ホアンと稲垣夫婦のホームステイ日記

                                              愛子 記

     2004年 5月
5月12日 (日曜日) 
月日のたつのは早いもので、ふと我に帰ると、時すでに新緑の5月である。
去年末から新年にかけて、中米、コスタリカ、南米コロンビアを旅行したなんて夢のようである。
再び私達の廻りは、忙しく月日がながれている。
旅行記を、どうにかこうにかしめくくって肩の荷を降ろした。
私のつたない旅行記をそれでも楽しみに読んで下さった方々に心から感謝するとともに
私も時々ホアンやエリックを思い出すと、読んでみる。
電話代が以前の事を思えば、安くなったので、何度かホアンとも連絡はとっている。
落第のおかげで、今はククタの実家にて、しっかりお父さん、おかあさんの監視下の元
小さくなっているホアンである。
早起きの苦手なホアンだが、毎日懸命に頑張って両親の要望に答えているようであるが・・・。
そしてタバコもやめて一ヶ月になると、母親のスリマさんは喜びで、声が上ずっていた。
さてさていつまで続く事やら・・・・である。
ボゴタには5月の末ころに移動するようであるが、タガが外れると不安な保安である。

そんな折、AFSのメンバーで、ホアンが来ていた年に、一緒にラトビアから来ていたアグネッセの
リエゾンパーソンをされていた、阿部さんから嬉しいメールを頂いた。
まずは私のホームページを見て下さった感想や、私達がホアンを尋ねた事を
共に喜んで下さった感想等が書き綴られていた。
というもの、阿部さんは翌年にあのアグネッセを尋ねてラトビアまで旅行して来られたのである。
風のたよりに聞いてはいたのだが、親しく交流がなく、ラトビアかぁ〜・・・どんな所なんだろう??と
言う事くらいしか心に留め置かなかった。
安部さんからメールと一緒に旅されたAFSの伊達さん、そしてアグネッセ家族の写真を送って下さった。
となったら、私はアグネッセの国ラトビアについて、もっとしりたくなり、阿部さんに旅行日記をお願いした
ところ、快く引き受けて頂いて、早速詳しい旅行記を、少しづつ送って下さる事となった。
安部さん達はラトビアの他にバルト3国を旅行されたので、これから書いてくださる旅行記が
大いに楽しみである。

以下阿部さんの日記を掲載します。


関西空港から、フィンランド(ヘルシンキ)へ飛び、ヘルシンキは、2泊滞在。
ヘルシンキからエストニア(タリン)へ飛行機で1時間もかかりませんでした。
タリンでは一泊し、ラトビア(リガ)へはバスで5時間ぐらいでした。
バスの停留所にアグネッセが迎えに来ていて、その日は、アグネッセのアパートへ1泊しました。
次の日に、アグネッセの実家(リエパーヤ)まで、リガからバスで3時間でした。
そして、アグネッセの家族がいるお家で3泊しました。
そして、リエパーヤからリガに戻り、リガからリトアニア(ヴィリュニス)まで、バスで5時間でした。
そして、ヴィリュニスで1泊しました。
バルト三国は、飛行機も飛んでいますが、ほとんどの人は、バスで行くようです。
確かに5時間の移動はキツかったのですが、外の景色も初めて見る景色なので、5時間は
すぐに経ったような気がします。
やはり、日本人にとって、バルト三国はまだまだ観光する国ではないようで私たち以外の日本人はいませんでした…。
たまたま見かけなかっただけだと思いますが、きっと、少ないでしょうね。
そして、アジア人も見る事もありませんでしたので、私たちは逆に目立っているようで、
すごく見られている感じがしました。観光客は、ほとんどがヨーロッパ系の人たちです。
アグネッセは、今、実家のリエパーヤから出て、首都のリガの大学に通っています。
アグネッセの家族も、ここに日本人が訪ねてくるなんて!と、とても歓迎して下さいました。
先月(3月)に、アグネッセの女学院高校のお友達が、一人でラトビアを訪れたそうです。
これにも、ビックリしました。
例え遠く離れていても、再会できる事は本当にうれしい事ですね。
また、次回詳しくお伝えしたいと思います。


   ★ 左前列から、私(阿部)・AFSスタッフの伊達さん       ★
  ★ 左後列から、アグネッセ・妹(アガタ)・お父さん・お母さん・    ★
   ★ 妹(マルタ)・お父さんの職場で働く同居人。          ★





     



阿部さんのラトビア訪問日記

2003年7月17日(木)・18日(金)
私たち二人は、アグネッセに会う為、ラトビアへ向かいました。
ラトビアへ行くには、もちろん直行便はなく、どこかで乗り継ぎをしなければ
ならない為、航空券の安さや所要時間を考え、フィンランド航空を利用し、
まずは、関西空港からフィンランド(ヘルシンキ)へ飛んだのでした。
どうせ行くなら・・・と、ヘルシンキへ2泊しました。
ヘルシンキは、とてもキレイな町で、初めてでも住みやすい国だと感じました。
広島市内にある、市内電車のようなものもありましたし、どこへ行くにも簡単に
行く事ができました。
食べ物は、どれも美味しく、北欧と言うだけあって、サーモンがとても美味し
かったのが記憶にあります。ただ、物価は、とても高いです・・・。

2003年7月19日(土)
ヘルシンキからエストニア(タリン)へ飛行機で行きました。
ヘルシンキを訪れた観光客は、日帰りでよくタリンへ行くそうです。
とても近いので、フェリーなどで1時間30分位で行けるそうです。
私たちは、フィンランド航空のヘルシンキ−バルト三国間がセットになっている
航空券を購入していた為、たった30分のフライトだったのですが、飛行機を
利用して行ったのでした。
ホテルへ荷物へ置き、ホテルからバスで、タリンの旧市街へ行きました。
エストニア語はわかりませんが、何とか英語やジェスチャーで通じました!
私たちは、バルト三国の本を片手に、観光名所をめぐったのでした。
タリンの町は、とても可愛らしい町だったと印象にあります。

2003年7月20日(日)
いよいよ、ラトビア(リガ)へ出発です。
アグネッセから、バルト三国間は、飛行機・列車・バスといろいろな交通手段で
行けると聞いていたのですが、旅行者は皆、バスが便利で安いとあって、バスで
移動する人が多いと聞きました。
もちろん、私たちもバスで行きました。タリンからリガまでは、5時間ほどかかった
と思います。寝ていたり、外の景色を見ていたら、あっという間です。
アグネッセには、事前にリガの到着時間を教えていたので、バス停で待っていました。
バスを降りると、アグネッセと久々の再会。私たちは、抱き合って喜びました。
そして、アグネッセが住むアパートへバスで行きました。
私たちは近所で買い物をし、アグネッセの手料理をごちそうになったのでした。
そして、思い出話をしたり、お土産を渡したり、話は尽きませんでした。

2003年7月21日(月)
リガの町をアグネッセに案内してもらいました。
レンガ創りの建物が多く、教会がとてもキレイでした。
リガの町で、日本人はもちろんの事、アジア系の人々すら見なかったように感じます。
そして、夕方にはアグネッセの実家(リエパーヤ)へ向かったのでした。
アグネッセは、大学に行く為、リガに出てきており、家族のいるお家は、海沿いの
リエパーヤにあります。
リガからリエパーヤまで、3時間・・・またまたバスの旅です。
リエパーヤに着くと、一人の男性が、伊達さんにラトビア語で話しかけてきました。
ラトビア語がわからない私たちは、「アグネッセ!わからない!」とアグネッセに
通訳をお願いすると、男性は「どうして、日本人がここにいるのか?」と質問してきたようです。
アグネッセは「私の友達だから、ここに来た」と答えたようです。
男性は、日本人の私たちが、とても珍しかったようで、不思議だったのでしょう。
リエパーヤこそ、誰か知り合いがいない限り、訪れる機会はないと思います。
そして、その男性は笑いながら手をふり、私たちを見送ったのでした。
アグネッセの家までは、市内電車(トラム)で行きました。
そして、アグネッセの家族とご対面です!少し覚えたラトビア語で自己紹介。
その日は、ちょうどアグネッセの彼(インタルス)のお母さんがお誕生日で、誕生日会に
皆で行く事になったのでした。
ここでも、日本人がリエパーヤに来ているって、すごい事のように歓迎を受けました。
両家家族が勢揃いの中、私たちも一緒に参加できて、とても楽しかったです。

2003年7月22日(火)
アグネッセに、リエパーヤの町を案内してもらい、教会へ行きました。
そして、教会の上にある鐘の所まで、中から登って行き、外の景色を見渡しました。
360℃町が見渡せて、とてもキレイでした。
それから、近所にあるアグネッセのおばあちゃんの家に行きました。
おばあちゃんは、私たちを見るなり「アグネッセの日本のお友達がここへ来てくれる
なんて!とても嬉しい。ありがとう。」と感激で涙を流したのでした。
そんなにも感激してくれるなんて・・・私たちまで涙が出ました。
その後、スーパーへ買い物に行き、リエパーヤの海を見ました。
アグネッセは、リエパーヤの海が一番好きだと言います。
本当にキレイな海でした。

2003年7月23日(水)
アグネッセとアグネッセのお友達と、ピクニックへ行きました。
皆で、一品ずつ持ち寄りをして、浜辺でランチです。
それから、お家に戻り、最後の晩餐です。
私たちは、アグネッセの両親へお世話になった御礼に花束を渡し、お別れの
挨拶をしました。
あっという間に、時間は過ぎてしまいました。

2003年7月24日(木)
早朝のバスで、リエパーヤからリガへ戻りました。
アグネッセは、早朝にもかかわらずバス停まで私たちを送ってくれました。
本当に、ここでお別れだと思うと涙が止まりませんでした。
「絶対、また会おうね!」と約束して、バイバイしたのでした。
リガに戻り、、バスを乗り換え、リガからリトアニア(ビリニュス)へ向いました。
ビリニュスのバス停から、ホテルと町は近かったので、地図を見ながら、徒歩で
何とか辿りつく事ができました。
そして、ビリニュスの旧市街を散策し、夜遅くまで歩き回っていました。
ビリニュスの町も、レンガ創りの建物が多く、素敵な町でした。
バルト三国の夏は、日が長い為、時間を気にせず長い時間、観光ができたのは
何だか得した気分でした。

2003年7月25日(金)
午前中、ビリニュスのスーパーや、町を散策し、その後、空港へ。
ビリニュスからヘルシンキに戻り、ヘルシンキから関西空港へ戻りました。

以上が、バルト三国旅行記です。
バルト三国は、日本では、まだまだ知られていない観光地ではありますが
町並みは、とても素晴らしいので、是非訪れてみて下さい!
ただ、日本人が少ない為、珍しがられ、振り返る人もしばしばいますが・・・。
旧ソ連からの独立国で、それぞれの国の文化もあり、良い勉強にもなりました。
言語は、エストニア語・ラトビア語・リトアニア語とそれぞれ違い、通貨も全て違い
ます。バルト三国は、物価が安いですよ!
食べ物も、普通においしく食べられましたよ。
機会があれば、是非バルト三国を訪れてみて下さい!!