ホアンと稲垣夫婦のホームステイ日記

                                                   愛子 記

(月曜日)『コスタリカ Erickが・・・・』
あ〜ぁ!ついにホアンがコロンビアに帰ってしまって一ヶ月たってしまった。
この一ヶ月の何と長い事か・・・。麗奈ではないけれど、1年も2年も経った気がする。
人にとって、長いと感じる時はやっぱり辛い、苦しい時なんだ。
ホアンも良く言っていた。
『日本に来た最初の4月、5月、6月は毎日がゆ〜っくり、ゆ〜っくり、そして、7月、8月
は早足状態、9月10月11月12月は小走り状態。ついに1月は全力疾走状態・・・・』と。
ホアンの気持ちはほんとに良くわかる。
9月24日に麗奈、越君が我が家に来た時、既にホアンは”コロンビア、帰りたくない・・・”と
目を伏せてつぶやいていた。

それを見て私は『ホアン!今そんな事考えない、かんがえない!』と言い聞かせた。

朝電話のベルが鳴った。ああ!ホアンか〜・・・・!と出て見る。
何と、コスタリカからエリックが電話してくれた。
「長い電話出来ない、今からファックス送る・・・」と言う。

   日本のお風呂大好きのエリックとホアン。パラグライダー体験の帰り・・・ああ!なつかしい・・・    神風のはちまき姿もりりしいエリック。

すぐにツツツ・・・・とファックスが入って来た。ファックスには次の様に書かれている。

『いながきさん お元気ですか。僕はとっても元気 でも 日本がさみしいです。
コスタリカ食べ物おいしいですけど 日本の料理まにち食べたい!!昨日トンカツAh〜
とってもおいしい 日本の生活もさみしくなった!!
日本で僕の日本語あまり上手じゃない でも 日本語能力試験ごうかくだった!
262点 おかさんにラテンムシク(おんがく)送りたい。たぶん後一ヶ月送る。おじさんに
コスタリカのお土産(souvenir)あげる。いながきさんホンマニ日本に色々の事
ありがとうございます(X’masプレゼントも)おかさん、おねがいあります!!ホアンの住所と
電話番号教えて下さい!!僕のメールに書いて下さいか電話してもいですアリガトウね!!』

こんな風に書かれていた。日本語をほんとに忘れず、漢字も(検定試験合格しただけあって)
ちゃんときれいに書いてあり、感心するやら、うれしいやらだった。ありがとうエリック!!
エリックのメールアドレスは tiko_jp@yahoo.es です。
エリックにメール書いてあげてください。彼きっと喜びます。

エリックも日本がさみしい、寂しい・・と書いているので、やはり10ヶ月の日本の
生活は彼らにとっては、大きなカルチャーショックや、学ぶ事の大きい時間と成った事だろう。

エリックにとってもホアンの存在は大きかった。
ホアンも来た当初、いつもエリックの事を気に掛けて、電話をしてやっていた様だ。
20日の豆匠でのお別れメッセージでも、エリックはホアンとの別れを惜しんで
声を詰まらせていた。
本当に皆んなに愛されたホアンであった。



(火曜日)『今日から試験・・・・』
今日から来週13日まで、安芸府の由也や越君、麗奈達は学年末試験だそうだ。
長い試験だな〜・・・・と思ったら、6日と7日は入学試験なので、休みだそうである。
由也君もホアンとの約束で、真剣に頑張っているようだ。
試験が終わったら、おかさん、また行くからねー!と言ってくれている。
いよいよ彼らはこの試験を終えると、高校3年生となる。

一足先にコロンビアのホアンは2月が学期始めという事で、既に3年生になっている。

3年生の生活が楽しいのか、忙しいのか、ホアンからはさっぱり音沙汰が無い・・・。
そう言えば、送る物があるので、住所を教えてちょうだいと言っておいたが、これも
全然である。なにやら、ゲリラがコンピューター回線を乗っ取って、パソコンも使えない
とか、言っていたそうだ。やっぱりコロンビアはぶっそうな国なのだろうか??

(土曜日)『白菜漬け・・・・』
今日は小春日和の良い天気。でも少し風が寒い。
主人はパラグライダーの場所で絨毯を貼る作業があるので、8時半には
出かけて行った。私もそろそろパラ復帰しなければならないが、なかなか
その気にならない。
それに、今日はこの間、麗奈が手伝ってくれて、白菜の荒漬けをしたのが
しっかりと水が上がって、桶からあふれそうになっているので、今日は本漬けを
しなければならない。
麗奈に携帯すると「私も手伝いた〜い!」と言ってくれる。
そんな言葉を聞いて、元気が出た私、家事を済ませて裏の倉庫で
本漬けにとりかかった。
桶の水は手が切れるように冷たい。別の入れ物に熱い湯を汲み、時々手を
暖めながら、白菜をしぼっていく。
3月も末になると一気に気温が暖かくなるので、さてさてこの白菜漬け
いつまでもつことやら・・・・。
しっかりとしぼり、カゴに一応並べて置く。
それでもポタポタとしぼりきれなかった水がボタボタと落ちている。
しばらく、お茶を飲んで、白菜の水分が少しでも切れるのを待つ。

お昼を食べて、少し休んだ後、午後からその水切りした白菜を桶に並べる。
我が家の漬物は『お塩・昆布・唐辛子』だけを使った至ってシンプルだ。
主人はこれを一番好む。田舎では大豆を入れたり、柿の皮の干したのを
いれたりする所もあるが、試してみた結果やっぱりシンプルなのが一番と
言う事になった。
何にもご馳走がなくても、美味しいお漬物さへ食卓に載っていれば
満足な主人である。
ホアンが来てからは、彼も主人と同じ白菜の葉っぱの部分が好きだったので
”ライバル現る!”とばかりに主人は、さっさとその部分を先取りして食べていた。

さらに可笑しいのは、ホアンも負けじとばかりに、主人が帰る前に、食卓に
出した漬物の山を見て、「おかさん、一杯だけ漬物でご飯食べてもいい?」と聞き
ちゃっかり、暖かいご飯に、お皿山盛りの漬物を取って食べていた。
コロンビアには白菜はあるん?と聞いたが、どうもコロンビアには無い様だった。

夕方までに、本漬けが無事終了したので、田舎へと向かった。

11(月曜日)『ホアンのお母様からメール』
朝会社に行くと、主人「ホアンのおっかさんからメールが来たぞ!」と言う。
パソコンに走り寄りメールを見る。
うあ〜!!すごい長いメールを書いて下さっている!!うれしい。

実は、ホアンにメールを書けども、書けども、音沙汰無し。
この前の電話の時、「パソコンはゲリラのせいで回線が使いない状態だ」
とか何とかホアンが言っていたし、ホアンに送ってやりたいものが沢山あるので
住所を聞いていたが、それもまだ教えてくれない。
『”ま、腐る物は無いのだし、言って来るまで気長に待とう”』と思っていたのだが
2月5日の『帰りましたコール』以来何の音沙汰無し。ホアンはどうしているのだろう?と
いつも気にかかる。
ふっとおもいついて、ホアンのお母様にメールを書いてみた。
ホアンが日本にいる間も、時々メールを書いて下さっていた。

覚えたてのスペイン語をほんの数行並べてみた。


Hola! 
Buenas dias!
?Como esta usted?
?Que hace Juan?

『こんにちわ!みなさんお元気ですか?ホアンはどうしていますか?』

これだけ!書いたのだけれど、お母様の文面はスペイン語だけれど、つらつらと
長いメールを下さっている。

早く内容を知りたくて、仕事もそっちのけで、2〜3日がかりで、辞書と首っ引きで訳した。
それによると、以下の様な事が書かれていた。
  


こんにちわ、愛子さん:
何日も前から、ホアンの事を手紙に書きたいと思っていました。そして、ホアンが私の手紙を
日本語にしてくれると言っていたのに、いまだ、してくれなくて、送る事が出来ませんでした。
もし、スペイン語で書いたら、理解して頂けるかどうかと思うのですが、そのほうが
スラスラと書けますので、スペイン語で書きます。

私達はホアンが帰って大変幸せです。でも、ホアンには少し辛そうです。
と言いますのは、彼の日本の家族、ガールフレンド、そして沢山のクラスメート
の事を思って寂しそうだからです。

ホアンが日本の食べ物や、習慣などに慣れたと言う事が信じられません。
そして今、彼は私達の食べている物を好まないのです。

ホアンが帰って初めての今月、学校では、大勢の生徒の中の代表(生徒会長)となりました。
そして、毎週末には新しく出来た友達と、変わらない習慣であるパーティに出かけております。
でも、日本に行く前の彼のクラスメート達は既に卒業し、大学へ進んだり、
他の街に行ってしまっています。

ですから、最初はホアンにとってその事がつらそうでした。そんな彼を見るのが
私達も辛かったのですが、それも時と共に変わっています。

あなた方はホアンにとって本当に大切な方です。
私達はいつも武さんや愛子さんの事を話ています。そして、いつもあの美しい写真を見たり、
ビデオを見ています。
ホアンが日本で実際に経験した数々の事に大変感謝致します。

彼は今、私達にお箸の使い方を教えてくれています。大変難しいですね。
そして、ジャガイモとオニオンのスープと、よく火の通ったお肉を卵と一緒に食べる
この料理は、とっても美味しいです。(すき焼きの事)
ホアンには今までここで食べていたご飯が、何かまずそうなのです。
そして貴女が料理して下さったようにホアンも作ってくれるのですが、
私はなかなか同じように作れません。

私達は家を変わった時、ビデオのバッテリーを紛失し、ホアンが帰った時のビデオを
撮ることが出来ませんでした。でも写真を撮りましたので、今それを現像に出しています。
ですから、来週にはお送りすることが出来ると思います。。

私のこの手紙を理解して下さいますように、そして難しい言葉があっても、続けて
お手紙をやり取り致しましょう。
ホアンは決して書きませんし、私にとっても日本語で書く事は難しいです。

それではごきげんよう・・・

スリマ

 

一語一語、辞書を引きながら訳していると、私にとっても大変良いスペイン語の勉強にもなった。
でもやっぱり正確な訳を知りたかったので、パラグライダーで御一緒したり
ホアンがパラグライダーをやり始めた頃、スペイン語の通訳をして頂いた、同じメンバーの黒田さんに
翻訳をお願いした。黒田さん本当に有難うございました。

内容を見て、”ホアンが書かない”という事や、”日本語に訳してくれない”という
お母様のぼやきは本当に良くわかり、おもわず笑ってしまった。

またお箸の使い方をお父様やお母様に教えているホアンの姿が目に浮かぶようで
この事もとてもうれしかった。

また一生懸命スペイン語でホアンのお母様に手紙を書こう!と
張り切っている私です。


   



13(水曜日)『ホアンから電話が!・・・』
ホアンのお母様のメールと奮闘しているちょうど時を同じくして、今日はホアンから
突然の電話が入った。

朝10時過ぎ頃だった。仕事をしていると電話が鳴った。
手の空いていた主人が電話を取る。
すると、何と「あぁ、ホアンか」と言っているではないか!

ホアンが電話してくれたんだ!

「元気にしとるか?」と主人。そうか・・・そうか・・・と何やら話をしている。
私は待ちきれなくなって、主人の前で手足バタバタ。
「ちょっと待てよ、おかさんがイライラしとるから、代わるぞ・・・」とようやくバトンタッチだ。

「ホアン!元気なの?どうしてる?学校は?」と矢継ぎ早に聞く私。
「おとさん、おかさんの声聞きたかった・・・」と言ってくれるホアン。

「今、毎日学校だけど、土曜日は試験を受ける為の別の学校へ朝6:00から
昼12時まで行ってる。それから、またパーティ・・・」と
相変わらず、週末パーティ漬けの様だ。
「おかさん、皆んな日本の音楽大好きだよ。僕も毎日聞いてる」と言って電話口の向こうで
日本から持って帰ったカセットの音楽を流してくれる。
「僕の家とか、学校のビデオ撮ったよ。もう出来ている。ダニエルと撮った」と言う。
パソコンで送るようやってみる。
「僕ちょっと日本語忘れている。おかさん、スペイン語どう?」と聞く。
「とっても楽しいよ」と言うと、何か言って、言ってとせかすホアン。突然言われても
覚えたてのスペイン語がスラスラ出て来る訳が無い。
「じゃー、おかさん、いつ来る?いつ来る?」とうれしい事も言ってくれる。
「僕、パラグライダーやるよ!親戚のおじさんが道具買ってくれるから、今度飛ぶ
場所に行ってみる」というので、無茶しちゃ嫌よ!というと、「大丈夫、僕いっぱい本も
読んでるし・・・」と言ってるので、これはちょっとホアンのパラの先生から一言、言ってもらわねばと
主人に代わる。「牧場でやるのならいいけど、ホアン、よくよく風を見ろよ!」と言っている。

少しの間、パラの事を話していたが、電話代も高いので、切ろうとする主人。
もう一度手を伸ばして、代わって!と私。
「ちょっと待てよ、おかあさんがもう一回声聞きたいんじゃと」ホアンに告げる。
「ホアン、日本語の試験受けたでしょう、あれ合格よ!」
「エリックが電話番号聞いてきたから言っといたよ」
「うん、エリックかかってきたよ」とホアン。
「ホアン、学校の代表(生徒会長)になったんですってね、おめでとう!!」と言うと、
「どうして、おかさん知ってる?」とホアン。 「お母様がメール下さったのよ」と言うと
「ウ、フフフ・・ホアンちょとだけ頑張った。いっぱいじゃない。」とうれしそうな様子のホアン。
「毎日、AFSの仕事もあって忙しい。僕AFSのボス!」と言う。
「みんな歳多いけど、僕一番若いけど、ボス」と理解出来ないが、こんな事も言っていた。

「由也、大丈夫?」と聞くホアン。
「今日試験が終わったみたいよ、おかさんまだ聞いてないから、わからない・・」
「”由也、越、麗奈”に宜しく伝えて」とホアン。
「おかさん、電話代高いからもう切るね・・・」と言い、お互いに「アディオス、チャオ
さよなら・・・」と言いながら、なかなか電話をおく事が出来なかった。

2月5日の帰ったコールの時はまだ泣きそうな声を出していたが、今日のホアンは
声が少し弾んで元気が出て来たようだった。
少しづつ、3年生の新しいクラスに友達を作り、元気で頑張っているようである。

そう!後で主人が言うには、ホアンはマサチューセッツ工科大学ではなく、そのMITのおじさんに
相談したところ、目指すならば、ボストン近くに有るジョージアテクノロジー大学が(?)
いいとの事で、目下のところはその大学を目指しているようである。

なにはさて置き、パラグライダーをやり始めるという事をまず主人に報告したかった様である。
「ぼく、先生!」と威張っていた。
「ま!あまり無茶をするホアンではないので、大丈夫だろう・・・」と主人。
そんな様子も送って来てくれると、うれしいのだけれど・・・・。


16(土曜日)『パラ復帰!・・・』
先日の電話でホアンが親戚のおじさんと近くの牧場で飛ぶと言う。
それを聞いて、「じゃー私も負けてられないな〜・・・・!」という気持ちになった。
今日は天気も良いし、主人について行って、今年の初飛びをしようかな?と思う。
主人が池の掃除をしている間、片付けをして出かける準備をする。
「おまえはリハビリフライトだから、朝の穏やかな時間に飛べ」と主人。
片付けも早々に車を走らせる。
車の中では、主人は来月に迫った宮島能舞台での、奉能の為の演目を
一生懸命唸っている。私は私で、ラテンミュージックCDをがんがん聞いている。

40分程で神の倉に到着。すでに何人かのフライヤーは荒谷山へ、広大生は神の倉へと上がっている。
ランディング場には誰も居ない。しばらく待つ事にした。
すると、私の里の方から飛びに来られている、時安さんが現れる。
そして、芦刈さんも・・・。もう少し人数欲しいところだが、待ってられないこの面々は
「上がろう!」と時安さんの車に道具を詰め込む。
出かけた所で、倉田勇さんとすれ違ったので、もう一度引き返し一緒に上がる。
途中でもうすぐお昼なので、腹ごしらえもしないと・・・とおむすびも買い込む。

荒谷山に上がると、いつもの様に近藤のおばちゃんが、キャノピーを広げてスタンバイしておられる。
『私はリハビルフライトだから、えらそうにトップを切ってでるのも・・・』と思って
おむすびをほおばりながら、近藤さんの飛びを見ることにした。
少しサイド気味だけれど、まあまあの風が入って来たので、「出ま〜す」と近藤のおばちゃん。
まだサーマルタイムではないので、そのまま何事もなくサブラン目指してまっしぐらに飛んで降りられた。

サーマルが出ないので、誰も出そうにない。
私はキャノピーを拡げて、スタンバイ。
時安さんがビデオカメラを構えておられるので、ホアンに向けてのメッセージを喋る。
撮ってホアンに送ってやるつもりであるが・・・
「Yo volar por el aire」私空をとびまーす。と言う積もりだったが、忘れてしまった。

私も後を追いかけるつもりで、飛び出して見る。
私はさっぱり風の具合など見ないので、ただただ、テイクオフ前を行ったり来たりしていた。
何だか少し上の方に上がって行く気がする。
主人が大きな声で「沖の方へ出て見ろ。そうせんとダメじゃろう!」と叫んでいる。
少し前に出たあたりで、グライダーが持ち上げられるような感じがした。
ちょっと廻してみよう!そんな時、「愛子さんそこで左に廻してみてー!」と井口さんが無線入れて下さる。
「そうか、ここで廻すんだな!」とひたすら、左のブレークコードを引いて、旋回してみる。

   Juan! Yo volar por el aire.....     Volar y cantar!

おお!上がる上がる!!!一気にトップアウトだ。」
テイクオフの皆さんが段々ちっちゃくなっていく。あわてて、皆さんキャノピーを広げ始めている。
私は高度計も持っていないし、只バリオだけを太ももに取り付けているだけ。
そのバリオがさっきから”ピッツピッツピッツ”と鳴っている。
だいぶ上がったな・・・・と思いながら、しばらく遊覧飛行を楽しんだ。
私は上にあがると、いつも何だか胸がムカムカしてくる。
今日も、さっき食べたおむすびが胸につかえて、吐き気がする。
「もういいや!」と思い、すぐにメインランディングめざして、降りる事にした。

皆さんはどんどん飛び出して、遥〜るか上の方を飛んでいる。
私はサっと上がって、サっと降りてしまったという感じだ。
下に降りると、児島さんが来られて、「誰か上がらない?」と、うずうずしておられる。
誰も来ないし、誰も降りて来そうにない。一刻も早く飛びたい児島さん、「二人であがろう」と
言う事になり、サブランに降りたはずの近藤のおばちゃんの所へ先に向う。
サブランに行ってみるも、誰もいない、只上を見上げると、広大古川さんが、ほどなく
降りて来そうである。
彼女が降りたので、すぐにキャノピーを詰め込んで、荒谷へと向かう。

荒谷山に上がってみると、殆どのフライヤーは好条件の中、遊覧を楽しんでいる。
テイクオフには松代玲子さんがいっちゃんを連れて来て、遊ばせている。
上を見上げると、主人も一番高度を稼いで飛んでいる。
これはクロカンに出るかもしれないな・・・・と思う。

皆さんが上げているのを見て、児島さんさっと準備をしてあっという間に飛び出して行かれた。

「今一番いい条件ですね」という玲子さんの言葉に、私も2本目の準備をする。
古川さんも飛び出して行ったので、テイクオフには私と玲子さんだけになった。
玲子さんが手伝ってくれるので、「じゃー私も出てみるね・・・」と言い残しテイクオフする。
飛び出して、沖の方が良さそうだったので、どんどん前に出たのはいいが、
バリオの音は”ブーブーブーブー”ばかり。
「まあいいや、どうせクロカンに出た迎えに来てくれ〜!!」と召集かかるはずだ。
そんな諦めの気持ちで、神の倉メインランディング目指していた。
ところが、遥か沖に出たあたりで、身体がぐんと持ち上げられて、天に昇る感じがした。
ちょっとだけ廻してみよう!そんな気持ちで頑張ってみた。
上がる上がる、しばらくして、上空から荒谷山テイクオフを見ると、さっきまで見上げるようだったのに
もう、同じ目線になった。これは上がるかもしれない。頑張ってみよう!
どんどん廻し続けていると、1本目より、もっともっと上がった。
「ああ!うれしい!トップアウトしたぞ〜!!」荒谷上空まで帰り、皆さんの下で廻し続けた。
やっぱりぶっ飛びよりは気分いいものだ!

だけど、やっぱり、軟弱なのかな?小一時間飛んだあたりで、もういいや!と思ってしまう。
そして、再び神の倉ランディング目指して降りてしまった。

近藤のおばちゃんが、「愛子さ〜ん、待ってるから早く降りておりておいでー」と無線入れて下さる。
「いえ、いえ、しばらく休みますから、待たずに先に上がって下さい!」と無線いれる。
とは言ったのだが、着地すると、おばちゃん走りよって来られ、「愛子さん上がりましょうよ」と
誘って下さった。
「主人がクロカン出ているので、多分迎え要請があるので・・・」と言うと
「そうか!じゃー私達だけで、上がりますね」と言われた。
ところが、再び兵萬さん「愛子さん待っっとんたんじゃけー上がろうよ・・・」とのお誘い。
「迎えに来て!って言われたら、言われた時の事よ、上がろう!」と近藤さん。
それでは!と皆さんに手伝って頂き、兵萬さんの車に乗せてもらう。


   !Hola Juan! ?Como est? ホアン君元気ですか〜?    「まき! いっちゃんもゆきちゃんもかわいいよね〜・・・」 「うん?」 

   ぼく いっちゃん! 3歳だよ!    あたし、「ひだか ゆき」 でちゅ・・・

テイクオフへ上がったとたんである。携帯がピロンピロン鳴りだした。案の定、主人である。
『甲田まで飛んで来た、来てくれる?』『今、荒谷山へ上がって来たところなんよ』と言ったものの
飛ぶ事にそれほど意欲の無い私、さっき上げて下さった兵萬さんの車をランディング場まで貸して
頂いて、迎えに行く事にした。
『皆さんは、あ〜ぁ、せっかく上がって来たのに・・・・』と、気の毒そうな顔で見てくださる。
こんな訳で、今日の私のフライトは2本共トップアウト出来たし、私にしては上出来であった。

ホアンもコロンビアで沢山飛ぶ事が出来るかな〜・・・・・。

21(木曜日)『おとさん 骨折!・・・』
今日は朝から雨模様。主人はパラグライダーすっかり観念しているので
今日は我が家の床が最近ふわふわと座が落ちそうな気がするので、修理してもらう
事にした。
と言っても、床の下に入るための喚起口は主人が入るには小さすぎる。
もっとスリムな人はいないかな??”そうだ、由也に頼もう!”ということになった。
早速由也に自給1,000円で大工仕事請け負ってくれない?と依頼。
二つ返事でOKが返って来た。今日は10時頃由也君が来てくれる予定だ。
ところが午前中、外は春の嵐か、大荒れの天気。
えっちらおっちら、バス・電車で来てくれるのは可哀想なので、昼からでいいよ!と
伝える。
由也君が我が家に到着したのは、午後1時だった。ようやく外の天気も回復してきた。
昼ごはんを3人で頂き、さあ!作業開始だ。
地べたを這うので、汚れてもいい作業着に着替える。
小さな喚起口から、床の下にもぐりこむ由也。

我が家は築おおかた30年の鉄筋建築だが、居間から台所あたりの床が緩んで来て
通る度に気持ち悪い。丁度ホアンが座っていたところが一番ひどい。
由也君が、下からトントンとたたいて「ここかなー?」と合図する。
2〜3箇所そんな所があるので、上から床をたたいて合図する。
場所がわかったところで、主人の用意した杭を何箇所か補強してくれる。
由也君はテキパキと仕事をこなしてくれる。
床の下に入れない主人は、外で材料の準備をしたり、家周りの片付けをしていた。
私は、夕方近くなったので、夕ご飯の買い物に近くまで出かけた。
10分ほどして帰ってみると、なんだか主人の様子が変!
脚立によっかかって、びっこを引いている。顔はひん曲がっている。
「どうしたん??」と聞くと、脚立一段目から落ちた!と言う。
安易に脚立を不安定なところに立てかけるものだから、脚立と一緒にひっくり返り
そのひょうしに足首をこねたらしい。
「ま、捻挫くらいじゃない?」といつもの私。

床の下の作業も6時過ぎに無事完了。由也君ご苦労様!
見れば、由也君叩けば、身体全身から真っ白いほこりだ!
外で脱いで、お風呂入って!と風呂に追いやる。

お風呂から出て来た由也君 「今日は楽しかった!」と半日作業に満足そう。
ついで、主人もお風呂に入る。「まぁ!入らないほうがいいんじゃない?」と言っても
聞きはしない。
びっこをひきひきお風呂へ入っていった。
明日は一応お医者さんに行って、レントゲン撮っておこう。
22(金曜日)『おとさん、ゲタ骨折!・・・』
夕べはそのまま、シップ薬を這って寝た。
今日は連休で休みなので、午前中外科に連れて行く。
待合室で待っていると、診察室にびっこを引き引き入って行った主人は
今度は車椅子に乗せられて出て来るではないか!
「ぎゃー、これは大変!」
どうやら、診断の結果、「げた骨折」というちゃんとした、病名をもらったようだ。
よくゲタを履いていて、コキっと足首をひねる事があるのだが、それから名付けられた
病名”ゲタ骨折”だそうだ。全治一ヶ月だそうな・・・・。
あ〜ぁ、これでしばらくパラグライダー出来ないぞー!!
ご丁寧に松葉杖まで貸し与えてもらっている。
さあ!帰って安静にしておきましょう!
この事を早速麗奈に報告だ!
メールでしらせると、すぐに折り返し心配して電話くれる。
笑っちゃいけないけど、何だか可笑しくて2人で大笑いしてしまった。
椅子から転げ落ちてみたり、肉を喉に詰まらせて、担架に馬乗りになって
救急車で運ばれたり、いつもおっちょこちょいなおとうさんである。

27(水曜日)『エリックに電話』
エリックの写真が数枚手元にある。いつか彼に送ってあげようと、思っていた。
聞けば4月10日がエリックの誕生日らしい。
何か彼に見繕って送ろうかな?と思い立ち電話してみた。
多分お母様だろう、電話口に出られた。私は覚えたてのスペイン語を
並べて、ご挨拶した。
なんだかチンプンカンプンで恥ずかしい。
No este en casa・・・とamigo・・・とかいう言葉が理解出来た。
どうやらエリック友達と出かけて家に居ない様だ。
「名前は?」と理解出来たので、Mi nombre es Aiko Inagakiと伝えておいた。
電話を切ると汗がどっと出てしまった。あ〜ぁ緊張しちゃった!!

夕方パソコンを開くと、ああ!エリックだ。
「きようは でんわありがとね。ともだちと映画行きました。と
ローマ字日本語でお詫びメールが入っていた。
エリックは日本語忘れず、上手に書いている。
「ホアンでんわした。かれげんき。いっしょうけんめい勉強してる」
とパーテイ・・・とホアンについての情報も入れてくれる。
多分7月ホアンコスタリカ来る・・・と書いているので、ホアンがエリックの
居るコスタリカを訪ねるのだろう。

でも元気そうで安心した。
エリックのメールの最後に彼のホストファミリーだった、井上さんの事
心配して、「井上さんと話しする?」と書いてあった。
私同様寂しくしておられるのではないかと思う・・・・。

28(木曜日)『井上さんに電話』
夕方ふと思いついて、井上さんに電話いれてみた。
お母様がすぐでられて、「稲垣ですー」と言うと、すぐわかって下さり
「どうですか?ホアン君連絡ありますか?」と聞かれる。
エリックは帰ったコール依頼、全然音沙汰無いんですよ・・・エリックが毎日毎日
ポストのぞいていた心境がわかります・・・」と言われていた。
毎日エリックの手紙をまっておられるのだろう。

23日に近所に今年の留学生が来たとの事、ニュージーランドから男の子が
やって来たらしい。
そして、今年は井上さんはLP(リエゾン・パーソン)の役目をされるらしい。
ようやく、エリックのいない生活に慣れた・・・と言われていた。

夜、もう一度エリックに電話した。日本の真夜中12時は向こうで朝10時頃である。
お母様だろう、出られてすぐエリックに代わられた。
エリック元気?どうしてる?と聞く。
今日は友達と映画行きました。コスタリカの映画?と聞くと、アメリカ映画だそうだ。
エリックは5月からカッレッジに行くそうだ。自分の夢はパイロットになる事だが
その大学は授業料も高いので、今からカレッジに行き、それから働いてお金を貯めて
パイロットの大学へ入りたいと言っている。
こんど、コスタリカとコロンビアのサッカーの試合ある。コスタリカ勝ったら、ホアンに
電話しますと言っていた。

エリックにはこうして気軽に電話出来るのだが、何だかホアンには未だ寂しさが
あるし、かけてもホアンが辛いだろうと思いなかなか電話出来ない私である。
とにかく元気でいてくれればそれに越したことは無い・・・・。

31(日曜日)『麗奈と花見』
今日は麗奈と近くの森林公園にお花見に行く約束をした。
お昼前にお母様の車で送ってもらい、麗奈が我が家に到着。
見れば後部座席に彼女の妹。お初である。
妹さんは、水泳の選手で県大会などにも度々出場、好成績を出している
アスリートである。。

お母様はすぐに帰られたので、私達はお弁当を持ち、森林公園へ。
主人は言わずと知れた、びっこひきひき神の倉詣でである。

今日は最高のお花見日和になった。
去年のまさに丁度今頃、日本にやって来て間が無いホアンを連れて、同じように
森林公園に行った。
こうして麗奈と同じ場所、同じ道を歩いていると、不思議な気持ちである。
ホアンも日本的感性が強かったので、綺麗綺麗と桜の花を愛でていた。
麗奈と音楽を聴きながら、ホアンの思い出話に花が咲く。
周りには、家族連れも多い。お弁当を拡げ、子供とキャッチボールしたり、
犬を遊ばせたり、のどかな風景である。
二人で持ってきたお弁当をすっかりたいらげてしまった。「ちょっと食べすぎね!」とニヤ笑い。
毎日ジョギングしたり、縄跳びしたり頑張っているのに全然体重減らない!と嘆く麗奈。
娘の時ってそんなものよ・・・・と慰める私。

   ホアン元気ー?おかさんと今日はお花見だー!   「ほら!このしだれ桜きれいでしょ!」

   「ホアン!去年おかさんと来たよねー!」    コロンビアで見てくれるかな・・・・。

   ホアン大好きのチーズ春巻きだよー!    ホアンもいたら楽しいのに・・・・。

「さ!家に帰って話ししよう」お腹も満腹状態なので、チョウチョ館を見て家に帰る事にした。
そう!去年もホアンと一緒にチョウチョと戯れたんだったなぁ〜・・・・。

もうすぐ麗奈の誕生日。今日はおとさん帰ったら、麗奈の誕生日祝いに
夕食を共にする予定だ。

   ほら!かわいい・・・・!    逃げないでねー・・・!

   ひょい、ここに止まれ!    おかさん、無理矢理つかんじゃって・・・

ゲタ骨折で飛べないおとうさん、それでも神の倉の空気を一杯吸って満足して帰ってきた。
時間も丁度良いので、3人で今日は外食だ。

ホアンが以前私の誕生日に一緒に出かけたインド料理の店に行く事にした。
去年の11月末の事である。
丁度ホアンはスピーチコンテストで優勝し、たいまい5万円を手にし懐が暖かかった。
ホアンは『ここは私にまかせなさい!』とばかりに食べ終わると、
サッとレシートを持ってレジに行ったのである。
私はホアンの好意に快く甘えることにした。本当に嬉しかった。
まるで昨日の事の様である。

今日は麗奈のもうすぐの誕生日をここで、祝ってあげる事にした。
彼女もインドの本格的料理”ナン”は初めてだと言う。
ワインを飲み、ひと時の楽しい時間が過ぎる。

そして、楽しい時間を過ごした私達はそのまま麗奈を家まで送って行く。
4月5日からは彼女は高校3年生である。
由也君も晴れて3年生に進級し、高校生活最後の一年がスタートする。
ホアンもきっと志望のアメリカの大学を目指して頑張っている事だろう。
それぞれに場所は違っても、お互いに夢を追いかけて、前に前に進む
彼らに大いに勇気と頑張りを分けてもらっている私達である。