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| 2001年1月1日 朝6:30キッチンボーイ達がテントまで「ティー」「コヒー」or 「ココア」 を配ってくれて朝の目覚めである。 配り終わった頃、洗面器も持って来てくれ、お湯をそそいでくれる。 預ける荷物を整理したり、持ち歩く物をリュックにパッキングして7:00から朝食。 皆さん『おめでとうございます』 新世紀の始まりである・・・とは言っても到着したルクラ空港から上がったり、下がったりで 100m低い程度のトクトクは深い谷底である。サガルマータ連山の雪どけ水を集めて トウトウと100m下を河が流れている。初日の出と言いたいところだが、ここに居ては 昼頃まで日が射さないではないかと思う。まさに日本の広島の経済状況の様である。 本日はサガルマータ国立公園の関所を通って一気に600mのぼりシェルパの里 ナムチェバザールを目指す行程である。 ![]() トレッキングの最適時期は10月11月で今は世界からのトレッカーは少ないそうである。 行き交う人たちの半分は現地の人達であった。私たちが歩いている道は登山道なんかでなく まさにこの地の住民の街道なのである。街道であるので食べ物の袋などやはり落ちている。 ネパール語・英語・ハングル語が書いてある袋である。日本語の書いてある袋を見かけ なかったのでホッとした次第である。 トレッキング会社の人達のたゆまぬ努力が私たちトレッカーにも良い影響を与えているのだ ろうと、頭の下がる思いがした。小さな努力でも、徹底して行えば大きな実を付けるものだと 感じ入りました。 昨夜来ツアーリーダーの田久和さんが食事の時に出た樹脂製の袋など回収している。 ネパールには、ダイオキシン対策の焼却炉はないので日本まで持って帰るとのこと。 「アルパインツアーサービス社」は本当に山を愛し自然多き訪問国を愛する素晴らしい 人々の集団と見受けました。 サガルマータ国立公園の関所は200m位登りつめた峠に有った。 入国の許可証と入園料の支払いを田久和さんがまとめてやってくれる。 鉄砲をかついだ兵隊が居て、たぶんチベット人だろう行商人のチェックをしている。 ![]() せっかく登って来たのに又下りである。川原まで下り、今度は本格的な登りの様である。 もう吊橋をいくつ越えて来たか?川の水量は変わらず急流で氷河が溶け出した水といった 具合である。集落ごとにマニ石が積み上げてられている。 ラマ教のありがたい教えが石に彫られ積み上げられている。そのマニ石の左側を行くのが 作法である。タルチョ(経文の書かれた布)の旗竿左側を歩かなければならないが 道の端にあるのでわすれて素通りする事がある。 マニ車(経文の書かれた回転胴)も回転させると経文をとなえた事になるらしい。 張ってある綱にタルチョを付け、風にはためいているのを見るとなんだかうら淋しい 感じがする。吊り橋にはタルチョが結んであった。 ![]() ![]() 3000mを越える高度となり、空気も乾燥してきた。(今は乾季) 道は細かい砂と乾燥した牛の糞が混じり、足で蹴飛ばすと砂埃を上げる。 妙に喉がいがらっぽい。 ツアーリーダーの田久和さんが「喉をやれれますから兎に角うがいをして下さい」と 注意をしていたのを思い出す。 そうそう高山病の予防には・・・ @ 寒くしない事。(私は汗っかきで、はだかになって汗を拭いて体を冷やしていたなー) A 水分をたっぷり補給する事。高度と同じ量の水をのむ事。3000mだと3000ml水分補給。 B 息は鼻から吸い、息は吸うのではなく吐く方に気を入れる。自然と吸う量も多くなる。 余り守っていない様で心配だ!! 右手支流の川にかかる吊橋を渡ると谷間からサガルマータが見えた。 地上から見る最初のサガルマーターである。雪は無く黒々と山肌を見せている。 狭い谷間なので他の山は見えない。しばらく写真を撮ったあと、山腹の道をあえぎながら前進。 ここの植生は松ばかりである。 ![]() 昼食はロッジ。暖かいラーメンースープがうれしい。 食事が終わって外に出る。道の広いところで子供達が蹴鞠の様な遊びをしている。 私も仲間に入れてもらう。よく見ると輪ゴムの少し太いのを束ねて、それを蹴鞠の様に 蹴ってパスして遊ぶ。私は蹴ることは出来るがうまくパス出来ない。子供達は何度も 蹴っている。考えてみれば、この山岳地帯ではとてもボール遊びなどとても無理である。 しかし子供達は在る物をうまく使って何でも遊びにしている。 昔は女の子たちはゴム飛び、男の子達はクギ立てなど遊び遊具がなくても、 色々遊びを工夫したものである。 嫁さんは道端で白人と話をしている。 後で聞くとノルウエー人とアイルランド人で調子を悪くしているらしい。 一人が「ルクラに後どれ位?」と真剣に聞いていた。 二人連れでシェルパも雇っていない様である。そういえば西欧人は少人数で (せいぜい5〜6人位)で行動しており、シェルパだけ雇って行動している様に見えた。 でっかい体なので背負っている荷物も大きくポーター達はいない様であった。 ある集落では、2人の(6〜7歳位)子供達が「ナマステ」と声をかけてくる。 「ナマステ」は外国人たちが気軽な挨拶の言葉として定着させてしまった。 ネパール人たち同士では「ナマステ」と相手に手を合わせるらしい。 嫁さんはうれしくて子供達と握手した。私も握手してやった。 外人さんと握手するだけでうれしそうだった。 2m位先にシャツの中に手を入れてモジモジしている7歳位の男の子がいる。 私から手を出すとうれしそうにシャツから手を出し握手した。 小っちゃな冷たい手であった。 ここは山岳地帯なので、「ギブミーチョコレート」は無い様である。 『このままピュアーな心で大きくなって!!』と願うだけである。 ![]() 3時頃、山腹を廻りこんだ所でナムチェバザールが見えてきた。 ナムチェバザールの入り口である山門とスツーパ(仏塔)が見える。 田久和さんの説明だと、日本の”卒塔婆”の元であるらしい。 半分のすり鉢の地形にへばりつく様に集落があった。人口750人だそうだ。 シェルパ頭のオンチューさんの茶店に立ち寄り、ミルクティーをたっぷりご馳走になる。 田久和さんから、オンチュウーさんの奥さんが自分で編んだヤクの毛の帽子を 売っている事を聞いていたので、水を向けてみる。 目立たない戸棚の上の方に10ケばかり置いてあった。 かぶってみると暖かそうだったので買う気になった。 値段を聞くと150ルピー(230円)だそうだ。 「二つ下さい!」と言った。皆さんも買い始めた。全部売り切れそうになる。 誰かが”少し負けて”とオンチュウーさんに頼んだら、何やら奥さんに話しを していたが奥さんOKの様で130ルピーになった。 買った人に全員20ルピーづつおつりが出た。 200円になってしまった。円の力もここでは10〜100倍位なので2,000円〜20,000円と いったところか?しかし私達のふところは200円なので安いと思う。 丁度高校生の息子が新年で帰宅していた。カトマンズで寄宿舎生活らしい。 腕時計もしており、なかなか都会の若者の様である。 女の子が一人居た。養女の様な事を言っていた。 オンチュウーさんも茶店はロッジの経営をしており、ナムチェバザールでは 良い生活の様である。電話も有り私達の前で得意顔で町内の誰かに電話していた。 この電話、衛星電話で日本にもかけられるそうだ。ゲッ!! 大型のテレビにビデオデッキがデン!!と中央に据えられていた。 右手戸棚には200〜300本のビデオテープがちん座ましましていた。 近所の人がビデオテープ1本返却に来ていた。貸しテープ屋さんもやっているようだ。 なかなかの商売人と見た。 小一時休ませてもらって町内の野営地に移動。10軒ばかり土産物屋さんが並んでいる。 後からのぞいてみよう!! ![]() テントで洗面の湯をだしてもらい、うがいをしっかりする。すぐ上がロッジ。本当に町の一角 が野営地である。野営地の一角にトイレテントを作ってくれる。穴を掘っただけのトイレである。 一度使っただけで、(臭いがこもっているので)後は現地のトイレを使用させて頂いている。 このトイレ非常にエコロジーで無臭で、良く考えられたトイレであった。 木小屋の何の変哲もない便所。床の穴から下を見ると、日本のポットン便所の様な便つぼはない。 松葉が山になっている。実は便所の中にも、松葉が山と積まれている。 用を足し終わると、松葉を蹴り込んで臭いものにフタ!である。 つまり便つぼは無く、堆肥の山なのである。よってウンチの臭いは全然しないのである。 こんな寒いところで腐敗が進むか?と思うのだが、本当に臭わないのである。 日本のポットン便所に比べれば隔世の感がある。 中国では豚に食わせるそうであるが・・・・。人間世界と切っても切り離せないトイレ考・・・・ 世界のを並べると民族性も浮き出て大変面白いと思うのだが・・・・(本が出ていたら教えて!!) ![]() ひとしきりトイレに感心して写真に収め、お土産屋さんに行ってみる事に! 登山道具屋以外はどこも同じ様な物を並べたお土産屋だ。 なにやら現地の人が使った古道具には興味を引かれたが、みやげを買う事に専念する。 地図の入ったバンダナ・Tシャツなどはカトマンズで作ったものだし、ヤクの毛の帽子は さっき買ったがおみやげにする程良い品(目が詰まっていない!)でないし、結局ヤクか ゾッキョが首から掛けているカウベルの音がやさしかったので買う事にした。 値引き交渉したが1200ルピーを1100ルピーにしかならなかった。 夕方6時から食事。オンチュウーさんのロッジで食事である。ストーブをつけてもらい 早めに食堂に行ってストーブの番。 田久和さんも居て色々な話が聞けた。今の時期、雪は多くは積もらないが 寒いと−15°Cにはなるらしい。オンチュウーさん歳は47歳で奥さんは36歳(?)で 2度目の奥さんらしい。最初の奥さんとは死に別れという事だった。 「どおりで美人で若い奥さんだ」とからかったら(カタコトの英語で・・) 「ネパールでは何人でも奥さん持てる。どうですか?」と逆襲され 「いえ!一人でもてあましてます!」と逃げた。 頭が少し重く食欲が全くない!高山病に見舞われたらしい。 ここまで来る途中、東京から来たグループの中の女性Hさん、高山病にかかり 吐いたりしてしんどそうであった。 今度は私が高山病第ニ号となってしまった様だ。 夕ご飯が食べられない。私の様子を見て皆さん心配してくれる。 こればかりは慣れるしかないので、しっかり水分を採って深呼吸でもするしかない。 ストーブでしっかり暖をとり8時過ぎにはテントへ・・・。 ![]() |