スーちゃんと稲垣夫婦のホームステイ日記
愛子 記
2008年 8月 |
7月の某日、AFS広島支部長の槙原さんから電話が入った。 市内の高校に通っている女子高生のホストファミリーになってもらえないか、というお話であった。 早速この話を主人に諮る。「女子高生?」 「うん?」と主人。 稲垣家が最初にホストファミリーを努めたのは2001年4月からの約一年間、 コロンビアから来た男の子ホアンであった。 その当時はまだ私たちは仕事を持ちながらのホストファミリーであったが、なんとか無事にホストを務め上げた。 そして平成17年7月から半年間タイの女の子、パッチャンを預る。 息子二人を育てた私達にとって女の子は初めてだった。 だが、このパッチャン!ちょっとハチャメチャの女の子だったが、とっても明るく楽しい子で、その後、主人は [女の子はいいなぁ〜!!]と,すっかりおじさんというか、おじいさんモード。 パッちゃんも、ある時には厳しく、ある時は優しい主人にすっかりとりこになり、 「おとうちゃん!おとうちゃん!」と慕うようになった。 そんなわけで、女の子第二弾!という事で、まんざらでもなさそうだ。 実は、平成18年4月より仕事をリタイヤし、晴れてフリーの身となった。 そして主人は身体の動くうちにやりたい事をやろう!!と頭の中でいろいろと計画をたてていた。 (私の思いとは別に・・・) なので、何度かホストファミリーのお話を頂くも、ずっとお断りし続けていた。 昨年の夏には、本州が梅雨の時期に北海道への旅に出た。 一ヶ月間、ボンゴフレンディーに布団を積み込んで当ても無く北海道を走り回った。 北海道の涼しさに魅せられて、今年も去年同様6月半ばから7月半ばまで北海道行脚をした。 勿論主人の趣味、パラグライダーも積み込んで・・・・ フリーになってスペインに一ヶ月、今年の二月にはオーロラを見にフィンランドも訪れた。 こんなふうに主人としてはいつでも思いついた時にフラッと旅に出られるように、 身体をいつも自由な状態にしておきたいという思いなのだ。 ところがこれは主人の思いだけであって、当の私としては、家を空けるのもせいぜい一ヶ月が限度。 家の事も気になるし、一ヶ月も外の暮らしをしていると、体に偏重をきたす。 今年の北海道も、ストレスなのか、温泉の湯が合わなかったか、身体は湿疹だらけ、肌の手入れも行き届かず、 なんとなくイライラしてくる。 早く我が家に帰りたい!!と心の中で叫んでいた。どう考えても私には一ヶ月が限度である。 そんな訳で槙原さんからのホームステイの話も、主人が賛成すれば当分出かけないで済むなぁーと 主人のOKを期待した。 今回ホストファミリーを希望している子は、4月にスリランカから来ている女の子で瀬戸内高校へ通っている。 名前は「バラスーリヤ・ムディヴァンセラゲ・ウダニ・スガンディカ・バラスーリヤ」と言う随分長い名前の子だ。」 支部長さんは「スガンディ」と言っておられるようだ。 ホストチェンジで新たなホストファミリーを探しておられ、槙原さんも随分あちらこちらにあたってみられた末の お話であったようで、主人もよくよくの事だろうと、一晩考えた末にお引き受けする事になった。 スリランカという国についての私たちの知識はあまりない。 インドの南に金魚の糞みたいにチョコンと位置している国。昔はセイロンと言っていた。 紅茶で有名な国だ。ほんのそのくらいの知識なのである。 恥ずかしいので、もう少しインターネットで我が家に来る前に調べておこう。 |
8月24日(日曜日) スリランカの事を調べる暇もなく、ついに彼女の来る日となってしまった。 今日午後AFSの沖田さんが我が家へ連れて来られる予定だ。 迎える準備は整っている。 3時前沖田さんから近くまで来ましたとの電話が入る。団地なので迷われたらと思い主人が道路に出て待つ。 私は、予定より20、30分早かったのであわてて冷たいものを用意する。 主人が道に出たと思ったらすぐに車が到着。 スタッフの沖田さんと彼女のお母さん、そしてスガンディだ。ニコニコと笑顔のスガンディがそこに居た。 夕方近くまで色々の伝達事項や、スガンディについての日本の生活、学校での様子など聞く。 沖田さんはスガンディのLP(リエゾン・パーソン)もつとめておられる。 LPというのは、ホストファミリーと留学生の間にたって、相談事や悩みなどを聞いたりする立場の人を言う。 そのほか沖田さんはAFSのスタッフとしていろいろ活動しておられる。 ういういしくとっても利発そうな可愛いお嬢さんだ。 スガンディも沖田さんと友達のようになんでも相談し、いろいろなところに行ったりとても親しく接している様子だ。 実はこのスガンディ、日本語を勉強するために毎週土曜日、私の活動している国際ボランティアクラブに 来ていたのだ。 私は今入門クラスといってほとんど日本語の話せない外国人や留学生などを受け持っているが、 スガンディはスリランカで3年ばかり日本語を勉強してやって来たので日本語はとても上手。 なので彼女はIVCの上級のクラスに入っている。 聞けばずいぶん前から来ていたようなのだが、私は全然見覚えがなかった。 そのことをつい4、5日前に知ったので、上級クラスの先生にスガンディについて聞いてみると、 すこぶる評判が良く、一生懸命日本語を勉強しているとの事だった。 そんな訳でスガンディとは何か縁が有ったのかなと思う次第である。 話し込んでいるうちに5時近くなり、沖田さん母・娘は夕方新たにアメリカからやってくる留学生を 広島駅まで迎えに行かなければならないので・・・と我が家を後にされる。 主人はいつも我が家に来る留学生を呼びやすい名前を付ける。パッチャラポーンはパッちゃんだった。 「スガンディって言うのはどうも硬いイメージだなぁ! スーちゃんにするぞ」と来る前に決めたいた。 私は何だか簡単すぎて、彼女気に入らないかも・・・と心配していた。 沖田さんが来られて彼女をスーちゃんと名づけましたというと、「前のホストの家でもそう呼ばれていましたよ。」 といわれる。じゃー安心して“スーちゃん!!”と呼ぼう。 スーちゃんを二階の勉強部屋に案内すると「ワー!いいなぁ!!」と気に入った様子だ。 あなたの部屋だから好きに使いなさいと言ったものの、スーツケース大小3個、大きな紙袋にも靴や制服、 学校の本などいっぱいある。 これではとても小さな洋服かけでは足りそうにない。私たちの洋服ダンスも明け渡すことに。 これならゆったり入りそうだ。 片付けも終わったらしく、下に降りて来たスーちゃんを連れて近所への紹介に廻る。 我が家の前は斉藤さん。表札を見て「さいとうさんね」と即座に読んだので「へー良く分かるのね〜!」と びっくりして言うと、「おかあさん、ここに英語で書いてあるよ!」とニコニコ。な〜んだ。 「また娘が出来ましたー」と近所5〜6軒にご挨拶に廻ると、うれしいなぁーと大喜びのスーちゃん。 「スリランカでも皆んな近所の人知ってるよ」と、日本での初めての経験を喜んでくれた。 私の住んでいる地域もだんだん高齢者団地になりつつあり、近所は60歳〜70,80才代方が多い。 パッチャンもホアンも随分近所の方々に可愛がって頂いた。 スーちゃんも我が家の家族同様なので、自己紹介をして廻る。 「わたしはスリランカから来た、スガンディです」と言うと、皆さん一様に「エッ?スー何?」と聞き返される。 すると、すかさず「スーちゃんと呼んでください」と言う。「ああ、スーちゃんね。宜しくね」と笑顔で応対して下さる。 スーちゃんがあまりに日本語が上手なので、皆さんびっくりされている。 高齢者団地なので、これまた皆さん一様に「17歳?若いわね〜!!!」という言葉が返ってくる。 さて、近所へのご挨拶も終了。 時計を見ると、すでに7時を廻っている。準備したスープ・てんぷら・巻き寿司(既製品)等を食卓に並べる。 二階に上がって行ったスーちゃん、手になにやら抱えて降りてきた。 「これはパパに、これはお母さんにね」と言って私たちの前になにやら差し出すスーちゃん。 それはスリランカからのお土産で、像の絵の入った壁掛け、紅茶、コーヒー、バナナの皮で作った小銭入れだった。 「沢山、沢山ありがとうね」とお礼を言う。 スーちゃんはスリランカで3年間日本語を勉強しているし、日本に来てすでに5ヶ月なので会話には全く支障がない。 スラスラとしゃべり、私たちの言うこともほぼ全て理解してくれている。 我が家に来て最初の晩餐!なので、食卓の向こうではデジカメがまわっている。 でも、そんなことを意識する暇もないくらいスーちゃんはおしゃべり上手で楽しい。 ぽんぽんと次から次へと話題が飛び出す。 スリランカの事、学校の事、日本に来てびっくりしたこと、楽しかった事。 我が家に来る前のホストファミリーの方とのいろいろな楽しい経験・・・と枚挙に暇がない。 我が家に来たホアンの時も、パッちゃんの時も時間があっという間に過ぎるほど話し込んでしまったものだ。 スーちゃんも大きな声でおしゃべりし、コロコロとよく笑い、吸い込まれそうな大きな目をきらきらさせて、 いろんな事を話してくれる。 きっと私たち二人の生活に強烈なスパイスを振りかけてくれることだろう。 明日からがとても楽しみだ。 |
8月25日(月曜日) 夏休みももうすぐ終わりだ。スーちゃんも明日は学校へ行くという。 さしあたって学校への経路、バスの乗り方を教えたり、肝心のバスカード等も購入しないといけない。 朝食の後、早速私とスーちゃんは近くのバス停からバスに乗り瀬戸内高校近くのバス停まで乗る初体験をする。 バスの後ろを主人が付いて来ている。瀬戸内地高校近くのバス停「三本松」をしっかりメモ書きに書き止めるスーちゃん。 降りて主人の車に乗り込み次はバスカード購入だ。 この路線は赤と白のバス、「広島バス」なので大洲の車庫にてカードが購入出来る。 スーちゃんは12月に行なわれる留学生の為の「日本語能力試験」を受ける事になっている。 9月12日までに願書をださなければならないのだが、まだ願書も取りに行っていないという。 早速近くの本屋さん、ダイヤモンドシティの双葉図書にて願書を購入する。一応これで今日の予定は終了だ。 まだ食べた事がないと言うので、近くのうどん屋さんでうどんを食べる。 さて、スリランカについて、又スーちゃんのプロフィールを紹介します。 「スーちゃん!お母さんはホームページを書こうと思うけどいい?」と言うと、 「えぇー!!書くの?なんでも書いていいよー!!」と嬉しそうに快諾してくれた。 彼女は今回AFS派遣生として志願者100名の中から選ばれた2名の内の1人である。 もう一人は神奈川に行ったという。 スリランカという国から珍しいなぁーと思ったが、もう20年くらい前から日本には派遣されているという。 ただ、ここ4、5年留学生のトラブルがあり途絶えていたとの事。スーちゃんも責任重大のようだ。 スーちゃんは両親と妹1人の二人姉妹。 首都 スリー・ジャヤワルダナプラコーッテ (以前はコロンボ)に近いクルネガラという町(村?)に住んでいる。 お父さんは医師、お母さんは科学の先生だという。 スリランカの就学制度は1年生から13年生まで、一つの学校に通うのだそうだ。 スーちゃんの学校の生徒数は3000人余り。 主人はグーグルアースでスリランカにフォーカスし、スーちゃんの家や学校を探してみる。 「えー!そんな事出来るの?」と大きな目を白黒させてコンピューター画面を食い入るように覗き込んでいる。 スーちゃんの町にズームインだ! 「アアッ!これ私の学校!!」と叫ぶスーちゃん。 3400人の学校だけあって、大きな校舎が並んでいる。ここが私の教室!!と指差している。 スリランカは民主社会主義共和国なので、13年生まで全く授業料や学校にかかる費用は要らないそうだ。 しかし、職業の自由はあるという。(試験は勿論あるらしいが・・・) 学校からスーちゃんの家までたどっていく。「ここからスクールバスに乗って・・・ここからずっとねー」と教えてくれる。 「ここ!」と示した指先を見ると、周りは緑に囲まれて田んぼも見えるが、家が沢山あるといった感じではない。 スーちゃんの家にピンを立てておく。 スーちゃんは日本に来る為に数々の試験を受けたらしいのだが、ちょうどその頃「デング熱」という伝染病にかかり、 村の病院から町の大きな病院に搬送され、一週間近く大変な状態だったらしい。 どうにか快復した頃にインタビューがあり一応受けたという形だったので、もうダメだと思っていたらしい。 「私はとってもラッキーだった」と日本に来れた事を心から喜んでいる。 ラッキーというより、やっぱりスーちゃんは自分の考え、意見をしっかり持った利発な子なので 来るべくして来たんだなぁと私達には思える。 スーちゃんにとって海外は今回の日本が初めて。 お父さんもお母さんも娘を遠く離れた日本の地に旅立たせる事にさぞかし胸裂かれる思いであったろう。 家庭のお話を聞くと、それはそれは二人の娘を大事に大事に育てられた様で、 スーちゃんも両親の愛情をいっぱいに受けて今日に至ったようだが、やはりご両親も 「可愛い子には旅をさせ」と言う諺の如く、今回のAFS派遣に挑戦させられたのであろう。 スーちゃんと一緒に夕ご飯の支度をするも、おもちゃ箱からおもちゃが飛び出してくるように、 次から次へと話題が広がり私たちの様子をビデオ撮影している主人「手が止まってる!!」と一言。 それを聞いてまたコロコロと笑うスーちゃんである。 夕食が終わっても3人で遅くまで話が尽きなかった。 |
8月26日(火曜日) スーちゃん学校へ。 実際の登校日は28日からなのだが、今日は日本史の勉強の為、1人学校に行くという。 日本語が理解出来なければ、他の生徒と同じ様にクラスで授業を受けるというのはさぞかし大変で、 苦痛を伴う事だろうと思うのだが、日本語の良く分かるスーちゃんは、ちゃんと皆さんと同じ様に授業を受けている。 試験も他の生徒と同じ問題を同じ様に受けたそうだ。 世界史、日本史、古典、家庭科、勿論英語も。これが成績すこぶる優秀!! 試験も同じ様に受けたそうだ。結果は、日本史98点でクラスで1番! 世界史69点 クラス6番目 英語95点 Writing 98点 これは全校でトップ 驚くべき結果である。 「でもねスーちゃんびっくりしたよ!みんなの前で私の成績を先生が発表されるとね、他の友達みんなが すごい!!良かったね!!素晴らしいねと喜んでくれたよ。これってスリランカでは絶対ないよ! びっくりした!!!」とスーちゃん。 よく聞いてみると、スリランカでは競争が激しいので、一点でも負けると悔しがって、次は頑張ろうと 意欲を燃やすらしい。そして表向きは、全然勉強してないよ!と言いながら、夜遅くまで頑張るらしい。 これは日本でもある事かな? それにしても主人と顔を見合わせ言葉のない私達。 そんな訳で、担任の先生にとっては、前向きに一生懸命勉強するスーちゃんの為にわざわざ学校に 出てきてくださって2時間位教えて下さるらしい。 「スーちゃん、瀬戸内高校に行って良かったね〜!!」と主人が言うと、「はいパパ、スーちゃん ほんとにラッキーだったよ!!」とニコニコ。 「日本史って、どんな事今やってるの?」と聞くと、「今ね、縄文文化、弥生文化でしょう。埴輪、古墳、聖徳太子とか・・・」 と、私達がは〜るか昔に習った歴史用語がポンポン飛び出してくる。 「おかあさん!とっても面白いよ!!」と目をキラキラさせて話してくれるスーちゃんである。 学校の授業が終わると、留学生会館に行き日本語の勉強である。 1時半から5時まで私の属しているIVCのスタッフである佐藤先生が、スーちゃんと もう一人女学院に来ているベトナムのチャンの為に教えられている。 二人共12月に行なわれる、留学生の為の「日本語能力試験」を受けるため、必死で頑張っている。 スリランカのお母さんからも、以前行なわれた試験問題用紙をコピーして沢山送って来てもらっている。 と言うより、強制的にお母さんから送られてきたようだが・・・・。 そう考えると、スリランカの子供達(親も含め)の向学心(競争心)というものは、なみなみならぬものがあるようだ。 「瀬戸内高校には8時20分までに行かないと」と言うので、おにぎり3個入れたお弁当と水筒を持たせると 「行ってきまぁ〜す」と元気に出かけていった。 今日は私も午後出かけて丁度夕方になるので、留学生会館のスーちゃんと一緒に帰る事にした。 |
8月27日(水曜日) アメリカからの留学生来る。 夜遅くまで起きていたのに、まだ緊張しているのか、「おはよう」と言ってニコニコ起きてきた。 瀬戸内高校に新たにアメリカからの留学生、「ジョナサン」がやってくるそうだ。 今日はスーちゃんは先輩として、駅まで彼を迎えに行くらしい。駅へ10時に行き、瀬戸内高校まで連れて来るのだ。 先生から一緒にまた色々指導受けるのだろう。 スーちゃんは我が家に来る前は、ジョナサンがホームステイしている西区の方から通っていたので、 広島駅からのルートは良く分かっている。 そして午後からは駅前の留学生会館に行きまた日本語の勉強だ。 お弁当を持ち「行って来まぁ〜す」と出かけるスーちゃんを門の所で見送った。 我が家に4日前に来たのに、溶け込みの早いスーちゃんはもう何ヶ月も前から我が家に居る様だ。 スーちゃんは”12月の能力試験にどんな事があってもパスしなければならない”と思っている。 「思っている」と言うより出来なかったらスリランカ帰れないよ!!というプレッシャーに苛まれていると言ったが適当か・・・。 スリランカの日本語の先生(日本人の先生らしい)や、両親から大きな期待をされている。 スリランカのお母さんから、これまでに出された試験問題集のコピーが山のように送られている。 なのでスーちゃんは寸暇を惜しんでその問題集に取っ組んでいる。 それは女学院のチャンも同様で、スーちゃんよりももっとむつかしい級の試験を受けるらしい。 二人は遊ぶ時間もないくらいだ。 その様な状態なので、スーちゃんが我が家に来て一番嬉しかったのは、私がIVCという留学生に日本語を教える ボランティアの一員であるという事だったようだ。 この「日本語能力試験」というのは、過去24年間に渡り、日本国際教育支援協会が12月の第一日曜日にいっせいに 実施しており、海外においても12月第一日曜日、つまり同じ日に実施されている。日本語を母国語としない人が対象である。 スーちゃんもスリランカで3級を受け合格しているので、この日本で2級を受けるために猛烈に頑張っていると言う状況である。 我が家に来てからも、やっぱり頑張るスーちゃん。 食事の後片付けが終わると、そそくさと二階に上がり、問題集をかかえこんで降りてくるスーちゃんである。 学ぶ方が一生懸命なので、ついつい私も(時には主人も巻き込んで)熱が入ってしまう。 気がつけば12時を廻っていたりする。 そんな時、頭の良いスーちゃんは、「どっちが試験を受けるのかわからないよね〜!!」と言って笑わせてくれる。 ジョナサンを駅に迎えに行き、一緒に先生の指導を受け、そのあと留学生会館で日本語の勉強を終え3時半頃帰宅した。 「おかあさん!今日はお弁当を食べる暇も無かったよ!」と言って、帰るとすぐにお弁当を拡げて食べている。 さすがお腹が空いたのだろう。食べながら、今日一日の事を話してくれる。 今日も遅くまで勉強に付き合う。 |
8月28日(木曜日)登校日 9月1日からかと思ったら、もう今日から学校が始まる様だ。 我が家からはバス通学になるので、バス停まで歩いて10分。7時40分くらいのバスに乗る。 今日は校長先生の話があり、クラスルームの後は解散なので早い。 今日もスーちゃんは留学生会館だ。 IVCの佐藤先生がスーちゃんとベトナムのチャンの為に留学生会館に来て教えておられる。 佐藤先生も最初は1時から3時くらいまで教える積りだったそうだが、あまりに熱心なので、 5時まで教えていますと言っておられた。 スーちゃんから言わせれば、瀬戸内高校の先生も、IVCの佐藤先生もすごいよ!という。 自分だけの為に、時間をとって教えて下さるというのが信じられないと思っている。 佐藤先生もスーちゃん達の熱心さに嵌ってしまわれたようだ。 「あー疲れた!」と言って夕方6時過ぎ帰宅した。 今夜もまた問題集に取り組む。 |
8月29日(金曜日) 昨日は登校日だったが、荷物は少なかった。 いよいよ今日から授業もあり、スーちゃんは沢山の教科書を抱えて学校へ行かなければならない。 机の中やロッカーに教科書を置いてかえる事は許されていない。それに先生のチェックも入るので、 生徒達はひとつのカバンでは入りきらない為2つのカバンに入れて通っている。肩も凝るだろうなぁ〜・・・。 スーちゃんも顔をしかめながら、大きなカバン、そして少し小さめのカバンを肩に担いで出かけていった。 今日は3時限目までテストがあるので、スーちゃんはその間図書館に行って勉強するらしい。 今度はジョナサンも一緒である。 図書館の先生は、3年生の古典と現代文の担任の先生らしいので、 この先生にもスーちゃんはいろいろ教えてもらっているようだ。 瀬戸内高校ではどの先生も寄って集ってスーちゃんに良くしてくださるそうだ。 スーちゃんは日本語が良く分かるので、他の生徒と同じ様に聞いたことをちゃんとノートに書き止める。 その様子にびっくりされた先生方に 「おかあさん、皆んな寝てるよ!聞いているのはスーちゃんだけだよ!」と笑わせる。 そんな状態だからきっと先生もまたスーちゃんに嵌ってしまわれたのかぁ!! 学校が終わって、スーちゃんのために特別に時間をとって教えてくださるそうだ。 そんな優秀な生徒が来た!という事なのだろうか、校長先生まで毎日のようにスーちゃんの様子を気に かけて下さり、様子を見に来られるそうだ。 (きっと他の生徒への刺激にもなるのではないだろうか。) 今日も図書館で特別講義をしてもらい、6時頃疲れた様子で帰って来た。 |
8月30日(土曜日) 久しぶりに学校がお休み。ホストファミリーが代わりあわただしい週だったろう。 と言っても、今日は10時にLPの沖田さんに駅前で会う事になっているのであまりゆっくりは出来ない。 午後はいつものように留学生会館である。 今朝は主人がパラグライダーに出かけるので、バス停まで一緒だ。 G-パンにT-シャツ姿のスーちゃん、沖田さんに会うため9時過ぎ主人とともに出かけて行った。 午後は私もIVCのクラスがあるので、スーちゃんと留学生会館で会いましょうねと声を掛ける。 私にとっても、スーちゃんと留学生会館で会うのは初めてである。 スーちゃんたちに日本語を教えておられる佐藤先生も、ホストファミリーが代わるので、不安そうなスーちゃんを見るに付け 「稲垣さんならよく留学生を受けておられるので、いいのになぁ〜・・・と思っていたんですよ」と、言われ、そして今週の水曜日に 「佐藤先生、ホストファミリー代わったよ。稲垣さんだよ!」と、スーちゃんから聞いてびっくり仰天したんですよ!と 興奮冷めやらぬ様子で言って下さった。ほんとに縁は異なものである。 教えていても二人共の見込みが早いので、とっても教えがいがありますと言われていた。 日本語クラスが終わると、私は同じ留学生会館の中でやっているスペイン語クラスに行くので、 スーちゃんはフロアーで一人勉強しながら私を待っている。 今日は主人がパラグライダーの講義を受けているので、遅くなるといっていた。夕食も要らないと。 じゃーあ、スーちゃん帰りに何か食べて帰りましょう!と約束した。 我家に帰る途中のお好み焼き屋さんに寄る。殆どの外国人はこのお好み焼きは好評である。 スーちゃんも大好きと言っていた。 帰宅したのは8時半頃であった。すでに家に明かりが灯り、なんだか賑やかだ。 そうだ、主人からの電話で、パラグライダー仲間の方が3人、我が家に泊まられるらしい。 ガレージまで着いたものの、冷蔵庫は空っぽだったなぁ〜と思い、引き返して近くのスーパーに買い物に。 果物や明日の朝食材料を適当に買って帰る。 家に着くと、玄関に入るのを恥ずかしがっていたスーちゃんだったが、 皆さんと顔をあわせるとすぐにうちとけて、愉しく歓談するスーちゃんであった。 あわただしかった今日も無事暮れていった。明日は日曜日だ。久しぶりにゆっくり寝よう!!!。 |
8月31日(日曜日) ゆっくり起きようと思っていたが、主人や、パラグライダーの方々は9時半現地集合という事なので、朝食は8時。 いつものように早めにふとんを抜け出して、朝ごはんの準備だ。 昨夜遅くまでわいわい言っていたスーちゃんだったが、彼女もいつもの時間に「おはようございまーす」と言って降りてきた。 スーちゃんに手伝ってもらって、食卓の準備をする皆さんに先に食べてもらい、ゆっくりスーちゃんと二人で朝食だ。 スリランカは仏教国なので、インドにように牛は食べてはいけない!とか、豚はだめとかは無い。 お肉の大好きなスーちゃんである。日本と同じように海に囲まれた国なので、お魚も沢山売っているらしい。 ただし、生では絶対食べない。揚げたり、焼いたりして食べるそうだ。 日本では昆布、ワカメ、ひじき、海苔などと言った海の恵み、海藻類は身体に良いので、消費が高いが、 スリランカでは全く存在しないようだ。 特にスーちゃんは、のり独特の臭いがダメなようで、「おにぎり大好きだけど、あの黒い紙がダメ!!」と顔をゆがめる。 なので、お味噌汁もどうも食べてくれそうにない。 スーちゃん曰く、「お味噌汁ってゴミ箱みたい!!いっぱい、いっぱいゴミが入っている」と表現する。 白いのや、あの気持ちの悪い黒いのや・・・という。どうも白いのはお豆腐で、黒いはワカメらしい。 主人の提案で、スーちゃんに一度味噌汁を作らせてみろ。 そしたら何が入っているかわかるし、食べれるのではないか?と。 という事で、材料を切り、お味噌も入れて全てスーちゃん一人に任せた。ゴミ箱の中身も、お豆腐とあげ位にしておいた。 ・・・・が、自分で作ったので、我慢して食べたようだったが、2度は”もうごちそうさん!”状態だった。 そして留学生の殆どが嫌がる納豆も全く受け付けない。これもやはり臭いがダメらしい。 いやな食べ物を無理やり食べさせるのも、可愛そうなので、前のホストファミリーさんがそうであったように、私たちはお味噌汁、 スーちゃんは、大好きなコーンやパンプキンスープが定番となった。 後片付けが終わるとさっそく2階から日本語検定試験の問題集を持って降りて来た。 学校のある日は、なかなか夜はゆっくり勉強出来ない。 今日は思う存分試験問題と取り組もうという意気込みである。 スーちゃんが問題集をやっている間に、洗濯や掃除をする私。 「日本語能力試験」というのは、1級から4級まであり、既に3級を合格しているスーちゃんは2級に挑戦。 「文字・語彙」、「聴解」・「読解、文法」と3分野から出される。 2級では、やや高度の文法、漢字(1000文字程度)語彙(6000語)を習得し一般的なことがらについて、 会話が出来、読み書き出来る能力を問われる試験である。 問題集をみると、日本人ですら間違いそうな、難しい問題もある。なかなか手ごわい能力試験の様だ。 しかし、私達日本人にとって、過去24年間に渡り世界各国でこの日本語能力試験への関心が高まり、 受ける人が年々増えている現状はうれしいことである。 という事で、スーちゃんにもぜひがんばってうかってもらいたいと願う私達である。 スーちゃんと顔をつき合わせて問題集を理解していった。時間はあっという間に経った。12時を回っている。 「スーちゃんお昼何食べようか?」と聞くと、「さっきケーキ食べたからお腹空いてないよ」と言う。 じゃーもう少し後で何か食べよう!と、またお勉強を続ける。 3時頃になると、スーちゃんもいささか疲れてきたようだ。 少し頭を休めようと、生け花に挑戦させる。なんでも興味津々のスーちゃんは、大喜び。 庭の木々や、お花を摘んで来る。主になる木々、あしらいの花々を我家の畑のほうをウロウロしてそろえてみた。 アジサイの木、擬宝珠の葉、千日紅の花などがあった。花器、剣山、はさみを用意。 それぞれの木や花がどの方角から見たら、一番美しく見えるかを考えながら生けていくことを教えると、 これまた勘の良いスーちゃんは花材をじーと見つめながら剣山に指していった。 ポイントを教えると、その通り素直に生けていくスーちゃんだった。 生けあがったところで、主人ご帰還。さっそく出来上がった生け花とともに写真におさまるスーちゃんだった。 今日のお勉強は、一時中断。夕食の支度に取り掛かる。 いささか私自身も疲れが出てきた。 今夜はビデオタイム。主人のパラグライダーのビデオでも見せよう。 |