少しずつ書くので気長に見てね! 


2001年1月4日
本日でいよいよクーンブ地方(サガルマータの山岳地方)ともお別れである。
皆さん不用になった品物を現地スタッフの皆さんに差し上げるのに一ヶ所にまとめておく。
結構な量になった。現地スタッフの人達と一人一人握手をして別れる。
嫁さんお気に入りの例の16歳の少年とも握手。握手してびっくりした!
顔は幼く、身長も165cm位だが、節くれだった手は立派な大人の手だった。
ここでは、16歳は立派な働き手で、立派な社会人だった。
私共の子供と比較する様な次元ではなかった。

ルクラ飛行場に様子を見に行くが一向に飛行機が飛んで来る気配がない。
ルクラ空港は晴れているのだが、カトマンズ空港が条件が悪いらしい。
2時間ばかり待ってようやく飛行機の爆音が聞こえてきた。
少し雲は湧いているが、雲の切れ間を狙って3機ほどアクロバットランディング。
30分程待って4機目が我々の乗るイエティ航空だった。
今日もY夫婦とMさんが居残りで次の便で降りてくる予定。
テイクオフは谷に向ってあっという間であった。あとは順調に40分のフライトで
12時20分頃カトマンズ空港に着く。
我々の荷物は別便到着予定で、他のグループの荷物が沢山着いていた。
一時間ばかり荷受け所で待ってようやく受け取る。

   最後の記念写真。スタッフともに   ルクラ空港にて。お別れにスカーフを巻いて貰った。

空港の駐車場でバスが待っているので移動。
日本人の団体をめざとく見つけた坊さん、壺を片手に
「ナマステ!」と言いながらずっと近づいて来る。
駐車場に入ると、ザルを頭に載せたピーナッツ売りの10歳位の少年と
えもん竿に掛けたシャツ10枚ばかりを頭に載せ、手には編物の帽子や
靴下を持った12歳位の少年が付いて来る。
全員バスに乗り込む。坊さんは10分ばかりバスの周りをつぼをかかげて巡っていた。
坊さん諦めて行ってしまった。二人の少年は目が合うと呼びかけてくる。
何を言っているのか分らない。何ともシャイな少年達で迫力がちっともない。
アジアの観光地でよくある「千円!!千円!!」ではない。
30分もすると少年達は居なくなり、今度は7−8歳の悪ガキ共が3−4人バスに
寄って来た。物売りの少年は靴を履いていたが、この子らはゴムぞうりか、はだし
である。目が合うと手を出し、”何かくれー!”と言っている様だ。
バスの中の皆は「ダメ!ダメ!」とか、無視して目を合せないようにしている。
田久和さんの情報だと後発便は、まだ3時間ばかりはルクラを飛び立てないそうだ。



退屈になってきたので、バスを降り空港に歩いて行ってみる。
空港の建物の周りも大勢の人でごった返している。目的があって動き廻って
いるのでなく、何か待っていて、雑然としている様だ。ところどころに日本人の若者が
5〜6名のグループで座っている。今度はカトマンズ国際空港に向けて歩いてみる。
路上では靴の修理屋と果物売りの自転車がいただけであった。
右に兵舎を見ながら歩いて、国際空港へ・・・。
やはりこちらは国際空港ビルできれいだし、ごった返してはいない。
皆目的を持って移動している。物売りも一切居ない。駐車場に引き返す。
駐車場の一角では、アスファルトを製造していた。製造といっても、土地に穴を掘り
ドラム缶を縦割りしたものに、コールタールをいれ、バラスを放り込んでアスファルトを
作っている。コールタールで真っ黒になった作業員が5−6名働いていた。
後は枯草がまばらに生えている場所で、現地の人が三々五々50名ばかり
たむろしている。

   頭に被っているのはシャツ。手に帽子や靴下   チャーハン風スナック売りのお兄さん

ピーナッツや豆類を売っているおばさん、ミカン売りのおばさん、木のスタンドを
立てて、チャーハン風のスナックを売っているお兄さん等の物売りが居る。
チャーハン風の食物はケチャップで炒めた長粒米に5−6種類の具を
トッピングして、週刊誌の1頁をくるくると円錐形に巻いた物に入れ客に渡す。
厚紙を小さく切ったヘラも渡して、スプーン代わりだ。
10ルピー取っていた様に思う。10分に一人位は買っていった。
ミカン売りのおばさんは、1歳位の男の子(おしめもさせてないので丸見え!)
をあぐらの中に入れ商売している。
小さな木箱にタバコも入れている。タバコの封は切られて口が開いている。
現地の人が1本、3本と買いに来る。一時間で一箱(20本)は売れている。
高級品は1本3ルピー、普及品は1本1ルピーだ。ミカンは1キログラムで25ルピー
10ケ位ある。うまいかどうか分らんので、嫁さん10ルピー出したら3ケくれた。
もう一個頂戴!と手を出したら、ダメダメのそぶり。
ミカンを買いに来た現地のおばさん、1Kg計らせた。何やら客が言っている。
先ほどの物売りの少年が持っていたバネ計りで計ってミカンもう1ケ入れさせた。
計りが狂っていると言ってるようだ。しかしミカン売りのおばさんも、客のおばさんも
とげとげしい訳でなく、淡々としていた。
ピーナッツ売りのおばさんは二人居たが、けたたましい方のおばさんが面白かった。
このおばさん、先程のピーナッツ売りの少年の母親だ。少年がピーナッツのカゴを
母親の脇に置き、ポケットから売上金を見せていた。
別に母親がお金を取り上げるわけでもなかった。本日のノルマは達成の様で
興味ありげに我々のほうを見ている。何か母親に言われて頭をひっぱたかれていた。
別に反抗するわけでもなく、ひょうひょうとしている。
先程のTシャツ売りの少年から毛糸の帽子を出させ、ピーナッツ売りの息子に
かぶせてやっていた。やっぱ母親だな〜!
しかも同じ物売りの少年から買ってやるなんて!!良い場面を見せてもらった。
このピーナッツか豆類のが面白い!。逆三角錐で非常に入れにくいし
本当に底まで豆がつまっているか不安なのに、何故か町じゅうこの枡であった。
むいた豆は腹をこわしそうなので、殻付きピーナッツをたのむ。
10ルピー(16円)で片手に入りきらない位あった。小さくて少し固かったが
ピーナッツの良い香りのする豆であった。ピーナッツも15分に一人位は買いに来た。
北海道のYさんの話によると、先程のTシャツ売りの少年は田舎からバスで
ここまで商売に来たそうである。学校へは通っていると言ってたらしい。
小学校高学年になれば家計を助ける為か?自分の学費を稼ぐ為か?
はたまた、こずかい稼ぎか?すでに社会と関わって生きているのである。
私が中学生の頃はこずかいは皆な工夫して稼いでいたものである。
魚を獲ったり、くず鉄拾ったり、他人の手伝いをしたりしていたものである。
私はサラリーマンの子供だったのでそこまでする必要はなかったが・・・。
当時の子どもは己で稼ぐという事が大人の仲間入りをしているという
誇らしい気持ちと、自分家が貧乏で遊ぶ間も無く働いているという複雑な気分
の中でたくましく育っていった様に思う。;
あまりにもひどい家庭環境の子は心まで捻じ曲げられ不幸な大人になって
行った子もあるにはあったが・・・・。
貧乏なだけでは、決して心は捻じ曲がらないものです。愛さえあれば!!
親の愛、兄弟の愛、友人・知人の愛、教師の愛etc.そのうち1ケだけでも
人の心は立ち上がれるものです。しかし、今の世の中、真剣な愛の希薄な事か!!
世の中貧乏な時代には持っていた社会的な愛が今は失われてしまったのか・・・・!
ネパールにはまってしまう日本人が多いと聞きます。
私もネパールに来てネパールが好きになりました。生活した訳でもないし、
長く滞在したわけではないが、何か日本が置き忘れてきてしまった50年前の
日本の原風景がここに在る様に思えて仕方ない。
貧乏ではあるが何かやすらぎ
を感じさせてくれる何かが在る様に思う。

   ピーナツ売りの親子とミカン売り   スケッチを見せるHさんとピーナツ売りの少年

そうそう最後に物乞いの少年達について・・・・
先程登場したバスの周りで「何かくれ〜!!」と手を出していた悪ガキ共は
私らがバスを降りてうろついている時に3回位はねだりに来た。
素焼きの皿に入れたアイスクリーム?(ヨーグルトにしか見えなかったが)を
指し示し興味示すと「買ってくれー!」。ピーナッツ「買ってくれ〜!!」。
嫁さんに「ペンシル2本持ってるんだから一本くれ〜!!」等身振り手振りで
要求してくる。「ダメ!ダメ!」と我々に拒絶され続ける。
決して現地の人々に物乞いはしない。
ピーナッツ1ケかっぱらっておばさんに頭をひっぱたかれていた。
この少年達は物乞いを遊びとしてやっているようだ。生命をつなぐ事が出来ない
状態ではないようだ。カトマンズ国際空港の方から、兄と妹が歩いて来た。
兄は身体が大きく15歳位か?頭が異常に小さい
小頭児症の様だ。
鼻汁もよだれも流れっぱなしで、ビッコをひいている。
妹は6歳位か?ハッとする様な美人だ。(子供6歳で!!)
兄に洗面器を持たせた。日本人と見て近寄って来て、何やら言っている。
決して顔や目は見ない。横を向いて何やら言っている。
”物はやらないで”と言われて
いるが、見つめられたら負けたかもしれないが、絶対に目を合せてこない。
誰も何も出さないので向こうに行ってしまった。
しかし、現地の人には物乞いしない。バスの方でこれを見ていた
Fさん
あまりに不憫に思ったか兄妹を呼び止め、ピーナッツ屋の方を指差した。
ピーナッツを買ってくれるものと了解して、別のピーナッツ屋のおばさんの前に
しゃがんだ。おばさんはそのやり取りを見てなかった。
ピーナッツ5〜6個洗面器にほうり込んでやった。
「あっちに行け」としかっている。Fさん、飛んできて「私がピーナッツ買うからー!」
と1枡分買って与えた。
妹は当然のごとく受け取り”ありがとう”も無し。あいそ笑いもせず兄の手を引いて
行った。あきれてしまった。
後でその事を田久和さんに聞いたら、私が根本的に間違っている事が分った。
この国では(インドも同じだが)人に施しをする事は善行を積んで、
後生をたのむという事らしい。
つまり坊さんや乞食に施すのでなく、坊さんや乞食が皆さんに善行を積ませてあげて
いるのであって、皆さんが御礼を言う立場にあるらしい。
日本の様に「右や左の旦那様・・・・おありがとうごぜえます・・・」とは天地が
ひっくり返っているのである。『貧乏な事ははずかしい事ではないよ』という仏の教えか?
はたまた、金や物を出させるまでが勝負で、出させたら物乞いの
勝ち!といった気分が
あるのか?どちらにしても物乞いが卑屈でないのが、嬉しかったし、面白かった。
前述の空港から着いて来た坊さんとは、別の坊さんが花びら一枚一枚を現地の人の
頭に載せて廻っている。私の所にも来て頭に花びら一枚載せてくれた。
穏やかな顔をしている。片手に当然壺は持っている。
これには私も参ってしまって、ポケットに有った5ルピー紙幣を喜拾してしまった。
不思議な女乞食を見た。年は30歳位か?赤ちゃんを横に抱き、新聞の切り抜きを
手に持ち、物乞いしている。この駐車場で時間待ち(地方へ行く飛行機の)をして
車座で座っている現地の人にただ黙って片手を出している。
不思議な事に3分位でどの集団も彼女にお金を渡していた。
余程同情すべき状況なのか?何か伝染病らしきものを持っているので
早く追い払いたいのか?とにかく、100%の確率でお金をもらっていた。
しかし、我々日本人のグループには近寄っては来なかった。



東京のHさん、ピーナッツ屋のおばさんをスケッチしている。それを彼らに見せると
この息子や周りに居た人が寄って来る。ニコニコとうれしそうである。
それでは!とデジタルビデオをバスに取りに行き、ピーナッツ売り親子を写す。
再生画面を見せてあげたら、どっと人が寄って来た。さっきの悪ガキ共が
もぐれ付いて来た。30分位して、さっきの悪ガキの一人が真剣な顔つきで
言ってきた。自分の顔を指している。ハハーン!『自分も撮ってくれ!』という事か?
ビデオを撮るしぐさをしたら、嬉しそうにうなずく。先程までの、悪ガキの顔つきでなく
本当に無邪気な少年の顔つきだった。
再度バスにビデオをい取りに行き、4人の悪ガキ共を撮ってやって、いざ再生して
見せてやろうとしたが、バッテリー切れとなってしまった。
彼はガッカリしていた。

   ビデオが気になって!!   だいぶ、リラックスして来た

   悪がき4人組。みんな目は澄んでいた   この子が撮ってくれと!!良い根性してる。大物になれよ

P.M3:30頃ようやくルクラからY夫婦とMさんの3人が到着。
本日一日がかりのルクラ⇒カトマンズの移動となってしまった。
先程まで三々五々車座になっていたが、居なくなり始めた。飛行機が動き始めたか?
本日のフライトは諦めて帰宅し始めたか?
結局4時間以上カトマンズ地方空港の駐車場で待たされてしまった。
バスの運転手なぞは、朝9時に出迎えに来ているのである。
カトマンズ空港からラディソンホテルまで30分の運行予定が一日がかりである。
しかし、次の予定がないのか?悠揚せまらぬ雰囲気でイライラなぞしていない。
この国の時間の流れは神様が決めた流れであって、人が時間割をして
流れていないようである。この国には時間のストレスはまるでない様である。
私達には天国か?地獄か?




今回の旅行で今日が一番楽しかった一日であった。
旅の楽しさは、計画が3割、旅行中が4割、帰宅しての思い出話が3割である。
そして、旅行中の楽しさは景色のすばらしさは3割、人とのふれあいが7割である。
そういった意味で、現地の人々と半日も同じ所に居て、ゆっくりと人々を観察し、
言葉は通じなかったが、いくらかでも触れ合いが有ったのが楽しかった。
夕食は日本食が恋しくなってので、日本食レストランに行こうという事に話がまとまる。
P.M6:00ホテルロビーに集合。
タクシー乗り合わせで一人20ルピーでレストラン「槙」へ。
ここのオーナーは日本人女性で槙子さんらしい。
私達は幕の内(480ルピー)をたのむ。ママさんから雑煮がサービスとして出た。
海外の日本食レストランといえば、高いのが相場だが、リーズナブルなのがうれしい。
量も多く、1週間ぶりの日本食にありついた。

ヒマラヤ山系(クーンブ地方)百景