パッちゃんと稲垣夫婦のホームステイ日記
タイ訪問記
愛子 記
2007年 3月 |
3月21日(水曜日) a 2005年7月から2006年3月まで我が家にタイからの留学生、パッチャラポーン・レクノイ、 通称パッちゃんがホームステイしていた。 丁度昨年2月帰国してから一年経った。帰国してからも、MSN,やSKYPEを通していつも会話をしている。 日本での留学生活は、それはそれは彼女にとっては夢のような日々だったようで、 「日本に帰りたい!!日本に帰りたい!」が口癖になっている。 そして、今度は私達にどうしてもタイに来て欲しいと常日頃言ってくれていた。 彼女も丁度今は春休みで、4月からは首都バンコクの塾に行き、5月から新学期が始まる。 そんな訳で、それではタイのパッちゃんに会いに行こうか!と10日間程の予定でタイ旅行が決まった。 リタイヤしてから、私達はお金さえあれば、時期、曜日を問わず旅行出来る身分となった。 が・・問題は旅行代金である。早速インターネットや旅行会社等で格安タイ旅行を調べる主人。 10日間の日程だが、前半はツアーを利用してバンコク近辺の観光。 後半をパッちゃんの住んでいるペップリという町を訪れる事にした。 21日朝9時40分広島空港発バンコクエアウェイズにてバンコクへ。現地時間では午後13時50分着予定。 広島空港でパッちゃんへのおみやげのもみじ饅頭、つけ麺、ぱっちゃんのお父さん、お兄ちゃんのT−シャツ等を買う。 タイ時間は日本より2時間マイナスだ。現地の気候は暑い!!35〜6度らしい。飛行時間は6時間。 新しく出来たスワナプーン空港へ到着すると、現地ツアーガイド、アーシャワットさんが出迎えてくれた。 彼は日本語を一年間勉強したという事だが、私達のいう事はちゃんと理解出来、とても一年間の勉強とは思えない。 ホテルに向かう車中で、明日からのツアーについての説明などを聞く。 30分ほど車のごった返すバンコク市内を走り、今夜から泊まるホテル、Classic Place Hotel に到着する。 部屋で早速汗を流し、少し休んでホテル周辺を散策する。 ペッチャブリ(ペップリ)という駅、また日本大使館などが有る。街はほこりっぽく、車、バイクが賑やかに行き交っている。 街を散策してまず目に入るのが1メートル四方くらいの小さな露店。 ジュースやアイスクリーム、ココナッツジュースなど誰が買うのだろうかと思うのだが、それでも5〜10m間隔でならんでおり、 お店というにはちょっとほこりっぽくて買う気持ちにはなれない。 タイの通貨はバーツ。1バーツは日本円で3.5円位。物価は日本の三分の一位。 という事で日本人がリタイヤメントライフで、タイが人気のあるのは物価の安さにもあると思える。 今夜はこのホテルのレストランで夕食だ。タイに来たら本場のトムヤムクンとばかりに、早速それをオーダーする。 タイ料理の特徴は、沢山の香草を使っての料理。そして辛い!という料理のイメージもある。 もともと辛い料理もあるのかもしれないが、幸いな事に自分で辛さ調節が出来るように、 小さな器に辛いトッピングが置いてある。 欲張り過ぎてあれもこれもと頼んだ主人、最後はヒーヒー言いながら、無理矢理お腹に押し込んだ。 明日の朝は10時ロビー集合なので、少し遅くまで寝られそうだ。 ベッドに入ると、お腹満腹と飛行機疲れですぐにZZZ・・・。 |
3月22日(木曜日) さて今日はバスでバンコク市内の離宮、アユタヤ王朝の遺跡観光だ。 フロアーに降りると既にガイドのアーシャワは待っていた。 そして今日一緒に観光する5人の若いお嬢さん達と顔合わせをする。 小型のマイクロバスに乗り込んで出発だ。最初に訪れたのは、バーン・パイン離宮。 広い庭園の中には様々な離宮が点在している。お寺を見てもどんな歴史を持つ寺なのかよくわからない。 ただ広い敷地の中にある植木がいろいろな動物の形にきれいに剪定されているのが、とてもきれいで面白い印象だった。 象、うさぎ、キリンなど大小の形の動物がきれいに刈り込まれ点在している。若い女の子達は「かわいいー!」を連発しながら お互いにデジカメに納まっている。 大きな3つの宮殿を見た後は、象乗り体験が待っている。 一頭の象さんに二人づつ乗れるよう、箱型の椅子が背中に取り付けられている。 象の背中にのるべく、はしご段を上がりそこからのると、象使いのおにいさんがヒモを引っ張りながら、 公園をぐるりと5分くらいで歩いてくれる。 途中他の象に乗った人がお互いのデジカメを交換し、写真を撮るというサービスもしてくれる。ものの5分ほどの 象乗り散歩だったが、けっして乗り心地が良いとは言えない。 私達シルバーエイジには何だか足腰の骨がずれそうであった。 でも生まれて初めてのこの体験で、象さんの背中からの視界は思ったより高く、乗り心地さえ良ければ、きっと楽しい事だろう。 一日の観光予定を終え、夕食は街中のレストランでの中華料理だ。 お昼と夕食を若いお嬢さん達とともにし、だいぶお互いを知る事が出来た。3人のお嬢さん達は富山から来たお友達。 二人組みのお嬢さんは岡山からで、大学を卒業して晴れて社会人としてスタートするという。 皆さんとても感じの良いお嬢さん達で、ぐっと年齢も離れているし、夫婦でもあるので 彼女たちにとっては安心して話しかけてくれるようだ。 夕ご飯を食べた後は、もう一度ライトアップしたアユタヤ遺跡を外側から見物し、ホテルへと戻る。 タイ旅行の前に、”ありがとう”ぐらいはタイ語で言えるようにと勉強した。 ありがとうは・・コップンカー(ップ) こんにちは・・・サワディーカ (ップ) ップ・・と言うのは男性が言う場合だ。その他の言葉は全くわからない。タイ語の文字をみると頭がくらくらする。 まるで呪文のような文字なのだから・・・。 |
3月23日(金曜日) 今朝の集合時間は7時半。昨日と比べなぜこんなに早いかというと、今日はバンコクから2時間半ほどの 距離のあるダムナン・サドワクという水上マーケットに行くのだ。 この観光運河には夜明けとともに400隻以上もの手漕ぎの小船が果物、野菜、日用雑貨を満載して集まってくる。 その為バンコク市内はもとより、外国人観光客も沢山押しかけ,ごった返すそうだ。 車で走ること2時間。マーケットへの途中ココナッツの椰子園に寄り、休憩兼椰子で砂糖を作るところを見学する。 勿論ココナッツのお菓子や砂糖、ココナッツの実を割って飲めるようにして売っている。 試食で食べてみるととても美味しく、お土産にと何個かお菓子を買う。安い事にも感激。 再びバスに乗り込みマーケットへ向けて出発。しばらくして船に乗り換える。ここからは船で市場へ向かうようだ。 船はエンジン付きの長いボートで、かなりのスピードで巾3mくらいの川を走っている。 川の両側には高床式の家もあり、ベランダには沢山の鉢花や、様々の観葉植物、ラン類などが置かれきれいである。 ここに暮らしている子供達は学校へも行ってるんですか?とガイドのアーシャワーに聞くと、 「ええ、近くの学校に行っていますよ」との答。 タイもとても勤勉な国と聞いているので、小学校、中学校は義務教育で学校へはちゃんと行くようだ。 けれども昨日訪れた宮殿のあたりで小さな子供達が遊んでいたのを見て、どうして今の時間に子供が遊んでいるんだろう? 学校に行ってないのかな?と疑問に思った。 後から考えてみると、今はパッちゃんもそうだが、春休みなんだなーと気がついた。 ボートで走る事30分。前方がなにやら賑やかだ。ああ!水上マーケットに着いたんだ。 船着場にボートを横付けし降りると、目の前には沢山のお店が並んでいる。 食べ物屋さん、衣類のお店、おみやげ物のお店。装飾品。 一時間位ウロウロしながらお店を廻ってみる。まずはなにか珍しいものを食べてみようと食べ物屋さんを見て歩く。 バナナの揚げたものが40バーツ(日本円で150円ぐらい)で売っている。 ココナッツを使ったお饅頭みたいな餅を椰子の葉にくるんで20バーツで売っている。 2ケほど買って食べてみる。とても美味しい。 沢山、沢山も品々を見たけれどもそれほど買いたいと思えるものがなく、椅子に座り集合時間を待つ。 一緒のお嬢さん達はなにやら袋をかかえて集合場所に帰ってきた。 再びバンコクに戻り、市内のホテルでバイキングの昼食を頂く。 午後からは、ワットアルン(暁の寺)とエメラルド寺院の見学である。 この寺院はタイで最も格式の高い王室寺院で、1782年バンコク遷都に合わせて建立された寺院である。 本堂に祀られている本尊がエメラルドのような色をしたヒスイで作られているため、別名エメラルド寺院とも呼ばれている。 私達のように外国人観光客だけでなくタイ人の参拝客で毎日賑わっているという。 中にもはいる事が出来、本堂に有る仏像も美しいエメラルド色をしている。 次に訪れたワット・アルン(暁の寺)は三島由紀夫の小説「暁の寺」の題材ともなっており、朝日に輝く姿だけでなく、 夕日に浮かびあがる独特のシルエットもまた美しいお寺だ。 表面には無数の陶器の破片が埋め込まれ、陽光を受けてキラキラと輝く。 また塔には小さな鐘の装飾が施され、風に揺れ可憐な音色を響かせている。 この仏塔はやはり遠くから見るほうが美しい!! さて今日の観光も予定通りこなされ、観光客定番の免税店へと案内された。 ガイドのアーシャワーは「別に買わなくていいんですからー!」と言っている。 私も主人も余り物欲がないので、一通り見てから椅子に座って休む。 それより何より、食い気だ。 今夜の夕食はあの小泉首相も訪れたという「ソンブーン」レストランでカニカレーと海鮮料理を楽しむらしい。 二階に案内されて丸テーブルに付くと、早速次々と中華料理が運ばれてくる。 だいぶ仲良くなった5人のお嬢さん達と楽しく会話をしながら夕食を堪能する。 岡山からの二人のお嬢さんは明日には日本へ帰国らしい。 夕食を終え、空港に行く為マイクロバスが迎えに来ていた。 私達と富山組のお嬢さん達とで、彼女たちを見送り分れを惜しむ。 やはり旅は観光名所をいくら見ても、わぁ〜きれい!すごい!で終わるけれども、 こうして人とのふれあいは心にいつまでも残るものである。 ほんの2日間一緒に旅しただけだけれど、マイクロバスの中の二人に手をふると、 涙ぐんでいつまでも手を振りメールのやりとりをお互いに約束する。 |
3月24日(土曜日) さて私達のツアーでの旅行日程も観光は昨日で終わり、今日は自由行動となっている。 朝食をホテルのレストランで終え、今日をどう過ごすか主人と話し合う。 少しバンコク市内を歩いたり、地下鉄やアストラムのような電車も走っているので、それに乗ってみようと話す。 タイは4月が一年の内で一番暑い時期らしい。いわんやこの3月も蒸し暑く35度以上ありそうだ。 市内は車、オートバイが競って走っており、その間を人々は信号なんかそっちのけ、車の切れ目を狙うように横切るのだ。 これでよく事故が起こらないなぁ・・・と感心する。 大都会バンコクの移動はまず乗り物だ。高架鉄道BTSと呼ばれているスカイトレン、 そして2004年に開通した地下鉄、市内を網の目のように結ぶバスなど。 更にタクシーやトゥクトゥクと呼ばれる名物三輪オートバイタクシーなど。 ガイドのアーシャワーのいう事には、トゥクトゥクやタクシーもお薦めだが、タクシーに乗るときは、 ホテルの前で拾うタクシーは運賃をぶっかけられて要注意というではないか。 だからタクシーは市内を走っているのを捕まえなさいと言われた。 日本とは反対なの? ホテルにいちばん近い駅はペッチャブリという駅だ。そこからまず地下鉄に乗ってみることにした。 地球の歩き方の本を見ながら地下鉄の改札利用法を研究。タイの自動販売機でキップを買ってみる。 土日だけ開かれるウイークエンドマーケットがチャトゥチャックパークという駅近くの街で 開かれているらしいので、それに行ってみる事にした。 タイの地下鉄は中心部のみを走っており、とてもわかりやすい。 そして車内はクーラーが冷たいほど効いておりとても快適だ。 私は地図はまったくダメ人間だが、そこは主人、構内にある案内板をみてすぐ理解出来るようで、 簡単にマーケット市場に到着だ。 この市場もおびただしい数の店が一軒間取りのように小さな露店だが、所狭しと品物が並べてある。 タイはこういったところが全然日本と違うなぁー。ほこりがたち汚いけれど、人々はそれをものともしていない。 お店の前に置かれた椅子に座りラーメン、野菜炒めのようなもの、甘い果物、ジュースなど飲み食いしている。 うかつに食べようものならきっと私達のような華奢なお腹では、すぐ腹痛を起こすだろうなぁ・・と思う。 市場の中ではお店ばかりでなく、女学生が笛を吹いている。曲は”蛍の光”だ。その前に募金箱のような箱が置かれている。 また4〜5人の男子高校生らしきグループが楽器演奏したりと様々である。 売り子は大人だけではない。小さな男の子や女の子もいる。 つい可愛そうで買ってしまう。 暑さと歩き疲れで私達もジュースを飲んで一休みし、このマーケットを後にする。 あまりに暑いので、快適な地下鉄に急いでもどり、所定の駅に降りずに往復し涼む。 タイは指圧マッサージも有名で、女性の場合はバリと同じ様にスパの体験もいいのだが、 今日はこの路線沿いにあるマッサージ屋さんに行ってみることにした。 本に依ると”全身がほぐれるタイ式マッサージ”と出ている。 ここは目の不自由な人々の経済的、社会的自立を目的として設立された店と あり、技も確かで安心して利用出来るとあるので、ここに決める。 お店に入ると白い服を着た何人かの指圧師の人がいる。まず靴下ストッキングを脱ぎ足を石鹸で洗ってくれる。 一時間200バーツ、日本円では600円余りだ。まだ日も明るいので2時間コース(350バーツ)でお願いする。 実は私達の泊まっているホテルのすぐ横にもマッサージ、指圧のお店があり、2回ほど行った。 このお店にも3人のマッサージ師がいるのだが、この中の一人の女性がなかなかの指圧師で、 力も強く、もまれ応えがあるのだ。 主人はこの指圧師をとても気に入り、2回も通うことになったのだが、それと比べると、いまいちこのお店のマッサージは 強くて満足という程でもなかったが、きっちりと2時間やってもらい、少し疲れも癒された。 私達と一緒に観光した富山からの3人組みのお嬢さん達が今夜日本へ帰国する。お迎えの車が8時だと聞いていた。 夕食をこのホテルのレストランで済ませ彼女たちを見送る為にフロアーに行く。 既にアーシャワーが来ており、3人組のお嬢さん達もスーツケースを引きずりながらフロアーに降りて来た。 顔をあわせると、あーぁ!と嬉しそうな顔。今日は皆さんどこに行かれたの?と聞くと、「スパ!でーす」と得意顔。 バリでのスパの話をしっかりしておいたので、タイで王女様気分を味わい、顔、髪、爪のエステ。そして花びらのちりばめられた お風呂に入り至福の時を味わってタイの最終日とされたようだ。三人とも満足!満足!という表情だ。 ガイドのアーシャワーは髪を短く切ってこれも様変わりしている。3人の日本女性を一日ガイドしてちょっと男前になってみた? 彼女たちはこれから空港へ送ってもらい、今夜遅くの飛行機で日本へと帰国する。 しばしの一緒に旅だったが、寂しそうに私達と分れを惜しんでくれた。Mixiもやっているというので、マイミクお願いした主人だったが・・・ さて返事はあるのでしょうか??? 私達もいよいよ明日パッちゃん一家が私達を迎えにこのホテルに来てくれる。ぱっちゃんとは一年ぶりの再会である。 一応10時にと約束している。パッちゃんのお父さんやお母さん達と初めて会うのだ。とても楽しみだ。 |
3月25日(日曜日) 朝7時に起床。10時頃にはパッちゃん達が来るので、急いで朝食に。 今朝はもうこのホテルはチェックアウトするので部屋に戻り荷造りをしていると、パッちゃんから電話。 近くまで来ていると言う。後30分位ねと言うので主人は「ちょっとトイレ」と言って駆け込む。 するとすぐに私達の部屋をコンコンとノックする音。エッ!!ドアを開けるとパッちゃんだ。 続いてぞろぞろとパッちゃん一家。 えー!普通だったら、面会はロビーでするのに、お父さん、お母さん、弟たち2人までいる。 すぐにパッちゃんが「おかあちゃん!!!」と甘えた声でしがみつく。 そして主人の姿が無いので、「エー!お父ちゃんは??」という。 !”トイレ!” 部屋のざわめきに主人も慌ててトイレから出てくる。 そしておとうさん、おかあさん、弟たちとよく来たねー!と挨拶を交わす。 パッちゃんは主人を誰よりも尊敬している。今ではタイのおとうさんをもしのぐのではないか・・・・。 そんなわけでトイレから出てきた主人に「おとちゃーーーん!」と抱きついてくる。 タイ語はサワディーカーしか全く分からないので、ただひたすら手を取り合いサワディカーを繰り返すだけである。 10時と言ったが、だいぶ前にロビーに来ていて、フロントで「一年ぶりの再会なんです!!部屋に言ってもいいですか!」と 無理を言って私達の部屋へ入れてもらったらしい。 パッちゃんのお父さんは警察官。 パッちゃんに言わせれば、かつてはスラリとしてとてもかっこ良かったらしいが、今はすこし太り気味。 お母さんは色白でぽっちゃりした女性だ。 そして弟の名前はウー。もう一人身寄りの無い子を引き取って育てておられ、彼の名はガイ。 ウーと同じ年齢で、一緒に小学校に通っている。 私達を迎えに朝早く起きて延々2時間車を飛ばして皆で来てくれた。 これからパッちゃんの住んでいる、ペップリ(ペッチャブリ)という街に戻るのだ。 お父さんの車に私達の荷物、大きなスーツケース2ケ、お土産が入った大きなバッグの3ケを押し込み出発だ。 パッちゃんの日本語は私達といつもMSN、SKYPEで話をすることも効を奏してとても流暢である。 頭もよいので飲み込みも早い。 車の中での会話はすべてパッちゃんが橋渡しをしてくれる。 弟たちもパッちゃんから教わって、「おとうちゃん!おかあちゃん」を連発している。 ガイがパッちゃんの家にもらわれて来たのは、パッちゃんが日本から帰って程なくの事で、 最初はパッちゃんのおばあちゃんの家で育てられたそうだ。 しかし、高齢な事と、ガイの将来の事、学校の事などを考えて、パッちゃんの家で面倒みることになったそうだ。 私達も前からそのことを聞いていたので、ウー!とガイ!と同じ様に接してやることを心がけた。 一時間半ほど高速道を走り、とある海辺のレストランに入った。 レストランというと聞こえはいいが、水上に作られたお食事所。 ペッチャブリは海に近い街で、新鮮な魚料理が食べられ、ここはバンコクからも沢山食べに来るんだとパッちゃんの説明。 お母さんは次から、次へと注文し、食べて!食べて!と勧められる。 私達は朝ごはんをホテルで食べているので、そんなに食べられない。 それより、パッちゃん達は朝食も食べずに車を飛ばして来ているので、皆さんこそどうぞとゆずりあい。 なるほど海辺のレストランだ、カニ料理、海老料理がふんだんに出てきて、とても美味しい。 おおぶりのカニをぶつ切りしてカレーソースで炒溶き卵でふんわりからめてあり、それはそれは美味であった。 まずこれは私達の口に合った。後は魚のすり身をまるめて油で揚げてある。 まさに日本のさつま揚げだ。これもあついのに甘いたれを付けて頂くのだがとても美味しい。 もう一品、まて貝を野菜と一緒に炒めたのもとても美味しかった。 食べていると14〜5才の小太りの男の子がなにやら売りに来た。 手に持った袋の中には長〜い30cm位の竹のような緑の物が見える。 長いものは100本くらいあろうか。お父さんがそれを買っておられ、少年はそれを全部置いて行った。 パッちゃんに「これ買われたの?」と聞くと「そうよ、全部ね」 ええ!!全部??? お父さんはそれを一本手にとって、真ん中あたりを止めてある串を抜いて開き、 中から出てきた紫色をしたものを口にほおばる。 不思議に思いパッちゃんに聞くと、ココナッツと米の粉を使った餅菓子みたいなものらしい。 珍しく思い私達も食べてみる。なるほどもちゃっとしてほんのり甘い外郎のような餅菓子だった。 長いのはバナナの葉っぱでその中に入れて蒸して作るらしい。それにしても100本もあろうかというこのお菓子。 おとうさんはお好きと見えて次から次へと口に入れ、あっという間に5,6本たいらげてしまった。 私もこれは好きだ。美味しい!美味しい!ココナッツの香りがとてもいい。 お腹いっぱいに食べ、再び車に乗り出発。もう程なくパッチャンの街である。 今夜は家から30分位のところにホテルを取って下さっているので、パッちゃんと私達3人でそこに泊まる予定だ。 先にそのホテルに荷物を置き、家の方に向かう。 家ではお兄さんがバンコクに出ているので、部屋は空いているのだが、狭いからと言ってわざわざホテルをとって頂いた。 家に着くと、まず4匹の犬がワンワンと賑やかにお出迎えだ。タイは犬が沢山いる国で有名。 なるほどバンコクでも猫は数引きしかみなかったが、犬はあちらこちらに沢山いた。 べつに噛み付くような犬には見えなかった。ただ暑いのでごろりごろりとして寝ている犬、 食べ物をあさっている犬などが沢山いた。 パッちゃんの家でもお母さんが犬大好きらしく、大きい犬から、小さな室内犬まで6匹もいる。 お兄さんの部屋をかしてもらい、持ってきたお土産を店開きする。 お父さんはまだ仕事があるのでと、家に着くなり仕事場に出かけて行かれた。 ウーもガイも部屋に来て私達のお土産を楽しみに待っている。 次から次に出てくるお土産に、目をキラキラさせ、ひとつひとつ手に取り大喜びしてくれる。 タイでも日本のアニメは有名で、ドラえもん、ポケモン、ディズニーのミニちゃんなど。 という事でドラえもん絵入り文房具や色紙、手品、チョコレート等いろいろ持参した。 おかあさんには資生堂の化粧品。おとうさんには歌舞伎絵入りT−シャツ。 パッちゃんの注文で、もみじ饅頭とつけ麺。 パッちゃんの家族に日本の料理をしてあげようと思い、海苔や酢、醤油なども持参した。 ウーやガイに持ってきた手品をやってみせる主人。口をあんぐり開け、目を白黒させている。 パッチャンのお母さんはというと、私達にと次から次へと買ってきておられたお土産を手にして、部屋に入ってこられる。 壁掛けの彫り物、バッグ、お茶、栄養剤に至るまで。申し訳ない気がしてきて、コップンカーを連発する。 「遂には私に洋服をあげましょう」とT−シャツ、スカート、果てはブラジャーまで持ってこられ、 私はストリップまでする羽目になってしまった。 私はなで肩なので、ブラジャーの紐がいつも下がって、肩こりの原因となっている。 お母さんが下さったものは、ワコール製でなんとこれがぴったりとフイットし、ラインがきれいに見えるではないか。 それもあげましょう」と言うように、あごをしゃくって私に微笑みお母さん。 今度は果物を手に抱えて入ってこられ、皮を剥き私達に勧めて下さる。タイの代表的なフルーツで”スターフルーツ”という。 切ったら星の形になるのだ。頂いてみると、そんなに甘くはないが、みずみずしい果物だ。 今度はパッちゃんに近くの屋台でジュースか何か買ってくるように言われている。 パッチャンがオートバイで一緒に行こう!と誘う。イヤー今お腹いっぱいだし、後でいいわよ!と断る。 お母さんの気持ちは一生懸命で、とてもありがたく、嬉しかった。 ことばが通じないだけに、そのぶん気持ちがあふれ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 さておみやげ披露が一段落し、しばらくクーラーの効いたこの部屋で涼む。 ひと寝入りした後、パッちゃん念願の街をオートバイで走り回るのだ。 パッちゃんの後に私と主人を乗せ3人乗りだ。なぜか主人だけがヘルメットをかぶせられる。 勿論3人乗りなんて違反なのだが、街のあちらこちら二人乗り、三人乗りと堂々と走らせている。 街にバイク屋さんも多いという事は、市民の重要な交通手段となっているのだろう。 ぱっちゃんはまず自分の通う学校へ案内してくれた。なかなか立派な学校だ。 日本に一年留学したので、今のクラスの中では1才年上となる。ぱっちゃんはそれが嫌でたまらないらしい。 でもクラスではいつも成績はトップクラス。頭もいい子なので、さもあらん。 校庭に入りかけると丁度ぱっちゃんの生物の先生が車から顔を出して話しかけられた。 ぱっちゃんは日本に行っていたときのホストファミリーですと紹介していた。 オートバイには毎日乗っているぱっちゃんなので、安心して乗っていられた。街の中を走り回って家にもどる。 お父さんはお仕事がまだ遅くなられるようなので、パッちゃんの家の近くの屋台レストランに皆で夕食に出かける。 屋台レストランのおばさんに「お父さんと来たの?」と言われてパッちゃんは大喜びなのである。 主人がタイ人に見えたのか?、パッちゃんに似ていたのか?・・・・ 当然パッちゃんは主人に似ているということで、大喜びなのであるが・・・ 200年前は主人の子供であったと、信じて疑わないのである!(占い師か何かに言われたらしいのだが・・・) 夕方は私達の泊まるホテルに、これもバイクの3人乗りで向かう。 パッちゃんはこの日を何よりも楽しみにしており、今夜のためにわざわざネグリジェを新調し、るんるん気分でいる。 パッちゃんはおとうちゃんと3人でお風呂入るのも楽しみにしていたのだが、これはいかに言ってもはずかしい主人。 主人はパッちゃんが私と話している間にさっさとお風呂に入ってしまった。 あとからそれに気づきギャーギャー文句を言っているパッちゃんだった。 日本に居る時、私とはいつも一緒にお風呂に入っていたので、それではと二人で入る事に。 丁度その時部屋のドアがノックされ、おとうさんがお仕事帰りに寄られたようだ。あわててシャワーもそこそこに出てご挨拶。 今日ろくろく接待出来なかった事を詫びられる。娘のパッちゃんはやはりお父さんは煙たいらしく、早く帰って欲しそうだ。 10分ほど明日の予定など話したあと、そそくさと帰られた。 パッちゃんはこれでやって安心とばかり、私達と手を繋いでベッドに横になる。 半分子供、半分大人になりかけのパッちゃんである。 |
3月26日(月曜日) 朝7時にパッちゃんと二人で家に戻る。実は朝早くお坊様が家を一軒一軒廻り施しを受けられるらしい。 各家の前には用意したご飯、スープお菓子類の3種類が椅子の上においてあり、お坊様の訪れを待っている。 しばらく待っていると、タイ独特の黄色い衣に身を包んだ若い僧侶二人が、パッチャンの家の前に立ち止まられた。 お母さんは私にお坊様の持っておられる入れ物にご飯、供物を注ぐように言われる。 まずご飯を大きな金のボールのような入れ物に注ぎ、ナイロン袋に入ったスープとお菓子を肩にかけた袋に入れる。 しゃもじで掬ったご飯が上手く入れられず、これでいいのかしら?と思わず言ってしまい、ぱっちゃんから「おかあちゃん お坊さんと口きいたらいけんよ!」とたしなめられてしまった。 終わると二人の僧侶は念仏を唱えて下さり、私達はひざまずいて聞くのである。 きっと何か有り難いお言葉を頂いたのであろうなぁ・・。 パッちゃんのお母さんは、これを私に経験させてくて、朝7時にホテルから帰っておいでといわれたようだ。 朝ごはんの用意も出来て、パッちゃんとホテルにまた取って返し、主人を迎えに行く。 今日はもうこのホテルをチェックアウトし、今夜はペッチャブリのリゾート地のホテルで皆で過ごす事になっている。 朝ご飯はおかあさんが腕によりをかけて作ってくださり、魚を丸ごと揚げて、あんかけのようにしてあるものや、 オムレツや果物、スープと沢山容易して下さっている。 涼しいおにいちゃんの部屋で、皆揃って朝食だ。でもお父さんはすでにポリスステーションに出かけておられた。 ウー君もガイ君も私達と一緒に朝食を食べる。二人とも素直でとってもいい子だ。 ガイ君は引き取られた時はとても健康状態が悪かったそうで、歯もガタガタで痩せていたそうだ。 今では食事もおかあさんが無理矢理でも食べさせて、だいぶ元気になったらしい。 利発な子でとてもかわいい。 朝ごはんを食べた後、お母さんと街の市場マーケットに買い物に行く。 パッちゃんはオートバイで、私達はお母さんの手配されたトラックタクシーで向かう。 タクシーと言っても日本のそれとは似ても似つかない乗り物。 軽トラックの荷台の両端に長いすを取り付けた窓も何もないもので 長時間乗るときっとお尻がぼこぼこになるだろうなぁー。タイは暑いので、風を切って走るこのタクシーは快適だ。 やはりその地に合った乗り物なんだ! そのタクシーに乗って15分くらい走るとなにやら賑やかな街並に入って来た。ここは何でも市場。 魚有り、果物有り、食品有り、雑貨有り、理髪店有り・・・とにかく何でも揃うマーケットだ。 新鮮かどうかはちょっと疑問だが、海老、カニ、鯛、貝、干物。 そして野菜は沢山の香草がかごのようなものに山ほど積まれている。 パッちゃんのお母さんは投げるように次から次へと買っておられる。 私も何か日本料理をと思ったが、なかなかそれに見合う食材が無い。 とりあえず今夜は持ってきたつけ麺を作る予定なので、キャベツとねぎを買った。 そして美味しそうな珍しいお菓子も買ってもらう。 一旦家に戻り、これからペッチャブリから南へ一時間半くらいのリゾート地ホア・ヒンに連れて行って下さるようだ。 ドーンさんというガイ君が面倒みてもらっていたおばあちゃんの親戚の人なのだが、彼が車を運転して一緒に行くそうだ。 ガイ君はドーンさんが来たのでとても喜んでうれしそうだ。 今から行くホア・ヒンという所は、ラーマ7世の離宮、”クライ・カンウォン”(愁いなき館)が1928年に完成して以来、 今日に至るまで王室の別荘がある地として知られている所。 ホア・ヒンというのはタイ語で「石の頭」と言う意味だそうで、ビーチには岩が多く、プーケットやサムイ島のような 南国ムードはあまり感じられないが、それでも世界各地から観光客が訪れる地でもある。 白砂のビーチには鳴き砂エリアもある。歩くとさくさくとして決め細やかな砂を足の裏で感じる事が出来る。 訪れた人々は海に浸かったり、パラソルの下でマッサージをしてもらっていたり、本を読んだり、日光浴をしている。 目ざとい主人はずっと遠くにパラグライダーを見つけた。 ウー君、ガイ君を連れて近づいて見ると、それはカイトサーフィンで、サーフボードにのり 風を受けて走り、時には高く舞い上がり一回転して転換をしたりしている。 興味津々の主人はしばらく眺めていた。海ばかりでなく砂浜でもカイトを操っている外国人がいる。 近づいて砂浜に広げたカイトをみさせてもらった。金髪の若い女性がニコニコしてカイトの紐を手に巻きつけている。 パッちゃんは英語が得意なので、いざと言うときは彼女が助けてくれると思い、話しかけてみる。 カイト暦は2年だそうで、ハズバンドとやっているそうだ。 主人はパラグライダーやっていると早速宣伝。 パラグライダーはどうですか?と聞くと「山から飛び出すのは恐い!」との返事。 このカイトは地に足がついているし、海では泳げさえすれば遊べるから・・・と言っていた。 それぞれに遊び方もあるものだな・・・。 かなりの時間海岸で過ごしたので、お母さんとドーンが待っているので、戻りジュースなどを飲み食事を頂く。 大きな魚、海老料理炒め料理とまた沢山私達のために注文して下さっている。 パッちゃんも私も全然泳げないけれど、ウー君やガイ君と皆で波と戯れてとても楽しい時間を過ごせた。 ドーンさんの運転で再びペッチャブリの家に戻る。 今夜はペッチャブリ近くのペンションに家族みんなで泊まる事になっている。 お父さんの知り合いのコテージで、バーベキューをしたり料理も出来るようになっている。 ドーンさんの恋人も駆けつけ、今夜の夕食の料理を手伝って作っている。 今夜は私も日本から持ってきたつけ麺を湯がき、皆さんに食べてもらう予定だ。 辛さはたれで調節出来るので、湯がいた麺の上にキャベツとねぎ、焼き海苔をトッピングし、たれをかける。 ドーンさんは辛い!と言い、パッちゃんのお父さんは美味しい!とペロっと食べてしまわれた。 焼き海苔はお母さんやドーンさんの彼女に大うけで、パリパリした食感がいいのか何枚もお変わりして海苔だけ食べていた。 私はというと、お昼にビーチで食べた何かがあたったらしく、お腹がしっくりしない。殆ど食欲がないので、もっぱら作るだけ。 パッちゃんのお母さんもいまいちお腹が調子悪いらしく、つけ麺も殆ど召し上がらなかった。 ドーンさんと彼女は片づけを手伝った後、家に帰られた。パッちゃんのお父さんとお母さんもそれぞれの コテージに戻り休まれる事に。私達はウーとガイを部屋に呼んで折り紙を教える事に。 まず鶴の折りかたをやってみせる。ガイ君は飲み込みがよく、私の手元を見ながら一回できれいに折ってしまう。 一方ウーはなかなかで、おってもきっちりと端を揃えないので、その度に手を貸すようだ。 遂に折り上がると目をキラキラさせている。ガイはおばあちゃんの所で折った経験があるとかで、それで上手だったのだ。 自分で箱のような折り紙も折って見せてくれる。 折り紙の表にピカチューの折りかたが書いてある。二人はそれを見ながら一生懸命折り始めた。 二人は30分位根気よく、諦めず折っていた。私も手伝って折り方を研究。結局1時間くらいしてやっとピカチューは折りあがった。 二人とも眠そうな目をこすりこすりやっていたので、「もうお部屋行って休みなさい」とおとうさんとおかあさんの所へ戻す。 私は夜中、4、5回トイレに通い、明け方少し楽になった。 主人曰く、「海辺の所で食べたのが悪かったんだ。不衛生なところで料理しているんだろうからなぁ・・・」と。 |
3月27日(火曜日) カーテン越しに明るい朝の日差しが入る。もうすっかり夜も明け何時頃だろう。 パッちゃんも主人もまだ夢の中の様だ。 夜何度もトイレに通い、やっと朝方楽になったものの、いまいちお腹に力が入らない。 そろそろ起きようと声をかける。シャワーを浴びて服を着替え出かける支度をする。 隣りのコテージに泊まられた両親はもう起きて家に戻られ、お父さんはお仕事に、 お母さんは朝ごはんの準備をされていると言う。 ドーンさんが再び私達を迎えに来てくださっている。 ウー君もガイ君も隣りのコテージで寝ていたようで、ドーンさんに起されて帰る準備も出来て私達のコテージにやってきた。 荷物を整理してパッちゃんの家に戻り、朝食を頂く。 私がお腹が調子悪いとパッちゃんから聞いたお母さんは、色んな薬を持ってきて私に飲ませて下さる。 日本から頭痛薬や便秘の薬は持ってきたのだけれど、たまたま腹痛の薬がなかった。 パッちゃんのおかあさんもしょっちゅう下痢されるとかで、常備薬は沢山持っておられた。 錠剤と水薬をもらい食後飲んでおく。そしてこれも、これもとカンチャナブリへの旅行に持って行くように渡して下さる。 カンチャナブリへはバスに乗って行こうと話し合っていたのだが、この状態ではバスは無理という事になった。 バスも初体験なので、主人の計画だった。 実はウー君やガイ君は私達と一緒に車で行きたかったらしい。私の腹痛で喜んだのは彼ら。 そしてお父さんも自分が車を出して私達をカンチャナブリまで送って行きたいと思っておられたらしい。 ところが、仕事がなかなか終わらず、結局ドーンさんにガソリン代を出して送ってもらうことになった。 それを聞いてウーもガイも大喜び。そしてパッちゃんのお母さんも。 ペッチャブリからカンチャナブリまでは結構遠く、車で2時間半ばかり掛かるのだ。 長時間になるので、ペットボトルや水分の多い果物を積み込んで出発だ。 ホア・ヒンへ行く時ウー君ガイ君は車の荷台に乗っていたが、今度は長時間になるので車の中で一緒だ。 タイでは日本車がかなり多く走っている。現にこのドーンさんの車もトヨタだ。トヨタ、日産、マツダ、三菱ありだ。 軽トラックに荷台に5〜6人の人夫らしき男性達が乗っている。やはり暑いとみえて頭からすっぽり風呂敷のような 日よけ対策をしている。工事現場などで働く人たちなんだろうなぁ・・。 延々2時間あまり走りカンチャナブリの街に入って来た。駅から15分ぐらいの所にあるここもリゾート地なのだろう。 ぱっちゃんに聞くと、ここはシップソサクリゾートと言う。森林の中にあるコテージだ。部屋のキーをもらいまずは部屋に落ち着く。 クーラーを入れ、みんなでしばらく涼む。荷物も降ろしてくださり、皆さんコテージを後にして帰っていかれた。 しばらくして、パッちゃん「あ!バックを車に忘れた」と言う。あわててドーンさんに携帯いれる。 まだ近くにおられ、ウー君やガイ君にアイスクリームを買ってやり食べていたそうで、すぐに折り返しドーンさん来て下さる。 やれやれ、いつも忘れ物するパッちゃんだ。 今日はもう観光は出来ないので、まだ調子を悪い私を残し、主人とパッちゃんは夕食を食べに出かけた。 夕食を食べて帰ってきた二人。シャワーを浴びたりして一休み。しばらくしてお腹が落ち着くと今度はデザートだ。 ココナッツ椰子やフルーツが冷蔵庫にいれてある。臭い臭いドリアンもある。冷蔵庫に入れてあるがそれでも何だか臭ってくる。 バリ島ではホテルにドリアンを持ち込んだら罰金だと聞いた。それほど臭くてお客様に迷惑がかかるという事なのだろう。 ほんのちょっとだけドリアンの端くれをもらって食べる。う〜ん、もっちゃりしてなんともいえない味だ。このドリアン、50バーツ日本円 で150円位だ。主人はこのまったりした感触と甘みが美味しい言う。皮をしっかりとビニール袋に包んで捨てる。。 パッちゃんの予約したこのコテージ、1800バーツとか言っていたので、日本円では5000円あまりだろうか。 ちょっと床がゆるくて、歩くと何だか不安だ。タイでは上等なクラスなのだろう。 パッちゃんはいいところ予約したでしょう?と満足そうだ。 夜は3人でベッドに入り、パッちゃんとゆっくりと将来の事、家庭の事、自分の事沢山話をしながら眠りに付く。 おかあさんの薬のお陰で、ほぼ私のお腹も平常になってきた。やれやれ・・・。 |
3月28日(水曜日) 私達の泊まっているコテージの交通手段はマーカーかテクシーかタクシーだ。 歩くには駅までこの暑さの中とても無理。車でも15分くらいはかかる。で、タクシーを呼んでもらうことにした。 フロントに頼んで8時頃来てもらう。 最初は駅までの予定だったのだが、タクシーの若い青年が今日一日貸切ではどうだろうか?と提案してくる。 駅までならば150バーツ。今日一日貸切観光すれば600バーツだと言う。600バーツは日本円で2000円くらいだ。 それならOK!と交渉成立。 このあたりで観光客が一番訪れるクウェー川鉄橋見物に行く事に。 ここはタイ西部、ミャンマーとの国境近くにある町で、このカンチャナブリの名前が世界に知れたのは、 映画「戦場に架ける橋」にも描かれた悲惨なせんそうのひと幕の舞台となったため。 第二次世界大戦中、日本軍はビルマへ軍事物資を輸送するため、数多くの現地の人々や 何十万人もの連合軍捕虜を使って鉄道を敷設した。 この鉄道は現在でも一部カンチャナブリから80Km先のナム・トクまで運行されている。 このあたりは豊かな自然が残っており、トレッキングツアーも盛んだそうだ。 橋を歩いて往復した後、連合軍共同墓地・泰緬博物館・第二次世界大戦博物館・JEATH戦争博物館など訪れる。 日本軍により泰緬鉄道建設に駆りだされ、病気や栄養不足で命を落とした連合軍兵士の眠る共同墓地が、 このカンチャナブリには2箇所ある。 それぞれ墓地内は手入れが行き届き、一面緑の芝生の中に美しい花があちこちに咲き乱れている。 泰緬博物館は2003年にオープンした新しい博物館で、鉄道建設に関する資料を展示している。 この工事の為になくなった人々は連合軍の捕虜たちよりも東南アジア諸国から強制的に徴用された人々のほうがはるかに 数多かった事や、工事の模様の再現、鉄道工事の為に日本軍が作った地図などが展示されている。 JEAH戦争博物館はクウェー川鉄橋、連合軍共同墓地と並んで”死の鉄路”と言われるこの鉄橋工事を今に伝える貴重な場所だ。 この博物館はタイの僧侶によって管理されているという。 捕虜収容所を再現すべく、建物は竹で作られている。コの字型のこの建物内には当時の写真、 捕虜が密かに描いていた絵やスケッチ、水彩画などが展示されている。 日本軍による捕虜への拷問を描いた絵や、劣悪な環境の中で病魔に蝕まれる捕虜の姿を描いた絵もあり、 見るにはあまりにも辛く、心が震えた。 博物館を出るとタクシーの運転手が待っていてくれた。 次に訪れるのは「カオプーン洞窟」だ。 ここは第二次世界大戦中に日本軍が倉庫として利用していたという洞窟で、中は複雑に 入り組んでおり、案内がないと迷ってでられなくなるらしい。 洞窟の入り口に小学校5、6年生と見える男の子が立っている。 「僕がこの洞窟を案内します」と言う。彼の案内をパッチャンが通訳してくれる。 洞窟の中に入っていくとひんやりとして何だか神秘的。 洞窟内の広い場所には僧の聖像が有り、訪れる人が供えた果物、お花などが置いてある。 20分くらいかけて洞窟探索を終える。出口で少年にお礼のチップを20バーツ渡す。 実はパッちゃんのお母さんも、パッちゃんが日本にホームステイしていた折、ホストチェンジするという深刻な事態になり お母さんがとても心配され、わざわざカンチャナブリのこの洞窟まで、お祈りにこられたらしい。 祈っていたら、仏像の手に持たされたお数珠がポトンとしたに落ちたと言う。 お母さんはきっとちゃんとホストチェンジで迎えてくれる家があると確信して、ほっとされたという。 そんな話をパッちゃんがしてくれた。 一日貸切タクシーだったが、今日はもう4時頃だし、ホテルに帰ろうと話し合う。 暑いので、少し疲れてしまった。 リゾートのコテージに送ってもらい、約束の600バーツを支払う。100バーツほどチップを奮発。 明日は朝ここをチェックアウトし、カンチャナブリ駅からバンコクに向かう。 明日の朝もこのタクシー青年に予約し、朝8時に来てもらう約束をする。 タイの人々は日本人と同じ様にシャイだが、こころは優しくこちらがにこっと笑いかけると、 ちゃんとその笑いを返してくれる。 この青年も目がきれいで、誠実な青年であった。 夕ご飯は買って帰った果物やぱっちゃんのお母さんが沢山ことづけられたお菓子があるのだ、それを片付ける事にした。 明日はバンコクにもどり、パッちゃんと最後の日を過ごす。そして真夜中1時発の飛行機で日本へ帰国である。 夜8時頃ペッチャブリからおとうさんやお母さんそしてウー、ガイ君が見送りに来てくれる。 主人はパッちゃんの家族にお礼を兼ねて空港で一緒に食事をしようと思っているので、早めに空港に来てもらう様にした。 私達のスーツケースも2ケ預ってもらっている。 夜パッちゃんの携帯におかあさんから電話が入り、私のお腹の事や、旅行はどうだった?など聞かれたようだ。 そして明日空港にパッちゃんのお兄さんヌンさんも駆けつけて下さるという。ヌンさんはバンコクで大学に通っている。 来年卒業だが、バイトもしているので、それが終わって駆けつけられるという。それを聞き、どんなお兄さんだろう?と 期待も有りわざわざ空港に来てくれる事が嬉しくもあった。 私は家族の皆さんにお礼の手紙を書いた。日本語の下にぱっちゃんにタイ語で書いてもらった。 おとうさんには、お仕事を休んでまで私達の為にあちらこちらに連れて行って下さったこと、 ホテルをわざわざ予約して頂いた事への感謝。 おかあさんには言い尽くせない私達への心配り。そして私に沢山の洋服を用意して下さったり、果てはブラジャーまで。 特にこのブラジャーが紐がピッタリで、旅行の間中それを使わせてもらった事。 沢山の美味しい料理を作って下さったり、私のために腹痛の薬や健康の薬を下さった事など・・。 そして子供達、ウー君やガイ君には折り紙を折ったり、海で戯れた事。手品をした事など楽しかった思い出の事。 ガイ君は大きくなったら僧侶になりたいと言っていたので、「ガイは頭がいい子だからしっかり勉強して僧侶になり、 それでもずっとお勉強を続けて偉い人になってください」と書いた。そしてウー君も遅くまで折紙折って遊んだことや 「おとちゃん!おかちゃん!って言ってくれてとてもうれしかったよ」と書いた。 いよいよ明日はタイでの最後の日だ。 バンコクでパッちゃんの家族、それにおヌンんとも会えるのが楽しみだ。 |
3月29日(木曜日) 朝6時半に起床。8時に迎えが来るので準備を始める。 シャワーを浴び、スーツケースも中身を整理し身支度を始める。パッちゃんはまだぐっすりと眠っている。 私のお腹もようやく本調子に戻る。 冷蔵庫に水やコーラも冷やしてある。今朝はこのホテルのレストランで朝食だ。 ぐずぐずしているパッちゃんに「二人で外散歩してくるから、シャワーして目を覚ましなさい!」と言って散歩にでる。 このリゾート地は学生などが合宿もしているようで、森の中を大きな声で歌いながらランニングしていた。 主人はこの大きな声で目を覚ましてしまったらしい。 食事をするレストランは川沿いに立っており、水量は豊でとうとうと流れている。対岸の方からは木の上に取り付けられた スピーカーから僧侶の朝のお祈りだろうか、意味不明はお経の声が流れている。沢山の学生達が静かに朝食をとっている。 もう一度部屋にパッちゃんを迎えにもどり、レストランの朝食に行く。 海老を入れたおかゆさんとスイカジュースを注文。朝はこれで丁度いい。 荷物全部を持ち、フロントに行くとほどなくタクシーが到着し、昨日の青年が「サワディーカップ」と挨拶する。 ここから駅までは15分くらい。200バーツ、600円くらいだ。途中女学生が一人相乗りしてきた。 カンチャナブリの駅近くに降ろしてもらい、タクシー青年のアドヴァイスで通勤の人の為に安く8人乗りくらいのバン型の 車がバンコクに行くので、それを勧めてくれた。バス停らしきところに何人かの男性がおり、乗客がくるとリストに記入している。 見た目に恐いこの男性もニコッとすると、満面の笑みを返してくれる。これで人数が集まれば出発だ。 バス賃は一人120バーツ500円位。安いものだ。ここからバンコクまで2時間はかかる。それにノンストップで走ってくれる。 30分位待っていたが、乗客が一杯にならない。私達3人と女性2人乗り込んで出発だ。 車は猛スピードでバンコクを目指して走る。途中パッチャンはトイレに行きたい!と言い出し セブンイレブンのようなお店で止めてもらった。外はめっちゃ暑そうだ。 再び車は走り始め2時間後バンコク市内の賑やかな通りで降ろされた。 パッちゃんの市内案内もあまりあてにならず、タクシーを拾って大きなデパートに入る事に。 暑いのでとにかく涼まないと、とてもスーツケースを引きずっては歩けない。 とりあえずパッチャンが唯一知っているというMBKというデパートにタクシーで向かう。 日本で言えば、三越・大丸のような一流デパートといったところだ。 中は涼しく、一階にはお土産売り場があった。そこでひとまずお土産を物色。 パッちゃんは私にと小さなバッグをプレゼントしてくれた。 あまり荷物にならない小物を買い、次にレストランへと行く。 丁度日本食のレストランがある。「SUMO」という看板が掲げてあり、お相撲さんの絵が描いてある。 中に入りメニューを見ると、にぎり寿司各種、他スパゲッティもある。パッちゃんは御寿司が食べたいと言う。 席に付くとウエイトレスの女性が日本語をしゃべってメニューを差し出した。 話しかけると、日本に行った事があり、一年日本語を習い、半年寿司店で修行をしたという。日本大好き女性だった。 ここは日本人が経営しているレストランなので、彼女も日常使う日本語はかなり理解出来るようだ。 メニューには日本でも定番のにぎりの他、カリフォルニアロールと名づけたにぎり寿司がある。 どこがカリフォルニアなのかよくわからないが、それをパッちゃんは注文していた。他に焼き鳥とお味噌汁も。 久しぶりの日本料理に感激の舌鼓を打つパッちゃんだった。 3人でここで食べた昼食代は730バーツ、日本円で2400円位であった。 腹ごしらえもしたので、このデパートの一階から5階までを見て廻る。ありとあらゆる品物が所狭しと陳列し、売られている。 商魂たくましい華僑タイ人?も多いようだ。 ここで買って帰ればきっと日本で買うよりずっと安いんだろうなぁ〜・・・と思うけれど 財布を開けて買おうと言う気にはならない。 疲れては喫茶店に入り、歩く人の人間ウオッチングをしながら時間をつぶす。 行きかう観光客らしい人々は韓国、中国系は多い。 又、アフリカ系の人、アラブ、中近東方面の人と様々。まさにここも人種のミニるつぼに見える。 タイのデザートにはよくココナッツミルクを使ったものが出てくる。 喫茶店でココナッツミルクの中にタロイモを原料にして作った餅のような物の入ったデザートを注文した。 これもほんのり甘くて、ココナッツの香りが何とも言えない美味しいものだった。 ほぼ半日以上このデパートでなんの目的も無く過ごすのも苦痛だったが、何となく時間も経つもので、 ぼつぼつスワンナプーム空港へ行こうか・・・という事になった。 このデパートからBTSというバンコク市内を走る電車に乗りオンナットという所まで行き、そこからタクシーで 空港に向かう。30〜40分かかる。タクシーで行く事30Km、209バーツ(日本円700円位)であった。 まだ5時過ぎくらいなので、皆さんと一緒に夕食を食べるレストランをみてみることにする。 この新空港は昨年6月頃出来たばかりの空港で広大な敷地の中にあるどでかい空港である。 空港内をウロウロしたが、結構分かり安い空港だった。案内のあちらこちらにあり 離発着、ゲートオープン、ゲートクローズなど分かりやすい表示になっている。 ただ一つ不思議なのは、レストランが少ないこと。 ほんの4−5軒しかない。さて今夜の最後の晩餐はどこにしよう・・・・。 数少ない中で、一軒の中国レストランがあった。ここなら皆さんの口にあうものもあるだろう。 パッちゃんのお父さんとは空港で8時に会う約束だ。でもフライトまでは5時間もある。 パッちゃんが携帯でどこにいるのか連絡を取り合っている。 ヌンさんも一緒だが、街中で空港への道がわからなくなって迷っているらしい。 時間はたっぷりあるので、ゆっくり来て下さいと伝言する。 パッちゃんは今日バンコクのデパートを散策しているとき、気に入ったピンクのブラウスを見つけて一枚買った。 ちょっとトイレに行って来ると言ったパッちゃん、戻ってきたときはその買ったばかりのブラウスに着替えていた。 ところが、ボタンなんか糸一本でしか縫いつけてない。上から3番目のボタンが取れてしまった。 「おかあちゃん、ボタン取れた!!」と言う。 空港内の階段の影で、スーツケースからミニ裁縫道具を取り出し、しっかり縫い付ける。 空港でこんなことしてるのは、きっと私たちだけかも・・・・。 そうこうしているうちに、そろそろお父さんたちが空港に到着すること。携帯に到着の電話が入る。 おとうさんは駐車場に車を置くのを手間取っておられ、おとうさんを置いて、おかあさん、ウー、ガイが入り口に見えた。 そして初めて会うお兄さん。とてもきれいな人だ。 きれいと言えば女性へのほめ言場なのだが、このヌンさん、男性なのだけれども タイ人にはよくあることで、少し女性ホルモンが多いらしい。 実はお父さんはこんなお兄さんなので、私達に合わせるのを躊躇されたらしい。 でも私達が何の違和感も無く挨拶を交わし、いろいろな話をぱっちゃんを通してしているので、 心なしかほっとされ、笑顔も見えた。 どこの家庭にもある事なのだが、父と子の葛藤だ。 私も主人もヌンさんに挨拶。わざわざ私達に会いに来てくださったことを感謝する。 パッちゃんに言わせると、こんなにお兄さんが笑顔で沢山話す事はないのだそうだ。 おとうさんもやっと4階フロアーに到着されたので、お礼に夕食を一緒にしたいという事をパッちゃんから伝えてもらう。 私達のスーツケースをウー君ガイ君が転がしながらレストランへ行く。 お客さんはあまり多くなく、机をくっつけて向かい合って座る。 どんなものが良いかわからないので、主人が適当に2〜3品づつそれぞれの種類を注文する。 皆さん車を飛ばして、途中あっちだ、こっちだとお父さんとお兄さんが喧嘩しながら、やっと到着されたという。 お腹も空かしておられるだろう。次々運ばれる中華料理。シューマイ・スープ、鴨肉、鶏肉の揚げあんかけ、野菜炒め等等。 皆さんにしっかり食べて頂いた。パッちゃんがトイレで席をたったので、言葉が分からないのでシーンとしてしまった。 私はこの時とばかり、皆さんに書いたお礼の手紙を取り出した。 「これはおとうさんへ。これはおかあさんへ。そしてウー君、ガイ君へ」皆んな手渡された手紙をそろりそろりと開け読み始めた。 タイ語でパッちゃんに書いてもらったのは名案だった。ウーもガイもにこにこしながら読んでいる。 それぞれ自分のを読んだら、他のが読みたくなったとみえ、ウー君はおとうさんのを見せて!とねだっている。 ついにはお互いが見せ合って笑いあっている。おかあさんには、ブラジャーの事をいっぱい書いたので それを読んでけらけら笑っている。やがてパッちゃんが戻って来た。「手紙渡しちゃった!」と言うと、「へェー」という顔。 お兄さんもどんな事が書いてあるのか、覗き込んでいる。づっとニコニコ顔。時々英語で私に話しかけてくれる。 お兄さんにもなんでもいいから書いて上げればよかったなぁ・・・と後悔。 これだけ皆さんに喜んで頂けるとは思わなかった。 いよいよ30分前となり、掲示板に日本行便のゲート番号が表示された。 日本へのお客さんも一列に並びだし、パスポートを提示してゲートの方に進んでいく。 お客さんは少なく、私達の番もすぐくる。 パッちゃんや家族みんなは仕切り板から入れないので、だんごになって見送ってくれている。パッちゃんが一番前にいる。 係りの人がそこから入ってはいけませんと注意するのでギリギリのところに立って見送ってくれている。 パッちゃんは「私絶対泣かんよ!」と言っていた。おとうさんに涙を見せたくないのだそうだ。 主人が進んで行き、私の番だ。1分もかからずパスポートチェック終わり遂に私達の姿も皆さんの視界には入らない場所だ。 後を振り向き、手を振ると、パッちゃんの「愛してるーーーーー!!」の声がフロアーに響いていた。 「皆さんさようなら!いろいろありがとうございました」と心の中で叫びながら、タイを後にした。 沢山のお寺、遺跡、マーケット、人々を見たけれど、やはりパッちゃんの家族の暖かいもてなしはいつまでも心に残るだろう。 またいつの日かタイを訪れる事もあるだろう。 パッちゃんも頑張って大学を卒業したら絶対日本に、広島に来ると約束してくれた。 |