2001年1月6日 朝5時半のモーニングコール。6時には荷物をホテル玄関に置き朝食。 何せ飛行機一機丸ごとチャーターして190名も居るので、今朝の食事は 座る所も無く大混雑である。 カトマンズ空港に行くバスの中で、搭乗手続きについて説明があり 『入国の時にもらった出国カードも用意して下さい』 あれ!!パスポートに挟んでない!!嫁さんの分は自分でちゃんと持っている。 私の不注意で又、田久和さんにいらぬ仕事をさせる事になるかも・・・。 田久和さんに「書類が見当たらないのですが・・・」「何処かにまぎれて いるかかもしれませんから、もう一度落ち着いて探して見て下さい」と田久和さん。 7:50にカトマンズ空港で荷物を受け取る。 もう一度リュックを捜してみる。「有った!有った!」ネパールの地図の間に 挟まっている。『やれ!やれ!』気が抜けてしまった。入国時に半分ちぎって 返してくれたので、絵も書いてあり書類らしくなかったので、てっきり記念品と 思い地図にはせ込んでしまったらしい。 8時40分に搭乗券をもらい、出国手続きして待合室へ。 今更ノータックスの酒やタバコも買う気がしないので、ネパール土産を 置いている店に入ってみる。 カシミヤショールも売っていた。壁掛けの木工製品が面白そうだったので3ケ買った。 10時半ようやく搭乗開始。12時40分ようやく離陸。 やはりヒマラヤ山脈は晴れていて視界や良好。サガルマートに最後のお別れをする。 来る時、目を皿に様にして見たので帰路はずっと寝ていた。 中国時間の18:40、重慶に到着。もう薄暗く景色は見えない。 実はアルパイン社が募集した計画には、帰路の重慶泊まりは予定されて いたが、中国西南航空の都合で、重慶泊まりが無くなり、カトマンズから 直行で名古屋への9日間の予定であった。出発の10日前になって 中国西南航空側から、カトマンズの出発時刻が読めないので、重慶に 一泊して下さいとの事だった。当然費用は西南航空負担となった。 到着したホテルは四つ星の素晴らしいホテルで、料理も12月29日の ホテルに比べものにならない程良いものが出た。190名分のホテル代と 料理代負担では中国側の誰か2〜3人の首が吹っ飛ぶのではと、密かに心配した。 皆なワイワイ楽しくやっているのだが、アルパインサービス社の人たちは 食事もせず、お客の部屋割りで忙しそうである。 テーブルでは、中国側のバスの添乗員さんが、ナッツ類の販売や 紹興酒のお燗をするやかん等を売り込んでいる。茶瓶が2重になっていて 外側にお湯を入れて湯煎でお燗をする道具である。 竜の姿も取り付けてあり、ひげが自由に動く様になっている。 面白いので一つ注文した。嫁さんの兄貴への土産にしよう! 大食堂を出るところで、中国の添乗員さんが『夜9:00にロビーに集まって 下さい!無料で市内夜間観光バスを出しますので・・・』と誘っていた。 観光とは名ばかりで、みやげ物店を巡るのであろう。と想像は出来たが 面白そうなので行く事にする。中国側にとっては、190名もの日本人が 行き帰りで2泊もするのに、ホテルに閉じ込めっぱなしでは勿体無いと 考えるのは、しごく当然の事である。ましてや、大赤字が出ているのである。 9時にロビーに皆さん集合し始めた。ロビーに通じる廊下で、 アルパインサービス社の人が「今夜の市内観光は中止です」と皆さんを追い返している。 たぶん、中国側がアルパインサービス社に無断で我々を誘ったに違いない。 アルパインサービス社も『自分達のお客さんの安全を確認出来ないのに 勝手に引き回さないでくれ!!』とやったに違いない。 バスの待機、土産物屋の開店待機など、中国側は更に赤字を広げる結果と なったに違いない。かわいそうに!! アルパインサービス社はトレッキングがメインで、観光やら穴場などには あまり気を使ってないと思う。普通の旅行会社ならば現地旅行会社と結託して お客さんを色々引っ張り廻して、お金を使わせ、楽しませ、チャッカリ裏金を 頂くといいうシステムらしいが・・・・。 この点、アルパインサービス社は硬派の様で気に入った。 道理で日本料理屋さんに行っても安かったし、田久和さんも食事分を 自分で払っていた。夜の食事タイムは田久和さんの残業サービスだったのだろう。 そんな訳で残念ながら重慶の探訪は空港との往復バスの中のみとなってしまった。 ホテルの廻りもお店も無かったし、9時過ぎれば殆ど店は閉まっているだろうから、諦めて寝た。 |