少しずつ書くので気長に見てね! 


2001年1月3日
昨夜は、9時に寝たので4時には目がさめた。トイレに行き空を見上げる。今朝は一面の星空だ。
昨夜見た北斗七星がどれだか良く分らないほど星が光っている。冷たい夜空に一個一個くっきりと見える。
大きな星は瞬いている。星の瞬きを見るのは何年ぶりだろう!!
感激して15分ばかり星空を見上げていたがシンシンと寒さが身にしみる。
慌ててテントの中に。目がさめてしまって寝付かれない。
5時過ぎには皆さんも起き始めた。長男が中国で買った羽毛のジャンパーを着込んでテントを這い出す。
もうすぐ日の出の光が目の前の山に当たって茜色に輝くはずである。今朝は雲ひとつ無い快晴である。
遂に山頂がポチっと茜色に染まり始めた。1分毎に山頂から茜色が広がっていくのが分る。
20分位で山頂から2〜300m茜色に染まったところで、急に日中の白色光に変わり始めた、今朝の
メインエベントは終了。しかし自然がおりなす光のページェントは一瞬のまたたきのうちではあったが
素晴らしいものだった。

   最初は山頂だけポチッと茜色に   朝陽のあたる山頂は一面茜色に染まる。

   茜色は少しずつ広がる   2〜300mまで茜色に!!!

   茜色は消えつつ・・・・   そして、昼間の色に変わってしまった。

本日は2日間かけて登ってきた行程を9時間ばかりかかって下山である。
6:30朝食。7:00朝もやのナムチェバザールを出発。表通りは現地の人の影は少ない。
途中、広場で昨日市を開いていたチベットの行商人達が野営している側を通った。
驚く事に安物の中国産のレジャーシート一枚を屋根形にしている中で寝ている様だ。
2日前、登ってくる途中で行商人達に出会ったが、担いでいるのは商品しか見えなかったので
シュラフ、鍋、釜等持参しているとは思えない。着の身着のままの様である。
これで-15°Cを耐えるとは!
昨日出会ったチベット人はなかなかの面構えであった。昨日も書いたが、人間の経済活動の
すさまじさを原点で見せてもらった様に思う。
山々を越えるシルクロード、砂漠を越えるシルクロード、荒波さかまく海のシルクロードで
千年の昔より、商人達は生命がけで動き回っていたのだと実感した。

今日は9時間かかるそうなので、とにかく一生懸命歩く。まわりの景色を楽しむ余裕は無い。
馬に乗ったトレッカーが馬子に引かれて追い越して行った。体力限界で一日9時間のトレッキングに
自信の無い人が雇った馬タクシーである。今朝ナムチェバザールで馬タクシーの案内があった。
馬子と馬セットで一日100ドルという事であった。
アメリカ西部の平原で馬に乗るのはかっこいいが、トレッカーがヒマラヤ山脈で
馬子に引かれる姿はとても頂けない。
革の登山靴や、立派な登山コスチュームに身をつつんで、トレッカーは恥ずかしそうに
馬に乗っていた。

昼食はくたびれて食欲なし。登山ベテランのMさんも食欲無くて、ベンチで休んでいる。
昼からも強行軍だったので、Y妻さん、72歳のSさん、新潟から来たSさん、東京のHさんも
へばっている様だ。嫁さんは元気でスタスタとはるか前を歩いている。
パーティの列は前後で延びきってしまい、私はひとりぽっちでふらふらになりながら
ルクラの町を歩いた。「今夜の野営地はどこかなー?」と不安になりながら歩いていると
路地に入り口にスタッフが立っていて、案内してくれた。テントに入りしばし休息。

   昼食はいらん!!休ませてくれ!!   馬タクシーの三人

夕食後はスタッフ達への感謝を込め、皆で400ルピーづつ出し合い
ビールや御酒を買って慰労会である。
夕食の後片付けが終り、テントの外に現地のスタッフ達が集まり始めた。
田久和さんの簡単な挨拶が終り、ビール1本づつ配って”乾杯”。
以前はネパールにもビール会社が有ったが、あまりにもまずいので倒産したそうである。
ビールは外国産なので、ビール1本の値段は彼らの日当と同じであるそうな。
あとはロキシー、(焼酎)等の地酒。
身体が温まった頃、太鼓は鳴り出した。腰鼓の様で細長く(長さ50cm、直径20cm)
伸ばした足の上でたたいていた。太鼓の名前は”マンドル”と言った。
シェルパの最年少(16歳)の若者が踊り始めた。
何となく次男に似ていたので嫁さんのお気に入りだった。
テレビで見た中国西域の踊りに似ていた。
田久和さんが「皆さん一緒に踊りましょう!!”」と誘って、うちの嫁さん真っ先に踊りだした。
踊ると言うより、手足をばたばたさせているだけだったが、しばらくするとステップも合ってきた。
Tさんもすぐに加わり、飛んだり跳ねたりで、この二人最後まで躍り狂っていた。
本当はキャンプファイヤーといきたいところだが、テントの外に吊るした二つのカンテラだけで
闇にうごめいているので、何やら異様な感じである。
一時間位過ぎて、終焉の頃、田久和さんに私も引っ張り出されてしまった。
ずっと見ていたので、出来るかな?と思っていたが、音痴の私にはまるでダメだった。
手と足がバラバラで、水におぼれてもがいている様な動きである。
やっぱ私には音楽は無理の様だ!悲しい・・・・。
田久和さんから「皆さんの不用品で、明朝現地スタッフに差し上げる物を
まとめておいて下さい」という事だった。
「サンダル・靴下・シャツ・タオル・・・・何でも不用品は彼らも助かります」との事であった。
スタッフの子供達へのオモチャは預けたので、後はタオルを沢山持って来ていたのと
手帳・ボーペン・お菓子類を差し上げる事にした。


   最初から最後まで踊り狂っていた。   男性的でロボットの踊みたいなTさんの