少しずつ書くので気長に見てね! 


2001年1月5日
本日はオプションで市内観光である。
東京のSさん5人のグループはSさんカトマンズ市内詳しいので、タクシー雇って名所巡りだ。
もう少し自由時間欲しかったので、私達は午前中の半日コースを選ぶ。
8:00ホテル出発。現地人ガイドはサンタさんである。
少したどたどしい日本語ではあったが、一生懸命であった。
最初にスワヤンブナート寺院(別名モンキーテンプル)に行く。
8人乗りのワゴン車で、ガーガーブーブーの騒音がひどいオンボロ車であったが
れっきとしたベンツ車であった。
寺院の廻りはせまい登り道で人も車も多く、警笛の鳴らしっ放なしであるが
誰もそれくらいでは動じない。わが道を行くである。中国でも警笛鳴らし放しであった。
日本も警笛鳴らし放題で走っていたのは40年前位であったろうか?
『衣食足って礼節を知る!』かー?
今の日本で警笛を鳴らし放しにするのは暴走族くらいである。
この格言を使う時、いつもトイレットペーパーを思います。
日本では公共のトイレのトイレットペーパーを持って帰る人はいないと思うが
ここネパールでは公共トイレにトイレットペーパーは置いてない。
多分置けば持って帰る人が多いと思う。日本だって45年位前には
トイレットペーパーは置いてなかった様に思う。多分デパートでさえ?
その国でトイレットペーパーがいつ頃から置かれる様になったか調べると、社会生活状況の
一面が分ると思うのだが・・・列車トイレはいつから?公衆トイレはいつから?お店のトイレはいつから?etc・・
その国の公共のトイレにトイレットペーパーが置いてあるか否かが、
『衣食足りて・・・・』いるかどうかの一応の目安になると思っています。
トイレットペーパーがあるとホッとするというか、良かったね!という気分になる。
もっともトイレットペーパーのある日本においても、礼節を知るどころか
恥知らずな政治屋(家)や血税をすする官僚どもの多い事か!

市内観光の話に戻します。このスワヤンブナート寺院は仏塔の四方側面に
目が描かれている。仏様があまねく世間を見ているというわけか?
サルは神の使いとかで、たくさん居る。供物をもらっておとなしい様に見えたが
日本のサルと同じく、手提げ袋は取るらしい。寺院の境界の中にも沢山の
おみやげ物やが店を出している。仏具・仏像など並べている。
帰りの坂道では、怪しげな弦楽器や、みやげ物を売りつける露天商に声を掛けられた。
我々は無視してサッサと歩く。

   スワヤンブナート寺院の仏塔の目玉   しっかりと、お見通しの佛眼

   境内のお土産屋   境内のお土産屋

   一休み!!   境内のお土産屋


次は市内中央のダルバールスクエアー広場に行く。
カスターマンダプ寺院は一本の大木だけを木材にして建てられたという。
本日はモンゴルの大統領がみえるとの事で、交通規制があり、この
ダルバールスクエラー広場も歩く事が出来ないらしい。
路地裏を通って車が待っている所に急ぐ。
地元の生活の垣間見える通りで、面白そうであったが早足で通り抜けてしまった。

   カスターマンダプ寺院は一本の大木だけで建てた   橋の上での露天商

次はヒンズー教のネパール総本山とも言うべきパシュパテナート寺院へ行く。
ここは人生の終着駅ともいうべき火葬場のある所でもある。
聖なる川のほとりに火葬場がある。聖なる川とは名ばかり、今は乾季なので
水が10cmくらいしか無く、殆ど流れていない。まったくのドブ川。
川岸は石段になっており、等間隔で石のベッドが作られている。
材木を組んだ上に、すでに4体ほど並べられている。黄色の布にくるまり、花で飾られている。
女性はこの火葬場には参加出来ないで、家で最後のお別れをするらしい。
しかし、路地裏で泣いている女性の一団を見た。最後のお別れをしたいのは自然の感情と思う。
親をさしおいて子供が先に死んでしまうと、その子は火葬してもらえなく、土葬であるという事だ。
子が親より先に死ぬという事は最大の親不孝であるとの教えか?
一体に何か灯油の様なものがかけられ、火が付けられた。
頭部に主にかけていて、顔には何も被いが無い。顔から火を吹いている。
すさまじい光景を見てしまった。遺族や寺の参拝者や私達のような観光客まで
200人ばかりが対岸や橋の上から見ている中で行われる火葬である。
すぐにワラが身体に置かれ、白い煙が上がっている。
煙はたなびき皆の所にもたなびき、異臭もする。
火葬が終わると、灰は河に流してしまうとの事。50年前の日本の田舎でも
野焼きではあったが、夜2〜3人が番をして、火葬したらしい。
焼けて灰になる過程を親族が見守るという習慣は無かった。
子供の頃、年寄りから『野焼きすると、するめと同じで死人が立ち上がってくるので
針金で木にくくりつけておった』と子供心に恐ろしい話を聞いた。
その話を聞いた夜は恐ろしくてなかなか寝付かれなかったのを思いだした。
日本では、おどろおどろしいものはオブラートで包み、やわらげてしまう気持ちが
沸いてくるのだが・・・・
ここネパールやインドでは、死そのものを直視する風習があるのであろうか?
ヒンズー教のせいかどうか良く分らないが・・・。
死生観は人それぞれと思うが、ここネパール(特にインド)あたりでは、
死は日常的に身近に生々しく目のあたりにするようだ。
道端で人が行き倒れていたり、ガンジス川を死体が流れていたりするのを目撃するらしい。
日本人が特にインドで大きく死生観が変えられはまってしまう人も多いと思う。
今の日本では、人にしろ動物にしろ、死にざまを目撃する事が極端に少なくなってきている。
人でもペットでも、ほとんど病院で死を迎える為、子供達が生命尽きる
瞬間に立ち会う事が皆無に等しい。
実は私も親の死にざまを小学生の子供達には見せなかった。
ショックが大きいであろうと、病室の外に出していた。良かったか悪かったかは
わからないが、私の場合は孫達には、立ち会って欲しいと思う。
どんな死にざまになるか良く分らないが・・・。


   灯油で点火しワラをかぶせて・・・・   衆目の中での火葬

   花で飾られた遺体   聖なる川とは程遠い!

ショッキングな光景であったので、またまた脱線してしまった。
私達は午前中の部だけなので、ラディソンホテルに戻り、昼食を済ませ
一日コースの人たちと別れる予定だった。
「ホテルに帰っても又出かけるのが大変なので、昼食は市内の
日本食レストランにしませんか?そしてそのレストランで私達は解散でよいです。」
と提案。皆さん快く了解頂いた。
ヒマラヤそば処に寄ったが2時間待ちとの事。
それではと別の日本食レストラン”古都”に。ここは空いていた。
かつ丼を注文する。ボリュームもあり大変美味しかった。
モンゴルの大統領のパレードが通って行った。朝から軍楽隊は大通りに居たので
4時間はずっと待っていたのだろう。
この国の時の流れは、1時間単位ではなく半日単位の様だ!

   4時間も待った軍楽隊   市内でもたくさんの荷物

食事が終り皆さんと分れる。ロイヤルパレス脇を通り、タメル地区を歩く。
しゃれたお店も多く、メインストリートの様である。デジタルビデオカメラのテープが
少なくなったので、2〜3軒コダックの店に入って聞いたが無かった。
コダックの看板は出ていたが、結構大きなお店で、カメラも少し置いてある店に入った。
デジタルビデオカメラを見せ、テープを取り出し『有るか?』と聞いたら
店の奥から出して来た。Sony製のテープだった。さすがSonyだ。世界中にはびこっている様だ。
「日本で1,000円位の物だが・・・」と思って値段聞くと¥1,200であった。良心的だなーと感心する。
もう一度ダルバールスクエアーを目指して地元の商店街を歩く。
小一時間歩いたが、同じ様な店ばかりで疲れた。
喫茶店の様な小さなレストランがあったので、入って休む事にした。
メニューを持って来た。私はココアを嫁さんはなんやらプリンという物を頼んだ。
嫁さんはトイレは何処?と店員に聞いている。
嫁さん出て行って10分たっても戻って来ない。方向音痴の嫁さんなので帰って
来れないのかと心配になってきた。「まあ、娘ではないのだから、誘拐して
叩き売っても二束三文、香港ではないので、めったな事はないだろう・・・」などと
変な風に自分を納得させて待つ。20分過ぎてようやく帰って来た。
『トイレは3階にあって、マンションの共同便所みたいだったよ』と平気な顔でのたまわっていた。
日本では方向音痴だが、海外に出るとシャキッとするのかな?
プリンが出てきた。嫁さん変な顔をして食べている。私も一口食べたが何だか
マッシュポテトというか、メリケン粉のべとべとみたいな食感でまずい!!
外では、ガラス越しに50歳くらいの男乞食がこちらを見ている。
目が合うと片手を差し伸べている。目を合せるとこちらも可愛そうになって
情緒不安定になるので、うつむいてココアを飲む。15分ばかり外で粘っていたがいなくなりホッとする。
ここの場所が良く分らないので、市内地図を広げ、マスターに場所を教えてもらう。
目的のダルバールスクエアーはすぐ近くだった。
二人で95ルピー(150円)だったので、100ルピー置いて店を出る。

   四辻の仏像。後ろのレストランに入った   世にも不思議なプリン

歩いて5分ですぐに広場に出た。
シヴァパールヴァティ寺院では、上の窓から人形が体を乗り出して下を見ている。
シヴァ神とパールヴァティ妃だそうだ。歩いていると、絵はがきで見た事のあるド派手な像があった。
有名なカーラ・バイラヴだ。カーラ・バイラヴはシヴァ神の化身のひとつで
恐怖の神で、左手に生首、右手に剣を持っているのだが、何だかかわいらしい感じである。
この広場で布団打ちのおじさんが一人もくもくと作業していた。
カトマンズの一大観光地の広場で堂々と場所を獲って作業している。弓と同じ様な仕掛けの弦で綿を打ち
ふんわりと再生させるのだが、47年前の小学生の頃、大島の蒲団やさんで見かけたような記憶がある。
懐かしくなって側でしゃがんで見ていたら、「何がめずらしいのか!この外人!」といった
目つきで、上目づかいに見つめられてしまって、すごすごとその場を離れる。
歩き疲れたので、寺院の段段を上がってそこで一休み。10m位上がった所なので、広場の人の動きが
よく見える。9割方は現地のお参りの人でぞろぞろ歩いている。残念ながら聖少女のいるクマリの館は見損ねた。

   シヴァパールヴァティ寺院   ダルバールスクエラー広場

   カーラ・バイラヴはシヴァ神の化身   ダルバールスクエラー広場

   ふとん屋さん。一人で黙々と仕事をしていた   綿打機


別の商店街を取り帰途につく。同じ様なお店ばかり延々と続き、いささか歩くのにくたびれて、メイン通りに
出ようと見当をつけ、右に左に商店街を進む。
地元商店街の一角のお寺に足を入れて見てた。子供達が何やら見たことのある手つきで遊んでいた。
B玉(ラムネッチン)で遊んでいた。
子供の頃、中指にペンだこの代わりにB玉たこを作って遊んでいたものである。
あまり観察をしなかったので、ルールは良くわからなかった・・・。
自分のB玉の位置から左手の手のひらの距離でB玉をはじいていたのは日本と同じだった。
ネパールでB玉を子供の遊び道具として作っているのかどうかは、定かでない。
何かを転用しているのだろうか・・・?
今の日本では見かけることの無くなったB玉遊びを見て懐かしかった。
本当は仲間に入れてもらって、腕前を披露したいところだが・・・・
ビデオカメラをまわしているので、「なんだ!このおっさん!!」みたいな感じだったので
そそくさとその場を離れた。

   昔懐かしいB玉(ラムネッチン)   ネパール唯一見た魚屋さん

見覚えのある大通りに出た。後30分位歩けばラディソンホテルなので、ついでに歩く事にする。
くたびれて、お互い無口になる。口を開けば、衝突しそうになるので、只黙々と歩く。
ホテルの前のカシミヤショール屋さんに入る。若い店員が2名。嫁さん色々出させて品定めやら
値段を聞いている。「明日買いに来る」と言ってお店を出る。
今度はホテルロビーカシミヤショール屋さんへ入る。ここは結構品数置いていた。
価格もいろいろで、一番高いのはカシミヤ山羊のあごひげで編んだのが一番高い様である。
一枚¥25,000円とか言っていた。安いのはシルクの混紡(30%)だそうだ。信用出来そうなので
お土産に5枚買い込んだ。私も何か記念になる物が一つは欲しいと思っていたので、隣の宝石店に
入ってみる。欧米人の女性がいろいろ話をしていた。私は店員に纏わり付かれるのが嫌なので
しめしめとお店を物色。銀製の針金で編んだフクロウが面白そうだった。目は碧色の小さな宝石を
使ってある。店内に飾ってあるのを見たら、先ほど見た表のショウウインドウのフクロウが
作りもよく、気に入ったが値段表が良く見えなかった。仕方ないので店のおやじに出して貰う。
手にとって見るとなかなかの出来だ。日本円で¥4,800円と言っていた。
値切って¥4,000にしてもらった。高いか安いかはしらないが、一応間違いの無い物を買うには
そのお店のメイン(表)のショウウインドウに飾ってある物を買うようにしている。
そのお店の看板として出している物なので、余り間違いはないかと思うので・・・。



ネパール最後の夜は、ネパール料理を食べに全員で行く。
大きな金属のお皿にご飯を盛り、廻りに肉やカレーや野菜等を順順に盛り付けてくれる。
最初にロキシーという地酒の焼酎が出た。口の細い水差しで小さな(直径5cm)杯に注ぐ。
注ぎ始めて水差しを1.5m位上に上げる。しかし杯にちゃんと注がれている。
給仕の腕の見せ所らしい。ロキシーはアルコール度52%とかで、お酒の好きな人たちは
ストレートで旨い!!と言いながら結構お代わりしていた。
私はアルコールは一滴もダメなので火をつけて遊ぶ。青い炎をあげながら10分位は
燃えていた。
民族舞踊付のディナーなので、賑やかに夜は更けていきました。

   ネパール最後の夜   アルコール度52%のロキシーの炎