少しずつ書くので気長に見てね! 


2001年1月7日
朝6時モーニングコール。既に嫁さん目を覚ましている。
嫁さん、今朝気が付いて思案していたらしい。実は『昨夜12:00までに飛行機に乗せる荷物を
部屋の外に出しておいて下さい』と田久和さんに指示されたのにすっかり忘れて寝てしまった。
とりあえずホテルの玄関に持って行ってみようと、荷物3個引っさげ部屋を出た。
エレベーターに向う途中フロアーボーイが飛んで来て『預ります』と言っているようだ。
飛行機に乗せる為の荷物なのだが、事情分っているのか不安であったが、委細承知!!って
顔つきなので荷物預けて、エレベーターのところで別れる。
ちゃんと飛行場に持って行ってくれるのかなあ??
7時頃ロビーに降りているアルパインサービス社のスタッフは忙しくしている。
ロビーの片隅に15ケばかりの荷物がある。190名近くの団体だと私のようなうっかり者が
何人か居る様である。まだスモッグと霧で薄暗い中を7時出発。
重慶空港では出国手続きで大騒ぎ。実は出国申請のカードが2001年から変わっていて
アルパインサービス社が私達の名前まで書き入れてくれた書類は没!!
最初にゲートインしようとした人は追い返され面食らう。自分でカードに記入する事になり
だいぶトンチンカンな事を書いたようだ。
”帰省”とあったので、それかと思ったら、中国人が中国に帰る事だったりして、190名が
一度にカードを書くので大変だったが、同じチャーター便のお客なので殆どフリーパスの様だった。
待合室の売店では、ルピー・ドル・元・円、何でもOK!小額なルピーでもお菓子類の
販売で”兎に角、円以外のお金はすべて置いて帰って下さい”という感じだった。
昨夜の市内観光騒ぎ事件といい、さすがソロバン発祥の国である。
50年近く社会主義体制で来たが、少したずなをゆるめただけで、
商人気質が駻馬の如く疾走している感じがする。
改革解放経済で自由主義経済の匂いをかいだだけで、これである。
もはや共産党も官僚達も後戻りをさせることは出来ないだろう。
紆余曲折はあろうが、納まるところに納まって行くんだろうなぁ〜!
日本も10年も不景気に沈んでいる場合でないと思うのだが・・・。
みんなが将来に不安無くお金を使えるように早くして欲しい。
苦しくても、はっきりと展望の示せる指導者が望まれる。
指導者は天才がポっと出てくるものでなく、国民が押し上げてやり、仕事の
やり易いように持っていかないと、誰がやっても立派な仕事は出来ない。
首相の悪口ばっかり言っていても一つも良くならない。
(森さんで良いとは全然思ってないが・・・)
結局いつも国民がつけを払わされるだけである。
いっそ、首相は国民選挙にして、4年間は仕事に専念させるのも、一つの方法と思うのだが・・・。
『金は天下の廻り物』で皆んなが安心してお金を使えるような状況にしないと
景気はいっこうに良くならない様だ・・・・。



とんだ脱線をしてしまった!
1世紀近くも眠りこけている『眠れる獅子』の中国をもう少し観察してみたかったのだが
ここ重慶では、行きも帰りもホテルに泊まっただけとなった。非常に残念だ!!
今日も視界不良の霧の中を8時50分飛び立つ。行けども行けども眼下に雲しか見えない。
退屈していると、東京のUさん、果物をくれた。ざくろの様に一粒づつの実で
大きさはざぼん位。名前は忘れたが甘くはなかったが、みずみずしかった。
聞くと昨夜市内観光というので、ロビーに降りたが中止という事で、ホテルを出て
近くの路上で果物売りのおばさんから買ったとの事。
しまった!!私の一番やりたかった事をされてしまった。
青果は現地でしか食べられないので、果物を見つけたら必ず買って食べる事に
しているのだが・・・残念!!
とうとう上海上空でチラット陸地を見ただけで、海上も雲また雲で、日本に帰るまで
何も見えずであった。12時すぎ名古屋空港着。
皆さんとお別れして、リムジンバスで名古屋駅へ。
名古屋駅プラットホームで待っていると『お客様にはお急ぎのところ、大変御迷惑をおかけしております。
只今1分遅れで列車が入って来ます白線の内側にてお待ち下さい』の駅員のアナウンス。
日本は1分単位で時は流れるのだー!ああ日本に帰って来たなあ〜!!!




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