りるよとホアンが教えてくれたので、止まるとホアンやスリマさんに付いて降りる。
ホアンの大学は、「ロスアンデス大学」と言って今から行くモンセラテの丘の麓にある。

大学だと教えてくれたのだが、今は休みなので、門は閉まっており
入る事は出来ない。どこからどこまでが大学の敷地なのかよくわからない。
ぐるりと回りを歩いて、モンセラテの丘に行く為のロープウエイ駅に向う。
モンセラテの丘は海抜3000m余りの所にあり、やはり気温も低くて、肌寒い。
この丘に登る途中には、十字架を背負って歩き、遂には貼り付けとなるキリストの彫像が
順々に置かれていて、最後の十字架、復活で頂上にたどり着く様になっている。
この丘からの眺めは最高。ボゴタの街が一望に見渡せる。
モンセラテの丘から南に1.5kmほど離れたグアダルーペの丘にはメキシコの守護聖母、グアダルーペの大きな像がある。

   グアダルーペの像。   敬謙なクリスチャン達が訪れるのか?

   お祈りの最中であった。   トランスミレニオで話をし子供達と会った。

ボゴタの天気は変わり安いとホアンが言っていた。
マンションを出る時は、日も射して少し暑いくらいだった。
ククタ育ちのスリマさんは、それでも「寒い寒い!」を連発。私は額に汗がにじんでいるくらいなのに・・。
そう思っていたが、日が落ちて来ると、少し寒くなった。
モンセラテの丘でも、パラッと雨が落ちていたし・・・。やはり、ジャケット着ていて良かったと思った。

次に訪れたのは、「黄金博物館」。こちらもビデオ撮影は出来ず。

もう明日にはボゴタから帰途に付くので、何かコロンビアのお土産も買いたい。
コロンビアは外国の人々が敢えて観光で訪れるという国ではない。
日本政府も危険度4の国として、渡航注意の国である。
よって、観光客相手のお土産屋さんは、殆どない。
主に現地の人の為のお店が多いので、スリマはそんな中のお店に連れて行って下さった。
主人は壁に沢山掛けられているお面の中から物色して、気に入ったものを何点か買っていた。
私はT−シャツや刺し子の様なタペストリー等をお土産に買った。

   el museo de oro  「黄金博物館」   お土産物を物色

   素朴な民芸品の数々・・・   主人の好きなお面

持っていた、コロンビアペソが少し心細い。ホアンにどこかで、ドルと換金出来る?と聞くと
街のあちこち、裏通りに闇で結構安いレートで換金してくれる所があるという。
ホアンは少し歩いて、10歳くらいの少年に声を掛けている。交渉中・・・・
どうやら、良い情報を得た様だ。
ストリートチルドレンの様だ。でも愛くるしい顔の少年はニコニコと笑いながら、ホアンと話をしている。
この子には生活がかかっているので、「いいお客がやって来た!」と思っているのだろうな〜・・・。
お風呂もしばらく入っていないような、顔もすすけて、着ている服も、おせじにも清潔とは言えない。
それでも、子供はしたたかに生きて行くのだろうなぁ。
交渉がまとまり、私は換金するドルをホアンに渡し、コロンビアペソを受け取る。
こんな事はやはり地元に暮らすホアンの様な者でないと、やっぱり分からない事だなぁ・・・・。
この少年も小銭をホアンからもらっていた。
何でもやって稼いで、暮らしの足しにしているのだろうなー・・・。

   安く換金してくれる所知ってるよ!   明るいストリートチルドレン

スリマはタクシーを拾い、ボゴタの街を見せて回って下さる。
もう夕方で間もなく日も落ちて来る。
人通りも少なくなって来ていて、きっといつものボゴタはもっとにぎやかで、活気があるのだろうなぁ。
シモンボリーバル広場は一応有名なので、広場を歩いてみる。
ヤクが観光客用の写真モデルとして広場に離されている。
大きな建物の前に面白い銅像がある。
じ〜と見ていると、あれッ!動いた!。ホアンが説明してくれる。
「あれはね、足元の器にお金が放り込まれたら動くんだよ」と。ああーパントマイムなんだ!
なるほど、ピエロの姿、中世の騎士の姿、農夫みたいな姿・・・・と様々の動く人形である。
じーと身動きひとつしない人形がいるかと思えば、せっせ、せっせと忙しく手や顔を動かしている人形もいる。
稼ぎの良い人形は、やはり忙しそうだ。
この人達は一日立っていて、いくらぐらいになるんだろう?背中がかゆくなったらどうするんだろう?
トイレに行きたくなったら??・・・・・なんて、素朴な疑問を抱いてしまった。

   シモンボリーバル広場   コロンビアの人にもヤクはもてもて

   おかさん!あそこ面白い物有るよ!行こ!!   見入りが悪いか?身動きひとつしない。

   じ〜と動かないのも、苦痛??   この中世騎士像は見物人が一番多く、盛んに動いていた。

今日は遂にコロンビアでの最後の夜になってしまった。
仕事を終えてフォルフェもボゴタに出て来られ、ホアンのマンションに泊まられる。
夜は皆で有ご飯を頂く事になっていて、その待ち合わせ場所に行く。
ホアンの両親はメキシコの大学にスリマさんが通っておられた時学生結婚された。
今夜は思い出のメキシコ料理を食べさせて下さるそうだ。

露店のカフェテラスでジュースを飲みながら、フォルフェを待つ。
さしずめ日本の秋小口といった気候で、ククタで年中常夏の気候に漬かっているスリマは
身を縮じめて寒がっておられる。
ククタとボゴタを行き来するということは、夏と冬を行き来するのと同じで大変だ。
ボゴタでセーター、ククタで半袖T−シャツという服装になるんだなぁー。

夕方7時頃だったろうか、フォルフェは息せき切って待ち合わせ場所に到着。
10分位歩いたところにあるメキシコレストランに案内される。
ほの暗いレストランの中では、ここでもやはり男性のカマレロ(ウエイター)がメニューを持って
出て来た。
本当の所を言うと、私達は殆ど食欲が無いのだが、今日は最後の晩餐である。
せっかくフォルフェが張り切って美味しい料理を食べさせようと思っておられるので元気を出そう!
メキシコ料理といえば、タコスしか思い浮かばないので、これを先ず注文する。
後はお任せで、いろいろ頼んでもらう。

薄い餃子のような皮にいろいろ包んで食べるのだが、2ケ食べるのがやっと。
「食べなさい!食べなさい!」と薦められて、3ケ目はやっとこさで喉を越す。
ああ・・もう私のお腹は限界だ。早く帰って休みたい。
こんな具合で、タコスの他に何を頂いたか記憶も定かでない。

フォルフェもスリマも、一生懸命私達を接待して下さったので、皆さんそれぞれに疲れ気味。
ホアンと私達、フォルフェとスリマと別々にホアンのマンションに帰る事に。
もっと身体の調子が良かったら、ボゴタの夜の街を散策しても良かったのだが、主人も
もうそんな気力も無さそうだ。
タクシーを拾ってマンションに直行。このタクシーの運転手と交渉して、明日の早朝6時に
迎えに来てもらう段取りをする。


   フォルフェにとってメキシコ料理はスリマとの良き思い出。   メキシコの雰囲気の漂うレストラン

時計は10時をまわっている。程なくスリマとフォルフェも帰って来られた。
明日の朝6時にタクシーを頼んだので、5時半起きか・・・・早いなぁ〜。ホアンは起きれるのだろうか?

主人が辛そうに咳をするので、フォルフェはいつも気を使って下さって、薬を手渡して下さる。
暑いお湯に溶かしたシロップ薬をもらって一息つく。

このマンションにはホアンの使っているシャワーはあるが、寒いので使う気がしない。
明日の朝はフォルフェとスリマは残り、ホアンだけが空港まで一緒に来てくれる事になった。
という訳で、このまま「じゃーおやすみなさい!」では、なにか物足りなさを感じた主人は
「少し話をしましょう」と切り出す。
思い返してみると、ククタでもフォルフェ、スリマを交えては、ゆっくりと語らう時間は全く無かった。
ホアンへの思い、そして二人にも日本に来て欲しい事など言いたかった。

まずコロンビアに来て思った事は、日数が少なくて、コロンビアの本当に美しい所には
行く事が出来なかったけれど、何よりも、ホアンとの再会が果たせた事。そして
ホアンを育てられた両親に会えた事への感謝。

ククタやボゴタの街を歩いて自分の肌でコロンビアを感じた事は一番の私達の喜びであり、
人々が日本に対する好意的な気持ちも肌で感じる事が出来た。
主人は日本に帰って必ず「コロンビアはコカインの国だけではありません!」と必ずHPに書きますから
と約束していた。
私は、写真で見ていたスリマさんのイメージがとても違っていた事を伝えた。
彼女はとても美しいかたで、感性がとても日本的で、その美しさにもかかわらず、楚々としておられ
私達がククタに滞在した間、気を使う事もなく、リラックス出来たと感謝の気持ちを伝えた。

フォルフェは今度来る時は、もっともっと2ヶ月位の休みを持って来てくださいと希望され、
「こんどはお二人が日本に来られる番です」と言ったけれど、やはりコロンビアから日本への道は
かなり遠そうであった。
ホアンはまた日本に来たくて仕方ない様子で、「安芸府の皆が募金を集めて、僕を呼んで下さい!!」と
虫の良い事を言って笑わせる。

フォルフェは、リタイヤメントライフを私達が考えている事を、ホアンから聞かれたのか
コロンビアに近い国にして下さいと要望。コスタリカもいいですよ・・・・と言われる。
さすが、コロンビアは住むには危険なのか??

話は延々尽きない気持ちがしたが、明日も早いので、このへんで休みましょうとフォルフェ。
お互い感謝、再会、お礼の気持ちをこめて抱き合いお別れをする。

私達がベッドに入ったのは11時過ぎ。
ホアンの狭いマンションなので、私達はホアンのベッドを、リビングでホアンとフォルフェ、奥の部屋でスリマ。
それぞれの思いを胸に、ボゴタの最後の一夜は更けていった。

   「コロンビアを直に感じることが出来てうれしかったです」   Takeshi 有難う!! Jorge

   「Gracias Aiko!!」   またきっと来て下さいね!「Gracias Takeshi」 Zulima




1月4日 (日曜日) 
ここは住宅街なので、朝は静かである。
5時半目覚ましの音で目が覚める。そ〜とトイレ、洗面所を使い、身支度を整える。
まだ、フォルフェ、ホアンも就寝中。
6時が近くなったので、主人はリビングに行き、ホアンだけを起こす為、肩をそーとたたく。
「ホアン!」と小声で話し掛けると、いっぱつで起きた。
どうして、主人が言うと起きるんだろう??
すぐにホアンも支度出来た様だ。そのうちフォルフェ、スリマも起きられた様子。
”キンコン”と下でタクシーが到着のベルが鳴る。
あ〜ぁ、遂にお別れか・・・・スリマ、フォルフェと最後のお別れを抱き合う。

下に降りると、夕べ約束したタクシーの運転手が車を横付けして待っている。
南米時間で絶対に遅れてくると思っていたのに15分前に来た!!
「8時からパーティです」と言えば10時頃集合するのだとホアンは言っていたのに。
やはり仕事となるとコロンビア時間は無いらしい。
荷物を載せて出発。
ホアンも半分まだ、頭はぼ〜としている様子。空港まで30分位だ。


   「いよいよお別れか・・・・」   「僕は泣かない、笑ってお別れだ! 今度は僕がまた日本に行くからね」

コスタリカではエリックは空港内に入れないので、外でのお別れとなった。
ここボゴタ空港でホアンはちゃっかり係員の人に何を言ったのかしらないが、一緒に施設に入る。
ところが、暫くしてホアンの後から入ろうとした人は、ダメを言われて、ホアンが入れたのを
見ていたので「彼は入ったではないか!」とひと悶着が起こっていた。
空港税を支払うのに手間取ってしまった。何度もこの空港を使っているはずのホアンは
あまり当てにならない事を実感。
空港税を支払う窓口に行き、支払いを済ませホアンと二階出入国の所まで行く。
ここからは、もうホアンは入れないのだが、簡単な別れを済ませたものの、
施設に詳しいホアンは、どこかを廻ってまた来るからとか言っていたので、
なんだか別れにならない別れとなってしまい、まだ心がボゴタに残っている気がする。

男の子のお別れはあっけないものだ。ホアンはケセラセラで、寝足らないので、
またすぐにマンションにでも戻って布団にもぐった事だろう。
これからヒューストンまで5時間ほどの飛行だ。
困った事に主人と席が別々のチケットになっている。主人は通路を隔てた席に座っている。
私はと言うと、左隣りは酒臭いアメリカ人(ような)男性、右隣りは背の高い中年男性が、
長い足を組んでこちらに領域進入している。その谷間で私は小さくなっての飛行だ。 
私も寝る事にしよう!!暫くの辛抱だ・・・。

再びアメリカ、ヒューストン空港に着いたのは、お昼過ぎ2時頃。
とりあえず、シェラトンホテルにチェックインをしよう。
タクシーに乗りシェラトンホテルまでと行き先を告げる。

このあたりは空港の周辺のホテル街である。タクシーは5分位でホテルに到着。
チェックインには少し早すぎたのか?アルバイト風の若い女の子が応対している。
私達は日本で予約済みだったので、すぐに部屋が用意されていると思っていたのだが
なにがいけないのか、女の子は部屋が無さそうな雰囲気で奥の部屋に入ったり出たりしている。
上司らしき黒人男性が指示してようやく部屋を確保された。
アメリカのホテルは日本の反対に土日が割安なようで、私達が泊まったホテルは
二人で10000円。日本で予約しないで、現地直接手配したら3000円程で泊まれる。

ホテル街なので、あたりにはレストランも何も無い。10分程歩いたところにやっとコンビニを見つけた。
私は全く食欲も無いので、主人の食べるものだけ物色。
珍しいものはと言えば、ラーメンが所狭しと並べてあった。金ちゃんラーメンではなく、丸チャンラーメンと
印刷されていた。アメリカ版巨大ジャーキーもあった。
飲料水とバナナ、パン等を買い早々にホテルに戻る。

   私達の泊まったヒューストン シェラトンホテル   セブンイレブンみたいなコンビニ

   食欲もないし・・・   ”丸ちゃんラーメン」

部屋に戻り、主人は帰る頃になって元気が出てきたか、お腹が空いたと言う。
私は兎に角ベッドに横になりたいので、立ったら胸のところまでありそうな、高いベッドに飛び乗る。
「気分が悪いから、私は先に休みま〜す!」と布団をかぶる。
結局そのまま、すやすやと朝まで寝てしまった。

   重いけど、ワインとウイスキー買うわ。   「あ〜ぁ、もう限界だわ〜・・・・」

やれやれ私達の旅行もどうにか終盤にさしかかり、外国で病院に担ぎ込まれる事も無く
無事帰れそうだ。
空港免税店で最後の買い物をする。ここでは、買ったものは飛行機登場口まであとから届けてくれる。
きっとセキュリティーの関係なんだろうか??買い物の中に持ち帰ってはならないものを
忍び込ませる事を警戒するのかなぁ、なぜか理解出来ないが・・・。
お酒好きの兄弟にワイン、ウイスキーをお土産に買った。

今朝はもうすぐ帰れる安心感か、すこし食欲もあるので、空港レストランで朝食を食べる。
何せ、一品たのんでも、量が多いので、やはり半分残してしまった。
主人は帰る頃になって逆に元気が出てきたのか、お皿は見事に平らげている。
まだ出発まで1時間あまりある。腹ごしらえもしたのでロビーをうろうろ散策する。

今回の旅行では、行く前からトイレの心配ばかりしていたのだが、コスタリカでもコロンビアでも
エリックやホアンの家での生活だったので、その心配は全く無かった。
お蔭で快適な旅行を楽しむ事が出来た。
パンプローナでは、ホテルのトイレを借りたけれども、いったいに排水事情は悪く
水が流れなくなってしまって、仕方なくそのままにして帰ってしまったのが今心残りになっている。
ホアンのマンションも排水は余り良くなかった。
極めつけは、ヒューストンのホテル。主人が出かける朝、いつもの様にティッシュペーパーを
山の様に使い、ついに排水しなくなって便器一杯の汚物を残して帰ってしまった。
チェックアウトする時に一応私が事情を説明してお詫びはしておいたが・・・。
黒人女性は、微笑んで「OK!]と言ってはもらったが・・・。ごめんなさい。
日本の様に水が勢い良く出て、瞬時に排水されるのが当たり前の生活になれているので
少々もどかしい。
主人の様にティッシュペーパーを山ほど使わないと気がすまない人は
外国生活は出来ないな!

そして、外国のトイレは映画等で見て知ってはいたけれど、下はスカスカに開いている。
これは犯罪防止の為にあのように下が開いた扉になっているらしいが、慣れないと落着いて
用足しが出来ない気がする。

私達の年齢では、せいぜい10日位が外国旅行の限界かな?と感じた。
長ければもっと半年、一年単位といった、その地に根付いた生活も楽しいと思われる。
今回は留学生の家族のかた達に大変お世話になったけれども、
彼らにも毎日の生活のリズムがあるので、接待も1週間くらいが限界かもしれない。
でも、コスタリカでもコロンビアでも手あつい接待をしてもらい本当に一生心に残る素晴らしい
旅となった。主人も身体の調子が良かったら、火を舐めたり、腕に針を通したり
空を飛んだり(?)と、ホアンの期待にしっかり答えてやれたかもしれなかったのだが・・・。

また何年か後に、りっぱになったエリックや、頭のうすくなったホアンに会いに行ける事を夢見て、
このコスタリカ、コロンビア訪問記を終える事にしよう。



1月5日 (月曜日)1月6日 (火曜日)
帰国の途に
主人の雑感

武 雑感
雑感 @ 日本製品について
コスタリカの町では、6割は日本車が走っていた。
何だか嬉しいような、果たしてこれで良いのか?と思ってしまった。(経済侵略している様な気がして・・・)
エリックの家では日立、CDプレーヤーはアイワであった。
ビデオ再生機は日本製でなかったが・・・
日本製の車やカメラ電気製品があふれかえっているのを見るにつけ、日本人が見えてこない。
私達が「ハポン」と珍しがられる。
どうも日本人を見る機会が数少ない様に思った。
エリックのお母さんは会う人毎に「この人はハポン!!私達を訪ねて来てくれたのよ!」と
得意満面に人に話している。
しかし、日本は物ばかり輸出せず、もっと日本人は彼の地に出かけるべきだと強烈に思った。
韓国製の車「現代(ヒュンダイ)」もコロンビアでは走っていたが安いので、一時的には売れたらしい。
中国人は彼の地に根付いている様で「チーナ」と呼ばれているが
日本人の様には尊敬されてはいない。商店や中華料理店のおやじ止まりだからか?
日本人の先人達は良品の輸出を通して良いイメージを彼の地に植え付けて来た様だ。
エリックにしても、ホアンにしても、世界地図で見るとゴミの様な国が、世界一素晴らしい製品を
送り込んで来る事を憧れの眼差しで見ていた。
だから留学先を日本に選んでくれたのだが・・・・。
果たして日本が彼らの期待に反しなかったかどうか・・・。
日本の若い人達に是非お願いしたいです。
物の輸出だけでなく、もっと、もっと人間も全世界に出かけて欲しい。
きっとビジネスチャンスはゴロゴロ転がっている気がしてならない。
そして、もうけた金を日本に持って帰ろうとしないで彼の地で使って欲しい。
それがグローバル化と私は思っているのだが・・・・

雑感 A 食文化について
コスタリカもコロンビアでも、これは!と思う食べ物には出会えなかった。
ただ、昼食を豪華に時間をかけて食べる風情なので、朝食も夕食もどちらかと言えば簡素なものであった。
朝食が果物やジュース主体であったのは、私には助かった。
60年間日本食になれた自分にとっては、昼食はなじめなかったのが本音である。
エリックとホアンは日本に来て、一週間でご飯が美味いと感じ始めた様だ。
米は彼らにとっては主食ではなく、おかずなのである。
だから色々味付けしてあったり、カレーの様なものと一緒に食べるのである。
日本に来て米の美味さを知ったらしい。
味付けしてないご飯とおかずを食べる習慣が身についた様だ。
エリックもホアンも「ご飯が食べたい」とねだってきた次第だ。
嫁さんの日本食料理が一番彼らに受けたようだ。
粗末な「スキヤキ」にでもさえ、タチアナとホアンの伯母さんは
大事そうに余ったすき焼きを家族に持ち帰っていた。
アメリカで「寿司バー」が定着したようだが、車や電気製品だけでなく、
日本食文化でも充分世界に通じると思う。
カップラーメン程度のものでも、あれだけ売れているのだし・・・。
スキヤキ、テンプラ、ラーメンなど充分彼らの味覚に合致するように思う。
「寿司バー」のような高級ブランドでなくお好み焼きのような大衆的なお店で
展開出来たら面白いと思うのだが・・・。
中、南米の人達にとって「ハポン」はやはり、一定の高級ブランドの香りがするのだろう。
コロンビアでは、「フォト・ハポン」という写真屋(DPE)さんが、全国展開をしていて、
店頭には1.5mくらいの「招き猫」が鎮座ましましていた。
現地に根ざしたやり方で、日本食屋を展開すればきっと成功を収めると思うのだが・・・・。
そうそう・・アメリカ人にしても、中南米人にしても、サシの入ったサイコロステーキを
食べさせたらどんな顔をするのかなぁ〜?
こんな肉が世の中にあるのか!!と腰をぬかす程びっくりするのでは・・・・。
しかし、主食が肉である彼らにとって、サシの入った和牛肉は不健康な
食べ物になるのだろうなぁ〜・・・・。
むつ濃くて主食にはならないだろうな!

雑感 B 卵立てについて
エリックとホアンのところで、若い衆を集めて卵立てをやった。
ホアンは私の事を日本の仙人の様に宣伝していたらしい。
「火は食べる、針を腕に通す。石を素手で割る。空を飛ぶ・・・」とまるで仙人である。
「おとさん、何かして!!」とせがんでくるので、卵立てとなった次第である。
私は風邪をひいてゴホゴホやっているので、嫁さんに代行させて、卵立てをする。
皆んなにも卵を全員持たせてやらせる。
なかなか出来ないので、ホアンは「コロンブスのたまご」は知っていたらしく
5分もしないうちに、底を少し割って、立ててしまった。
10分間位して、嫁さんたまごを立てる。
全員諦めて他の事をしたり、おしゃべりしていたのだが、立った卵を見てびっくり仰天。
今度は真剣にチャレンジして、一人、二人と卵を立てた。
ケセラ・セラの南米気質の若者にどうしても伝えたかった。
日本ではカラ雑巾をしぼってまで、何かを生み出している。「一般常識に捕らわれて、
絶対出来ないと思われている事にこそ、若い人達はチャレンジしていって欲しい!」と
伝えたかったのだが・・・どこまで理解してくれたやら・・・・。

雑感 C コロンビアの治安について
コロンビアはコカインのカルテルを結んだ勢力と、共産ゲリアの勢力と国軍とみつどもえの戦いがある。
ウリベ大統領になり、アメリカが援助して、相当国軍が頑張っているようだ。
しかし、南米では年間3000人の誘拐がある。
殺すのが目的ではなく、誘拐が産業として成り立っているようだ。
コカインはアメリカに潜水艦で輸出しているらしい。
ホアンが住んでいるボゴタのマンションは、24時間警備員が出入り口の扉を開閉している。
ククタの両親の家は、1Haの敷地を3mばかりの塀で囲み、5世帯の家が(600坪)生活している。
当然24時間守衛が車の出入りの度に門を開閉している。
街の中では、200m置きくらいに、武装警官が立っている。
交差点には、迷彩服の軍人が数人から10数人立っている。
しかし、どうも緊張感が感じられない。
人目に付くところに警官と軍人を配置する事によって抑止力を狙っている様に思った。
そして、何よりも若者に対しての失業対策の様に思えた。
ホアンも言っていたが軍の実戦部隊は山へ行っているそうだ。
街でホアン達と一緒に行動するには、全然危険を感じなかった。
しかし、山の中腹には、みすぼらしい家が建っているが、そちらは大変危険だそうだ。
当然、郊外も危険な所は多い。
外務省の安全指導には、絶対に長距離バスには乗るなと書いてあった。
ゲリラの臨検を受けて、身ぐるみはがされるそうだ。
首都ボゴタでは、ケーブルカーで山の山頂(標高3200m)に行くのに、駐車場からケーブルカーまで
300mくらいの道が危ないとポリスから注意があった。
注意に従い、我々はその300mの道のりをタクシーで行った。
やはり、裏道みたいな所はかっぱらいが横行しているようだ。
事情の分かった現地の人と歩けば、まあ危険な事に会う事は少ないように思う。
ホアンの父母がお別れの時、コロンビアの危険性について、気にしていた様だったので、
「ありのままをHPに書きます」と伝えた。

中南米には仕事をリタイヤして行こうと思っていた。
嫁さんが「行こう!行こう!」と騒ぎ立てるので重い腰を上げる。
まあ、歳をとって14時間も時差のある国に行っても、身体が堪えられるか分からないので
思い切って行く事にしたのである。
外務省の海外旅行案内の危険度は3(渡航の延期をおすすめします)であった。
息子達に遺書?まで書いて出発した次第。
風邪を引いてずっとゴホゴホやっていた。
しかし、人生最高の旅行になった。
旅で見る名所や絶景はいつかは記憶が薄れていく。
しかし、人とのかかわりや心のふれあいは歳を経るごとに深まっていくように思う。
ホアンやエリックとの再会も嬉しかったが、彼らの家族や縁者との心のふれあいは
最高に嬉しかった。
又いつかは訪ねてみたいとしみじみ思っている。

追記・・・

ホアンの無二の友人だった由也が2月23日にオーストラリアに向け出立した。
一年近くバイトをして、ワーキングホリデイの制度でいった。
この一年のうち、2回ばかり泊まりに来てくれたが、その度に励まし続けた。
親に一円も出してもらわず、自力で日本をあとにした。
オーストラリアで有意義な日々を過ごして欲しい。
そして自分の人生の大きな転機を掴んできて欲しい物だ・・・・
彼に心からのエールを送りたい。

ホアンのもう一人の無二の友人だったコッシーは、大分の国際大学で勉強中だ。
彼も先日我が家に泊まって沢山話をしてくれた。
学生の半分以上が世界から来た留学生らしい。
東欧の留学生たちは往復5万円のエアーチケットで行き来しているので、
彼らに頼んで、夏休みは東欧に行くと張り切っていた。

麗奈はエリザベート音大で頑張っている。
彼女もこの一年のうち、3回ばかり泊まりに来てくれた。
私達夫婦と話していると元気が出るようである。
エリザベート音大はお嬢さん学校なので真の友達が出来ないとこぼしていた。
今は、一週間に6日間コンビニで夜9時から朝1時までバイトをし、
さらに土日に散髪屋でバイトをしている。
学費の足しにしたり、イタリアへの留学の準備をしているのだ。
私達夫婦には娘が居ないので、そんな麗奈を見ていると愛おしく、
頑張れと心からのエールを送るのである。

ホアンの通った安芸府中高校の国際学科の生徒は優秀で、全国に散って行ったが
色々頑張っている様だ・・・・
彼らの頑張りを見ていると、日本の将来も満更では無いな・・・と安心するのだが・・・

何時の日か、ホアンが日本に来て、安芸府中高校の国際学科の生徒だった人たちと
会合をもつようなことがあればどんなに素晴らしいだろう・・・
そして私達夫婦が生きていれば是非声をかけてもらいたいものと、心から願わずにおれない。